第三十四瓶 日本米(或いは日本人)と外米(詰まり非日本米)

 いやはや、前稿本文の最後にてうっかり「外米」などと口走ってしまったばかりに、本稿では清酒の真の味わいの姿を述べる積もりが、急遽「非日本米」について述べねばならぬという義務感に襲われ、この日本人にとって極めて馴染みの薄い米について、S県内の図書館の蔵書をしらみ潰しに調べ上げた情報を、今回も私という 濾過フィルターを通して純化し、皆様のお口に合うよう極力雑味を取り除いてご提供差し上げたいと思います。

 諸外国の方々が日本に滞在し生活する上で先ず気付くであろう事は、寿司屋は言う迄も無く、牛丼屋も無論、ラーメン屋に行こうがうどん・そば屋(※1)に行こうが、其処には必ず米が在る事で、「ご飯大盛り・お替り無料」といった文句と共に、時として店の看板とは裏腹に、寧ろ米の方がメインと為っているような食事風景さえ見る事も少なくないでしょう。そしてその使用米と言えば、必ずや「安全・安心」の「国産」を謳っている筈です。まるで「非国産」が「危険・不安」とでも言いたげな表現ですが、ではその米は一体何処に在るのでしょう? ──そう、この国においては「外米」を見付ける事の方が至難の業なのであります。

 ※1 日本で昼間から堂々と清酒を飲めるそば屋で昭和歌謡曲を聞きながら一杯引っ掛けるのも中々乙なものですヨ^^

 確かに、1993年の冷夏と長雨による凶作が引き起こした「平成の米騒動」の時は、タイ米が国産米との抱き合わせ販売という形で広く国内市場に出回り、世間知らずな分純粋無垢な少年だった筆者も、日本米とブレンドされたご飯を箸でつつき、縦長の米を摘まみ上げてまじまじと眺め、「コオロギの卵か、こりゃ?」などと子供らしい無礼な事を思いながら、パサパサした歯触りの米の初めての感触に、戸惑いながら食を進めた記憶があります。

mitsubishielectric.co.jp
世間では、タイ米だけが売り場に残されたり、公園に捨てられていたりという「タイ米騒動」も起こった。この時の米不足問題が、国内の米生産を需要量ぎりぎりに抑える事の危険性を明らかにした

 実のところ、米騒動なるものはそれ以前の大正七年にも起こっており、そしてそれを受けて日本の米自給政策が推進され、安上がりな朝鮮と台湾の植民地における、日本人向きの米の増産が始まりました。朝鮮では改良品種の導入に、台湾では開発された「蓬莱ほうらい米」の普及に成功しました。そして昭和に入ると両植民地から、これら日本向けの米が増産されて輸出が始まり、特に朝鮮米は日本の二倍の日照量を浴びる為か、品質的にも内地米に劣らない、「日本米と外米の中間」、「日本米の中等品」という評価を得る物に為りました。しかし日本人には国内産米に対する頑なな迄の偏愛がありました(そしてそれは今でもあります)。その一途で排他的な愛情の為、日本市場は世界の米市場の中でも孤立した特異な市場と為った訳であります。そして戦後、日本米のその鎖国的閉鎖性は食管制度により守られ、「準内地米」なるジャポニカ種の外米は昭和三十年代まで輸入されていましたが、飽く迄それは国産米の不足分を補う為の物であった為、日本米との競争意識を喚起させる事はありませんでした。そののち米過剰の状況下で米輸入は無くなり、日本米は国際関係から遮断された形で、独自の国内的経済論理で動かされて来たのです。詰まり、日本にとって米は純粋に国内問題であり続けて来たという事であります。しかしながら国際関係が広まると、この日本米という箱入り娘は国際市場に引っ張り出され、その歴史に裏付けられた特異性を披露する事に為りました。労働生産性の低さを上回る低労賃に由来する最安値のタイ米といったインディカ種は幾ら安くても競争相手に為らないとも言われ(但し日本米も曾てはこの型であった事を付記して置く)、確かに1889年にドイツ北部ハンブルク名誉領事は「日本米はイタリア米に類似しており、安価に売却できれば売れ行きがよいだろう」と述べ、同時期のアメリカでも、他国産より優るとしても「過評にあらざるし」と高評価されたそうです。特にイタリアでは日本米は高い人気を得、1889年の日本の凶作により翌90年に輸出量が激減すると「偽日本米」が出回って流行した事が『外国貿易概覧』(1890年版)にあります。日本米は光沢と粘りが有り、精米しても摩耗が少なく、インディカ米より優れていた事がその好評の由来であったのです。(現在の海外における日本米事情は、一般社団法人全日本コメ・コメ関連食品輸出促進協議会による『令和元年度日本産コメ・コメ加工品輸出ハンドブック』をご参照下さい⇨https://zenbeiyu.com/jp/topics/report/r20200923/。それに拠ると、秋田こまちはアメリカとスペインで、コシヒカリはフィリピン、ベトナム、オーストラリア、イタリアで、そしてササニシキはタイでも栽培され製品として販売されており、又ジャポニカ米はフランス産やブラジル産もある。因みに、オーストラリア人は乾燥した米を好む傾向にあり粘りや甘味を有する日本産米は苦手なのだとか〈しかしオーストラリアは世界で数少ないジャポニカ米の輸出国である〉)

 ところで、今日稲を栽培している所は東亜から東南アジア、インドシナからインドは無論の事、北米ではカリフォルニアからテキサス、またスペインやイタリアなど地中海沿岸、西アフリカやマダガスカル、南米ではペルーやブラジルにも広がっているのですが、これら近年拡大された産地を除けば東は日本、西はインドとの間の東亜南部と東南アジアだけが古来の産地として絞られて来ます。この範囲に栽培されている稲の品種は数千種にまで上るとされますが、植物学的にはただ一種 Oryza sativa L. という種類に属するもので、上の数千はその品種に過ぎない為、交配させれば多少の難易の差があっても皆相互間に実を結ぶ事が出来るのであります。また上記の古来産地を見れば、元々稲は熱帯に足場を持つ多年生植物である事が分かります。一方、現在日本で栽培されている稲は気候や気象、また病虫害への抵抗性などを込めて地方毎に相当異なる品種が普及していますが、共通して言える事は、①水田栽培 ②短粒(籾でも米粒でも長さは幅の二倍以下、一倍半以上) ③脱落性が無い事(熟しても穂の軸から籾が外れない) ④籾にはのぎが有る事 ⑤炊くと粘り気が出る事、特に②③⑤が重視されて日本型として纏める事が提唱されました。これに対して設定されたのがインド型で、①長粒(粒の長さは幅の二倍以上、三倍以上を特に狭粒という) ②脱落性が強い事(熟すと籾が穂の軸から外れ易い) ③炊くと粘り気が少なくバサバサする、というのがその特徴であります。(※2)

 ※2 この辺りを巡る学説では、稲の伝播が温帯に向かうにつれて、稲を常食とする民族の嗜好と人体経済の面から、自然と粘りの強い型が東へ東へと運ばれ、揚子江下流に達してからは、巧まざる人為選択の結果、日本型の祖型を生じ、遂に日本に入って日本型が確立されたものと考えられている。尚、稲が大陸から日本に渡った経路は、大きく見てアッサムからラオスにまたがる熱帯圏の低湿地から中国東海岸地方へ運ばれ日本に渡来したと見て良く、その後相当の稲作として成立したのは弥生式文化の初期の紀元前一世紀前後とされている。そして弥生前期に水稲が渡来して以来、米は蒸米(強飯コワイイ)か飯米いいまいにして食したと考えられている。乾燥すれば保存食と為るが、適当な水分を含めばコウジカビが生育して糀が出来、更に水が在れば澱粉は糖化される。この糖化液に乳酸菌が生育すれば乳酸を造り、他の細菌の生育を妨げ、酵母を特異的に生育させる事が出来る。乳酸菌は古くは漬け物に利用されていたから、これを組み合わせれば酒母と為り、醪と為る。多くの試行錯誤の末、現在の清酒が出来上がったと考えられている。米とコウジカビが結び付いた事で 並行複式発酵 が生まれたのではなかろうか

 このインディカ米なる南方の外米は「南京米」とも称され、明治初年にはラングーン(現、ヤンゴン)やサイゴン(現、ホーチミン)といった東南アジアから輸入が始まっていました。「さてその味といえば実に言語道断で、冷飯になればバラバラになって喉を通らない。米と名づければ米だが、その実米ではなく『一種異様の穀物』である」(『読売』1890.4.25)と、それを日常食としている地元民には失礼千万なき下ろされようでした。外米は上等な物でも「一種の臭気」が有り、詰まり外米を入れた麻袋の、その製造工程から浸み込んだ油の臭いが米に移った為、その味の悪さに定評があったのであります。当時の『読売』に拠ると、日本米に混ぜたりせず、外米のみを食するのは「下級人民」と言われ、「中級以上の人」は「何となく不名誉らしく感ずるの傾」を外米食に抱いていました。したがって外米を買うにも「何となく恥じらうてい」があり、闇夜に紛れて買いに来る者が多く、それでも「さすがに外米を」とは言いづらく「一升二十一銭の米」をくれと言い、井戸端でそれを研ぐのも「人目にかからぬよう注意」するなど、誠に恥を恐れる日本的な有り様だったのであります。確かに明治二十三(1890)年の米価の暴騰に困窮する人々には救いと為った安価な外米でありますが、確かにそれ以降食べ方も工夫され、塩あるいは麦を混ぜて臭気を抜いたり、一晩水に浸したりもち米を混ぜたりして粘りを出すといった秘策が広まり(※3)、外米への関心はその輸入量の増加と共に高まって行ったのでありますが、結局日本人にとって、凶作や戦による貧困の最中さなかにおいてさえ外米は代用食以上の扱いを受けた事は無く、寧ろ大方はそれ以下の喰い物に過ぎなかった、詰まり「旨い米の条件」たる「粘りと軟らかさ」「香りと旨み」(※4)に欠けた外米は日本人にとって米ではあり得なかったのであります。(実際、明治四十五年の米価騰貴における極貧者は「南京米を食ったのでは腹に力が入らず労働は出来ない」と言って外米よりは残飯を好んだという。日本人にとって、米とは力を与えてくれる聖なる食物。その概念は今でも「力餅」という語の内に残っている。その事実は米を摂取する我々の肉体の内に宿っている。抑々、今日では体力スタミナと言うと肉を連想するが、肉を穢れた食物として忌み嫌った前近代の日本においては米こそが力の源であった。「力うどん」と言えば小麦の麵に米の餅を入れる事で気力スタミナが得られるうどんを意味する。「力餅」という言葉の存在自体が、米の力を暗黙の内に認めるものである)

 ※3 この考え方は酒造においても存在し、「糯米四段」という手法で現在に伝わっている。これは糯米が酒米やうるち米よりも溶け易い事を利用し、蒸して醪に加え、甘味と味の幅を増やす目的で行われる。江田鎌治郎氏は『杜氏醸造要訣』にて次の様に述べておられる。「糯米は粘り過ぎるから、一般に酒造米として使はぬ。それでも硬質米などで仕込みをする場合に、醪の掛米の一部に糯米を使用すると(掛米の五分の一か十分の一内外)出來た酒の風味を濃くする利益があるやうである」。同一の目的で他に「酵素四段」「甘酒四段」「酛四段」「粳米四段」があり、普通酒や本醸造酒で頻繁に行われている(普通酒ではブドウ糖や水飴を使う事も。純米酒でも四段を添加する蔵もあるようだが、基本的に純米と吟醸には「百害あって一利なし」、詰まり、未熟な醪ゆえ未分解の成分を残し歯切れが悪く為り、「鈍重で冴えない酒質にし、酒から爽やかさや力強さを無くしひ弱にする」として行われない)。四段は元来、米がく低温発酵の技術が無かった頃、醪の発酵が急進して薄辛く為ってしまった時にのみ用いる、言わば古い時代の救済策であった。そして三倍増醸廃止に代わって復活。現在ではアル添(→生一本)と関連して、数字合わせの手段と為っている(例えば仕上がりの日本酒度を0と仮定して、醪が−10の段階でアルコール添加して0としたのでは未熟醪ゆえツワリ香などの原因と為るので、−2程度まで発酵した段階でアルコールを加え+8程度と為り、その儘では辛過ぎるので四段を打ち込んで0付近まで戻して上槽する理屈)。春先の上辺の味は好くても秋にはダレる(劣化し易く、古く為ると異臭を発する)。更には五段や十段仕込みもある(が、果たして…? 外米仕込みの酒には有効な手段と為ろうか)

 ※4 粘りには澱粉中のアミロースが少なく、軟らかさには蛋白質が少ない方が良い。また米の芳香成分は百種類程在るのだが、それらは玄米一粒の92%を占める胚乳の表層部に存在し──よって飯米の表層部が八%ほど削り取られる(一般の食用白米は精米歩合92%程度)事は恐らく関係無かろうが──「新米の香り」と言われるものの米の相違による香り成分の差は見られないので、新米の旨さは粘りに在るようである(尚、米の食味の低下は温度よりも酸素の存在、詰まり酸化作用に因る事が実験により立証された)。余談だが、現在では古米より新米が好まれ値も高いが、曾ては古米の方が高かった。確かに古米は味が落ちるが炊きえするというので、量重視の市場では評価されたのである

 こうしてカレーライスやピラフ、又はハヤシライスといった外来料理においては誰一人として外米と気付かない程に通用するインディカ米は、米単体の日本的食事の前に味噌糞に遣っ付けられてしまいました。しかし酒造米として見た時は果たしてどうなのでしょうか? ──実は酒造米の補充と製造原価の引き下げの観点から、共に粘りが少ないという共通点もある為か、外米を酒米として使用する研究が古くから行われて来ました(※5)。結論から申し上げますと、食用米として使用する時の様に、日本種とインド種との吸水性の差は明らかに前者が優位、破精込みの良し悪し、即ち心白発現率も前者に分が有るのは顕著、しかしながら成分分析値は両者殆ど変わらないとの事であります。一方、加州カリフォルニア米は大正十年に初めて試験され、醪の発酵が急進し、また発酵中に異臭が発生したものの、原種が日本から渡った品種の為か(後述します)、製成酒には異臭が無く普通外米より良好と判定されました。戦後の昭和二十八年にも加州米(滋賀県渡舟、大粒心白種)を一部使用し試醸されましたが、加里カリが多いために醪が急進し、また製成酒は火入れ後貯蔵中に糖蜜様の甘い特異臭(外米臭、加州米臭とも呼ばれ、青臭いとの評もある。ワインにおけるアメリカ系品種ヴィティス・ラブルスカに特有のチェリー・コーラ臭「フォクシー・フレーヴァー」を想起させる)が発生して不評を受けました(しかしそれは古米が原因で、空輸した新米を仕込んだところ古酒に為っても外米臭は発生しなかった)。この失敗を受けて、同じく日本米由来の蓬莱米に加え韓国米、そして中共米でも研究が為されました。しかし外米による清酒は貯蔵中に特異臭が付く事が分かり(古米にも同様の臭いが発現するとの報告があった)、様々な外米臭除去研究が行われたものの、その本体・発生機構が不明で、的確な防止法・除去法は未発見であるとの事です。とは言うものの、この情報は古い文献からの物で、最新の研究成果を管理者は入手出来ておりません。しかし現在では日本米より格段に安いカリフォルニア米を使い、日本のメーカーがアメリカでSAKEを造って日本に逆輸入するケースもある上、昭和六十三年の或る清酒関係者の記事に『カリフォルニア純米清酒 SAKE CALIFORNIA』「冷して白ワインのようにお飲み下さい(燗はしないで下さい)アメリカ人志向の酸味のきいた日本酒です・・・冷やしても燗してもマイルドな美味しさはこれぞ“清酒”という心意気です・・・カリフォルニア州ウッドランドに広がる稲穂の海の中から生れた、カリフォルニア米の傑作(鶴米つるまい)そして、シエラ・ネバダ山脈の雪どけ水、この自然の恵をカリフォルニア純米酒(某正宗)に結集しました」とあるように、外米臭の課題は既に解決されているのではないかとも思われます。その甘ったるい異臭は輸入時に使うメチルブロマイドという殺虫、殺菌用の燻蒸剤の成分が原因ともいう話もある事から、少なくとも地元で造る分には問題無いのではないでしょうか。それについての詳細な情報が得られないのは、輸入制限がある為にカリフォルニア米は今のところ日本での酒造りに使われていない事も関係するのかも知れません(寧ろ、法的に国産米でなければ「日本酒」と名乗れない事の方が根源的且つ重大な理由でしょう)。実際、兵庫県灘のメーカー「大関」は1979年にカリフォルニア州北部のサンベニート郡ホリスター市に酒蔵を設立(酒造会社として戦後初のアメリカの現地蔵)し、日本の設備を輸入して自社で精米・洗米・蒸米・糀造りなど全て日本と同じ工程を踏んで、現地の食用米「カルローズ」(※6)という中粒米から酒を造っているとの事で、次は正確な引用ではありませんが、「これは寒暖差の大きい都市サクラメント産なのだが、矢張り日本の酒米と比べると硬くて溶けにくく、其処を補う為、又アメリカ人の嗜好に合わせる為、旨味 を追求して糀を造っている」といい、「現地醸造の酒は日本産のより安価で格下に思われ勝ちだが、日本の蔵とアメリカの蔵で大きな差は感じない」とも述べておられ、実際、食と飲み物の相性に重点を置いた、フランスで行われるフランス人の為のSakeコンクール「Kura Master」では2017年に金賞に選ばれたという事であります。(因みに、カリフォルニアにはシエラ・ネバダ山脈からの豊かな雪解け水〈宮 に似た硬水〉に加え、たっぷりと降り注ぐ陽光と共に昼夜の寒暖差があり、葡萄栽培には無論、稲作にも好適地である〈実際この地はアメリカいちの米どころ〉)

 ※5 江田鎌次郎氏の文献からは、じょうきょうにおいて、「充分其の効を奏せざる外國米の如きを使用する場合には少しく手数なるも、浸米を数回に区分してこしきに入れ其の都度如露じょろにて水を撒布し以て火力を弱らしめて蒸す様にせば大抵良好に蒸きょうし得るものなり」と、明治期より外米による清酒造りが試みられていた

 ※6 アメリカの米は長粒種(約70%)、中粒種(約30%)、小粒種(1%弱)に大別され、アーカンソー州やルイジアナ州等の南部では長粒種のインディカ米が栽培されている。カリフォルニア州では中粒種が95%で、残りは長粒種と小粒種、そして小粒種は「パール米」とも称され、それは曾て滋賀県で栽培されていた酒造好適米「渡船」と言われ、そしてこの渡船とインディカ米との交配でカルローズ米が生まれた(因みに、降水量が日本の凡そ五分の一であるカリフォルニアの稲作での問題点は 水 であり、州政府の管理する灌漑用水に頼るか井戸を掘るかしなければならないという。4月から11月は葡萄栽培に適した乾季に入り、コバルトブルーの晴天が続く事はワイン愛好家の皆様はご存知でしょう)

sakestreet.com
獺祭、アーカンソー州で契約農家と山田錦を栽培。更にニューヨークに酒蔵を建築しており、2022年に完成予定。日本米とアーカンソー州米、そしてNYの水を使ったSAKEを構想し、“DASSAI BLUE”というブランド名で、既にMLB「NYヤンキース」と’22、’23年度の公式スポンサー契約締結。この名は荀子の「青は藍より出でて藍より青し」からの着想で、日本の獺祭を越える目的から付けられた、と桜井社長。尚NYはアメリカで流行の中心と為る特別な地域で、新しい物への反応が早い分、その入れ替わりも早い。今良い物が次に良い物に取って代わられる事が日常茶飯事のこの場所で、獺祭は己が価値を試そうとしているのだろうか

 この様に「日本米第一主義」で話を進めて来ると、「日本の米消費量は他国に抜きん出ている」と、視野の狭い我々日本人は思い勝ちなのですが、日本の米消費量は世界で50位(2017年)という事で、東南アジア諸国には程遠く及ばない現状、生産量も同じ程の差が在るのは必至であります。しかしそれは新種栽培の為の稲作面積は既に確保出来ているという事を意味します。無論酒米より飯米の方が重要であり、又酒造するにしても大戦期の日本の様な、食糧難を憂慮する国にとってはインディカ米を栽培せねばならぬ以上、その酒造に向かぬ米質という大きな問題もあります。ジャポニカ米は日本の土壌と日本人の嗜好に適応して発展して来たのですから、余所の国土ではそう容易く巧く行くとも思えません。であれば地元米との交配研究を通して問題を一つ一つ解決して行くほか私には思い付きません。例えば、これは上記※6にも通じる事ですが、何とカリフォルニア米の祖先は「山田錦」の父方の「短稈渡船」の元である「渡船」で(そしてそれは「雄町」からの選抜系統という説が根強い)、これは時を遡ること二十世紀初頭にカリフォルニアに渡っており、その後其処で改良され、現在のカリフォルニア米の元と為ったのであります。そしてこの時もう片親に為ったのが、大のワイン愛好家でもあった第3代大統領ジェファーソンが欧州から持ち帰ったイタリア米であったとされます。詰まりカリフォルニア米は山田錦の性質を持っており、もしかすると高い酒造適性を有しているかも知れないと考えられるです。昭和五十六(1981)年発行の『日本酒の研究』(別冊暮らしの設計、中央公論社)という雑誌には、「東京のスーパーマーケットやお米屋さんで買う上等の日本米よりおいしいサクラメント近辺産のアメリカの日本米を、日本政府は輸入禁止をしている」という文面も在りました。そしてそのカリフォルニア米を酒米として改良し、精米を工夫して形状の問題にも対応したとも聞いております。現在では、ニュージーランドなど食米の習慣が無い国では酒造米は安価なカリフォルニアやオーストラリア等からの輸入に頼っているようです(勿論高価な日本製 milled rice精米済米 も〈表記例:Milling rate精米歩合 60%〉。ニュージーランドの酒蔵「全黒ぜんくろ」では乾燥糀やきょうかい酵母も輸入しているとの事。当蔵では日本に似た軟水である氷河の溶け水を使い、ガレージ・ワインを造る「ガラジスト」を思わせる十分とは言えない施設環境にて、コンテストで受賞するほど優れた酒を造っておられる→https://jp.sake-times.com/knowledge/international/zenkurohttps://www.youtube.com/watch?v=cP53y_uuozs〈8:48〉)。

 しかし此処で日本人は呉々も天狗に為ってはいけません。抑々、戦前の日本も米を自給出来ずに十七%をむら植民地米に依存していました。戦後に為って植民地米は喪失、その代わり中国やカリフォルニアから「準内地米」と言われたジャポニカ系の米が、量的には限られていたものの輸入されていたのです(その不足分は主に小麦によって補われた)。確かに日本人は米食民族と言われ、それは弥生時代に稲作が大陸から伝来して以来米を主食とし、酒・酢・味噌・醤油・菓子等の原料に使用して来たからなのですが、実際は米はどの時代にも絶えず不足していて、人々が米飯をどうにか常食出来るように為ったのは江戸時代(農民は米を作っても年貢に多くを取り上げられて満足に食べる事が出来ず、職人は一日中働いても妻子に飯を食わせるのがやっとだった)、近代日本が成立する頃でも米は誰でもふんだんに食べられる物ではありませんでした。米食が大きく前進したのは明治中期(1880年代)から第一次大戦後(大正九〈1920〉年頃)で、都市や農村では米消費の増加が爆発的に進みました。この米消費量の拡大は歴史的に持った米食への憧れによるものであり、これは戦後、特に高度成長期の生活水準の上昇が食の多様性を促し、米の消費量を減らしたのとは対照的であります。そして米不足が完全に解消して、雑穀や豆、芋類を混ぜた糧飯かてめしから、冠婚葬祭など特別な時にのみ食べられた白米百%の飯を誰もが腹一杯喰えるように為ったのは、第二次大戦後の事でありました。(※7)(平出ひらいで鏗二朗こうじろう『東京風俗志』〈1901、明治三十四年〉によると「麦飯喰うくれえなら死んだ方がましだ」とうそぶく江戸っ子もいたようである)

 ※7 「日本では国土の産出する米の三分の一以上が造酒に用いられると断言できる。そのことが民衆の日常の食糧として十分な米がない理由となっている。もし酒、酢、味噌その他米を消費するいろいろな物を米から造らないならば、十分であろうに」──イエズス会宣教師ロドリゲス『日本教会史』(十七世紀中頃)。「日本は、これまで出会った国民の中で、最良で、親切かつ名誉を尊ぶ。日本人は食を節するが、飲酒のこととなると、それほどでもない」──フランシスコ・ザビエル

 加えて、日本米は昔から高品質だった訳でもありません。明治末頃迄、「魚沼産コシヒカリ」や「秋田こまち」といった現在ブランド米産地として名高い日本海側地域産米は粗悪な物として知られていました。それは、日本海側は秋の収穫頃から天候に恵まれず、断続的な雨や雪による乾燥不良からの変質や腐敗、また籾など異物の混入および俵装不良による脱漏だつろう等の問題を抱え、中々改良が進まなかった為でした。産地において米穀検査による品質管理、規格化を徹底し、有利な商品化を図る試みが「産米改良」であり、明治半ば以降に各地で始まりました。それは詰まり米俵の中の米を良く乾燥させ斉一にし、異物を排除、俵装を二重にして強固にし、容量を四斗に統一、そして検査によって一、二、三等といった等級に付す作業でありました。米不足の時代に、拡大する消費地の需要を満たすには商品として大量かつ円滑に取引きする事が必要であり、その為には商品として規格化する必要があった訳であります。現在の様な銘柄ブランドが確立する迄の産米改良の道程みちのりは実に険しいものであったのです。

農業の基本は矢張り適地栽培。これからは地元米、即ちその土地や風土に見合った米の使用がより重要視されて行くであろう。それは テロワール の直接的な表現を実現するのみならず、自社栽培であれば農協を通して取り引きする必要が無くなる。農協を通すと米の供給量を確保する為に「特等米」であっても一等から三等を混ぜて「一等米」にしてしまうので、米の持つ品種特性も品質も無く為ってしまうのである。産地・品種・産年の記載が当然と為り、追跡可能性トレーサビリティが重視され、農家が作りたい米ではなく蔵が求める米を作る契約栽培、若しくはいっそ初めから独自で管理する自社栽培が増えて来た今、「安全・安心」は無論、より高い水準の品質管理が求められて来る。その様な今こそ更に先を進め、等級についての表記が物を言う筈である(※1)。其処には「消費者の啓蒙」という課題も在ろうが、今回はそれについては然程の事でもなかろう。何故かなら、義務教育を受けて来た者なら「二等」「三等」よりも「一等」の方が、そしてそれよりも「特等」の方が上位である事が分からない筈は無いのだから。──日本酒離れが起こった時分には酒米がだぶついた事もあったが、今は輸出も増え酒米が不足していると同時に減反政策も廃止に為り、より良い酒米を作ろうとする動きが出て来ている。良質な酒米は取り合いに為り入手し難い為、下等米を買う位なら地元農家と契約栽培したり、蔵で栽培した方が良いと考えられつつある。更にその「地元米使用」がセールスポイントにも為り、個性にも繋がるのである
 〈追記〉農林水産省「平成29年産米の農産物検査結果(確定値)」によると、醸造用玄米の等級比率は凡そ、特上1.1%、特等20.5%、一等58.0%、二等11.6%、三等6.0%、規格外2.8%であり、また令和3年(速報値)は、一等86.5%、二等10.2%、三等3.3%で、何れにせよ等級表記が無くても一等の割合が最も多い事が分かった。詰まりラベル表示が無くとも原料米の質は予想以上に高いという事である
 ※1 しかしそれを実践している商品に二度しかお目に掛かった事が無いのは、筆者の調査或いは注意不足もあろうが、一般の酒蔵では等級まで管理が出来ないからであろう(国から特別検査場の許可を受けた、自社栽培米を扱う酒蔵のみが自社精米所で等級検査を受ける事が出来るようである。尚その商品とは「越乃雪椿 純米大吟醸 特A地区産特等米・・・山田錦」と「かんとうのはな 大吟醸 滋賀県産一等・・山田錦」)。一方、一般米においては米そのものの「美味しさ」が問題となる為、検査内容に「味」についての項目が無い以上、上記の格付けは(食感には関係するであろうが)食味とは殆ど無関係と言えるからで(※2)、更に着色米や異物等は色選別機等を使い精米過程で取り除き、粒の大きさを揃える事が出来る為、玄米を精米した後は検査の格付けに意味がなくなるからであろう(よって精米時に見た目・・・の品質を上げる事が出来る事から米業界では「二等米」「三等米」に人気が集まっていたらしい。無論、より下級である「二等/三等」の表記はされなかっただろうが。因みに、水稲うるち玄米においても、同上の検査結果を見ると、平成29年では一等82.3%、二等14.2%、三等1.6%、規格外1.9%と矢張り一等が他を圧倒している)
 ※2 詰まり等級と美味しさは必ずしもイコールではない。言う迄も無い事だが、ワイン用葡萄と同じ様に酒造好適米の価値を決めるのは「食味」ではない為、酒米においては等級検査に意義がある(ワイン醸造では、僅かな不良葡萄でも出来上がるワインの味に悪影響を与える事から徹底した選別が為される。それを思えば清酒醸造においても同じ事が言えよう。尚、清酒では良い米を使う程ピュアさが際立つ)。因みに食味を決めるのはその年の気象条件や栽培法、また乾燥と調製に加え、収穫後の貯蔵、精米、炊飯によっても変わって来るが、矢張り基本と為るのは品種と産地である

 この様に見て来ると、徹底された規格管理下にある日本米が、国際的に見て極めて高値なのも頷ける事でありましょう。勿論別の理由としては、零細規模による生産性の低さにあります。一方、国内だけで見ると「米は決して高くない」という声も多く、消費者がそう思うのは彼等が食管制度に慣れていて、国際価格を全く知らないからでありましょう。もし店頭に5kg1000円のカリフォルニア米が5kg2500円の国産米の横に並べば、果たして彼等はどう思うでしょうか?(※8) 所得水準の上昇と食の多様化による米消費量の減少、詰まり家計に占める米代の比重が低下した事によって生じる「米は高いと思わない」という金銭感覚に乗じて、実は米価が容易に引き上げられて来たのであります。それでも尚、可成りの価格差があっても屹度きっと日本人は日本米を選ぶのでしょう。日本人は自分と米とを切り離して考える事は出来ないのです(※9)。例えば日本の観光シーズンは五月と十月、即ち田植え前と稲刈り後。そして稲が成長して世話が楽に為る時期がお盆。日本では在らゆる行事や活動が稲作暦に従って為されて来たのであります。又、我々にとって米は安ければ好いという商品ではなく、純白な米粒の背景には青々とした水田が広がっているのです。田んぼで生まれ田んぼで育つ赤蜻蛉とんぼが秋の夕焼け空一面に飛び交っているのです。そう、お米の中には自分の祖父母の田舎が存在しているのです。矢張り家族の食事には湯気の立つご飯と味噌汁が似合うもので、パンと牛乳では寂しい個食が目に浮かびます。戦前まで日本人の七割五分は農村で暮らし、地場で採れる旬の魚介類や野菜を使う郷土料理や季節毎の行事食を楽しんでいました。ところが戦後、人々が都会に移住し、食料品の流通が全国規模に為って都会へ運ばれるように為ると、季節とは無関係の通年同じ様な食料品が店に並ぶように為り、そして全国的にもその画一化が広がって行きました。こうして、悲しい哉、その地域の地形や風土を活かした料理は姿を消し、地産地消の習慣も失われてしまったのであります…

水田は米を育てるだけではなく、春には田螺タニシが住み、夏には水黽アメンボ目高メダカ泥鰌ドジョウが泳ぎ、秋には蜻蛉トンボが舞い、土を食べる蚯蚓ミミズ蜘蛛クモを喰うカエルを狙うトキコウノトリが飛んで来る、一つの生態系を維持する場なのである(※1)。加えて、日本の様に大雨が良く降る所では、水田が無かったら局地的に降った雨水は忽ち洪水と為って人々の住処に襲い掛かる。水田が在るからこそ数日の間多量の雨水がダムの様に保持され、そして徐々に海に流れて行くのである(※2)。無論水田は人獣の呼気を浄化し、何より長閑のどかな風景は精神を浄化してくれる。「田んぼは農家個人のものであると同時に地域の共有財産であり、日本国民全体の財産でもある。米作りには、自分の事だけでは済まない、もっと大きなものがあるのです」(管理者改訂)(渡邉吉樹、渡辺酒造店「根地男山」)。──全く以て「実るほど頭の下がる稲穂かな」である
 ※1 化学肥料、消毒液、殺虫剤の乱用によりこの光景は失われてしまったが・・・しかしながら、原始的な自然について言えば、農業自体が第一番目の自然の破壊者なのである。農業は自然に依存して生産を行う以上、自然の生態系を破壊せずには成立し得なかった。そして農業は自然を改造して第二の自然を作り出し、その中に生態系の循環を取り込む事で、あたかも生態系の保護者であるかのように振る舞って来たのである・・・それでも私達は、身嗜みを整えていない人など見たくないように、農林業の管理を失って荒れた自然を見たくない。人類が昔から行って来た自然との交流によって営まれる農林漁業が息づく社会に私達は生きたい。少し都会から離れた、風に稲葉が波打ちさやさやと鳴る音が聞こえる町に、私達は住みたいのだ
 ※2 土に水が入ると還元状態に為り、水が抜けると酸化状態と為る。田園の土は毎年酸化還元を繰り返して新陳代謝を行い、二千年に亘って連作障害を防ぎ、我々に米を与え続けて来た

 ※8 平成七(1995)年の食糧管理法廃止により、政府が全ての米を管理する責任が無くなって全て市場任せと為り(これにより奈良時代の班田制から始まり、中世の荘園制、徳川幕府の石高制と、延々千四百年続いて来た国家による米の生産管理体制に幕が下りた)、それに代わり施行された新食糧法により米の売買が自由に為った事もあるが、何にせよ「一粒たりとも米は輸入しない」と言うのは無理な話で、ミニマムアクセス米の輸入は勿論、消費者に手頃な菓子を作ろうとする意図と共に、効率と採算を重視するメーカーは輸入米粉を選ばざるを得ないのが現状(大きな儲けを得ようとしたら、出所の怪しい物や危険な物を扱うより他無い。氏素性が明らかであるというトレーサビリティの信用・安全というものは高価なものなのである)。なお日本の食糧自給率の激減と共に、米の生産量と一人当たりの消費量も年々減少して行く一方、米の自給率は1960年代半ばから100%を越え、1997年以降はミニマムアクセス最低輸入機会米(MA米)の輸入により95%前後と為っている。これはWTO協定で、殆ど輸入されていない品目について、国内消費量の最低限度迄の輸入機会を提供するよう定めた条項であり、日本では米だけが該当する。これは言い換えると、必要でもなく欲しくもない米を汚染米まで含め、義務数量一杯に政府が購入する米で、短粒米は主食向け等に、長粒米はエスニックレストラン等に、その他のMA米は加工食品や飼料、海外援助に政府が直接販売・供給している(品質は食米と変わらぬ為、前二者においては主食用に転売されないよう破砕し変形加工されて販売される)。──いち消費者として米の為に出来る事、それは矢張り「米を食べる事」であり、それが稲作農家を支え、米自給率を下げない事にも繋がる(有機米も、5kgや10kgの米袋の価格で高いと感じても、ご飯茶碗一杯に換算すれば一般米との価格差は僅少)。小腹が空いたらお菓子でなく御結び🍙を齧りましょう。お腹が出て来たらお肉でなく御鮨🍣を頰張りましょう(寿司は肉食で脂肪過多の外国人にとっては「美容食・健康食」であるのだとか。そして米国人の間には「日本=寿司=酒」という方程式が定着しているようで、家では酒を飲まない人でも寿司屋では酒を注文するのが当然なのだとか。又ドイツ人には「自分達はコメの様な美味しい物が出来たら喜んで食べるのに、ジャガイモしか食べられない」と零している方もいるようです。序でに、近年の日本では流通する米の半分以上が外食や弁当、給食といった業務用炊飯済み飯米として消費されているとの事です)

 ※9 人々がどんな食べ物を選択するかで歴史の流れは変わってしまう。日本では、結果的に見れば米を選んだ人々が、古代国家以来大多数マジョリティを形成して来た。そしてそれ以外の狩猟や漁撈あるいは商工業、更には焼畑耕作を主として来た集団を、徐々に彼等の下へと服従させて来た(まるで酵母が他の菌を大多数を以て占めて行くように)。こうした米を中心とする価値観が弥生時代から現代迄の日本の社会に貫かれており、その意味でまさしく米は日本の歴史を動かして来たと言えるのである(日本の高温多湿に適するのは矢張り稲作であり、小麦ではとても自給自足は出来なかったろう)。そしてその事が顕著に表れたのが江戸時代の石高制である。其処においては農民個人にも村々にも、又それを所有する大名や旗本にも米の丈量単位「こく」を基準とした石高が付され、「持高何石の百姓 / 何百石の村 / 何万石の大名」という形で表現された(「加賀百万石」とは加賀藩の実質生産高ではなく、畑地や屋敷、山林も含めて米に換算された見積り生産高の事)。そしてこれに一定の比率で、年貢としての米が賦課された。詰まり全ての経済的価値基準は米に求められ、米は最も重要な食糧かつ最も信頼度の高い通貨として近世社会を動かしたのである。因みに、十一月二十三日には飛鳥時代から「新嘗祭にいなめさい」という、その年に収穫された新穀や新酒を、天照大御神を初め、八百万やおよろずの神々に供え、農作物の恵みに感謝し、翌年の五穀豊穣を祈る祝日がある。これは同時に農作業にとっての節目の日でもあった。しかし戦後GHQによる日本弱体化政策により、この日は「勤労感謝の日」なる本来の神聖な意図を軽んずる名目に変えられてしまい、もはや殆どの日本人がその日の真の姿を知らない。抑々「米」という字は米作りに「八十八」の手間を掛ける事に由来する。それでも尚、天候不良や台風で全滅する事も珍しくなかった事から、古来より農民達は米が無事に生育する事を祈り神事を行って来たのである。日本人が持つ自然と共存する心と勤勉に労働する体は、米作りから生まれたのである

本日の箴言

 安いコメが外国でつくられているから、それを輸入したらいいのではないかという、いわゆる経済効率だけでの議論がありますが、それに対して、稲作は単に食糧ということだけではなくて、日本の伝統、文化、自然の保護、そういう面でも大きな意味があると思います。

村上和雄(筑波大学応用生物化学系教授)

平日の一本

蓬莱 ひだほまれ 酒米づくり研究会、普通酒(酒米規格外米〈上表から分かるように、酒造好適米は一般米より規定が細かく、また特定名称酒は三等以上の米に限られている〉、純米造り:飛騨ほまれ100%、精米歩合60%)(アルコール度15%、9号酵母、日本酒度+5、酸度1.8、アミノ酸度1.5)(渡辺酒造店、岐阜県飛騨市)

 輝きの有るクリアーなシルバー/クリスタル(濾過)。豊かな 吟醸 香(白桃、ライチ、和梨)、水飴の香りが親しみ易さを、梅の花やラベンダーが華やかさを、大福餅が福与ふくよかさを、ヨモギやミント、石灰が爽やかさを生み、其処に丁子が良いアクセントを添える

 しなやかなアタック。澄みやかだが濃くの有る甘味がフワリと口中に広がり、肌理細かい酸がドライさを引き出す。若干の辛み(刺激)が優しめのアルコール感と共にインパクトを加える。余韻は短く苦味を残して行く

 完全にフルーツ寄りの純米大吟醸クラス。適度に 押し味 も備え、規格外米でも良質酒が醸せる事を証明する酒。しかし唯一残念な事は、燗下がりし、果実香が飛び腰抜けの味に為る事である

日本の「勿体無い精神」に彌栄いやさか
岐阜県:南の美濃地方は隣の愛知県と共通する濃醇甘口で、山国ならではの濃醇な保存食に寄り添う。北の飛騨地方は濃厚な辛口。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/gifu.html