第三十九瓶 古典落語に見る清酒

 えー、ご機嫌よろしゅうございます。ようこそ、お運びを頂きまして、厚くお礼を申し上げまして、えー、相も変わらないお古いところで、えー、一席お付き合いを願います。

 ・・・という事で──前稿の締めでは、何やら雲行きの怪しい雰囲気が立ち籠めてしまったので──心機一転、此処は「なるようになる」という事を重視する日本の国民性を発揮して進行して行きたいと思います。

 筆者は所謂いわゆる御通家ごつうか」なる古典落語至上主義の、生粋の落語愛好家ではありませんので、此処で落語論をおっ始めるような無粋な真似はせず、純粋に「酒」が出て来て笑える噺に興じたいだけなのであります。

おもえば、落語とは、ふしぎな芸である。英雄豪傑が登場するわけではない。佳人才子が活躍するわけでもない。江戸や明治の庶民のくらしに密接したできごとが、ワライとともにかたられるだけである。しかし、そのできごとには、千年以上にわたる説話や民話の世界が凝縮されている。ときに、非現実的な話がないでもないが、それは現代の目からみただけのことであり、つい最近まで、わたしたちの祖先が信じていたことである。それをかたるのに、なんの装置や道具も必要とせず、ただ扇子と手ぬぐいを補助手段として、三寸の舌のみを武器とする。一枚の舌で、将軍や大名を高座によびだすこともできれば、遊郭や冥界にまであそぶことを可能とする。キキテを仮構の世界にさそいだし、最後のオチで現実の世界にひきもどす」とは野村雅昭著『落語の言語学』からの引用ですが、これを当サイトにとって都合の好いように解釈致しますと、落語の中には生活の中に生きる、真の、詰まり普通の、気取らない、在るが儘の、且つ楽しみに満ちた酒の姿が描かれているという事であります。そして落語を通して江戸時代の酒を知る事は、現代の清酒の基礎を理解する一助に為るという事でもあります。

 抑々そもそも日本人における飲酒の大衆化・日常化は、前稿『新酒番船』にて触れましたように、物流が発達した江戸中・後期に始まった事で、当時の日本全体でいうと、酒はハレの日に醸して飲む物でした。詰まり、元来日本人は神事として集団で飲酒した為、その機会も多くはなく、その日を決めて酒を造り、そしてその日の内に飲み切るという飲み方で(したがって浴びるほど飲んだため酔い潰れていた)、これは神人共飲であると共に、一味同心を図るものでもありました(※1)。こうして江戸期の生活規範では、ケの日に酒を飲むのは破廉恥な事とされ、また酒はしかるべき場所に行って飲むべき物とされました。そしてその「外飲」の装置として居酒屋や料理屋が発達したのであります(※2)。無論その要因のもう一つには、復しても前稿で触れましたように、いびつな程単身男性が多かった江戸の町における「独身男の文化」が挙げられましょう。そうして酒は嗜好品として飲まれるように為って行ったのですが、それでも寄合酒、振舞酒、接待酒の風習は根強く残り、酒は相手を求めて飲むのが常で、独り酒や手酌は卑しいとされました。古代より日本には「酒は注がれて飲む物」という観念があり、自分で注いで飲むのは無作法とされて来たのですが、一方現代では自分の好きな量だけ勝手に手酌で遣れという話に為っています。その意識の転換を生む切っ掛けと為ったもの、それが「晩酌」なのであります。しかしながら家における晩酌の普及はなお時代を待たねばならず、それは「晩酌はたしかに又明治大正時代の発達であった」と柳田国男が『明治大正史』に記している通りであります。昨今においては、物流の便べんに加え、ウェブ技術とコロナ禍のお陰で一層発達した「家飲み」は、「オンライン飲み会」なるビデオ通話仕様でも楽しまれているようでありますが、矢張り対面で飲み交わす、生きた人間同士のじかの触れ合いを通した遣り方には敵わないものと思われます。とは言うものの、現代人のチビチビとした晩酌やダラダラとした付き合い酒は、はたから見ていて実にり張りの無い陰気な飲み方と言わざるを得ず、居酒屋で簡単な肴を当てに燗酒を一本グイッと飲む、若しくは料理屋や遊郭に出掛けて芸妓や遊女相手に時間を掛けてしっぽり飲む、旅に出れば所々で派手にどんちゃん騒ぎもする、といった落語に描かれる江戸っ子の陽気で健康的な遣り方に比べれば、情けないまでに縮こまった、飲む気も殺がれる飲み方なのであります。しかしながら、十返舎一九作『東海道中膝栗毛』の弥次喜多なる好一対の滑稽コンビの様に、「喰い心坊で酒好き、好色でそそっかしくて大法螺吹き、見栄坊の癖に時々猫糞ねこばばを遣らかしては失敗する。それでいて馬鹿正直で腹の中は空っぽだから憎めない」、こういった典型的な江戸っ子は、このせせこましい時代では唯の鼻摘まみ者として扱われるだけでしょう。

 ※1 「飲む目的は味よりも主として酔うため、むつかしい語で言うと、酒のもたらす異常心理を経験したいためで、神々にもこれをささげ、その氏子も一同でこれを飲んだのは、つまりはこの陶然たる心境を共同にしたい望みからであった。今でも新しい人たちの交際に、飲んで一度は酔い狂った上でないと、心を許して談り合うことができぬような感じが、まだ相応に強く残っているのもその痕跡で、つまり我々はこの古風な感覚の片割れを持ったままで、今日の新文化へ入って来ているのである」(柳田国男)。詰まり、昔は飲んで酔う事が大事だった為、「酒の上の過ちは大目に見る」「酔わなければ本音が出ない」という具合だった

 ※2 居酒屋とは「店先で酒を飲ませる酒屋」、或いは「安酒を飲ませる店」。詰まり料理屋の様な大きな座敷は無いが、屋台店の様な立ち飲みでもない、簡単に腰掛けて「居酒」をする所。江戸中期において一般化した

藤沢市藤澤浮世絵館  落合芳幾作『東海道中栗毛彌次馬 小田原』
小田原の宿場にて、上方で流行という五右衛門風呂の入り方が分からない二人。ゲス板を沈めて入る事なぞ知る由もなく、足が火傷するほど熱いがどうしたものか・・・知らないという事を知られたくない江戸っ子の意地。丁度傍にあった雪隠せっちんの下駄を履き、鼻歌交じりで素知らぬ顔。だがそうしている内に尻が熱く為って来た。釜の中で立つわ座るわ繰り返し、ガタガタ踏み散らした挙句、底を踏み抜く喜多さん。辺りはすっかり水浸し。下駄を履いて風呂に入る馬鹿げた真似に宿の亭主はご立腹。二人のごたごたを見ていた弥次さんも流石に気の毒に為り、仲裁に入って弁償という事で一件落着したのだとさ…

「飲み方」という話題が出た良い機会ですので、此処で現代人の言う「ブラインド・テイスティング」といった唎き酒に対する批評も加えて置きましょう。この行為は、先程申しました「生活の中に生きる、真の、詰まり普通の、気取らない、在るが儘の、且つ楽しみに満ちた酒の姿」とは全く掛け離れた、言わば「競争という勝利を欲望する喧騒」の一つで、コンクール優勝者が良くインタビューで言う、「今夜からラベルをじっくり見ながら飲みたいと思います」という言葉に、酒飲みの偽らざる本心が籠もっているのであります。抑々、非常に不自然な状況の酒飲みコンクールなどというものは古い時代であればあるほど考えられないもので、元来酒とは飽く迄も「御神酒おみき」であったから、厳粛に慎ましく飲むべきものでありました。したがって酒の飲み比べなどは延喜えんぎ(901~923年)や天暦てんりゃく(947~957年)辺りで始まり、実際、単純に酒を飲み比べる競技の記録は十世紀初期のものに見られるようです。とは言え、平安時代(794~1185年)辺りの武士はまだ田舎臭い純朴さを具えていて、酒については古風を守っていました。古風な酒とは、「時や処を選ばず無闇矢鱈に飲むような事はしない、祭りや重要な祝儀に際しての宴会での酒を行儀良く飲むだけ」という酒であります。その後、愈々いよいよ酒が社交の場で遊び道具と化したのは室町(1336~1573年)貴族の世界。宮中では速さを競う「十度飲」や「鶯呑うぐいすのみ」(※3)、酒を当てる「十種酒」なるものが催され、その敗者には芸を披露させる「負態まけわざ」も行われていたとされます。十種酒とは酒の味や香りを判別する唎き酒競技で、茶を飲み分ける「闘茶とうちゃ」や香を聞き分ける「十種香」を真似たものと見られますが(※4)、これが楽しめるように為った背景には、室町時代に入って京都に多数の酒蔵が出来、結果各地に銘酒が生まれたという事があるようです。『親長卿記』文明六(1474)年六月二十八日の条に拠ると、これは左方に主上(後土御門ごつちみかど天皇)や前将軍足利義政正室日野富子ひのとみこら、右方には室町殿(前将軍足利義政:在任1449~1473年)や式部卿宮ら、各々十名で廷臣や高級女官を交えて行われていたようで、此処で歴史に明るい方は、「応仁の大乱(1467~1477)があった文明(1469~1487)初期の世情が不安な時代にもかかわらず、やれやれ、一体何をしとるんだか・・・」と呟いておられる事でしょう。確かにこれらは酒を扱った遊戯としては興味深いのですが、飲酒という嗜好的行為から全く逸脱した点については、室町時代の公家・武家衆の生活実態と共に些か呆れざるを得ません。けれど見方を変えると、これもまた乱世に生まれ育まれた豊穣な文化的産物の一つと見すべきなのかも知れません。実際、資格試験やコンクール等でブラインド・テイスティングを経験した皆様は身を以てご存知でしょうが、極めて短い時間内に酒の性質を分析・記憶・判定する唎き酒は、有らゆる邪念を払って精神統一せねばならぬだけ、たとえ遊技として行うにしても、其れなりに養成された技術が要求されます。そして現実逃避の一手段として酔う為の酒(※5)が必要とされる動乱の最中においても、斯かる競技が貴人達の娯楽に取り入れられたという事実は、確かに「サケ」という物が「神聖なる飲料」からは落魄おちぶれたものの、「単なる到酔飲料」よりは貴い物へと格上げされた事を意味するのではないでしょうか。因みに気に為る先の十種酒の勝負の結果ですが──ズバリ「左方御負」。更に翌二十九日にも催されたようですが、再び主上方の「御負」。此処は宗教や芸術を愛好した義政の舌は確かな物であったのかなと、前向きに想像したいと思います^^

 ※3 「十度飲」は『親長卿記』文明七年四月三日の条に、宮中で催されたというのが初見で、これは参加人数を十名ずつに分け、左方、右方から交互に進み出て五杯ずつ早く飲んだ方が勝ち。「鶯呑」は二人組み同士で同量の杯の酒を早く飲んだ組が勝ち。共に単純な早飲み競争ではあるが、個人戦ではなく団体戦だったところが興味深い。三年に一度のソムリエ達のオリンピック「A.S.I.世界最優秀ソムリエコンクール」にも団体戦の部を取り入れたらずっと盛り上がるだろう。序でに「滝飲み」なるものもあったらしく、これは大杯を傾け、酒を流し込みつつも、一方で回りの者がその杯に次から次へと酒を注ぎ足して行く曲芸の様な飲み方で、飲み手に見えるのは眼前の杯と、飛沫を上げて上空から注ぎ込まれる大量の酒のみ。「土佐赤岡どろめ祭り」を想起させますネ(→「1升一気!どろめ祭り 大杯飲み干し大会」https://youtu.be/x-Tg9uOuDoQ

 ※4 「十種酒」の内容は次の様に考えられている。団体戦で、左方・右方双方十人ずつ参加。「いろはに」の四種が用意され、「に」以外の「いろは」三種は予め味わって貰い、「いろは」は三杯ずつ三回、「に」は「客」と言われ一杯だけ一回、計十杯を全員が利き分ける。御酌人によって注がれる酒は酒元によって無作為化される為、二十人の判定人には無論、御酌人にも供出される酒の順序は分からない。判定人は筆で所定の用紙に結果を書き込み、酒元がその用紙を回収し、正答数によって勝敗が決する。文献的に明らかではないが、恐らく全て吐き出さずに飲み込んだと思われる為、最終的には結構な酒量に為る。とは言え、平安時代には現在とほぼ変わらない品質の清酒が造られていたというから、十分楽しんで大杯を聞こし召していた事であろう

 ※5 乱世の酒は酔う為、太平の世の酒は嗜好を満たす為に在るもの。維新の志士達が酒に酔い痴れ女に溺れていたのは、いつ死ぬか分からぬ身としての悲壮な刹那主義があった為で、また特別攻撃隊員の出撃前の「武運を祈って交わす」乾杯は格好付けで、実は死への恐れを取り除く為の景気付けであった。尤も、当時の兵士は潔く死ぬという名誉心を徹底的に叩き込む教育を受けていた為、死への恐怖は然程でもなかったという

 ──閑話休題。噺が始まった後は演者の話術が全てであるが故、「言葉の芸」と言うべき落語、「何にも無いから何でも有る」落語。書物を楽しまなくなった現代人にとって、詰まり「言葉」の意義を知らず「想像力」の価値も知らない人々にとって、即ち一方的に目に入って来る色鮮やかな高画質の映像を受動的に見流すばかりのヒトという動物にとって、放映落語番組の固定されたカメラの単調な画面は忍耐を強いるものであり、きっと彼等は数十分も耐えられない事でしょう。現に落語はテレビ番組に為らないと結論付けられている程、その視聴率は極めて低いものです。しかし実際の落語とは、噺家の身振りと表情が誠に豊かな談話なのであります。特殊な例では、座布団から転がり落ちた者、座布団をうどんに見立ててねた者、座布団の周りを走り回った者が居たそうです。更なる特例として、シンセサイザーを使った者、高座の上で料理した者、そして左右に向くのは元より、客に後頭部を向けて話した(無礼)者などが居たとも聞きますが、流石に此処まで遣ると興醒め、唯の「演出」に為ってしまいましょう。

 昨今では酒蔵を観光資源として活用し、見学は無論、レストラン、更には試飲ツアーといったイベントを恒常的に取り組む所も多く、聞くところによると、大阪府交野市の大門酒造では、生前ロバート・モンダヴィがナパ・ヴァレーにて行ったように、クラシックやジャズコンサート、そして日本人らしく落語会にも積極的に利用され、接客も蔵人が行うほど本腰を入れている事からも分かる通り、蔵元は酒蔵を「劇場」であると位置付けているそうであります。この落語家を招いての「酒蔵寄席よせ」、グーグルで検索して見るとどうやら彼方此方あちこちの蔵で開かれているようで、お値段も手頃の上に、それが「弁当と蔵の酒付き」となればもう足を運ばない手はないでしょう(噴飯して前席の方の後頭部を飯粒塗めしつぶまみれにする恐れが御座います為、又マナーの面から見ても流石に飲食しながらの観賞はありますまい〈※6〉)。という訳で先ずはおうちで予行演習、是非ともお猪口を片手に、次にご紹介致します「酒」にまつわるお勧めの落語をご覧下さいますと幸いで御座います。さて皆様におかれましては、清酒同様に消滅の危機にある落語の楽しみを味到出来ますでしょうか? えー、では今回はこの辺りで、おいとまを頂きます。えー、またの機会に、お会い致しましょう。

 ※6 次の画像は平成15年ふるさと切手「能楽のまち 延岡」にて発売された物で、左は「延岡城下図屏風」から「神事能」が演じられている部分を模写したもの(右は延岡城址の石垣を背景に「のべおか天下一薪能」にて能面「小面」を着けて舞う演者の模写)。江戸初期の寛文年間(1670年頃)において能は現在の様に荘重なものではなく、庶民が気軽に楽しめるものだったようで、座って静かに観ている客の手前には、歌舞伎見物の様に朱盃で酒の飲みながら観能する、現在では考えられないような客が描かれている。皮肉な事だが、庶民の娯楽が人気を落とし同人の娯楽に為れば、観客の質が上がり行儀良く観賞されるのである

post.japanpost.jp

(以下、興味深い物を見付け次第、随時更新します)

・桂文楽「夢の酒」⇒https://youtu.be/zWos7pmNFro

・「滝田ゆう落語劇場 長屋の花見」⇒https://youtu.be/EZjpJR8sOAs

・金原亭馬生「親子酒」⇒https://youtu.be/v6awMVlKheg:屈託な顔をさせる事無く終始笑っていられる、愛すべき飲ん太郎親子

・立川談志「粗忽長屋」⇒https://youtu.be/057r5frXQVY:こういう破茶滅茶な噺を思い切り笑い飛ばすのも実に良いものです。マヌケオチ

・古今亭志ん朝「酢豆腐」⇒https://youtu.be/5IaPyKb-A9o:少しも少なくない登場人物を私の様な初心の者にも分かり易く演じ分ける技量は見物みもの。「湯は湧いて直ぐにお燗は出来るんだが、酒の肴がねぇんだよ。そこで安くって、数が在って、誰の口にも入って、ちょいと見場が好くって、腹に溜まらねぇ、衛生に良いなんていう乙な物を一つ考えて貰いてぇんだよ」──さて皆様なら何と返答致しますかね? ヒョウシオチ

・小さん 「猫の災難」⇒https://youtu.be/GKEd3F0qeyo:見所は10:58-17:15。13:33「あいつはむしゃむしゃむしゃむしゃ喰いながら飲もうってんだからなぁ、ああいう酒卑しいんだよ」→「食中酒が卑しい」という意味ならソムリエ達は大反対でしょうが、「口内調味が卑しい」という意味なら大賛成でしょう。(そしてもし後者なら上演当時としては誠に進んだ主張であります)

・古今亭志ん朝「大山詣り」⇒https://youtu.be/RzRhFMOP_1w:酩酊による被害者化がテーマ。引く事を知らぬ、気の荒い江戸っ子の気質、及びよく知られた鮮やかな地口落ちジグチオチにニヤリ

・古今亭志ん朝「居残り佐平治」⇒https://youtu.be/3qJ95jwqd-w:良く言えば「芸は身を助く」ですが、結局は唯の詐欺ですな。但し昨今の不特定多数を狙った機械的で悪意ある西洋的なものとは対照的な、狙いを定めた人間臭い純日本的な詐欺ですがね。ミタテオチ

・古今亭志ん朝「二番煎じ」⇒https://youtu.be/fORe2uwByns:幾度の笑いを禁じ得ない談話。締めはブッツケオチ→25:21〜「もう兎に角ね、もう他にもう楽しみはないんでござんすから〜」この台詞が身に染みる切なさよ…(;´д`)トホホ

・立川志の輔「禁酒番屋」⇒https://youtu.be/sVZqbZHFfDU:酒に対する両価性アンビバレンス。遠い昔の古代より日本では禁酒政策が細々ながらも連綿と行われ続けており、それは聖徳太子の新政から始まり、大化の改新、奈良朝の勅令、平安初期の勅令、鎌倉執権の禁令、そして江戸時代の初中期に亘り、国運の進展と並行して禁酒は高調されて来ました。この歴史的事実は、日本人が世界で最も酒害の脅威を知る民族であった事を示し、反面、幾度もの政令が失敗に終わってもなお繰り返されて来たところを見ると、如何に酒というものが人の身心が希求する、極めて諦め難い、滅ぼすには何とも惜しいものであるという事をも示します。勿論このアンビバレントな意識は人類史上最大の道徳改良実験とも言うべき米国の禁酒法(→「ワインと健康」※1参照)においても存在していました。そして密造、密売、密輸入は法律規制も何のその、人目を忍んでスルスルすり抜けて来たのであります。一方、酒壺破却を断行した鎌倉幕府の「沽酒之禁こしゅのきん」政策には徹底した禁酒励行の一大決意が思われ、実際これが日本禁酒史上の一大盛事とされます。そして又これが、五穀収穫減少による食糧難を緩和し、国家財政経済保険の上にも甚だ有効であった事を鑑みると、昨今のコロナ感染対策の一環として布かれた禁酒令にも見られた、自粛という形を以て人の道徳観に訴える生半な政策は失敗に終わるのがオチなのであります。──それにしても、役人の様な偽善者が下種げすな報復を受ける時にこそ、庶民はカタルシスを覚えるものであります。ブッツケオチ

・5分落語「酒の粕」⇒https://youtu.be/y-u0TMQj3Sg:「酒飲んで酔うたぁ言う方が男の値打ちが上がる」といった類いの台詞は昨今さっぱり聞かれなくなった(当方が飲み方を知らぬ若者と飲む機会が無いだけだからか?)。アルコール業界では世界的に人々の酒離れが叫ばれ続けているが、日本では試飲会やセミナー等の参加者は女性の方が目立つようである(地味な装いの男性達に比べ、彼女達の派手やかな服装もそう見える一因であろうが、実際データ上でも女性優勢。JSAに依ると有資格者においても年々女性の数が増えているという)。その内「酒飲んで酔うたぁ言う方が女の値打ちが上がる」と言われる日が来るかもネ・・・「男は男らしく」「女は女らしく」在る必要がなくなったこの時代、「男の価値」とは果たして何であるか。それ即ち「女の価値」とは何であるか・・・今の世において「人間的」で在るという事は「不自然」で在るという事なのだ。「性」の区別が法に反する現在、ボーヴォワール女史の名著も虚しい(が、そう為る事が彼女の本望であったろう)

・古今亭志ん朝「もう半分」⇒https://youtu.be/yOZLU3bv7a4:マクラの可笑しさからサゲの恐ろしさへの見事な変遷。酒を飲みつつ鑑賞した為か、高まる恐怖感と共に高鳴る心臓の鼓動が血流を通して全身に伝わり、指の先まで響くかの如し。現代の科学技術に支配された合理的な暮らしの中で忘れていた怖いもの見たさよ。注ぎ酒屋の夫婦の遣り取りに一瞬『マクベス』が頭をよぎった。‘Present fears are less than horrible imaginings.’(Act 1, Scene 3)「目に見える危険など、心に描く恐ろしさにくらべれば、高が知れている」(福田恆存訳)。シコミオチ

・古今亭志ん朝「芝浜」⇒https://youtu.be/qAxDDbqRaRc:夢と現実の区別が付かなく為る程の飲酒はエルぺノル症候群(→ワインと健康の※3参照)の好例・・・しかし「もう半分」の極道の妻とは正反対の誠に良く出来たおかみさんで御座います。斯かる奥が果たして現代の家庭にどれほど居るのか知らん。からきし女運の無い筆者は42:00の場面に泣きながら笑うのでありました──「ありがてぇありがてぇ、あああ、女房大明神様!」(´∀`)( ;∀;) 一年の仕事納めや年越しに、是非見直したい傑作

〈オチの種類〉

・ミタテオチ:オチに関わる物事を、別の物事に見立てて落とす

・ジグチオチ:駄洒落、語呂合わせ、もじり、パロディー等で落とす

・マヌケオチ:全然理屈を離れた、間抜けな言動で落とす

・ブッツケオチ:相手の言葉を互いに誤解し、食い違った儘で落とす

・トタンオチ:突如終結を付け、聴者の意表を突いて途端に落とす

・ヒョウシオチ:とんとん拍子で運んで行き、さっと落とす

・サカサオチ:オチを前以て話し、後で内容を話す

・シコミオチ:途中でオチの言葉を一度使って印象付けたり、又はその内容を説明して置く

本日の箴言

「落語における酒」の主題は、飲酒のもつ人間学的、心理学的、精神医学的かつ民俗学的な諸側面のほとんどを網羅している。そして、日本文化史上から見て、近世は、日本文化における「ハレ」の意味が、そしてその中に位置づけられる狂気・犯罪・信仰および酩酊の意味が、一般に、世俗化し、矮小化しながら、その各要素がなおはっきりと存在する時代であった。日本近世に生まれ、今日もなお生きつづける落語は、その中に登場する酒と酩酊者の姿を通して、人類に共通する酩酊の本質と、その日本近世的形態の構造を、私たちに透見させてくれるのである 

小田晋『落語における飲酒と酩酊の構造』

記念日の一本

No.6 S-type、純米 吟醸 原酒、きょうかい6号、Alc13度、令和三年度酒造年度、杜氏 植松誠人(新政酒造、秋田県秋田市大町)

 淡いシルバー/イエロー、気泡在り。水々しい果実を連想させる、鼻を擽るような非常に品の好い香りはマスカット、青林檎、ライチ、メロン、和梨、スイカズラ等

 舌を薄皮一枚で包み込むような繊細な口当たり、だが生原酒由来の充実した嚙めるようなジューシーさもある。55%精米で純米吟醸だが、米寄りとは程遠いピュアで新鮮な果実感と甘・酸がすっきりとしながらも他に比べ数段高いレベルでバランスが取れた、しかし 生酛 造りならではの奥行きもあり且つドライに切れる余韻

 味の起伏が素晴らしい。日本的繊細さと淡さと共に、それらに相対する性質が同居する矛盾した心の中にも、内に秘める信念を追究したような、「個性」という語を通り越して「唯一無二の特性」を備えた美酒。当蔵が伊達に業界の話題に上るのも訳無い事ではないと実感

新政の改新:①6号酵母限定 ②秋田県産米のみ ③純米造りのみ ④(山廃酛を含む)生酛 系酒母のみ ⑤(醸造用乳酸を使わない代わりに)白糀を使用 ⑥記載義務の無い添加物を使用しない ⑦14度台のアルコール度低めで搾った 原酒 ⑧2014年から木桶仕込み(酵母が活発に働き発酵の進み具合が早く為り辛口に為る。ステンレスでは表現出来ない繊細で複雑な酒質を実現。杉は生育方法や場所、また部位よって成分が異なるため酒質の多様化に貢献。酒に抗酸化成分ポリフェノールを供給)への取り組み、等

「木桶仕込みでは木の成分が少し酒に入り、これが酵母に影響を与え、他の酒とは違った発酵が行われます。杉の匂いはほぼせず、含んだ時に不思議な厚みが出るんです。あと、木の成分なのか分からないけれど、劣化しにくいのです」「木桶には多様な微生物が棲みつき、複雑な風味が付加される・・・江戸時代に完成した素晴らしい技術」「生酛の方が水の使用量が少ないんです。物というのは、水が少ないほど腐りにくいですよね。腐りにくいということは、雑菌にも侵されにくいので、きれいな酒ができます。水卸しという作業は必要になりますが、手間暇さえ惜しまなければ、酒質は安定するので、生酛を選びました」「化学的に、機械的にやっている限り、いずれ日本酒は行き詰まりになると思う。産業的にも。たとえば、西洋医学的なやり方でも発展はあるわけですが、生酛には東洋医学的なところがある。菌自体を殺しちゃう、減菌しちゃうのが西洋的な考え方で、それは 速醸酛 の発想で明治以降の西洋側のスタイルが入ってきたときの発想なんです。生酛は、もっと共存しながらという、東洋的、日本的なところがあって、世界に持って行くにしても、生酛のほうが懐深くて、偉大なものがあるんじゃないかという気がする」「科学の対極にある領域にロマンティックさと可能性を感じているんです。生き物にはとんでもない能力が備わっている。どんな小さな虫けらでも。人間にももっとすごい能力があるはずなんだけど、科学のせいで矮小化されていると思うんです。人間が本来持っていた感覚とかが。・・・人間の能力には、第六感とか第七感とかが隠されていて、昔の人はそういうものを駆使して、酒造りをしていた。それにすごく憧れている」──新政酒造八代目蔵元佐藤祐輔

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秋田県:「美酒王国」「酒呑みの県」と呼ばれ、嘗ては肉体労働の鉱夫が多かった事から秋田美人を思わせるぽっちゃりとした甘味、また酒質は綺麗で雑味は少ないが僅かな苦味や 渋み による広い味幅、そして丸みのある余韻が主流だったが、近年は多様で輪郭のはっきりした物が多い。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/akita.html

第三十八瓶 新酒番船

 一旦筆を置いた拙ワインブログサイトを再開してから十九箇月弱、これ迄に十一瓶ご提供差し上げて参りましたが、新酒のお味は如何でしょうか? 全体的に 旨味 を凝縮させながらも、所々苦味や 渋み を効かせてありますので、或いは「飲み辛い」と言う方々も居られる事でしょう。しかしその苦味が濃くと共に幾分の爽やかさを与えて複雑さを添え、渋みが奥行きを生み余韻を支えるのです。此処で改めて──双方の価値の比較はさて置き──現時点では入手困難の極みである「十四代」の様に、酒が美味過ぎて料理の入り込む余地が無い、言わば独り善がりな美味しさに為っていない事を願いつつ、筆を進めて参りたく思う次第で御座います。

或る食事付き比較試飲会で十四代と黒龍を各六種ずつ試したところ、前者は香りにおいてメロン、青林檎、マスカット、スウィーティ、ラ・フランス、水仙、スイカズラ等の果実と花の要素が他とは数段上の次元で優雅に纏まって、味わいは生詰め由来の嚙めるようなジューシーさと四味(甘酸旨苦)の調和したシームレスさ。以上の香味が全種に共通して前面に存在する為、最も安価な・・・「本丸」でも十分にこの造り手の特徴が知れる。又、その美味に疑う余地は微塵も無いが、香りが食事の邪魔をする感は否めない為、単体もしくは食前酒として楽しみたい。対し「黒龍」は四味の生む重心が安定し、且つ明確な輪郭を形成する。求心力と重量感は、確かに十四代と比べてしまえば雑味として感じられようが、其々にバリエーションの有る香味ゆえ、全種一つ一つ別物として楽しめる。同時に、果実ではなく米寄りに意識された造りの為か、生 を含め、共通して燗適酒かつ食中酒で、個人的には──入手のし易さからから言っても(過剰なプレミアム価格が、消費者に誤った品質評価を下させている)──後者を推す。今や「米の酒に果実の香りは必要無い」という声が上がり始めている。(因みに、清酒にも似て 瓶内二次発酵 による旨味が特徴のシャンパーニュ〈他のワイン産地に比べ2~3倍のアミノ酸が含まれている、したがって和食に合わせ易い〉、その造り手達の間でも過剰な果実風味は必要無いとする考え方が徹底しているらしい。彼等は、例えばブルゴーニュの果実感の強い赤の泡やソーヴィニヨン・ブラン等の アロマティック 品種を原料とした泡に違和感を抱くそうで、「ああいう香りの強いヴァン・ムスーを、どんな時に何に合わせて飲んでいるんだろう?」と言う方が多いそうである)

 扨、前稿では「熟成古酒」についてお話し致しました。一年以上貯蔵した「古酒」はその独特な香味が通の人以外には余り好まれず、現代においてはつい最近まで殆ど注目されなかったのですが、それは寧ろ「搾り立て」のフレッシュな香味への強い嗜好が原因とも考えられます。「採れたての野菜が瑞々しく美味しいように、お酒も搾った瞬間が一番美味しい」と考える七賢の様な蔵もあり、それはそれで全く以てご尤もな嗜好であります。又、秋彼岸過ぎから仕込む新酒は年に一度の貴重な味でもあり、『常陸国風土記』の時代でも「あらさかの 神のみ酒を と 言いけばかもよ いにけむ」(新しく醸した尊い神の酒を飲め飲めとあなたが言って勧めたからだろうな、私はすっかり酔ってしまったようだ)と男女集って新酒を飲み飲み歌舞に興じた様が歌われております。

 ところで『本朝食鑑』に「熟成醪を酒袋に入れて上槽すると、酒が自然に滴り出る。更に圧力を掛け、酒が滴り尽きた後、酒だけを桶に取って滓下げをする。これを新酒と言う」とあるように、曾ては搾り上げた 生 酒を「新酒」と称したようであります。詰まり、厳密に言えば、一度でも火入れをした酒は「新酒」とは言わず、(熟成の進み具合は別として)「熟成酒」と呼ぶのが正しいという事であります(此処で改めてと熟成の相関関係が想起されます)。因みに「古酒」も今で言う物とは全く異質の物で、これは新酒一石当たり精白もち米三斗と米糀二斗を仕込み、二十一日間糖化した後に粕を分離した、味醂様の 諸白 であったという事です。そして諸白は酒質劣化防止に火当てが為されましたが、二番火、三番火、四番火とその回数を重ねる程に風味や色調が変化した為、諸白と言えども時と共に「三年酒 下戸のくるしむ 口あたり」(『川柳拾遺』)と為り、よって好酒家はかえって、「ます飲みの 価は取らぬ 新酒哉」(『蕪村句集』)に見られるような、造り酒屋で新酒の出来を祝い、通りすがりの人々にもただで升酒を振る舞うといった情景と共に、熟成古酒から諸白新酒へとその賞味の対象を移行して行ったのであります。こうして季節毎に諸白が造られるように為って行ったのですが、それは──最大消費市場であった江戸の人々が、糀香の抜けない荒い味でも兎に角新鮮な新酒を愛飲した事もありましょうが──実際には上方(西国)の酒屋が少しでも桶の回転を早め換金化を急いだという経済事情に拠るようです。とは言え、矢張り「江戸っ子が季節毎に異なる諸白の味を楽しんだ」と想像する方が浪漫ろまんを搔き立てるというものです。(※1)

 ※1 戦国時代末期、奈良興福寺の塔頭多聞院たっちゅうたもんいんに残された記録に拠ると、当時は初秋から寒を経て翌年春まで酒造していて、江戸時代初期も旧暦八月に造る最初の「新酒」(普通は前年の古米から造られたが、それは、新米では発酵が進み過ぎた為、腐造酒が多く出易かった事が理由)、「間酒あいしゅ」「寒前酒かんまえざけ」「寒酒かんしゅ」「春酒はるざけ」と、真夏を除きほぼ一年中造られていた。一方現在、技術発展のお陰で安定して同じ味の酒を生産出来る四季醸造が始まり季節感が失われてから、寒造り の新酒という伝統は廃れ、春の濁り酒や夏の生酒、そして秋の冷やおろしといった区別は大して意味を持たなくなってしまった

 それはそうと、「初物はつもの」「走りの物」に価値を見出し、「旬」の味を重んじる日本人の感性はどの様にして養われて来たのでしょう? それを知るには「新酒番船」について知る必要がありましょう。曾て徳川による江戸幕府の参勤交代制度によって全国の大名が江戸に集められた事は日本人が義務教育時代で教わる歴史ですが、これにより江戸人口が急激に膨張し、生活物資の需要を十分に供給する事が出来ず、上方から江戸へ多くの物資を運ぶ必要があった事などは余り教えられていないようです(※2)。そしてその徳川幕府の参勤交代以来、流通や問屋組織が明確に為って行ったのですが、当初の江戸積みは二樽宛駄馬(一樽=四斗)で数十駄ずつ運ばれ、詰まり馬の背に揺られて大井川を渡り、箱根の山を登り下りして江戸に運ばれた訳なのですが、「馬積みでは実に効率が悪い。酒は常に引く手数多、これではとても間に合わん」という事に業者さん達は1630年代の寛永の頃に気付いたようです。そしてこの流通をより円滑にする為に、江戸には十組問屋、大坂には二十四組問屋という廻船問屋組合が生まれ、樽廻船(※3)で何百樽も同時に送るように為ったのでした(千石船でこも被り四斗樽二十四貫〈72L入り約90kg〉が千五百樽は積める)。その内に、双方の間で「番船制度」が行われるように為り、そしてそれには「新綿番船」と「新酒番船」がありました。前者は畿内でその年に初めて産出した木綿を江戸に送る菱垣廻船による、そして後者は上方の新酒を江戸に送る樽廻船による、言わば弁財船(風帆船)の海上レースで、そして一番船、二番船と着順を競った事から「番船ばんふね」と呼ばれた訳であります(※4)。酒蔵毎に仕立てられた廻船が大坂から同時に出発して江戸を目指す競争は、初物を好む江戸っ子の気性(何でも一番が好み、向こう見ずで負けず嫌い、走り物は見栄を買うようなもの)に適った慣行で、西宮にしのみやの出帆に際しては囃子太鼓で見送られ、その賑やかさは『菱垣新綿番船川口之図』(下画像)等の浮世絵からも見て分かる通りで、それは蔵米を始め全国の物産が集まり「天下の台所」と称された大坂の賑わいでもありました。そして一番船などは、江戸前の海に見張り番を乗せた何艘もの船が待ち受ける中、到着を祝う幾つもののぼりや大漁旗が風に靡く盛んな出迎えの内に、船頭はねじり鉢巻きに赤襦袢じゅばん一枚で踊りながら乗り込み、祝杯を飲んで金一封にあずかるという、古き良き時代の年中行事の一つに相応しい情景が広がったとの事であります。この樽廻船で江戸へ運ばれた酒は「下り酒」と呼ばれ、質が高く珍重され大切に扱われましたが、対して質の低い酒は「下らない」と言われ、この用語は現在も日本人の生活の様々な場面において、唾棄するような口調で広く使われているものであります。詰まり、上方からの入津商品「下り物」イコール「良い物」、そして「下り酒」=「灘の 生一本」という関係が生まれ、それは江戸で消費される酒の七~九割を占めていたようです(※5)。その消費量は多い時で約百万樽と言われ、町人文化の第二次勃興期である文化・文政の頃(19世紀初頭)の推定人口は百万人、詰まり老若男女問わず(※6)、一年一人一樽すなわち一人一日一合少々の量が飲酒されていた計算になります。「イタミノサケ ケサノミタイ」(※7)という回文も作られたほど常飲され、清酒が如何に当時の日常生活に溶け込んでいたかが分かります。京が「着倒れ」、大坂が「食い倒れ」なら、言わば江戸は「飲み倒れ」の町であったのです。

 ※2 表面的な事実だけで、その背景にまで触れないのが、いつ迄も時代遅れの減点法にこだわるこの国の学校教育における一般的特徴である。次の事は既に『清酒の味わい方(外観)』の※4において述べた事だが、筆者の仕事柄、重ねて言う。事前に設定された解答を求める試験システムは、確かに同一で性能の良い商品を大量生産する必要があった高度経済成長期においては良かったが、既に良質な物が有り余るこの時代、教科書通りに作られた同一物に何の価値が在ろうか。「多様性が失われると生命力が落ちる」とされる事から、「生物多様性条約」や「文化多様性条約」というものが国際条約として存在し、自然界や文化界において多様性こそが生存や存続の鍵とされる以上、模範解答以上の解答で満点を越える事が在り得る加点法を組み込んで行かなければ、いつ迄も過去の成功法にしがみ付いた儘では、この国に発展は望めまい。現状維持もまた衰退の切っ掛けである

 ※3 和船仕立ての帆船で、大坂からの下り荷を扱う船を菱垣廻船(元和五〈1619〉年発足)というが、そこから独立して酒の輸送のみを扱う船の事。菱垣廻船より船倉を深くするなどして、樽の積載を重視した船型(下画像)。発足年は書物によって様々で、享保八(1723)年という物や1730年と記す物もあり、定かではない。明暦四(1658)年が当方が知る情報の内で最古

 ※4 他説には、兎に角多量な商品を同時に全て運ぶのは無理であった為、船舶の出帆を二回に分け、そして初めに出るのを一番船、次を二番船と称した事が「番船」の名の由来というものもある

 ※5 江戸では伊丹や池田からの下り酒も好まれたが、中でも灘の酒を最上とした。一方、関東周辺の酒は「地廻じまわり」と呼ばれ、灘五郷の酒に比べて技術が劣る分、足持ち(保存性)も良くない下酒げしゅで、味の分かる酒飲みであった江戸の男衆おとこしは下り酒、特にその新酒は地廻りの何倍の値がしても飲みたがったという(が勿論彼等は地廻りの酒も飲んだ。関東の「地廻り悪酒あくしゅ」は何処にも下りようがないという事で「下らぬ酒」と言われた。現代人が言う「下らねぇ」とは元々は江戸っ子の言葉である)

 ※6 享保六(1721)年の人口約五十万人の内訳は、男三十二万人、女十八万人と推定され、江戸はいびつな迄の男子多数社会だった。詰まり全人口の凡そ三分の二が単身男性、言い換えると男二人に一人は食事を作ってくれる配偶者がいなかった為、食べ物屋が繫盛した

 ※7 伊丹の辛口酒は有名で、塩辛い物を好む江戸っ子の嗜好に合った

mizu.gr.jp 含粋亭芳庵作『菱垣新綿番船川口之図』(大坂城天守閣蔵)
毎年秋の新綿番船の出航では、緋色の旗や幟、吹き流しを差した伝馬船や屋形船が河を埋め尽くし、浜の一角から大太鼓の音が勇ましく響き渡り、その合図と共に船々の出立を見届けようとする大勢の見物人が集まり大いに賑わった
https://nihonshu-tourism.com 樽廻船(沢の鶴資料館)
下り酒は、伊丹の鴻池こうのいけ家が江戸時代初期に、馬背うませにより酒荷を運んだのが始まりとされる。その後、元和げんな五(1619)年に始まった菱垣廻船で下り酒は輸送され、そして寛文かんぶん年間(1661~1673)に樽廻船が引き継いだ。或る文献には、安永年間(1770年代後半)には樽廻船の総数は百六隻、菱垣廻船は百六十隻と記されている。菱垣廻船は米、木綿や油、酢、醬油等と一緒に酒を混載して運ぶ為、他の荷を待たねばならなかった。そして当時の酒は質の劣化が早かった為、如何に速く輸送するかが問題であった。又、時化しけ等で積み荷に被害が出た時の損害補償制度(共同海損)にも不満があったとされる(※8)。それらを一気に解消したのが酒樽専門の樽廻船。船の大型化(大量運搬と波の荒い熊野灘から遠州灘の難所を乗り切り易い)と共に、速度向上も実現(菱垣廻船だと江戸まで三週間程だったのが、樽廻船では五日程に短縮)。余談だが、菱垣廻船や樽廻船は六、七年で水漏れを直したり、上廻りの補修をして十五年程で乗り納めとし、塩廻船等に売られた(因みに、下り酒の空樽は醤油樽に転用された)。しかし、そんな樽廻船も明治十年を境に蒸気船に取って代わり、軈ては陸上輸送に切り替えられて行った

 ※8 元来酒は劣化し易い商品で輸送期間が短い事が要望されていたが、菱垣廻船は諸種の商品を胴の間に高く積み上げ、とま囲いを厳重にするので、集荷から積荷、出帆までかなりの長い日数(普通で三十から四十日位)を要した。それに比べ、酒荷のみを下積荷物として積み込む樽廻船は荷嵩が低く、艤装ぎそうにも余り手間取らなかったため船足がより速かった。又、菱垣廻船で他荷物と同時に積み込む時、酒は水油・砂糖・砥石・蠟・糠・瀬戸物・鉄類等と共に下積荷物で、海難に当たって荷を軽くする為、先ず刎荷はねに(高波に揉まれて沈没しそうな時に船足を軽くし船の安定を図る為に荷物を海中にね捨てる事)に為るのは上積み荷物の繰綿・昆布・染草・煙草・薬種・絵馬・小間物・ひつ物・紙類・糸・木綿類等、より嵩高で且つ運賃諸掛かりや高価な物であった。同一の船の海難によって生じる損失は積み合わせた荷主が保障し合った為、下積荷物の主が上積荷物の主の損失を負担しなければならず、酒樽荷主はこの不平等な損害保障制度に不満を持った。こうして、特に享保十五年の大海難を契機として、酒店組は十組問屋の海保保障から脱退し、専用の樽廻船の独立組織化が為された
blog.livedoor.jp 灘五郷(西宮)から熊野灘、遠州灘、相模灘を経て江戸(品川)に辿り着くまで約700km、一般に五日程(かちで十五、六日)掛かったという。寛政かんせい二(1790)年に二日半で走り切った樽廻船が最速とされるが、そんな走りは船頭以下乗組み員(※9)の腕前、船の具合、風向き、潮加減など全てが格別に巧く行かないと無理で、二番手の記録の三日半で上々吉であったと言われる。瀬戸内海を主に往来する渡海船から見れば、江戸積みの様々な生活物資を運ぶ菱垣廻船や酒専門の樽廻船は花形ではあったが、規模も大きく外洋を行くだけに危険も多い、今で言う「ハイリスクハイリターン」の仕事であった。品川沖に一番先に着いた船は「惣一番そういちばん」と呼ばれ、その幟を誇らしげに立て太鼓を叩いて新川沿いを乗員皆で練り歩く特権が与えられるなど、他船を圧する誉れと役得が一年間与えられ、その酒は次の年の新酒番船の競争まで、二番手以下の何倍にも為るご祝儀相場で取り引きされた。無論二番札・三番札にもそれなりの役得はあったが、懐に入って来る金子の差は非常に大きく、例えば惣一番の報酬は何万両という、新造船のついえも直ぐに取り戻せる程であったという。一方で、四番以下の番船には役得は無かった。この勝負で、大風や高波のみならず、問屋と結託して江戸の下り酒を担う海賊にも襲われ得る上、野分のわき(台風)に遭って船ごと沈んで溺れ死ぬ事もあったが、勝利者達には分限者ぶげんしゃとして大尽だいじん暮らしの一年が待っていた為、船頭以下水夫達も命を張る、正に船乗りの誇りと実利を伴う競争であった。「やれいけ、それいけ、大坂もんの根性見せたれ」(佐伯泰英『新酒番船』)

 ※9 船の乗員は沖船頭(船主に雇われた船の最高責任者)、表司(航海士)・親仁(水夫長)・知工(事務長)の三役、その下に片表(表司補佐)、碇捌(碇操作)、かじ子(舵取り)。更に下って追廻し(雑事係)、そして最下は炊(炊事係や留守番)

 此処で物流の恩恵をこよなく享受する現代人としては、「クール便でお願いします」と贅沢な注文をしたくなるところです。しかしそこはワインとは造りが異なる日本酒の底力。多少なりとも劣化はしたかも分かりませんが、杉樽の様な不完全な容器にもかかわらず、高濃度のアルコール(→並行複式発酵)のお陰で、大坂から江戸への長道でも腐らせずに送り届ける事が出来たのです。そしてこの流通過程における僥倖を忘れてはなりません。四斗樽の酒は船に揺られて味が悪く為るどころか、「船中で もめばやわらぐ 男山」と川柳にもあるように、 の中で揺られて味が円やかに為り、更に杉の香油が程良く溶け込んで独特の香りも付いたのです。そして江戸っ子はこの杉樽特有の香味を大いに好んで楽しんだようであります。そうしてそこから、その特徴を付与する為だけに、池田や伊丹の酒樽を船に積んで富士山の見える所まで来たらUターンして持って帰る「富士見酒」とか「江戸戻り」とか呼ばれた非常に高価な酒も現れたという次第です。この出来事は、共に同じ時代、しくも帆船時代の17世紀、マデイラにおける、「船に積み込まれて赤道を越えたワインが得も言われぬ風味だった」と態々わざわざ船積みして長い航路を辿らせたという歴史的背景を想い起こさせます。

madeirawineanddine.com
The heating by the sun and the rocking motion of the sea were the two principle theories to improve the quality of the wine. Indeed it was discovered that the gentle heating in the sun gave Madeira wine its wonderful flavours, not the agitation of the vessels at the sea.

 これで日本人の新しい物好きの理由の一端が垣間見えましたでしょうか。何故日本人(特に江戸人ならぬ東京人)が、時差の関係から諸各国に先んじて解禁されるというだけで、ボージョレ・ヌーヴォーなる安酒を空輸して高価にする無理押しワインに大騒ぎするのか、これでご理解頂けましたでしょうか。此処で当方の今迄の文筆活動を通して知見めいた事を申しますと、定期的な伊勢神宮の式年遷宮(※10)や出雲大社の大遷宮に見られるように、抑々そもそも汚穢おわいを忌み厭い、清浄を愛で好むのは日本の神々が誇示する特性。詰まり、神道において老朽化は神々の生命力を衰退させる「けがれ」であり、「常若とこわか」で在る事が絶えず浄化された新しい力の源であるという事です。したがって、そういった神々の再生力の恩恵を有り難く授かる日本人が、生まれ立ての清らかなものに価値を見出したり、少しく時が過ぎて古く為れば安く為るにもかかわらず、いの一番に高価な旬の物を楽しもうとしたりする精神は、実は誠に神々しいのであります。

 ※10 内宮外宮の正宮を始め在らゆる社殿が新造され、殿内の神宝や装束も新調され、宇治橋も造り替えられる、「皇家第一の重事」たる日本最大にして最高の祭事。この祭りを通し、素木造りの建築や伝統工芸の精巧な技術が永遠に引き継がれて行く。二十年に一度生まれ変わるという発想はどの国にも見られない事だという。境内の案内曰く「古代より常にみずみずしく、国も人も若返り、栄えゆくように」。全てを新しくする事で、神と人と国の永生を希求した御先祖達の心が魂に沁みる。古式古例の儘に、変わり行く時代の中でも変わらぬ思いで祀る事、それが神事である

haccola.jp その年の初めての上槽を「初揚げ」と言い、新酒の搾りが無事に迎えられた事を祝う神事が催され、宴会が開かれる。新酒が出来た事を知らせる杉玉(※9)は、この初揚げの日に酒蔵の軒先に吊るされる。飾り始めは鮮やかな緑色も、月日と共に茶色を帯びて来るのは、酒の熟成具合の目安ともなっている。杉玉は、奈良県に在る日本最古の神社とも言われる大神おおみわ神社に由来し、三輪山全体を御神体とする当神社ではその山の杉は御神体の一部と為る。即ち杉玉を飾るという事は御神体その物が酒蔵に訪れるという事になる

 ※9 「杉の葉を束ねて球状に刈り込んだ物。酒林さかばやしが一般の名だが、『杉の丸』『杉林』『酒葉』『酒箒さかほうき』『しるしの杉玉』『酒望子さかぼうし』など地方によって呼び名が変わる。新酒を知らせるはたの代わりとして、即ち『搾りを始めました』の意味で酒屋の看板に使われる。抑々杉は大物主を主祭神、大己貴と小彦名を配神とする三輪みわ神社の神木である。『酒祭り』の前日にその葉で直径一間いっけん(約一・八m)の大杉丸を作り、祭りが終わると巫女達が全国の酒蔵六百軒に配った。尚その『酒祭り』では杉玉が拝殿にぶらぶら下げられる」──拙著『古事記 改 国譲り』(註一〇四)より

 さてさて、日本の気候風土の下、日本を代表する産物たる米と水を使い、日本人の忍耐強さ・丁寧さ・繊細さを象徴した「日本民族の叡智の結晶」「日本人が懸ける情熱の証」、即ち「日本の粋」が詰まった清酒という果てしない大海に乗り出して進んで参りましたこのサイト、これより何処いずこに向かって行くのでありましょうか? 順風満帆、或いは嵐で遭難。果たしてこの細やかな小舟は、安らかに旅人を迎え入れる、遙かなる岸辺へと辿り着けるのでありましょうか・・・

本日の箴言

 新米の その一粒の 力かな 

虚子

平日の一本

達磨正宗、五段仕込み限定純米酒(岐阜県産日本晴70%〈掛米、精米歩合75%〉、同県産五百万石30%〈麴米、精米歩合70%〉、日本酒度-25、酸度3.0、アルコール度16%、生 酒)(令和四年三月十四日しぼり、製造年月令和4年4月→令和四年六月四日試飲)(白木恒助商店、岐阜県岐阜市)

 ベージュを帯びたイエローの外観で、重厚な香り立ち:洋梨のコンポート、蒸米、ドライバナナ、穀物の皮、落花生、きな粉の香りが深みを印象付ける。又、べっ甲飴、百合、大根、カスタードクリーム、ショートブレッド、蜂蜜、檜、胡麻、味噌、蕎麦茶など、複層的な香りの要素が感じられる

 力強いアタック。ややべとつく甘さは四段を打った事に由来するのか。しかし濃密な甘味の中にも芯の有る酸が味わいの中心に一貫し、風味を引き締めて調和する。ビリビリとした刺激のあるアルコール度に支えられた、とろみの有るテクスチャーのフルボディに 原酒 らしさが表れている。余韻は縦長に、フレッシュさを伴いスッと消えて行く

 35℃:好い意味で穀物の殻の様な香ばしさと薄口醤油のフレーヴァー。甘味と旨味がより凝縮され、数年熟成させたような印象に変わる。マデイラにも似た甘・酸のある風味で、食後に燗につけてちびちび味わいたい

達磨正宗の元酒は米の旨味を十分に溶け込ませ、甘味とアミノ酸も確りと有るのが特徴(日本酒度が0位の酒は短期間の熟成で老香が現れるが、通常の酒よりも糖分やアミノ酸が多い当蔵の古酒は老香がマスキングされ感じさせないという)。詰まり、通常の添・仲・留に甘酒を添加し甘味を加え(甘酒四段)、更に確りとした酸を持たせる為に酒母を加える(酒母五段)。そうして甘酸っぱい新酒が出来るという訳である。糀はオーソドックスな総破精で、糀歩合は約30%。醪日数は18日程で、極端な温度制御はしない、吟醸 造りと対照的な古酒造り。当蔵は瓶詰め後、遮光性があり温度変化が少ない海上コンテナを使い、屋外にて常温熟成させているとの事。白木善次氏は「熟成とは、酒の老化に対し如何に良い環境を作り、その場を提供して行くかである」と言い、「熟成の早い遅いだけの単純な表現ではなく、酸と糖とのなじむ時間の長くかかるもの、短かいものなどにすべきではないか」とも言う。(蔵元が古酒に取り組み始めたきっかけ→https://youtu.be/ZCYJKwYT-8U〈3:27〉)
岐阜県:南の美濃地方は隣の愛知県と共通する濃醇甘口で、山国ならではの濃醇な保存食に寄り添う。北の飛騨地方は濃厚な辛口。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/gifu.html 

第三十七瓶 熟成古酒

 我が愛用の国語辞典『大辞林』(第二版)に拠りますと、「」:①地面)②その地方土地)③生来のもの作り物ではないもの)④本来身に備わっている性質持ち味)⑤加工や細工の土台本質)とあり(緑字は筆者による解釈)、前々稿は②③④について着目し、前稿は⑤について、詰まり燗によって鍍金めっきが剝がれて「」が出る事について述べました。(人も長年付き合うとが出て来ますネ…)(尚「」とは、①天に対して地 ②特定の土地、地方、地域、場所 ③位置、立場 ④所有する土地、領土)

 前回申しました通り、燗とは言わば瞬間熟成。それは言い換えると、燗で駄目に為る酒は熟成にも向いていないという事です。燗にして旨い酒が熟成して旨く為る(味が崩れず、冷や常温よりもバランスが良く為る)訳で、燗冷ましで更にバランスが良く為れば相当しっかりした酒という事でありました。という事で、今回も引き続き清酒の「真髄」について、詰まり、燗の他にもう一つの清酒の 旨味 を引き出す方法、「熟成」について、酒気を帯びてぐるぐる廻る頭で思考を巡らせてみたいと思います。

 J.S.A. SAKE DIPLOMAの教本(2nd Edition)には、「通常、日本酒は比較的短い熟成期間で出荷されるが、最近では貯蔵技術の発達や貯蔵方法の工夫により、意図的に長い期間貯蔵して、新酒の時にはなかった味わいを生み出そうとした日本酒が造られている。これが長期熟成酒〈古酒・長期貯蔵酒・秘蔵酒〉と呼ばれるものである」「古酒は新酒の対語で、前の酒造年度以前に造られた日本酒を呼ぶ。長期貯蔵酒のうち、特に貯蔵期間の長いものは、〇年貯蔵酒や大古酒〈だいこしゅ・おおごしゅ〉とも呼ばれ、5年以上貯蔵した日本酒には秘蔵酒という名称がつけられることがある」とあります。「常に変化する」という事を商売上の強味にしたワインにおいては、ヴィンテージ 毎の事細かな情報が公表され、最適な熟成期間に細心の意識が払われるのに対し、清酒が一年以内に消費されるべき物とされるのは、ワインに比べて時に耐える要素たる酸やタンニンといった自然の保存成分が乏しい上、一方で豊かなアミノ酸は光と温度に影響を受け易いデリケートな成分の為であり、不適切な環境に置かれると風味に生気が無くなるのは勿論、舌を刺すような辛みや苦味が現れて来ます(よって清酒業界において苦味はマイナスの要素とされる事から、アミノ酸度の低い清酒は品質が良いという関係が認められ、そしてその為に蛋白質量を低減させた高度精白米を使用する酒造りへと全国的に移行して来たのである)。そしてこれは「熟成」とは異質の「劣化」で、六箇月以上に為って着色したり老香ひねかが感じられたりする物も少なくないのであります。要するに──清酒の多くは秋の末から春の初めに掛けて造られますが──その前年の同じ季節に造られた酒は、たった一年程で「古酒」と呼ばれる事に為って、香りも味も落ち込んで一般には嫌われ勝ちと為ります。これが「商品構成においてフレッシュローテーション前提」とか「清酒の寿命は一年」とか言われる所以ゆえんであり、酒蔵としてはそうなる前に「売り尽くさねばならぬ」という事になるのであります。しかしこれは「不適切な環境」、詰まり酒売り場に典型的な「照明晒しの常温陳列」に在る、一年間も誰にも顧みられずに放置されて売れ残った惨めな酒達の末路であり、対し、冷んやりした暗がりに置かれ、大事に大事に大事に見守られて来た酒達は成長を続けるのです。

 ではそんな深窓の酒は如何に成長して行くのでしょう? ワインは酸化熟成によるものですが、日本酒は メイラード反応 による熟成であり、詰まり糖とアミノ酸の反応でありますので、酒中の糖やアミノ酸が多いほど高く反応し、また温度が高いほど早く進みます。ただワインもウイスキーも無論日本酒も、熟成の科学は未だ明らかでない所が在るようですが、現在の通説によると、「醸造したての酒はアルコール分子同士、水分子同士が結合して集団クラスター状態にあるが、熟成するとアルコールが水の分子に包含されて味が円やかに為る」という事です。詰まり、新酒はアルコール分子が剝き出し状態のため刺激臭が強く味も尖っているのですが、熟成によりアルコール分子が 分子の隙間に入り込んで包まれた状態に為るため、アルコールの荒々しい刺激感が無くなり香味が円く為るという訳です。又それだけでなく、胃腸への負担も軽い為に酔いが醒め易いという事もあります(※1)。そしてこれらは加熱によっても或る程度得られるものでありますから、燗は酒の造りが良いかどうかを、熟成に耐えるかどうかを知る為の簡便なテスト法として、蔵人が遣る業でもあるそうです。昔から「酒は秋」と言い、春先の新酒時には硬くて荒々しく渋かった酒を寝かし、火入れして土用を越す内に 旨味 が増して次第に角が取れて円やかに為り、秋が深まるにつれて膨らみを増し、味の底に沈んでいた香りも顔を出して「秋上がり」(※2)した酒を良しとしたのも、詰まり「冷やおろし」(※3)が最上とされ有り難がれて来た理由も、実は此処に在った訳なのです。そう、元来新酒とは半製品扱いで、清酒は古酒に為ってから市販され、古酒を待つ事が酒造家の誇りとされたのです。しかし昨今では、全国新酒鑑評会を春先に開く為、どの蔵元も上辺の味は好いが、力強さの無い、ひ弱な、アルコール添加で香りの高い大吟醸酒ばかりを造るように為り、秋上がりした本来の清酒の姿は消えつつあるようです。食前酒としては兎も角、食中酒に向かない香りの強い酒を褒める余り「生活の酒」が軽んじられるように為ってしまった事は、実に悲しい事であります。そしてライフスタイルの変遷と共に、忙々せわせわしい現代では日本酒のみならずワインにおいても「熟成させる」という意志が弱まりつつある事は言う迄もありません。

 ※1 フーゼル油(高級アルコール:「高級」とは「沸点が高い」の意)は新酒中に多量に存在する事があるが、古酒に為るにつれて減少して行く。これは衛生上有害で、多量摂取により頭痛を感じ悪酔いさせる。因みに、概してアル添酒は熟成するとアルコールが浮いて来る感じ、醸造過程で得たアルコールと添加したアルコールが分離する感じに為ると言われる

 ※2 「秋晴れ」とも言い、寒造り の酒が翌秋に熟成して飲み頃に為る現象で、良い酒の基本。したがってラベルに「冷やして飲め」と記載のある酒の多くは、春先にはそこそこでも秋にダレる、詰まり「秋だれ」する、燗にも耐えられない物という事である。確りと計算された酒は蔵内熟成を経て、本物の旨さが乗ってから出荷されるが、そうでない物は若過ぎると味が苦く荒々しい為、或る程度(半年程)経た物を買う方が直ぐに楽しめる事も少なくない(勿論適切な環境下での保存)。又は若くて硬い新酒に一年熟成させた酒を加えて円やかな印象にする事も可能

 ※3 前年の冬に造った新酒を、貯蔵前の加熱殺菌のため一度火入れし、ひと夏寝かせ、ひんやりした蔵の中と外の温度が同じ位になった時に蔵出しし、そのまま火入れしないで瓶詰め出荷する(生 詰め)酒。涼しい蔵内で保存された「冷たい酒を市場に卸す」事に由来。元々は、「延びのきく」=「十分に熟成した」(雑菌の繁殖し易い暑い夏を越して長期に亘り貯蔵しても腐敗する事が少ない)=「色香味も上質な高級酒」=「冷やおろし」という概念があり、秋に為ると「古酒」、暮れから翌春に為ると「大古酒」と呼ばれた。「『冷卸し』とは、いかにも俳句の季語にでもなりそうなしゃれた感性のある言葉」──衣山陽三(元国税局鑑定官)

 では何故この熟成古酒は日本人の生活からその姿を消してしまったのでしょうか? 古酒の初見は遠く平安初期の『延喜式』に「熟酒」の記録があり、鎌倉時代には既に尊ばれていたようで、「人の血を絞れる如くなる古酒を仏」と日蓮上人が信徒の男女に送った手紙にも書かれています(色合いや「油のような」トロリとした触感が伝わる表現であります)。また元禄八(1695)年の『本朝食鑑ほんちょうしょっかん』には「甕や壺に入れて三、四、五年も経った酒は味濃く香美にして最も佳なり」(※4)とあり、江戸時代以前の人達は三~九年経た物を珍重して貴び、値段もそれに応じて高く取り引きされていたようで、江戸時代では「三年酒」や「九年酒」は高級酒として新酒の二、三倍の値が付き、宮中の祝い事にも用いられていたといいます。大奥女中の逸話から、徳川将軍が飲んでいた御膳酒は真っ赤で嫌な臭いがする「煮切り酒」なる相当の年代物の古酒だったとも伝わっています。しかしその後の明治時代に為るとぱったりと途絶えてしまいました。それは明治政府が酒蔵に課した「造石税」が最大要因と考えられています。これは、商品として販売する前に、造った酒量に対して税金が課せられるものの為、出来る限り早く売って資金繰りする必要が生じてしまうものだったからです。戦後それは「蔵出し税」に切り替わりましたが、造り手も飲み手も豊かな経済環境とは言えなかったので、早く換金出来ない回転の遅い長期熟成酒は非常に売り難い商品だったのです。こうして国側の「早く売って貰い課税したい」という思惑と、蔵側の「貯蔵中に腐ったら大損だし早く売りたい」という思惑が一致。詰まり、近年まで清酒業界が熟成の事を考えて来なかったのは、管理の問題もる事ながら、一年以内に売らないと小さな蔵は資金の回収が出来ないという事があった為であり、加えて、たとえ古酒を造りたいと思い立っても二十年近く掛かり、そうなると商売として成立しないからであります(※5)。また別の理由としては次の通りです。明治における原料米の精白度は今日程ではなく、寧ろ殆ど玄米に近く、酒質の劣化が進み易かった為、毎月一回という頻繁さで火入れが行われていました。そしてその度毎に色は濃く為り、杉 樽 の香味が強く為って雑味を増し、しかしアルコールは減り、燃料や手間が加わるので原価は上がり、それは普通、一升について火入れの度に一銭位ずつ上がったそうです。これは明治中頃迄続き、国民にとっては大打撃であった為、地方によっては安価な若酒(火入れ程度の少ない酒)を愛好する習慣が起こり、そしてこの傾向は全国的に広がって、明治三十八年のガラス容器の使用や脱色炭(→濾過)の利用なども背景として、遂に現代の様な古酒を尊重しないという、世界には見られない珍しい飲酒習慣が残ったという訳であります。そしてこれは百年に満たない間の変化であった事も、清酒愛飲家は知って置く必要がありましょう。

 ※4 酒を樽に入れて何年も置けば、杉ややにが溶け出して、ジン其処退そこのけの香味になってしまうから、古酒は陶製の壺もしくは甕に貯えられた

 ※5 そこでフランスのコニャックで考えられたのが「ナポレオン」で、一般的には六年物をベースに五十年、六十年のブランデーを僅かにブレンドする事で、グンと熟成した香りに変身する(異なる貯蔵年数の酒のブレンドでは一番若い酒の年数を表示)。したがって清酒の長期熟成酒においても、この アサンブラージュ の発想が広く取り入れられて来るのではなかろうか。因みに、現在ではマデイラの様に加熱による短期間熟成を経た清酒も製造されている

長期熟成酒研究会 (vintagesake.gr.jp)(分類分けなど有益な情報あり)+「はじめての熟成古酒 自家熟成編」https://www.youtube.com/watch?v=qRA7AYdfs9A(37:30)+「テロワールと熟成 〜龍力・本田商店」https://www.youtube.com/watch?v=4oz3o_oqOfw(1:13:05)(全編を通し、今迄の当サイト内容の不足を十二分に埋めてくれる非常に意義深い動画、必見!)
1985年に設立した当会は「満三年以上蔵元で熟成させた、糖類添加酒を除く清酒」と古酒を定義。「日本酒百年貯蔵プロジェクト」を2005年創立20周年記念に開始。これには、蔵でもどう変化するか分からない為、実験的要素が有る。数年前、筆者は株式会社匠創生主催の熟成古酒試飲会にてスタンダード物からプレミアム物まで嫌というほど試して来たが、中でも鮮明に記憶に残っているのが千葉県岩瀬酒造の岩の井「平・和の調べ」。これは田崎真也氏によって6種の古酒をブレンドされて完成した製品で、古代米黒米と一段仕込みの酒がベースとなり、香り高いカカオフレーヴァーが非常に心地良く印象的な、他とは一線を画す古酒で、流石に氏は良い仕事をされていると実感

 元を辿れば、日本の酒は神の酒ゆえ、米の酒は収穫を神々に感謝して特別に作る物でした(※6)。それは奈良時代初期の和銅六(713)年『播磨国風土記』に、米糀を使った酒造を記す最初として「大神おほかみ御粮みかれひれて黴生えき すなわちみわましめて 庭酒にはきたてまつりてさかみづ」(神に捧げた強飯こわめし〈乾飯〉が濡れて黴が生えたので、それで酒を醸し、新酒を神に献上して酒宴をした)とある通りです。そしてそれは神を祀る為に作る御酒ゆえ、四季折々の祭りに合わせて必要な分量のみ造られ、且つ祭りの時に飲み切るのが当然で、日本酒に古酒が少ないのはこういった歴史的背景もあります。又、上述したように古酒が大いに持て囃された時代もありましたが、戦中戦後の米不足の折、貴重な原料米の配給と酒の生産量の割り当てから、古酒が育たずに消滅したという事実もあります。対してワインは──無論我らが酒神ディオニュソスへの賛嘆もありましょうが──保存の為に作られた酒ゆえ(乾燥した穀類とは異なり、水気の多い果実はその儘だと保存が利かない)、古酒が自然に存在する事になります。此処で色々と文献を当たって見ますと、例えば中世ヨーロッパの様に、亜硫酸(⇒ワインの亜硫酸)が使われずワインが変質し易かったため新酒が最も高価で、時と共に酸化が進む為にその価値も下がって行くのが一般的な時代もあったようです。その当時のワインは 樽 で流通され一年以内に飲み切るスタイルだった為、ヴィンテージ という概念が重要視されなかったという事実は、全く現代の日本酒に通じるところであります。勿論今ではワインにおいてラベルに表記されたヴィンテージは、消費者がボトルを開けるタイミングを決める指標の一つで、また熟成が必要なワインにおいては不可欠な情報である事はご存知の通りです。そしてもはや、ウイスキーにしても、長年の貯蔵を経た古い物が殆ど迷信とも思われるくらい尊ばれている酒類では、その古いお手本の手前、後代に造られる酒質には、突飛な変化が起こる筈はありません。それに比べ日本酒ではその年の物はその年の内に消費され尽くす建て前に為っているので、年毎の政治や経済の影響、更には気候変動も積み重なって、長い年月の間には思いも寄らない大きな変貌を遂げる事も可能であります。実際に、過去においては吟醸酒や新酵母の開発があり、そして現在においても進行形且つ全国規模で次々と試験的に醸造されている新タイプ清酒の登場速度は、一般消費者が追い付けない程であります。したがって日本酒における早飲み指向は必ずしも短所であるとばかりは言い切れず、寧ろ日本酒の、伝統と革新を繰り返しながら時代と共に進んで行く若々しい適応性フレキシビリティーを特徴付けるものとも言えるのでありましょう。

 反面、一代で完結せず、先代の意志を受け継ぎ、未来へ繫ぐ人が居て初めて偉業と為るのが古酒造りというもので、熟成によって良く為るという点において清酒はワインに引けを取らないと言っても差し支えないものと思われます。「酒は古酒、女は年増」(酒は古酒ほど佳味に為り、女は年増をもって情け深し)と諺にもあり、「一年以内で美味しく為る酒は一種類も無い。5℃で保存すると、物によっては2年、3年とどんどん良くなった」とまで言う専門家もいます。開高健に至っては「日本酒のオールドは、ホント、いいぞ。日本民族であることに、誇りを覚えたくなるほどだ」と言うくらいです。確かに今迄は清酒を年代物の古酒として造っても需要があるか疑わしいため流通されていませんでしたが、今後は和食と共に清酒の世界的認知が広まるにつれ、製品の多様化とプレミアム化が一層要求されて来る筈です。その需要を満たすという事においても、熟成古酒というカテゴリーは発展して行くものと思われ、実際に現在の欧米のソムリエに色々なタイプの酒を飲ませると、彼等は古酒に最も興味を示します。そして熟成古酒は幅広く料理に合わせられる事も彼等の興味をそそる点でもありましょう。実際JSA教本で田崎真也氏が執筆した「日本酒と料理の相性」においても、熟成古酒が登場する割合は少なくありません(特に煮物や珍味)。又「ホットサケ」が定着したアメリカでは現在冷やして飲む古酒が注目されていて、ワインに親しんだ消費者にとって熟成古酒はシェリー・ポート・マデイラの様に特別な場面で楽しむ貴重な酒として非常に評価が高く、スーパープレミアム品として取り引きされているとも聞きます(※7)。そういった経緯から、「ワインで熟成の素晴らしさを知る外国人は理解が早く、将来良い熟成古酒はみな外国に出されるのではないか」と心配する人も居るくらいです。とは言え日本でも古酒の試飲会や販促活動は精力的に行われ、また単一年のみならずマルチ・ヴィンテージの製造といったものもなされております。更には伝統に帰って「九年酒」の復活と商品化も開始されているようです。これは、日本において七五三という祝儀に使う数がありますが、目出度い奇数単数の最大数である「九」を取ったもので、九年酒は今でも宮中にてその風習の一部が残されていると聞いております。

 ※6 活力の再生を齎す祭りに最も重要な酒、その原意は「サのケ」。「サ」は庭や苗、乙女などと同様の接頭語で、「さわやか」な「神聖さ」の意。「ケ」は御の飯の事。詰まり「特別に霊力を持った御馳走」を表し、先ずは神に供える物であった。他に「サカエ・キ」詰まり「栄えある神酒」がつづまって「サキ」、それが転じて「サケ」と為ったという説などもあるようだが、何れにせよ「神」が関わる事に変わりは無い

 ※7「SAKEは銚子と盃で熱燗のお酌」という、所謂「富士山フジヤマ芸者ゲイシャ切腹ハラキリ」的固定観念に捕らわれたアメリカ人は依然として少なくないらしいが、日本酒の「古い文化を飲むのではなく、新しい酒質を飲む」という時代への移行が徐々に始まっている

 では──魚が熟成と加熱で旨く為るように──「熟成味すぐれて類なし」と言える古酒とは如何な特徴を有するのでしょう? 次に現代的な視点から表を作成致しました。 

〈補足〉・瓶内熟成:幾重にも折り重なった複雑な味わい
・タンク内熟成:澱が下がり、空気接触の為か、ストレートな味わい(熟成が進み易い)
・ペアリング例:茸類、クリームチーズ+醤油(マスカルポーネ+鰹の角煮など)、パルミジャーノ・レッジャーノ+蜂蜜(林檎)、青かびチーズ+蜂蜜(そば/栗)、フロマージュ・ブラン+スモークサーモン、レバーパテ+ブルーベリージャム、京風白味噌+アンチョビペースト、オレンジピール+チョコレート
他に、自国テイスターは(干し)柿や無花果いちじく、炙った胡桃を典型として挙げ、異国テイスターは(ペルノー的)アニスを古酒に良く使う。
〈参考〉日本最古の酒:昭和四十三(1968)年、長野県北佐久郡望月町(現、佐久市茂田井)の酒屋大澤家に代々家宝として伝えられて来た元禄の古酒が、二百数十年の時を経て開封。その酒は白い古伊万里の、胴の太いひさご型の陶製壺に詰められ、漆塗りの桐製の栓で、更に栓の外側も漆で念入りに封止されていた。中身はドロドロの黒色の色調で蒸発により減少しており、水とアルコール分子の透過力の違いからか、アルコール度は24%まで増加していた。当時の清酒業界の第一人者である坂口謹一郎博士の分析の結果、固形分の混じった醪を貯蔵した物と推定。博士曰く「一〇〇年ものと称するシェリーそっくり」

 此処で強調して置かねばなりません事は、売れ残った古酒(※8)と、酒蔵で目的を持って長期熟成させた古酒は区別して扱われねばならないという事です。そしてその違いは、元々熟成を目的に造られる「元酒もとさけ(※9)」を熟成させたか否かに在ります。元酒から造ると、安定した熟成香味に為り、複雑さや豊潤さ、より立体的で魅惑的な香味を持つように為るのです。対して、熟成を想定されず、しかしながら時間が経ってしまった結果熟成された酒、詰まり軟弱な酒質の酒は直ぐにへたってしまいます。その理由は、熟成させると酒質の劣化と味乗りの両方のプロセスが同時に進むのですが、その二つの+-プラスマイナスの差で旨く為るかどうかが決まるからであります。これにより「酒は劣化するだけだ」と考える人は冷蔵保存して味乗りが進まず、劣化だけが目立つ酒を育てる事にも為り兼ねないのです。確かに一般的に「保管温度は低く」と言うのは、温度が高いと瓶内対流が起こって品質に影響を及ぼし、アミノ酸が変化し、吟醸酒では 吟醸 香が減少、特に 生 酒は劣化が早い為だからなのですが、そういった酒質の軽快なタイプでなければ、実は或る程度温度を上げた方が味乗りが進み劣化に勝てるのです(※10)。こうして、精米歩合の低い吟醸系は熟成させても味が変わりにくく、一方で歩合の高い本醸造や純米など香味成分が多い酒は変化し易く面白い味に為り得るのです。詰まり、これまで雑味と言って取り除いていた物が古酒の味を決めるという事であります。そして「ふむ、これは旨そうだ」と思う古酒は、カラメル香が強く醬油の香りも程々にバランス好く入っている物、詰まり 旨味 を伴う昆布の佃煮つくだにの様な香りが有る物で、更に其処に果実香が残っていると、酸味と甘味、苦味のバランスが取れている酒と思って良いでしょう。そしてワインと同様に日本酒も、時と共に香味は全体的に同一系(カラメル、蒸しパン、ナッツ、スパイス。ワインに喩えるとコニャック地方のピノー・デ・シャラント的な味醂や雷おこし)に落ち着いて行きます。しかし人も幼い頃は無邪気、若い頃は個性、そしてよわいを重ね老いて行くと無我の境に達するもの。年を取ると荒々しさや角が取れて丸く穏やかに為るのは人も同じ。戦後の経済発展と食糧事情の改善および医療の充実により平均寿命が飛躍的に向上し、高齢化が世界最速で進んで熟年時代を迎える日本では、悠久の時の流れを味わえる人々が増えて行きます。懐の深いゆとりの有る者、永きに亘り連綿と続く文化の営みを尊ぶ者のみが、古酒の妙味を知れるもの。琉球泡盛を除き、古酒の文化が無くなったこの国で、淡麗辛口化・香気高上化・高酸化・低アル化と清酒までもが西洋ワイン化して行く時代の中で、東洋的な味の古酒を若者や女性達がこれからどう評価して行くのでしょう? 聞くところでは、概して清酒に対して先入観の無い彼もしくは彼女達は軽い気持ちで「面白い味」として楽しめているようであります。しかしそれは、幾年も重ねて円熟させた歴史の有る古酒を頂く者の姿勢としては如何なものでしょうか? 目下の露西亜ロシア烏克蘭ウクライナの確執を見なくても分かるでしょうが、歴史は軽くありません。果たして彼もしくは彼女達は「歳を取る事も悪くない」と思えるほど心に余裕を持てるのでしょうか? 生物として不可避の加齢を恐怖し、「年齢に負けたくない」などと否定してばかりの老いた心から口にしている限り、それは難しいでしょう。それは自力の抵抗力が無い為に老醜に陥って老香ひねかを放つ酒と同じであります。一方、在るが儘を肯定する覇気の有る若い心を宿す肉体は老いさらばえないものです。本当の意味で、年来の清浄な香気漂う余韻深いひと時を愛でる事が出来るのは、抗酸化物質が多く、デカンタージュ により酸化して円やかに為る 生酛 の様な人々だけだと思うのは、恐らく筆者一人だけではないのではないでしょうか・・・(※11)

 ※8 酒問屋では古く為った品はメーカーに返すのが通常で、三年も四年も前の酒を今も抱えて経営が苦しく為っている蔵も在る。書画骨董ではないので粗末な造りの酒は古く為っても高く為らない。最後は料理酒に変えるか、焼酎にするかしかないだろう

 ※9 古酒に向くのは味に厚みのある酒。その為、米の磨きを粗くして味に厚みを付け、全糀仕込みでエキス分を高くしたり、酸を多く出す酵母を使用したりする事も多い(次稿「平日の一本」で紹介します)

 ※10 熟成における適温は『清酒の味わい方(味わい)』の※7を参照されたい。参考迄に、元東洋大学教授赤星亮一氏の誘電率からの発表に拠ると、アルコール分30~40度が最も熟成しにくく、14~15度帯と67度が最も熟成し易いという(清酒で仕込む梅酒の柔らかさはこれに関係する可能性が指摘されている)。加えて、全糀仕込みの熟成古酒は酸と糖の調和が早く、柔らかい風味が特徴とされる

 ※11 江戸時代後半の文化文政年間(1804~1830)、後に元号を取って化政文化と名付けられたこの時代では、世襲社会ならではの風潮があり、詰まり生涯現役ではなく、半生を懸命に働いて身上を成したら後はさっさと家督を譲り、自分は隠居して、余生を楽しむ事が美徳とされた。そしてご隠居は経験豊富で頭も体も確りしているから、若者の相談相手に為ったり、色々な面白い事も考えた。よって当時の文化の担い手はこの様な年寄り達で、浮世絵、川柳、俳句の達人と言えば皆その辺のご隠居だった。「江戸の食い倒れ」とも言われたこの時期は飲酒量を自慢するやからが続出したデカダンス時代ではあったが、そんな退廃した空気が新たな文化を生む事もあり、即ち今の我々が「旨い」と思う天麩羅てんぷらや蒲焼き、どんぶり物、握り鮨といった洒落た食べ物の数々が生まれた(そしてそれらは今では世界中にファンを広げている代表的な和食である)。これからの日本は正にこの、元気なご隠居が街に溢れる社会。今の若者文化は中高年に対し排他的だが、大体、若者より人口の多い中高年が世の中の日陰者に為るなんて事自体おかしい。それは酵母の世界も同じ、優良酵母が野生酵母を数に物を言わせて圧倒するのは酒造の原則。中高年者が良く若者に「これから君達が世を作って行くんだ」などと言うのは、その者にもはやエネルギーが無く、後は死ぬまで無駄に時を費やすという思いの表れに過ぎない。そんな志の無い老人が余りに多く為ったから、若者に軽んじられる社会が出来上がってしまったのだ。「熟成酒は日本酒の中で“頭”であり、思想でありたい」とは協同組合福岡銘酒会の言葉である

本日の箴言

 練り込まれた味わい、懐の深さは、時の流れに身をおき、人生の荒波にもまれることでしか、得ることはできない。これは、人も酒も同様である。・・・成熟した飲み手とは、舌だけでなく、脳や心で酒を嗜む人である。酒の生い立ちや個性を、慈しむ人である。

上野伸『日本酒の古酒』

記念日の一本

タクシードライバー、純米 原酒(岩手県産吟ぎんが100%、精米歩合60%)、日本酒度+1、酸度2.3、アミノ酸度1.5、アルコール度17%、酵母「ジョバンニの調べ」(※10)(喜久盛酒造、岩手県北上市)、令和二酒造年度作品(令和三年三月二日上槽、製造年月2021.6〈出荷〉)

 ⇨詰まり三箇月貯蔵という事。熟成期間が消費者にも分かるこの情報を載せて頂きたい! シャンパーニュにおいて澱抜きデゴルジュマン年月(→瓶内二次発酵)とヴィンテージを記載するメゾンが在るように、上槽年月(又は醸造年度〈※11〉)と製造年月(及び出荷年月)を併記する事が重要(意識的に探せばまだまだ在りましょうが、現時点で当方はこれの他に「まんさくの花 一度火入れ原酒 純米吟醸MK-X2021」「東光 山川牛男2021あき」「大七 皆伝 生酛純米吟醸酒」のラベルにしか出会った事がありません)

 ※10 岩手県オリジナルの吟醸用酵母で、「華やかさと繊細さ キレイな香りと味」を実現(酢酸イソアミル系)。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の主人公の名に由来

 ※11 BY(Brewery Year)でも良いが、一年間という範囲は清酒にとっては十分な長期間で(※12)、清酒愛好家としては月単位での情報が欲しい。消費者が「熟成」への意識を取り戻す為にも、矢張り「酒造月」を記載して頂きたいものである

 ※12 古酒とは新酒の対義語ゆえ、古酒に明確な貯蔵年数の規定は無く、新酒以外は全て「古酒」と表記出来る。詰まり一年寝かせれば「古酒」と為る

 グラデーションのある淡いイエロー。強めの、どっしりとしながらもすっきりとした酸の有る乳製品香(カッテージチーズ、ヨーグルト)、蒸米、黄桃、蓮華れんげ蜂蜜、丁子、そしてメイラード反応香(麦茶、べっ甲飴、ドライイチジク)が落ち着きを与える

 原酒らしい重厚なアタック、トロミさえ感じるテクスチャーと共に濃密な甘味が口内に押し込んで来る。しかし中盤からはアルコールの刺激と共に幅広の酸が口内を締め、長い余韻まで衰える事無く引き続く。正にフルボディ押し味の燗適酒で、当方が作成したグラフ(⇒清酒の味わい方)を突き抜ける程の濃醇辛口(熟成には最低でも酸度2.0が望ましい)

 旨味 によるふくよかボディなら瓢箪型 グラス、酸味による細い筋肉質ボディなら瓜実型グラスで。肉料理に合わせたくなること請け合い(その際は瓢箪型が好い。実際、これ程牛ステーキに合う清酒も稀であろう)

・30℃:揮発に拠るのだろう、原酒由来のアルコールの刺激が抑えられ、四味の全要素に綺麗なバランスが取れ旨い

・40℃:アルコール感が戻り、甘味と旨味の濃くが深まり旨い

以上から、自家長期熟成に挑戦する価値のある酒質を備えた旨酒である

タクシードライバー( amazonyahoo

岩手県:現在日本最大の杜氏集団である南部杜氏発祥地(とされる石鳥谷町)。古来から高い技術を持つ。新鮮な魚貝類を入手し易い為、透明感を感じる綺麗でキリっとしたタイプの酒が多い。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/iwate.html

第三十六瓶 燗酒

 ──「ゆるく飲める物こそが、清酒の在るべき本来の姿」、さてその心は? ちまたでは清酒の「個性」という事が主題として取り沙汰される昨今ですが、人口に膾炙かいしゃする余りこの語はもはや個性的ではないので(今まで散々使って来た癖にネ)、敢えて此処では清酒の「真髄」という語を当てて筆を進めて参ります。扨その心は?

 最近では、すっかりと定着したところでは、貴腐 ワインの様に甘味が強い物、これから拡大して行きそうな、シャンパーニュの様に 瓶内二次発酵 を経た物、そしてまだ試作的な、白ワインの様に酸が高い物といった話題性の有る清酒が造られていて、特に若手杜氏達が見せる、新境地を求める開拓者精神には目を見張るばかりであります。しかしそういった真新しい物のみを追い掛ける事は、己れの根っ子が無い者の所業であります。では「日本酒の真髄とは何か?」──それは今迄に機会がある毎に申して参りました通り、旨味 であります。今回はその先に進みましょう。では「その旨味を更に引き出すのは何か?」──それは、既にお察しですネ。そう、燗であります。

「飲み方を考えるのは高度な文化の表れ」とは以前『ワインと食事』の稿にて述べたところですが、「霙酒みぞれざけ(0℃)、雪冷え(5℃)、花冷え(10℃)、涼冷え(15℃)、日向燗ひなたかん(30℃)、人肌燗(35℃)、ぬる燗(40℃)、上燗(45℃)、熱燗(50℃)、飛び切り燗(55℃)」と、数々の美称を付した温度帯による飲み方を考案するほど日本人の文化性は優れていました(※1)。確かに温めるという作業はワインでもビールでもウィスキーでもあり、スパイス等を加え温めて飲むグリューワインは広く知られている所ですが、日本酒の様に何も加えずに温めて飲むのは極稀でありましょう。只、寒さの厳しいドイツでは高齢者がビールを湯煎して飲んだり、フランスでは体調不良時にワインを薬の様に温めて、又スコットランドでも風邪をひいた時には、彼等が “Hot Toddy” と呼ぶホット・ウィスキーを飲む事があると聞いた事はあります。が、いずれにしても特殊なケースと言えましょう。しかしながら日本酒の本来の伝統的な飲み方は燗にあるのです。徳利とお猪口🍶でちびりちびりと緩く遣る、それが日本人の在るべき姿であります。お洒落なワイングラスで燗は出来ません。それらは香りを感じ取るのに最も有効である事は「グラス」の項に記してあります。しかし繰り返しますが、ワイングラスでは出来ない事、それが燗であります。「じゃあ、温めた酒をグラスに注いだら?」と思う方も居られるでしょう。しかし燗酒は、保温効果が無い上に液体の表面積が広くなるグラスに注ぐと急激に温度が低下し十分な味わいの膨らみを楽しめない上、猪口に比べ好ましい苦味のある凝縮味も十分に活かされず、薄っぺらく感じられる嫌いがあるのです(よってグラスは25℃が限界か)。まさかフラミンゴの脚の様に細長いステムごと湯煎する人も居ないでしょう。尤も、自分ごと湯船に浸けながら飲む人が居ればまた別ですがネ。(※2)

 ※1 よって供出温度を定めない清酒のブラインドは難しい。清酒は光と温度の影響を最も受け易い繊細な酒ゆえ、少しの温度変化で全く違う表情を見せるからである

 ※2 クレオパトラがワイン風呂を楽しんでいたのは良く知られているが、清酒風呂もまた肌に好く、α-エチルグルコシドが保湿保温および荒れ肌防止効果、また抗酸化物質のフェルラ酸がメラニンや細胞老化の抑制を助けるという。「化粧はやめろ、替わりに酒粕で顔を洗え」と言う蔵人も

 では日本人はいつから酒を温める事を覚えたのでしょうか? そこで古い文献を紐解くと、万葉集にて山上憶良やまのうえのおくらが『貧窮問答歌』に「すべもなく 寒くしあれば 堅塩かたしほを 取りつづしろひ 糟湯酒かすゆざけ うちすすろいて」と詠っている事から、7世紀には既に「酒粕を湯でといて暖をとる」事が為され、当時の貧しい庶民はその酔えぬ薄酒で日々の労苦を癒していたようであります。また825年に嵯峨天皇が交野かたのに遊猟した際「煖酒」が勧められてその美味を褒め称えたとされ、『延喜式』(905年編纂、927年完成、967年施行)の平安中期以降には、儀式では冷や酒ですが、客を寒い晩に持て成す時は燗酒が一般化していたと言うほどお燗の歴史は古いようであります(相手の為に火を起こすという一手間掛ける「お持て成し」)。1013年頃成立した『和漢朗詠集』には酒を暖める記述が、そして13世紀の『宇治拾遺物語』には燗酒を飲んだ記述が見付かります。一方『三養雑記さんようざっき』(天保十三〈1842〉年、山崎美成著)巻三煖酒あたためざけに、「酒をあたゝめ飲めること、むかしよりのならはしなれど、今世のごとく、四時ともに常にあたゝめたるにはあらず『延喜式』内膳司ないぜんし土熬堝どごうくわ(陶製の壺、燗鍋の元祖)は、今の燗鍋にて、上古よりその器もあれど、煖酒あたためざけは重陽の宴より、あたゝめて用ゆるよし、一条冬良ふゆら公の御説のよし『温古日録おんこにちろく』に見えたり。徳元とくげんの『初学抄』に、扇は四時ともに用ゆるものなれど、夏の季なるよし、近ごろ酒も四時ともにあたゝめ飲めど、あたため酒といえば、冬の季になるなりとあり。さて酒のかんに、今燗という字をかけるは俗字なり。酒をあたゝむること、冷と熱との間に温むるといふことにて、間を字音によびて、かんとはいへるなり。燗は字書によれば、音闌おんはらん、爛と同じ」とあります。詰まり「燗酒」は古くは「煖酒だんしゅ」と書き、この「かん」は「熱からず冷たからず、その間」という意味という事が分かります。また燗はらんの俗字であるとありますが、カンは和訓で昔は酒、水、茶など適当に温める事をカンと言ったようで、現在では専ら酒に用いられるように為りました。また延喜式の時代は燗をするのに小さな銅鍋を直火で暖めたとの事ですが、それは時を構わずに行わなかったようで、重陽節ちょうようせつ(九月九日)の宴より後、秋冷気が感じられて以降にお燗をするようでありました。詰まり、曾ては秋(重陽・菊の節供)から冬或いは春(遅くとも三月二日即ち上巳じょうしの節供の前日迄)にのみ燗をして、夏には冷やで飲んだのであります。しかし江戸時代に為ると年中燗で飲むのが当たり前に為り(※3)、庶民は夏の土用に鰻とぬる燗で夏バテ対策をしたという事であります。江戸末期にはおでんを肴に燗酒を供する屋台店が出て来て「おでん燗酒」などとも呼ばれたようであり(当時のおでんとは豆腐や蒟蒻こんにゃくなどの味噌田楽の事)、そして昭和三十年代に為っても清酒はお銚子で燗をして飲むのが一般的或いは品が良いとされました。通常の宴席では清酒は燗で供され、お客に冷やで出すなどという事は失礼に当たるというのが持て成しにおける社会通念であったようで、勿論各家庭での晩酌も燗酒で、詰まり清酒の八割以上が燗酒の消費で支えられて来たのであります。ところが1980年代に為ると清酒の需要が低迷し始め、その原因は「燗に伴う煩わしさだ」と大真面目に議論される光景が見られたというではありませんか。しかしそんな無精者共の喚き声など聞き流し、「手間が掛かるものほど愛おしい」と思う情け深さを持って、今もなお真夏でも燗をして飲む人が居ます。「燗は人肌に限る」などと通ぶって、地球温暖化も何のその、猛暑にもめげず、世間のうるさい熱中症警告に耳を塞ぐかように締め切った部屋で火を起こし、冷房も付けずに鍋と頭から立ち昇る湯気の中、滂沱ぼうだたる汗を拭き拭き、我慢比べでもするかのように焦熱の季節に燗をして飲む人が居るのです! この目を見張るべき行為の裏には何かしらの人生哲学でもあるのでしょうか? 儘ならぬ人生で自暴自棄に陥った末の酔狂か、それとも結局唯の一個人の嗜好の問題に過ぎないのでしょうか? 何にしましても不自然な所業である事に変わりはありません。何故ならそれは、自然に則った感覚をお持ちの方には十分お分かり頂けると存じますが、気化熱の影響から、体からより熱を奪うアルコールは水より冷たく感じる為だからで、矢張り古人の遺風通り春から晩秋迄は冷やで飲み、晩秋から冬に掛けて燗酒を飲むものであるのです。いやはや、「温故知新ふるきをたずねてあたらしきをしる」の筆法とは正にこの事であります。

 ※3 フランシスコ・ザビエル(1506~1552、滞日1549~1551)の後に来日した同じイエズス会士フロイス(1532~1597、滞日1563~1597)は『日欧文化比較』(1581)にて、「われわれの間では葡萄酒を冷やす。日本では(酒を)飲む時、ほとんど一年中いつもそれを暖める」「われわれの葡萄酒の大樽は密封され、地面に横たえた木の上に置かれる。日本人はその酒を大きな口の壺に入れ、封をせず、その口のところまで地面に埋めておく」と、互いの風俗習慣の正反対振りを書いた

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徳利は保温性が高く、猪口は少しずつ味わえる為、燗に欠かせないアイテム(冷酒ほど大振りの器の方が美味しく感じ、燗なら小振りの器の方が味の凝縮感が出てより良い)

 ではこれより本題に入って参ります。詰まり、燗につける事で味わいは如何に変化して行くのでしょうか? 簡潔に纏めますと、①より辛口ドライにし、渋み や濃くを生みテクスチャーを引き締める ②アミノ酸や乳酸を増やし、米や糀の風味を目立たせ、甘味や 旨味 を豊かにする ③一方、温め過ぎはアルコールの揮発成分による刺激を鋭くさせる、という具合です。そして温度帯についてですが、ぬる燗が最も通好みとされ、清酒の柔らかさや旨味が十分に感じられる温度と言われます(※4)。それは、甘味は体温を越える37℃位で最も強く感じる為で、それ以上高温に為っても余り変わりません。一方、酸味は温度による感度変化は無いとされています(「然程・・変わらない」という意見もあるが、それは後述するように〈量ではなく〉質は変わる為だからであろう。であれば一般消費者の素人味覚では尚更「変わる」ように感じる為、一般消費者向けの当サイトでは後者の意見も反映させる)。そしてアミノ酸や乳酸は低温だとギスギスした刺激が出ますが、体温以上だと円やかに為る事もあり、それが 生酛 や山廃酛が燗適酒とされる所以ゆえんでもあります。此処には、辛口の酒は高温に強い性質がある為、加熱により不安定な状態に為りにくいという事もあります(勿論、辛口のがっちりした苦味が温度と共に上がる甘味度合いと釣り合う)。とは言え、この「温度と味わいの関係」は実に多様な要素が絡み合い非常に難解、どれだけ頭の中に知識を詰め込んでも、当方には実際に試してみて初めて「旨っ!」(予想以上)又は「こんなもんかな」(予想通り)或いは「ダメだこりゃ」(期待外れ)と、肌感覚で得た経験からしか分からないようにも思われます。しかしながら何もせずに諦めるのは余りに容易い事ですので、次に表をこしらえてみました。ご理解の一助として見てみて下さい。

※4 最近では日向燗が「新酒や古酒、吟醸 酒でも美味しく飲める」として親しまれているが、伝統的には、燗は人肌を以て良しとした。「酒の燗は人肌」という諺通り、清酒本来の甘味を引き出す35℃前後に浸けるのが良い。生理的見解では、甘味や旨味がニュートラルで刺激が無く体に優しいので、特にお好みがなければ、その語義からしても、是非人肌が温もる温度帯でお召し上がり頂たい。科学的裏付けとしては、42~45℃を越えエチルアルコールの沸点である78.3℃に近付くほど甘味度合いが下がり始めるのでその分苦味がより感じられるように為り、更に有機酸においては、50℃に至るとリンゴ酸は諄く苦い渋みが出、乳酸はやや酸が浮き出て渋みも現れ、コハク酸は諄い苦味や刺激的な酸味が感じられるように為るからである
ひやあついの「あいだ」故「かん」という説に則ると「熱燗」は在り得ない事に為るが、それは唯の理屈で、寒さ身に染む冬の熱燗は矢張り捨て難く、それは清酒の大きな魅力の一つである。身も打ち震える冬の寒風を受けて家路に就いた後に啜る、湯気に包まれた熱燗が身心に染み渡る様は、さながら慈雨に遭った草木の思いである。外国の外食生活に疲れた日本人が帰国する機内で熱い緑茶を啜り、深い溜め息を吐いて落ち着く時の様である。しかし熱燗を飲むのも厳冬の夜更けぐらいであった事は、落語の種本と為っている安楽庵策伝あんらくあんさくでんの『醒睡笑せいすいしょう』巻五の「上戸じょうこ」の条にも記載されている。実際、50℃を越えて来ると揮発性の香りが刺すように現れ、クリーム系の香りが無くなり炭っぽい匂いが出て来るから、熱燗否定派の意見にも頷ける。ところで健康面から言うと、体を冷やすワインに対し、日本酒は蒸留酒よりも体が温まった状態を維持させるとも。実際、蒸留酒はアルコールがストレートに回る酔い方をするが、特に燗酒はじわじわと心地好く酔いが回る為、冷え症気味の人に勧められる

 ご参考迄に、(特別)本醸造や純米酒はクリーム的しっとりとした甘味によるスムースなテクスチャーと穀物や蜂蜜様の風味により複雑みが引き出され、ボディが強まり豊かに為ります。純米(大)吟醸は酸・苦・渋による骨格や 押し味 が、次はトリッキーな遣り方ですが、フルーティでフレッシュな 生 酒は温度が上がるとCO2ガスの刺激感が立ち、ナッツ香の旨さが現れる傾向にあるようです。また古酒は燗適酒で、その豊かな香味を更に高めます。一方、吟醸 酒は冷やしめで飲まれる事が一般的ですが、それはデリケートタイプの物に限っての事で、香味の強いタイプは燗上がりし、果実的鮮やかな甘味や華やかな美味しさが活きます。この背景には、1970年代にナイフやフォークを使う欧州料理が日本の庶民層にまで浸透して来ると同時に、グラスを使う欧州ワインも広く受け入れられ始めた事があります。その影響もあってか、酒造業界ではワインの様な洗練された香味を出す酵母が開発され始め、一般人が口にする事の無い鑑評会用の吟醸酒が市場に出回るように為って来ました。そして吟醸酒はその繊細さが故に、加えて揮発性の高い吟醸香が鼻につく為に、更には吟醸酒に多めのリンゴ酸は20℃を越えて来ると締まりの無いボケた酸に為るという訳で、温めるべきではないとされたのです(※5)。今度はその逆の視点から述べますと、以前は、糖類を添加した普通酒の様な上質でない酒は冷酒としては難しく燗につけて飲まれる事が多かったのですが、それは温める事によってアルコール臭が飛び、甘・酸・苦・旨といった味が纏まりバランスが良く為る事で雑味が隠れるからでありました(※6)。そしてこの考えは現在もなお諸外国の方々のみならず前時代的日本人の脳裏にも根強く生き残っているようであります。恐らくそれは外国において熱燗は他に無いユニークで珍しい物であると共に、吟醸造りの清酒は入手しづらく且つ高価な為、燗適酒である普通酒や純米酒の方が多く出回っている為であり(※8)、また新しい物に懐疑的な年配の日本人は──人間の味覚は一度思い込むと中々変わらないという保守的な面も手伝い──昔ながらの清酒しか知らない為でありましょう。

 ※5 こと高価な大吟醸酒は絶対に冷やさねばならぬとされるが、それは冷やすと口当たりが好く為り飲み易く為るためであろう。しかし冷やし過ぎると香味が閉じ籠り、本来の味わいを楽しめなく為る。よって本当に飲んで美味しい温度は15℃前後、常温より少し冷やす事でリンゴ酸の軽快で爽やかな酸味が締まり果実感が生きバランスが良く為る

 ※6 電子レンジが発売された時、「電子レンジで燗すると二級が一級、一級が特級になる」とPRされた。因みに現在では「レンジの燗の味はフラット、好き嫌いはあろうがレンジで味が良くなるとは思えない」という声が多い。否定派の主張は「高周波で酒の分子を揺り動かすのは良くない。瞬間的に熱すると酒質が劣化する」。対し、肯定派は「瞬間加熱の方が酒質の変化が少ない。火入れも短時間で行われる傾向にある」と遣り返す。なお肝の小さい当サイト管理者は「時間がある時は湯煎、早く飲みたければレンジ」と、中立の意見で逃げます…(※7)。因みに、「高温で早くつけると引き締まった旨味が広がるため生酛系向き、ゆっくり温度を上げると甘味・旨味・香りが活きるため 生 原酒、吟醸系、繊細な古酒向き」とも言われる

 ※7 参考迄に、レンジの時間目安は徳利一本(一合)45秒でぬる燗(40℃)。また上下で温度差が出てしまう為、アルミホイルを皺に為らないよう首の部分にすっぽり被せると均一に温まります。又、徳利に先ず熱湯を通すのは「内部の匂い消し、埃払い、容器を温める」為です。蛇足:直燗(火燗)は直接火に掛けるため手軽な方法ですが、酒質を気にしないで好いような酒ならいざ知らず、兎角バランスの崩れたピリピリしたアルコールが目立つ酒に為りがちなので勧められません。興味深い昔の遣り方には、鳩徳利を囲炉裏いろりの灰に挿す「鳩燗」、湯の代わりに酒を使う「酒燗」(その贅沢振りから「馬鹿殿燗」とも)、貧乏長屋の弱い熱と光の行灯あんどんの上に徳利を吊るして温める、のんびりした「アンドン燗」等、風流(?)なものも在りました(古川柳に「お手前ら 行灯燗を 知るめいな」なんてものも)

 ※8 「カナダで消費される清酒の大部分が燗酒です。白ワインに近い摂氏8-12度で飲まれている清酒は25%もないかも知れません」──白木正孝氏(CANADA Artisan Sake Maker)

kitasangyo.com
お燗機能付き清酒(詳細情報→https://kitasangyo.com/SHC-System/SHC-Images/SHC_ppt_ed02.pdf
oenon.jp
「お燗番」は言わばお燗の専門家。客の好み、体調、飲酒ペース、料理等に合わせ、その客にとって最適な温度で酒を提供する、正に心まで温まる、日本的お持て成しの体現者と言えよう。「酒を煮る 家の女房 ちょとほれた」──与謝蕪村

 確かに昔ながらの清酒は──此処で言う「昔ながら」とは 速醸酛 が無い時代まで遡りますが──みな 生酛 か山廃酛、詰まり燗向きの酒しかなく、消費者も好んで燗酒を飲んでいました。「燗は江戸後期から発展して来た本来の飲み方」とか「元々清酒は燗向き」とか言われるのはこれが故です。対し「冷や」というのは、冷蔵庫の無い時代ゆえ冷やせない、詰まり常温で置き燗で飲むのが一般的だった為「温めない酒」という意味で、現代では「常温」と同じ意味と為り、20~25℃を指すように為りました。曾て貧民は冬に十分な暖も取れない事から「貧乏人の冷や酒」などとも言われたようであります。他に、良く耳にする名言に「親の意見と冷や酒はあとできく」というのがありますが、昔は冷や酒は敬遠されたものでした。それは、冷たくとろりとした 原酒 が喉元を越す快感と旨さは格別で飲み口が良い為、兎角とかく量を過ごし、最初の内は酔わなくても後で一気にいて来て深酔いするからであります。そして親の意見も同じで、当座はき流しても後で納得する事が多いという訳で、誠にご先祖は穿うがった事を言うものだと、唯々感服するばかりであります。一方で燗は飲む量に比例して酔いが進む為、飲み過ぎ防止にも為るのです。その訳は、例えば貝原益軒えきけんの医書『養生訓』には「温かい飲み物は体によい」とあるのですが、これを清酒において解釈すると、アルコールは体温に近い温度で吸収されるため時間差無く吸収され、酔い過ぎる事が少ない、と説明する事が出来ましょう。科学指向の現代風に言うと、二日酔いの原因でもあるアセトアルデヒドはどの酒にも含まれるのですが、それは沸点が21℃と揮発性が高い物質の為、燗につける事で体への負担が軽減出来るからであり、加えて、清酒はワインよりも長く体に残留しないという事もあります。

 他の利点としては、温めた酒を飲むと舌の味蕾(⇒続・ワインの味わい方 -葡萄酒との対話-)が開いて来て、味を鋭敏に感じるように為ります。また旨味成分は温度によって花開く為、特に確りした造りで熟成させた純米酒なら豊かな香りや濃くが立ち、料理の味や油に負けないより汎用性の有る食中酒に為ります。より具体的に言い換えますと、確かに燗によりアルコールと共に香り成分も揮発してしまいますが、その分乳酸やアミノ酸量即ちコハク酸やグルタミン酸等による旨味が増加する為、塩辛い料理や生臭い料理の臭みをマスキングし、旨味が豊かに為るのです。燗により甘味は快適さと共に厚みも増し、酸を柔らかい質にして料理を包み込むような相性が作れる為、料理の塩味との相乗、詰まり青魚や魚卵にも合わせ易く為るのです(特に珍味は熟成し、発酵して癖が強い為、燗酒に合う)。そして後口の切れが良く為り、口中をさっぱりさせて、次の摘まみへ進ませ、良い余韻も残すのです。おお、たった一本で和え物、生物なまもの、煮物、焼き物、揚げ物、蒸し物、水物と通して楽しめる清酒は歌舞伎の変化へんげ物にも喩えられましょう!(※9)

 ※9 温度のペアリング(⇒五味と五感から知る! ワインと料理のペアリング法)。例えば、刺身やサラダには冷やで合わせる事。冷vs温だと口内で温度同士がぶつかり合う。より繊細な方法に、ワインの様に デカンタージュ して少し温度を上げて酸味と広がりを出し、料理との相性を強める遣り方もある。ところで、その味わいの変化から個人的に信じているのは、「冷酒から燗酒への移行は、白ワインから赤ワインへの移行に似ている」という事。冷酒に適した吟醸酒には白ワインに似た果実香が有りスルスルと飲が進むが、一方で燗酒は渋みや苦味を感じさせ、舌を打ち鳴らす所作を生じさせる。それは赤ワインと共通したもの、「舌を打つ旨さ=酸味+ミネラル(塩味、苦味)+渋み」である。物のついで、変化舞踊をその目で篤とご覧あれ(⇒長唄 『鷺娘』立方:花柳まり草〈27:47〉9:40からの鮮やかな変化及び20:00~24:00の一連の変化、しなやかな舞にうっとり(´∀`*)、日本舞踊『藤娘』立方:由井寧々https://www.youtube.com/watch?v=Rm4vE-m0m7c〈14:23〉豪華絢爛な衣装、愛らしい舞ににっこり(*´艸`*)

 そう、清酒は燗で化けるのです。しかしそれは多くの俳優が遣るような、お着替えお化粧お飾りの表面的な七変化ではありません。むしろそれとは正反対、燗につけるとそれまで様々な要素にカムフラージュされていた部分が裸に為り、本来の味が姿を現わすのです。特にぬる燗はより素性が明らかに為ります。そして本物の酒は「燗冷まし」でこそ真価を発揮します。風味や切れが増し、飲みにくい味や香りが全て姿を消し、米の味や旨味だけが残るのです。成る程、燗冷ましは清酒業界の常識ではまずい飲み方という事に為っています。しかし芯が確りした酒(→並行複式発酵)は、たとえ 生 でも燗に耐えるのです。割り水した 原酒 でないアル添酒(→生一本)が燗に向かないのは酒の組成が壊れる為で、手抜きの吟醸酒を燗にすると人工的な付け香や合成的な酸が目立ちバランスを崩すのは、醪が完全に発酵していない時にアルコールを添加する事による低質なお里・・が故であります。確かに燗のしたてはアルコールの揮発と共に香りが立ち酸も立ちます。突出したものばかりがパッと出て来るのです。これを「酒が暴れている」と言ったりするのですが、だからこそ燗をしたら暫く置いて「燗冷まし」をするとバランスが良く為り、より円やかに為るのです。そして常温位迄に冷めると、内に秘めた旨味が一気に引き出され、詰まり、燗冷ましは化けの皮を剝がすので良い酒にしか効果がないという事なのです。特に 生酛 系の燗は燗冷ましにした方が生酛感が和らぎ味の特徴が出ます。大吟醸生酒も燗につける事で、落ち着きの無い粗雑な甘・酸・苦のバランスも見違えるように腰が座って纏まりが生まれます。それはまるで無邪気な小童こわっぱが、酸いも甘いも知り苦み走る日本男児へと成長するようであります。これが清酒の「真髄」、燗とは一言で言えば瞬間熟成。眠っていた旨味がはっと目覚めた、全ての要素を感じさせる調和状態なのであります。

〈補足〉「燗上がり」する酒(燗適酒)の必要条件、等

 ①エキス分(主体は糖分、甘辛や濃くを司る)②アミノ酸量(旨味と雑味は表裏一体)③(乳)酸量(女酒男酒〈→水〉問わず、双方共に複雑さ、詰まり味の幅は必須)↔これらが伴わない酒は燗につけると不味く為り、それを「燗下がり」「燗ダレ」すると言う。

 温めると甘味を強く感じ、酸味は(然程)変わらず、ゴク味は弱く感じるので、燗適酒とは純米酒や古酒など酸度がやや高く、押し味 の多い物とされる(五味〈→味わいの分析図〉において、甘・旨は35~40℃で最も感度が高く、塩・苦〈・渋〉は温度と共に感度が下がり、酸〈・辛〉は温度に〈然程〉影響されない)。各味の成分値は各酒によって異なる為、必然的に適切な温度は酒ごとに異なる(※10)。したがって、先ずは冷やで少し飲み、燗によりどの味が引き立つのかを推測する事である。例えば、「熱くしても大丈夫か、少しの燗でも旨味がワッと出て来るのではないか」等である。又、基本的に燗はいたわるように行うのが最善。酒も生き物だから優しくしよう。ゆっくり旨味を引き出して行きたいので、急速に温度を上げるのは邪道とされるが、山廃の熟成酒だけは温度を緩々ゆるゆる上げては駄目で、一度70℃位迄ガンと上げてパッと華やかに開かせ、それから50℃以下に落としキュッと締めるのが良い。

 燗は香りの華やかさではなく味わいの深さを楽しむもの。燗酒は鼻でなく喉で味わう酒である。よって香りを開かせるグラスではなく、空気を溜めない盃や猪口で飲むのが伝統的にも、生理的にも、科学的にも相応しい。宛ら加熱熟成するマデイラ(→メイラード反応)や酸化熟成するオレンジワイン(⇒旨味のオレンジワイン)の様に、どれも同一系の香り(蒸しパン、栗っぽさ、炊いた米、籾殻的穀物、カステラ、カラメル、ナッツ、チョコレート等)に落ち着くのは否めないからである。

 しかし上記の香りの特徴と個人的な実験から、燗は基本的に蒸しパン(特に卵風味の)、ミルク/ホワイトチョコレートや胡桃に合う(カカオバターや胡桃中の脂分が広がる)。生酛 系はダークチョコレートも可。

 ※10 飽く迄も一般的にだが、所謂いわゆる4タイプ別清酒の最適温度としては、薫酒は8~15℃、爽酒は5~10℃、醇酒は15~20℃又は40~50℃、熟酒は15~25℃又は35℃前後である

本日の箴言

If it is heated or chilled incorrectly, it will lose its flavor. This is the challenging yet rewarding side to drinking sake.

東京農業大学編 『国酒』“Traditional SAKE made in JAPAN”

「不適切に温めれば(又は、不適切に冷やせば)風味が失われる為、燗は酒を飲む上で厄介な、しかしその分報われる技術である。」(管理者訳)

記念日の一本

ひこ孫、純米酒(徳島産山田錦100%、精米歩合55%、日本酒度+6、アルコール度15.5%、協会9号酵母〈発酵過程でクエン酸よりもコハク酸や乳酸が多く出る〉)(神亀酒造、埼玉県蓮田市)

 濃いイエローの外観は蔵内三年以上常温熟成によるもの。適正に管理された事が分かるねていない適切な熟成メイラード反応香が主体:味醂、蜂蜜、カラメルやメープルシロップ、クミンやシナモンといったスパイス、ふくよかな炊いた米、軽めのチーズ香(カッテージやシェーブル)、また石灰の ミネラル 香

 喉元に押し寄せるアルコールの熱さと 押し味、18℃以下では酸が主張し苦味が雑味を感じさせるため適温ではない。0.5%程と極少量の加水の為か、分厚くぶれない酒質は燗酒用に設計された事が分かる

・20℃以上:上昇する甘味度合いも手伝ってより酸が円やかに感じられると共に、アルコールや苦味のきつさが無くなる

・30℃以上:クリームや蒸しパン、カステラ、又蓮華レンゲの蜂蜜やミルクチョコレートの香り。熟成香と共に甘・酸・苦・旨味が溶け合い、四味の区別が付かないシームレスな味わいに為り、体温に近付いた事もあってしっとりと口内に浸み込んで行く

・40℃以上:アルコール臭の揮発や苦味が出始める。熱由来か、再び低めの温度の時の様にアルコールの熱さも出現。とは言うものの、旨さは相変わらず

 日向~ぬる燗がベスト。燗冷ましでも味わいは全く揺るがない。重心が下がり、まったりとし、平坦な感じには為るが、体に負担が掛からず優しく入って来る、ほんわかした酔い。「酒は燗にして飲むのが基本。特に純米酒については、造って丸一年経た物は全て燗が相応しい」という事が身に染みて感じられる。燗、即ち温度で遊ぶ面白さを知るには恰好の品

江戸時代末期の嘉永元(1848)年創業。昭和六十二(1987)年、戦後初の純米酒造り、1987年に日本初の全量純米蔵に転換(日本は敗戦によって各分野の日本人研究者達が必死に積み上げて来た貴重なデータの多くを失い、蓄積してきた技術が使用出来なくなる事もあった。それは清酒業界も例外でなく、純米酒の醸造法を記した教科書は戦争で焼失し、戦時中登場した増醸酒の製造方法によりその技術は不要と為り途切れた。当酒造七代目蔵元の小川原良征氏が戦前の清酒を知る高齢の杜氏から教示を受けて復活させた。確かにアルコールを添加する前の醪は米と米糀及び水のみが原料であるから、その儘せば全て純米酒だが、氏曰く「本醸造からただアルコールを抜いただけではおいしい純米酒にならない。」多くの本醸造酒は「アルコール添加普通酒の親戚」に過ぎず、その味は醪を完全発酵させた純米酒の爽やかさ、自然の旨味には到底及ばない)。純米酒愛好家で神亀酒造を知らない者はもぐりと見て間違いない。毎年の冬、一度は楽しみたい酒(88℃の煮え燗にしても酒質の崩れが無いという!)

 神亀酒造、ひこ孫( amazonyahoo

埼玉県:江戸前海川系濃醇旨口。一大消費地で、東京に近く古くから酒造業が繁栄し、酒蔵数および出荷量が多い。何でも、埼玉の酒蔵は個人プレータイプで集団行動が苦手なのだとか。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/saitama.html

第三十五瓶 地酒

 では「地産地消」の精神とは如何なるものでありましょうか? 近年良く耳にするように為った「SDGs」における地産地消のテーマは他のサイトに譲る事にして、当サイトでは清酒における地産地消について物申したいと思います。

 この用語は、元々は1981年に農林水産省が四年計画で実施した「地域内食生活向上対策事業」からの使用語で、地域食材を地域消費し、食材を通して人と人との繫がりを目指したものでした。生産者の顔が見えて安心な食材の美味しさを実感する事で、地域食への誇りを取り戻そうとする実に有意義な目論見もくろみです。現在の農林水産省HPによると、「地産地消法」なるものが我が国には存在し、「第3章 地域の農林⽔産物の利⽤の促進」からその基本理念 (第26条〜第33条)を纏めると、①⽣産者と消費者との結びつきの強化 ②地域の農林漁業及び関連事業の振興による地域の活性化 ③消費者の豊かな⾷⽣活の実現 ④⾷育との⼀体的な推進 ⑤都市と農⼭漁村の共⽣・対流との⼀体的な推進 ⑥⾷料⾃給率の向上への寄与 ⑦環境への負荷の低減への寄与 ⑧社会的気運の醸成及び地域における主体的な取組を促進すること、という事になるとの事ですが、それでもまだ庶民には伝わりにくい文面ように思われますので、誠に勝手ながら更に、いち庶民として庶民的に纏めさせて頂きますと、①追跡可能性トレーサビリティによる安心感 ②地元経済のサポート ③大企業による大量だが限定された種類の食糧ではなく、小規模農家による少量だが豊富な種類の食糧 ④食と農、生産と消費の関係、更には伝統的な食文化についての認識 ⑤身近な場所からの、低輸送費ゆえにより安価な且つ新鮮な農産物 ⑥フェア・トレードや炭素低下による人と環境に優しい生活、という具合に為りましょうか。

 日本には明治四十(1907)年に発足した食養会が提唱した、「地元の食品を食べると身体に良く、他の地域の食品を食べると身体に悪い」という主張を一言で表した「身土不二しんどふじ」なる言葉が大正時代より伝わっております。それを信じるか否かは個々人の判断に委ねたいと思いますが、個人的には「輸送技術が未熟だった頃は長期の保存が利かない上、現代の道路の様に舗装されていない凸凹でこぼこ道の輸送による激しい振動でより傷み易かったからなのでは?」と愚考します。実はそれは、ワインが元々地場消費性向が強い「農産物」であった事の理由でもあります(※1)。そう、ワインは普通に農産物として扱われて来たのですが、一方で清酒は工業製品としてしか扱われない時代が長く続きました。そして、原料が違っても品質への影響を軽減出来る程の、世界でも類を見ない高度な製造技術(→並行複式発酵)に支えられて来た為、業界では技術の向上に最大の労力が注ぎ込まれて原料米の方は御座成りにされて来た事と、大手メーカーが近代技術に走って量産するように為った事が、その原因の最たるものであります(※2)。詰まり或る程度の技術さえ有ればどの蔵でも一定レベル以上の酒が造れる為、結果として技術や酵母にこだわり、主要四品種以外の原料米(⇒清酒の味わい方)の産地特性や品質には余り目を向けなく為ったのでした。

 ※1 ワインも人と同じ様に「旅疲れ」をし、移動による振動で液中の香味分子がバラバラに為り、味わいに纏まりが無くなる為──中には故意にボトルをシェイクしてワインを提供するソムリエも居られるようですが──当方は(持ち込みワイン会での苦い経験から)旅をさせたボトルはそれと同じ時間の休憩を取らせるようにしております。尚「その土地で採れた食物を食べ、その土地で収穫した葡萄から造ったワインを飲む」、即ち地産地消がワインの原点。その土地の個性が味わいに反映されているからこそ、「地方名イコール香味」という図式が出来上がったのである。参考迄に、無農薬有機野菜一筋の石井恒司氏は次の様に仰る。「百姓だから自分のところでとれたものをどう食べて飲むかが文化だと思っている」。因みに、農家が「百姓」と呼ばれるのは、農耕は勿論、草刈り、屋根葺き、大工、きこり、漁猟、藁細工、畜産、機織りなど何でも出来る事から、「沢山の姓(職種)」という意味を込めてだという

 ※2 他の原因としてはGHQの農地解放が挙げられよう。これによって旧特権階級は解体され、必然的に従来の農業構造が崩壊した。そして良くも悪くも、「醸は農なり」、詰まり酒造業は農業の延長線上に位置する産業だという基本線が崩れ、急速に衰退の一途を辿る事と為った。無論此処には、安価で大量に均質な味の酒を生産する大手にのみ頼る一般消費者の勉強不足、即ち知的好奇心の欠如、詰まり人間の本質の喪失に拠るところもあろう。人生における飲酒経験の初期段階で足を運ぶ事に為る大衆居酒屋に行って出されるのはそういった酒で(中には「日本酒」と表記しながら「合同清酒」を出す不届き千万な店もあるようである)、それらは飲んでもどれも似たように低質で面白味が無く飲が進まない為、人々は「日本酒はどれも同じ」と思い込み、その先に進めないのである。更に此処には若者に真の酒の味を教えられない年配者達の責任もある。「今日は俺の奢りだ!」と見栄を切っても飲み放題の居酒屋に連れて行かれたのでは翌日宿酔に苦しむのみ、益々日本酒を忌み嫌おうというものである。現在清酒の多様性を支えているのは少量生産ながら、酒造における伝統ある高度な技術とその地域に伝わる知恵や文化を継承する地元の蔵元達なのである

 清酒は言う迄も無く、日本の各地域の風土・歴史・伝統・文化の中から生まれた酒であり、しかも各蔵元の個性を色濃く反映した酒であります。そしてそれが「民族酒」というものです。民族酒は個性や多様性が命で、古く「酒屋萬流さかやまんりゅう」と言われたのもそういった事からで(※3)、言わば酒造の理想とは、その時代の人々の嗜好を踏まえつつ、その土地の風土を最大限に生かした酒を造る事でありましょう。日本全国、世界各国何処へ行っても、その土地土地に匂いが在り、味が在り、言葉が在る。それが「」であり「テロワール」であり「独自性」であります。「地産地消」と対を成す「地産全消」、詰まり地域の農産物を全国で消費するという利益目的の活動が──主に大手の仕業(※4)で、確かに全国から人を呼んで交流人口の拡大に寄与するものの──酒の一つ一つが持つ個性の喪失に一役買っている事は疑う余地が無いでしょう。とは言うものの、勿論「地産地消」は良い面ばかりではなく、例えばその地域内で生産と消費を完結させるには出荷や販売、品質管理や宣伝活動など、農作物の生産以外の能力と作業が往々にして必要と為り、農家にとっては負担が増える事も忘れてはなりません。

 ※3  とは言われたものの、酒蔵によって造り方が全く異なるという事ではなく、基本的には変わらない。この言葉の所以ゆえんは、蔵の立地条件、その地の気候、仕込み水の水質、蔵の構造、タンクの設置方法といった、各蔵によって変わる酒造環境にあり、これを「蔵癖くらぐせ」と言う。仕込み室ではタンク一本毎に設置場所が異なるため発酵が異なり、端にあるタンクとタンクに囲まれているタンクとでは温度の保持状態が変わる。そして蔵内の風の通り道も温度に影響する為、各窓の開閉状況にも神経を使う必要がある。したがって杜氏はこれら全てを総合した蔵癖を十分に把握し、その蔵に適するように酒を造る為、自然と蔵の個性が現れるという訳である。新政酒造の佐藤祐輔氏曰く「そもそも伝統的な造りをすれば、自ずと多様性は生まれてくる」

 ※4 桶買いブレンド(→生一本)して酒自体個性が無くなった。音楽に喩えれば、地方酒は独奏独唱、大手銘柄は合奏合唱で、前者は個性豊かな物、後者は和音ハーモニーを重んじた個性の無い誰の口にも合う物。「名酒の香りや味わいや風趣も一つとして同じものはない・・・もし同じものがあったら、それはもう名酒の名に値しない」(稲垣真美『日本酒の目きき』)──銘酒は元々は地酒である。地酒こそ銘酒と為り得るのである

 さて本稿の主題は「地酒」でありますが、この用語は元々は灘の様な主力生産地酒を本場とし、それらと区別する為の蔑称として使われていました。古くは、その土地だけで醸造されて来た、他所に流通していない酒として「くに酒」「田舎酒」と言われてもいました(※5)。しかし昭和五十年頃(1970年代)からこの語が尊称として扱われるように為ったのは、「産地・品種・品質」に付加価値が見出され、「多様化・差別化・個性化」が意識され始め、「その地域にしかない、その地域の良い物」が注目されて来たからでありましょう(この「地酒ブーム」と1982年に開通した上越新幹線が契機と為って新潟県の地酒が一躍有名に為りました)。ワイン業界における “Vins de Paysヴァン・ド・ペイ” 或いは “the Sense of Place” に相当するこの用語を名乗るにはそれなりの理由が要ります。無論此処にはA.O.P.やI.G.P.というような階層制度ヒエラルキーの概念は含まれません。詰まり「各地の気候・風土・歴史・文化・産業・産物と共存する酒造りが為されている事」や「各地に根差す郷土の食文化と合った香味成分を持つ事」といったものです。「地の米・地の 水・地の技術」で造られた酒、要はその地方に行かなければ飲めない酒が「地酒」であります(※6)。酒には色々な価値観や情報が乗っかって行く性質があるという事は周知の事ですが、地酒にはそれら以外の情報も有る事が重要なのです。「地酒らしさ」とは「その土地の水の特徴が表れ、そして各蔵が其々の醸造法で地元料理に合わせて醸造したもの」の事であり(※7)、東京で売れ易い、その土地の風土を活かしていない無個性化した地酒に「地酒」を名乗る資格はありません。各酒造家が、小さくても独立団体としての気概を持ち、一定のレベル以上で互いの個性を競ってこそ地酒の価値があるのです。もはや金太郎飴の様に何処を切っても同じ表情をした酒などは望まれていません。そして切り口を変える度に違った表情を見せるものの、素として持った変わらぬ地顔を作るのが「蔵付き酵母」と言えるでしょう。本来清酒は、他では決して真似出来ないその蔵独自の野生酵母で醸していた為、地方毎、蔵毎に個性が豊かでした。そしてそれこそが地酒本来の魅力であります。しかし「きょうかい酵母」が現れてからというもの、造酒業界はすっかりとその「お仕着せ酵母」に頼り切ってしまい、結果みな校則通りに小さく纏まって、同じ制服を同じ様に着た優等生達の様に、本当に良く似た上質な・・・酒が溢れるように為りました(きょうかい酵母が腐造問題を解決した事は忘れてはなりません)。加えてオフシーズンに農漁業に従事する従来の杜氏制度が時代と共に廃れるにつれ(本来は逆で農漁業のオフシーズンに酒造業に従事していました)、殊1970年代半ば以降に生まれた酒蔵の後継ぎ達は先代達とは異なる視線から酒造に取り組み、また曾ての閉塞的で仲の悪い杜氏連には求めるべくもなかった最新情報の共有シェアが、理屈抜きの経験と勘に頼る「点」に過ぎなかった酒造技術を「線」の繫がり、そして更にオープンな「面」の広場へと拡大して行ったのも、酒質レベル底上げの大きな要因であるのは間違いありません。しかし何度も繰り返すようですが、何処でも美味しい酒が造られるように為った反面、地域ローカル色は薄れつつあるのが現状なのです。

 ※5 ワインにおいても、其々の地域で独特の一つのスタイルを作り上げ、閉鎖された市場で全てきっちり消費され完結される、決して他所に流通しない物が沢山在った。山梨県なら山梨県の中だけで外には出ないというように、世界中に土俗化したワインが沢山在り、その中で大都市に大きなお得意様を持ったボルドーやブルゴーニュ、そして極僅かのドイツワインが流通していた。それは、本来ならば個々の文化である筈の物が、都市と繫がる事で文明化してしまったという事。文化が即、文明だという状態に為ってしまったという事である。ところが輸送手段と醸造技術の発達により、その閉鎖された地域市場内で生産と消費が完結していた物が彼方此方に動き出すように為った。元々ワインは地ワインで、ビールは地ビール、清酒は地酒、そして焼酎は地焼酎である。酒という物は常に自己主張し、その根拠と為るのは「地」、即ち文化である。しかしそれが文明化の方に向かい大量生産、大量消費の市場に乗って行った。ところが、その内に成熟した若しくは擦れっ枯らしの飲み手ばかりに為った結果、今度は「地」の物でないと納得しないという所へ戻って来た。其処から後は自然じねん新しい飲料の開発が試みられる。が、それらの殆ど全ては永続性の無い流行飲料ファッション・ドリンクに過ぎず、唯虚しく出ては消えて行くのみ。何故ならそれは表面的な多様化に過ぎず、何より其処には文化が無いからである

 ※6  我が国において酒の異称を「美禄」と言いますが、旅をして美味い地方酒に出会うと、無上の法楽に浸れるものです

 ※7 「酒造りと料理屋とは切っても切れない縁があり、酒は、まず地元の料理屋で評判をとらなければ売れぬ、といういい伝え」があると宮尾登美子の小説『藏』にあるように、嗜好品である酒は地場産業として育ち、愛され、親しまれ、「おらが酒」として定着して行った。地の肴と地の酒を合わせる事こそ飲食の醍醐味である

 ──この辺りで好い加減人懐ひとなつこい鸚鵡オウムの様に、🦜「ニホンシュハコセイテキダ!」 「ニホンシュハコセイテキダ!」 と物真似表現を繰り返すばかりでは能がありませんので、では何故「日本酒は個性的だ!」と言えるのか、その根拠を視覚的に訴えて、その主張の支えとしたいと思います。

happylilac.net
北海道:あっさり系料理→軽快な酒質 / 青森:新鮮な魚が入手しづらいため塩漬け等の保存食が基本で、醬油や砂糖たっぷりで濃い味付け→濃醇旨口 / 南東北・静岡:新鮮な魚貝類を入手し易い→軽くスリムな透明感を感じる綺麗な酒質 / 関東:醤油文化→芯の有る濃い酒 / 岐阜・滋賀:山国ならではの濃醇な保存食文化→濃醇旨口 / 九州:煮物等の味付けが甘辛く醬油も濃い→全体的に甘く濃厚だが酸もある確りとした酒質
irokata7.com
の方が醸造時期の気候が温暖(⇔の方が寒冷)→発酵温度が高く旺盛(⇔低く穏やか)→アミノ酸生成量が多い(⇔少ない)→熟成が早い(⇔遅い)→濃醇(⇔淡麗

 さて日本はご存知の通り明らかに小さい国ですが、南北に及ぶ距離が長く、その多くが山がちです。また東西に狭く、海岸線から最も離れた地点でも凡そ115kmしかありません(長野県佐久市)。この経度と緯度の範囲が国土を取り囲む暖流・寒流に加え五つの気団と結び付き、劇的に変化に富んだ気候を生み出すのです。更に当サイトではややもすると見落とされがちな日本の土壌構成についてもご紹介差し上げます。

sci.kagoshima-u.ac.jp
日本の土壌分類体系。大きな河川近辺に多い「低地土」が水田に良く使われ、国土面積の凡そ14%がこれに当たる。大抵の稲作地帯は山の ミネラル を多く含むこの土壌から成る。一方、約30%を占める「黒ボク土」は火山灰由来の土壌で、隙間が多く水捌けが良過ぎるため水田よりも畑に向き、火山が多い九州や関東、東北、北海道南部に多く見られる。なお土壌とは、作物の育つ基盤と為る土の事で、岩石の風化物である無機物質と動植物や微生物の遺体及びその分解物である有機物質が混ざり合い、長い年月を掛けて作り出された物の事。栽培の立場では根が生育出来、樹が育つ事の出来る地表部分の土を意味し、そしてそれは土粒子と有機物から成る固相、主に水である液相、空気から成る気相との三相系である

 ワインの品質を決定付ける葡萄畑の条件に「地形・土壌構成・水捌け・日照量・微小気候ミクロクリマ」というのがあり、各国でその研究が進められているのに対し、又スコットランドでスコッチウイスキー醸造に必要な泥炭ピートの生成環境とウイスキーの品質や特質との関係についての研究が積極的に行われているのに対し、日本酒醸造地域と酒米生産地域の環境の化学的性質における関係性を巡る研究は極めて少なく、基礎情報不足というのが現状であります。今後は日本酒のより一層の発展は勿論の事、観光産業(※8)も見据えた日本酒の魅力を確立して行く為にも、土壌と酒米における関係性が地質学(下層岩石)、地形学(土地形成)、そして土壌学(土壌性質)による科学的アプローチを通してより細密に調査される事が期待されます(※9)。例えば、葡萄樹において「フランスのボージョレA.O.C.の様な花崗岩土壌は乾いたタンニンを、イタリアのエトナD.O.C.の様な火山性土壌は苦味の有るタンニンを生み出す事が多いのだが、それは岩石の保水力の違いから生じる」といったような事であります。因みに数々の研究結果から、高品質なワインを生む為の土壌の鍵は、土壌の化学的成分ではなく、排水性と水の吸収し易さに在るらしいです。そして無論米は葡萄とは栽培方法が異なります。いえ、前者は大量の水が必要で、後者にとって大量の水は大敵であり、この両者の栽培環境は対極にあると言っても過言ではないでしょう。故に『清酒の味わいの展望』の稿で述べたように醸造法ではワインの遣り方を踏襲する昨今ですが、栽培法ではブドウの遣り方をそのまま適用出来る事は在り得ません。自分達の根源を見失った根無し草の様な現代日本人にはうに、改めて日本的に日本の研究、自己分析を行い、己れの真実を日のもとに明らかにする時が来ているのです。

 ※8 気候風土を表す、「この土地ならではの、この土地でしか出来ない味の表現」、それが産地表示に込められた意味、詰まり「町おこし」なのである。地酒とはその土地の 水 で、その土地の米で造る物。そして地元の米とはその都道府県が開発するもの(※10)。「民俗学や民俗芸能を勉強しようと志すなら、その地方の酒を味わい、気風、風土を知るよすがにしたまえ」「農村にこそ日本人の真実があるのだから、遅れていると決めつけてはいけない。開発するにもまず研究が必要だ」という柳田国男氏の言葉には千鈞の重みがある。余談だが、地方名物を開発したのは徳川幕府の参勤交代政策で、当初は出府の際に土地の名物をお土産程度の軽い気持ちで献上していたが、時と共に習慣に為り、献上品が義務化された。「天下の三珍」たる尾張愛知海鼠腸コノワタ肥前長崎唐墨カラスミ越前福井雲丹ウニはこれによって現在でも名産品として残っている。往復や江戸屋敷の経費で大名財政を圧迫したこの参勤交代が、日本の交通網を発達させ、地方文化の全国的交流を促進させた

 ※9 テロワールの概念自体は日本にも昔から在り、1887年代には「村米制度」が発足していた事は『清酒の味わい方(味わい)』にて既に述べた。非常に興味深いところでは、更に遡った1838年の『酒直し千代伝法ちよでんぽう』に、土地が良過ぎるとかえって「米の性」が強過ぎ、酒造りには向かないという記述さえ在る事である。確かにそう言われてみると、例えば兵庫県産の山田錦は量感と共に主張が強過ぎる感があり、味の強い料理でないと巧く釣り合わない

※10 そう言った意味でも、ワイン用葡萄交配育種に一個人の資産と情熱を注いだ「日本ワインの父」川上善兵衛氏は余りに偉大でありました。坂口謹一郎博士の古里でもある高田の東、高士村の大地主であった氏は「経世済民」の志を持ち、「遊興の為の酒を造るのに貴重な食糧である米を潰すのは誠に筋が違う。主食以外の原料を使うべきである」という信念を持ち、当時日本でも飲まれ始めていたワイン醸造に着目した。山梨や牛久の葡萄園等で教えを請い、明治二十三年、氏が二十二歳の頃に自邸の裏山に葡萄樹を植えた。因みに氏は勝海舟にも度々会って教えを受けたという(海舟の談話集『氷川清話』に「俺のところに尋ねてくる男にずいぶん面白い者がいる」とあるとか)

 つい先程研究情報が極少数であるとは申しましたが、逆に言うとそれは全く無いという事ではありませんので、此処で私が入手した限りを記載します。堆積物地帯の土壌と比べ玄武岩や蛇紋岩地帯の土壌はMg、Mn、Zn、Fe、P、Na、K、Ca含量が多く、その影響で酒造用玄米も同様の成分が高い傾向にあると判明しております。詰まり、飲み手の視点で言い直すと、清酒の「苦味や切れ」に影響するマグネシウム含量は堆積物地帯よりも玄武岩地帯の方に多いという事です。しかし精米歩合100%である玄米中の無機成分の多くは皮相近くに貯蔵されるので、精米を通して地質の影響の多くは取り除く事が可能であるという事が言い得ます。実際、精米歩合65%に磨いた場合、栽培土壌の違いはほぼ消失する事も明らかに為っております。──すると、🦜「オメデトウ!」 此処で思いがけなくも長々と力説された「地」の価値が米糠と一緒に吹き飛んでしまいました。が、どっこい、此れ式でへこたれる当サイト管理者ではありません。より多く米を磨く為には大粒でなければなりません。大粒に育つ為には土壌に十分な栄養素ミネラルがなければなりません。土壌が肥えていればこそ根張りが良く茎が丈夫に育ち登熟が向上し、詰まり大粒な米が出来るという訳です。まだまだ、大粒であればふるいの幅を大きく出来、目幅が大きく為れば整粒歩合が高まり、精米品質向上(細い粒が少なくなる事で砕米等が減り精米歩留りが良く為る)、吸水安定(精米品質が良いと良好な吸水で蒸米が安定する、また精米の粒揃いが良いと浸漬時の吸水率が安定する)、製麴安定(汲水率が適切なら酒造において最重要な製麴が安定し、品質管理し易く、目的の糀が作り易く為る)、そして溶解安定(糀が良好なら醪での溶解が安定し発酵管理がし易く為り、目的の酒質が得られ易く為る)と正の連鎖が繫がって行くのであります。此処に加えて、現在実際に滋賀県蒲生郡竜王町にて精米歩合50%の山田錦を原料に、地質の違いから生じる酒の味わいの違いを追究しておられる松瀬酒造のサイトをご紹介差し上げます(→純米大吟醸ブルー竜王山田錦[土壌別仕込]:http://www.matsunotsukasa.com/blue/)。又、テロワール表現酒とも言うべき山口県澄川酒造の東洋美人「番地シリーズ」は豪雨災害の影響で未復活の為、企業紹介のリンクを貼ります(→https://www.yama-kei.com/pdf/kigyou_88_sumikawa_new.pdf)。駄目押し、田崎真也JSA会長からのお言葉もドウゾ(→「日本酒もテロワールに行き着く」:https://youtu.be/nyBrgkAsz_E (2:05) / 同氏のお勧め動画⇒お役立ちワイン映像集

 何にしましても、上の三つの地図画像から分かりますように、日本という国はこれだけ複雑な気候条件を揃えていて且つ各地域の水質や土壌もまた全く同一ではないのですから、清酒に テロワール が表れない訳は無いのです。詰まり、もしその清酒にその地域特性が表れていないなら、それはひとえに人間の作為に因るとしか言いようがないのであり、アルコールに因る在らゆる弊害が酒の所為せいではないように、日本酒の無個性は清酒の所為ではないのであります。そして敢えて突き詰めて言うならば、当方も清酒を気取ってワイングラスで洋食と楽しむ今日こんにちではありますが、素朴な板わさや海苔を摘まみながらゆるく飲める物こそが、清酒の在るべき本来の姿なのであります。

本日の箴言

 日常化、普遍化の対極に、非常に限定的な、文化的要素の濃密な、希少性の高い酒が屹立するようになるでしょう。それは工業的な生産技術の究極にあるのではなく、反対に酒造りの原風景を内部に秘めた酒です。そこで原料の囲い込みがおこってきます。特定の畑や水田が意味を持つようになると思います。ウィスキーについていえば、いまスコッチ・ウィスキーは、もう大衆化しちゃった訳ですね。ブレンディッド・ウィスキーなんて、何らありがたいものではない。そこで、シングルモルトに興味がいった。そのシングルモルトも一般化しちゃう。そうすると次にどういう手を打とうとしているのか。昔の品種で、もう一ぺん栽培して下さいという話が、スコットランドの片田舎に起こっている訳です。品種改良した大麦では昔のウィスキーの風味が出てこないというんですね。蒸留酒の文明化なんて話じゃなくなっているんです・・・酒についての将来というのは文明化へ一方的に動いているのではなく、文明から文化に回帰してくるものが出てくると考えています。それともう一つ、文明化というものが、今までは差異がなくなっていく方向に行ってたのが、逆に、たくさんの異同が明快に示されているという状態が文明だという方へ、これから進んでいくのではないかと思ってます・・・これからは情報を飲むこと。差別化というのは、情報において・・・どんどん進んでいく。味ということも情報の一種ですからね。

吉田集而しゅうじ(文化人類学者、1943.8.14ー2004.6.22)

休日の一本

雪の茅舎ぼうしゃ 純米吟醸(山田〈古代米で山田錦の母親、特徴は透明感・柔らかい酸・力強い米の 旨味〉精米歩合55%、無 濾過 生 原酒)(日本酒度+3.0、酸度1.4、アルコール15.7%)(齋彌酒造店、秋田県由利本荘市)

 透明感のあるやや濃いゴールド(無濾過由来)。ふくよかで芳醇な 吟醸 香(黄林檎ジャム、洋梨のコンポート、白桃)、香木、丁子、栗、き立ての餅、粘土様の ミネラル

 強いアタック、円やかな甘味、滑らかな酸、旨味を伴った苦味、力強い程に豊潤で厚みのある 押し味 がアルコール感をより強く感じさせる(18%位の印象、原酒由来)。濃醇旨口で長い余韻。無濾過生原酒に有りがちなどぎつい香味は無く、充実した忘れ難い飲酒体験を味わえる。15℃以下は香味が閉じ籠る為、赤ワインの様に18~20℃、瓢箪型 グラス で

「三無い醸造」(櫂入れ無し、濾過無し、加水無し)と有機オーガニック米を身上とする蔵元。「発酵力の強い自社酵母の力を信じて醪の仕込み以降は人手を入れない」という哲学は「地酒」の精神を感じさせる

雪の茅舎 純米吟醸 山田穂(amazon

秋田県:「美酒王国」「酒呑みの県」と呼ばれ、嘗ては肉体労働の鉱夫が多かった事から秋田美人を思わせるぽっちゃりとした甘味、また酒質は綺麗で雑味は少ないが僅かな苦味や 渋み による広い味幅、そして丸みのある余韻が主流だったが、近年は多様で輪郭のはっきりした物が多い。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/akita.html

第三十四瓶 日本米(或いは日本人)と外米(詰まり非日本米)

 いやはや、前稿本文の最後にてうっかり「外米」などと口走ってしまったばかりに、本稿では清酒の真の味わいの姿を述べる積もりが、急遽「非日本米」について述べねばならぬという義務感に襲われ、この日本人にとって極めて馴染みの薄い米について、S県内の図書館の蔵書をしらみ潰しに調べ上げた情報を、今回も私という 濾過 器フィルターを通して純化し、皆様のお口に合うよう極力雑味を取り除いてご提供差し上げたいと思います。

 諸外国の方々が日本に滞在し生活する上で先ず気付くであろう事は、寿司屋は言う迄も無く、牛丼屋も無論、ラーメン屋に行こうがうどん・そば屋(※1)に行こうが、其処には必ず米が在る事で、「ご飯大盛り・お替り無料」といった文句と共に、時として店の看板とは裏腹に、寧ろ米の方がメインと為っているような食事風景さえ見る事も少なくないでしょう。そしてその使用米と言えば、必ずや「安全・安心」の「国産」を謳っている筈です。まるで「非国産」が「危険・不安」とでも言いたげな表現ですが、ではその米は一体何処に在るのでしょう? ──そう、この国においては「外米」を見付ける事の方が至難の業なのであります。

 ※1 日本で昼間から堂々と清酒を飲めるそば屋で昭和歌謡曲を聞きながら一杯引っ掛けるのも中々乙なものですヨ^^

 確かに、1993年の冷夏と長雨による凶作が引き起こした「平成の米騒動」の時は、タイ米が国産米との抱き合わせ販売という形で広く国内市場に出回り、世間知らずな分純粋無垢な少年だった筆者も、日本米とブレンドされたご飯を箸でつつき、縦長の米を摘まみ上げてまじまじと眺め、「コオロギの卵か、こりゃ?」などと子供らしい無礼な事を思いながら、パサパサした歯触りの米の初めての感触に、戸惑いながら食を進めた記憶があります。

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世間では、タイ米だけが売り場に残されたり、公園に捨てられていたりという「タイ米騒動」も起こった。この時の米不足問題が、国内の米生産を需要量ぎりぎりに抑える事の危険性を明らかにした

 実のところ、米騒動なるものはそれ以前の大正七年にも起こっており、そしてそれを受けて日本の米自給政策が推進され、安上がりな朝鮮と台湾の植民地における、日本人向きの米の増産が始まりました。朝鮮では改良品種の導入に、台湾では開発された「蓬莱ほうらい米」の普及に成功しました。そして昭和に入ると両植民地から、これら日本向けの米が増産されて輸出が始まり、特に朝鮮米は日本の二倍の日照量を浴びる為か、品質的にも内地米に劣らない、「日本米と外米の中間」、「日本米の中等品」という評価を得る物に為りました。しかし日本人には国内産米に対する頑なな迄の偏愛がありました(そしてそれは今でもあります)。その一途で排他的な愛情の為、日本市場は世界の米市場の中でも孤立した特異な市場と為った訳であります。そして戦後、日本米のその鎖国的閉鎖性は食管制度により守られ、「準内地米」なるジャポニカ種の外米は昭和三十年代まで輸入されていましたが、飽く迄それは国産米の不足分を補う為の物であった為、日本米との競争意識を喚起させる事はありませんでした。そののち米過剰の状況下で米輸入は無くなり、日本米は国際関係から遮断された形で、独自の国内的経済論理で動かされて来たのです。詰まり、日本にとって米は純粋に国内問題であり続けて来たという事であります。しかしながら国際関係が広まると、この日本米という箱入り娘は国際市場に引っ張り出され、その歴史に裏付けられた特異性を披露する事に為りました。労働生産性の低さを上回る低労賃に由来する最安値のタイ米といったインディカ種は幾ら安くても競争相手に為らないとも言われ(但し日本米も曾てはこの型であった事を付記して置く)、確かに1889年にドイツ北部ハンブルク名誉領事は「日本米はイタリア米に類似しており、安価に売却できれば売れ行きがよいだろう」と述べ、同時期のアメリカでも、他国産より優るとしても「過評にあらざるし」と高評価されたそうです。特にイタリアでは日本米は高い人気を得、1889年の日本の凶作により翌90年に輸出量が激減すると「偽日本米」が出回って流行した事が『外国貿易概覧』(1890年版)にあります。日本米は光沢と粘りが有り、精米しても摩耗が少なく、インディカ米より優れていた事がその好評の由来であったのです。(現在の海外における日本米事情は、一般社団法人全日本コメ・コメ関連食品輸出促進協議会による『令和元年度日本産コメ・コメ加工品輸出ハンドブック』をご参照下さい⇨https://zenbeiyu.com/jp/topics/report/r20200923/。それに拠ると、秋田こまちはアメリカとスペインで、コシヒカリはフィリピン、ベトナム、オーストラリア、イタリアで、そしてササニシキはタイでも栽培され製品として販売されており、又ジャポニカ米はフランス産やブラジル産もある。因みに、オーストラリア人は乾燥した米を好む傾向にあり粘りや甘味を有する日本産米は苦手なのだとか〈しかしオーストラリアは世界で数少ないジャポニカ米の輸出国である〉)

 ところで、今日稲を栽培している所は東亜から東南アジア、インドシナからインドは無論の事、北米ではカリフォルニアからテキサス、またスペインやイタリアなど地中海沿岸、西アフリカやマダガスカル、南米ではペルーやブラジルにも広がっているのですが、これら近年拡大された産地を除けば東は日本、西はインドとの間の東亜南部と東南アジアだけが古来の産地として絞られて来ます。この範囲に栽培されている稲の品種は数千種にまで上るとされますが、植物学的にはただ一種 Oryza sativa L. という種類に属するもので、上の数千はその品種に過ぎない為、交配させれば多少の難易の差があっても皆相互間に実を結ぶ事が出来るのであります。また上記の古来産地を見れば、元々稲は熱帯に足場を持つ多年生植物である事が分かります。一方、現在日本で栽培されている稲は気候や気象、また病虫害への抵抗性などを込めて地方毎に相当異なる品種が普及していますが、共通して言える事は、①水田栽培 ②短粒(籾でも米粒でも長さは幅の二倍以下、一倍半以上) ③脱落性が無い事(熟しても穂の軸から籾が外れない) ④籾にはのぎが有る事 ⑤炊くと粘り気が出る事、特に②③⑤が重視されて日本型として纏める事が提唱されました。これに対して設定されたのがインド型で、①長粒(粒の長さは幅の二倍以上、三倍以上を特に狭粒という) ②脱落性が強い事(熟すと籾が穂の軸から外れ易い) ③炊くと粘り気が少なくバサバサする、というのがその特徴であります。(※2)

 ※2 この辺りを巡る学説では、稲の伝播が温帯に向かうにつれて、稲を常食とする民族の嗜好と人体経済の面から、自然と粘りの強い型が東へ東へと運ばれ、揚子江下流に達してからは、巧まざる人為選択の結果、日本型の祖型を生じ、遂に日本に入って日本型が確立されたものと考えられている。尚、稲が大陸から日本に渡った経路は、大きく見てアッサムからラオスにまたがる熱帯圏の低湿地から中国東海岸地方へ運ばれ日本に渡来したと見て良く、その後相当の稲作として成立したのは弥生式文化の初期の紀元前一世紀前後とされている。そして弥生前期に水稲が渡来して以来、米は蒸米(強飯コワイイ)か飯米いいまいにして食したと考えられている。乾燥すれば保存食と為るが、適当な水分を含めばコウジカビが生育して糀が出来、更に水が在れば澱粉は糖化される。この糖化液に乳酸菌が生育すれば乳酸を造り、他の細菌の生育を妨げ、酵母を特異的に生育させる事が出来る。乳酸菌は古くは漬け物に利用されていたから、これを組み合わせれば酒母と為り、醪と為る。多くの試行錯誤の末、現在の清酒が出来上がったと考えられている。米とコウジカビが結び付いた事で 並行複式発酵 が生まれたのではなかろうか

 このインディカ米なる南方の外米は「南京米」とも称され、明治初年にはラングーン(現、ヤンゴン)やサイゴン(現、ホーチミン)といった東南アジアから輸入が始まっていました。「さてその味といえば実に言語道断で、冷飯になればバラバラになって喉を通らない。米と名づければ米だが、その実米ではなく『一種異様の穀物』である」(『読売』1890.4.25)と、それを日常食としている地元民には失礼千万なき下ろされようでした。外米は上等な物でも「一種の臭気」が有り、詰まり外米を入れた麻袋の、その製造工程から浸み込んだ油の臭いが米に移った為、その味の悪さに定評があったのであります。当時の『読売』に拠ると、日本米に混ぜたりせず、外米のみを食するのは「下級人民」と言われ、「中級以上の人」は「何となく不名誉らしく感ずるの傾」を外米食に抱いていました。したがって外米を買うにも「何となく恥じらうてい」があり、闇夜に紛れて買いに来る者が多く、それでも「さすがに外米を」とは言いづらく「一升二十一銭の米」をくれと言い、井戸端でそれを研ぐのも「人目にかからぬよう注意」するなど、誠に恥を恐れる日本的な有り様だったのであります。確かに明治二十三(1890)年の米価の暴騰に困窮する人々には救いと為った安価な外米でありますが、確かにそれ以降食べ方も工夫され、塩あるいは麦を混ぜて臭気を抜いたり、一晩水に浸したりもち米を混ぜたりして粘りを出すといった秘策が広まり(※3)、外米への関心はその輸入量の増加と共に高まって行ったのでありますが、結局日本人にとって、凶作や戦による貧困の最中さなかにおいてさえ外米は代用食以上の扱いを受けた事は無く、寧ろ大方はそれ以下の喰い物に過ぎなかった、詰まり「旨い米の条件」たる「粘りと軟らかさ」「香りと旨み」(※4)に欠けた外米は日本人にとって米ではあり得なかったのであります。(実際、明治四十五年の米価騰貴における極貧者は「南京米を食ったのでは腹に力が入らず労働は出来ない」と言って外米よりは残飯を好んだという。日本人にとって、米とは力を与えてくれる聖なる食物。その概念は今でも「力餅」という語の内に残っている。その事実は米を摂取する我々の肉体の内に宿っている。抑々、今日では体力スタミナと言うと肉を連想するが、肉を穢れた食物として忌み嫌った前近代の日本においては米こそが力の源であった。「力うどん」と言えば小麦の麵に米の餅を入れる事で気力スタミナが得られるうどんを意味する。「力餅」という言葉の存在自体が、米の力を暗黙の内に認めるものである)

 ※3 この考え方は酒造においても存在し、「糯米四段」という手法で現在に伝わっている。これは糯米が酒米やうるち米よりも溶け易い事を利用し、蒸して醪に加え、甘味と味の幅を増やす目的で行われる。江田鎌治郎氏は『杜氏醸造要訣』にて次の様に述べておられる。「糯米は粘り過ぎるから、一般に酒造米として使はぬ。それでも硬質米などで仕込みをする場合に、醪の掛米の一部に糯米を使用すると(掛米の五分の一か十分の一内外)出來た酒の風味を濃くする利益があるやうである」。同一の目的で他に「酵素四段」「甘酒四段」「酛四段」「粳米四段」があり、普通酒や本醸造酒で頻繁に行われている(普通酒ではブドウ糖や水飴を使う事も。純米酒でも四段を添加する蔵もあるようだが、基本的に純米と吟醸には「百害あって一利なし」、詰まり、未熟な醪ゆえ未分解の成分を残し歯切れが悪く為り、「鈍重で冴えない酒質にし、酒から爽やかさや力強さを無くしひ弱にする」として行われない)。四段は元来、米がく低温発酵の技術が無かった頃、醪の発酵が急進して薄辛く為ってしまった時にのみ用いる、言わば古い時代の救済策であった。そして三倍増醸廃止に代わって復活。現在ではアル添(→生一本)と関連して、数字合わせの手段と為っている(例えば仕上がりの日本酒度を0と仮定して、醪が−10の段階でアルコール添加して0としたのでは未熟醪ゆえツワリ香などの原因と為るので、−2程度まで発酵した段階でアルコールを加え+8程度と為り、その儘では辛過ぎるので四段を打ち込んで0付近まで戻して上槽する理屈)。春先の上辺の味は好くても秋にはダレる(劣化し易く、古く為ると異臭を発する)。更には五段や十段仕込みもある(が、果たして…? 外米仕込みの酒には有効な手段と為ろうか)

 ※4 粘りには澱粉中のアミロースが少なく、軟らかさには蛋白質が少ない方が良い。また米の芳香成分は百種類程在るのだが、それらは玄米一粒の92%を占める胚乳の表層部に存在し──よって飯米の表層部が八%ほど削り取られる(一般の食用白米は精米歩合92%程度)事は恐らく関係無かろうが──「新米の香り」と言われるものの米の相違による香り成分の差は見られないので、新米の旨さは粘りに在るようである(尚、米の食味の低下は温度よりも酸素の存在、詰まり酸化作用に因る事が実験により立証された)。余談だが、現在では古米より新米が好まれ値も高いが、曾ては古米の方が高かった。確かに古米は味が落ちるが炊きえするというので、量重視の市場では評価されたのである

 こうしてカレーライスやピラフ、又はハヤシライスといった外来料理においては誰一人として外米と気付かない程に通用するインディカ米は、米単体の日本的食事の前に味噌糞に遣っ付けられてしまいました。しかし酒造米として見た時は果たしてどうなのでしょうか? ──実は酒造米の補充と製造原価の引き下げの観点から、共に粘りが少ないという共通点もある為か、外米を酒米として使用する研究が古くから行われて来ました(※5)。結論から申し上げますと、食用米として使用する時の様に、日本種とインド種との吸水性の差は明らかに前者が優位、破精込みの良し悪し、即ち心白発現率も前者に分が有るのは顕著、しかしながら成分分析値は両者殆ど変わらないとの事であります。一方、加州カリフォルニア米は大正十年に初めて試験され、醪の発酵が急進し、また発酵中に異臭が発生したものの、原種が日本から渡った品種の為か(後述します)、製成酒には異臭が無く普通外米より良好と判定されました。戦後の昭和二十八年にも加州米(滋賀県渡舟、大粒心白種)を一部使用し試醸されましたが、加里カリが多いために醪が急進し、また製成酒は火入れ後貯蔵中に糖蜜様の甘い特異臭(外米臭、加州米臭とも呼ばれ、青臭いとの評もある。ワインにおけるアメリカ系品種ヴィティス・ラブルスカに特有のチェリー・コーラ臭「フォクシー・フレーヴァー」を想起させる)が発生して不評を受けました(しかしそれは古米が原因で、空輸した新米を仕込んだところ古酒に為っても外米臭は発生しなかった)。この失敗を受けて、同じく日本米由来の蓬莱米に加え韓国米、そして中共米でも研究が為されました。しかし外米による清酒は貯蔵中に特異臭が付く事が分かり(古米にも同様の臭いが発現するとの報告があった)、様々な外米臭除去研究が行われたものの、その本体・発生機構が不明で、的確な防止法・除去法は未発見であるとの事です。とは言うものの、この情報は古い文献からの物で、最新の研究成果を管理者は入手出来ておりません。しかし現在では日本米より格段に安いカリフォルニア米を使い、日本のメーカーがアメリカでSAKEを造って日本に逆輸入するケースもある上、昭和六十三年の或る清酒関係者の記事に『カリフォルニア純米清酒 SAKE CALIFORNIA』「冷して白ワインのようにお飲み下さい(燗はしないで下さい)アメリカ人志向の酸味のきいた日本酒です・・・冷やしても燗してもマイルドな美味しさはこれぞ“清酒”という心意気です・・・カリフォルニア州ウッドランドに広がる稲穂の海の中から生れた、カリフォルニア米の傑作(鶴米つるまい)そして、シエラ・ネバダ山脈の雪どけ水、この自然の恵をカリフォルニア純米酒(某正宗)に結集しました」とあるように、外米臭の課題は既に解決されているのではないかとも思われます。その甘ったるい異臭は輸入時に使うメチルブロマイドという殺虫、殺菌用の燻蒸剤の成分が原因ともいう話もある事から、少なくとも地元で造る分には問題無いのではないでしょうか。それについての詳細な情報が得られないのは、輸入制限がある為にカリフォルニア米は今のところ日本での酒造りに使われていない事も関係するのかも知れません(寧ろ、法的に国産米でなければ「日本酒」と名乗れない事の方が根源的且つ重大な理由でしょう)。実際、兵庫県灘のメーカー「大関」は1979年にカリフォルニア州北部のサンベニート郡ホリスター市に酒蔵を設立(酒造会社として戦後初のアメリカの現地蔵)し、日本の設備を輸入して自社で精米・洗米・蒸米・糀造りなど全て日本と同じ工程を踏んで、現地の食用米「カルローズ」(※6)という中粒米から酒を造っているとの事で、次は正確な引用ではありませんが、「これは寒暖差の大きい都市サクラメント産なのだが、矢張り日本の酒米と比べると硬くて溶けにくく、其処を補う為、又アメリカ人の嗜好に合わせる為、旨味 を追求して糀を造っている」といい、「現地醸造の酒は日本産のより安価で格下に思われ勝ちだが、日本の蔵とアメリカの蔵で大きな差は感じない」とも述べておられ、実際、食と飲み物の相性に重点を置いた、フランスで行われるフランス人の為のSakeコンクール「Kura Master」では2017年に金賞に選ばれたという事であります。(因みに、カリフォルニアにはシエラ・ネバダ山脈からの豊かな雪解け水〈宮 水 に似た硬水〉に加え、たっぷりと降り注ぐ陽光と共に昼夜の寒暖差があり、葡萄栽培には無論、稲作にも好適地である〈実際この地はアメリカいちの米どころ〉)

 ※5 江田鎌次郎氏の文献からは、じょうきょうにおいて、「充分其の効を奏せざる外國米の如きを使用する場合には少しく手数なるも、浸米を数回に区分してこしきに入れ其の都度如露じょろにて水を撒布し以て火力を弱らしめて蒸す様にせば大抵良好に蒸きょうし得るものなり」と、明治期より外米による清酒造りが試みられていた

 ※6 アメリカの米は長粒種(約70%)、中粒種(約30%)、小粒種(1%弱)に大別され、アーカンソー州やルイジアナ州等の南部では長粒種のインディカ米が栽培されている。カリフォルニア州では中粒種が95%で、残りは長粒種と小粒種、そして小粒種は「パール米」とも称され、それは曾て滋賀県で栽培されていた酒造好適米「渡船」と言われ、そしてこの渡船とインディカ米との交配でカルローズ米が生まれた(因みに、降水量が日本の凡そ五分の一であるカリフォルニアの稲作での問題点は 水 であり、州政府の管理する灌漑用水に頼るか井戸を掘るかしなければならないという。4月から11月は葡萄栽培に適した乾季に入り、コバルトブルーの晴天が続く事はワイン愛好家の皆様はご存知でしょう)

sakestreet.com
獺祭、アーカンソー州で契約農家と山田錦を栽培。更にニューヨークに酒蔵を建築しており、2022年に完成予定。日本米とアーカンソー州米、そしてNYの水を使ったSAKEを構想し、“DASSAI BLUE”というブランド名で、既にMLB「NYヤンキース」と’22、’23年度の公式スポンサー契約締結。この名は荀子の「青は藍より出でて藍より青し」からの着想で、日本の獺祭を越える目的から付けられた、と桜井社長。尚NYはアメリカで流行の中心と為る特別な地域で、新しい物への反応が早い分、その入れ替わりも早い。今良い物が次に良い物に取って代わられる事が日常茶飯事のこの場所で、獺祭は己が価値を試そうとしているのだろうか

 この様に「日本米第一主義」で話を進めて来ると、「日本の米消費量は他国に抜きん出ている」と、視野の狭い我々日本人は思い勝ちなのですが、日本の米消費量は世界で50位(2017年)という事で、東南アジア諸国には程遠く及ばない現状、生産量も同じ程の差が在るのは必至であります。しかしそれは新種栽培の為の稲作面積は既に確保出来ているという事を意味します。無論酒米より飯米の方が重要であり、又酒造するにしても大戦期の日本の様な、食糧難を憂慮する国にとってはインディカ米を栽培せねばならぬ以上、その酒造に向かぬ米質という大きな問題もあります。ジャポニカ米は日本の土壌と日本人の嗜好に適応して発展して来たのですから、余所の国土ではそう容易く巧く行くとも思えません。であれば地元米との交配研究を通して問題を一つ一つ解決して行くほか私には思い付きません。例えば、これは上記※6にも通じる事ですが、何とカリフォルニア米の祖先は「山田錦」の父方の「短稈渡船」の元である「渡船」で(そしてそれは「雄町」からの選抜系統という説が根強い)、これは時を遡ること二十世紀初頭にカリフォルニアに渡っており、その後其処で改良され、現在のカリフォルニア米の元と為ったのであります。そしてこの時もう片親に為ったのが、大のワイン愛好家でもあった第3代大統領ジェファーソンが欧州から持ち帰ったイタリア米であったとされます。詰まりカリフォルニア米は山田錦の性質を持っており、もしかすると高い酒造適性を有しているかも知れないと考えられるです。昭和五十六(1981)年発行の『日本酒の研究』(別冊暮らしの設計、中央公論社)という雑誌には、「東京のスーパーマーケットやお米屋さんで買う上等の日本米よりおいしいサクラメント近辺産のアメリカの日本米を、日本政府は輸入禁止をしている」という文面も在りました。そしてそのカリフォルニア米を酒米として改良し、精米を工夫して形状の問題にも対応したとも聞いております。現在では、ニュージーランドなど食米の習慣が無い国では酒造米は安価なカリフォルニアやオーストラリア等からの輸入に頼っているようです(勿論高価な日本製 milled rice精米済米 も〈表記例:Milling rate精米歩合 60%〉。ニュージーランドの酒蔵「全黒ぜんくろ」では乾燥糀やきょうかい酵母も輸入しているとの事。当蔵では日本に似た軟水である氷河の溶け水を使い、ガレージ・ワインを造る「ガラジスト」を思わせる十分とは言えない施設環境にて、コンテストで受賞するほど優れた酒を造っておられる→https://jp.sake-times.com/knowledge/international/zenkurohttps://www.youtube.com/watch?v=cP53y_uuozs〈8:48〉)。

 しかし此処で日本人は呉々も天狗に為ってはいけません。抑々、戦前の日本も米を自給出来ずに十七%をむら植民地米に依存していました。戦後に為って植民地米は喪失、その代わり中国やカリフォルニアから「準内地米」と言われたジャポニカ系の米が、量的には限られていたものの輸入されていたのです(その不足分は主に小麦によって補われた)。確かに日本人は米食民族と言われ、それは弥生時代に稲作が大陸から伝来して以来米を主食とし、酒・酢・味噌・醤油・菓子等の原料に使用して来たからなのですが、実際は米はどの時代にも絶えず不足していて、人々が米飯をどうにか常食出来るように為ったのは江戸時代(農民は米を作っても年貢に多くを取り上げられて満足に食べる事が出来ず、職人は一日中働いても妻子に飯を食わせるのがやっとだった)、近代日本が成立する頃でも米は誰でもふんだんに食べられる物ではありませんでした。米食が大きく前進したのは明治中期(1880年代)から第一次大戦後(大正九〈1920〉年頃)で、都市や農村では米消費の増加が爆発的に進みました。この米消費量の拡大は歴史的に持った米食への憧れによるものであり、これは戦後、特に高度成長期の生活水準の上昇が食の多様性を促し、米の消費量を減らしたのとは対照的であります。そして米不足が完全に解消して、雑穀や豆、芋類を混ぜた糧飯かてめしから、冠婚葬祭など特別な時にのみ食べられた白米百%の飯を誰もが腹一杯喰えるように為ったのは、第二次大戦後の事でありました。(※7)(平出ひらいで鏗二朗こうじろう『東京風俗志』〈1901、明治三十四年〉によると「麦飯喰うくれえなら死んだ方がましだ」とうそぶく江戸っ子もいたようである)

 ※7 「日本では国土の産出する米の三分の一以上が造酒に用いられると断言できる。そのことが民衆の日常の食糧として十分な米がない理由となっている。もし酒、酢、味噌その他米を消費するいろいろな物を米から造らないならば、十分であろうに」──イエズス会宣教師ロドリゲス『日本教会史』(十七世紀中頃)。「日本は、これまで出会った国民の中で、最良で、親切かつ名誉を尊ぶ。日本人は食を節するが、飲酒のこととなると、それほどでもない」──フランシスコ・ザビエル

 加えて、日本米は昔から高品質だった訳でもありません。明治末頃迄、「魚沼産コシヒカリ」や「秋田こまち」といった現在ブランド米産地として名高い日本海側地域産米は粗悪な物として知られていました。それは、日本海側は秋の収穫頃から天候に恵まれず、断続的な雨や雪による乾燥不良からの変質や腐敗、また籾など異物の混入および俵装不良による脱漏だつろう等の問題を抱え、中々改良が進まなかった為でした。産地において米穀検査による品質管理、規格化を徹底し、有利な商品化を図る試みが「産米改良」であり、明治半ば以降に各地で始まりました。それは詰まり米俵の中の米を良く乾燥させ斉一にし、異物を排除、俵装を二重にして強固にし、容量を四斗に統一、そして検査によって一、二、三等といった等級に付す作業でありました。米不足の時代に、拡大する消費地の需要を満たすには商品として大量かつ円滑に取引きする事が必要であり、その為には商品として規格化する必要があった訳であります。現在の様な銘柄ブランドが確立する迄の産米改良の道程みちのりは実に険しいものであったのです。