濾過

 濾過は、活性炭、珪藻土けいそうど、セルロース、メンブランフィルター、中空糸膜などで行われている。無濾過は酒税法では定義が無く、「一切濾過行為をしない」「不要な固形物を取り除く為の粗い目のフィルター以外には濾過をしない」「活性炭濾過(※1)をしない」など、造り手によって異なる。濾過した酒はスムースな飲み口とすっきりした味わいが特徴だが(濾過は淡麗にする効果があるが、過度に行うと香味成分も奪い味の無い水の様に為る)、無濾過酒には搾ったままの爽やかさや 旨味 の濃さがある

 ※1 炭濾過、炭素濾過とも言い、粉末状の真っ黒な活性炭を酒タンクに入れ、余分な雑味や色素を吸着させ(※2)沈殿したところで上澄みを取り除き、その後下部に残ったインクの様な液体を何度も特別なフィルターを取り付けた濾過器に通す作業。炭パウダーが全て取り除かれる頃には雑味も色みも消えて無くなっている(クリスタル/シルバー/グリーン/無色の外観はこの工程を経た物で、淡麗辛口が特徴の新潟県の酒に多いようである)。この効果を簡潔に纏めると「雑味除去、脱色と着色防止、火落ち防止〈→〉、脱臭」である(又、悪酔いの原因とも為るフーゼル油を取り去る効果も有る)。なお大 吟醸 は香味を活かすため余り行われず、若干色が付いている物も多い(同じ理由から火入れをせず 生 で貯蔵し 原酒 で出荷する。一方で吟醸酒は火入れされる事が多く、ジューシーさが減じより乾いた感じに為る)。余談だが、濁酒に灰を加えて清酒を造る起源は「慶長年間の大阪浪花なにわ鴻池こうのいけ酒屋の番頭が主人を恨み逐電する折、火鉢の灰をもろみ桶に投げ込んで行ったが、かえって澄み輝いて極めて美味な酒に為った」という、鴻池家の家伝にあるとも言われる。(しかし色々と書物を漁って見ると、この「これすなわち本朝清酒のはじまりなり」という言い伝えは、実は粕を分離した薄濁りの中汲みや澄み酒は中世に普通であり、『延喜式えんぎしき(十世紀の朝廷制度)』にさえ「清酒」の文字が在る程なので、この説は余り問題に為らないとされる。灰を酒に加えるのも延喜式の新嘗にいなめ節会酒せちえしゅであった黒貴くろき〈※3〉に見える)

 ※2 炭の吸着作用を利用して水の浄化から空気清浄、化粧品や医薬品などにも応用されているのはご存知の通り。因みに清酒におけるおりの成分は、主に澱粉でんぷん、繊維、蛋白質、そして酵母やバクテリア類であるから、澱はバクテリアにとって好栄養分であるから好餌食こうえじきと為って火落ちや酸敗等で酒質を害したり、MLF が行われて品質を損なう程の辛口に変化させる為、殊に技術が未開発だった頃は澱引き作業が重要視された

 ※3 臭木くさき(久佐木)の灰を混ぜて酸を中和した物の様に書かれている。これは灰汁あくのアルカリ性による酸分中和で、曾て醸造最適期はなるべく暑い時期、即ち夏季であった(糀による糖化と酵母による酒精化において温度が必要な為→並行複式発酵)。しかし酵母のみならず腐敗菌や酢酸菌も同時に盛んに活動する為、酒は早く出来たがそれは雑味が多く「がらの悪い」、何より兎角酸っぱい酒であったので、その酸味を中和する必要があったのである。この澄まし灰の方法には椿や樫の硬木、或いは牡蠣かき殻の灰が使われ、江戸には直し灰(※4)問屋が数件あったという。因みにこの酒を夏酒と言い、酒焚きを終えた酒であった(火入れ〈→生〉は元々夏期の腐敗予防策)が、この火煎酒よりも 諸白もろはく が尊重された事から、永禄11年より約30年経た文禄年間に冬酒を主とした諸白造り(参考 菩提酛)が本格化、16世紀後半には南都(奈良)諸白が見出されるようになる。序でに白貴しろきは精白米で醸した酒を布ししたそのままの酒の事で、これに黒い灰を入れると黒貴(此処では割愛するが、延喜式には他にも十種類以上の酒が記載されている)。ハレ(祭り)の日に人々は黒貴、白貴を飲み、陶酔の中で祖先神の霊と出会った。その日は労働ではなく芸能の日であり「怠け者の節句働き」として労働は忌まれたという。勤労し過ぎる現代日本人が失った古き良き精神であります(尚、時代や文献によって様々な混乱があるようだが、現在伊勢神宮にて造られている白酒しろきは、醪を磨り潰したどろりとした酒であるという。思うにこれは、味醂や焼酎などに、蒸したもち米や米糀を仕込んでひと月ほど熟成させた醪を軽く磨り潰して造った「白酒しろざけ」、即ち三月の桃酒の様な物であろうか。加えて「キ」とは酒の古語であり、現在では美称を付した「御酒みき/神酒みき」が最も頻繁に見られる)

 ※4 俗に「直し薬」とも呼ばれ、菌に侵され変質、腐敗して酸が多く為った酒にアルカリ性の灰などを入れて中和し、味を直す事を「酒直し」と言った。清酒を夏の間貯蔵する「夏囲い」は、冷蔵庫も瓶詰貯蔵法もない江戸時代では非常に難しく、この直しは広く行われていた

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 イギリス人杜氏フィリップ・ハーパー氏曰く、「ビールは喉越し。ウイスキーは熟成の味。ワインは酸味、渋み と熟成。じゃあ日本酒の売りは何か。旨味です。そこをもっとアピールした方が良いと思うけど、どうも逆に行っているような気がします。例えば淡麗辛口というのがそうです。でも私達の造っている酒は違う。山廃酛で、しかも一年以上熟成させているので旨味が出易い。しかもなるべく濾過をかけないから、その旨味が逃げない。元々濾過は悪い物を抜く技術です。丁寧に造って悪い物が無い酒に濾過は必要はないと思います。」即ち炭素は飽くまで矯正剤で、雑味や異臭といった欠陥を除去して手直しするのに有効であり、これを使用したからといって酒質が向上する訳はなく、却って良く造られた酒には害を及ぼすという事である。又、ここ数十年の酒質が濃醇甘口から淡麗辛口へと移行したのは、労働形態が変わった上に飽食の時代に為り、飲み飽きしない淡麗なタイプが求められたからであろうと思われる(※5)。しかし嗜好とは巡るもので、これ迄は欠点とされて来た雑味や、また米の味わいを残した純米タイプ、そして香味の強い無 濾過 生 原酒 も近年話題に上る事が多い。この、平成十年頃から聞かれるようになった、淡麗辛口ブームの反動とも言える無濾過生原酒は、酵母や酵素、乳酸菌などが生きている為、低温管理且つ一週間以内に消費すべきで酒としては半製品という考え方もあるようだが、特に良く造られた純米タイプは個性が強く、三日目辺りで最高の味乗りに為るとされる(しかし小生にはこれはどうも極端に走っているようにしか思われず、炭酸水で割って爽快度を増さないと味が強くて重くて諄くて一杯も飲み切れません〈昔の造り手達は定めし「下品」と言う筈である。又、イソバレルアルデヒド由来の目に染みる刺激臭も疑問視されよう〉。序でにもう一つ。この無濾過生原酒の風潮は、蔵元の濾過と火入れに関する知識不足から酒が悪化し、そう為るくらいなら何も手を加えずに出荷するよう酒販店が要求した結果、そのまま市場に出回り、そしてそれがあたかも新しいたぐいの酒の様に勘違いしたマスコミの報道によると批評する専門家もいる。屹度きっとこの、酌を重ねる事が出来ない程の烈しい味の酒は、贔屓ひいきの引き倒しとしてやがて市場から見なくなるのではなかろうか)

 ※5 砂糖が入手困難だった時代は酒の甘さは特別な美味であった為、それを褒めて「甘露」と言った。しかし日常生活に甘い物が溢れると、酒は寧ろ淡麗辛口が好まれよう