清酒の約八割は水(総米重量の20~30倍、残りの約二割はアルコール分、糖分、アミノ酸等)である為、良質な酒には良質な水が欠かせない。したがって水道水よりも厳しい水質基準値が水道法で定められている(特に清酒に褐色化メイラード反応の促進などの悪影響を及ぼす鉄とマンガン)。こういった事から、名水百選の地はほぼ銘醸地である(→環境省HP:https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/list/index.html)。

なだ宮水みやみず:「日本のボルドー」とも言われる兵庫県灘地域の「西宮の水(略して宮水)」を仕込みに使うと発酵が盛んに為り、優れた酒を造るという事が1840年に発見された。六甲山系に降った雨水が伏流水(※1)と為り、地層に貝殻の多い海岸部の西宮神社付近で湧出すると硬水になる為、比較的酸が効いて切れが良く、重厚な辛口の酒に為り易いのである。これは味の輪郭がしっかりして芯が有るため「男酒」と呼ばれ(坂口謹一郎氏はこれをモーゼル型と呼ぶ)、「灘の 生一本」として名高い。宮水は鉄分が少なく、且つ軟水の多い日本でリン・カリウム・カルシウム・マグネシウム・クロールといった ミネラル の含有量が多い(※2)。そしてミネラルは糀菌や酵母の生育に必要な栄養分である為、酵素生産や発酵が促進され(酵素溶出から生まれる糖が消費されて辛口と為り、酵母による酸の生成量も増加する)、失敗する恐れも少なかったのである(曾て軟水は発酵が中断して腐造し易かった。が、硬水はアルコールが早く出て酒質が荒く為り易く、そして発酵が強いと木やミルクの様な香りが出易いという。また一般には、軟水は硬水に比べて精白度の低い米を使用する方が安全とされた。現在は様々な酵母の開発により軟水の方が酒が造り易いという。また軟水の場合、酒母に塩を入れて酵母の成長を調整する蔵もあるという)

 ※1 宮水は北から流れる札場筋ふだばすじ伏流、東の法安寺伏流、西のえびす伏流の三つが混合して出来るとされる。その一方で、現在は開発や建設、阪神大震災のため殆どが使用不能となっているが、灘の誇りから今も使用していると表明しているという情報も・・・

 ※2 とは言え硬度(※3)の最高が7~10度に過ぎないので、イギリスのペール・エールを産むバートン地方の70や、ドイツのミュンヘンの30といった値に比べれば物の数ではない。が、これらの酒の様に日本酒は特徴の甚だしい極端な酒質を目当てとしない上、並行複式発酵 のため水質の影響が端的に現れ難いと聞いた事もある。因みに、硬水と軟水を変換する事は現在の技術で可能である

 ※3 水の硬度と称する「ドイツ硬度」は酒造用水の分類で用いられ、「アメリカ硬度」は世界保健機構の飲料水水質ガイドラインによる分類で用いられる。ドイツ硬度はCaやMgの量を全てCaO量(mg/100mL)に換算した物、アメリカ硬度はCaやMgの量をCaCO3量(mg/L)に換算した物で、「ドイツ硬度=0.056×アメリカ硬度」(硬度が全てCa量に拠る物と仮定した場合で、Mgは考慮しない)の関係がある。次の図を参照されたい

伏見ふしみ御香水ごこうすい:京都市伏見は灘と並ぶ清酒産地で、江戸時代は淀川水運の要地として繁栄、良質で豊富な地下水に恵まれている。862年9月9日、御香宮の神社境内から「香」の良い水が湧出し、それを清和天皇が「御香水」と名付けられた。この桃山からしみ出て来る水は軟水から中硬水で、滑らかで肌理きめ細かい、軽快な甘口の酒に為り易い(ミネラルが少ないため発酵が遅く、糖がゆっくりとアルコールに変わる事で甘口と為る。軟水は吟醸系向きで、遅々とした発酵により水の特徴が出易いという)。これは酸が少なく柔らかいため「女酒」と呼ばれる(坂口氏はこれをラインガウ型と呼ぶ)。桃山には昔の天皇の宮廷も在り、乃木神社など幾つかの神社が在る為、辺り一帯が保護されている

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 蛇足だが、人類が使う水の三分の二は農業用で、その中で最も多く消費するのが米作りである。稲作に使用される水量は、稲一株当たり20㎏程と言われ、それは米一粒に対してその400倍程の水が使われている事になるのだとか。自分達の国を「瑞穂みずほの国」と呼び習わした古代日本人の言葉のセンスには畏れ入るばかりである。