第四十一瓶 ブレンドのたえ

First Witch Round about the cauldron go; In the pison’d entrails throw. Toad, that under cold stone Days and nights has thirty-one Swelter’d venom sleeping got, Boil thou first i’ the charmed pot.「釜のまわりをぐるぐるまわり、腐ったはらわたほうりこめ。それ、ひきがえる、冷たい石に押しつぶされて、三十一日三十一夜、眠りつづけて、毒の汗ながす、お前が最初に魔法の釜に、煮えろ、煮えろ!」

Second Witch Fillet of a fenny snake, In the cauldron boil and bake; Eye of newt and toe of frog, Wool of bat and tongue of dog, Adder’s fork and blind-worm’s sting, Lizard’s leg and owlet’s wing, For a charm of powerful trouble, Like a hell-broth boil and bubble.「おつぎは沼蛇ぬまへびのぶつ切りだ、煮えろ、焼けろ。いもりの眼玉に蛙の指さき、蝙蝠こうもりの羽に犬のべろ、まむしの舌に盲蛇のきば、とかげの脚にふくろうの翼、このまじないで、おそろしいわざわいがき起こる、さあ、地獄の雑炊、ぶつぶつ煮えろ、ぐらぐら煮えろ。」

Third Witch Scale of dragon, tooth of wolf, Witches’ mummy, maw and gulf Of the ravin’d salt-sea shark, Root of hemlock digg’d i’ the dark, Liver of blaspheming Jew, Gall of goat, and slips of yew Silver’d in the moon’s eclipse, Nose of Turk and Tartar’s lips, Finger of birth-strangled babe Ditch-deliver’d by a drab, Make the gruel thick and slab: Add thereto a tiger’s chaudron, For the ingredients of our cauldron.「竜のうろこにおおかみの牙、魔女のミイラに人食いざめ咽喉のどと胃袋、闇夜やみよに掘った毒にんじんの根、イエスを罵ったユダヤ人の肝臓、山羊やぎの肝、月蝕げっしょくの夜に手折たおったいちいの子枝、トルコ人の鼻と韃靼だったん人のくちびる売女ばいたどぶに生み落して、すぐに首を締めた赤ん坊の指、さあ、とろりとろりと煮つめようよ、この雑炊を。それ、も一つおまけに、虎のはらわた、釜の中味に毒の味きかそう。」

 ──とは『マクベス』(福田恒存訳)からの抜粋ですが、これら三人の魔女が毒々しい原料と禍々しい呪文を以て精製した気味悪いちゃんこ鍋が、正にブレンドの奥義と言うものであります。

Macbeth witches by Karl Alexander Wilke (1879 – 1954)

 個人的なお話ですが──前回清酒の健康効果について述べて置いてこう言うのも何ですが──私は合法的にアルコールが飲めるように為ってから、清酒を一合でも飲むと翌日肌が弛みほうれい線が目立つように為る事が多く、どうやら体質的に合っていない事が判明しております。そしてそれが、私が清酒の美味しさを知りながらもワインに没頭した理由の一つでもありました。しかしワインを知った後、日本人である以上「日本酒と正面から向き合わねばならぬ」という事に為って、J.S.A.SAKE DIPLOMA呼称資格試験が切っ掛けと為り、何故か科学的裏付けに反する己が美容への悪影響も顧みず、コロナ対策のマスクを隠れ蓑に、それからは腹を括り死んだ気持ちに為って二年ほど連日のように飲み続けたのであります(※1)。そしてその末に見えたもの、それがブレンドでありました(それと実年齢より十歳老けた鏡の中の自分と、脂肪肝の兆候です(;^ω^)…「こりゃホントにいかん」という事で、直ちにひと月断酒して回復しました┐(´д`)┌ヤレヤレ)。詰まり、「偶に出会する自分好みの酒を如何に懐に響かぬように入手出来るか」という難問ゴルディアスの結び目をアレキサンダー大王の遣り方で一刀両断に解決したもの、それがブレンドであったのです。したがいましてこの稿こそは、数え切れぬ程の酒瓶を飲み干し、国の財源に一個人としては多くはなくとも少なからず貢献した末に、自分自身の好みの味に辿り着いた方々だけに通じる内容であります。此処は、日本という国に敬意も金も払いたくないと思う方々には、永遠に辿り着けない境地なのであります。

 ※1 余談だが、昔は、酒の所為で一代で身上しんしょうを潰し、山も沢山持つ分限者一家を零落させるようなタイプの酒呑みが日本中に居たという。娯楽の無い時代では酒が最大の楽しみであったし、酒量の多さは男を上げる手段でもあった。飲み始めたら最後、何処まで行くか分からぬという際どさが酒呑みにはある。これは生きる事の際どさと繋がっているように思われる

 扨、私が今迄に七面倒なだけで何の収益にも為らない書き物をしたためて来たのは、全く自分好みの作品を他に誰も書いてくれなかったからであります。そして言う迄も無く、そんな物は誰も、自分以外に書ける者は存在しません。それと同様に、全く自分好みの味の酒は矢張り自分で作るしかないのです。が、この国の法律において一般人に酒造は許されておりません(※2)。しかしブレンドの技術を身に付けさえすれば、その究極の目的が、愛飲家の彼岸が達成されるのであります!

 ※2 厳密に言えばアルコール度1%迄なら自家醸造は許されているが、酒飲みにとってその程度の度数に果たして何の意味があろうか。大袈裟に言えば日本始まって以来の主要な国民酒たる濁酒どぶろくは、明治三十二(1899)年から自家製造が全面禁止と為り、この時を以て自家酒造は全て犯罪と為った。しかしこれはどう考えても政府の横暴である。国連常任理事国においても自家醸造は合法である(中国は不明→参考:http://en.wikipedia.org/wiki/Homebrewing)事も鑑みれば、欧州のワインやビールの季節酒同様、日本の冬の季節酒として国民の手に返すべきではないか。濁酒の復活は、消費者大衆に忘れ去られた悦びを取り戻すと共に、我が国の酒の消費の上に季節的名物を作り出すという点で、或いはウィーンのホイリゲ、ラインのアウスシャンク、フランスのカルヴァドスの様な観光上の世界的名物に為らぬとも限るまい。濁酒の様な旨い酒が在りながら、単なる税金取り立て上の便宜から国民の楽しみを奪うような事は近年の役所の精神ではなかろう。恐らくはそういった思いを抱き、千葉県に自家用酒造即ち濁酒造りの認可を求めて国を相手に裁判闘争した勇者が居る。一審は「酒税法違反」として有罪になった。これは「個人の幸福権追求」と国家収入の基本を揺るがす「税金問題」の争いであり、国は酒害よりも国家への税金に重点を置いているという事を意味した。──因みに濁酒とは、酒を搾って清酒にする工程を省いた醪そのもので、糀や米粒の入った儘の酒ゆえ、その舌触りや歯触りが清酒とは全く異なる、甘酒の様でもあるが、酒と言うよりは一種の食物である。また甘味・酸味・アルコールの辛味も利いた、清酒には見られない美味しさが有る(固体の粒や泡の様な気体の粒でも、表面には液中の微粒成分コロイドが吸着されて集まり、その部分が特に濃くなっている。詰まりビールも液より泡の方が濃い事と為るが、それは科学的分析結果である〈固形分そのものの成分や栄養価にも拠るかも知れないが、実は一々の固形粒子が、その周りに酒の風味成分を吸着する事に拠るようである〉)。抑々清酒と濁酒は同じ酒として比較出来る物ではなく、濁酒は濁酒同士を比べ良否を見るべきである。或る山間の耕地の農家達は、「独特の味は酸によって味の深さを造り、相手をする料理の品によって清酒よりもどぶろくの方が良く合う」「普通の酒より美味なー、どぶろくから、この酸っぱさを無くしたら値打ちが無くなるで」と言って濁酒を愛飲する。坂口謹一郎は「このような甘酸っぱい酒は少ない」とどぶろくも高く評価し、酒税法で禁じられているのを惜しんだ。そこで、清酒は醪を 濾過 せねばならぬが、その為の濾布の目の大きさは規定されていない事に着目し、伏見の或る蔵元に教え、濁るような濾材を使わせて「濁り酒」を造らせた。原酒 の儘ゆえアルコール度が20度位の物もあり後で大酔いする恐れがあったが、駅の売店に行列が出来るほど大人気に為り、その後各地に同様の酒が多く出現した

 では毎度の如く歴史的背景から考察を進めて参りましょう。

 曾ては銘柄の通った大手の蔵でも自家の醸造能力には限界がある為、地方の知名度の低い中小蔵の完成した酒を大桶のまま買い集め、これを自社工場に運んで大タンクの中でブレンドした物を自家マークを付けて市場に送り出していました(→参照 生一本)。苦心して造り上げた愛する酒を日の目も見せずに原料として使われる事は蔵元にとっては不本意であったものの、実はこの「桶売り・桶買い」制度に伴う、多くの品質の異なった原酒のブレンド作業が新しい品質の酒を生み出す契機と為ったのであり、そして又これは酒造技術史上一つの特筆すべき操作でもあったのです。詰まり「清酒はブレンドすると劣化するよりも向上する事の方が多い」、「別々に唎いて似たような酒でも、ブレンドすると元の 原酒 に無かった新しい風味が出てくる事が多い」という声が多数を占めたのであります。恐らくは「感覚に乗らない微妙な風味の相乗効果」というようなものが、此処には在ると推測されます。(造石税制度が実施されていた戦前では、課税は製造者の段階で終わり、また四斗樽で取り引きされていた為にそれ以降はブレンド自由、割り水自由で、清酒の流通や価格の決定については専門的な商品知識を持った卸しや大手小売りの段階で行われていたようである)

 一方で西洋に目を向けますと、周知の通りスコッチの殆どの有名メーカーは自家工場を持たず、その系列に属する原料酒工場の酒を買い集め、貯蔵し、ブレンドして出しております。フランスを見ましても、コニャックではこれと似たような遣り方で、詰まり買い集める他に自分の所でも多少は造っている事が普通で、ワインにおいてもネゴシアンなる問屋兼半メーカーの仕事も同様な部分が多い。彼等はワイナリーからワインを で購入し、樽貯蔵させ、頃合いを見張らって瓶詰めして自家ラベルを張って売り出します。元詰めではないけれども、元の通りの酒を元のワイナリーの範囲でブレンドして貯蔵後に出すという遣り方です。定めし各メーカーには、自家製品に対する品質や風味上における方針、或いは見識というものが有って、それに合わせるような アサンブラージュ 技術が、古来の伝統に基づいて確立しているのでありましょう。それはシャンパーニュのクリュッグを見れば自明の理であります。

 中世においてシャンパーニュ地方の大きな修道院では、葡萄栽培農家が税の支払いの為に持ち込んだ葡萄からワインが醸造されました。そして当然それらの葡萄は異なる区画の異なる品種であった為、それらを混合してワインを醸造する必要がありました。これがアサンブラージュの原型であります。そしてドン・ペリニョン修道士が様々な産地の葡萄を混合する事が製品の品質に調和を齎す事、特に欠点の有る葡萄が含まれていた場合にそれをカバー出来る事を発見し、ワイン品質の安定性向上に繫げたのであります。そしてそれ以降、シャンパーニュ製造者達の間で異なる産地や品種のワインをブレンドするように為り、更に異なる ヴィンテージ(特に良年)のワインがブレンドされるように為りました。そしてこれは、年により得られる葡萄の収穫量や品質の変動が激しい、北方で冷涼なシャンパーニュ地方でのシャンパーニュ造りにおいて、極めて重要な方法と為ったのであり、このアサンブラージュ技術によって品質が常に一定のNVノン・ヴィンテージ製品が確立されるに至ったのであります。

 呼称資格試験受験者の記憶力を疲弊させ脳味噌を干上がらせる程に規定が細かいワイン法ではありますが、実はアサンブラージュに関しては細かい技術的な規定は定められていないようで、シャンパーニュ委員会では、シャンパーニュの品質向上についての研究を様々なテーマを設定して実施しているのですが、アサンブラージュに関する研究は実施しない事としているのだそうです。それは「アサンブラージュだけは各社の創意工夫に任せる」という考えに基づくのだとか。抑々、香味にまで共通した規制を設ける事自体ナンセンス且つ不可能なのですから、当然と言えば当然であります。兎も角この事は、アサンブラージュはシャンパーニュ製造において、殆ど唯一自由に、自社ブランドの差別化を行える手段である事を示します(※3)。だからこそグランメゾンにおいても、小さなRMレコルタン・マニピュランにおいても、アサンブラージュ技術は非常に重大なもので、アサンブラージュの為の試飲会は単なる会議と言うよりも、一種の神秘的な儀式と呼ぶべき場と為るのであります。因みに中小企業、特に家族経営のRMでは、アサンブラージュ作業は一家全員で討論を繰り返しながら数週間掛かりで行われるのですが、これを家族の年中行事として、所謂クリスマス休暇の行事として慣例化している家族も多く、遠方から帰郷する家族を待って実施される事もあるようであります。また親戚や近所の友人を定点的な評価者として迎え入れている場合も多く、地域のカウンセリング業者の技術者を招いて実施するのも一般的なのですが、何れにしても最終判断を下すのは醸造責任者である家長であり、この家長の下、家族一丸と為ってアサンブラージュと試飲を繰り返す事により、自分の家の味、我が家のスタイルを揺るぎ無いものとし、それを子孫に繫げて来た事が、彼等にとっての大きな誇りなのです。

 ※3 各企業の基本的なブレンド比率の差異が、当該企業の伝統やスタイルを決定し、それを訴求する根拠と為る。古くは、各社で工夫を凝らして編み出されたそのブレンド比率が、各社固有の重要な企業秘密であったようである。これこそが、シャンパーニュのアサンブラージュが最大の秘密と言われる所以である。しかし乍ら、近年ではこの比率は秘密とするよりは一般に周知して販売するのが一般的になっているが、それは造り手側の目線よりも消費者側の目線を重視する時代になったからだろう

  改めて日本に帰って来ましょう。国税庁HP第86条の6「酒類の表示の基準」に拠りますと、「吟醸酒、純米酒又は本醸造酒を二種類以上混和した清酒」「特定名称以外の清酒(精米歩合70%以下の白米、米こうじ、醸造アルコール及び水を原料として製造した清酒に限る)と吟醸酒又は純米酒を混和した清酒」(一部改訂)も「本醸造酒」を名乗れるという事でありますが、此処に消費者が見落とす意外な盲点があるのです。竹鶴政孝の『ウイスキーと私』という本には次の様にあります。「モルト(原酒)は同じ時に、同じ方法でつくっても、育つ環境によって、たいへん違ったものに成長する。それを合わせると更に味がよくなるのである」。又アサンブラージュは屢々しばしば画家の仕事に喩えられるのですが、それは詰まり「多くの絵の具原酒を持っている企業は、その分複雑な香味を描く事が出来る。絵の具の種類が多くない企業も、限られた絵の具を駆使して、綺麗な、或いはインパクトの有る絵を描く為の工夫をする。アサンブラージュでは、単なる足し算ではなく、相乗効果が期待される」という事であります。要するに筆者は、語弊を承知で申しますが、「本醸造酒もブレンド次第で大吟醸酒に為れる」と言いたいのであります。スコッチメーカーは「酒はただ混ぜたんじゃいかん、マリッジさせなくちゃいかん」と言います。日本でも江戸時代には「酒は交合させなくちゃいかん」と言われました。これを理論的に科学的に考えるのは難しい問題でありましょう。だからこそ、所謂「数式に乗らない」非合理性というものを再評価すべきこの時代であれば尚更、ブレンドは絶対に面白いのであります。ブレンドした相手の酒により、糖分が際立つ時と、酸が際立つ時と、受け皿によって味わいが違って来るのです。是非とも味覚がこなれた皆様には自分好みのブレンドを成し得て頂きたいと思うのであります。

 ではブレンドしたらどうなるのか、個人的経験に基づいた例を挙げて見ましょう。因みに灘では「自分の酒」を基準にしてそれにブレンドして行くという、世界的に見てもちょっと例の無い遣り方を遣っておられる事もあったようでありますが、何にしても自分の 嗅覚 と味覚という官能に頼る事に変わりはありません。そして手持ちの原酒のテイスティング評価を確りとして置けば、ほぼ同じ品質を毎回再現する事も可能です。そうして行くと、香水の調合士パフューマー宛ら(参考 匂い)、スコッチにおけるブレンダーの様に、「ノージング」詰まり アロマ を嗅ぐだけで味の評価が出来るようになるでしょう。更に進んで行くと、食事とのペアリングの様に、原酒同士の相性が分かる事もあるそうで、長所を高め合う組み合わせに対しつかり合う組み合わせ、不可解なところだと、互いの香味が無くなるマスキング現象もあるそうです。更に別の例だと、二つの原酒をブレンドしても現れなかった一方の欠点が、三つ目の原酒を混ぜると突然現れる事もあり、これを「マスキングが外れた」と言うそうです。何にしましても、専門家にとってでさえ謎が多く奥深いアサンブラージュですが、千人に一、二人と言われる嗅盲(無嗅覚症、嗅覚障害)で無い限り、経験を積み重ね記憶力を駆使する事でブレンド技術は高められる筈です。小学校以降の既知を暗記する事に必死の生活の中で、未知への向き合い方を忘れた人々にとって、答えの無い学習というものは、無駄に終わるという危惧が先行して、始める意思を容易に打ち砕くものでありましょう。しかし「未知から知を生む技術」、ソクラテスの言う「産婆術」的行為を無くした人生というものに、果たして何の価値があるでしょう? 失敗を重ねなければ新たな発見をする事は出来ません。さあ、皆様も幼児期まで実践していた「仮説思考と試行錯誤」に今一度挑戦してみようではありませんか!

 扨、飲み残しのアル添酒がありました──「こいつは切れは好いが辛さですっきりし過ぎてどうもいけ好かない」。そして手元には開封したての純米吟醸酒──「こいつはフルーツ香ばかりが鼻に付いて料理にも合わせ辛くどうもいけ好かない」。台所には安価に入手した一升瓶の純米酒──「香り立ちが低く甘味がもったりしてこれまたどうもいけ好かない」。「ええ、ならば見よ」と、試しにこれらのいけ好かない三つを半ば自棄糞やけくそに為って混和してみると、何ともはや、素敵な純米大吟醸的酒に化けたではありませんか! これに味を占めた筆者はそれ以後、試しに買った酒を「ええ、特徴の無いのっぺらぼうな駄酒め!」とか「ええ、口に合わぬわ、捨ててしまえ!」とか言って自宅マンション五階のベランダから目前の田んぼに向かって放り投げる事も無くなり、寧ろそんな時にこそ日頃鍛え上げて来た味覚の本領発揮とばかりに、ブレンドの実験を繰り返した次第なのであります(自然環境即ち神々を愛する事から人生が始まった筆者ですから、これは言う迄も無く誇張的表現です)。──では此処にその結果の概要を纏めます。

・物によっては、純米+吟醸=純米大吟醸(「清酒の製法品質表示基準」に従えば本醸造だが)

・発泡清酒(日本酒度プラスの辛口タイプ:炭酸水の様に甘味が乏しいぶん味が平坦)+レモンウォーター(少々:酸を補充)→味に立体感が出る

・高アルコール(原酒)+低アルコール→中庸のアルコールの飲み易さ

・大吟醸(爽やか系:正直物足りない)+低アルコール清酒(甘酸っぱい系:正直飲み飽きる)+老ね(濃く、熟成感、辛、苦、(渋):正直諄い)〈ブレンド比率は各人のお好みで〉

・チリの青っぽいソーヴィニョン・ブラン+一升瓶などの残り少なくなりやや饐え始めた清酒〈1:4〉→ソーヴィニョン・ブランの酸と青々しい爽やかさがややダレかけた清酒のボディに活を入れる。不自然に甘酸っぱいワイン酵母使用の清酒より遙かに飲み心地が好い

 ※ この効果を活かした商品が月桂冠の「サムライ・ロック」(ライムの酸により白ワイン割りと同じ効果、だがライム風味が強過ぎて諄く、杯が進まない。また匂いからして悪酔いする酒質で、酒や水で20倍程に薄めないととても頂けない)

・清酒(甘味)+赤ワイン(タンニン)→立体感(料理との相性は難しいため単体で)

・清酒(可能なら純米大吟醸)+スパークリングワイン(可能なら 瓶内二次発酵 で十分にイースト香の出た物)〈10:1〉→ワイン由来の柑橘香と酸味が加わり、甘酸っぱいスパークリング清酒よりも一段高い質の、より深みの有る奥深い甘酸っぱさ

・純米大吟醸(爽やか系)+白ワイン(吟香様のメロン風味有)〈10:1〉→七賢の甲斐駒を思わせる風味に向上(ワインの入れ過ぎに注意、日本酒の個性が負ける)

・焼酎(苦味、旨味)+清酒(老ね:甘味エキス)→焼酎に円やかさが加わり、飲み易さ

・ウィスキー又はブランデー+清酒〈1:1〉→風味は無論前者主体だが、清酒のエキス分(糖、ミネラル)のお陰で水割りの様に水っぽく為らずに強いアルコール度だけが下がり、より洗練された風味

・純米大吟醸(爽やか系)+一年間売れ残って半額に為った久保田萬寿〈1:3〉→久保田が果実感と共に若返る

・苦味や辛口を和らげたい、アルコールが強い→甘酒割りも可(良質な添加物無しの糀100%物がベスト)

・汁物(味噌汁、すまし汁)+純米酒(ちょっぴり二、三勺)→汁物の風味の向上

 何となくイメージが湧きましたでしょうか? 一個人の消費者にとって、こういったブレンドは、一本一本の単価が高くまた個性が強いワインでは極めて難しい業と言えるでしょう(→このイメージとして、最も成功した例は洋楽の“We Are The World”⇒https://www.youtube.com/watch?v=s3wNuru4U0I)。日本酒はワインに比べると味がフラットで、赤ワインほど力強い物が少ない。また味の傾向もワインほど広くない(※4)事が、私の様な素人にも旨いアサンブラージュを可能にする要因であります(※5)。日本酒の面白いところは五味の何れかが自分の嗜好もしくは料理との相性から見て不足していると感じた時、他の日本酒を混ぜて補ってやる事がより容易に出来る事であります。各品種の個性が強いワインでは、ボルドーの造り手の様な知識と熟練が無ければ、中々こうは行きません。日本酒では互いが一歩譲ってくれるため巧く行き易く、奇妙な味に為る事が少ないのであります。総じて日本文化は異質文化の選択と調和の歴史であります。それはペリー提督が浦賀に遣って来て以来、それから日本は日本だけの価値観で良しとする訳には行かなく為りました。『田崎真也のスーパーSAKEレシピ』には次の様な文面があります。「ヨーロッパでは、ワインと料理の関係を夫婦間のそれと同じようにとらえます。夫と妻がそれぞれの個性を認め合い引き立てる・・・これが相性のいい夫婦。日本はどうでしょう。『これは日本酒に合うね』というと、酒の味をじゃましないもの、酒がすすむものを意味していました。いわゆる塩さえあればいい・・・というのもその理屈です。夫婦は? 一方が一方に合わせたり、お互いに干渉しないことを良しとするところ、ありますよね。日本酒と肴、ワインと料理・・・怖いくらい国民性を表していると思いませんか?」──その通りです。そしてそれで良いのです。この国の礎なる『古事記』には「国譲り」なる神話があるように、譲歩という美徳こそが建国の土台なのです。「和魂洋才」(※6)「和洋折衷」、矢張りこれらの言葉の内に、現代日本人として生まれた者が取るべき国際人の在り方があるのです。ブレンドは味わいを変えるのであります。

 ※4 味の薄さは上品さの要因の一つ、それは料理もワインも清酒も同様である

 ※5 よって酸が強い 生酛 系では個性が強く、少量でも圧倒するため他とバランスが取り辛く余り巧く行かないようである。また日本酒は完成度が高い為にその特徴を活かし辛い事や、ウォッカやジン等の蒸留酒に比べてアルコール度数が低い事から、カクテルにするには難しいとされる

 ※6 明治時代の佐久間象山の言葉で、「西洋の科学技術を学ぶが、根本と為る精神は儒教を始めとする日本人が磨き上げて来た道徳である事を忘れるべからず」の意。この言葉の原案は十世紀、平安時代の菅原道真による「和魂漢才」(大和を大事にしつつも、中国の学問を取り入れるべし)。なお象山は次の様な言葉も残している、「二十歳にして一国(藩)に属する事を知り、三十歳にして天下(日本)に属するを知った。四十歳にして五世界(国際社会)に属するを知った。」

本日の箴言

 ウィスキーの最後の仕上げは、古い原酒と新しい原酒をブレンドして、また樽に入れ再貯蔵し、調熟させる仕事がある。ウイスキーのブレンドは不思議なもので、新しいモルト同士の場合は当然のこととして、古いモルトと古いモルトをまぜ合わせても結果は必ずしもよくないのである。ところが、古いものに新しいもの、たとえば十年ぐらい熟成した原酒に五年前後の比較的新しい物をブレンドすると、新しいものが古いものに同化して旨いウイスキーが出来る

竹鶴政孝『ウイスキーと私』

平日の一杯

「糀2倍の純米酒」(Alc10.5%)+「ロックで楽しむ純米 原酒 貯蔵酒」(Alc18.5%):灘の大手沢の鶴、同蔵製品の組み合わせ

 前者は薄っぺらく、後者は諄い風味で、失礼ながら正直どちらも単体では頂けないが、〈5:4~1:1〉で割ると両端のバランスが取れ、アルコールも14.5%程と為り、これが中々素敵な味の酒に化ける

 前者は900mL814円、後者は720mL1000円(執筆時点の価格、共に税込)、共に全量その儘ブレンドすればきっかり5:4の比率で計1620mL、詰まり四合瓶2.25本分の量で1814円

欧州で若手の造り手達が制限の多いAOC表記に見切りをつけ、格下のIGP表記にてより自由な遣り方で優れたワインを造っているように、また曾て級別制度が「国家による詐欺犯罪」と扱き下ろされる程の、税金を効率好く取り立てる為にアルコール度のみで級分けしただけの杜撰極まる格付けであったように、精米歩合の低さだけが注目されがちな特定名称も意味を持たなくなりつつあるように思われる。栃木県のせんきん蔵元、薄井一樹氏は次の様な内容の事を言っておられた。「日本酒は精米歩合の表示義務はあるが、酒母日数を表示する必要はない。天然酵母を使えば酒母を造るのに40~50日かかる(速醸酛は1週間ほど)。日本酒の価値を精米歩合の様な物差しで計るべきではない」
兵庫県:宮 を使用した男酒でその令聞が響く灘を有し、「酒米の王」と呼ばれる山田錦の故郷で、大小の酒蔵がひしめく、生産量全国一の酒処。米の味を確り出した芳醇な造りをする傾向。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/hyogo.html

第三十七瓶 熟成古酒

 我が愛用の国語辞典『大辞林』(第二版)に拠りますと、「」:①地面)②その地方土地)③生来のもの作り物ではないもの)④本来身に備わっている性質持ち味)⑤加工や細工の土台本質)とあり(緑字は筆者による解釈)、前々稿は②③④について着目し、前稿は⑤について、詰まり燗によって鍍金めっきが剝がれて「」が出る事について述べました。(人も長年付き合うとが出て来ますネ…)(尚「」とは、①天に対して地 ②特定の土地、地方、地域、場所 ③位置、立場 ④所有する土地、領土)

 前回申しました通り、燗とは言わば瞬間熟成。それは言い換えると、燗で駄目に為る酒は熟成にも向いていないという事です。燗にして旨い酒が熟成して旨く為る(味が崩れず、冷や常温よりもバランスが良く為る)訳で、燗冷ましで更にバランスが良く為れば相当しっかりした酒という事でありました。という事で、今回も引き続き清酒の「真髄」について、詰まり、燗の他にもう一つの清酒の 旨味 を引き出す方法、「熟成」について、酒気を帯びてぐるぐる廻る頭で思考を巡らせてみたいと思います。

 J.S.A. SAKE DIPLOMAの教本(2nd Edition)には、「通常、日本酒は比較的短い熟成期間で出荷されるが、最近では貯蔵技術の発達や貯蔵方法の工夫により、意図的に長い期間貯蔵して、新酒の時にはなかった味わいを生み出そうとした日本酒が造られている。これが長期熟成酒〈古酒・長期貯蔵酒・秘蔵酒〉と呼ばれるものである」「古酒は新酒の対語で、前の酒造年度以前に造られた日本酒を呼ぶ。長期貯蔵酒のうち、特に貯蔵期間の長いものは、〇年貯蔵酒や大古酒〈だいこしゅ・おおごしゅ〉とも呼ばれ、5年以上貯蔵した日本酒には秘蔵酒という名称がつけられることがある」とあります。「常に変化する」という事を商売上の強味にしたワインにおいては、ヴィンテージ 毎の事細かな情報が公表され、最適な熟成期間に細心の意識が払われるのに対し、清酒が一年以内に消費されるべき物とされるのは、ワインに比べて時に耐える要素たる酸やタンニンといった自然の保存成分が乏しい上、一方で豊かなアミノ酸は光と温度に影響を受け易いデリケートな成分の為であり、不適切な環境に置かれると風味に生気が無くなるのは勿論、舌を刺すような辛みや苦味が現れて来ます(よって清酒業界において苦味はマイナスの要素とされる事から、アミノ酸度の低い清酒は品質が良いという関係が認められ、そしてその為に蛋白質量を低減させた高度精白米を使用する酒造りへと全国的に移行して来たのである)。そしてこれは「熟成」とは異質の「劣化」で、六箇月以上に為って着色したり老香ひねかが感じられたりする物も少なくないのであります。要するに──清酒の多くは秋の末から春の初めに掛けて造られますが──その前年の同じ季節に造られた酒は、たった一年程で「古酒」と呼ばれる事に為って、香りも味も落ち込んで一般には嫌われ勝ちと為ります。これが「商品構成においてフレッシュローテーション前提」とか「清酒の寿命は一年」とか言われる所以ゆえんであり、酒蔵としてはそうなる前に「売り尽くさねばならぬ」という事になるのであります。しかしこれは「不適切な環境」、詰まり酒売り場に典型的な「照明晒しの常温陳列」に在る、一年間も誰にも顧みられずに放置されて売れ残った惨めな酒達の末路であり、対し、冷んやりした暗がりに置かれ、大事に大事に大事に見守られて来た酒達は成長を続けるのです。

 ではそんな深窓の酒は如何に成長して行くのでしょう? ワインは酸化熟成によるものですが、日本酒は メイラード反応 による熟成であり、詰まり糖とアミノ酸の反応でありますので、酒中の糖やアミノ酸が多いほど高く反応し、また温度が高いほど早く進みます。ただワインもウイスキーも無論日本酒も、熟成の科学は未だ明らかでない所が在るようですが、現在の通説によると、「醸造したての酒はアルコール分子同士、水分子同士が結合して集団クラスター状態にあるが、熟成するとアルコールが水の分子に包含されて味が円やかに為る」という事です。詰まり、新酒はアルコール分子が剝き出し状態のため刺激臭が強く味も尖っているのですが、熟成によりアルコール分子が 水 分子の隙間に入り込んで包まれた状態に為るため、アルコールの荒々しい刺激感が無くなり香味が円く為るという訳です。又それだけでなく、胃腸への負担も軽い為に酔いが醒め易いという事もあります(※1)。そしてこれらは加熱によっても或る程度得られるものでありますから、燗は酒の造りが良いかどうかを、熟成に耐えるかどうかを知る為の簡便なテスト法として、蔵人が遣る業でもあるそうです。昔から「酒は秋」と言い、春先の新酒時には硬くて荒々しく渋かった酒を寝かし、火入れして土用を越す内に 旨味 が増して次第に角が取れて円やかに為り、秋が深まるにつれて膨らみを増し、味の底に沈んでいた香りも顔を出して「秋上がり」(※2)した酒を良しとしたのも、詰まり「冷やおろし」(※3)が最上とされ有り難がれて来た理由も、実は此処に在った訳なのです。そう、元来新酒とは半製品扱いで、清酒は古酒に為ってから市販され、古酒を待つ事が酒造家の誇りとされたのです。しかし昨今では、全国新酒鑑評会を春先に開く為、どの蔵元も上辺の味は好いが、力強さの無い、ひ弱な、アルコール添加で香りの高い大吟醸酒ばかりを造るように為り、秋上がりした本来の清酒の姿は消えつつあるようです。食前酒としては兎も角、食中酒に向かない香りの強い酒を褒める余り「生活の酒」が軽んじられるように為ってしまった事は、実に悲しい事であります。そしてライフスタイルの変遷と共に、忙々せわせわしい現代では日本酒のみならずワインにおいても「熟成させる」という意志が弱まりつつある事は言う迄もありません。

 ※1 フーゼル油(高級アルコール:「高級」とは「沸点が高い」の意)は新酒中に多量に存在する事があるが、古酒に為るにつれて減少して行く。これは衛生上有害で、多量摂取により頭痛を感じ悪酔いさせる。因みに、概してアル添酒は熟成するとアルコールが浮いて来る感じ、醸造過程で得たアルコールと添加したアルコールが分離する感じに為ると言われる

 ※2 「秋晴れ」とも言い、寒造り の酒が翌秋に熟成して飲み頃に為る現象で、良い酒の基本。したがってラベルに「冷やして飲め」と記載のある酒の多くは、春先にはそこそこでも秋にダレる、詰まり「秋だれ」する、燗にも耐えられない物という事である。確りと計算された酒は蔵内熟成を経て、本物の旨さが乗ってから出荷されるが、そうでない物は若過ぎると味が苦く荒々しい為、或る程度(半年程)経た物を買う方が直ぐに楽しめる事も少なくない(勿論適切な環境下での保存)。又は若くて硬い新酒に一年熟成させた酒を加えて円やかな印象にする事も可能

 ※3 前年の冬に造った新酒を、貯蔵前の加熱殺菌のため一度火入れし、ひと夏寝かせ、ひんやりした蔵の中と外の温度が同じ位になった時に蔵出しし、そのまま火入れしないで瓶詰め出荷する(生 詰め)酒。涼しい蔵内で保存された「冷たい酒を市場に卸す」事に由来。元々は、「延びのきく」=「十分に熟成した」(雑菌の繁殖し易い暑い夏を越して長期に亘り貯蔵しても腐敗する事が少ない)=「色香味も上質な高級酒」=「冷やおろし」という概念があり、秋に為ると「古酒」、暮れから翌春に為ると「大古酒」と呼ばれた。「『冷卸し』とは、いかにも俳句の季語にでもなりそうなしゃれた感性のある言葉」──衣山陽三(元国税局鑑定官)

 では何故この熟成古酒は日本人の生活からその姿を消してしまったのでしょうか? 古酒の初見は遠く平安初期の『延喜式』に「熟酒」の記録があり、鎌倉時代には既に尊ばれていたようで、「人の血を絞れる如くなる古酒を仏」と日蓮上人が信徒の男女に送った手紙にも書かれています(色合いや「油のような」トロリとした触感が伝わる表現であります)。また元禄八(1695)年の『本朝食鑑ほんちょうしょっかん』には「甕や壺に入れて三、四、五年も経った酒は味濃く香美にして最も佳なり」(※4)とあり、江戸時代以前の人達は三~九年経た物を珍重して貴び、値段もそれに応じて高く取り引きされていたようで、江戸時代では「三年酒」や「九年酒」は高級酒として新酒の二、三倍の値が付き、宮中の祝い事にも用いられていたといいます。大奥女中の逸話から、徳川将軍が飲んでいた御膳酒は真っ赤で嫌な臭いがする「煮切り酒」なる相当の年代物の古酒だったとも伝わっています。しかしその後の明治時代に為るとぱったりと途絶えてしまいました。それは明治政府が酒蔵に課した「造石税」が最大要因と考えられています。これは、商品として販売する前に、造った酒量に対して税金が課せられるものの為、出来る限り早く売って資金繰りする必要が生じてしまうものだったからです。戦後それは「蔵出し税」に切り替わりましたが、造り手も飲み手も豊かな経済環境とは言えなかったので、早く換金出来ない回転の遅い長期熟成酒は非常に売り難い商品だったのです。こうして国側の「早く売って貰い課税したい」という思惑と、蔵側の「貯蔵中に腐ったら大損だし早く売りたい」という思惑が一致。詰まり、近年まで清酒業界が熟成の事を考えて来なかったのは、管理の問題もる事ながら、一年以内に売らないと小さな蔵は資金の回収が出来ないという事があった為であり、加えて、たとえ古酒を造りたいと思い立っても二十年近く掛かり、そうなると商売として成立しないからであります(※5)。また別の理由としては次の通りです。明治における原料米の精白度は今日程ではなく、寧ろ殆ど玄米に近く、酒質の劣化が進み易かった為、毎月一回という頻繁さで火入れが行われていました。そしてその度毎に色は濃く為り、杉 樽 の香味が強く為って雑味を増し、しかしアルコールは減り、燃料や手間が加わるので原価は上がり、それは普通、一升について火入れの度に一銭位ずつ上がったそうです。これは明治中頃迄続き、国民にとっては大打撃であった為、地方によっては安価な若酒(火入れ程度の少ない酒)を愛好する習慣が起こり、そしてこの傾向は全国的に広がって、明治三十八年のガラス容器の使用や脱色炭(→濾過)の利用なども背景として、遂に現代の様な古酒を尊重しないという、世界には見られない珍しい飲酒習慣が残ったという訳であります。そしてこれは百年に満たない間の変化であった事も、清酒愛飲家は知って置く必要がありましょう。

 ※4 酒を樽に入れて何年も置けば、杉ややにが溶け出して、ジン其処退そこのけの香味になってしまうから、古酒は陶製の壺もしくは甕に貯えられた

 ※5 そこでフランスのコニャックで考えられたのが「ナポレオン」で、一般的には六年物をベースに五十年、六十年のブランデーを僅かにブレンドする事で、グンと熟成した香りに変身する(異なる貯蔵年数の酒のブレンドでは一番若い酒の年数を表示)。したがって清酒の長期熟成酒においても、この アサンブラージュ の発想が広く取り入れられて来るのではなかろうか。因みに、現在ではマデイラの様に加熱による短期間熟成を経た清酒も製造されている

長期熟成酒研究会 (vintagesake.gr.jp)(分類分けなど有益な情報あり)+「はじめての熟成古酒 自家熟成編」https://www.youtube.com/watch?v=qRA7AYdfs9A(37:30)+「テロワールと熟成 〜龍力・本田商店」https://www.youtube.com/watch?v=4oz3o_oqOfw(1:13:05)(全編を通し、今迄の当サイト内容の不足を十二分に埋めてくれる非常に意義深い動画、必見!)
1985年に設立した当会は「満三年以上蔵元で熟成させた、糖類添加酒を除く清酒」と古酒を定義。「日本酒百年貯蔵プロジェクト」を2005年創立20周年記念に開始。これには、蔵でもどう変化するか分からない為、実験的要素が有る。数年前、筆者は株式会社匠創生主催の熟成古酒試飲会にてスタンダード物からプレミアム物まで嫌というほど試して来たが、中でも鮮明に記憶に残っているのが千葉県岩瀬酒造の岩の井「平・和の調べ」。これは田崎真也氏によって6種の古酒をブレンドされて完成した製品で、古代米黒米と一段仕込みの酒がベースとなり、香り高いカカオフレーヴァーが非常に心地良く印象的な、他とは一線を画す古酒で、流石に氏は良い仕事をされていると実感

 元を辿れば、日本の酒は神の酒ゆえ、米の酒は収穫を神々に感謝して特別に作る物でした(※6)。それは奈良時代初期の和銅六(713)年『播磨国風土記』に、米糀を使った酒造を記す最初として「大神おほかみ御粮みかれひれて黴生えき すなわちみわましめて 庭酒にはきたてまつりてさかみづ」(神に捧げた強飯こわめし〈乾飯〉が濡れて黴が生えたので、それで酒を醸し、新酒を神に献上して酒宴をした)とある通りです。そしてそれは神を祀る為に作る御酒ゆえ、四季折々の祭りに合わせて必要な分量のみ造られ、且つ祭りの時に飲み切るのが当然で、日本酒に古酒が少ないのはこういった歴史的背景もあります。又、上述したように古酒が大いに持て囃された時代もありましたが、戦中戦後の米不足の折、貴重な原料米の配給と酒の生産量の割り当てから、古酒が育たずに消滅したという事実もあります。対してワインは──無論我らが酒神ディオニュソスへの賛嘆もありましょうが──保存の為に作られた酒ゆえ(乾燥した穀類とは異なり、水気の多い果実はその儘だと保存が利かない)、古酒が自然に存在する事になります。此処で色々と文献を当たって見ますと、例えば中世ヨーロッパの様に、亜硫酸(⇒ワインの亜硫酸)が使われずワインが変質し易かったため新酒が最も高価で、時と共に酸化が進む為にその価値も下がって行くのが一般的な時代もあったようです。その当時のワインは 樽 で流通され一年以内に飲み切るスタイルだった為、ヴィンテージ という概念が重要視されなかったという事実は、全く現代の日本酒に通じるところであります。勿論今ではワインにおいてラベルに表記されたヴィンテージは、消費者がボトルを開けるタイミングを決める指標の一つで、また熟成が必要なワインにおいては不可欠な情報である事はご存知の通りです。そしてもはや、ウイスキーにしても、長年の貯蔵を経た古い物が殆ど迷信とも思われるくらい尊ばれている酒類では、その古いお手本の手前、後代に造られる酒質には、突飛な変化が起こる筈はありません。それに比べ日本酒ではその年の物はその年の内に消費され尽くす建て前に為っているので、年毎の政治や経済の影響、更には気候変動も積み重なって、長い年月の間には思いも寄らない大きな変貌を遂げる事も可能であります。実際に、過去においては吟醸酒や新酵母の開発があり、そして現在においても進行形且つ全国規模で次々と試験的に醸造されている新タイプ清酒の登場速度は、一般消費者が追い付けない程であります。したがって日本酒における早飲み指向は必ずしも短所であるとばかりは言い切れず、寧ろ日本酒の、伝統と革新を繰り返しながら時代と共に進んで行く若々しい適応性フレキシビリティーを特徴付けるものとも言えるのでありましょう。

 反面、一代で完結せず、先代の意志を受け継ぎ、未来へ繫ぐ人が居て初めて偉業と為るのが古酒造りというもので、熟成によって良く為るという点において清酒はワインに引けを取らないと言っても差し支えないものと思われます。「酒は古酒、女は年増」(酒は古酒ほど佳味に為り、女は年増をもって情け深し)と諺にもあり、「一年以内で美味しく為る酒は一種類も無い。5℃で保存すると、物によっては2年、3年とどんどん良くなった」とまで言う専門家もいます。開高健に至っては「日本酒のオールドは、ホント、いいぞ。日本民族であることに、誇りを覚えたくなるほどだ」と言うくらいです。確かに今迄は清酒を年代物の古酒として造っても需要があるか疑わしいため流通されていませんでしたが、今後は和食と共に清酒の世界的認知が広まるにつれ、製品の多様化とプレミアム化が一層要求されて来る筈です。その需要を満たすという事においても、熟成古酒というカテゴリーは発展して行くものと思われ、実際に現在の欧米のソムリエに色々なタイプの酒を飲ませると、彼等は古酒に最も興味を示します。そして熟成古酒は幅広く料理に合わせられる事も彼等の興味をそそる点でもありましょう。実際JSA教本で田崎真也氏が執筆した「日本酒と料理の相性」においても、熟成古酒が登場する割合は少なくありません(特に煮物や珍味)。又「ホットサケ」が定着したアメリカでは現在冷やして飲む古酒が注目されていて、ワインに親しんだ消費者にとって熟成古酒はシェリー・ポート・マデイラの様に特別な場面で楽しむ貴重な酒として非常に評価が高く、スーパープレミアム品として取り引きされているとも聞きます(※7)。そういった経緯から、「ワインで熟成の素晴らしさを知る外国人は理解が早く、将来良い熟成古酒はみな外国に出されるのではないか」と心配する人も居るくらいです。とは言え日本でも古酒の試飲会や販促活動は精力的に行われ、また単一年のみならずマルチ・ヴィンテージの製造といったものもなされております。更には伝統に帰って「九年酒」の復活と商品化も開始されているようです。これは、日本において七五三という祝儀に使う数がありますが、目出度い奇数単数の最大数である「九」を取ったもので、九年酒は今でも宮中にてその風習の一部が残されていると聞いております。

 ※6 活力の再生を齎す祭りに最も重要な酒、その原意は「サのケ」。「サ」は庭や苗、乙女などと同様の接頭語で、「さわやか」な「神聖さ」の意。「ケ」は御の飯の事。詰まり「特別に霊力を持った御馳走」を表し、先ずは神に供える物であった。他に「サカエ・キ」詰まり「栄えある神酒」がつづまって「サキ」、それが転じて「サケ」と為ったという説などもあるようだが、何れにせよ「神」が関わる事に変わりは無い

 ※7「SAKEは銚子と盃で熱燗のお酌」という、所謂「富士山フジヤマ芸者ゲイシャ切腹ハラキリ」的固定観念に捕らわれたアメリカ人は依然として少なくないらしいが、日本酒の「古い文化を飲むのではなく、新しい酒質を飲む」という時代への移行が徐々に始まっている

 では──魚が熟成と加熱で旨く為るように──「熟成味すぐれて類なし」と言える古酒とは如何な特徴を有するのでしょう? 次に現代的な視点から表を作成致しました。 

〈補足〉・瓶内熟成:幾重にも折り重なった複雑な味わい
・タンク内熟成:澱が下がり、空気接触の為か、ストレートな味わい(熟成が進み易い)
・ペアリング例:茸類、クリームチーズ+醤油(マスカルポーネ+鰹の角煮など)、パルミジャーノ・レッジャーノ+蜂蜜(林檎)、青かびチーズ+蜂蜜(そば/栗)、フロマージュ・ブラン+スモークサーモン、レバーパテ+ブルーベリージャム、京風白味噌+アンチョビペースト、オレンジピール+チョコレート
他に、自国テイスターは(干し)柿や無花果いちじく、炙った胡桃を典型として挙げ、異国テイスターは(ペルノー的)アニスを古酒に良く使う。
〈参考〉日本最古の酒:昭和四十三(1968)年、長野県北佐久郡望月町(現、佐久市茂田井)の酒屋大澤家に代々家宝として伝えられて来た元禄の古酒が、二百数十年の時を経て開封。その酒は白い古伊万里の、胴の太いひさご型の陶製壺に詰められ、漆塗りの桐製の栓で、更に栓の外側も漆で念入りに封止されていた。中身はドロドロの黒色の色調で蒸発により減少しており、水とアルコール分子の透過力の違いからか、アルコール度は24%まで増加していた。当時の清酒業界の第一人者である坂口謹一郎博士の分析の結果、固形分の混じった醪を貯蔵した物と推定。博士曰く「一〇〇年ものと称するシェリーそっくり」

 此処で強調して置かねばなりません事は、売れ残った古酒(※8)と、酒蔵で目的を持って長期熟成させた古酒は区別して扱われねばならないという事です。そしてその違いは、元々熟成を目的に造られる「元酒もとさけ(※9)」を熟成させたか否かに在ります。元酒から造ると、安定した熟成香味に為り、複雑さや豊潤さ、より立体的で魅惑的な香味を持つように為るのです。対して、熟成を想定されず、しかしながら時間が経ってしまった結果熟成された酒、詰まり軟弱な酒質の酒は直ぐにへたってしまいます。その理由は、熟成させると酒質の劣化と味乗りの両方のプロセスが同時に進むのですが、その二つの+-プラスマイナスの差で旨く為るかどうかが決まるからであります。これにより「酒は劣化するだけだ」と考える人は冷蔵保存して味乗りが進まず、劣化だけが目立つ酒を育てる事にも為り兼ねないのです。確かに一般的に「保管温度は低く」と言うのは、温度が高いと瓶内対流が起こって品質に影響を及ぼし、アミノ酸が変化し、吟醸酒では 吟醸 香が減少、特に 生 酒は劣化が早い為だからなのですが、そういった酒質の軽快なタイプでなければ、実は或る程度温度を上げた方が味乗りが進み劣化に勝てるのです(※10)。こうして、精米歩合の低い吟醸系は熟成させても味が変わりにくく、一方で歩合の高い本醸造や純米など香味成分が多い酒は変化し易く面白い味に為り得るのです。詰まり、これまで雑味と言って取り除いていた物が古酒の味を決めるという事であります。そして「ふむ、これは旨そうだ」と思う古酒は、カラメル香が強く醬油の香りも程々にバランス好く入っている物、詰まり 旨味 を伴う昆布の佃煮つくだにの様な香りが有る物で、更に其処に果実香が残っていると、酸味と甘味、苦味のバランスが取れている酒と思って良いでしょう。そしてワインと同様に日本酒も、時と共に香味は全体的に同一系(カラメル、蒸しパン、ナッツ、スパイス。ワインに喩えるとコニャック地方のピノー・デ・シャラント的な味醂や雷おこし)に落ち着いて行きます。しかし人も幼い頃は無邪気、若い頃は個性、そしてよわいを重ね老いて行くと無我の境に達するもの。年を取ると荒々しさや角が取れて丸く穏やかに為るのは人も同じ。戦後の経済発展と食糧事情の改善および医療の充実により平均寿命が飛躍的に向上し、高齢化が世界最速で進んで熟年時代を迎える日本では、悠久の時の流れを味わえる人々が増えて行きます。懐の深いゆとりの有る者、永きに亘り連綿と続く文化の営みを尊ぶ者のみが、古酒の妙味を知れるもの。琉球泡盛を除き、古酒の文化が無くなったこの国で、淡麗辛口化・香気高上化・高酸化・低アル化と清酒までもが西洋ワイン化して行く時代の中で、東洋的な味の古酒を若者や女性達がこれからどう評価して行くのでしょう? 聞くところでは、概して清酒に対して先入観の無い彼もしくは彼女達は軽い気持ちで「面白い味」として楽しめているようであります。しかしそれは、幾年も重ねて円熟させた歴史の有る古酒を頂く者の姿勢としては如何なものでしょうか? 目下の露西亜ロシア烏克蘭ウクライナの確執を見なくても分かるでしょうが、歴史は軽くありません。果たして彼もしくは彼女達は「歳を取る事も悪くない」と思えるほど心に余裕を持てるのでしょうか? 生物として不可避の加齢を恐怖し、「年齢に負けたくない」などと否定してばかりの老いた心から口にしている限り、それは難しいでしょう。それは自力の抵抗力が無い為に老醜に陥って老香ひねかを放つ酒と同じであります。一方、在るが儘を肯定する覇気の有る若い心を宿す肉体は老いさらばえないものです。本当の意味で、年来の清浄な香気漂う余韻深いひと時を愛でる事が出来るのは、抗酸化物質が多く、デカンタージュ により酸化して円やかに為る 生酛 の様な人々だけだと思うのは、恐らく筆者一人だけではないのではないでしょうか・・・(※11)

 ※8 酒問屋では古く為った品はメーカーに返すのが通常で、三年も四年も前の酒を今も抱えて経営が苦しく為っている蔵も在る。書画骨董ではないので粗末な造りの酒は古く為っても高く為らない。最後は料理酒に変えるか、焼酎にするかしかないだろう

 ※9 古酒に向くのは味に厚みのある酒。その為、米の磨きを粗くして味に厚みを付け、全糀仕込みでエキス分を高くしたり、酸を多く出す酵母を使用したりする事も多い(次稿「平日の一本」で紹介します)

 ※10 熟成における適温は『清酒の味わい方(味わい)』の※7を参照されたい。参考迄に、元東洋大学教授赤星亮一氏の誘電率からの発表に拠ると、アルコール分30~40度が最も熟成しにくく、14~15度帯と67度が最も熟成し易いという(清酒で仕込む梅酒の柔らかさはこれに関係する可能性が指摘されている)。加えて、全糀仕込みの熟成古酒は酸と糖の調和が早く、柔らかい風味が特徴とされる

 ※11 江戸時代後半の文化文政年間(1804~1830)、後に元号を取って化政文化と名付けられたこの時代では、世襲社会ならではの風潮があり、詰まり生涯現役ではなく、半生を懸命に働いて身上を成したら後はさっさと家督を譲り、自分は隠居して、余生を楽しむ事が美徳とされた。そしてご隠居は経験豊富で頭も体も確りしているから、若者の相談相手に為ったり、色々な面白い事も考えた。よって当時の文化の担い手はこの様な年寄り達で、浮世絵、川柳、俳句の達人と言えば皆その辺のご隠居だった。「江戸の食い倒れ」とも言われたこの時期は飲酒量を自慢するやからが続出したデカダンス時代ではあったが、そんな退廃した空気が新たな文化を生む事もあり、即ち今の我々が「旨い」と思う天麩羅てんぷらや蒲焼き、どんぶり物、握り鮨といった洒落た食べ物の数々が生まれた(そしてそれらは今では世界中にファンを広げている代表的な和食である)。これからの日本は正にこの、元気なご隠居が街に溢れる社会。今の若者文化は中高年に対し排他的だが、大体、若者より人口の多い中高年が世の中の日陰者に為るなんて事自体おかしい。それは酵母の世界も同じ、優良酵母が野生酵母を数に物を言わせて圧倒するのは酒造の原則。中高年者が良く若者に「これから君達が世を作って行くんだ」などと言うのは、その者にもはやエネルギーが無く、後は死ぬまで無駄に時を費やすという思いの表れに過ぎない。そんな志の無い老人が余りに多く為ったから、若者に軽んじられる社会が出来上がってしまったのだ。「熟成酒は日本酒の中で“頭”であり、思想でありたい」とは協同組合福岡銘酒会の言葉である

本日の箴言

 練り込まれた味わい、懐の深さは、時の流れに身をおき、人生の荒波にもまれることでしか、得ることはできない。これは、人も酒も同様である。・・・成熟した飲み手とは、舌だけでなく、脳や心で酒を嗜む人である。酒の生い立ちや個性を、慈しむ人である。

上野伸『日本酒の古酒』

記念日の一本

タクシードライバー、純米 原酒(岩手県産吟ぎんが100%、精米歩合60%)、日本酒度+1、酸度2.3、アミノ酸度1.5、アルコール度17%、酵母「ジョバンニの調べ」(※10)(喜久盛酒造、岩手県北上市)、令和二酒造年度作品(令和三年三月二日上槽、製造年月2021.6〈出荷〉)

 ⇨詰まり三箇月貯蔵という事。熟成期間が消費者にも分かるこの情報を載せて頂きたい! シャンパーニュにおいて澱抜きデゴルジュマン年月(→瓶内二次発酵)とヴィンテージを記載するメゾンが在るように、上槽年月(又は醸造年度〈※11〉)と製造年月(及び出荷年月)を併記する事が重要(意識的に探せばまだまだ在りましょうが、現時点で当方はこれの他に「まんさくの花 一度火入れ原酒 純米吟醸MK-X2021」「東光 山川牛男2021あき」「大七 皆伝 生酛純米吟醸酒」のラベルにしか出会った事がありません)

 ※10 岩手県オリジナルの吟醸用酵母で、「華やかさと繊細さ キレイな香りと味」を実現(酢酸イソアミル系)。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の主人公の名に由来

 ※11 BY(Brewery Year)でも良いが、一年間という範囲は清酒にとっては十分な長期間で(※12)、清酒愛好家としては月単位での情報が欲しい。消費者が「熟成」への意識を取り戻す為にも、矢張り「酒造月」を記載して頂きたいものである

 ※12 古酒とは新酒の対義語ゆえ、古酒に明確な貯蔵年数の規定は無く、新酒以外は全て「古酒」と表記出来る。詰まり一年寝かせれば「古酒」と為る

 グラデーションのある淡いイエロー。強めの、どっしりとしながらもすっきりとした酸の有る乳製品香(カッテージチーズ、ヨーグルト)、蒸米、黄桃、蓮華れんげ蜂蜜、丁子、そしてメイラード反応香(麦茶、べっ甲飴、ドライイチジク)が落ち着きを与える

 原酒らしい重厚なアタック、トロミさえ感じるテクスチャーと共に濃密な甘味が口内に押し込んで来る。しかし中盤からはアルコールの刺激と共に幅広の酸が口内を締め、長い余韻まで衰える事無く引き続く。正にフルボディ押し味の燗適酒で、当方が作成したグラフ(⇒清酒の味わい方)を突き抜ける程の濃醇辛口(熟成には最低でも酸度2.0が望ましい)

 旨味 によるふくよかボディなら瓢箪型 グラス、酸味による細い筋肉質ボディなら瓜実型グラスで。肉料理に合わせたくなること請け合い(その際は瓢箪型が好い。実際、これ程牛ステーキに合う清酒も稀であろう)

・30℃:揮発に拠るのだろう、原酒由来のアルコールの刺激が抑えられ、四味の全要素に綺麗なバランスが取れ旨い

・40℃:アルコール感が戻り、甘味と旨味の濃くが深まり旨い

以上から、自家長期熟成に挑戦する価値のある酒質を備えた旨酒である

岩手県:現在日本最大の杜氏集団である南部杜氏発祥地(とされる石鳥谷町)。古来から高い技術を持つ。新鮮な魚貝類を入手し易い為、透明感を感じる綺麗でキリっとしたタイプの酒が多い。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/iwate.html

第三十六瓶 燗酒

 ──「ゆるく飲める物こそが、清酒の在るべき本来の姿」、さてその心は? ちまたでは清酒の「個性」という事が主題として取り沙汰される昨今ですが、人口に膾炙かいしゃする余りこの語はもはや個性的ではないので(今まで散々使って来た癖にネ)、敢えて此処では清酒の「真髄」という語を当てて筆を進めて参ります。扨その心は?

 最近では、すっかりと定着したところでは、貴腐 ワインの様に甘味が強い物、これから拡大して行きそうな、シャンパーニュの様に 瓶内二次発酵 を経た物、そしてまだ試作的な、白ワインの様に酸が高い物といった話題性の有る清酒が造られていて、特に若手杜氏達が見せる、新境地を求める開拓者精神には目を見張るばかりであります。しかしそういった真新しい物のみを追い掛ける事は、己れの根っ子が無い者の所業であります。では「日本酒の真髄とは何か?」──それは今迄に機会がある毎に申して参りました通り、旨味 であります。今回はその先に進みましょう。では「その旨味を更に引き出すのは何か?」──それは、既にお察しですネ。そう、燗であります。

「飲み方を考えるのは高度な文化の表れ」とは以前『ワインと食事』の稿にて述べたところですが、「霙酒みぞれざけ(0℃)、雪冷え(5℃)、花冷え(10℃)、涼冷え(15℃)、日向燗ひなたかん(30℃)、人肌燗(35℃)、ぬる燗(40℃)、上燗(45℃)、熱燗(50℃)、飛び切り燗(55℃)」と、数々の美称を付した温度帯による飲み方を考案するほど日本人の文化性は優れていました(※1)。確かに温めるという作業はワインでもビールでもウィスキーでもあり、スパイス等を加え温めて飲むグリューワインは広く知られている所ですが、日本酒の様に何も加えずに温めて飲むのは極稀でありましょう。只、寒さの厳しいドイツでは高齢者がビールを湯煎して飲んだり、フランスでは体調不良時にワインを薬の様に温めて、又スコットランドでも風邪をひいた時には、彼等が “Hot Toddy” と呼ぶホット・ウィスキーを飲む事があると聞いた事はあります。が、いずれにしても特殊なケースと言えましょう。しかしながら日本酒の本来の伝統的な飲み方は燗にあるのです。徳利とお猪口🍶でちびりちびりと緩く遣る、それが日本人の在るべき姿であります。お洒落なワイングラスで燗は出来ません。それらは香りを感じ取るのに最も有効である事は「グラス」の項に記してあります。しかし繰り返しますが、ワイングラスでは出来ない事、それが燗であります。「じゃあ、温めた酒をグラスに注いだら?」と思う方も居られるでしょう。しかし燗酒は、保温効果が無い上に液体の表面積が広くなるグラスに注ぐと急激に温度が低下し十分な味わいの膨らみを楽しめない上、猪口に比べ好ましい苦味のある凝縮味も十分に活かされず、薄っぺらく感じられる嫌いがあるのです(よってグラスは25℃が限界か)。まさかフラミンゴの脚の様に細長いステムごと湯煎する人も居ないでしょう。尤も、自分ごと湯船に浸けながら飲む人が居ればまた別ですがネ。(※2)

 ※1 よって供出温度を定めない清酒のブラインドは難しい。清酒は光と温度の影響を最も受け易い繊細な酒ゆえ、少しの温度変化で全く違う表情を見せるからである

 ※2 クレオパトラがワイン風呂を楽しんでいたのは良く知られているが、清酒風呂もまた肌に好く、α-エチルグルコシドが保湿保温および荒れ肌防止効果、また抗酸化物質のフェルラ酸がメラニンや細胞老化の抑制を助けるという。「化粧はやめろ、替わりに酒粕で顔を洗え」と言う蔵人も

 では日本人はいつから酒を温める事を覚えたのでしょうか? そこで古い文献を紐解くと、万葉集にて山上憶良やまのうえのおくらが『貧窮問答歌』に「すべもなく 寒くしあれば 堅塩かたしほを 取りつづしろひ 糟湯酒かすゆざけ うちすすろいて」と詠っている事から、7世紀には既に「酒粕を湯でといて暖をとる」事が為され、当時の貧しい庶民はその酔えぬ薄酒で日々の労苦を癒していたようであります。また825年に嵯峨天皇が交野かたのに遊猟した際「煖酒」が勧められてその美味を褒め称えたとされ、『延喜式』(905年編纂、927年完成、967年施行)の平安中期以降には、儀式では冷や酒ですが、客を寒い晩に持て成す時は燗酒が一般化していたと言うほどお燗の歴史は古いようであります(相手の為に火を起こすという一手間掛ける「お持て成し」)。1013年頃成立した『和漢朗詠集』には酒を暖める記述が、そして13世紀の『宇治拾遺物語』には燗酒を飲んだ記述が見付かります。一方『三養雑記さんようざっき』(天保十三〈1842〉年、山崎美成著)巻三煖酒あたためざけに、「酒をあたゝめ飲めること、むかしよりのならはしなれど、今世のごとく、四時ともに常にあたゝめたるにはあらず『延喜式』内膳司ないぜんし土熬堝どごうくわ(陶製の壺、燗鍋の元祖)は、今の燗鍋にて、上古よりその器もあれど、煖酒あたためざけは重陽の宴より、あたゝめて用ゆるよし、一条冬良ふゆら公の御説のよし『温古日録おんこにちろく』に見えたり。徳元とくげんの『初学抄』に、扇は四時ともに用ゆるものなれど、夏の季なるよし、近ごろ酒も四時ともにあたゝめ飲めど、あたため酒といえば、冬の季になるなりとあり。さて酒のかんに、今燗という字をかけるは俗字なり。酒をあたゝむること、冷と熱との間に温むるといふことにて、間を字音によびて、かんとはいへるなり。燗は字書によれば、音闌おんはらん、爛と同じ」とあります。詰まり「燗酒」は古くは「煖酒だんしゅ」と書き、この「かん」は「熱からず冷たからず、その間」という意味という事が分かります。また燗はらんの俗字であるとありますが、カンは和訓で昔は酒、水、茶など適当に温める事をカンと言ったようで、現在では専ら酒に用いられるように為りました。また延喜式の時代は燗をするのに小さな銅鍋を直火で暖めたとの事ですが、それは時を構わずに行わなかったようで、重陽節ちょうようせつ(九月九日)の宴より後、秋冷気が感じられて以降にお燗をするようでありました。詰まり、曾ては秋(重陽・菊の節供)から冬或いは春(遅くとも三月二日即ち上巳じょうしの節供の前日迄)にのみ燗をして、夏には冷やで飲んだのであります。しかし江戸時代に為ると年中燗で飲むのが当たり前に為り(※3)、庶民は夏の土用に鰻とぬる燗で夏バテ対策をしたという事であります。江戸末期にはおでんを肴に燗酒を供する屋台店が出て来て「おでん燗酒」などとも呼ばれたようであり(当時のおでんとは豆腐や蒟蒻こんにゃくなどの味噌田楽の事)、そして昭和三十年代に為っても清酒はお銚子で燗をして飲むのが一般的或いは品が良いとされました。通常の宴席では清酒は燗で供され、お客に冷やで出すなどという事は失礼に当たるというのが持て成しにおける社会通念であったようで、勿論各家庭での晩酌も燗酒で、詰まり清酒の八割以上が燗酒の消費で支えられて来たのであります。ところが1980年代に為ると清酒の需要が低迷し始め、その原因は「燗に伴う煩わしさだ」と大真面目に議論される光景が見られたというではありませんか。しかしそんな無精者共の喚き声など聞き流し、「手間が掛かるものほど愛おしい」と思う情け深さを持って、今もなお真夏でも燗をして飲む人が居ます。「燗は人肌に限る」などと通ぶって、地球温暖化も何のその、猛暑にもめげず、世間のうるさい熱中症警告に耳を塞ぐかように締め切った部屋で火を起こし、冷房も付けずに鍋と頭から立ち昇る湯気の中、滂沱ぼうだたる汗を拭き拭き、我慢比べでもするかのように焦熱の季節に燗をして飲む人が居るのです! この目を見張るべき行為の裏には何かしらの人生哲学でもあるのでしょうか? 儘ならぬ人生で自暴自棄に陥った末の酔狂か、それとも結局唯の一個人の嗜好の問題に過ぎないのでしょうか? 何にしましても不自然な所業である事に変わりはありません。何故ならそれは、自然に則った感覚をお持ちの方には十分お分かり頂けると存じますが、気化熱の影響から、体からより熱を奪うアルコールは水より冷たく感じる為だからで、矢張り古人の遺風通り春から晩秋迄は冷やで飲み、晩秋から冬に掛けて燗酒を飲むものであるのです。いやはや、「温故知新ふるきをたずねてあたらしきをしる」の筆法とは正にこの事であります。

 ※3 フランシスコ・ザビエル(1506~1552、滞日1549~1551)の後に来日した同じイエズス会士フロイス(1532~1597、滞日1563~1597)は『日欧文化比較』(1581)にて、「われわれの間では葡萄酒を冷やす。日本では(酒を)飲む時、ほとんど一年中いつもそれを暖める」「われわれの葡萄酒の大樽は密封され、地面に横たえた木の上に置かれる。日本人はその酒を大きな口の壺に入れ、封をせず、その口のところまで地面に埋めておく」と、互いの風俗習慣の正反対振りを書いた

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徳利は保温性が高く、猪口は少しずつ味わえる為、燗に欠かせないアイテム(冷酒ほど大振りの器の方が美味しく感じ、燗なら小振りの器の方が味の凝縮感が出てより良い)

 ではこれより本題に入って参ります。詰まり、燗につける事で味わいは如何に変化して行くのでしょうか? 簡潔に纏めますと、①より辛口ドライにし、渋み や濃くを生みテクスチャーを引き締める ②アミノ酸や乳酸を増やし、米や糀の風味を目立たせ、甘味や 旨味 を豊かにする ③一方、温め過ぎはアルコールの揮発成分による刺激を鋭くさせる、という具合です。そして温度帯についてですが、ぬる燗が最も通好みとされ、清酒の柔らかさや旨味が十分に感じられる温度と言われます(※4)。それは、甘味は体温を越える37℃位で最も強く感じる為で、それ以上高温に為っても余り変わりません。一方、酸味は温度による感度変化は無いとされています(「然程・・変わらない」という意見もあるが、それは後述するように〈量ではなく〉質は変わる為だからであろう。であれば一般消費者の素人味覚では尚更「変わる」ように感じる為、一般消費者向けの当サイトでは後者の意見も反映させる)。そしてアミノ酸や乳酸は低温だとギスギスした刺激が出ますが、体温以上だと円やかに為る事もあり、それが 生酛 や山廃酛が燗適酒とされる所以ゆえんでもあります。此処には、辛口の酒は高温に強い性質がある為、加熱により不安定な状態に為りにくいという事もあります(勿論、辛口のがっちりした苦味が温度と共に上がる甘味度合いと釣り合う)。とは言え、この「温度と味わいの関係」は実に多様な要素が絡み合い非常に難解、どれだけ頭の中に知識を詰め込んでも、当方には実際に試してみて初めて「旨っ!」(予想以上)又は「こんなもんかな」(予想通り)或いは「ダメだこりゃ」(期待外れ)と、肌感覚で得た経験からしか分からないようにも思われます。しかしながら何もせずに諦めるのは余りに容易い事ですので、次に表をこしらえてみました。ご理解の一助として見てみて下さい。

※4 最近では日向燗が「新酒や古酒、吟醸 酒でも美味しく飲める」として親しまれているが、伝統的には、燗は人肌を以て良しとした。「酒の燗は人肌」という諺通り、清酒本来の甘味を引き出す35℃前後に浸けるのが良い。生理的見解では、甘味や旨味がニュートラルで刺激が無く体に優しいので、特にお好みがなければ、その語義からしても、是非人肌が温もる温度帯でお召し上がり頂たい。科学的裏付けとしては、42~45℃を越えエチルアルコールの沸点である78.3℃に近付くほど甘味度合いが下がり始めるのでその分苦味がより感じられるように為り、更に有機酸においては、50℃に至るとリンゴ酸は諄く苦い渋みが出、乳酸はやや酸が浮き出て渋みも現れ、コハク酸は諄い苦味や刺激的な酸味が感じられるように為るからである
ひやあついの「あいだ」故「かん」という説に則ると「熱燗」は在り得ない事に為るが、それは唯の理屈で、寒さ身に染む冬の熱燗は矢張り捨て難く、それは清酒の大きな魅力の一つである。身も打ち震える冬の寒風を受けて家路に就いた後に啜る、湯気に包まれた熱燗が身心に染み渡る様は、さながら慈雨に遭った草木の思いである。外国の外食生活に疲れた日本人が帰国する機内で熱い緑茶を啜り、深い溜め息を吐いて落ち着く時の様である。しかし熱燗を飲むのも厳冬の夜更けぐらいであった事は、落語の種本と為っている安楽庵策伝あんらくあんさくでんの『醒睡笑せいすいしょう』巻五の「上戸じょうこ」の条にも記載されている。実際、50℃を越えて来ると揮発性の香りが刺すように現れ、クリーム系の香りが無くなり炭っぽい匂いが出て来るから、熱燗否定派の意見にも頷ける。ところで健康面から言うと、体を冷やすワインに対し、日本酒は蒸留酒よりも体が温まった状態を維持させるとも。実際、蒸留酒はアルコールがストレートに回る酔い方をするが、特に燗酒はじわじわと心地好く酔いが回る為、冷え症気味の人に勧められる

 ご参考迄に、(特別)本醸造や純米酒はクリーム的しっとりとした甘味によるスムースなテクスチャーと穀物や蜂蜜様の風味により複雑みが引き出され、ボディが強まり豊かに為ります。純米(大)吟醸は酸・苦・渋による骨格や 押し味 が、次はトリッキーな遣り方ですが、フルーティでフレッシュな 生 酒は温度が上がるとCO2ガスの刺激感が立ち、ナッツ香の旨さが現れる傾向にあるようです。また古酒は燗適酒で、その豊かな香味を更に高めます。一方、吟醸 酒は冷やしめで飲まれる事が一般的ですが、それはデリケートタイプの物に限っての事で、香味の強いタイプは燗上がりし、果実的鮮やかな甘味や華やかな美味しさが活きます。この背景には、1970年代にナイフやフォークを使う欧州料理が日本の庶民層にまで浸透して来ると同時に、グラスを使う欧州ワインも広く受け入れられ始めた事があります。その影響もあってか、酒造業界ではワインの様な洗練された香味を出す酵母が開発され始め、一般人が口にする事の無い鑑評会用の吟醸酒が市場に出回るように為って来ました。そして吟醸酒はその繊細さが故に、加えて揮発性の高い吟醸香が鼻につく為に、更には吟醸酒に多めのリンゴ酸は20℃を越えて来ると締まりの無いボケた酸に為るという訳で、温めるべきではないとされたのです(※5)。今度はその逆の視点から述べますと、以前は、糖類を添加した普通酒の様な上質でない酒は冷酒としては難しく燗につけて飲まれる事が多かったのですが、それは温める事によってアルコール臭が飛び、甘・酸・苦・旨といった味が纏まりバランスが良く為る事で雑味が隠れるからでありました(※6)。そしてこの考えは現在もなお諸外国の方々のみならず前時代的日本人の脳裏にも根強く生き残っているようであります。恐らくそれは外国において熱燗は他に無いユニークで珍しい物であると共に、吟醸造りの清酒は入手しづらく且つ高価な為、燗適酒である普通酒や純米酒の方が多く出回っている為であり(※8)、また新しい物に懐疑的な年配の日本人は──人間の味覚は一度思い込むと中々変わらないという保守的な面も手伝い──昔ながらの清酒しか知らない為でありましょう。

 ※5 こと高価な大吟醸酒は絶対に冷やさねばならぬとされるが、それは冷やすと口当たりが好く為り飲み易く為るためであろう。しかし冷やし過ぎると香味が閉じ籠り、本来の味わいを楽しめなく為る。よって本当に飲んで美味しい温度は15℃前後、常温より少し冷やす事でリンゴ酸の軽快で爽やかな酸味が締まり果実感が生きバランスが良く為る

 ※6 電子レンジが発売された時、「電子レンジで燗すると二級が一級、一級が特級になる」とPRされた。因みに現在では「レンジの燗の味はフラット、好き嫌いはあろうがレンジで味が良くなるとは思えない」という声が多い。否定派の主張は「高周波で酒の分子を揺り動かすのは良くない。瞬間的に熱すると酒質が劣化する」。対し、肯定派は「瞬間加熱の方が酒質の変化が少ない。火入れも短時間で行われる傾向にある」と遣り返す。なお肝の小さい当サイト管理者は「時間がある時は湯煎、早く飲みたければレンジ」と、中立の意見で逃げます…(※7)。因みに、「高温で早くつけると引き締まった旨味が広がるため生酛系向き、ゆっくり温度を上げると甘味・旨味・香りが活きるため 生 原酒、吟醸系、繊細な古酒向き」とも言われる

 ※7 参考迄に、レンジの時間目安は徳利一本(一合)45秒でぬる燗(40℃)。また上下で温度差が出てしまう為、アルミホイルを皺に為らないよう首の部分にすっぽり被せると均一に温まります。又、徳利に先ず熱湯を通すのは「内部の匂い消し、埃払い、容器を温める」為です。蛇足:直燗(火燗)は直接火に掛けるため手軽な方法ですが、酒質を気にしないで好いような酒ならいざ知らず、兎角バランスの崩れたピリピリしたアルコールが目立つ酒に為りがちなので勧められません。興味深い昔の遣り方には、鳩徳利を囲炉裏いろりの灰に挿す「鳩燗」、湯の代わりに酒を使う「酒燗」(その贅沢振りから「馬鹿殿燗」とも)、貧乏長屋の弱い熱と光の行灯あんどんの上に徳利を吊るして温める、のんびりした「アンドン燗」等、風流(?)なものも在りました(古川柳に「お手前ら 行灯燗を 知るめいな」なんてものも)

 ※8 「カナダで消費される清酒の大部分が燗酒です。白ワインに近い摂氏8-12度で飲まれている清酒は25%もないかも知れません」──白木正孝氏(CANADA Artisan Sake Maker)

kitasangyo.com
お燗機能付き清酒(詳細情報→https://kitasangyo.com/SHC-System/SHC-Images/SHC_ppt_ed02.pdf
oenon.jp
「お燗番」は言わばお燗の専門家。客の好み、体調、飲酒ペース、料理等に合わせ、その客にとって最適な温度で酒を提供する、正に心まで温まる、日本的お持て成しの体現者と言えよう。「酒を煮る 家の女房 ちょとほれた」──与謝蕪村

 確かに昔ながらの清酒は──此処で言う「昔ながら」とは 速醸酛 が無い時代まで遡りますが──みな 生酛 か山廃酛、詰まり燗向きの酒しかなく、消費者も好んで燗酒を飲んでいました。「燗は江戸後期から発展して来た本来の飲み方」とか「元々清酒は燗向き」とか言われるのはこれが故です。対し「冷や」というのは、冷蔵庫の無い時代ゆえ冷やせない、詰まり常温で置き燗で飲むのが一般的だった為「温めない酒」という意味で、現代では「常温」と同じ意味と為り、20~25℃を指すように為りました。曾て貧民は冬に十分な暖も取れない事から「貧乏人の冷や酒」などとも言われたようであります。他に、良く耳にする名言に「親の意見と冷や酒はあとできく」というのがありますが、昔は冷や酒は敬遠されたものでした。それは、冷たくとろりとした 原酒 が喉元を越す快感と旨さは格別で飲み口が良い為、兎角とかく量を過ごし、最初の内は酔わなくても後で一気にいて来て深酔いするからであります。そして親の意見も同じで、当座はき流しても後で納得する事が多いという訳で、誠にご先祖は穿うがった事を言うものだと、唯々感服するばかりであります。一方で燗は飲む量に比例して酔いが進む為、飲み過ぎ防止にも為るのです。その訳は、例えば貝原益軒えきけんの医書『養生訓』には「温かい飲み物は体によい」とあるのですが、これを清酒において解釈すると、アルコールは体温に近い温度で吸収されるため時間差無く吸収され、酔い過ぎる事が少ない、と説明する事が出来ましょう。科学指向の現代風に言うと、二日酔いの原因でもあるアセトアルデヒドはどの酒にも含まれるのですが、それは沸点が21℃と揮発性が高い物質の為、燗につける事で体への負担が軽減出来るからであり、加えて、清酒はワインよりも長く体に残留しないという事もあります。

 他の利点としては、温めた酒を飲むと舌の味蕾(⇒続・ワインの味わい方 -葡萄酒との対話-)が開いて来て、味を鋭敏に感じるように為ります。また旨味成分は温度によって花開く為、特に確りした造りで熟成させた純米酒なら豊かな香りや濃くが立ち、料理の味や油に負けないより汎用性の有る食中酒に為ります。より具体的に言い換えますと、確かに燗によりアルコールと共に香り成分も揮発してしまいますが、その分乳酸やアミノ酸量即ちコハク酸やグルタミン酸等による旨味が増加する為、塩辛い料理や生臭い料理の臭みをマスキングし、旨味が豊かに為るのです。燗により甘味は快適さと共に厚みも増し、酸を柔らかい質にして料理を包み込むような相性が作れる為、料理の塩味との相乗、詰まり青魚や魚卵にも合わせ易く為るのです(特に珍味は熟成し、発酵して癖が強い為、燗酒に合う)。そして後口の切れが良く為り、口中をさっぱりさせて、次の摘まみへ進ませ、良い余韻も残すのです。おお、たった一本で和え物、生物なまもの、煮物、焼き物、揚げ物、蒸し物、水物と通して楽しめる清酒は歌舞伎の変化へんげ物にも喩えられましょう!(※9)

 ※9 温度のペアリング(⇒五味と五感から知る! ワインと料理のペアリング法)。例えば、刺身やサラダには冷やで合わせる事。冷vs温だと口内で温度同士がぶつかり合う。より繊細な方法に、ワインの様に デカンタージュ して少し温度を上げて酸味と広がりを出し、料理との相性を強める遣り方もある。ところで、その味わいの変化から個人的に信じているのは、「冷酒から燗酒への移行は、白ワインから赤ワインへの移行に似ている」という事。冷酒に適した吟醸酒には白ワインに似た果実香が有りスルスルと飲が進むが、一方で燗酒は渋みや苦味を感じさせ、舌を打ち鳴らす所作を生じさせる。それは赤ワインと共通したもの、「舌を打つ旨さ=酸味+ミネラル(塩味、苦味)+渋み」である。物のついで、変化舞踊をその目で篤とご覧あれ(⇒長唄 『鷺娘』立方:花柳まり草〈27:47〉9:40からの鮮やかな変化及び20:00~24:00の一連の変化、しなやかな舞にうっとり(´∀`*)、日本舞踊『藤娘』立方:由井寧々https://www.youtube.com/watch?v=Rm4vE-m0m7c〈14:23〉豪華絢爛な衣装、愛らしい舞ににっこり(*´艸`*)

 そう、清酒は燗で化けるのです。しかしそれは多くの俳優が遣るような、お着替えお化粧お飾りの表面的な七変化ではありません。むしろそれとは正反対、燗につけるとそれまで様々な要素にカムフラージュされていた部分が裸に為り、本来の味が姿を現わすのです。特にぬる燗はより素性が明らかに為ります。そして本物の酒は「燗冷まし」でこそ真価を発揮します。風味や切れが増し、飲みにくい味や香りが全て姿を消し、米の味や旨味だけが残るのです。成る程、燗冷ましは清酒業界の常識ではまずい飲み方という事に為っています。しかし芯が確りした酒(→並行複式発酵)は、たとえ 生 でも燗に耐えるのです。割り水した 原酒 でないアル添酒(→生一本)が燗に向かないのは酒の組成が壊れる為で、手抜きの吟醸酒を燗にすると人工的な付け香や合成的な酸が目立ちバランスを崩すのは、醪が完全に発酵していない時にアルコールを添加する事による低質なお里・・が故であります。確かに燗のしたてはアルコールの揮発と共に香りが立ち酸も立ちます。突出したものばかりがパッと出て来るのです。これを「酒が暴れている」と言ったりするのですが、だからこそ燗をしたら暫く置いて「燗冷まし」をするとバランスが良く為り、より円やかに為るのです。そして常温位迄に冷めると、内に秘めた旨味が一気に引き出され、詰まり、燗冷ましは化けの皮を剝がすので良い酒にしか効果がないという事なのです。特に 生酛 系の燗は燗冷ましにした方が生酛感が和らぎ味の特徴が出ます。大吟醸生酒も燗につける事で、落ち着きの無い粗雑な甘・酸・苦のバランスも見違えるように腰が座って纏まりが生まれます。それはまるで無邪気な小童こわっぱが、酸いも甘いも知り苦み走る日本男児へと成長するようであります。これが清酒の「真髄」、燗とは一言で言えば瞬間熟成。眠っていた旨味がはっと目覚めた、全ての要素を感じさせる調和状態なのであります。

〈補足〉「燗上がり」する酒(燗適酒)の必要条件、等

 ①エキス分(主体は糖分、甘辛や濃くを司る)②アミノ酸量(旨味と雑味は表裏一体)③(乳)酸量(女酒男酒〈→水〉問わず、双方共に複雑さ、詰まり味の幅は必須)↔これらが伴わない酒は燗につけると不味く為り、それを「燗下がり」「燗ダレ」すると言う。

 温めると甘味を強く感じ、酸味は(然程)変わらず、ゴク味は弱く感じるので、燗適酒とは純米酒や古酒など酸度がやや高く、押し味 の多い物とされる(五味〈→味わいの分析図〉において、甘・旨は35~40℃で最も感度が高く、塩・苦〈・渋〉は温度と共に感度が下がり、酸〈・辛〉は温度に〈然程〉影響されない)。各味の成分値は各酒によって異なる為、必然的に適切な温度は酒ごとに異なる(※10)。したがって、先ずは冷やで少し飲み、燗によりどの味が引き立つのかを推測する事である。例えば、「熱くしても大丈夫か、少しの燗でも旨味がワッと出て来るのではないか」等である。又、基本的に燗はいたわるように行うのが最善。酒も生き物だから優しくしよう。ゆっくり旨味を引き出して行きたいので、急速に温度を上げるのは邪道とされるが、山廃の熟成酒だけは温度を緩々ゆるゆる上げては駄目で、一度70℃位迄ガンと上げてパッと華やかに開かせ、それから50℃以下に落としキュッと締めるのが良い。

 燗は香りの華やかさではなく味わいの深さを楽しむもの。燗酒は鼻でなく喉で味わう酒である。よって香りを開かせるグラスではなく、空気を溜めない盃や猪口で飲むのが伝統的にも、生理的にも、科学的にも相応しい。宛ら加熱熟成するマデイラ(→メイラード反応)や酸化熟成するオレンジワイン(⇒旨味のオレンジワイン)の様に、どれも同一系の香り(蒸しパン、栗っぽさ、炊いた米、籾殻的穀物、カステラ、カラメル、ナッツ、チョコレート等)に落ち着くのは否めないからである。

 しかし上記の香りの特徴と個人的な実験から、燗は基本的に蒸しパン(特に卵風味の)、ミルク/ホワイトチョコレートや胡桃に合う(カカオバターや胡桃中の脂分が広がる)。生酛 系はダークチョコレートも可。

 ※10 飽く迄も一般的にだが、所謂いわゆる4タイプ別清酒の最適温度としては、薫酒は8~15℃、爽酒は5~10℃、醇酒は15~20℃又は40~50℃、熟酒は15~25℃又は35℃前後である

本日の箴言

If it is heated or chilled incorrectly, it will lose its flavor. This is the challenging yet rewarding side to drinking sake.

東京農業大学編 『国酒』“Traditional SAKE made in JAPAN”

「不適切に温めれば(又は、不適切に冷やせば)風味が失われる為、燗は酒を飲む上で厄介な、しかしその分報われる技術である。」(管理者訳)

記念日の一本

ひこ孫、純米酒(徳島産山田錦100%、精米歩合55%、日本酒度+6、アルコール度15.5%、協会9号酵母〈発酵過程でクエン酸よりもコハク酸や乳酸が多く出る〉)(神亀酒造、埼玉県蓮田市)

 濃いイエローの外観は蔵内三年以上常温熟成によるもの。適正に管理された事が分かるねていない適切な熟成メイラード反応香が主体:味醂、蜂蜜、カラメルやメープルシロップ、クミンやシナモンといったスパイス、ふくよかな炊いた米、軽めのチーズ香(カッテージやシェーブル)、また石灰の ミネラル 香

 喉元に押し寄せるアルコールの熱さと 押し味、18℃以下では酸が主張し苦味が雑味を感じさせるため適温ではない。0.5%程と極少量の加水の為か、分厚くぶれない酒質は燗酒用に設計された事が分かる

・20℃以上:上昇する甘味度合いも手伝ってより酸が円やかに感じられると共に、アルコールや苦味のきつさが無くなる

・30℃以上:クリームや蒸しパン、カステラ、又蓮華レンゲの蜂蜜やミルクチョコレートの香り。熟成香と共に甘・酸・苦・旨味が溶け合い、四味の区別が付かないシームレスな味わいに為り、体温に近付いた事もあってしっとりと口内に浸み込んで行く

・40℃以上:アルコール臭の揮発や苦味が出始める。熱由来か、再び低めの温度の時の様にアルコールの熱さも出現。とは言うものの、旨さは相変わらず

 日向~ぬる燗がベスト。燗冷ましでも味わいは全く揺るがない。重心が下がり、まったりとし、平坦な感じには為るが、体に負担が掛からず優しく入って来る、ほんわかした酔い。「酒は燗にして飲むのが基本。特に純米酒については、造って丸一年経た物は全て燗が相応しい」という事が身に染みて感じられる。燗、即ち温度で遊ぶ面白さを知るには恰好の品

江戸時代末期の嘉永元(1848)年創業。昭和六十二(1987)年、戦後初の純米酒造り、1987年に日本初の全量純米蔵に転換(日本は敗戦によって各分野の日本人研究者達が必死に積み上げて来た貴重なデータの多くを失い、蓄積してきた技術が使用出来なくなる事もあった。それは清酒業界も例外でなく、純米酒の醸造法を記した教科書は戦争で焼失し、戦時中登場した増醸酒の製造方法によりその技術は不要と為り途切れた。当酒造七代目蔵元の小川原良征氏が戦前の清酒を知る高齢の杜氏から教示を受けて復活させた。確かにアルコールを添加する前の醪は米と米糀及び水のみが原料であるから、その儘せば全て純米酒だが、氏曰く「本醸造からただアルコールを抜いただけではおいしい純米酒にならない。」多くの本醸造酒は「アルコール添加普通酒の親戚」に過ぎず、その味は醪を完全発酵させた純米酒の爽やかさ、自然の旨味には到底及ばない)。純米酒愛好家で神亀酒造を知らない者はもぐりと見て間違いない。毎年の冬、一度は楽しみたい酒(88℃の煮え燗にしても酒質の崩れが無いという!)

埼玉県:江戸前海川系濃醇旨口。一大消費地で、東京に近く古くから酒造業が繁栄し、酒蔵数および出荷量が多い。何でも、埼玉の酒蔵は個人プレータイプで集団行動が苦手なのだとか。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/saitama.html

第三十二瓶 清酒の味わい方(味わい)

 前稿の箴言を私流に解釈しますと、「清酒における極めて狭い品質差を広く認識する事にこそ限り無い楽しみが存在する」という具合です。この表現は非常に紳士的に、好意的に現在の清酒の質の在りようを見たものですが、より具体的に言い換えますと「酒米は山田錦一辺倒、速醸酛 の規格化、そして酵母の一様化も合わせ、清酒の差には限りが在る」、ざっくばらんに言うと「どれもこれも没個性」という事です。しかしそんな有りていな言いようでは身も蓋もありませんし、ひょっとしたら私が悪意に満ちた非紳士的な人間と誤解する読者諸賢がおられるかも分かりませんから、もう一度前向きな姿勢で先の箴言を味わってみましょう。「極めて狭い品質差を広く認識する」、この様に清酒の風味を捉える能力はどのようにすれば得られるのでしょう。その為には、一通りでない飲酒量と訓練時間が要求されます。詰まり 並行複式発酵 による高アルコールにもへこたれない丈夫な肝機能と一口ひとくち一口を等閑なおざりにしない認識への意志であります。ついでに、資源ゴミ回収の朝に数々の酒瓶を抱え持つ腕力と、冷ややかにそそがれるご近所さんの視線を無視する図太い精神力も有ればもう言う事無しです。一方、「極めて狭い」ながらも「差」がある事に注目すると、それを生んでいる要素は一体何か、という疑問が湧いて来ます。その答えは恐らく 水 という事に為りましょう。しかし水の個性は硬度の違い程度で、無味無臭の水の差がどれほど一般消費者に分かるでしょうか? 残念ながら、清酒が文化の多様性を失っている事は否めません。「酒瓶は依然様々に異なるラベルを付けてはいるが、中の酒の組成は次第に似て来つつある」とはアンドレ・モーロワの至言ですが、皆一律に淡麗辛口指向へと向かい、どれもこれも外観が同じなら香りも同じ、そして味わいも同じという状況に陥ったからこそ、色の付いた物、香り高い物、そして味の濃い物に価値が認められるように為っている訳です。そしてそういった反動的な流れを起こすのは、いつの時代も奥深さを追う一部の熱狂者マニア達です。現代の清酒が研ぎ澄まされて高い完成度に仕上げられた反面、風味の多様性を喪失してしまった事に満足出来ない好事家こうずか達に一縷いちるの望みが懸けられるでしょう。彼等は「ワインの風味より清酒の方が更に微妙で繊細な魅力がある」と知り、それらが水質や米質、米の磨き具合、更には糀(※1)や酒母(酛)、そして醪の操作の違いから来る事も知っています。清酒の泰斗たいと坂口謹一郎先生曰く、「酒を造るものは酒造家であるが、これを育てるものは国民大衆でなければならない。国民一般が多年の統制の結果、高貴な鑑賞能力を失い、真の酒の良さというものを理解できなくなり、また酒造家の方も自信を失ってしまったら、日本の酒は亡びるよりほかはない。」消費者の味覚と知識が研ぎ澄まされ、消費者が本物を分かり本物を求めるように為った現在、ブランドやボトルの形といった外身の差異に加え、中身の差別化を推し進めなければ情報化の波に乗る事は出来ないでしょう。実際、飲み手の意識の変化が造り手の意識を変え始め、鑑評会で金賞を取るような専門家向きの酒ではなく、飲み手が求めている酒を目指す造り手も増えています。清酒が途轍もなく狭い範囲内での違いで差別化されている現状、清酒の多様性、独自性を復活させる事が肝要で、2017年時点で1594場ある酒蔵(※2)の内、それに気付いた幾許いくばくかが行動を起こし、また幾許かがその後に続いているのです。そしてその行動に望まれるものとは何であろうか? ──それは、多様な酒米の復活とその育成であります。(延いては産地も含む)

 ※1 コウジカビの学名は Aspergillusアスペルギルス oryzaeオリゼー「米のアスペルギルス(麴菌の属:先端の胞子が付く部分『項のう』の形がキリスト教祭司が用いる聖水を振り掛ける『灌水器かんすいき』に似ている事から命名)」。特定名称酒の種類により振り掛ける糀の量は異なり、例えば大吟醸造りだと少なく、純米造りだと多めにするという(純米酒は余り米を磨かないので、心白の周辺部も残り糀が中々内部に入り込めない為。なお糀歩合は特定名称酒では15%以上〈通常20~23%〉とされているが、その破精はぜ込み具合や破精廻り、もしくは老若程度等によって糖化力に大きな差がある為、単に使用量のみで良否を決する事は出来ない)。又、酒母糀用、醪用の他にも吟醸酒用や純米大吟醸酒用、アルコールが出易い普通酒用、そして甘味の元に為るグルコアミラーゼの出るタイプなど様々に開発が進み、種糀は現在百種類弱も在るという(したがって糀の種類表記は単純ではなく、更に多くの場合単品ではなく複数種を混合して造られる上、掛ける時間や加えるタイミングも大きく影響する為、「一麹二酛三仕込み」と言うように糀は風味に最も大きく関わるものの、其処から推測するのは難しい。速醸酛 の発明者江田鎌治郎氏は糀の老若についても述べておられ、例えば「辛口酒には比較的稍々ややひね麴を使用し、醇良酒にはわか麴を使用すきとは当然にして、或程度迄麴を若くせざれば到底風味ある酒を造り得られざるなり」と仰っておられる。詰まり、若い方がちからが有り香気が若々しく良いけれども糖化力が弱いため味は淡白と為る〈白砂糖の様なあっさりした甘味〉。余りなすと糖化力は十分でも肝腎な香気が劣り、酒の色沢と味が濃厚にして下品に為る恐れがある〈赤砂糖の様な諄い甘味〉。よって適当な時期に出麴するよう注意すべし、との事)。コウジ菌を蒸米に繁殖させたのを種麴もやしと言い、これを製造する業者を「もやし屋」と言うが、現在は全国で十社余り。その中でも醸造用の種菌を作っているのは三社のみで、その僅かな会社で全日本が必要とする分を賄っていると言う。又これは世界史的に見ると奇跡の商売らしく、微生物の種を売るのは今も日本だけ。昔は杉の若葉を陰干しして置くと黴が付くので、これを種にして糀を作ったという。現在は蒸米に木灰を振り掛けて置き、そのアルカリ性の環境下では糀黴以外の菌は死滅、糀黴だけが木灰が有するカリウムにより生育する特徴を利用し、胞子だけを取り乾燥させて種糀もやし商品を完成させているという。因みに、米で作る「こうじ」は和字の「糀」と書くべきであり、麦で作る「麹」という漢字を当てるべきではない(確かに「麹」は古代の酒造技術として大陸から伝わった物の一つだが、大陸性の中国や朝鮮半島とは異なる海洋性で湿度が高い日本列島の気象条件テロワールが、新たな「糀」を生んだのである)

 ※2 この中には酒造免許は所有しているものの、実際には運営していない蔵が300程在るという

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『童蒙酒造記』(巻一)には、麴蓋に盛った夜、灯で透かして見ると所々に「花」(胞子)が見えるようになり、これを「麴の足」と言ったという内容が記されている。『和漢三才図会』には、盛り後二日一夜で麴菌が殖えて白衣を生ずるとあり、これを「白花麴」とも呼んだ。蒸米に米の花を咲かせた「糀」は「國菌」として2006年日本醸造学会大会にて認定された。即ちそれは、糀菌が日本人の物の見方や考え方、そして日本社会に大きな影響を与えて来た微生物として公式に認められたという事である(因みに、國花は菊と桜、國鳥は雉、國魚は鮎、國蝶はオオムラサキ)

 酒造米として栽培が奨励される品種は各都道府県によって決められ、毎年農林水産大臣により「産地品種銘柄」として公示され、東京都と沖縄県を除く45の道府県で認定されています(⇒https://www.maff.go.jp/j/seisan/syoryu/kensa/sentaku/attach/pdf/index-34.pdfのP7~9)。この一覧表をご覧に為った方々の中には、醸造用玄米の品種の多さに驚かれた方もおられるかも分かりませんが、年々その数は増加しているようです。とは言え、勿論ワイン用葡萄品種に比べたらまだまだ物の数ではありません(OIVによると、ヴィティス・ヴィニフェラ≒6000種 > 国際品種=33種 > 主要品種=13種)。それでもその数は本稿で一々紹介するには余りに膨大な上、その大多数が一般消費者の手に渡る機会も中々無い物でしょうから、此処では我々が見付け易い、ワインで喩えるなら「土着品種」ではなく、言わば「国内品種」である生産量上位四種についてご紹介差し上げる事と致します。

J.S.A.SAKE DIPLOMA 二次試験も、これら基本四品種を押さえてから臨む事に為ります。なおワインとは違い香りから原料米の違いを探るのは難しく、それよりは酵母の種類を言い当てる方が容易かも知れない

 左から、新潟県産米生産数量五百万石(一石≒150㎏)の突破記念で1957年に命名された「五百万石」。雪を頂く北アルプスの山の様に美しく白い心白を持つ事から名付けられた「美山錦」。生産量1位、兵庫県が58%を占め且つ最高品質(※3)の「山田錦」(「~錦」とは心白部を見立てた呼び名)。そして酒造好適米が出来た昭和24年では最高級の酒米として各地の酒造家の羨望の的だった「雄町」。雄町は山田錦にその座を奪われたものの、今なお熱烈な愛好家は多く彼等は「オマチスト」と呼ばれ、岡山県のJA全国農民組合、酒造好適米協議会、酒造組合の三者により「雄町サミット」も開催されています。しかしこれらは主に高級酒に使用される酒米で、幾ら清酒がワインに比べて遙かに良心的な価格を維持していても、毎日毎日飲める代物でもありますまい。酒造ではワインの様に味の特性を補足し合ったり、相乗効果を求めて異なる品種の米から造られた酒を アサンブラージュ する事は少ないのですが、しかし手頃な価格で提供するには全量をこれらの高価な酒米だけでは造れません。したがって原料米をブレンドするという事は多くあり、例えば酒質を左右する最も重要な糀や酛造りには酒米を使い、後から蒸して加えられ全体の八割を必要とする醪を仕込む掛け米には安価な飯米が使われたりします。

 ※3 山田錦の故郷である兵庫県には「村米制度」が明治20(1887)年代には生まれていたとされ、そしてそれは現在に伝わり、特定酒造家と特定集落とが直接契約栽培している。その成立の背景には、倒伏し易く収量も多くない酒米の栽培は採算が合わず、農家が酒米を栽培しようとしない為、その対応策として特定地域契約を結び、農家が良質な酒米を安定して生産する代わりに、酒蔵は通常米より高い価格で毎年一定量を買い上げるという仕組みがあった。歴史的に見ると、取り引きに当たって農家は酒造家が求める酒米を生産するべく品質向上に努め、そしてそれが別の集落との競争を生み拡大して行き、土壌や地形などから栽培適地が見極められ、取引価格に差を設ける為の集落ごとの格付けが行われて来た。酒造好適米の栽培は、内陸の低山や丘陵地帯の山間または盆地の風通しの良い所が適地とされるが、それは昼夜の気温差が大きい事で米の成長と心白の発現が良くなるからである。そして特A地区の多くはこの条件を備えており、且つ降水量が少なく、2-1型スメクタイトと呼ばれる黒粘土土壌を有している(風味に立体感や厚みが出る。なおシャトー・ペトリュスの土壌もスメクタイト)。更にその中でも、植物化石由来の窒素、リン酸、カリなどを豊富に含む神戸層群の地層を持つ地域からより良い米が生産されている(同じ山田錦でも、或る県の物は兵庫の物より雑味に繋がるアミノ酸を三倍程も含んでいるといった違いもある。又、北で生産される山田錦は南の物より軽い)。この制度はシャンパーニュ地区畑格付け「エシェル・デ・クリュ」に相当し(但しこれは村米制度より30年程後の1919年成立)、特A-a地区は言わばグラン・クリュである(中でも吉川町と東条町は別格とされ、前者の山田錦は野性的男児、後者のそれは優雅な別嬪べっぴんさんに喩えられるとかで、シャンパーニュにおける剛直なブジーと華麗なクラマンといったところであろうか)。特A米の価格は普通の酒米の三倍で、稀少な米を譲るからには信頼ある蔵に卸される。詰まり「特A地区産山田錦」とラベル表記された酒は、確かな米質と確かな醸造蔵から造られた、中身に疑う余地が無い酒という事である

 ところで、矢張り清酒の味わいを捉える上で、アルコール度数は勿論の事、酒母の違い(速醸酛〈より淡麗〉< 生酛〈濃厚だがすっきりとした酸あり〉< 山廃酛〈濃醇で確りとした酸があり骨太〉)、そして何よりも日本酒度(※4)、酸度(※5)、アミノ酸度(※6)を無視する訳には参りません。しかし、美味しさというものは数値化出来ないのは言う迄も無く、それらの数値データを単体で見ても意味は無く、寧ろそれで味わいを判断するのはプロでも難しい事で、其々の包括的な座標軸で考えなければ味わいの全体像が見えて来ないのです。イメージとしては [①先ずはアルコール度数を見て量感を見る ②アルコール度数が同じなら日本酒度から残糖分が比較出来る ③アミノ酸度により量感の広がりが分かる ④酸度により余韻の長さや味わいの引き締まりが分かる] というように、最初に横の膨らみを見て、それから縦長の延びを見る流れであります。って言っただけで「うんうん」と理解出来る方はこの泡沫サイトに遣って来る訳も無い練達の士だけでしょう。今回は、特にラベルやWEB上から情報収集し易い日本酒度と酸度に注目して、味わい像を具現化してみました。(「非公開」という表記は、勿論企業秘密という場合もあるだろうが、年毎の造りが異なり統一出来ないから、という意図もある)

清酒には元々 渋み や辛みといった刺激的な要素が少なく、甘味や旨味などの快適な味が主体なので、酸味の量の僅かな違いでも大きな影響が出る(よって酸度の軸の幅が狭い)。低アルコール清酒では、一般的にはボディの軽さを補う為に甘味や酸味を強くしたり、発泡感を持たせたりしてバランスを調整している。又「旨口」というのは甘味が多い事が多い。それは砂糖が希少品だった時代「甘いは旨い」とされた為であろう。江戸期には甘味料として味醂が非常に大きな役割を果たしていたとも言われている。しかしこれ全て旨みより軽みの昨今、都会人を中心とした急速な体力と気力の低下。「甘くないスイーツ」という矛盾した代物しか喰えない人々の減衰した生命力…一千年前はどれほど高貴な身分の人々でも甘味に満ちた飲食物を口にする事は出来なかった。そんな中で酒は高いアルコール度数も手伝う甘さあっての物であった。江戸期の再現酒も販売されている現在、たとえそれが甘過ぎて現代人の口に合わなかろうと、文化を味わう者であれば唾棄する事など在り得ない

 さて此処で今一度中学生に立ち戻って、数学の関数のお時間を思い出しましょう。既に皆様は時代的センスのズレた学校教師という存在を乗り越えた人々ですので、まるで軍隊の訓練の様に苦渋と辛酸を舐めた授業も甘い思い出として甦って来るのではないでしょうか? 彼等が実は私達が逢う在らゆる大人の中で一等手強てごわくない大人であった事を思い出しながら、教師のはしくれであるそれがしからも知識だけを十分に吸い取って頂ければと思います。──閑話休題、座標の点を(日本酒度,酸度)と表すと、例えば日本酒度−1で酸度1.4の清酒は(−1,1.4)と為り、中学一年生の頃の様に一マス一マス座標を追って行った結果、この酒は実にバランスが良い味わいの物であるという事が推測されます。そう、飽く迄「推測」で「断言」は出来兼ねます。度々申し上げて参りましたように人の味覚には個人差がありますし、実際はこの二次元の表にアミノ酸度が加わって来るからです(当方の力量では三次元の具現化はムリでした(;´д`)。無論アルコール度もお忘れなきよう、後は皆様の想像力に委ねます)。何より酒は生き物ですから、搾ってからも変わって行き、無論保存環境によっては大きく変わって行きます(※7)。だからこそワイン程ではないにしろ、同じ銘柄でも毎年微妙に違う出来上がりの味(※8)を楽しむ事が出来ますし、秋上がりなら春との味の違いを楽しむという乙な飲み方があるのです。結局私達は日本酒度や酸度といったデータだけで酒を飲む訳ではありません。係数だけで割り切れるほど酒は単純ではありません。飽くまで官能、即ち「ベロ勘」優先で判断しなければならないのです。所詮科学的裏付けは結果に過ぎません。しかしそれでも冒険するのは避け、個人的に決まった嗜好を優先したいという方は是非上の表を活用して頂ければと思います。私個人の例を挙げると、どうやらこの舌はバランスの良いタイプをより美味しく感じる傾向にありますので、緑色の枠に嵌まる座標の酒を選ぶ事に為りましょう。

 ※4 当初の呼び名は「清酒メートル」。これは「酒中のエキス分の量がアルコール量と比べて如何程か」という4℃の純水における濃度の比重値で、厳密には甘辛を示す数値ではない。しかしエキス分は糖分が主体の為(他にアミノ酸やカルシウム)、結果「濃い / 淡い」即ち「甘い / 辛い」に繋がる(※9)。糖分が同じであっても 原酒 の様にアルコール度数が高く為ると比重が軽く為る為(アルコールは水より軽いので糖分が無ければ水に浮く)、数値的には辛口であっても、アルコールによる甘味度合いが上がる為、官能的にはより甘く感じる(逆に低アルコール酒の場合は数値的に甘口に為るが、官能的にはより辛口にも感じる)。無論酸の量が多いと甘味を相殺してより辛口に感じ(例えば林檎のフジと紅玉とではフジの方が甘く感じられるのは、同じ糖分でも紅玉の方が酸味が強い為)、苦味においても同様である。香りに甘やかな果実や花の印象が強くても甘口に感じられる(ワインだとゲヴュルツトラミネールやヴィオニエのイメージ)。一方、この日本酒度とは単なる比重ゆえ、アルコールを多く添加した酒は日本酒度が大きくプラスに為る。よって辛口の酒は良い酒であるという思い込みは厳に避けた方が宜しい。加えて甘辛度は合わせる料理によっても変わり、個人差もある。又、清酒が含有する糖の中でグルコースが全体の70~80%を占め、糖類による甘味の主体はグルコースであるが、残りの20~30%のオリゴ糖は甘味と共に濃く味にも関係すると考えられている

 ※5 一般に酸度が1.0以下だと淡麗で軽快、1.5以上だと濃醇でストラクチャーがしっかりして余韻の切れも良い印象に為る(一般的には2.2~2.3が限界とされる。因みに酸度8で大体白ワインの酸と同じ)。清酒には多い順からコハク酸、リンゴ酸、乳酸、クエン酸などの有機酸(⇒味わいの分析図)が有り、この四種が全体の八割以上を占める。しかしその量は白ワインの1/7~1/10程度で、ワインに比べ清酒の方が総酸度が低いだけでなく、コハク酸や乳酸およびアミノ酸といった円やかな酸が多い為、また酒造過程で醪中に酵母が食べ切れていない糖や糖に分解されていないデキストリン(言わば水飴)が5~6%残る為、どうしても甘い印象が残る(と言うか米は抑々甘い)。(中でも純米、生酛、山廃〈特に石川県〉は酸味が多い傾向にあるが、それは旨味が多く酸を効かせないとり張りの無いでっぷりとした酒に為ってしまう為。また地方で見ると関西は酸味が多めで、関東は少なめ〈東日本はより低温地の為、西より酵母の活動が弱めの為〉。酵母では7号と11号が多く、10号や14号は少ない。又、有機酸の約73%が醪で生成されるという〈酒母からは17%〉)

 ※6 アミノ酸と言うと全てが 旨味 成分と思いがちだが、実際は甘味や酸味、苦味も感じる。例えばグルタミン酸は酸味を、アラニン、アルギニン、グリシン、プロリンには甘味を、ロイシン、バリン、そして先述したアルギニンとプロリンには苦味を感じる。アミノ酸度は1.2を越えると甘味、旨味、ボディーのある酒質に為り、吟醸酒では1.0~1.3程度、純米酒では1.5前後が多く、低精米酒や熟成古酒では2.0を越える物もあり、数値が高いほど清酒の味にふくよかさ、濃厚さ、広がり、濃くを与える。一方で、低精米の純米酒は味が有り過ぎる、旨過ぎる、どうしてももったりした感じの酒になりがちで飲み飽きるという声も(アミノ酸は勿論、旨味のある有機酸も料理では美味しさに繋がるが、清酒ではどよーんとした印象になる為、コハク酸とグルタミン酸は数値を抑えた方が良いとされている)。雑味だらけの酒質に為る事を、技術者の間では「酒に為らずザケに為る」と言うが、アミノ酸こそ清酒の強みであり、他の酒類にない特徴すなわち個性でもある為、醸造技術が進歩する中でも敢えて低精米を選ぶ造り手も増えている(2004年1月1日より純米酒の精米歩合70%以下という規定は撤廃され自由化された)。曾ての 吟醸 ブームの時の様に飲み易さばかりを追求すれば、即ち無味無臭に為れば為るほど飲み易い事に為り、清酒の魅力を捨ててしまう事に為る。蛇足だが、精米歩合50%以下において5%刻みの違いによる酒質の差異は微々たるもので、60%から55%、そして50%に至る段階ほどには歴然とした違いは生じない。そして技術の無い杜氏による40%の酒は原料処理が難しく為る分、名人杜氏の60%の酒よりも却って劣るという

 ※7 清酒の劣化三大要因は光、熱、酸素で、特に紫外線に弱い(日光は無論、照明も駄目なので、黒や茶色の遮光性瓶で対策している。白色瓶に入れて直射日光に三時間程晒すと3~5倍に増色する)。故にフロストボトルは、霧の様に表面加工した磨り硝子により光の乱反射を増やし、最も光に弱い為、日光臭と言う焦げたような匂いが付き易い。アミノ酸は光と温度に影響を受け易いが(→メイラード反応)、ワインの様に酸化による変化はあまり大きくない為、開栓しても冷蔵すれば少ない変化で済む。理想的には、0℃付近が適温(鑑評会出品酒などを蔵が保管する場合、0~2℃位が多い。尚、アルコール度数にもよるが、清酒は−7~−10℃でなければ凍らない。が、冷凍庫で保管するとバランスを崩す)。「日本酒は要冷蔵、開栓後は直ぐ飲み切るべし」という今の常識は、以前の吟醸酒全盛期に定着したもので、伝統的な生酛を始め、しっかりとした造り(→並行複式発酵)の純米酒は空気接触により秘めた素質が徐々に現れる。そういった酒は常温保管すると熟れて深みが出る。田崎真也氏(⇒お役立ちワイン映像集)は「市販酒の吟醸タイプを冷蔵庫、本醸造、純米タイプをワインセラーと分けて熟成させています」との事。蔵元では、純米酒(確りした造りで精米歩合が60%程)は18℃前後、純米吟醸酒(精米歩合が50%以下)は8℃前後(5℃以下では熟成が遅れ、何時迄も出荷出来ない)、生 酒は−5℃以下で管理しているとの事。何にせよ、温度が高いと瓶内対流が起こり品質変化が促される為、アミノ酸が変化し、吟醸酒では吟醸香が減少する。特に生酒や吟醸酒など酒質の軽快なタイプは酒質の変化が早いため細心の注意が必要

 ※8 例えば2007年は夏の記録的な猛暑により高温障害を起こした米が多かった。即ち、未熟な米粒が増え、発酵段階で良く溶けず醪での溶け残りが多く為り、酒粕が多くて得られる酒量が少なく、軽い酒質の味の乗らない、辛くて薄い酒になりがちで、全国の蔵元が苦労したと言われている。しかし喜久酔では通常7分の吸水時間を常識外れの11分で敢行し、静岡県の新酒鑑評会で初めて首席を獲得し、他蔵の腕利き杜氏からその味の出し方を尋ねられたという伝説もある

 ※9 一般的な清酒には2.5~4.5%の糖分が含まれ、ワインで言えば中甘口セック甘口ドゥミ・セックの様な状態で、ワインと違い残糖感が無いという事は殆ど無い。それは、醪中で糀菌の糖化酵素が米澱粉を分解するとグルコースとオリゴ糖が生成されるのだが、グルコースは酵母によりアルコールに分解されるが、オリゴ糖は分解出来ないため必然的に酒に残留するからである

本日の箴言

 いい酒には主張がある

『酒道』第10号 題辞

休日の一本

始禄、純米吟醸(備前岡山雄町、精米歩合55%)(中島酒造、岐阜県)

 濃いイエロー/ゴールド。ふくよかな香り立ちは メイラード反応 による熟成香が漂う(一定期間熟成後出荷した物であろう):蒸米、味醂、ドライバナナ、百合、石灰、ほんのりカラメル、蜂蜜、シナモン

 中甘口、ふくらかで円やかな第一印象は全く健全で、中盤からアルコール感に支えられた(15.5%だが)強烈な 押し味 が口内を打ち、ドライな 渋み 、旨味 のある苦味が力強い膨らみと共に長い余韻に引き続く

 堂々たる体躯の雄々しさと重みは矢張りムルソーに喩えるべきもの。香りの魅力には乏しいが、味乗りしていて実に良い食中酒である

・30℃:甘、酸、苦、旨、渋が全て上品に纏まり、全く障りの無い極めて滑らかなテクスチャーに思わずうっとりとする

・40℃:若干苦味が頭をもたげて来るが、依然として滑らか

・45℃:苦味がグッと味わいに深みを加え、飲み応えを生む

 燗冷ましでも味が全くブレない。二日目はやや饐えたのか味わいの力強さに衰えが見られたが、なお美味し

岐阜県:南の美濃地方は隣の愛知県と共通する濃醇甘口で、山国ならではの濃醇な保存食に寄り添う。北の飛騨地方は濃厚な辛口。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/gifu.html 

第三十一瓶 清酒の味わい方(香り)

 清酒はワインほど外観が有する情報量は多くなく、ワインにおいて醸造方法の違いから生まれる赤・白・ロゼ・オレンジと比較して、清酒は白ワインの様に黄色が基本色ですので(純米の本来はフラビン系色素による山吹色)、外観から造りの差異を見留める事は一目瞭然という訳には行きません。むしろ、濾過 の有無があるため色の濃淡は特定名称の判断材料にはならないと言うべきでしょう。よって複数種のテイスティングにおいては、普通は全て異なる造りの物が並べられる為、最初に一通り香りを嗅いで全体像を捉えるのが宜しいかと思います。又ワインでは色・香・味を通して(主に品種特徴と南北感から⇒テイスティング実践)最終的に ヴィンテージ・生産地・葡萄品種の断定へと辿り着きましたが、生鮮食品である葡萄とは違い穀物である米は移動可能(※1)な為、生産地特定は重要視されず、主に香りから酵母を(※2)、味わいから品種を、そして香味から酒母(酛)を定めて行く事が、清酒におけるテイスティングの概要です。

 ※1 曾ては気温は変えられず、水は運べなかった(酒造用 水 は大量に使う為、その土地の水源を使うしかない)。しかし米は運べた為、北陸や東北などで酒どころが生まれた。今は電気などで温度管理が出来るが、矢張り水は運べない。そこで今迄眠っていた静岡県等の水の良い地域が大きく躍り出て来た

 ※2 当会では酵母の種類とその機能を列挙する事は致しません。何故なら、教科書的な20種程の「きょうかい酵母」の情報ならその気があれば容易に入手出来る情報ですし、閑散とした酒屋にずかずか入り込んで「KArg1901酵母の酒、ある?」と返答に窮する照会を吹っ掛けて店員の目を丸くさせるへそ曲がりの客も十年に一人居れば良い方でしょうし、抑々そもそも使用酵母が公表されていない酒の方がちまたには多いですし、約三十種類にも及ぶ花酵母(※3)なんてものも存在しますし、更に突き詰めて言うと、本来は各蔵各様の蔵付き酵母があり、また現在進行形で新株の開発も試みられている訳ですから、全酵母の種類と特長を余さず一々挙げて行く事は、酵母を肉眼で見る事が難しいのと同じくらい難しい事です。尚、こういった酵母が培養され入手出来るように為ったのは、ヨーロッパから微生物学の知識が入って来た明治四十年代からの事で、それ以前は当然自然に存在する酵母が頼りであった。余談だが──各酵母は皆親類関係にあるのだが──曾て味噌酵母で清酒が醸せるか実験され、出来上がったのは或る程度のアルコールを有する味噌汁の 匂い のする酒だったという…

 ※3 中田久保ひさやす氏が自然界の花から酵母を分離する方法を確立した事から始まり、桜、コスモス、ナデシコ、苺、菊、椿、日月草、さざんか、カトレア、リンドウ、ソメイヨシノ、桃、牡丹、サクランボ、ツルバラ、ベゴニア、シャクナゲ、向日葵、アベリア、ツツジ、チューリップ、カーネーション、マリーゴールド、月下美人といった花酵母がある。自然界で清酒酵母が多く集積されるのは、糖度のある果実や花(餌と為る糖を含む為、酵母が生存出来る)ゆえ、果実と花が探求対象となる。しかし果実はワイン酵母が集積され易いので、花が清酒酵母の研究対象として集中した(本格焼酎にも活用されている。なお花以外には、空気中に漂う種々の微生物からの清酒酵母の分離にも成功している)。花酵母は直にその花の香りを生成するものではないが、既存酵母にない香味を生む可能性を秘めている(一般的傾向としては、品の好い香りと優しい味わい)。因みに、海洋深層水からの分離酵母という変わり種を使用した清酒も造られたようで、花酵母には見られない独特な香味の酒が出来たのだとか。またワイン酵母で醸された清酒も見掛ける機会が増えて来たが、その特徴は、低めのアルコール度かつ酸の多さを活かした甘酸っぱい酒質である(醸造的視点から見ると、或る実験結果に拠れば、発酵力とアルコール耐性が弱い為、スパークリングワイン用の数株を除いて殆どの株が清酒酵母よりも日本酒度の切れが悪く、アルコール収得量が低く、酸度とアミノ酸度、そして酵母死滅率が高く為るという事である)

 さて本稿は香りの分析です。先ずは次の表をご覧下さい。

J.S.A.SAKE DIPLOMA テイスティング用語選択用紙より抜粋

 何の予備知識も無く上の表を見ながら、目の前にスッと出された謎の清らかな酒から 匂い を十個以上当て嵌められると言う方は、恐らく稀に見る鋭敏な嗅覚の持ち主ではないでしょうか。

Part of WSET Level3 Systematic Approach to Tasting Sake

 一方、こちらは事前に分類してある為、より目の前の謎めく清酒の特徴を摑み易いかと思います。いずれにしましても、既に私達はワインのテイスティングにおいて 嗅覚 を人並み以上に鍛錬して御座いますので、上記の表と照らし合わせつつ幾分の追加訓練を経れば、清酒のテイスティングもそう難しくなく修得出来る事でしょう。──えっ、「こちとら資格狙うもんじゃねえて、そうあっさり片付けんな、べらんめえ」ですって? むむ、確かにこれで終わりにしては、唯の画像を貼り付けただけの不精な記事に過ぎませんね。よろしい。では此処で、蒸し米を嚙んで口嚙み酒(※4)を造るように、清酒の アロマ の捉え方を容易に飲み込めるよう嚙み砕いて差し上げましょう。

 ※4 米を嚙む事で唾液中の炭水化物を分解する酵素アミラーゼがデンプンを糖に変えて、酵母によるアルコール発酵が可能と為る(参考 並行複式発酵)。この製法の中心地は南米で、アンデスではトウモロコシを、アマゾンではマニオックを原料としている。日本では北海道を北限とし、南の沖縄では明治期頃まで行われ、台湾では戦前まで残っていた。明治時代、沖縄石垣島『八重山生活誌』の筆者宮城文氏によると、その造り方は、女達が三人一組になり、先ず硬めに炊いた粳米うるちまいと生の粳米粉カシギを其々嚙んで水槽の水に吐き戻し、一通り嚙んだら水槽の底に沈んでいる米粒をすくって再び嚙む。嚙んだ原料は石臼でき、粗いふるいし、甕に詰めて蓋をしてから発酵させる。日に三日棒で搔き混ぜると三、四日で飲めるようになる。又、住江金之すみのえきんし農学博士著『日本の酒』には、「十五、六歳から十七、八歳の未婚の少女たちが、四、五人ぐらいで平たい容器のまわりに集まって、少し柔かい飯を三本の指でつまんで口中に入れる。嚙んで甘くなったところで吐き出し、一昼夜ぐらい経ってから飲用する・・・私が飲んだ時は甘酒程度でまだアルコール分は殆どなかった」とある。因みに、三世紀頃の日本について記した『魏志倭人伝ぎしわじんでん』に、倭人(古代日本人)は「人生酒を嗜む」とあり、当時酒がかなり普及していた事が読み取れ、「口嚙み酒」の記述が日本で初見の八世紀奈良時代の『大隅国おおすみのくに風土記』から察するにこの酒は倭国にもあったと思われるが、これは人間が酵素製造機に為るが故に、加えて若い女性に限られている事もあり、一度の大量生産は難しい。更にこれは、長時間続けると歯は疲れ、口は荒れ、顎は痛み、非常につらい作業(※5)で、日常的に造るのも困難であったというから、普及していたとはいうものの量的に確保されていたとは考え難い。飽く迄も、素早く発酵させて素早く飲む、保存する事を念頭に置かない酒として飲用されていたと思われる。ところで、古代日本は母系家族で家の祀り事の采配は女性が執っていた為(女性特有の生理的心理的性質によって神懸かりの興奮状態に移り易い事が巫女としての適性だった。初期国家は専制的な武力ではなく卑弥呼に見られるような霊力によって統一が保たれていた事は周知の事実である)、家の中心的存在である女性の事を尊称を使い「刀自」と言った(それが時代と共に、小さな壺や甕で作る家内の小規模醸造から大きな器を使う大規模醸造に為ると男の力が必要と為り、酒造の主導権は女から男へと移って行き、それと同時に刀自が「杜氏」へと変わって行った。因みにその対義語は「刀禰とね(働く男)」。なお最古の杜氏は第十代崇神天皇時代の高橋活日命いくひのみこととされ、活日神社の祭神として祀られている)。万葉集の防人さきもりの歌には、女房が口嚙み酒を造って夫を送り出したと詠われており、口嚙み酒は愛情表現の極致とも取れ、非常に重要な仕事として一家をまとめる女性の役割で、「おかみさん」の語源とも言われる。現在の様に糀菌を使う方法が始まったのは四世紀頃とされ、それ以後口で嚙む必要がなくなった。ちと寂しい…(因みに、気に為る衛生上の問題ですが、古代日本では嚙む前に海水で口をすすぎ、琉球諸島では塩で丁寧に歯を磨いていたとの事)

 ※5 実際に遣れば分かる事だが、意識しながらが故にか、三分間嚙み続けるのも中々骨が折れ、更に続けると顳顬こめかみの側頭筋に僅かな痛みを伴う膨脹感(詰まり筋肉痛ですな)を覚え、それでも頑張ってもう一分程続けるとペースト状に為り嚙めなくなる。唾液酵素により米デンプンが糖化し、加えて唾液と混ざり合いながら液状化も進む事によって、嚙む程に甘味の感度が増して行く

清酒のテイスティングにおいて第1,2,3アロマの分類は定義されておりません。上の表は、ワインのテイスティング法を基に当方が独断で創作したものです

 ワインでは原料に由来する第1アロマが優勢で、醸造に由来する第2アロマが弱い傾向にありました。それは葡萄が色素、タンニン、有機酸、テルペン類などを多く含む為、原料自体が酒質を大きく左右するからです。一方清酒では、性格が大人しい米による第1アロマよりも第2アロマの方が優勢、と言うよりも主体と為ります。そしてその一連の匂いをストレートに生み出すのがずんべら坊主の酵母くん達であります(参考 )。彼等の代謝(※6)によってアルコールと二酸化炭素だけでなく、様々な香気成分(※7)が生産されるのです。清酒における香りの七割を占めるほど酵母の役割は大きく、「一麹二酛三造り」と言われるように、酛(酒母)即ち大量培養された酵母の力も酒の出来に大きく影響するという事です(※8)。それだけでは御座いません。糖類(ブドウ糖グルコース果糖フルクトース蔗糖スクロース麦芽糖マルトース等)が大好物で、他にはアミノ酸や核酸塩基といった低分子の物のみを食し、酸素がある時はグリセロールグリセリンアルコールエタノール/エチルアルコール等の炭水化物に乳酸や酢酸といった有機酸も食べるけれども、でんぷん質や蛋白質は自力では食べられないので穀物や食品を腐らせる事も無い、我々人間にとって最も友愛の情を抱くべき、目に見えないけれどもいつでも身近にいる酵母くん達は、実は酸(※9)をも生成するため甘辛濃淡といった味わいにも大いに貢献する、全く私如き小物の表現力では例えようも無い程に偉大な微生物なのであります!

en.wikipedia.org
微生物の世界には善玉菌も悪玉菌も無く、自然から与えられた自分の使命を全うすべく、彼等は必死に生きているのです。善悪の観念などというものは、人間が、自分達が足並み揃えて生きて行く為に発明した互いの人間性を測る物差しの様なもので、その基準は国や時代次第では正反対に変わるくらい頼りないものですから、して微生物にとっては何程のものでもない訳です。善悪の観念とは人間社会においては輝ける黄金律でも、微生物にとっては獣の糞尿よりも無益なものなのです。加えて彼等も生き物、何時いつ迄も全く同じ儘ではなく、「誰某だれそれの子孫だから」とは限らず善かれ悪しかれ・・・・・・・変わって行くのも人間と同じです。これを生物学では「進化」と言うそうです(因みに、優良な培養酵母以外を野生酵母と呼ぶが、その種類は余りに多く、中には発酵を弱めアルコール生成を阻害する、酸を多く作り酒質を荒くする、酢酸など不快臭を与える、また優良酵母を殺すなど、悪影響を及ぼすものが居る。そしてこの二つの区別は顕微鏡では不可能で、徹底した清潔さと優良酵母の酒母への大量投入により野生酵母に打ち勝つようにする)

 ※6 人と同じ様に核とミトコンドリアを持つ単細胞微生物、即ち命の最小単位である酵母は十二億年前に微生物の祖先として現れた(生命が誕生したのは三十五億年前、我々ホモサピエンスが出現したのは約二百万年前。そして人がこれを制御して「酵母の家畜化」を行うようになったのは一万年前より後の事)。彼等の代謝には、①酸素を吸って行う「呼吸系代謝(好気的生育型)」(C6H12O6グルコース+6O2→6CO2+6H2O)と、②無酸素下で行う「発酵系代謝(嫌気的生育型)」(C6H12O6→2C2H6Oアルコール+2CO2)の二つあり、①は②に比べて10倍以上のエネルギー生成量があり、逆に②は①に比べて10倍以上のグルコースを食べなければならない。もしかしたら彼等も心行くまで酸素を吸い込んで、食事量の少ない経済的な暮らしをしたいのかも知れない。しかしそれでは人間にとって不都合であり、私達が欲しいのは炭酸ガスと水ではなく、アルコールなのである。その為には是が非でも彼等には酸素が無く糖濃度の高い環境で生活して貰わねばならない(故に酒造工程では深い桶やタンクが用いられる)。更に彼等にとっては全く不都合千万な事だが、アルコール度数が12%以上に蓄積されて来ると、自分達の作り出したアルコールで自身の生存が脅かされて来る…我々が求めて止まない酒類は全て、酵母の大いなる犠牲の下に存在しているのである(酵母も生き物である以上屹度きっとらくしようとするであろうが、好きなようにさせてはろくな酒は出来ない。尚、発酵学上からいうと、アルコール発酵は酵母の体内で生産されるチマーゼという発酵酵素の為であり、酵母が直接営むものではないという)

 ※7 カプロン酸エチル、酢酸イソアミル、プロピルアルコール、イソブチルアルコール、イソアミルアルコール、乳酸エチル、活性アミルアルコール、酢酸イゾブチル、カプリル酸エチル、吉草酸きっそうさんエチル、アセトアルデヒドなどなど

 ※8 現在使われている培養酵母は、家付き酵母または野生酵母から生酸性、発泡性、発酵温度、芳香生成、発酵力、環境対応性などの性質を調べ、分離育成されたもの。また清酒造りにおいて酵母は2万倍に増殖し、醪1g当り約2億個(単位はCellセル)も含まれるように為るという

 ※9 酢酸、乳酸、リンゴ酸、コハク酸、アミノ酸、ペプチドなどなど

 話がやや脱線したようである。清酒は葡萄酒とは反対で「米三割、人七割」(「米二割、人八割」という声も)と言われ、原料依存度が低い飲み物です。それは最良の豆でなくても技術で良い物が出来るコーヒーに似ていて、品種以上に造り手が大切という事でもあります。言わば糀が内に隠れた骨肉なら、酵母は外から見易い上衣うわぎの様な物で、軽薄な時流に乗っかって香り酵母(※10)を使い、清酒であるにもかかわらず誇るべきその特質を軽んじ「ワインの様な」という売り文句で、表面的に取って付けたような高い果実香だけを求める造りの酒は別として、元々清酒は香りが穏やかな飲み物です。よってワインの様に空気接触スワリングによる変化は然程ありませんが、特に揮発性の高い吟醸酒はスワリングにより華やかさが強調され、その特性が感じ易く為ります。しかし過度に行うと香気の消失や酸化が促されるため注意が必要です。又、スワリング前後で香りが変化するものは多くの要素を持っている事が多いです。序でに、これは飽くまで個人的な経験からですが、特に 吟醸 造りの高級酒には水仙の香りが特徴的に感じられ、より高貴な上品さを演出する傾向にあるようです。

 ※10 ポーンと果実香が上がって来て、やや人工的なわざとらしさがある(他の香りと溶け込んでいない。食前酒には好いが、香りが突出するため味とのバランスを取るにはかなり甘めに設計される事になる為、料理との相性は難しい。昔の杜氏は香りが強過ぎる酒は料理の味に障るとし「品が無い酒」と言った。ワインで例えるなら オーク チップでお化粧した物の様)。1990年代半ばに広まり、吟醸香の成分でリンゴ香を呈するカプロン酸エチルを伝統的酵母より何倍も多く生成する事が出来る。更に糀の出来による吟醸香の高低への影響が少なく、熟練者でなくとも吟醸酒が造れると評判になり、長野県の「アルプス酵母」を皮切りに全国で開発され、協会1801号や明利M 310酵母は最近の代表例である。原理としては、カプロン酸は酵母の脂肪酸合成酵素により生成されるが、鎖長が短いため大量には生成されない。そこでその鎖長のバランスを変える為、脂肪酸合成酵素を阻害する薬剤「セルレニン」に耐性のある酵母(※11)を育成し、仕込みに使用する事でカプロン酸エチルが大幅に増加する。この酵母のお陰で新酒の香味の幅が広がったが、当初は巧く夏を越せずにバランスを崩すものも見られた。現在この問題は低温管理により解消されているが、逆に言うとこれは熟成に耐えられないという事である

 ※11 「セルレニン耐性酵母」は1960年代に月桂冠が突然変異を利用して開発した。「鼻曲がり酵母」とも

 本稿の最後に付け加えて置きたいのは上記カテゴリーを統合して香りを捉えるという事です。複合的な 匂い を単体に分解して捉えるのは機械の為せる業で、その様な機械的分析は機械に任せ、私達は人間なのですから飽くまで人間らしく、生き生きとした感覚で、感じた事を感じた儘に表現して行くべきです。曾て報道を騒がせたバラバラ殺人事件の様に、全体を一つ一つ切り刻んで見ただけでは唯の生気の無い、見ていて胸の悪く為るコメントに過ぎません。ワイン通達が雁首揃えて犬見たようにグラスに鼻を突っ込んでクンクンやる姿を三けん離れて見守っている今日この頃、こういったコメントにややもすると私も陥りがちな為(何故なら常套句化したテイスティング用語の単なる羅列の方が一々語彙を考えないで楽ですので。もしくはそれだけ感情移入の出来ない、或いは心を動かさない優等生ワインが多いという事でもありましょうか)、これは自分自身に言い聞かせるものでもありますが、自分の感覚と感情を信じて、勿論分析する視線も忘れずに、健康的な身心をもたらす健康的な食事と共に、皆々様にはご機嫌麗しく飲酒と人生を謳歌して頂きたく願って止みません。悪文を書き連ねましたが、意中お汲み取り下さい。

コロナウィルスと共に在る令和三年、風薫る爽やかな季節

〈追記〉上記以外の特徴例

・アルコール添加酒:アルコール由来のツーン感、突き抜けるような白・緑を思わせる刃の様な匂い。石灰や粘土の ミネラル 香、白玉団子(精米歩合が高い=精白率が低い)<上新粉(精米歩合が低い=精白率が高い)、特に(大)吟醸酒は香り高い純粋さと清冽さと共に、木の芽や青草、新緑、青竹の香り。一方本醸造はより野暮ったい印象で、バナナや大根様のミネラル香

・純米系:炊いた米(高精米歩合=低精白率)< 搗き立ての餅(低精米歩合=高精白率)、純米吟醸は米寄り、純米大吟醸はフルーツ寄り。高精米歩合には栗の香り

・山廃酛(+熟成:石川県白山地域)、生酛 系無濾過純米酒:キノコ系の香り

・生貯蔵:バナナ、メロン、炊いた米、ライラック等の香り

・普通酒:糖類添加による品の無いあからさまな甘っぽい匂い

・樽酒⇒樽

【教育訓練用参考資料】清酒のにおいとその由来について (平成23年7月) (nrib.go.jp)

本日の箴言

 原料の米が無味無臭で、ブドウの様な多様性がないから、これに特徴を与えるのは麹カビと酵母の性能、杜氏の技能の流儀、風土の特色などに頼る他はない。日本酒の品質の差はごく狭い。しかし吟醸酒、純米酒、普通酒と、僅かな差を拡大して楽しむ事は、無限の喜びが隠されている。

秋山裕一『日本酒』

休日の一本

自然酒、五人娘、純米酒(精米歩合70%)、生酛(寺田本家、千葉県香取郡)

 透明度の高い淡いイエロー。ふくよかで豊かな香りは独特な自然さが感じられる(或いは他の酒が総じて不自然なのか? 聞くところによると、生酛と銘打っていても乳酸菌だけが天然の蔵付きで、酵母は市販の物を添加している蔵が大多数なのだが、それは全量酵母無添加は現在極めて困難を極める遣り方だからで、それを実現しているのは日本で当蔵のみとの事。又、栃木県の仙禽せんきん、そして奈良県の美吉野醸造など数える程の蔵が一部の酒で実施している)。生酛由来の乳製品系(ヨーグルト、バタークリーム)、蒸米、キルシュ、百合やラベンダー、黄桃や花梨に柿、栗やきな粉、粘土、白スパイス、ウド、ナツメグ、ウーロン茶、泥炭ピート、綿飴など、深く香気を吸い込むほどまた別の要素が感じ取れる重層的な香りは渾然一体となっている

 極めて清らかな第一印象から、生酛的ドライさと共に肌理細かい高いレベルの酸がミディアム(+)ボディに乗り、濃くのある苦味と共に余韻までブレる事無く一貫して引き続く。膨らみのある米の 旨味 を活かす為にもシャルドネ(樽)グラス で

「無農薬自然米、蔵付き天然菌、無添加、無濾過」から生まれる、流行に左右されず「我が道を行く」という感じの、他と一線を画す個性テロワールは初心者には難しかろう通向きの一品。さわりなく喉元を流れ落ちるプレミアムウォーターの様なテクスチャーは秀逸。13%のアルコール度も優しく飲み疲れない。「自然の恩恵に畏敬と感謝を忘れず」「微生物との共生を目指す」独自の哲学の下、戦後に掛けて力仕事の殆どが近代化、合理化、機械オートメーション化して何処の蔵からも聞かれなくなっていった酛摺り唄を微生物達に聞かせながら、本当に丁寧に造られた事が分かるお酒(→寺田本家、酛摺り唄https://www.youtube.com/watch?v=1PtbTQH2DwI)(6:30)

仕事を請け負う日々の中、「周りの目ばかり気にして唯一無二の自分を殺していないか?」と問い掛けられたようで、思わずハッとした
千葉県:首都圏では酒蔵数最多。軽快辛口タイプが本来の特徴だが、現在では目指す方向がそれぞれ異なる個性派が揃う。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/chiba.html

第三十瓶 清酒の味わい方(外観)

 お堅い文化論が続きましたが、本稿より清酒の試飲法に触れて参ります。既に、テイスティングにおける概念は『ワインを楽しむために』にて、基本と為る人が有する感覚については『ワインの味わい方』と『続・ワインの味わい方』にて述べて御座いますので、宜しければご参考にお役立て下さい。さて今度は清酒という事で、「酒の三絶たる色・香・味を基軸に、どう展開して行こうか知らん」と暫く思いあぐねていたのですが、前稿で引用致しました箴言が示唆を下さりました。即ち「醸造法」「酵母」「酒米」の違いを理解する事で、本当の意味で清酒を飲む事が出来るという訳です。日本ソムリエ協会のSAKE DIPLOMA呼称資格認定二次試験でも「特定名称」「酒母」「酒造好適米」を問われ、以前テイスティングコンテストでは「酵母」を答えさせる問いもありました。とは言え、上記記事内の文面を繰り返しますが、「純米だからお米香」とか「山廃だから乳製品香」では感じ取っているのではなく頭から決め付けている訳で、それは造り手に対しても、清酒に対しても失礼と思うのです。先ずは感じた事を感じた儘に表現する事。そして最終的には、どうしたら最高に美味しく飲んであげられるのかを考える、清酒が放つメッセージを唎き取る、という事が飲み手としての正しい姿勢と考えます。「この酒は一体何を訴えているのだろう?」というニュートラルな心持ちでテイスティングをして頂きたいと思う次第です。加えて、数年前の私の様に「日本酒なんてどれも同じでしょ?」とお思いのワイン愛好家の方々に言上ごんじょう致します。ワインは唯単にワインではなく、多くの銘柄や種類がある事を既に私達は知っています。それと同じく清酒にも多くの銘柄や種類があるという事を此処で強調して置かなければなりません。葡萄品種が多彩であるように、米品種も多彩である事を言って置かねばなりません。私達は、各ワイナリーには独自の哲学があるように、各酒蔵には独自の哲学がある事を伝えねばなりません。そして一級ワインが葡萄の粋を表現した芸術品であるように、特撰酒は米の粋を表現した芸術品である事を講じねばならないのです。(※1)

 ※1 実際シャンパーニュに追随して 瓶内二次発酵 を経た酒を、キャプシュル にラベル、ミュズレにキノコ型コルクといったシャンパーニュ仕様の瓶に詰めたり、熟成ワインに負けじと熟成酒を造ったり、清酒酵母でなくワイン酵母(⇒)で醸したり、更には MLF を取り入れた酒も在ったりと、ワインから着想を得た酒も少なくありません。有名な所では、世界で唯一日本酒とワインを共にドメーヌ(※2)として手掛ける愛知県名古屋市の酒蔵萬乗ばんじょう醸造があり、「違う分野の知識、経験とのミックスが新しい考え方を生み出す」という理念の下、九平治KUHEIJIブランドを運営されております(フランスの米どころカマルグで清酒造りに邁進中)。序でに、ドン・ペリニョン五代目醸造最高責任者リシャール・ジョフロワ氏はその アサンブラージュ 技術を駆使してプレステージ酒を発表しています(→https://iwa-sake.jp/

 ※2 殆どの蔵元では原料の米作りは農家任せの、農協から仕入れるネゴシアン。戦前迄は地方の造り酒屋では原料米は酒造場に近い田地の小作からの上納米の一部で作るのが普通だった。中には鑑評会の入賞を目指して岡山の雄町などの酒米を求める所も無くはなかったが、通常は自家所有田地の米で作っていた。しかし戦後になって地主酒屋が農地解放を余儀無くされ、所有していた田地を手放さねばならなくなった。そうして酒米ももはや小作米に頼れず、酒屋を続ける為には他の生産地から購入せねばならなくなり、こうして「自耕自醸」という概念が失われた(一方、地元米を無選択に使用するレベルからすれば、酒造好適米を仕入れる事により酒の質が向上したという面もあった)。それが今尚引き続き、「酒蔵の仕事は酒造り、米作りは農家の仕事」というのが常識と為った清酒の世界において自家栽培する蔵元は大変少ない。そして栽培から醸造、瓶詰めまで一貫して行うドメーヌ(「所有地」の意)の草分けが大阪府の秋鹿酒蔵。この背景には1995年の食糧管理法の廃止があり、それまで稲作農家は農協に供出する販売ルートしか持たなかった。しかし米の相対取引が合法化された現在でも尚「酒米はその産地から買うもの」という概念が主流であるが、トレーサビリティも重要視されて来ている近年では、良い米を毎年確実に一定量得る為に、何処の米か分からない農協に頼らず契約農家による栽培を選ぶ酒蔵も増え、今後は原料米も自分達の土地で作り、蔵自体で管理が出来るように為る事から、更に品質の向上が望めるドメーヌ化も徐々に増えて行くのではないだろうか(そしてその向上心から必然的に無農薬や減農薬、有機農業への視点が生まれて行く)。2016年に他界されたシャトー・マルゴー支配人ポール・ポンタリエ氏は生前この様に語った。「契約栽培の限界を認識する必要がある。栽培するのは、契約農家の人間が良いのか、良い葡萄がどのようなものか知っている人間が良いのか。答えは明白だろう。自社畑で納得の行く葡萄を適熟期に収穫するべきである。それ無しに更なる品質向上を目指すのは不可能ではないだろうか」

 というように力強く申し上げたものの、濁り酒(白色/桃色)や発泡清酒、熟成古酒といった今だ特殊な酒に分類されている物を除けば、確かに外観はどれも無色透明に近く同じ様に見える事は否めません。これは「水の如き清涼感(※3)」が上質な酒の条件の一つとされている事に由来します。元々搾ったばかりの酒は緑や黄色を帯びているのですが、その色は米の 旨味 を生むアミノ酸から来るもので、それが多いと雑味と為るため 濾過 をして、その為に香味と共に色も取り除かれるという訳なのです。また清酒は褐色化メイラード反応が進み易い為、視覚を通じて消費者に与える色感がそのまま商品価値に繋がるという点があり(外観が有する酒質評価への影響は約20~30%という)、詰まり黄色に着色した酒は売れ残って熱劣化あるいは紫外線劣化により変質してしまった物と消費者に思われてしまう事から、この「透明化」が広まりました。そしてこの色合いや濁りを肉眼でより厳密に確認する為に、唎き酒用の器「唎猪口ききちょこ」が使用されるのです。

 ※3 「水 の如くさわりなく」が良い酒の条件で、上物のワイン、ブランデー、ウイスキーも障りがない。詰まり様々な成分のバランスが取れ、舌にも鼻にも素直であるという事。また飲料は飲み込む時に力が働くが、上級酒は流れるように喉の奥に吸い込まれて行く感覚を覚える。渋くも辛くもなく、味が割れていない、調和の取れた酒を「すべりのある」酒と言うが、上手に醸した酒には「さわりがない」。坂口謹一郎博士の「水のごとくさわりなく飲めるもの」という表現についてご本人は、「太陽の光は七色ある。それが渾然として無色となっているではないか、これが極意だ」と述べ、「さわりなく 水の如き喉ごし 太陽の光が 七色の光を集めて なお無色であるが如し」と歌われた

青と白の蛇の目模様の効果は、黄の反対色である青によって白の部分に黄色がより鮮明に見え、色調の濃淡が確認し易い事。一方青の部分からは白濁の状態が見易く、清澄度が確認出来る。また液面と空間が狭いため香り立ちは穏やかに為り、普通酒や本醸造酒、純米酒などの燗酒に向く

 しかし近年では全国新酒鑑評会(※4)の審査カードにも「色(色沢)」の項目が無いそうで、無色透明に近いほど高評価を得られるという事も無くなったようであります(※5)。J.S.A.SAKE DIPLOMAの試験では、清澄度と濃淡に加え、宝石等に喩えるワインの様に「クリスタル/ゴールド/シルバー/グリーン/イエロー/トパーズ/オレンジ/ブラウン」の中から選んで解答する事になっています。因みに、伝統的な表現に「冴え」という、美しく澄み切った光沢を指す言葉が有り、特にほのかに緑がかったものを「青冴え」と言ったりするそうです(新酒は青冴えだが、古酒に為ると赤みが増して来る)。又「照り」という、山吹色のつやを表す言葉もあります(人の素肌と同じ様に、同じ色でも艶の有無で大きく変わります)。一方これらとは逆に「ぼけ」という、混濁が見られるネガティヴな表現もあるそうです(※6)。既に「超高齢社会」に突入したこの国では、高齢者数の増加に比例して認知症患者も増加しています。是非とも脳内混濁のボケ防止も兼ねて、感覚を澄まして言語化しながら旨酒に恍惚・・と為って頂きたいものであります。

 ※4 政府が後援して全国規模で催される唎き酒会の存在は日本のみで、明治44(1911)年の第一回から百年以上の歴史を持つ。フランスやイタリアでさえこの様な鑑評会は無い。これは専門家の評価からの技術向上が主目的である為、金賞を取る酒の輪郭が決まっていて、それにきちんと沿った物が賞賛を受ける。個性の闘いではないからこそ、蔵人の技術力の高さを測る事が出来る。フィギュアスケートに喩えると、規定種目において細部まで完璧に制御し、且つそれを審判達の前で如何に巧みに見せられるかという能力の様である(一般客は目にも留まらぬ速さや驚くべき技が披露されるフリーの演技の方を好む)。但し新酒ゆえ春に行われる事から、春に飲み頃に為る酒、即ち熟成を必要とせず、口に含んだ時に分かり易い華やかな香りの酒が有利と為る嫌いがある(春先の上っ面の味の良さに主眼を置くためしっかりとした造りをせず、香り酵母を使い手抜きの醸造が出来る)。因みに、出品酒を別名「喧嘩酒」と言ったりするのだが、無名の蔵でも金賞を取れば一躍注目を浴びるし、大手の蔵で賞から漏れれば面目を失う。故に各蔵では精魂込めて大吟醸酒を仕込む為、この季節杜氏は「胃が痛い」のだとか。なお学校教育と同じでワインは加点法、清酒は減点法で評価される為、「何処が悪い」「此処が足りない」と点を引かれ、清酒の世界では満点の酒は中々無い(実際、独立行政法人酒類総合研究所が作成した清酒のフレーヴァーホイール〈→https://direct.hpc-j.co.jp/page/seishu〉は好ましくない表現が多い。一方、ワインはプラス評価の表現が多い。粗を探して人や物を評価する遣り方は、欠陥の無い同一製品が求められた高度経済成長期には良かったかも知れないが、今の国際化時代において評価されるのは創造性や独自性、即ち テロワール の概念である。100点から始まる減点法から0点から始まる加点法に移行して行かなければ、清酒の世界、延いては日本という国に新時代は遣って来ないであろう(※7)。実際、秋田県新政酒造八代目蔵元佐藤祐輔氏の破天荒が業界の注目を浴びている事を想起されたい。因みにご本人は次の様に仰る。「やはり我々が先人の力で純米吟醸で食えているので、何か後生の為にもですね、新しい種を残すべきだろうと思って色々やっているんですが、それを傍から見ると、とっ散らかったもののように見えるんです」)

(参考)全国清酒品評会(1907~1938)では優劣を決めるのが主目的で、その初期は、酒は燗で飲むものだからとして、最終審査に残った物のみは燗を付けて比べられた。しかしこの良法も第五回以降は行われなくなってしまったという

 ※5 「透明感のある」可能性 ①精米度の高さ(米は芯の方が色が薄い、50%では色有り〈品の良い黄金色〉) ②活性炭 濾過

対し 「黄緑がかった」可能性 ①精米度の低さ ②濾過を余りしていない(「澱がらみ」なる無濾過の特長は微炭酸、パイナップル香、複雑で量感のある味) ③数年経過、熟成(土、茸、スパイス香)

 ※6 精白と糀の力のバランスの欠如から生じる蛋白分解力不足を「蛋白混濁」又は「白ボケ」といい、詰まり酵素蛋白の熱変性により発生し、昭和三十年代に問題に為った。「囲桶で早々に濁る。綺麗な酒でも瓶詰めして温度が冷めると白くボケる」とは、昭和初期から酒造に従事された丹波杜氏の小島喜逸氏のいい

 ※7 減点法に毒された日本人は人を褒める事が苦手で、常に人の粗探しをする傾向にある。そしてその煩わしい他人の視線によって日本人は個性を発揮出来ず、縮こまった生活を強要されるのである。生徒を減点する事が仕事の筆者にはもう無理だが、先ずはその人の好い所を見るようにすれば、少しはこの世界も好く見えるのではなかろうか

 (参考)精米歩合の高さと酒の美味しさは別。米を削って行くと米本来の性質が少なく為って行くため綺麗な淡麗辛口だけで、どの地域、どの蔵元で造っても味が似て無個性に為る。吟醸酒信仰の起源は全国新酒鑑評会にある。俗に唎き酒は「舌先一寸でみる」と言い、酒を飲み込む事は無く直ぐに吐き出す為、舌の奥で感じる苦味や嚥下えんげした時の感触を捉え切れず、また一日に数百点も唎く為、どうしても味の奥深さや含み香の涼しさよりも上立香の華やかな酒の方に点を与えてしまいがちになる(※8)。これに加え、元々米を良く磨いた酒は極一部の関係者しか飲めない物だったが、その存在が一部の愛好家に知られグルメブームで火が付いた。こういった背景から各蔵元は鑑評会で結果だけを求めるように為り、金賞を取る事に躍起と為った。即ち酒の個性が画一化され、非常に似通った物が多く為った(※9)。こうした 吟醸 香や活性炭素による脱色における極端を奨励した恨みは確かにあるが、それでも鑑評会が齎した酒造における技術と素質の向上の功績は大きい。加えて、江戸時代以来の本場である灘・伏見の名声に圧せられて世に知られなかった地方の酒が続々と掘り出された事も見逃せない

 ※8 この膨大な量の試飲に対し、「これでは酒の良し悪しよりもテイスターの感覚の良し悪しを測るようなものだ」という手厳しい批評も御座います。確かに未熟者の私なんぞはほんの十種類程度でも舌がピリピリ痺れ、二十種に至ればバカに為るのみならず、神経も疲弊して正しい評価が下せません

 ※9 俗に言う「YK35」の台頭(Y:山田錦、K:熊本酵母、35:精米歩合35%)。とは言え、矢張り金賞蔵は普通酒も良い。弁慶の蔵元の山本長利氏曰く、「一般酒をわるくつくって、吟醸酒だけをよくするなんて、そんなことはできませんわ。杜氏さんの腕として。そりゃ技術ですからね。そんな器用なことはできません。」但しこれは、普通酒を桶買い(→生一本)したり、コンピューター制御で造ったりする大手には当て嵌まらない所もある

本日の箴言

 競争の世の中、コンクールがあるからには負けていられない。自分の力の最も端的な発現の場であるし、ここで磨いた技能が他の酒の品質向上になるからである。

秋山裕一『日本酒』

記念日の一本

窮極の酔心 大吟醸(精米歩合30%、兵庫県産山田錦100%)(日本酒度+3、酸度1.2、アミノ酸度1.0、Alc17%)

 仄かに黄金を帯びた淡いイエロー。青林檎や青竹、またコリアンダーシードや上新粉といった、心まで澄み渡るような鮮烈で爽やかな高い香り立ちと共に、メロン、桃、マンゴスチン、そして金木犀の香りが厚みを添える

 中甘口で酸味は低めの、17%のアルコールに支えられたミディアムボディ。余韻は長め。吟醸 の香味を活かす為にも、冷やし過ぎず15℃前後、瓜実型 グラス で

 超軟 水 仕込みからか、雲の様に限り無く柔らかいテクスチャー、或いは無疵むきずな球体の水晶の溶液を飲んでいるかのような感覚に恍惚と為る

日本画壇の最高峰、横山大観が「酔心」を愛飲していた事は昔から酒好きの美術家連の話題に為っていた。そして画伯はこの酒が非常に濃厚な為、酔心の主人から「一升に二合迄は水でもお湯を混ぜても味が変わらない」と聞いて薄めて飲んでいた。広島から上京した主人が、戦火で焼ける前の上野不忍の広壮な大観邸を訪問した時、酔心を「少々甘口だが良い酒だ」と言われたのに対して、「それは光栄です。これからはお買いにならないで下さい」と答えて、蔵元から四斗樽や壜詰め直送するように為った。それ以来、酔心本舗へ絵を毎年一作ずつ寄贈したのが溜まりに溜まって酔心芸術館が出来上がった(⇒https://www.kuramotokai.com/kikou/56/treasure
広島県:酒類総合研究所が在る現代清酒のメッカ、柔らかい女酒の芳醇な甘口系。合わせるべき郷土食はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/hiroshima.html

第十五瓶 自宅で簡単、一人ブラインド・テイスティング

 新型コロナウィルス感染拡大に伴い、外出自粛と共に在宅時間が増える中で、或いはワインと向き合う時間が増えた方もおられるかも分かりません。しかしながら、ただ飲んで酔って眠り込む、それだけの無為な時間の過ごし方では折角の貴重な人生が泣きましょう。ゴールデンウイークを迎えた事もあり、余暇が取れる今こそ(取れない方々には申し訳ない事です)新しい何かに挑戦し、人生に新たな発見をする良い機会なのではないでしょうか(知識、知恵、判断力など経験と共に蓄積される「結晶性知能」は六十代頃にピークを迎えるそうです)。其処で、恐れながら「特に何も思い付かない」という方には是非ブラインド・テイスティングにご挑戦頂きたく存じます。

 前五稿分を通し、既にテイスティングにおける必要な知識は揃いました。では「いざ訓練開始!」と意気込んでみても、特に独り身の方は「どうやれば良いのヨ?」と思う筈で、きっとそれは私一人ではないと思います。其処で事前に用意する物としましては、(出来れば)前々稿(⇒テイスティング実践)でご紹介差し上げた一覧表の品種のワイン(その内少なくとも3種、スーパーで手頃に入手出来る物で構いません。もしくは次の様な送料無料のお手頃セットから試すのも手間が省けて宜しいかと⇒ ワインセット /本稿の趣旨とは別ですが「お試しミステリーセット」は非常にお勧めです)、受験予定の方は前稿(⇒日本ソムリエ協会呼称資格認定二次試験対策)の資料、そして産地や品種個性を表現する2千円以上のワイン(用語選択用紙を使いながら感覚と言葉を結び付ける事、常に本番のイメージで→緊張感を伴い疲労しますが堪えましょう)になります。特に受験を意識されている方でない限り、テイスティング用グラス(※)にこだわる必要は御座いませんが、赤なら赤ワイン用、白なら白ワイン用 グラス で実施する方が、よりワインを美味しく楽しめるでしょう(この後で紹介する方法であれば1脚で可能、幾つも購入する必要は御座いません)。

 ※ ISO(国際標準化機構)/INAO(原産地品質管理全国機構)規定グラス:1970年開発当時、初めてワインの味を科学的に考慮したグラスとして画期的な器具であった。赤ワインで 樽 香を取り易く、スワリングでベリー系の香りを強調し、タンニンを強めに感じるという特徴が指摘されている。飽くまで分析試飲用グラスであり、美味しい/不味いという好みを測る物ではない為、一般消費者にとっては味気無いグラスになる。注ぐ適量は50mL、1瓶で15杯分。500円前後で購入可

 此処でご紹介しますのはコンクールを目指すソムリエの方々も採用している方法です。身近に一緒にトレーニングしてくれる方や手伝ってくれる方がいない場合は、是非この方法をお勧め致します。しかし後もう一つご用意頂く物があり、それが詰め替え用ガラス瓶です(黒か茶の遮光性有、180mL ⇒〈一例〉https://www.chuku.jp/product/95)。確かに小さなペットボトル水を空にしてその容器を使うのも非常に経済的ですが、ペットボトルは空気も光も通すため酸化と劣化が早いです。ですので手間は掛かりますが、同一の小瓶ジュースを買い込み飲み干し洗浄し乾燥させるも良いでしょう。(遮光性ガラス瓶は重宝します。上記の他に、例えば日本酒の一升なんて量はどうしたって私の脆弱な肝臓では一日で処理し切れません為、風味劣化防止に詰め替えます。冷蔵庫に一升瓶なんて邪魔以外の何物でもないですし)

 手順は、

allabout.co.jp
良く御負けに付いていますネ

①ワインボトルから、こぼさないように漏斗やラップワインサーバー、或いはポアラー(勿論空気接触〈デカンタージュ〉効果の無い物)を使い、酸化対策で空間が残らないよう瓶口ギリギリまで詰め替える(750mLのワインボトルを巧く四等分出来ます)

②瓶裏に番号を割り振ったシールを張り、ワイン情報を管理する

③冷蔵庫にて保管

 以上、おしまい。後は幾つもの小瓶の中から適当に取るだけでブラインド・テイスティングが出来ます(赤の場合は早めに冷蔵庫から取り出し、16℃を目安に温度調節する必要があります。白は10℃が目安)。受験者の本格的なテイスティング訓練は本当にお金が掛かりますが、これで少しでも無駄を省く一助となれば幸いです。また愛好家の方々でまだブラインドの経験が無い方は、暇潰し程度で気楽に試して見て下さい。(ワインとの勝負として本気にならない内は)意外と楽しめる筈です(当たって勝利すればもっと楽しいです)。「ワインは常に新しい意識を飲み手にもたらしてくれる、誠に素晴らしい飲み物である」という事に気付いて頂けたら喜ばしい限りです。

本日の箴言

 ワインと人間とは絶えず闘い、絶えず和解している仲がいい二人の闘士に似ている。負けた方がつねに勝った方を抱擁する

ボードレール

休日の一本

Cabernet Sauvignon, 2013 (Franciscan Estate, Napa Valley〈※1〉, California)

 紫は完全に落ち、発展している事を示すややオレンジがかったガーネット

 強めの香り立ち。第1 アロマ:赤プラム、ストロベリージャム、ブラックベリー、カシスリキュール、黒胡椒、薔薇。第2:樽 香は強い順に、杉、ヴァニラ、クローヴ、トースト。又トースティングの度合いが高いのか、エスプレッソや木炭も。第3:若干の肉やセイヴォリーな香り

 強めの酸と強めのヴェルヴェッティなタンニン、Alc13,5%を伴うフルボディ。フレーヴァの印象は強めだが、余韻には然程長く残らない。品種個性が良く表現され、樽の要素が若干優勢的ではあるが(小樽熟成20ヶ月)、凝縮した果実味(オークヴィル〈※2〉と他のナパの比較的冷涼地の葡萄)に良く溶け込み、アルコール感と共にバランスを取っている。一方強いタンニンがそのバランスをやや損なわせるが、強めの酸のストラクチャーも手伝いあと3年は熟成して行くだろう。値段以上の品質〈2019年2月〉

 ※1 この地域の代表品種はカベルネ・ソーヴィニョンで、ほんの3,4年物でも楽しんで飲める。一方、偉大な造り手の偉大な ヴィンテージ では50年もの歳月を掛けて素晴らしい熟成を見せる

 ※2 Oakville:肉付きの良い本格的なカベルネや、ナパワインの真髄である芳醇さが備わるA.V.A(政府認定栽培地域)。此処で最も知られているのがスクリーミング・イーグルやハーラン・エステート、そしてオーパス・ワン(参考⇒ワインと音楽のペアリング)である