上槽から出荷まで一度も火入れ(※1)をしない酒を「生酒(なまざけ、なましゅ)」、酒業界では「生生なまなま」「本生ほんなま」と呼ぶ事もある。生酒はミクロフィルターで 濾過 するので酵素は残るが酵母は残らない物が多い。一方で、中には酵母を残してその活動により発泡している物もあるが(活性生酒は酵母が生きる正真正銘の生)、共通する特徴は、搾りたての華やかさ(白桃やマスカット、メロン、ライチ等の果実香、スイカズラや菩提樹等の花の香り)やより湿った感じ。尚、火入れを貯蔵前に一度行うのが「生詰め」で生酒より安定した物、火入れを貯蔵後の瓶詰め時に一度行うのが「生貯蔵」で生詰めより安定した物である(これらは基本的に要冷蔵)。そしてその二度とも行うのが一般の日本酒で最も安定し、より乾いた感じが特徴(熱処理済みのため常温でも保蔵可能)

 ※1 元々は夏季の腐敗予防策として、約三百年前の室町時代から行われていた殺菌法(というのが通説で、それは1568年『多聞院日記』での「酒を煮て、樽に入れる」という記述からと思われる。しかし1489年成立とされる『御酒之日記』には「煮様」と称する火入れを実施していたとあり、これは更に百年程遡及させる。因みに中国では更に300年以上前の12世紀『北山酒経』に煮酒の記述。其処には「煮え立つ」とあり、今日の紹興酒と同様85℃前後で加熱していたと思われる)。「火入れ」とは、直接火を掛けるのではなく、多くは螺旋状の「蛇管じゃがん」なる熱交換器を使い、60~65℃の湯煎に30分ほど掛け残存酵素の活動(アミラーゼやプロテアーゼが糖や蛋白質を分解し、風味のバランスを崩す)を止めて、「火落ち」なる乳酸菌汚染(貯蔵中の酒の白濁/酸化/異臭)を引き起こす、乳酸菌の一種である「火落ち菌」を死滅させる工程(温め過ぎるとアルコールが飛び香りの質と量も低滅)で、酒質の安定化が目的(※2)。又、昔ながらの湯の中に瓶を漬ける「瓶燗火入れ」は手作業で効率が悪いが、発酵して二酸化炭素が瓶内に残り、酒が移動せず静置した儘の状態で加熱するので酒質への悪影響が無く、火入れでありながら香気成分が揮発しにくく、生酒の様なフレッシュさ、熟れた果実の様なジューシーさを保ち易いといい、吟醸酒などの高級酒に幅広く使われる。酒蔵では例えば出羽桜がその醸造工程に採用している。蛇足だが、『童蒙酒造記』には、火入れ中の酒に手を入れ、熱いと手を引っ込めるのは50℃程度など、実際に手を入れて温度確認をした事が記されている。更には、50℃以下の薄火は美酒や強い酒質のもの、55~60℃の熱火には弱い酒質のもの、そして手引きの50℃前後は普通の 諸白 という具合に、酒質によって区別して火入れを行っていたという記述は瞠目に値しよう

 ※2 昔は木樽や桶を完全に消毒殺菌出来なかった為、火落ち菌に侵されて白濁し酸っぱく為る被害が多かった(この菌は、清酒中成分の火落ち酸メバロン酸を生育に必要とし、また火入れ即ち加熱殺菌しても生えて来る。詰まり「火落ち」とは恐らく火入れの効果がなくなったという意味であろう)。そこで1879~1972年迄ドイツ人学者コンシェルトが提唱したサリチル酸という防腐剤を混入していた(政府はこれが火落ち菌対策としては万全の効果は期待出来ない事を知りながらも、腐敗を防ぎ安定した税収を得るためこの有機物質の使用を制限付きで推奨していた。のみならず、これが体内で蓄積されると肝臓、腎臓、心臓、そして肺をもむしばむ危険がある事も分かっていたようで、今では考えられない事だが「合成保存料含有」という文字がラベルに記載されていたという。国民の無知に付け入る国家権力の遣り方には相変わらず反吐へどが出る。我々は自己責任で常に学習する姿勢を持たねばならぬ。無論現在は酒造工程において常に酵母優先を保ち他の菌の生育を抑えている為、防腐剤は一切添加されていない。序でに、火落ちは一種の腐敗には違いないが、毒物ではないので全然口にし得られないものでもない。火落ち対策として添加物を使わざるを得なかった酒は、言わば体質が弱い故に薬に頼る人間と同じで、丁度我々が体質の強弱如何いかんにより肺病や結核菌、或いはコロナウィルスに感染し易い者とし難い者とがあるようなものである)。火落ちには二種類あり、酢酸菌が入り米酢に為る場合と(その苦い経験から酢の事を「苦酒からさけ」と呼んでいたらしい)、乳酸菌が入り取り返しがつかなくなる場合で、後者は濁って苦く為る上、酪酸菌が入る確率が高く為ってチーズが腐ったような感じに為り、これに遣られると蔵全体が遣られてしまう。空気中至る所に悪玉乳酸菌が繁殖し、数年の間酒造りを完全に止めなければならなくなる。昔、蔵が潰れたのは大体この火落ちに因る(※3)。また杉樽での熟成は、数年という長期に亘る場合、ほぼ確実に腐ったと思われる。木目の隙間は雑菌がこびり付き、熱湯を入れようが太陽に晒そうが、中に入り込んだ乳酸菌は絶対に死なず、環境が整えば一斉に出て来て瞬く間に酒を腐らせるからである。一方、ワインの場合は硫黄燻蒸するので、ほぼ完全に殺菌を終えてからワインを入れる事は既に触れた(⇒ワインの亜硫酸(二酸化硫黄SO2の俗称)

 ※3 曾て「腐造を三年続けると身上を潰す」と言われた。多額の資産を注ぎ込んで仕込んだ全てが跡形も無く流れ去る時の蔵の風景は、目も当てられぬほど悲惨だという。腐造を出した蔵元は杜氏から蔵人全員取り替えたというが、その心境は想像するに難くない。酒造りは常に大損と隣り合わせの賭けであった事を思うと、その様な危険の中で人生を懸け酒造りを継承して来た「酒男」達には敬意の念を表するばかりである。因みに火落ちするのは清酒に限らないのだが、火落ち菌の繁殖には糀黴が生成するコウジ酸が必要な為、糀を使わない酒では火落ちが問題に為らないという訳である

 瓶燗火入れの一例(nanbubijin.co.jp)
火入れは如何に優しく出来るか、さもないと火冷ひざと言われる独特な青っぽい匂いが出るという

 酒業界では、生酒を長期保存すると生老なまひね臭(※4)が出るとされ敬遠される。が、先入観の無い消費者はこれを好ましく感じる事も多いという。獺祭の旭酒造蔵元、桜井博志氏は次の様に言う──「ミクロのフィルターを通していても生だと酒の中に酵素成分が残り、それが変化して酒質が変わってしまうのが怖い。我々が確かめて蔵を出した時とお客さんが飲む時で違ってしまう事が、私は許せない。正直、一般市場に出ている生酒の中には途中で酒質が変わり、生ひねといって微妙ですが変化しているものもあります」

 ※4 糀由来の香りが崩れ蒸れたような臭いで、化学的にはイソバレルアルデヒドに起因し、軽く炙ったカシューナッツの様な 匂い とされる。老ね臭(→メイラード反応)とは異なり炭素 濾過 しても消えない

 蛇足だが、本来生酒は春から夏の間に新酒の新鮮な風味を楽しむ季節物で、秋からは火入れして落ち着いた酒を飲むものであった。しかし「生ビール」に刺激され通年販売する造り手が増えた。又、これは火入れや熟成という工程を経ないで出荷出来る為に手間が省け、直ぐに現金化されるので造り手に取っては都合の良い酒であるという。搾り立ての酒も含め、熟成期間を経ていない酒は矢張り未完成の半製品で、味の分かる飲み手の舌は満足しない。収穫後たった数ヶ月程で市場に出され(11月の第三木曜日に解禁)基本的に年内に消費される、慌ただしいスケジュールをこなすボージョレ・ヌーヴォーの、あのバブルガムのフレーヴァーと荒々しく刺激的な酸味の、未熟な青二才を思わせる風味と通じるものがある(但し、例えば PRIMEURプリムール という名で商品化しているルイ・ジャドなど、数年の熟成にも耐えられるほど確りとした酒質の物もある〈それでも数年だが〉。序でに新酒はボージョレ及びボージョレ・ヴィラージュレベルでのみ造られ、10在るボージョレ・クリュレベルは造れない)。新酒ヌーヴォーの健全な市場は日本のみで(参考 新酒番船)、パリでは殆ど見られないと言い、其処では飽くまで季節を感じる風物詩として出来立てのワインをぐいぐい飲むという様子であるらしい。何にせよ、来日する方々には、輸送と管理に冷蔵が必要な為に海外輸出が極めて困難な生酒や活性清酒(澱がらみの発泡生酒⇒瓶内二次発酵)を是非一度試して頂き、ご帰国願いたいものです