第三十二瓶 清酒の味わい方(味わい)

 前稿の箴言を私流に解釈しますと、「清酒における極めて狭い品質差を広く認識する事にこそ限り無い楽しみが存在する」という具合です。この表現は非常に紳士的に、好意的に現在の清酒の質の在りようを見たものですが、より具体的に言い換えますと「酒米は山田錦一辺倒、速醸酛 の規格化、そして酵母の一様化も合わせ、清酒の差には限りが在る」、ざっくばらんに言うと「どれもこれも没個性」という事です。しかしそんな有りていな言いようでは身も蓋もありませんし、ひょっとしたら私が悪意に満ちた非紳士的な人間と誤解する読者諸賢がおられるかも分かりませんから、もう一度前向きな姿勢で先の箴言を味わってみましょう。「極めて狭い品質差を広く認識する」、この様に清酒の風味を捉える能力はどのようにすれば得られるのでしょう。その為には、一通りでない飲酒量と訓練時間が要求されます。詰まり 並行複式発酵 による高アルコールにもへこたれない丈夫な肝機能と一口ひとくち一口を等閑なおざりにしない認識への意志であります。ついでに、資源ゴミ回収の朝に数々の酒瓶を抱え持つ腕力と、冷ややかにそそがれるご近所さんの視線を無視する図太い精神力も有ればもう言う事無しです。一方、「極めて狭い」ながらも「差」がある事に注目すると、それを生んでいる要素は一体何か、という疑問が湧いて来ます。その答えは恐らく という事に為りましょう。しかし水の個性は硬度の違い程度で、無味無臭の水の差がどれほど一般消費者に分かるでしょうか? 残念ながら、清酒が文化の多様性を失っている事は否めません。「酒瓶は依然様々に異なるラベルを付けてはいるが、中の酒の組成は次第に似て来つつある」とはアンドレ・モーロワの至言ですが、皆一律に淡麗辛口指向へと向かい、どれもこれも外観が同じなら香りも同じ、そして味わいも同じという状況に陥ったからこそ、色の付いた物、香り高い物、そして味の濃い物に価値が認められるように為っている訳です。そしてそういった反動的な流れを起こすのは、いつの時代も奥深さを追う一部の熱狂者マニア達です。現代の清酒が研ぎ澄まされて高い完成度に仕上げられた反面、風味の多様性を喪失してしまった事に満足出来ない好事家こうずか達に一縷いちるの望みが懸けられるでしょう。彼等は「ワインの風味より清酒の方が更に微妙で繊細な魅力がある」と知り、それらが水質や米質、米の磨き具合、更には糀(※1)や酒母(酛)、そして醪の操作の違いから来る事も知っています。清酒の泰斗たいと坂口謹一郎先生曰く、「酒を造るものは酒造家であるが、これを育てるものは国民大衆でなければならない。国民一般が多年の統制の結果、高貴な鑑賞能力を失い、真の酒の良さというものを理解できなくなり、また酒造家の方も自信を失ってしまったら、日本の酒は亡びるよりほかはない。」消費者の味覚と知識が研ぎ澄まされ、消費者が本物を分かり本物を求めるように為った現在、ブランドやボトルの形といった外身の差異に加え、中身の差別化を推し進めなければ情報化の波に乗る事は出来ないでしょう。実際、飲み手の意識の変化が造り手の意識を変え始め、鑑評会で金賞を取るような専門家向きの酒ではなく、飲み手が求めている酒を目指す造り手も増えています。清酒が途轍もなく狭い範囲内での違いで差別化されている現状、清酒の多様性、独自性を復活させる事が肝要で、2017年時点で1594場ある酒蔵(※2)の内、それに気付いた幾許いくばくかが行動を起こし、また幾許かがその後に続いているのです。そしてその行動に望まれるものとは何であろうか? ──それは、多様な酒米の復活とその育成であります。(延いては産地も含む)

 ※1 コウジカビの学名は Aspergillusアスペルギルス oryzaeオリゼー「米のアスペルギルス(麴菌の属:先端の胞子が付く部分『項のう』の形がキリスト教祭司が用いる聖水を振り掛ける『灌水器かんすいき』に似ている事から命名)」。特定名称酒の種類により振り掛ける糀の量は異なり、例えば大吟醸造りだと少なく、純米造りだと多めにするという(純米酒は余り米を磨かないので、心白の周辺部も残り糀が中々内部に入り込めない為。なお糀歩合は特定名称酒では15%以上〈通常20~23%〉とされているが、その破精はぜ込み具合や破精廻り、もしくは老若程度等によって糖化力に大きな差がある為、単に使用量のみで良否を決する事は出来ない)。又、酒母糀用、醪用の他にも吟醸酒用や純米大吟醸酒用、アルコールが出易い普通酒用、そして甘味の元に為るグルコアミラーゼの出るタイプなど様々に開発が進み、種糀は現在百種類弱も在るという(したがって糀の種類表記は単純ではなく、更に多くの場合単品ではなく複数種を混合して造られる上、掛ける時間や加えるタイミングも大きく影響する為、「一麹二酛三仕込み」と言うように糀は風味に最も大きく関わるものの、其処から推測するのは難しい。速醸酛 の発明者江田鎌治郎氏は糀の老若についても述べておられ、例えば「辛口酒には比較的稍々ややひね麴を使用し、醇良酒にはわか麴を使用すきとは当然にして、或程度迄麴を若くせざれば到底風味ある酒を造り得られざるなり」と仰っておられる。詰まり、若い方がちからが有り香気が若々しく良いけれども糖化力が弱いため味は淡白と為る〈白砂糖の様なあっさりした甘味〉。余りなすと糖化力は十分でも肝腎な香気が劣り、酒の色沢と味が濃厚にして下品に為る恐れがある〈赤砂糖の様な諄い甘味〉。よって適当な時期に出麴するよう注意すべし、との事)。コウジ菌を蒸米に繁殖させたのを種麴もやしと言い、これを製造する業者を「もやし屋」と言うが、現在は全国で十社余り。その中でも醸造用の種菌を作っているのは三社のみで、その僅かな会社で全日本が必要とする分を賄っていると言う。又これは世界史的に見ると奇跡の商売らしく、微生物の種を売るのは今も日本だけ。昔は杉の若葉を陰干しして置くと黴が付くので、これを種にして糀を作ったという。現在は蒸米に木灰を振り掛けて置き、そのアルカリ性の環境下では糀黴以外の菌は死滅、糀黴だけが木灰が有するカリウムにより生育する特徴を利用し、胞子だけを取り乾燥させて種糀もやし商品を完成させているという。因みに、米で作る「こうじ」は和字の「糀」と書くべきであり、麦で作る「麹」という漢字を当てるべきではない(確かに「麹」は古代の酒造技術として大陸から伝わった物の一つだが、大陸性の中国や朝鮮半島とは異なる海洋性で湿度が高い日本列島の気象条件テロワールが、新たな「糀」を生んだのである)

 ※2 この中には酒造免許は所有しているものの、実際には運営していない蔵が300程在るという

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『童蒙酒造記』(巻一)には、麴蓋に盛った夜、灯で透かして見ると所々に「花」(胞子)が見えるようになり、これを「麴の足」と言ったという内容が記されている。『和漢三才図会』には、盛り後二日一夜で麴菌が殖えて白衣を生ずるとあり、これを「白花麴」とも呼んだ。蒸米に米の花を咲かせた「糀」は「國菌」として2006年日本醸造学会大会にて認定された。即ちそれは、糀菌が日本人の物の見方や考え方、そして日本社会に大きな影響を与えて来た微生物として公式に認められたという事である(因みに、國花は菊と桜、國鳥は雉、國魚は鮎、國蝶はオオムラサキ)

 酒造米として栽培が奨励される品種は各都道府県によって決められ、毎年農林水産大臣により「産地品種銘柄」として公示され、東京都と沖縄県を除く45の道府県で認定されています(⇒https://www.maff.go.jp/j/seisan/syoryu/kensa/sentaku/attach/pdf/index-34.pdfのP7~9)。この一覧表をご覧に為った方々の中には、醸造用玄米の品種の多さに驚かれた方もおられるかも分かりませんが、年々その数は増加しているようです。とは言え、勿論ワイン用葡萄品種に比べたらまだまだ物の数ではありません(OIVによると、ヴィティス・ヴィニフェラ≒6000種 > 国際品種=33種 > 主要品種=13種)。それでもその数は本稿で一々紹介するには余りに膨大な上、その大多数が一般消費者の手に渡る機会も中々無い物でしょうから、此処では我々が見付け易い、ワインで喩えるなら「土着品種」ではなく、言わば「国内品種」である生産量上位四種についてご紹介差し上げる事と致します。

J.S.A.SAKE DIPLOMA 二次試験も、これら基本四品種を押さえてから臨む事に為ります。なおワインとは違い香りから原料米の違いを探るのは難しく、それよりは酵母の種類を言い当てる方が容易かも知れない

 左から、新潟県産米生産数量五百万石(一石≒150㎏)の突破記念で1957年に命名された「五百万石」。雪を頂く北アルプスの山の様に美しく白い心白を持つ事から名付けられた「美山錦」。生産量1位、兵庫県が58%を占め且つ最高品質(※3)の「山田錦」(「~錦」とは心白部を見立てた呼び名)。そして酒造好適米が出来た昭和24年では最高級の酒米として各地の酒造家の羨望の的だった「雄町」。雄町は山田錦にその座を奪われたものの、今なお熱烈な愛好家は多く彼等は「オマチスト」と呼ばれ、岡山県のJA全国農民組合、酒造好適米協議会、酒造組合の三者により「雄町サミット」も開催されています。しかしこれらは主に高級酒に使用される酒米で、幾ら清酒がワインに比べて遙かに良心的な価格を維持していても、毎日毎日飲める代物でもありますまい。酒造ではワインの様に味の特性を補足し合ったり、相乗効果を求めて異なる品種の米から造られた酒を アサンブラージュ する事は少ないのですが、しかし手頃な価格で提供するには全量をこれらの高価な酒米だけでは造れません。したがって原料米をブレンドするという事は多くあり、例えば酒質を左右する最も重要な糀や酛造りには酒米を使い、後から蒸して加えられ全体の八割を必要とする醪を仕込む掛け米には安価な飯米が使われたりします。

 ※3 山田錦の故郷である兵庫県には「村米制度」が明治20(1887)年代には生まれていたとされ、そしてそれは現在に伝わり、特定酒造家と特定集落とが直接契約栽培している。その成立の背景には、倒伏し易く収量も多くない酒米の栽培は採算が合わず、農家が酒米を栽培しようとしない為、その対応策として特定地域契約を結び、農家が良質な酒米を安定して生産する代わりに、酒蔵は通常米より高い価格で毎年一定量を買い上げるという仕組みがあった。歴史的に見ると、取り引きに当たって農家は酒造家が求める酒米を生産するべく品質向上に努め、そしてそれが別の集落との競争を生み拡大して行き、土壌や地形などから栽培適地が見極められ、取引価格に差を設ける為の集落ごとの格付けが行われて来た。酒造好適米の栽培は、内陸の低山や丘陵地帯の山間または盆地の風通しの良い所が適地とされるが、それは昼夜の気温差が大きい事で米の成長と心白の発現が良くなるからである。そして特A地区の多くはこの条件を備えており、且つ降水量が少なく、2-1型スメクタイトと呼ばれる黒粘土土壌を有している(風味に立体感や厚みが出る。なおシャトー・ペトリュスの土壌もスメクタイト)。更にその中でも、植物化石由来の窒素、リン酸、カリなどを豊富に含む神戸層群の地層を持つ地域からより良い米が生産されている(同じ山田錦でも、或る県の物は兵庫の物より雑味に繋がるアミノ酸を三倍程も含んでいるといった違いもある。又、北で生産される山田錦は南の物より軽い)。この制度はシャンパーニュ地区畑格付け「エシェル・デ・クリュ」に相当し(但しこれは村米制度より30年程後の1919年成立)、特A-a地区は言わばグラン・クリュである(中でも吉川町と東条町は別格とされ、前者の山田錦は野性的男児、後者のそれは優雅な別嬪べっぴんさんに喩えられるとかで、シャンパーニュにおける剛直なブジーと華麗なクラマンといったところであろうか)。特A米の価格は普通の酒米の三倍で、稀少な米を譲るからには信頼ある蔵に卸される。詰まり「特A地区産山田錦」とラベル表記された酒は、確かな米質と確かな醸造蔵から造られた、中身に疑う余地が無い酒という事である

 ところで、矢張り清酒の味わいを捉える上で、アルコール度数は勿論の事、酒母の違い(速醸酛〈より淡麗〉< 生酛〈濃厚だがすっきりとした酸あり〉< 山廃酛〈濃醇で確りとした酸があり骨太〉)、そして何よりも日本酒度(※4)、酸度(※5)、アミノ酸度(※6)を無視する訳には参りません。しかし、美味しさというものは数値化出来ないのは言う迄も無く、それらの数値データを単体で見ても意味は無く、寧ろそれで味わいを判断するのはプロでも難しい事で、其々の包括的な座標軸で考えなければ味わいの全体像が見えて来ないのです。イメージとしては [①先ずはアルコール度数を見て量感を見る ②アルコール度数が同じなら日本酒度から残糖分が比較出来る ③アミノ酸度により量感の広がりが分かる ④酸度により余韻の長さや味わいの引き締まりが分かる] というように、最初に横の膨らみを見て、それから縦長の延びを見る流れであります。って言っただけで「うんうん」と理解出来る方はこの泡沫サイトに遣って来る訳も無い練達の士だけでしょう。今回は、特にラベルやWEB上から情報収集し易い日本酒度と酸度に注目して、味わい像を具現化してみました。(「非公開」という表記は、勿論企業秘密という場合もあるだろうが、年毎の造りが異なり統一出来ないから、という意図もある)

清酒には元々 渋み や辛みといった刺激的な要素が少なく、甘味や旨味などの快適な味が主体なので、酸味の量の僅かな違いでも大きな影響が出る(よって酸度の軸の幅が狭い)。低アルコール清酒では、一般的にはボディの軽さを補う為に甘味や酸味を強くしたり、発泡感を持たせたりしてバランスを調整している。又「旨口」というのは甘味が多い事が多い。それは砂糖が希少品だった時代「甘いは旨い」とされた為であろう。江戸期には甘味料として味醂が非常に大きな役割を果たしていたとも言われている。しかしこれ全て旨みより軽みの昨今、都会人を中心とした急速な体力と気力の低下。「甘くないスイーツ」という矛盾した代物しか喰えない人々の減衰した生命力…一千年前はどれほど高貴な身分の人々でも甘味に満ちた飲食物を口にする事は出来なかった。そんな中で酒は高いアルコール度数も手伝う甘さあっての物であった。江戸期の再現酒も販売されている現在、たとえそれが甘過ぎて現代人の口に合わなかろうと、文化を味わう者であれば唾棄する事など在り得ない

 さて此処で今一度中学生に立ち戻って、数学の関数のお時間を思い出しましょう。既に皆様は時代的センスのズレた学校教師という存在を乗り越えた人々ですので、まるで軍隊の訓練の様に苦渋と辛酸を舐めた授業も甘い思い出として甦って来るのではないでしょうか? 彼等が実は私達が逢う在らゆる大人の中で一等手強てごわくない大人であった事を思い出しながら、教師のはしくれであるそれがしからも知識だけを十分に吸い取って頂ければと思います。──閑話休題、座標の点を(日本酒度,酸度)と表すと、例えば日本酒度−1で酸度1.4の清酒は(−1,1.4)と為り、中学一年生の頃の様に一マス一マス座標を追って行った結果、この酒は実にバランスが良い味わいの物であるという事が推測されます。そう、飽く迄「推測」で「断言」は出来兼ねます。度々申し上げて参りましたように人の味覚には個人差がありますし、実際はこの二次元の表にアミノ酸度が加わって来るからです(当方の力量では三次元の具現化はムリでした(;´д`)。無論アルコール度もお忘れなきよう、後は皆様の想像力に委ねます)。何より酒は生き物ですから、搾ってからも変わって行き、無論保存環境によっては大きく変わって行きます(※7)。だからこそワイン程ではないにしろ、同じ銘柄でも毎年微妙に違う出来上がりの味(※8)を楽しむ事が出来ますし、秋上がりなら春との味の違いを楽しむという乙な飲み方があるのです。結局私達は日本酒度や酸度といったデータだけで酒を飲む訳ではありません。係数だけで割り切れるほど酒は単純ではありません。飽くまで官能、即ち「ベロ勘」優先で判断しなければならないのです。所詮科学的裏付けは結果に過ぎません。しかしそれでも冒険するのは避け、個人的に決まった嗜好を優先したいという方は是非上の表を活用して頂ければと思います。私個人の例を挙げると、どうやらこの舌はバランスの良いタイプをより美味しく感じる傾向にありますので、緑色の枠に嵌まる座標の酒を選ぶ事に為りましょう。

 ※4 当初の呼び名は「清酒メートル」。これは「酒中のエキス分の量がアルコール量と比べて如何程か」という4℃の純水における濃度の比重値で、厳密には甘辛を示す数値ではない。しかしエキス分は糖分が主体の為(他にアミノ酸やカルシウム)、結果「濃い / 淡い」即ち「甘い / 辛い」に繋がる(※9)。糖分が同じであっても 原酒 の様にアルコール度数が高く為ると比重が軽く為る為(アルコールは水より軽いので糖分が無ければ水に浮く)、数値的には辛口であっても、アルコールによる甘味度合いが上がる為、官能的にはより甘く感じる(逆に低アルコール酒の場合は数値的に甘口に為るが、官能的にはより辛口にも感じる)。無論酸の量が多いと甘味を相殺してより辛口に感じ(例えば林檎のフジと紅玉とではフジの方が甘く感じられるのは、同じ糖分でも紅玉の方が酸味が強い為)、苦味においても同様である。香りに甘やかな果実や花の印象が強くても甘口に感じられる(ワインだとゲヴュルツトラミネールやヴィオニエのイメージ)。一方、この日本酒度とは単なる比重ゆえ、アルコールを多く添加した酒は日本酒度が大きくプラスに為る。よって辛口の酒は良い酒であるという思い込みは厳に避けた方が宜しい。加えて甘辛度は合わせる料理によっても変わり、個人差もある。又、清酒が含有する糖の中でグルコースが全体の70~80%を占め、糖類による甘味の主体はグルコースであるが、残りの20~30%のオリゴ糖は甘味と共に濃く味にも関係すると考えられている

 ※5 一般に酸度が1.0以下だと淡麗で軽快、1.5以上だと濃醇でストラクチャーがしっかりして余韻の切れも良い印象に為る(一般的には2.2~2.3が限界とされる。因みに酸度8で大体白ワインの酸と同じ)。清酒には多い順からコハク酸、リンゴ酸、乳酸、クエン酸などの有機酸(⇒味わいの分析図)が有り、この四種が全体の八割以上を占める。しかしその量は白ワインの1/7~1/10程度で、ワインに比べ清酒の方が総酸度が低いだけでなく、コハク酸や乳酸およびアミノ酸といった円やかな酸が多い為、また酒造過程で醪中に酵母が食べ切れていない糖や糖に分解されていないデキストリン(言わば水飴)が5~6%残る為、どうしても甘い印象が残る(と言うか米は抑々甘い)。(中でも純米、生酛、山廃〈特に石川県〉は酸味が多い傾向にあるが、それは旨味が多く酸を効かせないとり張りの無いでっぷりとした酒に為ってしまう為。また地方で見ると関西は酸味が多めで、関東は少なめ〈東日本はより低温地の為、西より酵母の活動が弱めの為〉。酵母では7号と11号が多く、10号や14号は少ない。又、有機酸の約73%が醪で生成されるという〈酒母からは17%〉)

 ※6 アミノ酸と言うと全てが 旨味 成分と思いがちだが、実際は甘味や酸味、苦味も感じる。例えばグルタミン酸は酸味を、アラニン、アルギニン、グリシン、プロリンには甘味を、ロイシン、バリン、そして先述したアルギニンとプロリンには苦味を感じる。アミノ酸度は1.2を越えると甘味、旨味、ボディーのある酒質に為り、吟醸酒では1.0~1.3程度、純米酒では1.5前後が多く、低精米酒や熟成古酒では2.0を越える物もあり、数値が高いほど清酒の味にふくよかさ、濃厚さ、広がり、濃くを与える。一方で、低精米の純米酒は味が有り過ぎる、旨過ぎる、どうしてももったりした感じの酒になりがちで飲み飽きるという声も(アミノ酸は勿論、旨味のある有機酸も料理では美味しさに繋がるが、清酒ではどよーんとした印象になる為、コハク酸とグルタミン酸は数値を抑えた方が良いとされている)。雑味だらけの酒質に為る事を、技術者の間では「酒に為らずザケに為る」と言うが、アミノ酸こそ清酒の強みであり、他の酒類にない特徴すなわち個性でもある為、醸造技術が進歩する中でも敢えて低精米を選ぶ造り手も増えている(2004年1月1日より純米酒の精米歩合70%以下という規定は撤廃され自由化された)。曾ての 吟醸 ブームの時の様に飲み易さばかりを追求すれば、即ち無味無臭に為れば為るほど飲み易い事に為り、清酒の魅力を捨ててしまう事に為る。蛇足だが、精米歩合50%以下において5%刻みの違いによる酒質の差異は微々たるもので、60%から55%、そして50%に至る段階ほどには歴然とした違いは生じない。そして技術の無い杜氏による40%の酒は原料処理が難しく為る分、名人杜氏の60%の酒よりも却って劣るという

 ※7 清酒の劣化三大要因は光、熱、酸素で、特に紫外線に弱い(日光は無論、照明も駄目なので、黒や茶色の遮光性瓶で対策している。白色瓶に入れて直射日光に三時間程晒すと3~5倍に増色する)。故にフロストボトルは、霧の様に表面加工した磨り硝子により光の乱反射を増やし、最も光に弱い為、日光臭と言う焦げたような匂いが付き易い。アミノ酸は光と温度に影響を受け易いが(→メイラード反応)、ワインの様に酸化による変化はあまり大きくない為、開栓しても冷蔵すれば少ない変化で済む。理想的には、0℃付近が適温(鑑評会出品酒などを蔵が保管する場合、0~2℃位が多い。尚、アルコール度数にもよるが、清酒は−7~−10℃でなければ凍らない。が、冷凍庫で保管するとバランスを崩す)。「日本酒は要冷蔵、開栓後は直ぐ飲み切るべし」という今の常識は、以前の吟醸酒全盛期に定着したもので、伝統的な生酛を始め、しっかりとした造り(→並行複式発酵)の純米酒は空気接触により秘めた素質が徐々に現れる。そういった酒は常温保管すると熟れて深みが出る。田崎真也氏(⇒お役立ちワイン映像集)は「市販酒の吟醸タイプを冷蔵庫、本醸造、純米タイプをワインセラーと分けて熟成させています」との事。蔵元では、純米酒(確りした造りで精米歩合が60%程)は18℃前後、純米吟醸酒(精米歩合が50%以下)は8℃前後(5℃以下では熟成が遅れ、何時迄も出荷出来ない)、 酒は−5℃以下で管理しているとの事。何にせよ、温度が高いと瓶内対流が起こり品質変化が促される為、アミノ酸が変化し、吟醸酒では吟醸香が減少する。特に生酒や吟醸酒など酒質の軽快なタイプは酒質の変化が早いため細心の注意が必要

 ※8 例えば2007年は夏の記録的な猛暑により高温障害を起こした米が多かった。即ち、未熟な米粒が増え、発酵段階で良く溶けず醪での溶け残りが多く為り、酒粕が多くて得られる酒量が少なく、軽い酒質の味の乗らない、辛くて薄い酒になりがちで、全国の蔵元が苦労したと言われている。しかし喜久酔では通常7分の吸水時間を常識外れの11分で敢行し、静岡県の新酒鑑評会で初めて首席を獲得し、他蔵の腕利き杜氏からその味の出し方を尋ねられたという伝説もある

 ※9 一般的な清酒には2.5~4.5%の糖分が含まれ、ワインで言えば中甘口セック甘口ドゥミ・セックの様な状態で、ワインと違い残糖感が無いという事は殆ど無い。それは、醪中で糀菌の糖化酵素が米澱粉を分解するとグルコースとオリゴ糖が生成されるのだが、グルコースは酵母によりアルコールに分解されるが、オリゴ糖は分解出来ないため必然的に酒に残留するからである

本日の箴言

 いい酒には主張がある

『酒道』第10号 題辞

休日の一本

始禄、純米吟醸(備前岡山雄町、精米歩合55%)(中島酒造、岐阜県)

 濃いイエロー/ゴールド。ふくよかな香り立ちは メイラード反応 による熟成香が漂う(一定期間熟成後出荷した物であろう):蒸米、味醂、ドライバナナ、百合、石灰、ほんのりカラメル、蜂蜜、シナモン

 中甘口、ふくらかで円やかな第一印象は全く健全で、中盤からアルコール感に支えられた(15.5%だが)強烈な 押し味 が口内を打ち、ドライな 渋み 、旨味 のある苦味が力強い膨らみと共に長い余韻に引き続く

 堂々たる体躯の雄々しさと重みは矢張りムルソーに喩えるべきもの。香りの魅力には乏しいが、味乗りしていて実に良い食中酒である

・30℃:甘、酸、苦、旨、渋が全て上品に纏まり、全く障りの無い極めて滑らかなテクスチャーに思わずうっとりとする

・40℃:若干苦味が頭をもたげて来るが、依然として滑らか

・45℃:苦味がグッと味わいに深みを加え、飲み応えを生む

 燗冷ましでも味が全くブレない。二日目はやや饐えたのか味わいの力強さに衰えが見られたが、なお美味し

岐阜県:南の美濃地方は隣の愛知県と共通する濃醇甘口で、山国ならではの濃醇な保存食に寄り添う。北の飛騨地方は濃厚な辛口。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/gifu.html 

第三十一瓶 清酒の味わい方(香り)

 清酒はワインほど外観が有する情報量は多くなく、ワインにおいて醸造方法の違いから生まれる赤・白・ロゼ・オレンジと比較して、清酒は白ワインの様に黄色が基本色ですので(純米の本来はフラビン系色素による山吹色)、外観から造りの差異を見留める事は一目瞭然という訳には行きません。むしろ、濾過 の有無があるため色の濃淡は特定名称の判断材料にはならないと言うべきでしょう。よって複数種のテイスティングにおいては、普通は全て異なる造りの物が並べられる為、最初に一通り香りを嗅いで全体像を捉えるのが宜しいかと思います。又ワインでは色・香・味を通して(主に品種特徴と南北感から⇒テイスティング実践)最終的に ヴィンテージ・生産地・葡萄品種の断定へと辿り着きましたが、生鮮食品である葡萄とは違い穀物である米は移動可能(※1)な為、生産地特定は重要視されず、主に香りから酵母を(※2)、味わいから品種を、そして香味から酒母(酛)を定めて行く事が、清酒におけるテイスティングの概要です。

 ※1 曾ては気温は変えられず、水は運べなかった(酒造用 水 は大量に使う為、その土地の水源を使うしかない)。しかし米は運べた為、北陸や東北などで酒どころが生まれた。今は電気などで温度管理が出来るが、矢張り水は運べない。そこで今迄眠っていた静岡県等の水の良い地域が大きく躍り出て来た

 ※2 当会では酵母の種類とその機能を列挙する事は致しません。何故なら、教科書的な20種程の「きょうかい酵母」の情報ならその気があれば容易に入手出来る情報ですし、閑散とした酒屋にずかずか入り込んで「KArg1901酵母の酒、ある?」と返答に窮する照会を吹っ掛けて店員の目を丸くさせるへそ曲がりの客も十年に一人居れば良い方でしょうし、抑々そもそも使用酵母が公表されていない酒の方がちまたには多いですし、約三十種類にも及ぶ花酵母(※3)なんてものも存在しますし、更に突き詰めて言うと、本来は各蔵各様の蔵付き酵母があり、また現在進行形で新株の開発も試みられている訳ですから、全酵母の種類と特長を余さず一々挙げて行く事は、酵母を肉眼で見る事が難しいのと同じくらい難しい事です。尚、こういった酵母が培養され入手出来るように為ったのは、ヨーロッパから微生物学の知識が入って来た明治四十年代からの事で、それ以前は当然自然に存在する酵母が頼りであった。余談だが──各酵母は皆親類関係にあるのだが──曾て味噌酵母で清酒が醸せるか実験され、出来上がったのは或る程度のアルコールを有する味噌汁の 匂い のする酒だったという…

 ※3 中田久保ひさやす氏が自然界の花から酵母を分離する方法を確立した事から始まり、桜、コスモス、ナデシコ、苺、菊、椿、日月草、さざんか、カトレア、リンドウ、ソメイヨシノ、桃、牡丹、サクランボ、ツルバラ、ベゴニア、シャクナゲ、向日葵、アベリア、ツツジ、チューリップ、カーネーション、マリーゴールド、月下美人といった花酵母がある。自然界で清酒酵母が多く集積されるのは、糖度のある果実や花(餌と為る糖を含む為、酵母が生存出来る)ゆえ、果実と花が探求対象となる。しかし果実はワイン酵母が集積され易いので、花が清酒酵母の研究対象として集中した(本格焼酎にも活用されている。なお花以外には、空気中に漂う種々の微生物からの清酒酵母の分離にも成功している)。花酵母は直にその花の香りを生成するものではないが、既存酵母にない香味を生む可能性を秘めている(一般的傾向としては、品の好い香りと優しい味わい)。因みに、海洋深層水からの分離酵母という変わり種を使用した清酒も造られたようで、花酵母には見られない独特な香味の酒が出来たのだとか。またワイン酵母で醸された清酒も見掛ける機会が増えて来たが、その特徴は、低めのアルコール度かつ酸の多さを活かした甘酸っぱい酒質である(醸造的視点から見ると、或る実験結果に拠れば、発酵力とアルコール耐性が弱い為、スパークリングワイン用の数株を除いて殆どの株が清酒酵母よりも日本酒度の切れが悪く、アルコール収得量が低く、酸度とアミノ酸度、そして酵母死滅率が高く為るという事である)

 さて本稿は香りの分析です。先ずは次の表をご覧下さい。

J.S.A.SAKE DIPLOMA テイスティング用語選択用紙より抜粋

 何の予備知識も無く上の表を見ながら、目の前にスッと出された謎の清らかな酒から 匂い を十個以上当て嵌められると言う方は、恐らく稀に見る鋭敏な嗅覚の持ち主ではないでしょうか。

Part of WSET Level3 Systematic Approach to Tasting Sake

 一方、こちらは事前に分類してある為、より目の前の謎めく清酒の特徴を摑み易いかと思います。いずれにしましても、既に私達はワインのテイスティングにおいて 嗅覚 を人並み以上に鍛錬して御座いますので、上記の表と照らし合わせつつ幾分の追加訓練を経れば、清酒のテイスティングもそう難しくなく修得出来る事でしょう。──えっ、「こちとら資格狙うもんじゃねえて、そうあっさり片付けんな、べらんめえ」ですって? むむ、確かにこれで終わりにしては、唯の画像を貼り付けただけの不精な記事に過ぎませんね。よろしい。では此処で、蒸し米を嚙んで口嚙み酒(※4)を造るように、清酒の アロマ の捉え方を容易に飲み込めるよう嚙み砕いて差し上げましょう。

 ※4 米を嚙む事で唾液中の炭水化物を分解する酵素アミラーゼがデンプンを糖に変えて、酵母によるアルコール発酵が可能と為る(参考 並行複式発酵)。この製法の中心地は南米で、アンデスではトウモロコシを、アマゾンではマニオックを原料としている。日本では北海道を北限とし、南の沖縄では明治期頃まで行われ、台湾では戦前まで残っていた。明治時代、沖縄石垣島『八重山生活誌』の筆者宮城文氏によると、その造り方は、女達が三人一組になり、先ず硬めに炊いた粳米うるちまいと生の粳米粉カシギを其々嚙んで水槽の水に吐き戻し、一通り嚙んだら水槽の底に沈んでいる米粒をすくって再び嚙む。嚙んだ原料は石臼でき、粗いふるいし、甕に詰めて蓋をしてから発酵させる。日に三日棒で搔き混ぜると三、四日で飲めるようになる。又、住江金之すみのえきんし農学博士著『日本の酒』には、「十五、六歳から十七、八歳の未婚の少女たちが、四、五人ぐらいで平たい容器のまわりに集まって、少し柔かい飯を三本の指でつまんで口中に入れる。嚙んで甘くなったところで吐き出し、一昼夜ぐらい経ってから飲用する・・・私が飲んだ時は甘酒程度でまだアルコール分は殆どなかった」とある。因みに、三世紀頃の日本について記した『魏志倭人伝ぎしわじんでん』に、倭人(古代日本人)は「人生酒を嗜む」とあり、当時酒がかなり普及していた事が読み取れ、「口嚙み酒」の記述が日本で初見の八世紀奈良時代の『大隅国おおすみのくに風土記』から察するにこの酒は倭国にもあったと思われるが、これは人間が酵素製造機に為るが故に、加えて若い女性に限られている事もあり、一度の大量生産は難しい。更にこれは、長時間続けると歯は疲れ、口は荒れ、顎は痛み、非常につらい作業(※5)で、日常的に造るのも困難であったというから、普及していたとはいうものの量的に確保されていたとは考え難い。飽く迄も、素早く発酵させて素早く飲む、保存する事を念頭に置かない酒として飲用されていたと思われる。ところで、古代日本は母系家族で家の祀り事の采配は女性が執っていた為(女性特有の生理的心理的性質によって神懸かりの興奮状態に移り易い事が巫女としての適性だった。初期国家は専制的な武力ではなく卑弥呼に見られるような霊力によって統一が保たれていた事は周知の事実である)、家の中心的存在である女性の事を尊称を使い「刀自」と言った(それが時代と共に、小さな壺や甕で作る家内の小規模醸造から大きな器を使う大規模醸造に為ると男の力が必要と為り、酒造の主導権は女から男へと移って行き、それと同時に刀自が「杜氏」へと変わって行った。因みにその対義語は「刀禰とね(働く男)」。なお最古の杜氏は第十代崇神天皇時代の高橋活日命いくひのみこととされ、活日神社の祭神として祀られている)。万葉集の防人さきもりの歌には、女房が口嚙み酒を造って夫を送り出したと詠われており、口嚙み酒は愛情表現の極致とも取れ、非常に重要な仕事として一家をまとめる女性の役割で、「おかみさん」の語源とも言われる。現在の様に糀菌を使う方法が始まったのは四世紀頃とされ、それ以後口で嚙む必要がなくなった。ちと寂しい…(因みに、気に為る衛生上の問題ですが、古代日本では嚙む前に海水で口をすすぎ、琉球諸島では塩で丁寧に歯を磨いていたとの事)

 ※5 実際に遣れば分かる事だが、意識しながらが故にか、三分間嚙み続けるのも中々骨が折れ、更に続けると顳顬こめかみの側頭筋に僅かな痛みを伴う膨脹感(詰まり筋肉痛ですな)を覚え、それでも頑張ってもう一分程続けるとペースト状に為り嚙めなくなる。唾液酵素により米デンプンが糖化し、加えて唾液と混ざり合いながら液状化も進む事によって、嚙む程に甘味の感度が増して行く

清酒のテイスティングにおいて第1,2,3アロマの分類は定義されておりません。上の表は、ワインのテイスティング法を基に当方が独断で創作したものです

 ワインでは原料に由来する第1アロマが優勢で、醸造に由来する第2アロマが弱い傾向にありました。それは葡萄が色素、タンニン、有機酸、テルペン類などを多く含む為、原料自体が酒質を大きく左右するからです。一方清酒では、性格が大人しい米による第1アロマよりも第2アロマの方が優勢、と言うよりも主体と為ります。そしてその一連の匂いをストレートに生み出すのがずんべら坊主の酵母くん達であります(参考 )。彼等の代謝(※6)によってアルコールと二酸化炭素だけでなく、様々な香気成分(※7)が生産されるのです。清酒における香りの七割を占めるほど酵母の役割は大きく、「一麹二酛三造り」と言われるように、酛(酒母)即ち大量培養された酵母の力も酒の出来に大きく影響するという事です(※8)。それだけでは御座いません。糖類(ブドウ糖グルコース果糖フルクトース蔗糖スクロース麦芽糖マルトース等)が大好物で、他にはアミノ酸や核酸塩基といった低分子の物のみを食し、酸素がある時はグリセロールグリセリンアルコールエタノール/エチルアルコール等の炭水化物に乳酸や酢酸といった有機酸も食べるけれども、でんぷん質や蛋白質は自力では食べられないので穀物や食品を腐らせる事も無い、我々人間にとって最も友愛の情を抱くべき、目に見えないけれどもいつでも身近にいる酵母くん達は、実は酸(※9)をも生成するため甘辛濃淡といった味わいにも大いに貢献する、全く私如き小物の表現力では例えようも無い程に偉大な微生物なのであります!

en.wikipedia.org
微生物の世界には善玉菌も悪玉菌も無く、自然から与えられた自分の使命を全うすべく、彼等は必死に生きているのです。善悪の観念などというものは、人間が、自分達が足並み揃えて生きて行く為に発明した互いの人間性を測る物差しの様なもので、その基準は国や時代次第では正反対に変わるくらい頼りないものですから、して微生物にとっては何程のものでもない訳です。善悪の観念とは人間社会においては輝ける黄金律でも、微生物にとっては獣の糞尿よりも無益なものなのです。加えて彼等も生き物、何時いつ迄も全く同じ儘ではなく、「誰某だれそれの子孫だから」とは限らず善かれ悪しかれ・・・・・・・変わって行くのも人間と同じです。これを生物学では「進化」と言うそうです(因みに、優良な培養酵母以外を野生酵母と呼ぶが、その種類は余りに多く、中には発酵を弱めアルコール生成を阻害する、酸を多く作り酒質を荒くする、酢酸など不快臭を与える、また優良酵母を殺すなど、悪影響を及ぼすものが居る。そしてこの二つの区別は顕微鏡では不可能で、徹底した清潔さと優良酵母の酒母への大量投入により野生酵母に打ち勝つようにする)

 ※6 人と同じ様に核とミトコンドリアを持つ単細胞微生物、即ち命の最小単位である酵母は十二億年前に微生物の祖先として現れた(生命が誕生したのは三十五億年前、我々ホモサピエンスが出現したのは約二百万年前。そして人がこれを制御して「酵母の家畜化」を行うようになったのは一万年前より後の事)。彼等の代謝には、①酸素を吸って行う「呼吸系代謝(好気的生育型)」(C6H12O6グルコース+6O2→6CO2+6H2O)と、②無酸素下で行う「発酵系代謝(嫌気的生育型)」(C6H12O6→2C2H6Oアルコール+2CO2)の二つあり、①は②に比べて10倍以上のエネルギー生成量があり、逆に②は①に比べて10倍以上のグルコースを食べなければならない。もしかしたら彼等も心行くまで酸素を吸い込んで、食事量の少ない経済的な暮らしをしたいのかも知れない。しかしそれでは人間にとって不都合であり、私達が欲しいのは炭酸ガスと水ではなく、アルコールなのである。その為には是が非でも彼等には酸素が無く糖濃度の高い環境で生活して貰わねばならない(故に酒造工程では深い桶やタンクが用いられる)。更に彼等にとっては全く不都合千万な事だが、アルコール度数が12%以上に蓄積されて来ると、自分達の作り出したアルコールで自身の生存が脅かされて来る…我々が求めて止まない酒類は全て、酵母の大いなる犠牲の下に存在しているのである(酵母も生き物である以上屹度きっとらくしようとするであろうが、好きなようにさせてはろくな酒は出来ない。尚、発酵学上からいうと、アルコール発酵は酵母の体内で生産されるチマーゼという発酵酵素の為であり、酵母が直接営むものではないという)

 ※7 カプロン酸エチル、酢酸イソアミル、プロピルアルコール、イソブチルアルコール、イソアミルアルコール、乳酸エチル、活性アミルアルコール、酢酸イゾブチル、カプリル酸エチル、吉草酸きっそうさんエチル、アセトアルデヒドなどなど

 ※8 現在使われている培養酵母は、家付き酵母または野生酵母から生酸性、発泡性、発酵温度、芳香生成、発酵力、環境対応性などの性質を調べ、分離育成されたもの。また清酒造りにおいて酵母は2万倍に増殖し、醪1g当り約2億個(単位はCellセル)も含まれるように為るという

 ※9 酢酸、乳酸、リンゴ酸、コハク酸、アミノ酸、ペプチドなどなど

 話がやや脱線したようである。清酒は葡萄酒とは反対で「米三割、人七割」(「米二割、人八割」という声も)と言われ、原料依存度が低い飲み物です。それは最良の豆でなくても技術で良い物が出来るコーヒーに似ていて、品種以上に造り手が大切という事でもあります。言わば糀が内に隠れた骨肉なら、酵母は外から見易い上衣うわぎの様な物で、軽薄な時流に乗っかって香り酵母(※10)を使い、清酒であるにもかかわらず誇るべきその特質を軽んじ「ワインの様な」という売り文句で、表面的に取って付けたような高い果実香だけを求める造りの酒は別として、元々清酒は香りが穏やかな飲み物です。よってワインの様に空気接触スワリングによる変化は然程ありませんが、特に揮発性の高い吟醸酒はスワリングにより華やかさが強調され、その特性が感じ易く為ります。しかし過度に行うと香気の消失や酸化が促されるため注意が必要です。又、スワリング前後で香りが変化するものは多くの要素を持っている事が多いです。序でに、これは飽くまで個人的な経験からですが、特に 吟醸 造りの高級酒には水仙の香りが特徴的に感じられ、より高貴な上品さを演出する傾向にあるようです。

 ※10 ポーンと果実香が上がって来て、やや人工的なわざとらしさがある(他の香りと溶け込んでいない。食前酒には好いが、香りが突出するため味とのバランスを取るにはかなり甘めに設計される事になる為、料理との相性は難しい。昔の杜氏は香りが強過ぎる酒は料理の味に障るとし「品が無い酒」と言った。ワインで例えるなら オーク チップでお化粧した物の様)。1990年代半ばに広まり、吟醸香の成分でリンゴ香を呈するカプロン酸エチルを伝統的酵母より何倍も多く生成する事が出来る。更に糀の出来による吟醸香の高低への影響が少なく、熟練者でなくとも吟醸酒が造れると評判になり、長野県の「アルプス酵母」を皮切りに全国で開発され、協会1801号や明利M 310酵母は最近の代表例である。原理としては、カプロン酸は酵母の脂肪酸合成酵素により生成されるが、鎖長が短いため大量には生成されない。そこでその鎖長のバランスを変える為、脂肪酸合成酵素を阻害する薬剤「セルレニン」に耐性のある酵母(※11)を育成し、仕込みに使用する事でカプロン酸エチルが大幅に増加する。この酵母のお陰で新酒の香味の幅が広がったが、当初は巧く夏を越せずにバランスを崩すものも見られた。現在この問題は低温管理により解消されているが、逆に言うとこれは熟成に耐えられないという事である

 ※11 「セルレニン耐性酵母」は1960年代に月桂冠が突然変異を利用して開発した。「鼻曲がり酵母」とも

 本稿の最後に付け加えて置きたいのは上記カテゴリーを統合して香りを捉えるという事です。複合的な 匂い を単体に分解して捉えるのは機械の為せる業で、その様な機械的分析は機械に任せ、私達は人間なのですから飽くまで人間らしく、生き生きとした感覚で、感じた事を感じた儘に表現して行くべきです。曾て報道を騒がせたバラバラ殺人事件の様に、全体を一つ一つ切り刻んで見ただけでは唯の生気の無い、見ていて胸の悪く為るコメントに過ぎません。ワイン通達が雁首揃えて犬見たようにグラスに鼻を突っ込んでクンクンやる姿を三けん離れて見守っている今日この頃、こういったコメントにややもすると私も陥りがちな為(何故なら常套句化したテイスティング用語の単なる羅列の方が一々語彙を考えないで楽ですので。もしくはそれだけ感情移入の出来ない、或いは心を動かさない優等生ワインが多いという事でもありましょうか)、これは自分自身に言い聞かせるものでもありますが、自分の感覚と感情を信じて、勿論分析する視線も忘れずに、健康的な身心をもたらす健康的な食事と共に、皆々様にはご機嫌麗しく飲酒と人生を謳歌して頂きたく願って止みません。悪文を書き連ねましたが、意中お汲み取り下さい。

コロナウィルスと共に在る令和三年、風薫る爽やかな季節

〈追記〉上記以外の特徴例

・アルコール添加酒:アルコール由来のツーン感、突き抜けるような白・緑を思わせる刃の様な匂い。石灰や粘土の ミネラル 香、白玉団子(精米歩合が高い=精白率が低い)<上新粉(精米歩合が低い=精白率が高い)、特に(大)吟醸酒は香り高い純粋さと清冽さと共に、木の芽や青草、新緑、青竹の香り。一方本醸造はより野暮ったい印象で、バナナや大根様のミネラル香

・純米系:炊いた米(高精米歩合=低精白率)< 搗き立ての餅(低精米歩合=高精白率)、純米吟醸は米寄り、純米大吟醸はフルーツ寄り。高精米歩合には栗の香り

・山廃酛(+熟成:石川県白山地域)、生酛 系無濾過純米酒:キノコ系の香り

・生貯蔵:バナナ、メロン、炊いた米、ライラック等の香り

・普通酒:糖類添加による品の無いあからさまな甘っぽい匂い

・樽酒⇒樽

【教育訓練用参考資料】清酒のにおいとその由来について (平成23年7月) (nrib.go.jp)

本日の箴言

 原料の米が無味無臭で、ブドウの様な多様性がないから、これに特徴を与えるのは麹カビと酵母の性能、杜氏の技能の流儀、風土の特色などに頼る他はない。日本酒の品質の差はごく狭い。しかし吟醸酒、純米酒、普通酒と、僅かな差を拡大して楽しむ事は、無限の喜びが隠されている。

秋山裕一『日本酒』

休日の一本

自然酒、五人娘、純米酒(精米歩合70%)、生酛(寺田本家、千葉県香取郡)

 透明度の高い淡いイエロー。ふくよかで豊かな香りは独特な自然さが感じられる(或いは他の酒が総じて不自然なのか? 聞くところによると、生酛と銘打っていても乳酸菌だけが天然の蔵付きで、酵母は市販の物を添加している蔵が大多数なのだが、それは全量酵母無添加は現在極めて困難を極める遣り方だからで、それを実現しているのは日本で当蔵のみとの事。又、栃木県の仙禽せんきん、そして奈良県の美吉野醸造など数える程の蔵が一部の酒で実施している)。生酛由来の乳製品系(ヨーグルト、バタークリーム)、蒸米、キルシュ、百合やラベンダー、黄桃や花梨に柿、栗やきな粉、粘土、白スパイス、ウド、ナツメグ、ウーロン茶、泥炭ピート、綿飴など、深く香気を吸い込むほどまた別の要素が感じ取れる重層的な香りは渾然一体となっている

 極めて清らかな第一印象から、生酛的ドライさと共に肌理細かい高いレベルの酸がミディアム(+)ボディに乗り、濃くのある苦味と共に余韻までブレる事無く一貫して引き続く。膨らみのある米の 旨味 を活かす為にもシャルドネ(樽)グラス

「無農薬自然米、蔵付き天然菌、無添加、無濾過」から生まれる、流行に左右されず「我が道を行く」という感じの、他と一線を画す個性テロワールは初心者には難しかろう通向きの一品。さわりなく喉元を流れ落ちるプレミアムウォーターの様なテクスチャーは秀逸。13%のアルコール度も優しく飲み疲れない。「自然の恩恵に畏敬と感謝を忘れず」「微生物との共生を目指す」独自の哲学の下、戦後に掛けて力仕事の殆どが近代化、合理化、機械オートメーション化して何処の蔵からも聞かれなくなっていった酛摺り唄を微生物達に聞かせながら、本当に丁寧に造られた事が分かるお酒(→寺田本家、酛摺り唄https://www.youtube.com/watch?v=1PtbTQH2DwI)(6:30)

仕事を請け負う日々の中、「周りの目ばかり気にして唯一無二の自分を殺していないか?」と問い掛けられたようで、思わずハッとした
千葉県:首都圏では酒蔵数最多。軽快辛口タイプが本来の特徴だが、現在では目指す方向がそれぞれ異なる個性派が揃う。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/chiba.html

第三十瓶 清酒の味わい方(外観)

 お堅い文化論が続きましたが、本稿より清酒の試飲法に触れて参ります。既に、テイスティングにおける概念は『ワインを楽しむために』にて、基本と為る人が有する感覚については『ワインの味わい方』と『続・ワインの味わい方』にて述べて御座いますので、宜しければご参考にお役立て下さい。さて今度は清酒という事で、「酒の三絶たる色・香・味を基軸に、どう展開して行こうか知らん」と暫く思いあぐねていたのですが、前稿で引用致しました箴言が示唆を下さりました。即ち「醸造法」「酵母」「酒米」の違いを理解する事で、本当の意味で清酒を飲む事が出来るという訳です。日本ソムリエ協会のSAKE DIPLOMA呼称資格認定二次試験でも「特定名称」「酒母」「酒造好適米」を問われ、以前テイスティングコンテストでは「酵母」を答えさせる問いもありました。とは言え、上記記事内の文面を繰り返しますが、「純米だからお米香」とか「山廃だから乳製品香」では感じ取っているのではなく頭から決め付けている訳で、それは造り手に対しても、清酒に対しても失礼と思うのです。先ずは感じた事を感じた儘に表現する事。そして最終的には、どうしたら最高に美味しく飲んであげられるのかを考える、清酒が放つメッセージを唎き取る、という事が飲み手としての正しい姿勢と考えます。「この酒は一体何を訴えているのだろう?」というニュートラルな心持ちでテイスティングをして頂きたいと思う次第です。加えて、数年前の私の様に「日本酒なんてどれも同じでしょ?」とお思いのワイン愛好家の方々に言上ごんじょう致します。ワインは唯単にワインではなく、多くの銘柄や種類がある事を既に私達は知っています。それと同じく清酒にも多くの銘柄や種類があるという事を此処で強調して置かなければなりません。葡萄品種が多彩であるように、米品種も多彩である事を言って置かねばなりません。私達は、各ワイナリーには独自の哲学があるように、各酒蔵には独自の哲学がある事を伝えねばなりません。そして一級ワインが葡萄の粋を表現した芸術品であるように、特撰酒は米の粋を表現した芸術品である事を講じねばならないのです。(※1)

 ※1 実際シャンパーニュに追随して 瓶内二次発酵 を経た酒を、キャプシュル にラベル、ミュズレにキノコ型コルクといったシャンパーニュ仕様の瓶に詰めたり、熟成ワインに負けじと熟成酒を造ったり、清酒酵母でなくワイン酵母(⇒)で醸したり、更には MLF を取り入れた酒も在ったりと、ワインから着想を得た酒も少なくありません。有名な所では、世界で唯一日本酒とワインを共にドメーヌ(※2)として手掛ける愛知県名古屋市の酒蔵萬乗ばんじょう醸造があり、「違う分野の知識、経験とのミックスが新しい考え方を生み出す」という理念の下、九平治KUHEIJIブランドを運営されております(フランスの米どころカマルグで清酒造りに邁進中)。序でに、ドン・ペリニョン五代目醸造最高責任者リシャール・ジョフロワ氏はその アサンブラージュ 技術を駆使してプレステージ酒を発表しています(→https://iwa-sake.jp/

 ※2 殆どの蔵元では原料の米作りは農家任せの、農協から仕入れるネゴシアン。戦前迄は地方の造り酒屋では原料米は酒造場に近い田地の小作からの上納米の一部で作るのが普通だった。中には鑑評会の入賞を目指して岡山の雄町などの酒米を求める所も無くはなかったが、通常は自家所有田地の米で作っていた。しかし戦後になって地主酒屋が農地解放を余儀無くされ、所有していた田地を手放さねばならなくなった。そうして酒米ももはや小作米に頼れず、酒屋を続ける為には他の生産地から購入せねばならなくなり、こうして「自耕自醸」という概念が失われた(一方、地元米を無選択に使用するレベルからすれば、酒造好適米を仕入れる事により酒の質が向上したという面もあった)。それが今尚引き続き、「酒蔵の仕事は酒造り、米作りは農家の仕事」というのが常識と為った清酒の世界において自家栽培する蔵元は大変少ない。そして栽培から醸造、瓶詰めまで一貫して行うドメーヌ(「所有地」の意)の草分けが大阪府の秋鹿酒蔵。この背景には1995年の食糧管理法の廃止があり、それまで稲作農家は農協に供出する販売ルートしか持たなかった。しかし米の相対取引が合法化された現在でも尚「酒米はその産地から買うもの」という概念が主流であるが、トレーサビリティも重要視されて来ている近年では、良い米を毎年確実に一定量得る為に、何処の米か分からない農協に頼らず契約農家による栽培を選ぶ酒蔵も増え、今後は原料米も自分達の土地で作り、蔵自体で管理が出来るように為る事から、更に品質の向上が望めるドメーヌ化も徐々に増えて行くのではないだろうか(そしてその向上心から必然的に無農薬や減農薬、有機農業への視点が生まれて行く)。2016年に他界されたシャトー・マルゴー支配人ポール・ポンタリエ氏は生前この様に語った。「契約栽培の限界を認識する必要がある。栽培するのは、契約農家の人間が良いのか、良い葡萄がどのようなものか知っている人間が良いのか。答えは明白だろう。自社畑で納得の行く葡萄を適熟期に収穫するべきである。それ無しに更なる品質向上を目指すのは不可能ではないだろうか」

 というように力強く申し上げたものの、濁り酒(白色/桃色)や発泡清酒、熟成古酒といった今だ特殊な酒に分類されている物を除けば、確かに外観はどれも無色透明に近く同じ様に見える事は否めません。これは「水の如き清涼感(※3)」が上質な酒の条件の一つとされている事に由来します。元々搾ったばかりの酒は緑や黄色を帯びているのですが、その色は米の 旨味 を生むアミノ酸から来るもので、それが多いと雑味と為るため 濾過 をして、その為に香味と共に色も取り除かれるという訳なのです。また清酒は褐色化メイラード反応が進み易い為、視覚を通じて消費者に与える色感がそのまま商品価値に繋がるという点があり(外観が有する酒質評価への影響は約20~30%という)、詰まり黄色に着色した酒は売れ残って熱劣化あるいは紫外線劣化により変質してしまった物と消費者に思われてしまう事から、この「透明化」が広まりました。そしてこの色合いや濁りを肉眼でより厳密に確認する為に、唎き酒用の器「唎猪口ききちょこ」が使用されるのです。

 ※3 「水 の如くさわりなく」が良い酒の条件で、上物のワイン、ブランデー、ウイスキーも障りがない。詰まり様々な成分のバランスが取れ、舌にも鼻にも素直であるという事。また飲料は飲み込む時に力が働くが、上級酒は流れるように喉の奥に吸い込まれて行く感覚を覚える。渋くも辛くもなく、味が割れていない、調和の取れた酒を「すべりのある」酒と言うが、上手に醸した酒には「さわりがない」。坂口謹一郎博士の「水のごとくさわりなく飲めるもの」という表現についてご本人は、「太陽の光は七色ある。それが渾然として無色となっているではないか、これが極意だ」と述べ、「さわりなく 水の如き喉ごし 太陽の光が 七色の光を集めて なお無色であるが如し」と歌われた

青と白の蛇の目模様の効果は、黄の反対色である青によって白の部分に黄色がより鮮明に見え、色調の濃淡が確認し易い事。一方青の部分からは白濁の状態が見易く、清澄度が確認出来る。また液面と空間が狭いため香り立ちは穏やかに為り、普通酒や本醸造酒、純米酒などの燗酒に向く

 しかし近年では全国新酒鑑評会(※4)の審査カードにも「色(色沢)」の項目が無いそうで、無色透明に近いほど高評価を得られるという事も無くなったようであります(※5)。J.S.A.SAKE DIPLOMAの試験では、清澄度と濃淡に加え、宝石等に喩えるワインの様に「クリスタル/ゴールド/シルバー/グリーン/イエロー/トパーズ/オレンジ/ブラウン」の中から選んで解答する事になっています。因みに、伝統的な表現に「冴え」という、美しく澄み切った光沢を指す言葉が有り、特にほのかに緑がかったものを「青冴え」と言ったりするそうです(新酒は青冴えだが、古酒に為ると赤みが増して来る)。又「照り」という、山吹色のつやを表す言葉もあります(人の素肌と同じ様に、同じ色でも艶の有無で大きく変わります)。一方これらとは逆に「ぼけ」という、混濁が見られるネガティヴな表現もあるそうです(※6)。既に「超高齢社会」に突入したこの国では、高齢者数の増加に比例して認知症患者も増加しています。是非とも脳内混濁のボケ防止も兼ねて、感覚を澄まして言語化しながら旨酒に恍惚・・と為って頂きたいものであります。

 ※4 政府が後援して全国規模で催される唎き酒会の存在は日本のみで、明治44(1911)年の第一回から百年以上の歴史を持つ。フランスやイタリアでさえこの様な鑑評会は無い。これは専門家の評価からの技術向上が主目的である為、金賞を取る酒の輪郭が決まっていて、それにきちんと沿った物が賞賛を受ける。個性の闘いではないからこそ、蔵人の技術力の高さを測る事が出来る。フィギュアスケートに喩えると、規定種目において細部まで完璧に制御し、且つそれを審判達の前で如何に巧みに見せられるかという能力の様である(一般客は目にも留まらぬ速さや驚くべき技が披露されるフリーの演技の方を好む)。但し新酒ゆえ春に行われる事から、春に飲み頃に為る酒、即ち熟成を必要とせず、口に含んだ時に分かり易い華やかな香りの酒が有利と為る嫌いがある(春先の上っ面の味の良さに主眼を置くためしっかりとした造りをせず、香り酵母を使い手抜きの醸造が出来る)。因みに、出品酒を別名「喧嘩酒」と言ったりするのだが、無名の蔵でも金賞を取れば一躍注目を浴びるし、大手の蔵で賞から漏れれば面目を失う。故に各蔵では精魂込めて大吟醸酒を仕込む為、この季節杜氏は「胃が痛い」のだとか。なお学校教育と同じでワインは加点法、清酒は減点法で評価される為、「何処が悪い」「此処が足りない」と点を引かれ、清酒の世界では満点の酒は中々無い(実際、独立行政法人酒類総合研究所が作成した清酒のフレーヴァーホイール〈→https://direct.hpc-j.co.jp/page/seishu〉は好ましくない表現が多い。一方、ワインはプラス評価の表現が多い。粗を探して人や物を評価する遣り方は、欠陥の無い同一製品が求められた高度経済成長期には良かったかも知れないが、今の国際化時代において評価されるのは創造性や独自性、即ち テロワール の概念である。100点から始まる減点法から0点から始まる加点法に移行して行かなければ、清酒の世界、延いては日本という国に新時代は遣って来ないであろう(※7)。実際、秋田県新政酒造八代目蔵元佐藤祐輔氏の破天荒が業界の注目を浴びている事を想起されたい。因みにご本人は次の様に仰る。「やはり我々が先人の力で純米吟醸で食えているので、何か後生の為にもですね、新しい種を残すべきだろうと思って色々やっているんですが、それを傍から見ると、とっ散らかったもののように見えるんです」)

(参考)全国清酒品評会(1907~1938)では優劣を決めるのが主目的で、その初期は、酒は燗で飲むものだからとして、最終審査に残った物のみは燗を付けて比べられた。しかしこの良法も第五回以降は行われなくなってしまったという

 ※5 「透明感のある」可能性 ①精米度の高さ(米は芯の方が色が薄い、50%では色有り〈品の良い黄金色〉) ②活性炭 濾過

対し 「黄緑がかった」可能性 ①精米度の低さ ②濾過を余りしていない(「澱がらみ」なる無濾過の特長は微炭酸、パイナップル香、複雑で量感のある味) ③数年経過、熟成(土、茸、スパイス香)

 ※6 精白と糀の力のバランスの欠如から生じる蛋白分解力不足を「蛋白混濁」又は「白ボケ」といい、詰まり酵素蛋白の熱変性により発生し、昭和三十年代に問題に為った。「囲桶で早々に濁る。綺麗な酒でも瓶詰めして温度が冷めると白くボケる」とは、昭和初期から酒造に従事された丹波杜氏の小島喜逸氏のいい

 ※7 減点法に毒された日本人は人を褒める事が苦手で、常に人の粗探しをする傾向にある。そしてその煩わしい他人の視線によって日本人は個性を発揮出来ず、縮こまった生活を強要されるのである。生徒を減点する事が仕事の筆者にはもう無理だが、先ずはその人の好い所を見るようにすれば、少しはこの世界も好く見えるのではなかろうか

 (参考)精米歩合の高さと酒の美味しさは別。米を削って行くと米本来の性質が少なく為って行くため綺麗な淡麗辛口だけで、どの地域、どの蔵元で造っても味が似て無個性に為る。吟醸酒信仰の起源は全国新酒鑑評会にある。俗に唎き酒は「舌先一寸でみる」と言い、酒を飲み込む事は無く直ぐに吐き出す為、舌の奥で感じる苦味や嚥下えんげした時の感触を捉え切れず、また一日に数百点も唎く為、どうしても味の奥深さや含み香の涼しさよりも上立香の華やかな酒の方に点を与えてしまいがちになる(※8)。これに加え、元々米を良く磨いた酒は極一部の関係者しか飲めない物だったが、その存在が一部の愛好家に知られグルメブームで火が付いた。こういった背景から各蔵元は鑑評会で結果だけを求めるように為り、金賞を取る事に躍起と為った。即ち酒の個性が画一化され、非常に似通った物が多く為った(※9)。こうした 吟醸 香や活性炭素による脱色における極端を奨励した恨みは確かにあるが、それでも鑑評会が齎した酒造における技術と素質の向上の功績は大きい。加えて、江戸時代以来の本場である灘・伏見の名声に圧せられて世に知られなかった地方の酒が続々と掘り出された事も見逃せない

 ※8 この膨大な量の試飲に対し、「これでは酒の良し悪しよりもテイスターの感覚の良し悪しを測るようなものだ」という手厳しい批評も御座います。確かに未熟者の私なんぞはほんの十種類程度でも舌がピリピリ痺れ、二十種に至ればバカに為るのみならず、神経も疲弊して正しい評価が下せません

 ※9 俗に言う「YK35」の台頭(Y:山田錦、K:熊本酵母、35:精米歩合35%)。とは言え、矢張り金賞蔵は普通酒も良い。弁慶の蔵元の山本長利氏曰く、「一般酒をわるくつくって、吟醸酒だけをよくするなんて、そんなことはできませんわ。杜氏さんの腕として。そりゃ技術ですからね。そんな器用なことはできません。」但しこれは、普通酒を桶買い(→生一本)したり、コンピューター制御で造ったりする大手には当て嵌まらない所もある

本日の箴言

 競争の世の中、コンクールがあるからには負けていられない。自分の力の最も端的な発現の場であるし、ここで磨いた技能が他の酒の品質向上になるからである。

秋山裕一『日本酒』

記念日の一本

窮極の酔心 大吟醸(精米歩合30%、兵庫県産山田錦100%)(日本酒度+3、酸度1.2、アミノ酸度1.0、Alc17%)

 仄かに黄金を帯びた淡いイエロー。青林檎や青竹、またコリアンダーシードや上新粉といった、心まで澄み渡るような鮮烈で爽やかな高い香り立ちと共に、メロン、桃、マンゴスチン、そして金木犀の香りが厚みを添える

 中甘口で酸味は低めの、17%のアルコールに支えられたミディアムボディ。余韻は長め。吟醸 の香味を活かす為にも、冷やし過ぎず15℃前後、瓜実型 グラス で

 超軟 水 仕込みからか、雲の様に限り無く柔らかいテクスチャー、或いは無疵むきずな球体の水晶の溶液を飲んでいるかのような感覚に恍惚と為る

日本画壇の最高峰、横山大観が「酔心」を愛飲していた事は昔から酒好きの美術家連の話題に為っていた。そして画伯はこの酒が非常に濃厚な為、酔心の主人から「一升に二合迄は水でもお湯を混ぜても味が変わらない」と聞いて薄めて飲んでいた。広島から上京した主人が、戦火で焼ける前の上野不忍の広壮な大観邸を訪問した時、酔心を「少々甘口だが良い酒だ」と言われたのに対して、「それは光栄です。これからはお買いにならないで下さい」と答えて、蔵元から四斗樽や壜詰め直送するように為った。それ以来、酔心本舗へ絵を毎年一作ずつ寄贈したのが溜まりに溜まって酔心芸術館が出来上がった(⇒https://www.kuramotokai.com/kikou/56/treasure
広島県:酒類総合研究所が在る現代清酒のメッカ、柔らかい女酒の芳醇な甘口系。合わせるべき郷土食はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/hiroshima.html

第二十九瓶 清酒の国際化

 本当のところを申しますと、清酒をワイン的視点から捉えようとする試みは別に私独自の発想でも何でもなく、日本ソムリエ協会の手法を拝借したものであります。やや長く為りますが、次にJ.S.A. SAKE DIPLOMA教本からの文面を引用致します。

 日本酒について、従来の解説やコメントをみると、科学的に芳香成分を分析したものから、概念的・抽象的な言葉で短く表現したものなどさまざまで、その表現手法や用語の使用について統一されたものを見つけることはできない。これでは別々の媒体でコメントされている複数の日本酒を比較して香りや味わいなど特徴の違いをイメージすることが非常に困難だといわざるを得ない。一方、当協会が永年手がけてきたワインのテイスティング分野には、ご存知の通り国際的に確立されたテイスティング用語が存在し、それらが各言語に翻訳され世界中の異なる言語の人たちとの感覚の共有が可能になっている。日本酒の輸出が増え、国際的な飲料として認知されている現在、そのテイスティングについても国際的な共通言語で発信する必要性がある。

 これでこの島国の酒をワインの様に「国際的な共通言語」で表現しなければならない理由がお分かり頂けたでしょうか? ・・・どうやらまだ言葉が足りないようですので、もう少しお話を付け加えましょう。今より遡って半世紀ほど前の1977年、アメリカで上院特別委員会による報告書『米国の食事改善目標』、通称『マクガバンレポート』なる食生活の指針が公表されました。詰まり「アメリカ人は喰い過ぎで脂の質も良くない。蛋白質や食塩は摂り過ぎ、砂糖は殊に摂り過ぎである。穀類、野菜、果実の摂取を増やし食習慣を変えない限り肥満人口が増え、多くの国民が癌に為る。結果、国民医療費が嵩み国家は破産する」というような内容で、アメリカ人にとって望ましい食習慣、食事改善目標が、昔の日本の食生活そのものであったのだそうです。即ちそれは、世界保健機関(WHO)による2020年版平均寿命ランキング1位の長寿民族たる、世界で最もアンチ・エイジングに成功している日本人を支えて来た発酵食品(※1)を基礎とする伝統的な和食であります。それが理由で日本食が広くアメリカ中に知られる所と為り、それと共にアメリカのセレブの間で健康的な食事に合い且つ健康的な日本酒が流行し、現在はすっかりと定着しました。実際2018年においても日本酒の輸入量はアメリカが最多、そして香港、中国と続きます。そういった、ニューヨークやロンドンを始め世界の主要都市を中心とした和食ブームや日本酒コンテストの新設、そして雑誌などのメディアも手伝い、日本酒への関心と需要が世界的に高まって行く中、2013年12月に和食がユネスコ無形文化遺産に登録され(※2)、清酒の海外輸出量は更なる上昇傾向にあります。こうして現在日本酒は確実に世界の酒の一員と為りつつあり、話では日本人スタッフがいないレストランでもSAKEリストが無いと時代遅れのような意識を持ち、ペアリングの理解も広まって来ていると聞いています。また上海ではSAKEはファッショナブルな飲料として認識されているそうです。そんな中で本家本元の日本人が、日本酒を楽しみに来日する方々を迎えるに当たり、広く深く且つ分かり易く説明出来ないなどという事があれば、それは正に「恥」以外の何物でもないでしょう。これでこの島国の酒を「国際的な共通言語」で表現しなければならない理由がお分かり頂けたでしょうか?

 ※1 例えば醤油、味噌、納豆、酢、漬け物、塩辛、なれ鮨、鰹節といった物で、糀菌や酵母菌、乳酸菌、納豆菌などが生成する様々な酵素を摂り入れる事で、消化酵素や代謝酵素が体の免疫力を高めてくれるのである。そして上記の食べ物に合わせたい酒は矢張りワインより日本酒でしょう。特に非日本人が非常に苦手とする「鼻水を啜っているかのような」納豆、これを食べながら飲むと悪酔いしないという伝承が日本各地に残っている事をお伝えして置きたい。その理由は、大豆の持つ高蛋白質がアルコールを吸収する上に、これまた多く含むビタミンB2と共に肝臓のアルコール分解能力も高めるからだという。納豆のネバネバと清酒のヌルンとした感じのペアリング、是非お試しあれ(絶対好き嫌いが分かれます…)。因みに、酒蔵見学に当たっては断じて納豆を食べてはなりません。強力な納豆菌が糀菌を打ち負かし、「ヌルリ糀」とか「スベリ糀」とか呼ばれるものに為ってしまいます。

 ※2 その背景にあった事柄や関係者のご尽力、また現在の活動や今後の展望など貴重なお話はコチラで⇒https://youtu.be/sFPKT2Zp2xw(49:04)(41:05以降の箸文化の話題を返盃へんぱいから更に推し進めて接吻論にまで繫げる所にはシビレました)。因みに、日本政府がユネスコに提出した申請書には「①多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重 ②健康的な食生活を支える栄養バランス ③自然の美しさや季節の移ろいの表現 ④正月などの年中行事との密接な関わり」の四つの特徴が記載されていた。そして実際の申請書に書かれた名称は「和食:日本人の伝統的な食文化~正月を例として~」(“WASHOKU; Traditional Dietary Cultures of the Japanese notably for the celebration of New Year”)となっており、即ちユネスコ無形文化遺産に登録されたのは和食の中でも特に正月料理なのである

 日本政府観光局(JNTO)によると、訪日外客数は、コロナ禍前の2018年は3119万人、翌2019年は過去最高の3188万人と二年連続三千万人を超えました。これは取りも直さず異邦人が日本文化と、或いは日本人が異国文化と接触する最低回数を表します。無論その全てが和食、いては日本酒に繋がるものではありませんが、それでも飲食おんじきとは日々欠かせぬ行為ゆえ、異邦人の舌がこの両者に触れる頻度は少なくないと予想されます。実際2019年では全体の約七割が和食を求めて来日したというデータもある程です(※3)。要するに私が言いたいのは、和食は言う迄も無く、もはや清酒は日本人だけの物ではないという事です(※4)。既にワインの明確さとは異なる日本酒の純度が、世界の人々の味覚を魅了しているのです。ナポレオン戦争中シャンパーニュ地方へ侵攻したロシア軍という略奪者が帰国してもなお其処の酒の味を忘れられずに注文したのとは違い、或いは太平洋戦争後に多くのアメリカ兵が日本に駐留し醬油の味を覚えて需要を拡大した時とは違い、清酒は極めて平和的に異国の人々に日本文化の粋を味到せしめているのです。(※5)

 ※3 JNTOの調査によると、アメリカやフランスの人々の主要な訪日目的は、国内でしか手に入らない飲食料品や着物・浴衣、伝統工芸品といった日本文化商品への需要で、アルコールに関しては日本酒は勿論、サッポロビールやニッカウヰスキー等の世界的有名ブランドの商品をお求めになる事が多いという。一方アジア圏の人々は日用品の買い物も来日目的の一部で、アルコールについては中国は地酒を含む日本酒と梅酒、タイとインドネシアは梅酒の購入率が高いとの事

 ※4 アメリカ、台湾、韓国、中国、タイ、ベトナム、ブラジル、ノルウェー、オーストラリア、そしてスペインでも酒造所が誕生しており(上記を含め、私が知る限りでは三十九の国々にて SAKE が醸されている)、特にカリフォルニア州(※6)には日本の大手酒造会社も進出し、清酒生産中心地と為っている(※7)(他にはミネソタ州ミネアポリスやテキサス州、カナダのトロントにも酒蔵が在るという)。なお企業としてアメリカ国内で初めて酒造に着手したのは1908年ハワイの「ホノルル日本酒醸造会社」(1986年に米国宝酒造が買収)で、数々の日本に先立った技術的実績を挙げると、①1908年、世界初の冷房付き石蔵で酒造(日本では1927年の月桂冠が初)②設立初期から醸造に乳酸を使用(これは所謂「速醸酛」で、日本で江田鎌治郎氏が確立したのとほぼ同時期)③1939年、発泡性清酒発売(日本での商品化は戦後と思われる)④1947年、ステンレスタンク導入(当時の日本は琺瑯ホーロータンク)⑤戦後、カリフォルニア米で醸造(同米に適した醸造技術を開発→日本米と外米)⑥1959年、二瓶孝夫氏がきょうかい6号酵母の泡なし株を分離、実用化(日本での実用化は1966年、秋山裕一博士による)。以降701号始め、順次泡なし酵母を分離。余談だが、異文化の食に対して開放的な国の代表はアメリカと日本で、閉鎖的な国の代表はフランスと中国であるという。後者の食文化は重厚で簡単に他を受け付けない傾向にあるのだとか。とは言え、日本人がワインを受け入れるのに、国内への本格的な輸入が始まってから百年を要したが。「何、葡萄酒だって? 我々には清酒が有るのだからそんな物は必要なかろう」という姿勢である。この対立がゆえ最初に日本が受け入れたワインは、清酒とは異なる、薬効を全面に出した甘味果実酒という、一般的な欧米ワインと異なる物であった

 ※5 戦争による食の伝播は、たとえ悲惨な姿を伴っているとは言え、まだ人間かんの接触があったからこそ起こり得た現象で、現代のボタン一つでミサイルが飛び交う戦争では食文化の交流など在り得ない

 ※6 カリフォルニアでは箸を持てない人が居ないと言われるほど日本食が一般に浸透している。1980年代に流行したCalifornia cuisine以降、健康志向の彼等の食生活はライトに為って来た。このカリフォルニア・キュイジーヌとは、温暖で冬が短い気候の恵みを受けた、地元産の野菜・果物・魚介類を多人種の料理法で活かした融合食で、もはやライフスタイルの一つとして全国的なトレンドに為っている。その原動力は、東部の古い体制派のみならず、古いヨーロッパに今だ支配されている料理文化に対し、自分達独自の文化を創造しようとする意識であるという(この意識の強さは、英国との文化的相違を求めて米国人が英語の綴りを変えた事からも窺い知れる)。日本人よ、守るべき固有文化が有るという有り難さを知れ

 ※7 アメリカには兵庫灘より大関、白鶴、菊正宗、辰馬本家(白鹿)、日本盛、小西酒造(白雪)、姫路からヤエガキ酒造が、また京都伏見からは月桂冠、黄桜、宝酒造(松竹梅)といった大手メーカーの工場と共に、30社程の地元企業が在り、アメリカ国内生産量は日本からの輸入量よりも多いのだが(輸入酒のシェアは米国市場全体の15%程度)、それは日本の酒造メーカーが現地製造酒とは価格面で対抗出来ず、高級市場に焦点を当てるしかないからである。海外で消費される大半(八割程度というデータも)の清酒は日本産ではないという実態には一考を煩わす価値があろう(無論それらは「日本酒」と呼称する事は許されない)。因みにアメリカではアルコール添加の有無によって課税率が異なる為、市場ではアル添無しの純米酒が好まれている(純米酒は酒税法上ビールに分類され750mL当たり0.02ドルの税率だが、醸造用アルコールを添加した場合は蒸留酒に区分され2.14ドルに為るという)

本日の箴言

 日本酒を・・・文化的に楽しむためには、醸造法の違い、酵母の違いや酒米の違いによる香りや味わいの違いを、言葉で共有することが必要です。

田崎真也『No.1ソムリエが語る、新しい日本酒の味わい方』

〈同氏のお勧め動画⇒お役立ちワイン映像集

休日の一本

志田泉しだいずみ、純米酒(精米歩合60%、兵庫県産米100%)、Alc15~16%、日本酒度+4.0、酸度1.25、静岡酵母NEWー5

 やや濃いめのイエロー。香り立ちは低いが、静岡酵母(果実感と綺麗さ、非常に華やかな 吟醸 香が特徴)と精米歩合が純米吟醸酒レベルの為か、純米酒にしては澄みやかで綺麗な果実香(バナナ、林檎、苺、葡萄)、またマシュマロや岩清水、そしてほんのりとした水仙の香りが上品さを添える

 優しい第一印象、水々しい夕張メロン様の甘味を中盤から酸が追い掛け、後半から腰のある苦味が深みと切れを齎す。吟醸 香と共に、限り無い透明感が有りながら 押し味 も備える素晴らしい個性を殺さない為にも瓢箪型 グラス で

・20℃:甘味が透明度を増し、吟醸酒的に為りより良い

・40℃:甘味と苦味が重みを増し、渋み と共により強いゴク味を生む。最良の温度帯

「人間の五感の練磨で、微生物が一番良い酒を作る生育条件を整えることが最大のテーマ」とする蔵元。全て箱麹法、醪日数も長めに取るなど心掛けているという
静岡県:新鮮な魚介類が入手し易いため淡麗系、奇麗で丸い酒質(滑らかなテクスチャー、軽快な酸味と上品な甘味)。合わせるべき郷土食はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/shizuoka.html

第二十八瓶 日本酒のいわ

 誠に有り難い事に、私のワインをまだ飲み足りないというお声コメントが聞かれました為、いやはや、皆様の肝臓の具合を心より心配しつつ(※1)、これより新酒をかもしてみる事と致します。どんな香味に為りますかは、神のみぞ知るというところです。しかし酒造には原料が必要です。原料を得るには肥料も必要です。ニーチェは『善悪の彼岸』にて次の様な事を言っています。「作者は結局その作品の予備条件であるに過ぎない。母胎であり、土壌であり、場合によっては、その上に、又その中から作品が成長する糞土や肥料であるに過ぎない」。要するに私はこのブログサイトにとってのウンチという訳です💩 おお神々よ、私という耐え難い悪臭を放つ排泄物から、心までとろかすような御神酒おみきが醸されん事を!

 ※1 日本酒はワインよりも平均アルコール度数が数パーセント高い為、より熱く、より重く感じられ、体への負担も大きく為ると思われますが、当方も 吟醸 造りの様に精根籠めて醸造致します故、コロナウィルス飛沫感染防止の観点からも、吐器に吐き出す真似はされず「飲み込んで」頂けますと、当方の行為も報われるものと存じます。この「ぺっ」とするとても上品とは言えない勿体無き行為は、造り手に対する無礼であるのみならず、酒神に対する冒瀆ぼうとくであると当方は信じております。とは言え、矢張り良い酒は美味しくて吐き出せずに飲み込んでしまうものですがネ

 先ず初めに自分の為にも確認して置かなければなりません事は、このサイト名は「ワイン楽会」であるという事です(※2)。にもかかわらずこの場に日本酒についての記事を載せるからには、少なからずワイン愛好者の関心を引き付け続ける技量が必要となりましょう。そして更には、彼等を日本酒愛好者へと改宗せしめる事が達せられたなら、私の文章には「言霊ことだま」が宿っていたという事が証明されるのでしょう。──今のところ私の言葉は人様の顰蹙ひんしゅく然程は・・・買っていないようですので、勢い付いてやや大胆な目論見もくろみを吐露してしまいました。しかしながらオルペウスの様に八つ裂きにされる程世間から愛されれば、詩人として本懐を遂げたと言えるのではないでしょうか。

 ※2 グーグル翻訳の “WINE ORCHESTRA” も大変私の気に入っています。が、残念ながらこの英訳は管理者が元来意図する「楽しみ」から外れており、今だ翻訳機能が字面じづらを追ったものに過ぎず、完全でない事を証明します。とは言え、この「バベルの呪い」が解ける事は決してありますまい

chongsoonkim.blogspot.comより一部抜粋

 さて、日本酒を語るには日本文化も合わせて語らねばなりません。何故なら、もし日本酒が日本と結び付いていなければ、もし日本の歴史や伝統、いては日本の人々と切り離された物であったなら、それは唯の美味な液体に過ぎず、我々の興味は半減してしまいましょう(※3)。ご存知の通り日本酒とは嗜好品で、そして嗜好品という物は矜持きょうじを持って、その背後に在る文化に投資するものだと思います。ただ酩酊だけを求めるのならホワイトリカーなる甲類焼酎をがぶ飲みすれば良いだけです。何とも誇らしい事に、我が国の江戸期において飲酒の能力は、高貴な人間感情を経験する能力と同じに捉えられていたとも聞きます。酒の鑑賞能力は教養の深さを表し、それは人生における崇高な楽しみの一つであるという事です。そして嗜好品である事はワインも同じです。ワインは非常に文化性が高く地域性を払拭出来ないものとされますが、それは原産地から離れられない生鮮な原料の質が味の質に大きく影響し、同時に大量生産が困難だからです。しかし原料を輸送し、工場による大量生産が可能なビールは文明化に成功しました。それはローカル性、言わば個性を払拭し、画一化したという事です。本来、酒に標準スタンダードは無く、在るのはその土地に根付く地域性、多様性即ち個性のみであります。優劣無き平等の価値を持つ郷土性、それが文化というものです。しかしながら、各文化の持つ独自性とは他文化と比較する事でしか見出せないのもまた事実。だからこそ日本人が唯単に「酒」と呼ぶ、米を醸して造られ、人々に天にも昇る心地をもたらす清らかな液体は、現在態々わざわざ「日本酒」と呼ばれているのです(※4)。では「日本酒」という呼び名が生まれたのは何時いつかと申しますと、それは江戸の終わりから明治の初め頃、日本が開国して貿易が始まり、日本の酒が輸出され国外に知られるように為ってからであります(※5)。詰まり、日本製醸造酒と洋酒を区別する為、欧米人が国内外に伝える時にこの名が起きたという訳です。その後日本は、欧米の列強からの遅れを取り戻そうとする近代国家確立への焦燥から「文明開化」と称し、「お雇い外国人(※6)」として海外から各方面の専門家達を国内に手当たり次第招じ入れ、そしてその中には醸造学者も含まれていて、それまで杜氏の経験則と感覚、加えて勘(※7)と遊び心から造られていた「酒」は科学的に合理化された(糞真面目な?)「日本酒」として見直され、現在まで引き続き折衷せっちゅうされて来たのであります。であってみれば、ワインと比較しながら「清酒」を試飲する事も、決して甲斐無く終わる試みではないでしょう(※8)。抑々そもそも、十七条の憲法「一に曰く、和を以て貴しと為し」争いを避ける日本人には全て一如いちにょにしてしまう考え方が有り、「生も死も一つの如し」「男女も一如」「動植物、神仏、剣禅も全て一如」とするのでありますから、日本人の両親から日本で生まれ日本で育てられた私が「ワインも清酒も一如」と考えても一向不思議ではないのであります。

 ※3 例えば、世界中の人々にとって、日本語表記のラベルは本物らしさを感じさせる物であり、日本らしいラベルで在るべきという意見が多数を占める。これは表面的な見方に過ぎないとしても、私達がフランスワインのラベルが英語表記のみであるのを見る時に不自然さと浅薄な商業主義を感じる如く、その国の物は先ずその国の言葉で表現する姿勢を見せる事が誠実さというものであろう

 ※4 日本人であれば日本の酒を「國酒」、或いは酒税法的に「清酒」又は伝統的に「酒」と呼ぶべきであり、殊更に「日本・・酒」と呼ぶ必要は無い(醸造的には「澄み酒」ですが、それは行き過ぎか知らん)。それはまるで我が国の歴史を「国史」でなく「日本史」と余所人よそびとにでも向けて言うかの如き客観振りである。古い歴史はそれを有する者にとって犯し難い誇りと憧れの対象である。フランス人のワインに対する姿勢を見てもそれは一目瞭然。ロシア人にとってのウォッカ、ドイツ人にとってのビール、スコットランド人にとってのスコッチウイスキーしかりである。伝統とはその国固有のものであり、且つ真に意義あるもの、価値あるものと見做みなされたもののみが生き残ったものであってみれば、それを固守し、万一消滅の危機に瀕すれば死守する態度を取るのは至極当然である。自国の酒を卑しめ他国の酒をのみ尊ぶ、そんな国が世界の何処にあろうか。私達は酒と同じく口に入る食料品においては「国産」という語を使い且つ有り難みを持ち、「外国産」よりも大きな信頼を持って頂いているではないか。「今晩はご飯にしよう」と言い、「日本食にしよう」と言わないではないか。海外では “SAKE” と呼ばれている事を認知せよ。(したがって以後このサイトでは、現在でもラベル表示に使われ、他の酒類と区別出来る「清酒」を基本的に使用し、他国の酒と対比する意味合いにおいてのみ「日本酒」という語を当てる。そしてこの概念の許、諸外国で製造されている SAKE による日本酒の無国籍化を阻止する為にも、2015年12月に地理的表示として「日本酒」が指定されたのである)(※9)

 ※5 「日本酒」という語の初出は、1877(明治十)年、石田為武筆録『英国ドクトル・ドレッセル同行報告書』とされる

 ※6 例えばフランスからは法律家、オランダからは建築家、ドイツからは技師、そしてアメリカからは軍学者が雇われた

 ※7 例えば、糀造りは香りと甘味、生酛 造りの乳酸菌の作用は糊味のりあじと酸味と 渋み、酵母の働きは泡と辛み、大桶の発酵状態は泡と香りと味の変わり具合、といったように吟味して作業を調節し進行して行った

 ※8 此処では既に確立されたワインのアプローチ法を通して、今だ発展途上の清酒を捉えようとする訳ですから、曾て日本酒の楽しみが世界的に一部の人達のもので、アジアやインド製の米の酒と引っくるめて扱われていた頃の “rice wine” という呼び名を当サイトの惹句じゃっくに使用する事に私は少しの躊躇ためらいも持ちません。むしろワインの第1 アロマ の様に果実や花から成る吟醸香(ワインで言えば第2アロマに分類されますが)を考慮してみれば、たとえ醸造酒繫がりで与えられた名だとしても、結果的にこの名称は誠に言い得て妙だったと感心さえする次第であります(因みに穀物酒繫がりからか、或いは副原料として香味を調整する目的で米を使用する事が出来るからか、“rice beer” などとも呼ばれたそうだが、麦芽100%ビールが持て囃されている現状〈別に米を使用したからと言って原価や質が劣る訳では決してなく、寧ろプレミアム品にも米は使用されている〉、発泡清酒ならまだしも、この語を当てるのは大衆にとっては難解であろう。しかし最近では酒米から醸した地ビールも製品化されて来ている為、それらは “rice beer” と呼んで良いでありましょう)

〈追記〉その後様々な文献を当たって見ると、どうやらこの呼称は曾ての日蘭交流を経てオランダ人が吹聴したものと思われます。(「私は酒と醤油についてこの機会に一言説明しよう。前者は米で醸造したビールであるが、蒸留していない」──ドゥーフ『日本回想録』〈1833年〉、「これは度の強い米のビールで、フーゼル油の含まれているような味がし、匂いといい外見といい、むしろ火酒〈Branntwein〉と名づけたいくらいのものである。しかしその製造法を知っているオランダ人は、これは一種のビールであるといっている」──『オイレンブルク日本遠征記』〈プロシア人、1860年来日〉)

 ※9 コスト最優先の思想により、海外で生産された SAKE が大量輸入され、国産清酒と調合されて超低価格酒として市場に出回ってもいる。安定して見える世界の安定して見える価値を破壊する偽物から本物を守らなければならない

en.sake-times.comより一部抜粋

本日の箴言

 「文化」の中核は地域の自然条件に対する人間の対し方にある。「文明」の中核は人間の作り出した一般性のある、思考と技術にある。だから「文化」はよその地域への持ち運びは不可能だが、「文明」は運び出され、運び込まれる。

国語学者 大野晋

平日の一本

ふなぐち菊水一番しぼり、生 原酒、本醸造(精米歩合70%、新潟県産米100%)、Alc19% 

 透明感のある淡いシルバーやイエロー。極少量の気泡。ふくよかな香り立ちはバナナ、黄色いメロン、菫、セルフィーユ、ごぼうや大根、丁子、シナモン、チョコレート、き立ての餅、生クリーム、石灰の ミネラル 香

 やや強いアタック、ふくよかな甘味、優しい酸、穏やかな苦味、円やかで芳醇なバランス、余韻はやや短め

 生の爽やかさと原酒の豊潤さ。バナナ香は控えめで諄くなく、濃醇旨口ながら鮮烈さもあり、大抵の酒売り場で安価に購入出来る為、先ず清酒を気軽に試して貰うには恰好の商品。強炭酸水で十分の一ほど割れば香り立ちも上がり、弱発泡酒として食前酒に良い。瓢箪型 グラス 、冷酒から冷やで気軽に楽しみたい

新潟県:新鮮な魚介類が入手し易いため、雑味が少なく綺麗な味の端麗辛口系(特に五百万石はすっきりとした軽い酒質)。合わせるべき郷土食はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/niigata.html

 ※ 以後当サイトで紹介する清酒のコメントは、温度記載が無い限りワインの世界で言う常温18℃前後(香味の特徴が最も分かり易いとされる)での試飲です(日本酒の常温「冷や」は20~25℃)。又ペアリング料理は記載致しません。それは「五味と五感から知る! ワインと料理のペアリング法」でのCちゃんの「日本酒は味のバランスの完成度が高く、味が球体で凸凹がないから、絶対合わないという組み合わせが少ない分『これこそは!』っていう相性も少ない」という台詞を受けてです。しかし上の画像の様に郷土料理のリンクを貼ります。矢張り郷土同士で合わせる事が本来の「生活に根差した歴史的・伝統的・文化的な頂き方」で、飲食の醍醐味が味わえます。何よりクラシックを再認識するのが当サイトの、いては管理者の存在理由ですので。それはそれとして、緊急事態宣言が発令され不要不急の外出の自粛が要請される中、私が改めて思うのは清酒の持つ素質、即ち懐の深さであります。外食産業が規制され「家飲み」が拡大すると、冷蔵庫の中の在庫が悩みの種と為ります。セラーにワインしかなければ「ポイヤックに合わせる仔羊の肉が無い!」とか「シャブリに合わせるエスカルゴが無い!」とか言って、てんやわんやの大騒ぎを演じる羽目に為りましょうが、その点清酒はどんな料理にも合わせ易い万能型で、冷蔵庫内のどんな余り物にも冷静沈着、臨機応変に対応してくれます。

 ペアリングを考えるのはとても素敵な事です。しかし清酒の場合、それに固執するのは如何なものかと思います。ワインとは違い自己主張の控えめな日本酒には大抵の料理に馴染める力が有るのですから、どうして態々わざわざその度量の広さを狭める必要がありましょう? 極端な話、一汁一菜だけでも良い造りの純米酒さえ付けば私は七日間喜んで耐えて見せます(冷や飯だけだと流石に泣くヨ…)。抑々そもそも味噌か漬物、或いは醤油か味噌仕立ての簡単な煮物を肴にぐっと引っ掛けるのが「江戸っ子の酒」であったのです。「極言するならば、江戸では醤油をなめながら酒を飲んだ、といってよい」と、或る学者さんも仰っております。・・・まだ納得行かない? ええ、ならば古典落語『猫の災難』を一齣ひとくさり聞かせて進ぜよう!

「だけどあいつはどうして肴々ってさわぐんだろうね。俺なんざ塩なめたって五合ぐれぇの酒は呑んじゃうよ」

 ──こうなると唯の酒呑みの主張ですかネ…

第二十七瓶 再会のご挨拶

 或る国民は感覚で分かるが、別の国民には一向分からない、その違いこそが本来文化というものである。とは言え、その国の民として生まれて来ても教わらなければ矢張り分からないし身にも付かない。故に、分かる手段の一つとして「教科書」なる物が存在するのである。又「日本文化は日本国民のみが分かっていれば良い、異国民には到底分からぬ」と言うのは、日本の価値観のみで良しとする戦時中の「軍事主義・国粋主義」一辺倒の頃の日本国が威丈高いたけだかに掲げた文句の如きである。この国際化時代、斯かるめしいた思想は酒滓よりも無味乾燥な代物であろう。とは言え神話に見られる人間の起源や原初的な思想に心魅かれる私は、明治の文明開化に諸手もろてを上げて賛同する者ではない。西洋文明を性急に取り入れる余り自国の価値を見失わせた後遺症は今尚深々と残っている。西洋に追い付く事が文化だと誤って思い込んでいる日本人は今だ数知れない。確かにこれも新しい形の日本の文化ではあろう、がこれは日本独自のそれとは全く異質のものである。しかしながら私は、それにより日本の世の中が開けた事を、それが日本の人々の目を少なからず開いた事を認める事にやぶさかではない。そしてこの歴史的事実は、取りも直さず、異文化圏に育った人々にも異国の文化を理解出来るという事を意味する。非日本人にも日本文化を理解出来るという事を意味する。むしろ道徳律を排除する合理主義によってゆがめられた戦後教育を受けて育てられた現代日本人こそ、自国の文化、即ち日本とは何たるかを知らずに、否、知ろうともせずにいるのが、同胞として誠に情けなき現状である。流石にお国の政治家連も斯かる為体ていたらくを見るに見兼ねてか、或いは過去の埋め合わせの積もりか、教育基本法改正案が二〇〇六年に成立、二〇〇七年から施行される事と相為った。其処には「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際平和と発展に寄与する態度を養うこと」と記されている。所謂「愛国心」条項である。詰まりこれは、伝統と文化そして愛国心は子供達に教育現場で「教授」して行かねば滅び行く定めに在るという事である。何とも情けなき事ではないか。それから十五年、教育現場に片足を踏み入れる筆者が見るに、その効果は依然として感じられない。抑々教師連に愛国心が感じられない。全く情けなき事ではないか。日本人は日本への愛を叫ぶ事を恥じている。そして自ら日本の歴史と伝統をけがして行く。全く憂国の士と為らざるを得ぬ時代である。好い加減この愚かさに気付いても良さそうなものだが、そろそろこの反動が起こっても良さそうなものだが、一向に人々は自己を犠牲にしない、放棄もしない、しかし保身の術には長けて、名誉を守る矜持きょうじ心に欠けた、ただ無心に「快適さ」と「便利さ」を求める退廃した日常生活を送るのみ。西洋の、己が幸福を人生の最大目標に据える、義務と責任を発現せぬ悪しき方の個人主義が日本人の精神を狂わせ腐敗せしめた。「人生において最初の他人は己の母親」などという言葉は、我儘で、他人を否認し、自我のみを求める、未経験で浅薄な若者の耳には心地良く響く事であろう。恥ずかしいのは常の事だが、実は私もその一人であった。しかし日本人にとってこの言葉はわざわい以上の何物でもなかった。無論私は既に立ち直ったが、こういった考えが、他人への不信、己れへの慢心、いては親や先祖への忘恩、そして神々に対する不敬へと導いた。元来日本人は礼儀が人間を作る事を知るからこそ昔から礼を重んじる民族であって、「無礼も個性」などと言われるように為ればもう終いである。「自らの主体性をむなしゅうする」という日本伝来の知恵が無くなり、はた迷惑なとんがった自我を穏和に抑制する事が出来ず、一種の神経病の如く同一性アイデンティティを振り回す人々を見ない日は無い。しかし哀しい哉、この傾向が、自分の事しか考えていないにもかかわらず、それがかえって自分で自分を認められぬ由々しき事態を引き起こし、他人に認めて貰う事でしか自己存在を確認出来ない、所謂いわゆる「承認欲求」なる病んだ心を生み出した。そしてその思いを一瞬でも満たそうとするのであろうか、せわしなく動く大都市圏の人々を混乱に陥れる「鉄道自殺」をする者も後を絶たない。今、「他人の為に死ぬ事が出来る」「日本の為に死ぬ事が出来る」と言える者がこの国に何人居ようか。何も彼もが計算尽くの、目先の利益に執着する物質主義的な遣り方に染まり、戦時の「一億総玉砕」という恐ろしい程に気高い永久不滅の精神は死に、一秒でも長い寿命をのみ求める不毛な卑しい精神が蔓延はびこった・・・ しかしそんな事は既に一部の有識者達が雄弁に説いている事で、今私が殊更にあげつらう必要も無かろう。第一無名の私が声を荒げて何事か言い立てたとて世間の耳には響かない。結局鼻であしらわれるのみ、叫んだ方が一層孤独に追い込まれるのみ。日本純文学最後の巨頭たる三島由紀夫も死後半世紀足らずで「誰も読まぬ」と同義の「古典」扱いされ、その命懸けの末期の訴えでさえ健康食品や最新機器、資産運用の宣伝文句に搔き消される、今はそんな時代なのだ。これでは僅かにも国家や民族を思う者なら、ワインにおいて テロワール や土着品種を味わう者なら、厭世の情も湧こうというものである。大いに思う者であれば虚無主義ニヒリズムに陥るのもむべなるかな畢竟ひっきょう、過熟した果実が凋落するように、爛熟した文明は堕落する定めにあるのだ。しかし私は、文明の内に宿る文化という種は腐敗せぬものと信じる。それでも尚私は、我々の魂は刀の様に徳で光り輝いているのだと信じる。只それを磨かずにいるが故に錆び付いているだけなのだ。この永らくこびり付いた「身から出た錆」を払拭し、再び心の刀を研ぎ澄ましたその時にこそ、一点の曇り無き鏡の如く澄んだやいばの内に純潔な魂がきらめいて、日のもとあまねく世界が照り渡るのを見るであろう。

toyokeizai.net

 私は、WEB社会による「文化の生温なまぬるい平均化」に警笛を鳴らしながら、「一国の文化全体を毒にも薬にも為らない物にしてしまう」国際化の姿への反省を喚起しつつ、我が「國酒」たる日本酒に題材を求めるこの先の記事が日本人のみならず非日本人に日本文化を知る一つの「参考書」の役割を果たせば、我が意は果たせたものとする者である。書物・映像・試飲会・セミナー・ワイナリー見学・資格・講師などを通し、様々なアプローチからワインについての知識を収集し、感覚し、思考し、それでも尚新しい何かを探し続けた結果、私が辿り着いた所は日本酒であった。人間が探した末に到達するものは「根」なのである。今の日本人は自分達の起源について知る事が余りに少ない。無論それは終戦後GHQにより諸悪の根源として民族・愛国主義を否定され、固有文化を制限された事に因るだろう。日本人の魂の拠り所であるべき古事記は義務教育から外され、絢爛けんらんたる文体を誇る古典文学は唯の受験科目として忌み嫌われ、その豊かな感性を読み取ろうとする者は余りに少ない。自らの系譜・神話・伝説・歌謡を失った民族は滅びる定めにある。それは容易に思い至る真実である。四大古典芸能である能・狂言・歌舞伎・文楽について説明出来る国民がほとんど居ない状況に、果ては建国精神を忘れ、2.11「建国記念の日(※1)」に建国を祝う国民が殆ど居ない状況に、在日異邦人は唯々啞然とするばかりであろう。しかし戦前と相変わらずにいるものが在る。四季折々の行事、冠婚葬祭における神人との交際、衣食住に生きる行儀作法、それら風俗の内には常に酒が瑞々しい音を立てて流れている。この酒精の流れは体内の血流に乗り、五臓六腑に沁み渡り、やがては精神に至り、飲み手にその国の固有思想をじっくり味わわせてくれるものである。「古い文明は必ずうるわしい酒を持つ。すぐれた文化のみが、人間の感覚を洗練し、美化し、豊富にすることができるからである。それゆえ、すぐれた酒を持つ国民は進んだ文化の持主である」という坂口謹一郎氏の言葉を我々は肝に銘じて置かねばならない。酒は文化の精髄エッセンスである。ここ五十年弱、日本酒国内消費量は減少の一途を辿っている。清酒という源泉が涸れ果てる時、日本文化に取り返しの付かない喪失が遣って来る。しかし弥生時代の太古より沁み込んでいる田園という日本人の原風景は、日本人の意識からそう容易たやすく消し去られるものではない。青空の下鮮やかに映える深緑しんりょく絨毯じゅうたんの如き稲葉の情景に、大和魂は必ず帰って行くのである。──いつでも帰れる場所があるという安心感。十年前、希臘ギリシアの地に居てふと日の丸の旗がテレヴィジョンに映し出された時の安心感。幾ら西洋思想を並べ立てたところで所詮は西洋気触かぶれ。日本で生まれ育った以上、結局帰る所は日本しかないのだ。そしてその帰る時期は各々おのおの勝手に決めるが好い。重ねて言うが、結局帰る所は日本しかないのだ。無論帰らない選択肢もある。しかし帰ったあかつきには、その者は和魂洋才の徒として、大小問わず何事か成すであろう。日本人の誇りと共に胸を張り、世界を見据えている事であろう。

 ※1 現存する世界最古の国家たる日本、その建国は最も短く見積もっても千八百年前、妥当なところでも二千年以上前であろうと考えられている。次いでデンマークの千数十年、三番目はイギリスの九百数十年前である。なお国連常任理事国の建国年を見ると、アメリカは1776年、フランスは1789年、中国は1949年、ロシアは1991年とイギリスを除き歴史は浅い

 ところで先に国際化の弊害について述べたが、一方で国際化の進展は異文化との遭遇をもたらす。即ち自国の文化の再認識を要求する。同国人同士なら当然の事が、異国人には一から説明しなければならぬ状況が生じる為である。そして説明は冗長であってはならず、簡潔でなければならない。簡潔な説明には深い理解が要る。深い理解には多くの知識と慎重な考察が求められる。正直「稲作文化の生んだ偉大な華」である清酒に関して私はまだまだ学習の足らぬ身であり、J.S.A. SAKE DIPLOMAなる呼称資格も昨年2020年に取得したばかりの、それ迄は葡萄酒を一偏に飲む者であった為、上記の如き知識と考察を経た熟練者の様な巧みに論ずる能力が有るとは到底思えない。しかし日本文化への情熱と自己確立への焦燥が私の心を搔き立てるのである。何より私は常に書く事で理解して来た人間である。そして日本語が私の母国語であり、日本文化を真に表現出来る唯一の言語である(※2)。国外に受け入れられてから初めて国内で受け入れられるという事がこの国に屢々しばしば起こる事もまた事実だが、英語では日本文化の粋を表現し切れぬし、たとえそれが出来たと仮定して、私にはそうする事が出来る程の英語を使いこなす能力も無い。機械の翻訳機能は日々向上しているようだが、矢張りまだ機械には機械の頭しかないため機械的な表現しか出来ず、原文に込められた微妙な意味合い、人情が感じる味わいを自在に表現するには程遠い。結局科学一偏の人間が造り出す限り、言葉の神性、「言霊ことだま」は、人工知能には理解出来まい。しかしこの場は人の魂に訴える文学ではなく日常の記録や情報を公表するブログである。以上の文面は重い苛立ちを籠めた堅いものと相成ったが、次稿からは人が読み易く機械が訳し易い言葉で、しかし或る程度の品と格を文章に持たせながらも勿論楽しい調子を維持し、人に無害どころか有益な奉仕サーヴィス精神を以て書き進める所存である。

 ※2 例えば、KojiSyubo酒母Moromiといった酒造用語は英単語一語では正確に表現出来ない。Syoyu醤油Miso味噌Dashi出汁 も其々 Soy-sauce や Soybean paste、Fish stock と表しても違和感が残る。したがってこうした微妙なニュアンスを持つ言葉は、その概念を英語で理解して貰い、Umami旨味Sushi寿司 の様に、使う場合はそのまま日本語で表現して貰う方が良いのではないのか。我々日本人は外来語を積極的に取り入れて来たが、もはや日本語も積極的に英語に取り入れられても良かろう。国際語たる英語に日本語が組み込まれ、且つその語意が正しく理解される事が、和食を含む全ての日本文化の国際化への道なのではなかろうか

第二十六瓶 閉会のご挨拶

 前回ヴーヴ・クリコがロシアから讃えられて在庫切れと為ったのとは異なり、喝采を受けずとも当会管理者が保有するセラーは在庫不足と相成りました。確かに不足であって、まだご提供出来ますボトルは御座いますが、これ以上の深酒ふかざけは頭痛の原因と為り得ますため、この辺でお開きにしたいと存じます。ご愛飲の程、誠に有り難う御座いました。

 私はこれまでワインを追究した日本人が最終的に日本酒へと帰る姿をこの目と耳で知って来ました。骨抜き骨無しの戦後教育のもと、自国をなみする事が出来るよう巧みに作り変えられてしまった敗戦国民の我々が憧れに胸を膨らませて異国へ行き、結果日本の素晴らしさを痛感させられて帰国するように、私もご多分に洩れず、より万能な飲食物である「米」への愛にようやく目覚めたのであります。哀しい哉、余りに身近に在る物に、いつも必ず手近に在る物に価値を見出せないのが人というもの。かつての私はしなやかなワインボトルと寸胴な一升瓶を比べ、その中身ではなく外身にのみこだわっていただけ。優劣の差など在り得ない文化を比べ、愚かしいまでの無知と偏見に捕われていた、ワインを語る資格などない恥ずべき野蛮人に過ぎなかったのです。そしてそれ故、全二十六稿一つ一つの内に日本人としてのアイデンティティ、日本の テロワール を感じて頂けたら、この偏屈な時代遅れの存在にも価値を見出す事が出来ます。情報化により世界が狭く為った現代、もはや我々を何者か分からなくさせて来た、益荒男ますらおの強靭さと手弱女たおやめの繊細さを併せ持つ日本の根っ子を引き抜いて来た「無闇な日本の欧米化」にはワインの澱ほどの値打ちもありません。各国のワイン法に支えられ、単一年、単一品種、単一畑が一層尊ばれる昨今、世界でも稀な単一民族、単一文化、単一言語を有する日本を尊ばない法はありません。世界基準の下、日本人は日本のテロワールを表現しなければ世界に認められないのです。

 さて、「ワインはボトル1本毎にドラマが生まれ得る」という事を旨に、唯の知識のひけらかしを忌避し、一つの読み物として読み手の皆様を楽しませる事が出来るよう、言葉を連ねて参りました。一語に込められた言葉の深みは曾て無い程に軽視され、「ただ通じればそれで良い」という軽薄な言葉が蔓延はびこるこの時代。既に上っつらだけの当り障りの無い知識のみから作成されたサイトと商業的広告ばかりが氾濫するこの時代。私生活のみならず言論及び思想の自由が脅かされ、創造的想像力が欠如し、物質的に豊かな、精神的に貧しい、小さなつぶやき声にさえ操られる、実行を伴わない指先一つの便利で空虚で不健康な社会の中、人の心を動かし、知性を刺激し養う大胆な書き物は益々淘汰されて絶滅に瀕しております。人類の叡智を宿す書物達が、かびが生えて茶立虫ちゃたてむしむしばまれながら、仄暗く静寂な図書館の地下室で誰にも読まれず朽ちて行くように、私も自分の言葉を胸に抱いて朽ちて行きましょう。

 一方、そんな私の小言など意に介さず、葡萄酒という飲み物はどの様に描写されようと、人々の目がくらむ陽の当たる場所で泰然自若としているようです。世界で最も安価でありながら最も高価な液体であり、常に容赦無く向けられている言葉の矛先を難無くかわすこの飲み物には、如何なる中傷も、称賛でさえ超然と受け流すその態度には、混沌として強靭なディオニュソスの精神が今尚ほとばしり出ているかのようです。人間と一万年も附き合っていながら未知の要素を今だに保持し続け、渇きを癒やす快楽を与えるのみならず、人間の知的好奇心を掻き立てる事によって、実用的産物から教養的文化へと昇華するこの飲み物を神聖視する事に、一抹の不思議もありません。たとえどれほど科学が発達しようとも、目に見えない何かの働き掛けによる創造物を「神秘的」と思う人の心に不思議はありません。カナの婚宴にてイエスが起こした最初の奇跡──水を葡萄酒に変えた奇跡──の様に、人類の働きをねぎらう為に、悩みを癒やす為に、争いを収める為に、そして愛を包む為に、葡萄酒は生まれたのです。そしてワインの最も神秘的な特性の一つは、何十年にも亘り、時には百年を越えて進化し向上する能力を持つものがあるという事です。その様なワインの様に、私達も為れると思います。確かに果実の成育に最適ではない環境で、生まれ持った個性の表現も求めず、手間暇を惜しんで造られた安価な大量ワインの儲けが無ければワイナリーを維持する事は出来ません。しかしそんなたちまち消費されるだけの発展能力の無いバルクワインで在る事を認められる程、人間は自尊心の無い生き物なのでしょうか。少なくとも私達はえて酢に為り行くだけのワインなどとは違います。「良い熟成をするためには若さが大切。人もそうでありたい」と故デュブルデュー教授も私達を勇気付けて下さいます。この追求は、円卓の騎士達が目指した、終に手にする事の無い聖杯ではない筈です。

 この学会で扱ったほとんどの主題は、読み切れない程に他のサイトでも扱われ、全く斬新な物では御座いません。しかし此処で敢えて語り尽くされた感のある、WEB内に溢れ返る同一テーマを選んだのは、ひとえに「同じワインでもサービスする人が違えば味わいも違ってくる」というソムリエ業界の真実を示したかったからなのでありますが、さて、お味の方は如何でしたでしょうか? もしも、極力自然を尊重して造られた私の人工ワインに「悪酔いした」と仰る方は、それはまだ飲酒経験が十分でないか、或いは既に飲み過ぎたかのどちらかです。しかしご心配無く。私のワインはあなた方の体を害する事も無ければ、翌日肌をたるませる事もありません。念入りに選別された言葉という葡萄から、適切な管理の下で考案を醗酵させ、思考を熟成させ、そして文法的にも健全な、全要素に調和の取れた葡萄酒に劣化臭はありません。但し一つ気に掛かるのが、数パーセントの割合で発生するブショネという欠陥品です。本日この会にお越しの皆々様、万一そんなの生えた古臭いワインを見付けられましたら、何卒お近くの問い合わせ係までお知らせ下さいませ。当会は責任を持って代替え品をご用意致します。

 以上にて、ネット上におけるワインエキスパートとしての使命は果たせたものと思います。元来ワインは神と人との交流を図るものであり、一人で飲む事はあり得ず、その本質は不変で、今なお最も社交的な飲み物として世界中の人々の仲を取り持っています。即ちワインを飲む最大の楽しみの一つは互いの事を分かり合い、その貴重なひと時を分かち合う事にありますので、もし ワイン検定 にて直接喜楽の時間と有益な知識をご共有出来ましたら望外の喜びです(呼称資格試験とは違い、飽く迄ワインを楽しむ為の検定で、落とす為のものでは御座いません。が、それに繋がるものであります)。

 では最後に、ペルシャ詩人ウマル=ハイヤームの四行詩集『ルバイヤート』より、葡萄酒が有する刹那的快楽を尊ぶ我々の気持ちを代弁して頂き、瞬間の悦楽を永遠に生きるディオニュソス的生命力の充溢じゅういつを酒杯の内に見遣りながら、陽気な調子で閉幕致します。

(4) せめては酒とさかずきでこの世に楽土を開こう。あの世でお前が楽土に行けると決まってはいない。(16) 今日こそ我が青春は巡って来た! 酒を飲もうよ、それがこの身の幸だ。たとえ苦くても、君、咎めるな。苦いのが道理、それが自分の命だ。(43) 知は酒杯を褒め称えて止まず、愛は百度もその額に口付ける。(77) 信仰や理知の束縛を解き放ってのう、葡萄樹の娘を一夜の妻としよう。(79) 死んだら湯灌ゆかんは酒でしてくれ。(88) 天国にはそんなに美しい天女が居るのか? 酒の泉や蜜の池が溢れていると言うのか? この世の恋と旨酒うまざけを選んだ我等に、天国もやっぱりそんなものに過ぎないのか? (90) エデンの園が天女の顔で楽しいなら、俺の心は葡萄の液で楽しいのだ。現物を取れ、あの世の約束に手を出すな。遠く聞く太鼓は全て音が良いのだ。(97) 酒姫サーキイよ、寄る年の憂いの波に攫われてしまった、俺の酔いは程度を越してしまった。だが積もるよわいつきになお君の酒を喜ぶのは、頭に霜を頂いても心に春の風が吹くから。(110) 大空に月と日が姿を現してこの方、くれないの美酒に優る物は無かった。

Drink wines you like. Like wines you drink…

Postscript

Dear visitors to the site,

I’m so happy to hear that my site has supplied some useful ideas or information to wine lovers around the world. But my concern is that the articles here were originally written in Japanese language for Japanese people. I think, therefore, there may be difficult words or sentences for non-Japanese to make sense. If you have any queries, please do not hesitate to contact me. (I will be helpful as far as in me lies, but if there is no reply, please understand that I cannot help you.)

Many thanks.

第二十五瓶 ヴーヴ・クリコの生涯

 ワインが持つ健康への効用についての科学的見地だけでは個人的に十分ではないと思いまして、「論より証拠」、より説得力を持たせるべく、実際に長寿を遂げたワイン業界の人物を、ワイン教室形式で、本稿ではご紹介差し上げます。泡好きの日本人はお馴染み、スーパーマーケットででさえ必ず目にすると言っても過言ではないシャンパーニュ「ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン」についてです(次のレジュメは年表の形で、時代背景を追いながらマダム・クリコの生涯について記載してあります⇒https://songesdevignes.com/wp-content/uploads/2020/06/ヴーヴ・クリコ.pdf

 先ずは名前の由来ですが、「ヴーヴ」は「未亡人」という意味で、「クリコ」はマダムの夫の名字、そして「ポンサルダン」はマダムの名字から取られたものです。

 1772年にマダムの夫の父フィリップ・クリコによって、主に繊維を扱う会社「クリコ」が創業されました。この「クリコ」は小規模ながらワイン業も営んでおりまして、マダムは夫のフランソワと一緒にワイン業の方に没頭して行きます。

 しかし経営が巧く行かず夫が鬱に為ってしまい、最終的にはチフスで、マダムが27歳の時に亡くなってしまいました。当時は女性の社会的権利は皆無に等しかったのですが、未亡人ヴーヴと為る事で、社会的自由が保障されました。マダムは此処で、現代で言うビジネスウーマンの先駆けと為った訳です。

当時、評判になる女性は娼婦か女王、王妃のみ

 1810年には地域初の、記録されたミレジム(ヴィンテージ)シャンパーニュを造る事で、革新的な力を証明しました。

 大彗星が通過した1811年の葡萄は完璧で、それを讃えて生産者達は彗星マークをコルクに焼き付けました。ヴーヴ・クリコは幸運の星として、その後も使用し続けます。

 そしてこのミレジムはロシアで大称賛を受けます。ただそのお陰で在庫が切れるという、会社としては一大事に陥ります。

当時のシャンパーニュ業界は小規模であり、それを世界市場の贅沢品に押し上げた功績の多くがヴーヴ・クリコに由っている。ロシア桂冠詩人プーシキンは「ロシアの上流階級はクリコしか飲まない」と書き残した

 皆様は既にご存知のように、シャンパーニュはおいそれと造れるものではなく、途方もない手間暇が掛かります(⇒瓶内二次発酵)。況して当時の技術では尚更で、特に澱抜きに、うんざりする程の時間が掛かったのです。「これではとても需要に追い付けない」という事でマダムは考えます。そして──

ピュピトルの無い最初期の澱抜きは瓶底に澱を集め、詰め替えの段階で澱が動いて広がらない内に、最大量の透明なワインを注ぎ出せるようにする方法で、この過程で少なくとも炭酸ガスの圧力が半分失われた(1820年代に機械化)。現在は瓶口を-20℃の塩化カリウム溶液に浸け、溜まった澱を瞬間冷凍し、その凍結した部分のみ噴出させ除去するが、ピュピトルを使った当初の澱抜き法は、瓶を叩くか強く一振りして元に戻すというもの。19世紀のワイン読本には次のようにある。「デゴルジュマンは、職人がボトルを逆さに立て、ワイン少々と澱全部が口から吹き出す間だけ、コルク栓を抜いておく。しかしそれ以上一瞬たりとも時間がかかってはいけない。澱の動きを追える目とすばやく栓のできる親指が必要」

 ──このピュピトル、「机」の意味ですが、これに穴を開けボトルを立てて動瓶ルミュアージュを行い、問題を解決したのでした。ピュピトル発明の背景には、早急な在庫確保という理由があった訳です。

小柄でどら声、器量が良いとは言えない辛辣な完璧主義者。ルイーズ・ポメリーが後に続く

 マダムは64歳で引退し、89歳で亡くなります。当時のフランス女性の平均寿命は45歳以下で、そのほぼ二倍、実に二人分の人生の時間を生きた訳ですから、マダムの生命力たるや恐るべしと言わざるを得ません(ワインによる健康などとは無関係と思えるほど丈夫そうです…)。因みに右下の女の子は14歳に為る曾孫ひまごのアンヌで、その度胸の良さがマダムにそっくりだったらしいです。

 引退後は自ら建てたこのブルソー城で生活しました。周辺には葡萄畑もあって、自分で世話していたそうです。因みにこの畑の葡萄から、有名ではないですが、シャトー・ド・ブルソーというシャンパーニュが造られています。

 マダムの死後、1877年にイエローラベルが商標登録されました。そしてスタイルも時代に合わせ、ロシア人好みの甘口から、ドライ、即ち中甘口のセックと言うところでしょうか、そして辛口のブリュットへと変えて行きます。

元々、需要を満たす為に多量の糖リキュールを添加し、摘果後12ヶ月以内に飲めるようにする為に甘口(ドザージュ150g)が主流だった。Brutの意は「自然のままの」、即ち「加糖していない」という事(現在の法規定では含有糖度15g/L以下)

 一方、現在もなお変わらずに引き継がれているものとしてはいかりマーク。特に希望の象徴という事で、創設者のフィリップ・クリコの時からずっと使われています。

 またこの字はマダムのサインから取られたという事です。

 現在ヴーヴ・クリコは所有する葡萄畑の内96%程がグランクリュとプルミエクリュで──

 ──ドザージュを少なめにする事で、ハウススタイルであるピノ・ノワールの特長を活かしています。

精妙なワインらしい旨味のあるロゼ造りのモデルとして有名

 1972年にはマダムのビジネス精神に敬意を表して、次の様な賞も作られました。

シャンパーニュ業界程に女性の影響を受けたものは世界にない、と歴史家は断言

 合わせてその年は創業二百周年という事で、ヴーヴ・クリコ初のプレステージシャンパーニュ「ラ・グランダム」が造られました。

 此処でこの偉大なる貴婦人マダム・クリコの功績をまとめますと、シャンパーニュの国際化、ブランドの確立、そしてピュピトルとルミュアージュという事になります。

 2010年にはバルト海から沈没船が見付かって、其処からヴーヴ・クリコも出て来たそうです。

現在の様なカラフルなラベルが無かった当時、一度荷解きされた後、どのメゾンのワインかを見分けるのはコルクの焼き印とボトル首周りの封蠟に頼るしかなかった

 最後に、現在のメゾンの様子はこんな感じで──

 ──実にお洒落ですネ。

本日の箴言

 あなたに秘密をひとつ教えましょう・・・これほど度胸の良いあなた、あなたは誰よりも私に似ています。それは私の長い人生で、私にとってはとても役に立った貴重な性格でした・・・私は現在、シャンパーニュの偉大な貴婦人La Grande Dameと呼ばれています! 自分の周りをご覧なさい・・・世界は絶えず動いています。私たちは明日の物事に投資しなければなりません。他人よりも先に行かなければならない。決意を固め、厳格でありなさい。そしてあなたの知性をあなたの人生の導き手となさい。大胆に行動しなさい。もしかしたらあなたも有名になれるかもしれません・・・

 曾孫娘アンヌに宛てた、マダム・クリコの手紙より

記念日の一本

Veuve Clicquot Ponsardin 1983 Brut Reserve

 オレンジを帯びた淡い琥珀色、澱在り、気泡は点在。極めて酸化熟成が進んだ状態で第3 アロマ のみ:モカ(コーヒーまでは行かない)、クリーム、カラメル、胡桃、蜂蜜、べっ甲飴やほんのり漢方薬の匂い

 口に含むと微細な泡ペティヤンの刺激。胡桃様の乾燥ナッツ風味の中に、強靭な酸が弦の様な一本の線となって全体を貫いている。雑味や粗さが全く無いマウスフィールと共に、苦味を伴う余韻は非常に長い。シェリーのオロロソや紹興酒に高い酸度を加えたような印象。知人からの頂き物で非常に良い経験をしたが、何でも古ければ良いという訳ではない事もまた再確認。熱劣化や酸化(⇒ワインの欠陥と非欠陥)が進みマデイラ化した白ワインには、トロやブリの様な脂身の有る魚の刺身(ナッツ様の風味同士で、また醤油を付け メイラード反応 同士で一致)、生雲丹うに(雲丹の強いヨード感をワインのヨード感が和らげながら調和し合う)、胡桃系菓子(風味の同調)などと合わせられる〈2018年5月〉

第二十四瓶 ワインの亜硫酸(二酸化硫黄SO2の俗称)

 健康をお題目にして話を進めて参りました上は、人々がまるで悪の権化か、でなければ年齢と共に増える小皺こじわか何かの様に忌み嫌うこの物質についても語らねばなりますまい。そして偏見というものは、言わば固く強張こわばる肩凝り。少々手荒く為るかも分かりませんが、力を込めて揉みほぐして差し上げましょう。

 先ずは結論から申します。これはワインにとって必要不可欠な添加物で、この酸化防止剤が無ければ現代ワインの品質は存立し得ません。ちまたでは今だに亜硫酸無添加ワインが持てはやされているようですが、残念ながらこのSO2無しに付加価値の高いワインを造る事は出来ません。もしワイン産業の根底を支える技術を一つだけ選ぶとすれば、それは硫黄を燃やして発生させた気体の持つ、ワイン変質防止効果の発見とその応用だと言われています。この気体即ち亜硫酸ガスが 樽 の消毒に使われた事は詩聖ホメロスも歌っており、古代ローマではアンフォラの殺菌に使われました。誠に古代の人々はワインを如何に長く持ちこたえさせるかに苦心しました。彼等はワインの酸化を防ぐ為、樽のワインは常に口元まで満たし、補充ワインが無ければ石を入れてでも満量にしたり、壺に貯えたワインの上にオリーヴ油を垂らしてその油層の下から汲んで飲んだりしました。そして盗飲防止用の密栓がやがて品質保持の松脂まつやに(※1)や石灰による密封と為って現在のガラス瓶とコルク栓に引き継がれる事に為り、先の雑菌繁殖防止用の硫黄燻蒸くんじょうガス(※2)がワインに溶け込んで脱酸素剤として活躍する事に為るのです。

 ※1 古代で一般的に使用されたワインの保存料。樹脂は保存料として貴重だった為、東方の三博士マギもイエスに乳香にゅうこう没薬もつやくを献上した。現在はギリシアの松脂入り白ワイン「レツィーナ」として残り、国民により愛飲されている(希少なロゼは「コッキネリ」という名称)

 ※2 実際の作業場面はコチラに⇒お役立ちワイン映像集の“Pop the Bubbly! How Champagne is Made!”(0:48~1:09)。この、固体の「メタ重亜硫酸カリ」の燃焼による樽使用前の衛生処理法も含め、破砕/澱引き/濾過のタイミングでボンベ等に充填されたガスや化合物の水溶液という形で「二酸化硫黄」又は「無水亜硫酸」は利用され、ワイナリーのスタッフは毎日の様に繰り返しSO2の中で作業している。確かにSO2の濃度や晒される時間によって軽度の気管支炎はあれど死ぬ事は無い

 こうして古代より使用され続けて来たワイン中の亜硫酸は、数千年に及ぶ人体実験の結果、既にその安全性は証明されています。それでも「人生は何事も経験。ワインのSO2の有害な影響を体験したい」という私以上のへそ曲がりの方は居らっしゃいますでしょうか? 頑張って下さい、その為にあなたは1日30本以上のボトルを飲み干さなければなりません。そして四日市喘息ぜんそくの症状が出るかなり前に、アルコールによってあなたは病院送りになる筈です。確かにお医者さんは、喘息患者に対して「SO2高濃度ワインは避けた方が良い」と言うでしょう。そして日本においては食品衛生法第11条でワイン1L当たり0.35g未満という規定がなされているのですが、はて、これは多いのか少ないのか? 他国と比較してみましょう。アメリカは日本と同じ、オーストラリアは細かく甘口は0.35g、辛口は0.25g、EUは更に細かくなるので主要タイプに絞って極甘口は0.40g、甘口は0.35g、辛口白は0.20g、辛口赤は0.15g未満と義務付けられています。まだピンと来ませんね。身近な物を挙げましょう。漂白/脱色にSO2を使う干瓢かんぴょうは100g当たり0.5gと多く、ドライフルーツは0.2g、一袋で白ワイン一本分って感じ。フライドポテト一人前に至っては1.9gと、いやはや何という恐るべき量。コーラ1缶0.35gでも日本ワインの規定ギリギリアウトという具合です。因みにこの0.35gという量は、普通の大人が1日1本80年飲み続けても問題無い量で、しかも実際はこの半分以下が一般的、加えてSO2はO2酸素がワイン成分と反応する前にワイン中のO2と結合してくれる為、月日と共にその量は減少します。更に、このもはや無効と為った「結合型SO2」でない、酸化防止剤として有効な「遊離型SO2」は揮発性が高い性質からグラスに注ぐ間も減り、のみならず デカンタージュ やスワリングでも気化するので、最終的に我々の口に入る時点では気にするのも愚かしい程の少量に為っています。(因みに、嫌気的なスクリューキャップより好気的なコルクの方が当然SO2量は多いです)

 という訳で、赤ワインによる頭痛を亜硫酸の所為せいにしている方、残念ながらその可能性は極めて低いです。確かにSO2が体内でヒスタミン放出を誘導する可能性は指摘されておりますが、先程数字で示しました通り、抗酸化物質である酸とタンニンを含むお陰で、赤のSO2含有量は白より少ないのです。「じゃあ一体なんで? 肩凝り、ストレス、体の歪みが原因?」 いいえ、今はワインの話をしておるのです。専門家に拠ると、赤による頭痛は小数の人にあり、それは発酵過程で乳酸菌が生成するアミン類の一種が原因で、それを分解するのに特定の酵素が必要なのですが、その活性度が低い人が頭痛を引き起こすという事らしいです。このアミン類はフルボディの赤に多く、白にはほとんど無く、又これは同じ過程から造られる漬物やチーズにも含まれているそうです。兎に角、SO2が駄目なら温泉卵も駄目で、通常の食品添加物の方がよっぽど体に悪い物が多いという事を、一般消費者は知って置く必要があるでしょう。それは消費者基本法第7条にて、「消費者は、自ら進んで、その消費生活に関して、必要な知識を修得し、及び必要な情報を収集する等自主的かつ合理的に行動するよう努めなければならない」と定められている通りです。

 確かに「SO2無添加」は「安全」ではありますが、必ずしも「美味しさ」を意味する用語ではありません。優良な生産者はこの表示が無くとも多かれ少なかれ有機を実践しており(※3)、逆にあからさまに「無添加」や「ビオ」を強調する、健康志向に便乗したワインは余り美味しくない事の方が多いです。これらはSO2を加える代わりに熱を加えて殺菌処理をする為、無残な風味を呈し易いのです(※4)。またSO2が無いワインは言わば賞味期限が短く、早期の内に、グラスに注いだまま一、二日放置したワインのえたような風味に為ります。酷いケースだと、開栓時には既に酸素や雑菌に侵されて劣化している事もあるそうです。「ではSO2添加技術が無かった頃は良質ワインが無かったのか?」と問われれば、答えは「否」。技術に頼り切っていない、より酸素の影響を受ける自然な造り方こそがワインの質を強化・向上させます。現在でも、葡萄が極めて健全で、pH値などが理想的で、限りなく慎重な醸造をした「無添加ワイン」は素晴らしく、例えばワイン造りの起源と言われているクヴェヴリワインは完全手造り、完全無添加(⇒旨味のオレンジワイン)、また元祖ニュージーランドのカルトワイン「プロヴィダンス」は、農薬・化学肥料一切無し、勿論亜硫酸無添加、更に天然酵母(※5)に無濾過という、銘柄通り「自然の摂理」から造られたような極上品です。しかしこれらは例外中の例外と言うべきでありましょう(無農薬や無添加といったものを手放しで褒める前に、どれだけ脚色が為されているかは存じませんが、「奇跡のリンゴ」という映画をご覧になってみて下さい〈病害との格闘やフカフカな土を食べる場面などは葡萄栽培に通じるものがあります〉)。亜硫酸は祖先の叡知。これからは見方を逆にして、「長期熟成が必要な高品質ワインにする目的でSO2を添加する」と捉えてみては如何でしょうか。そして人が先天的に有するアルコール分解酵素(アルデヒド脱水素酵素2ALDH2)が少ない日本人(※6)は少量しか飲めない分、良質なワインを飲もうとします。「少量」且つ「良質」、そんな私達がSO2に悩むなんて、折角の美味しいワインに無味乾燥な知識を持ち込むなんて、野暮な話だと思いませんか? 勿論「美味しさ」を求めず、思想や信念でワインを飲もうというのならば話は別ですがね。

 ※3 因みにアメリカ政府の有機ワイン定義は、1L当たり0.1gのSO2しか認めていず、これは0.35gまで許可される通常ワインとは相当な開きがある。そしてその上は「有機栽培葡萄からのワイン」と「亜硫酸無添加ワイン」が出て来る。ラベルから「亜硫酸含有」の文字を外すには0.01g/L以下だが、醸造過程で全くSO2を添加しなくとも、酵母が発酵中に副生成物として0.005~0.015g/L作り出し、結果SO2量はこれを上回る事になるため必ず表示される事になる。したがって「無添加ワイン」と言えどもSO2はゼロではない訳で、それはただ単に「人工的に添加していない」という意味に過ぎない

 ※4 本来ワインは熱処理をしない(濾過〈フィルターや遠心分離機〉により除菌・・する〈香味成分も除去され得るが〉、加熱は殺菌・・)。確かに熱処理をすれば劣化はしないが、その代わり熟成もしなくなり、風味の成長というワインの醍醐味が味わえなくなる(SO2無添加ワインについて、ワシントン州レッドマウンテンAVAに在るHedges Family Estateの醸造長Sarah Hedges Goedhart女史は「日焼け止めをしないで火傷するようなもの。女の子が素敵な女性に成長するのを止めるようなもの」と表現し、ジュラ地方のナチュラルワインの大御所ステファン・ティソ氏は「単一畑の細やかな テロワール 表現には、極微量のSO2が必要」と仰っています。又、「テロワールの個性が輝く瞬間をSO2によって写真の様に保存する」という言い方をする生産者もいるようです。余談ですが、ミサ用の赤ワインは「神が葡萄の内に成熟させ給いし通りのものたるべし〈1403年公布アルザス・リボーヴィレ条約〉」と言い、混ぜ物無しの天然物でなければならない規約があるのですが、当然長持ちしないうえ余り旨くない)。加熱技術方法は温度(高/中)と時間(長/中/短)により幾つかの分類があるが、いずれも熱による香味分子の破壊を引き起こす為、低級の早飲みワインにのみ使用される。この過程を「低温加熱殺菌法パスツーリゼーション」と言い、ビールや牛乳にも利用されており、日本酒で言う「火入れ」(参考⇒生)と同じ作業である。この方法は1866年に微生物学の祖ルイ・パストゥールが発表した(この発酵性液体の保存法発見の背景には次の様な悲しい話が伝わっている。ヨーロッパでは19世紀迄は水を飲むくらいならシードルかビール、ピケット、ワインを飲む方が得策だった。それはカロリー補給のみならず、川や井戸の水が媒介する腸チフスといった伝染病から身を守った。そしてパストゥールはそれで十歳の娘を失った)が、実は日本ではその約三百年前の室町時代から同様の殺菌法が行われていた(というのは殆どの日本酒関連本が強調するところである)

 ※5 長年の農薬散布が自然酵母を殺してしまった結果、人工的な培養酵母が使われるようになった(酵母による風味の違いはコチラ⇒澱(フランス語 Lie リー)

 ※6 日本人の約四割は体質的にアルコールに弱い事が分かっている。これは遺伝子に由来し、鍛えれば飲めるというものではない。この世界にはアルコールに強い人種と弱い人種が存在し、前者はコーカソイドやネグロイドで、後者は日本人が属する新モンゴロイドである。しかしながらこの事は人種的に優れている事を意味せず、逆にアルコールの乱用に対する生理的な抑制効果が作用する為、欧米人に比べ日本人の方がアルコール依存症が少ない傾向にある

〈参考1〉SO2のワイン構造における働き

①有害微生物の殺菌、増殖阻止(腐敗、特に甘口ワインの残糖による再発酵防止。貴腐 ワインでは貴腐菌が葡萄の皮に開けた穴から酸化が進み、ワインが酸化傾向に為るためSO2によってフレッシュ感を戻す)

②ワイン醸造工程及び製品における酸化防止作用

③赤ワインの果醪かもろみにおいて、葡萄果皮からポリフェノール(色素その他)の抽出促進

④ワインの清澄効果

〈参考2〉SO2の使用量を必要最低限にする方法

①健全な葡萄の適切な熟成期における収穫

②醸造所までの運搬時間短縮もしくは冷却処理

③早急な破砕と圧搾

④果汁やワインのpHを低く保つ事

⑤醸造における適切な温度管理

⑥醸造環境の衛生管理

〈参考3〉Vin Nature「自然派ワイン」

 畑の土がふかふかで、化学肥料無しのため様々な雑草に覆われ、葡萄樹は雑草との生存競争に晒される。そして敗れる樹も多く、生産量は一般の半分以下。また自然の成り行きの醸造は時間も掛かる(高邁な理想主義者のため倒産し易い)。非自然派は魅惑的な香りを付ける培養酵母が使われ、香味が派手ではっきりするが、自然派は天然酵母に加えて好気的な醸造環境となる為、第2 アロマ の無い複雑な香りのまとまりで一つの香りに突出感無く、第一印象にも欠け、強さも控えめで捉え難い。またノンフィルターにより外観の美しい色、輝きも少なめだが、その分旨味を伴う。良く耳にする「ビオ臭」とは、パーマ液の様な還元臭で、味を固くし、粘膜を刺激し、頭痛の原因にも為り得る酸化防止剤をほとんど入れない為、極力空気に触れないように造る事から発生する。従来の物より自然により近い生物なまもの的ワインのため14℃以下で保存。2020年フランス当局(DGCCRF)は、主にロワール渓谷の自然派ワイン団体(SDVN)の働き掛けを受け、この曖昧な用語に対し Vin méthode Nature なる定義を制定。その概要は「①100%有機認証葡萄の手摘み ②天然酵母による発酵 ③濾過など、ワインに大きな変化を与える作業不可 ④添加物使用不可 ⑤SO2無添加、もしくは瓶詰め前に0.03g/L迄の添加 ⑥葡萄の人工的育種不可」というもので、今後「自然派」の造り手達がこの基準に沿ってワイン造りを行う事になると予想されている

〈参考4〉自然農法の種類

・ビオロジック:有機農法、オーガニック。無農薬、無化学肥料

・ビオディナミ:ビオロジックを基に、天体の動きなど生体エネルギーを取り込んだ農法

・リュットレゾネ:必要最小限の農薬を使用する、減農薬農法。ナチュラルワインとは別

・サステイナブル:環境保全型農法。畑のみならず森林などの自然環境を持続させる農法。産業を発展させ世界を豊かにし、未来永劫に亘り持続可能な社会や生活構造をも意味する。詰まり、主目的は子孫への遺産であり、品質の良さは副産物的な要素。畑は必ずしも有機農法とは限らず、リュットレゾネである事が多い。ナチュラルワインとは別

本日の箴言

 昔から続いてきたことは、理由はわからないことでも深い意味があると思う。たかだか四十年しか生きていない人間が、それは違う、と言えるのだろうか。

河合香織『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』

記念日の一本

Providence (Matakana, New Zealand)

 ニュージーランド北島マタカナにワイナリーを構える、NZ最高ワインの一つ。除草剤・化学肥料・殺虫剤は使わず、自然に還元可能な有機肥料により育てられた葡萄のみ使用。全て手摘み収穫で、そのタイミングは数値分析に頼り切らず葡萄を食した上での直感も。天然酵母による発酵で、亜硫酸無添加のリスクを補う為、発酵中は昼夜を問わず四時間毎に撹拌して雑菌の繁殖を抑制。無濾過のみならず自然の重力によって瓶詰め、無論酸化防止剤・保存料一切無し。一貫して自然に任せる姿勢を重んじる造り手。但し、確かにワインには亜硫酸は添加されていないが、ワイナリーの醸造器具や、樽から壁や床に飛び散ったワインなどを拭き取る時は全て亜硫酸を使っているという。これは詰まり亜硫酸の意義を熟知している事の証である。因みに2006年シラーには極めて少量のSO2を添加したという。そして理由は「亜硫酸を添加したらどうなるのか、試してみたかった」のだと。一般とは姿勢が逆ですな。結果、今迄と然程変わらなかった為、2007 ヴィンテージ 以降は相変わらず無添加のまま

シンデレラワインとは言え、お高くとまったどこぞのワイン達とは違いまだ何とか手に入れられる価格を維持。早めに買っとこうか知らん

第二十三瓶 ワインと健康(白ワイン編)

 古代ギリシアの医聖ヒポクラテスは「薬の中でワインは最も有益であり、薬効を持つ溶剤として用いられ、傷薬にもなる。赤ワインは成長に役に立つ。白ワインは肥満防止に良く、利尿効果が最も高い」とちゃんと白の効用について触れているものの、現在の海外の記事にざっと目を通すと赤ワインについての効用ばかりが矢鱈やたらと多く、そしてほぼほぼ結論は適度のアルコール摂取〈大凡おおよそ1日当たり男性2杯、女性1杯。詳細はコチラのをご覧下さい⇒Lower alcohol wines (and spirits)〉で落ち着きます(※1)

 では次は私が見付けた限りの白ワインの効用を列挙してみます──

・ポリフェノール量は赤の10分の1程度だが、赤のよりも抗酸化機能が高く、加えて分子構造が小さいため体内吸収され易い(甲州は含有量多め)

・美肌効果(甲州はコラーゲンを修復するアミノ酸のプロリンを多く含む)

・有機酸(葡萄由来:酒石酸・リンゴ酸・クエン酸、発酵由来:コハク酸・乳酸・酢酸)による殺菌作用がある為、食中毒の原因菌(サルモネラ菌、大腸菌、赤痢菌等)に速効性がある(シャブリに生牡蠣が有名)

・有機酸が食欲増進効果を生む

・有機酸が腸内環境を整える(便通改善効果)

・血圧低下作用(白には ミネラル〈カリウム、カルシウム、マグネシウム〉が多く含まれている為、利尿作用が高まり新陳代謝が促されて体内のナトリウム〈塩分〉が排出される。同時に鉄分やビタミン類も含む)

・血小板凝集抑制機能

・冠状動脈性心臓病対策

 ──確かに赤ワインより情報は少ないものの、かなり健康には良さそうです。印象としては、赤の方がより医学上の重病に効果があり、白はより生活上の軽症を改善するのに期待出来そうであります(日本人の、低脂肪で米と魚〈※2〉中心の、伝統的かつ健康的な食習慣に赤ワインの出番は少ない為、和食にも合い易い白ワインの効用に触れるのは日本人が多いのではないかと愚考します)。ついでに泡は高級に為るほど瓶内熟成〈⇒瓶内二次発酵〉によるアミノ酸が多く為るため健康効果は高いとの事です(加えてワインは醸造酒の中でも糖質が少なく、100g当り赤は1,5g、白は2,0g、日本酒は3,6~4,9g、ビールは3,1~4,9g)。いずれにしましても、ワインは在らゆる酒類の中で、圧倒的にアンチエイジングな酒である事に疑問の余地は無さそうです。だからこそ「良い物を多量に」という人の心情が働き、ついつい適量を越えて飲酒してしまう為、冒頭で述べた「適度のアルコール摂取」が結論として導かれるのでありましょう。「エルペノル症候群(※3)」による、翌日仕事が出来ない程の宿酔による経済的損失額は年間1600億ドルに上るとアメリカ政府は算出したそうで、確かに飲み過ぎを警告する義務がお偉方にはあるでしょう。一方これはより身近な、一般消費者の心にグサリと刺さる警告ですが、過度のアルコール摂取は肌から水分やビタミン、又マグネシウム等のミネラルを失わせます。その理由は、これらの栄養素はアルコールの分解と共に代謝されて一緒に排泄(※4)されてしまうからです(とは言え、既に身を以てご存知の方もおられるでしょうが、肌の回復は比較的早く、数日の断酒で大分良くなります)。この様に述べられると、如何にも「アルコール=不健康」という概念が植え付けられそうです。そして「アルコール=太る」という思い込みも方々で耳にします。私達は精神的にくつろいでいる時に食欲が進み、緊張している時に低下します。詰まりアルコールは緊張をほぐすため私達は食欲が出て来る訳で、それに伴う食べ過ぎが主な肥満の原因なのです。勿論アルコールを摂り過ぎれば、体内に溜まったアセトアルデヒドが脂肪に変わり肥満のみならず動脈硬化の原因と為ります。確かにアルコールは1gにつき7kcalあるものの、実はアルコールのカロリーは「エンプティ・カロリー」と言って、直ぐに熱として放出されるものなのです。言い換えれば、新陳代謝が激しく為り燃料として燃える為、飲んだからといってそれをカロリーの計算に入れる必要はないという意見もあるのです。更には、栄養学においては休肝日は必ずしも必要ではないとも言われています。それは、毎日ある一定の量のアルコールが入って来て、それを酵素によって処理する事が或る日抜けてしまうと、それに対応する相手が居なくなりかえって負担を掛けるからだそうです。こうなって来るとまたしても、赤ワイン編でも述べましたように、何を信じたら良いのか分からなくなって来ます。しかしヘリオドロスが『エティオピア物語』にて言ったように、結局「魂は己の欲するところを信じたがるもの」。であれば私達は其々自分が信じたいものを信じる事に致しましょう。

 ※1 アルコールの害は心臓、脳卒中、脂肪肝疾患、肝臓痛、精神健康異常、がんすい炎等。赤ワインで取り沙汰されるリスベラトロールの効果も飽く迄マウス投与実験による結果で、人間が同じ効果を得るには毎晩8~10本の赤ワインを飲まなければならないとかで、定めし本末を誤った大惨事が引き起こされる事でしょう。因みに、どの国でも男性に比べて女性の飲酒頻度と量が低いのは、女性の方が体重が少なく脂肪組織の割合が多い為、男性よりも少ないアルコール摂取量で肝障害を起こす為であると、生理学的には説明される。無論、女性は歴史上長く家庭に縛られて来た為、社会的行為である飲酒から遠ざかっていた事も考慮すべきである

 ※2 海水中で暮らす魚の脂は冷水の中でもトロトロで、当然人体の中でも固まらない。対し牛・豚・鶏の体温は38,5~41,5℃と人よりも高い為、動物の脂が人体に入るとベタっと固まる。このベタ付きが血液をドロドロにするのである(目に見える一例は、レバーパテを冷蔵保存すると生じる白い脂肪の固まり。ちなみに豚の脂の融点は33~46℃で、牛の40~50℃よりも低めの為、噛むほどに 旨味 を強く感じられます。加えて硬化油マーガリンのトランス脂肪酸による心臓疾患のリスクも心に留めて置きたいところです)

 ※3 解離性障害(自分が自分でない感覚、カプセル内に居るような現実味の無い感覚)さえ引き起こす程の重度の二日酔い。ホメロスの『オデュッセイア』で、魔女キルケの島から出発する前夜に泥酔し、館の屋根で眠り込み、翌朝二日酔いの為に転落死した船乗りの名から。因みにその後日譚ですが、皆はエルペノルがいない事に気付かず旅立ち、その後冥界で再会したオデュッセウスは彼から自分の遺体を無名戦士の墓に埋葬するよう頼まれます。彼は己れの死に様を恥じていたのです(そりゃそうだよネ)

 ※4 アルコールによる尿意の原因は次の通り。抗利尿ホルモンのバソプレシンの働きがアルコールによって抑制された結果、肝臓の基礎構造である尿細管の壁がスポンジ状からざる状に為り、液体はどんどん膀胱へ流れて尿と為る

 現代人は飲食から健康問題を気にする事が出来るほど豊かな生活を送っており、そんな日々に私達は感謝しなければならないのでしょう。しかしこの二稿に亘る煩雑極まりない事を一つ一つ気にしながらワインを飲んで何が楽しいのでしょう? きっと私達は「美味しい上に健康に良い」という有り難みに満足したいだけなのではないでしょうか。何でも、酸化防止剤SO2が添加されないと、ポリフェノール量が通常の赤ワインの六分の一程度に減少するという話まであります。これは果物や野菜を五つから九つ食べる事で摂取できる量に比べても遙かに少ないのだとか。またアルコール消費量の増加が早死にに繋がるのなら、日常のストレスも同じく寿命を縮め、そしてアルコールが唯一のストレス解消法という人達は一体どうなってしまうのでしょう? さて結論です。改めて「ワインと健康」について考察してみた結果、矢っ張り私は前回冒頭で述べた所に舞い戻って参りました。──「健康第一ならば青汁だ!」

本日の箴言

 本来、健康のことを気にして飲むのではなく、楽しく飲むことが健康に最もよいのではないのでしょうか。

田崎真也『ワイン生活』(改訂)

同氏のおススメ映像集はコチラ⇒お役立ちワイン映像集

休肝日の一本

Purpom, Rosé Sparkling Apple(果汁100%中ルージュデリース種30%使用、ノルマンディー、フランス)

 鮮やかなサーモン色の色合いで活気のある泡立ち。爽やかだがしっかりとした香りは赤林檎、アセロラ、ほんのりスモモの香りも感じられる

 中辛口、高めの酸度、ミディアム(-)ボディ。甘さが控えめで飲み疲れる事も無く、酸味に不慣れな人は「酸っぱい」と言いそうなほど十分な酸度がある為、料理ともバッティングしない。5~8℃にしっかり冷やし、フルートグラスに注いで飲めば、ロゼスパークリングワインを飲んでいるかような擬似プラシーボ効果を得られる。鮭の塩焼き(酸が塩味を和らげ、魚の脂身の甘味を直線的に引き伸ばす)、鱒の押し寿司(酢飯と同調)、またデザートではバター菓子(酸が菓子の味わいの輪郭を生む)やココナッツ菓子(ミルク感が生まれる)と良く合う。ソフトドリンクで料理との相性を考える切っ掛けをくれた、フードフレンドリーで素敵な炭酸ジュース

赤い果肉のルージュデリース
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