第二十六瓶 閉会のご挨拶

 前回ヴーヴ・クリコがロシアから讃えられて在庫切れと為ったのとは異なり、喝采を受けずとも当会管理者が保有するセラーは在庫不足と相成りました。確かに不足であって、まだご提供出来ますボトルは御座いますが、これ以上の深酒ふかざけは頭痛の原因と為り得ますため、この辺でお開きにしたいと存じます。ご愛飲の程、誠に有り難う御座いました。

 私はこれまでワインを追究した日本人が最終的に日本酒へと帰る姿をこの目と耳で知って来ました。骨抜き骨無しの戦後教育のもと、自国をなみする事が出来るよう巧みに作り変えられてしまった敗戦国民の我々が憧れに胸を膨らませて異国へ行き、結果日本の素晴らしさを痛感させられて帰国するように、私もご多分に洩れず、より万能な飲食物である「米」への愛にようやく目覚めたのであります。哀しい哉、余りに身近に在る物に、いつも必ず手近に在る物に価値を見出せないのが人というもの。かつての私はしなやかなワインボトルと寸胴な一升瓶を比べ、その中身ではなく外身にのみこだわっていただけ。優劣の差など在り得ない文化を比べ、愚かしいまでの無知と偏見に捕われていた、ワインを語る資格などない恥ずべき野蛮人に過ぎなかったのです。そしてそれ故、全二十六稿一つ一つの内に日本人としてのアイデンティティ、日本の テロワール を感じて頂けたら、この偏屈な時代遅れの存在にも価値を見出す事が出来ます。情報化により世界が狭く為った現代、もはや我々を何者か分からなくさせて来た、益荒男ますらおの強靭さと手弱女たおやめの繊細さを併せ持つ日本の根っ子を引き抜いて来た「無闇な日本の欧米化」にはワインの澱ほどの値打ちもありません。各国のワイン法に支えられ、単一年、単一品種、単一畑が一層尊ばれる昨今、世界でも稀な単一民族、単一文化、単一言語を有する日本を尊ばない法はありません。世界基準の下、日本人は日本のテロワールを表現しなければ世界に認められないのです。

 さて、「ワインはボトル1本毎にドラマが生まれ得る」という事を旨に、唯の知識のひけらかしを忌避し、一つの読み物として読み手の皆様を楽しませる事が出来るよう、言葉を連ねて参りました。一語に込められた言葉の深みは曾て無い程に軽視され、「ただ通じればそれで良い」という軽薄な言葉が蔓延はびこるこの時代。既に上っつらだけの当り障りの無い知識のみから作成されたサイトと商業的広告ばかりが氾濫するこの時代。私生活のみならず言論及び思想の自由が脅かされ、創造的想像力が欠如し、物質的に豊かな、精神的に貧しい、小さなつぶやき声にさえ操られる、実行を伴わない指先一つの便利で空虚で不健康な社会の中、人の心を動かし、知性を刺激し養う大胆な書き物は益々淘汰されて絶滅に瀕しております。人類の叡智を宿す書物達が、かびが生えて茶立虫ちゃたてむしむしばまれながら、仄暗く静寂な図書館の地下室で誰にも読まれず朽ちて行くように、私も自分の言葉を胸に抱いて朽ちて行きましょう。

 一方、そんな私の小言など意に介さず、葡萄酒という飲み物はどの様に描写されようと、人々の目がくらむ陽の当たる場所で泰然自若としているようです。世界で最も安価でありながら最も高価な液体であり、常に容赦無く向けられている言葉の矛先を難無くかわすこの飲み物には、如何なる中傷も、称賛でさえ超然と受け流すその態度には、混沌として強靭なディオニュソスの精神が今尚ほとばしり出ているかのようです。人間と一万年も附き合っていながら未知の要素を今だに保持し続け、渇きを癒やす快楽を与えるのみならず、人間の知的好奇心を掻き立てる事によって、実用的産物から教養的文化へと昇華するこの飲み物を神聖視する事に、一抹の不思議もありません。たとえどれほど科学が発達しようとも、目に見えない何かの働き掛けによる創造物を「神秘的」と思う人の心に不思議はありません。カナの婚宴にてイエスが起こした最初の奇跡──水を葡萄酒に変えた奇跡──の様に、人類の働きをねぎらう為に、悩みを癒やす為に、争いを収める為に、そして愛を包む為に、葡萄酒は生まれたのです。そしてワインの最も神秘的な特性の一つは、何十年にも亘り、時には百年を越えて進化し向上する能力を持つものがあるという事です。その様なワインの様に、私達も為れると思います。確かに果実の成育に最適ではない環境で、生まれ持った個性の表現も求めず、手間暇を惜しんで造られた安価な大量ワインの儲けが無ければワイナリーを維持する事は出来ません。しかしそんなたちまち消費されるだけの発展能力の無いバルクワインで在る事を認められる程、人間は自尊心の無い生き物なのでしょうか。少なくとも私達はえて酢に為り行くだけのワインなどとは違います。「良い熟成をするためには若さが大切。人もそうでありたい」と故デュブルデュー教授も私達を勇気付けて下さいます。この追求は、円卓の騎士達が目指した、終に手にする事の無い聖杯ではない筈です。

 この学会で扱ったほとんどの主題は、読み切れない程に他のサイトでも扱われ、全く斬新な物では御座いません。しかし此処で敢えて語り尽くされた感のある、WEB内に溢れ返る同一テーマを選んだのは、ひとえに「同じワインでもサービスする人が違えば味わいも違ってくる」というソムリエ業界の真実を示したかったからなのでありますが、さて、お味の方は如何でしたでしょうか? もしも、極力自然を尊重して造られた私の人工ワインに「悪酔いした」と仰る方は、それはまだ飲酒経験が十分でないか、或いは既に飲み過ぎたかのどちらかです。しかしご心配無く。私のワインはあなた方の体を害する事も無ければ、翌日肌をたるませる事もありません。念入りに選別された言葉という葡萄から、適切な管理の下で考案を醗酵させ、思考を熟成させ、そして文法的にも健全な、全要素に調和の取れた葡萄酒に劣化臭はありません。但し一つ気に掛かるのが、数パーセントの割合で発生するブショネという欠陥品です。本日この会にお越しの皆々様、万一そんなの生えた古臭いワインを見付けられましたら、何卒お近くの問い合わせ係までお知らせ下さいませ。当会は責任を持って代替え品をご用意致します。

 以上にて、ネット上におけるワインエキスパートとしての使命は果たせたものと思います。元来ワインは神と人との交流を図るものであり、一人で飲む事はあり得ず、その本質は不変で、今なお最も社交的な飲み物として世界中の人々の仲を取り持っています。即ちワインを飲む最大の楽しみの一つは互いの事を分かり合い、その貴重なひと時を分かち合う事にありますので、もし ワイン検定 にて直接喜楽の時間と有益な知識をご共有出来ましたら望外の喜びです(呼称資格試験とは違い、飽く迄ワインを楽しむ為の検定で、落とす為のものでは御座いません。が、それに繋がるものであります)。

 では最後に、ペルシャ詩人ウマル=ハイヤームの四行詩集『ルバイヤート』より、葡萄酒が有する刹那的快楽を尊ぶ我々の気持ちを代弁して頂き、瞬間の悦楽を永遠に生きるディオニュソス的生命力の充溢じゅういつを酒杯の内に見遣りながら、陽気な調子で閉幕致します。

(4) せめては酒とさかずきでこの世に楽土を開こう。あの世でお前が楽土に行けると決まってはいない。(16) 今日こそ我が青春は巡って来た! 酒を飲もうよ、それがこの身の幸だ。たとえ苦くても、君、咎めるな。苦いのが道理、それが自分の命だ。(43) 知は酒杯を褒め称えて止まず、愛は百度もその額に口付ける。(77) 信仰や理知の束縛を解き放ってのう、葡萄樹の娘を一夜の妻としよう。(79) 死んだら湯灌ゆかんは酒でしてくれ。(88) 天国にはそんなに美しい天女が居るのか? 酒の泉や蜜の池が溢れていると言うのか? この世の恋と旨酒うまざけを選んだ我等に、天国もやっぱりそんなものに過ぎないのか? (90) エデンの園が天女の顔で楽しいなら、俺の心は葡萄の液で楽しいのだ。現物を取れ、あの世の約束に手を出すな。遠く聞く太鼓は全て音が良いのだ。(97) 酒姫サーキイよ、寄る年の憂いの波に攫われてしまった、俺の酔いは程度を越してしまった。だが積もるよわいつきになお君の酒を喜ぶのは、頭に霜を頂いても心に春の風が吹くから。(110) 大空に月と日が姿を現してこの方、くれないの美酒に優る物は無かった。

Drink wines you like. Like wines you drink…

Postscript

Dear visitors to the site,

I’m so happy to hear that my site has supplied some useful ideas or information to wine lovers around the world. But my concern is that the articles here were originally written in Japanese language for Japanese people. I think, therefore, there may be difficult words or sentences for non-Japanese to make sense. If you have any queries, please do not hesitate to contact me. (I will be helpful as far as in me lies, but if there is no reply, please understand that I cannot help you.)

Many thanks.

第二十五瓶 ヴーヴ・クリコの生涯

 ワインが持つ健康への効用についての科学的見地だけでは個人的に十分ではないと思いまして、「論より証拠」、より説得力を持たせるべく、実際に長寿を遂げたワイン業界の人物を、ワイン教室形式で、本稿ではご紹介差し上げます。泡好きの日本人はお馴染み、スーパーマーケットででさえ必ず目にすると言っても過言ではないシャンパーニュ「ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン」についてです(次のレジュメは年表の形で、時代背景を追いながらマダム・クリコの生涯について記載してあります⇒https://songesdevignes.com/wp-content/uploads/2020/06/ヴーヴ・クリコ.pdf

 先ずは名前の由来ですが、「ヴーヴ」は「未亡人」という意味で、「クリコ」はマダムの夫の名字、そして「ポンサルダン」はマダムの名字から取られたものです。

 1772年にマダムの夫の父フィリップ・クリコによって、主に繊維を扱う会社「クリコ」が創業されました。この「クリコ」は小規模ながらワイン業も営んでおりまして、マダムは夫のフランソワと一緒にワイン業の方に没頭して行きます。

 しかし経営が巧く行かず夫が鬱に為ってしまい、最終的にはチフスで、マダムが27歳の時に亡くなってしまいました。当時は女性の社会的権利は皆無に等しかったのですが、未亡人ヴーヴと為る事で、社会的自由が保障されました。マダムは此処で、現代で言うビジネスウーマンの先駆けと為った訳です。

当時、評判になる女性は娼婦か女王、王妃のみ

 1810年には地域初の、記録されたミレジム(ヴィンテージ)シャンパーニュを造る事で、革新的な力を証明しました。

 大彗星が通過した1811年の葡萄は完璧で、それを讃えて生産者達は彗星マークをコルクに焼き付けました。ヴーヴ・クリコは幸運の星として、その後も使用し続けます。

 そしてこのミレジムはロシアで大称賛を受けます。ただそのお陰で在庫が切れるという、会社としては一大事に陥ります。

当時のシャンパーニュ業界は小規模であり、それを世界市場の贅沢品に押し上げた功績の多くがヴーヴ・クリコに由っている。ロシア桂冠詩人プーシキンは「ロシアの上流階級はクリコしか飲まない」と書き残した

 皆様は既にご存知のように、シャンパーニュはおいそれと造れるものではなく、途方もない手間暇が掛かります(⇒瓶内二次発酵)。況して当時の技術では尚更で、特に澱抜きに、うんざりする程の時間が掛かったのです。「これではとても需要に追い付けない」という事でマダムは考えます。そして──

ピュピトルの無い最初期の澱抜きは瓶底に澱を集め、詰め替えの段階で澱が動いて広がらない内に、最大量の透明なワインを注ぎ出せるようにする方法で、この過程で少なくとも炭酸ガスの圧力が半分失われた(1820年代に機械化)。現在は瓶口を-20℃の塩化カリウム溶液に浸け、溜まった澱を瞬間冷凍し、その凍結した部分のみ噴出させ除去するが、ピュピトルを使った当初の澱抜き法は、瓶を叩くか強く一振りして元に戻すというもの。19世紀のワイン読本には次のようにある。「デゴルジュマンは、職人がボトルを逆さに立て、ワイン少々と澱全部が口から吹き出す間だけ、コルク栓を抜いておく。しかしそれ以上一瞬たりとも時間がかかってはいけない。澱の動きを追える目とすばやく栓のできる親指が必要」

 ──このピュピトル、「机」の意味ですが、これに穴を開けボトルを立てて動瓶ルミュアージュを行い、問題を解決したのでした。ピュピトル発明の背景には、早急な在庫確保という理由があった訳です。

小柄でどら声、器量が良いとは言えない辛辣な完璧主義者。ルイーズ・ポメリーが後に続く

 マダムは64歳で引退し、89歳で亡くなります。当時のフランス女性の平均寿命は45歳以下で、そのほぼ二倍、実に二人分の人生の時間を生きた訳ですから、マダムの生命力たるや恐るべしと言わざるを得ません(ワインによる健康などとは無関係と思えるほど丈夫そうです…)。因みに右下の女の子は14歳に為る曾孫ひまごのアンヌで、その度胸の良さがマダムにそっくりだったらしいです。

 引退後は自ら建てたこのブルソー城で生活しました。周辺には葡萄畑もあって、自分で世話していたそうです。因みにこの畑の葡萄から、有名ではないですが、シャトー・ド・ブルソーというシャンパーニュが造られています。

 マダムの死後、1877年にイエローラベルが商標登録されました。そしてスタイルも時代に合わせ、ロシア人好みの甘口から、ドライ、即ち中甘口のセックと言うところでしょうか、そして辛口のブリュットへと変えて行きます。

元々、需要を満たす為に多量の糖リキュールを添加し、摘果後12ヶ月以内に飲めるようにする為に甘口(ドザージュ150g)が主流だった。Brutの意は「自然のままの」、即ち「加糖していない」という事(現在の法規定では含有糖度15g/L以下)

 一方、現在もなお変わらずに引き継がれているものとしてはいかりマーク。特に希望の象徴という事で、創設者のフィリップ・クリコの時からずっと使われています。

 またこの字はマダムのサインから取られたという事です。

 現在ヴーヴ・クリコは所有する葡萄畑の内96%程がグランクリュとプルミエクリュで──

 ──ドザージュを少なめにする事で、ハウススタイルであるピノ・ノワールの特長を活かしています。

精妙なワインらしい旨味のあるロゼ造りのモデルとして有名

 1972年にはマダムのビジネス精神に敬意を表して、次の様な賞も作られました。

シャンパーニュ業界程に女性の影響を受けたものは世界にない、と歴史家は断言

 合わせてその年は創業二百周年という事で、ヴーヴ・クリコ初のプレステージシャンパーニュ「ラ・グランダム」が造られました。

 此処でこの偉大なる貴婦人マダム・クリコの功績をまとめますと、シャンパーニュの国際化、ブランドの確立、そしてピュピトルとルミュアージュという事になります。

 2010年にはバルト海から沈没船が見付かって、其処からヴーヴ・クリコも出て来たそうです。

現在の様なカラフルなラベルが無かった当時、一度荷解きされた後、どのメゾンのワインかを見分けるのはコルクの焼き印とボトル首周りの封蠟に頼るしかなかった

 最後に、現在のメゾンの様子はこんな感じで──

 ──実にお洒落ですネ。

本日の箴言

 あなたに秘密をひとつ教えましょう・・・これほど度胸の良いあなた、あなたは誰よりも私に似ています。それは私の長い人生で、私にとってはとても役に立った貴重な性格でした・・・私は現在、シャンパーニュの偉大な貴婦人La Grande Dameと呼ばれています! 自分の周りをご覧なさい・・・世界は絶えず動いています。私たちは明日の物事に投資しなければなりません。他人よりも先に行かなければならない。決意を固め、厳格でありなさい。そしてあなたの知性をあなたの人生の導き手となさい。大胆に行動しなさい。もしかしたらあなたも有名になれるかもしれません・・・

 曾孫娘アンヌに宛てた、マダム・クリコの手紙より

記念日の一本

Veuve Clicquot Ponsardin 1983 Brut Reserve

 オレンジを帯びた淡い琥珀色、澱在り、気泡は点在。極めて酸化熟成が進んだ状態で第3 アロマ のみ:モカ(コーヒーまでは行かない)、クリーム、カラメル、胡桃、蜂蜜、べっ甲飴やほんのり漢方薬の匂い

 口に含むと微細な泡ペティヤンの刺激。胡桃様の乾燥ナッツ風味の中に、強靭な酸が弦の様な一本の線となって全体を貫いている。雑味や粗さが全く無いマウスフィールと共に、苦味を伴う余韻は非常に長い。シェリーのオロロソや紹興酒に高い酸度を加えたような印象。知人からの頂き物で非常に良い経験をしたが、何でも古ければ良いという訳ではない事もまた再確認。熱劣化や酸化(⇒ワインの欠陥と非欠陥)が進みマデイラ化した白ワインには、トロやブリの様な脂身の有る魚の刺身(ナッツ様の風味同士で、また醤油を付け メイラード反応 同士で一致)、雲丹うに(雲丹の強いヨード感をワインのヨード感が和らげながら調和し合う)、胡桃系菓子(風味の同調)などと合わせられる〈2018年5月〉

第十七瓶 お役立ちワイン映像集

 此処で一区切り付きました。熱し易く冷め易いアルミニウムの様な私がこの第十七稿まで辿り着く事が出来ましたのは、ひとえに数少ない読者様の貴重なクリック数が積み重なる事によって、1円玉よりも軽い私の心を𠮟咤激励して下さったお陰であります。畳に正座し両手をついて深々と平伏、御礼申し上げます。しかしながら私も含め、延々とした文字の羅列にお疲れの様子が犇々ひしひしと感じられます為、本稿は文字ではなく映像に語らせる事と致します。YOUTUBEなる時代の寵児の力をお借りして、皆々様の目と耳と頭を喜ばせる事を主眼に置き、見て置いて損はない映像を選びました。英語の資料が多いですが、映像だけでもワインについての理解が深まる筈です。それぞれ是非一度、お試し下さいませ。

・葡萄栽培からワイン醸造、製品出荷までの一連の流れが、通が好みそうな視点から紹介されます⇒”Discover the Art of Making Wine”(29:22):https://youtu.be/4UJmB3EqhU0

・シャンパーニュの製造過程(ボランジェの設備現場)⇒”Pop the Bubbly! How Champagne is Made!”(4:24):https://youtu.be/dVtIIjm4lSQ

の製造過程(ブルゴーニュの名手ルイ・ラトゥールの樽職人の作業)が簡潔に纏まっています⇒”how a wine barrel is made”(7:41):https://youtu.be/BReofCcAx-Y

(菊正宗、吉野杉を使った樽酒の製造過程も比べてご覧下さい)⇒”Taru Sake-binzume”(5:06):https://youtu.be/sYiIQHVJ6Fc

・GuildSomm制作、様々なテーマの映像集、気になる物をどうぞ⇒https://www.youtube.com/playlist?list=PLDFWTWdngwd8BvxfWjIUCCGRoZ-k11w-r

〈田崎真也氏関連動画〉

・1995年ソムリエコンクールでの雄姿⇒「クローズアップ現代」(28:59):https://youtu.be/j4B8eeSmKrY

・「料理の鉄人」中トロ対決。見事なサーベラージュ・パフォーマンスあり、今は亡き女優の川島なお美さんも出演されています。ネタバレですが、中トロとチョコと赤ワイン、本当に合いますヨ^^⇒”Iron Chef – Fatty Tuna (1998)(41:29):https://youtu.be/mvQpPJSV070

・その言葉の表現力に脱帽「トリビアの泉」⇒「苦汁をなめる」vs「辛酸をなめる」(9:04):https://youtu.be/EYjGdsy4MNk

・その味覚の測定力に脱帽「トリビアの種」⇒「日本のまわりの海で一番しょっぱいのは▢」(9:06):https://youtu.be/-hN5fOcgfQU

〈お勧めワイン映画〉

・「サイドウェイ」(原題 SIDEWAYS):カリフォルニアのピノ・ノワールを進化させるきっかけと為った映画。2004年公開以前はカリフォルニアのピノはほとんど知られていなかった為、生産者や飲み手はピノの本質を理解しないままパワフルさを求めていた。しかしヒットを機にこの品種の個性と向き合うように為った。幾度の視聴に耐え得る、中年男二人組の七日間の珍道中(2004年度アカデミー賞脚色賞、ゴールデン・グローブ賞作品賞・脚本賞)。日本リメイク版「サイドウェイズ」は…もし偶々たまたまTV放送されていたら見てみてネ

この地図内で、主に物語は展開されます(THE WORLD ATLAS OF WINEより加筆)

・「ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち」:専門的な内容も含まれるが、現代日本ワインの父と称される麻井宇介氏の哲学が垣間見られる映画。日本ワイン愛好家にとって同名小説は必読

・「ブルゴーニュで会いましょう」(原題 Premiers Crus):「サイドウェイ」が飲み手視点の一般向きとするなら、こちらは造り手視点の通向き。或る程度葡萄栽培の知識を蓄えてから見るとより楽しめる

・「ボトル・ドリーム カリフォルニアワインの奇跡」(原題 Bottle Shock):1976年にパリのアカデミー・デュ・ヴァン創始者スティーヴン・スパリュアが開催した、フランス対カリフォルニアの銘醸ワインの比較ブラインド・テイスティング、後に「パリスの審判」として知られる、カリフォルニアワインを世に知らしめたエポックメイキングな出来事を題材にした映画

本日の箴言

 ワインが持つ機知は、賢人を惑わせ、知識人の心を浮き立たせ、厳格な人間を笑顔にする

ホメロス

休日の一本

Nielson by Byron, Pinot Noir 2012(Santa Barbara County, Central Coast, California)

 上記の映画「サイドウェイ」にて最初に登場するワインがこのバイロン(の単一畑100%ピノから造られた幻の泡)。サンタ・バーバラは海からの冷たい風や霧が流れ込む冷涼な場所ゆえ主要品種は早熟のシャルドネとピノ・ノワール(※)。その中のサンタ・マリア・ヴァレーやサンタ・イネズ・ヴァレーは「ブルゴーニュのコード・ドールに対するカリフォルニア南部の反撃拠点」とも言われ、より冷涼な環境下にある。この辺りは極端に降水量が少なく(冬前は冷え込んで雨ばかりだが)、秋の降雨もめったに無いため急いで葡萄を収穫する必要も無く、成熟期間を非常に長く取れる利点があり、葡萄はより風味を蓄える事が可能と為る(この超完熟の反動として、現在は新鮮さを求めて早摘み傾向にある)

 ※ 晩熟のカベルネ・ソーヴィニョンやリースリングなどよりは成熟するのに熱が必要でない為、早い発芽は春霜の問題を伴うが、冷涼地や夏が短い場所に適する品種(例えばカベルネは温暖な気候でないと育たず、故郷のメドックやグラーヴでさえ毎年完熟するとは限らない。一方で北部カリフォルニアやチリの様な日照量のある温暖地では素晴らしい単一品種ワインになる〈映画内のサンタ・バーバラの畑が、コート・ドールでは丘に在るのとは異なり平地に在る事に注目。平地でも十分日照量があるという事。またカリフォルニアは曾てメキシコの植民地であった為か、メキシコ人労働者が映る事も見逃す勿れ。不法入国の問題もあるらしいが、熟練の労働力は貴重〉)。シャルドネは頑丈で耐寒性が有る。ピノは糖度が直ぐに上がるため比較的冷涼な土地でも高アルコールになり易い、が逆に暑い地域で育てられると早く成熟し過ぎて薄めの果皮に含まれる多くの風味成分を十分に育む事が出来ない

 黒紫がかった濃いめのルビーと豊かな粘性はエキスの濃厚さを感じさせる。昼夜の寒暖差もあろうか、カリフォルニア的暑さをも感じさせる十分な成熟度に達した果実香には安定感があり、プラム、ブラックベリージャム、カシスリキュール、黒胡椒、鉄っぽさ、薔薇、ナツメグ、樽 由来のヴァニラやトースト、若干スーボワの アロマ も取れる

 スマートな甘さのあるスケールの大きい第一印象。豊満な果実味、上品な酸味、滑らかな 渋み、仄かな苦味さえ心地良いのは全体のバランスが取れている為。濃厚さのみならず繊細さや上品さをも備えているところは美事。今でも十分楽しめるが、あと五年待ってみたいと思わせる程の質

 16~18℃、瓢箪型 グラス で。レバーパテ(癖のある脂味に品を添える)、ポン酢がけ豆腐ハンバーグ(酸味や風味のレベルの一致)にも良く合う〈2015年6月〉

第十六瓶 華麗なる賭け

 「──あと一つ、これさえ当てれば僕の勝ちだ。この淡い黄金色、十分に溶け込んで永続的に立ち上がる、コルドン状のクリーミーな泡立ちは疑いようも無く 瓶内二次発酵 で長期の シュール・リー を経ている。少なくとも三年は瓶内熟成をしている筈。それは顕著なトースト香からも明らかだ。レゼルヴ・ワインを多めに、恐らく三割程ブレンドしているな。蜂蜜やアーモンド、そしてこの焼き林檎やスパイスの香りが退廃的だ。強いが優美で生き生きとしながらも複雑な味わい、痛い程に切れの良いクリスピーな酸味と鮮やかな果実味、白亜質土壌を感じさせる ミネラル、これはシャンパーニュか? アルコール度は…もう痛覚が麻痺して分からない。ブリュットスタイル、品種はシャルドネが多めでピノの厚みとムニエの丸みがその繊細さを補完している。それにこのフィネス、そうだ、今度こそシャンパーニュだ。いや、既にフランスは出ている。待て、引っ掛けでまたフランスかも知れない。しかしこんな物が内のセラーにあったか? さては父さんめ、今日の勝負の為に新しいワインを仕入れたな…」

 創業四十七年の老舗「Y鮨」。古風なカウンターで八席、客の動きに目を配り気持ちを敏感に察しながら、会話を大切にして寿司を握る二代目親方は堂々たる恰幅で、如何にも職人という雰囲気を醸し出している。そして、どちらかと言えば一升瓶の方が似合いそうなその親方の提案で十二年前から扱い始めたワイン。実はこの親方、和食屋にワインという概念がまだ定着していない時代に、趣味が高じてソムリエの資格を取っていたのだ。付け場にしつらえたワインセラーには百種類以上の銘柄が揃っているが、この店の主役はスティルよりもスパークリング、中でもシャンパーニュとのペアリングには定評がある。ワインリストにはグラン・メゾンのノン・ヴィンテージからプレステージ物迄が、正に綺羅星の如く並んでいる。ガブリエル・ボヌール・シャネルやマリア・カラスが愛飲したクリュッグ、グレース・ケリーの心に適ったペリエ・ジュエ、単一の品種・産地・収穫年を誇示するサロン、1876年ロシア皇帝アレクサンドル2世の為に造られたルイ・ロデレールのクリスタル、驚くべきは、19世紀後半のフィロキセラ禍を生き延びたピノの老樹から生まれるボランジェの ヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズといったマニア垂涎のボトル迄が載っている事だ。そして自他共に許すワイン通のJ太郎は、毎週末は必ずと言って良い程、同い年の親方の寿司と会話を楽しみに来店する、十年来の最も古い常連の一人である。

「Jさん、ちと一つ相談が有るんだけど…」

「炙ったトロに、大根と玉葱の磨り下ろしにポン酢を付けて濃くの有るヴィンテージ・シャンパーニュを合わせる、いやー、コレ最高だね!」

「Jさん、聞いてる?」

「シャリに染みる赤酢の強い甘味が、またシャンパーニュとの相性を一層高めるんだな!」

「Jさんってばよ!」

「何だい親方、大きな声出して。客が俺一人だから良いものの、誰か居たら店の評判を落としているところだぜ」

 時は新型コロナウィルスが猛威を振るう西暦二〇二〇年五月、政府が要請する国民の外出自粛で飲食業界は大打撃をこうむっていた。

「だからこうして面と向かってじっくり話が出来るんじゃねえか。で、その話ってのが今出前に行ってる大馬鹿息子の事でよ、俺等ももう直ぐ六十路むそじ、遅蒔きながら授かった二十九になるS男にしっかりとした後継ぎに為るよう仕込んで九年目、なのにあの野郎、いきなり後は継がねえなどかしやがった」

「それはまたどうしてだい?」

「けっ、あの大たわけのこんこんちきめが、三十路みそじを前に新しい事をしてぇとか言いやがって、全く信じられん奴だぜ」

「確かになぁ、この店はお客さんも付いてるし、親方の代で暖簾のれんを下げるのは職人として悲しい事だなぁ。俺もS男君がてっきり三代目に為るんだと思ってたのになぁ。親方が築き上げた暖簾に恥じぬ技術と味、そして接客も中々堂にって来たのになぁ」

「なぁに、まだまだ全然なっとらん、あの程度のもんではな。だが知っての通り、内は先代から家族経営で遣って来ただろぅ、息子が継がなけりゃあこのY鮨も終いだ」

「それは俺も困るな、親方が引退したら俺の唯一の楽しみも無くなっちまう」

「こっちも引かねえ、あっちも引かねえ。で行き着いた先が『賭け』って訳よ。俺が選んだワインを五つ全て当てられたら『好きにしろ』ってな。其処でJさんを男と見込んで、保証人も兼ねて審判として立ち会って欲しいんだ。家内には下らんと一蹴されちまってな。全く男が通すべき筋ってもんが分からねぇ奴だよ、ああ情けねぇ。だから頼む、こんな事を言えるのはあんたしか居ねぇんだ」

「俺が親方の頼みを断れる訳無いじゃないか、と言うか、親方には悪いが個人的に興味津々な話だ。目隠しって事だろ。ふむ、しかし勝ち目は有るのかい、S男君の嗅覚と味覚は神懸かってるぜ」

「だからこそ内にはあいつが必要だし、それに十八番おはこで負けたならあいつも潔く後を継ぐと認めるに違えねえ」

 確かにS男が板前に立ち始めてから、Y鮨が提供する組み合わせに一層磨きが掛かった事にJ太郎は気付いていた。

「寿司の風味を邪魔しないよう、シャンパーニュは若干低めの温度でお出しします」、「寿司には 樽 を効かせた物よりすっきりとした風味の物をお選び頂くと良いですよ。酒質がしっかりした物だと味わいが負けるネタもありますし」、「ほんのりとした甘味を持つセックで酢飯との相性を楽しんでみられてはどうですか」、「生牡蠣、アワビ、赤貝など貝類には白のシャンパーニュ、生魚の白身にはロゼ・シャンパーニュが合いますよ」、「ネタの臭みを抑える為に軽く炙ったり、付ける調味料にも凝ってみました。例えば白身には酒と鰹の出し汁で割った土佐醤油、生だこには沖縄の苦味を抑えた塩を使うとか…」

 S男はお客を感動させる為に色々と趣向を凝らし、好評を博しても決して驕らず、「ひとえにお客様との会話が様々なアイデアを思い付かせるんです」と、謙虚な姿勢も崩さない好青年であった。常に提案はするが、その口調は押しつけがましさを少しも感じさせず、最終的には「お寿司とシャンパーニュの相性が好いのは当然ですので、好きなように楽しんで下さい」という姿勢が、客をゆっくりとくつろがせる雰囲気を生む。飽く迄「Y鮨では寿司が主役、ワインには脇を固めて貰う」と言う親方の信念も理解する立派な後継ぎだと、馴染み客の誰もが信じている筈だ。

「そういう事で宜しく頼むぜ。勝負は一週間後、Jさんがいつも来る時間に合わせるよ。どうせ客も来ねえし、その日は店を閉めるぜ。感謝の気持ちと言っちゃ何だが、今日は俺のおごりだ、遠慮無く遣ってくれ!」

 J太郎は「親方の余裕は何処から来るのか、何か秘策でもあるのか」といぶかしみながら、お言葉通り遠慮無く、スマートフォンを取り出して気に入りの音楽を流し始めた。「シャンパーニュと寿司とベートーヴェン」、この三位一体の内に彼はこの世の至福を見出していたのだ。其処迄はまだ可愛い方だった。そのあと親方が本当に「遠慮の無い奴だ」と思ったのは、J太郎が酔った勢いで付け場に押し入り、セラーで長年安眠していたフィリポナのクロ・デ・ゴワセ1989を叩き起こした事であった。親方は「人選を誤った」と、心の底から反省した…

 そして一週間後の同時刻、役者は揃い今正に決戦の火蓋が切られようとしていた。S男はやや緊張した面持ちで、一方親方は鷹揚な態度でカウンターの客席に座っている。そして上擦っているのか、そわそわと二人の後ろを行きつ戻りつしているJ太郎に顔を向け、おもむろに口を開いた。

「Jさん、付け場を通って奥の冷蔵庫を開けて見てくれ。下段の手前に五本、ワインが立っている。それを好きな順でS男に出して遣ってくれ。あと手間だが抜栓も頼むわ、事前に俺が開けても良かったんだが、まあ念には念を入れて、だ。少しの疑いも残さねえようにな」

 J太郎は待ってましたとばかりにいそいそと、寿司職人にとって神聖な板前を横切り、カウンターの照明が十分に届かない奥の暗がりの中、冷蔵庫の明かりに照らされて身構えているワイン達に一本一本お目通りした。そして密かに独りちた。

「親方も其処まで人が悪くはない、アイテムは五本全て泡、しかも其々違った個性の有る物ばかりだ。或いは親方はS男君を止める気が無いのか?」

「そしてS男、当てるのは生産国のみで構わん──」

「矢張り親方はこの勝負、S男君に譲る気だ」

「──但し、一つずつ出すから、それに一つずつ答えて行く事。要は一発勝負五連戦、外した時点でお前の負け、武士に二言は無いというやつだ」

「決めたらもう後戻りは出来ない、という事だな、親方」と奥から姿を見せないままJ太郎が言葉を付け足した。恐らく親方は「一度抜けたらY鮨に帰る事は断じて許さん」と言いたかったのだろう。

「望むところだよ、父さん。それで後腐れ無いならね」

 J太郎はコルクを抜く作業に入った。この発泡ワインの抜栓は何度やったか知れない。もう目を瞑っていても失敗する事は無い。既に彼の手は無意識の内に キャプシュル を剝ぎ、飛び出さないよう左の親指で王冠の上部からコルクを押さえつつ、右手でミュズレを六巻き回して緩めている。そして右手を瓶の上げ底に持ち替え、左手は変わらずに一式全て押さえた儘、瓶を回してコルクを瓶内気圧で持ち上げて行く。そしてコルクを傾けるようにして瓶との隙間から炭酸ガスを少しずつ抜いて行く。

「ス──…」

 この「淑女の溜め息」、何度聞いても飽きはしない。此処で直ぐにボトルを直立させると泡が吹きこぼれる事がある。最後まで注意を怠らない事だ。この一連の動作に掛かった時間は如何程か、せいぜい二十秒といったところか。そして彼はY鮨ご愛用、リーデルの卵型シャンパーニュ用 グラス に人数分注ぎ、二人の面前に持って行った。そして腕を伸ばして付け台の向こうの木製カウンターに其々置いた。グラスの底に付けられたレ-ザーの跡から無数の泡が美しい筋と為って立ち昇り、ピチピチと液面で弾けている。その様はまるで円形の舞台で軽やかに翼を広げて舞い踊る天使達を思わせた。

「さあ先ずは小手試しにこのワインからだ。S男君、当てて見給え」

 その時J太郎は付け台の向こうに居る二人を前に、板前から見る満席の状況をも想像しながらぐるりと見回し、一種異様な悪寒に襲われた。

「この風景はまるで別世界だ。二人の心情が手に取るように分かる。こんな風に寿司職人達は客の表情を見、そしてその心の中までをも見ているのか。それを思うと、自分の此れ見よがしの態度がおこがましく思えて仕方が無い。今後は頭勝ちな態度は改め、純粋に楽しむ心で寿司と向かい合おう…」

「綺麗で生き生きとした泡立ちですね。ただやや大きく直ぐに弾け、十分に溶け込んでいないようですので、瓶内二次発酵だとしてもシャンパーニュ程の瓶内熟成期間は経ていません。柑橘系や林檎のチャーミングな香りが主体ですが、其処にアーモンドの花が混じり、また土っぽさ、樟脳に似たフェンネルも感じます。これだけで答えは分かりましたが、念の為に味わいも見て置きます。矢張り香りから想像出来る通りのフレッシュな果実味がこのワインの魅力、そして後味に残るグレープフルーツ様の苦さ。パレリャーダの花やかさ、何よりマカベオの果実感とチャレッロの独特な芳香が良く表れたカヴァ、スペインです」

「正解、これは俺でも分かったかな。んん、暗雲をイメージさせるこの苦々しいゴムに殺虫剤の 匂い、明白だ。フルートグラスの方が適切だな」

「じゃあ次を宜しく、Jさん」

 J太郎は手ぶらで再び奥に姿を隠したと思ったら直ぐに黄金色の星々で煌めく液体を湛えた三脚のグラスを持って現れた。見事な手際の速さである。

「モノトーンな麦藁色をしています、長い熟成を経たのでしょうか。しかし泡立ちは健在でデリケート、これもトラディショナル方式でしょう。シトラスや花梨のドライフルーツ、蜂蜜、そして籠もりがちですが藁や松脂の様な香りも取れます。味わいは香り通り、シトラス系のフレッシュな酸の有る果実味を蜂蜜様の甘やかさがコーティングし、樹皮の苦味に近い独特なフレーヴァーが後半に掛けて濃くを与えます。そしてシャンパーニュのトーストとは異質の、酵母の自己分解によるスモーキーな風味も感じます。もう一度味わって見ますと、ピークを越え体力が衰えて酸化スピードが速いのか、蜜柑の果肉や熟れた林檎など、より潰れた果実の印象に変わり、ほんのりお醤油や鰹出しのニュアンスに加え、蜂蜜やナッツ、カラメルにヨード香など メイラード反応 の特徴がより強く現れます。恐らく店の売れ残り、品種はシュナン・ブラン、ヴーヴレィ、フランスですね」

「これも正解。親方、ヴーヴレィ、あんま出てないのかい? こんなに値段以上の質なのに」

「シュナン・ブランに興味の有るお客は中々いなくてな、処分だ、処分」

「俺だったら安めのシャンパーニュと答えちまうな。しかし泡立ちの強さがより穏やかだからクレマンの線も考えてしまう。確かに深みはやや欠けるが、うん旨い、流石『貧乏人のシャンパーニュ』!」

「おいおい、飲んでないで次を頼むよ」

「おっと合点承知の助だ」

 アルコールが入って来たからか、J太郎の動きに滑らかさが増した。体内に入ったアルコールはほぼ全て血管内に吸収されるが、炭酸ガスもまた真っ直ぐ血液に入り、その二酸化炭素を酸素と交換するため血行が早まり、アルコールと共に全身を巡る。泡物が忽ち人を好い気分にさせるのはその為である。

「泡立ちは非常に激しくクリーミー、檸檬よりも甘味が有り酸味が低めのマイヤーレモンや青林檎が若々しさを、ブリオッシュまで発展したイースト香が深みを、そして薄口醤油や新鮮な生姜の香りが複雑さを生んでいます。爽やかでシャープな、ジリジリとした酸はシャンパーニュ的ですが…軽めのミネラル、肉厚なマイヤーレモンのクリスプな風味が一貫するピュリニースタイル…しかし明るい太陽を良く浴びた果実味、そして炭酸ガスの抜けの早さ、これは良く造られたカリフォルニア、ソノマのカーネロスA.V.A.、答えはアメリカです」

「お見事、流石だね。このカリフォルニアの快晴を思わせる果実感と酸とミネラル、これもまた旨し。ただ確かにクリーミーな泡立ちは持続性も有るが、絶対量が少ないのか激し過ぎるのか、スワリングや時間経過で弱く為り易いな」

「S男、水を飲んで置け」

「またその話かい、父さん」

「何だい、何か訳ありかい?」

「はい、水は口内のリフレッシュには好いのですが、舌に膜を作ってしまい、又ワインの濃度も薄まります。加えて口内の水分量が増えてより酸っぱく感じてしまうのです。水を口にしないと余韻から前との違いが分かり易くもなります」

「へぇ、そうなのね」

「誰に似たんだか、こいつは人の言う事を聞きやしねぇんだ。さあ、四本目」

「あいあい、ちいとお待ちよ」

 アルコールが回って来たと見え、愈々いよいよJ太郎の身のこなしには剣道部時代の瞬発力が戻って来たようだ。

「グラデーションのあるやや濃いめのレモンイエロー、健全な若々しさが溢れるようで美しいです。繊細で強い発泡はツーンと鼻を刺激する程。果実主体の香りは洋梨、白桃、グレープフルーツ、レモンカード、そして白い花とパンジェントなスパイス香、仄かに白いパンの アロマ も感じます。スワリングしてみると温度がやや上がった為か、パイナップルキャンディも出て来ました。口に含むと、粒々とした泡の心地良い刺激の中で果実味が豊かに広がり、その内に穏やかな酸味と仄かな苦味が一貫します。ソフトなテクスチャーが味わいのバランスを引き立てます。第二アロマ主体のシャンパーニュとは違い、第一アロマがメインですので新世界の泡でしょうか? しかし透明感のある ミネラル によるフィネスは旧世界…」

「S男君、額から脂汗が出ているが、大丈夫かい?」

「ええ。仄かにアーモンド香、円い酸味、緩めのボディ、そしてやや高めのアルコールはシャンパーニュよりも温暖な場所。答えはフランチャコルタだ! ロンバルディア、イタリアです」

「ご明察! いやー、もう此処迄かと思ったが、大したもんだ! 俺なら復カリフォルニアと答えていただろうね。正直フランチャコルタには良い印象は無いんだが、このカデル・ボスコは素晴らしい。今迄試した中でも最上だ」

「S男、顔色が悪いぞ。もう止めにするか?」

「此処まで来て何を言うんだ、しかもそれでは僕の負けだ。さあJ太郎さん、最後をお願いします」

「お、おう…」

 皆様は「酸蝕さんしょく症」なるものをご存知だろうか。pH5.5以下で歯の成分であるリン酸カルシウムは歯のエナメル質から溶け始める為、長時間酸性の物を口内に入れて置くと、やがては冷たい物が染みたり、虫歯の様な痛みを伴う症状である。WSETの教科書には、ワインのpHは2.8~4.0(一般的に赤は3.4~3.6、白は3.0~3.2、序でに日本酒は4.2)とある。低いほど抗酸化・抗菌作用が高まり、照り・輝き・透明感をワインに齎す為、造り手は低pHを目指すという(低pHでは亜硫酸が良く働く為、添加量が少しで済むというメリットもある)。特に低いのはドイツのモーゼル、リースリングのカビネットクラスで、pH3.0以下。同様に冷涼地で造られるスパークリングワインの酸度が強いのは言うまでも無く(専門家に拠ると、炭酸は人の味覚に酸っぱく感じさせるが〈⇒参考:味わいの分析図 の触覚〉、弱酸の為pHには殆ど影響しないという)、今回のテイスティングの様に何も食べず、S男の様に水も口にしないのでは、これを患う者の歯には神経を付き抜ける激痛が走る。

「さあS男君、これで最後だ」

「(傍白)もう歯がきしんでキリキリ痛む。くそっ、堪えろ。──あと一つ、これさえ当てれば僕の勝ちだ。この淡い黄金色、十分に溶け込んで・・・」

 今迄の弁護士の様な雄弁振りが嘘であったかの如く、S男は一転、独り自分の魂の深淵を見詰める哲学者の様に目を閉じて黙り込み、眉間に皺を寄せ、最後のワインと激しい歯痛と闘っていた。もう彼の歯髄は酸という鋭利なやいば寸々ずたずたに切り裂かれ、これ以上ワインを口に出来る状態ではなかった。一口目の記憶を手繰たぐり寄せ、感覚ではなく思考と理論で生産国を当てるしかなかった。しかし実際は痛みで彼の頭脳は働かず、「今度こそシャンパーニュだ。いや、既にフランスは出ている。待て、引っ掛けで復フランスかも知れない…」が堂々巡りするだけであった。もうこう為ってしまっては他に思い付く所は無い。

「S男、答えは決まったか」

「・・・シャンパーニュ、フランスです」

 J太郎もまた何も言わず、ただボトルをS男の前に静かに立てた。「NYETIMBER PRODUCT OF ENGLAND」という文字が大きくラベルに記載されていた。マルチ・ヴィンテージの非常に素晴らしい泡だった。S男の分析は確かに的を射ていた。しかしpH3.0の酸度が彼にとどめを刺したのだ。彼の脳裏にイギリスという国は全く浮かばなかった。S男は敗北した…

 別れ際、店を出ると春の宵の涼やかな微風そよかぜが酔いに火照ほてったJ太郎の頰を優しく撫でた。そしてふと思い付いたように、見送る親方を振り向き尋ねてみた。

「ところで親方が負けていたら、S男君は寿司屋を辞めて一体何をする気だったんだい?」

「カレー屋だ」

 1568年、英国でワインに関する本が初めて世に出され、その筆者はウィリアム・ターナーというエリザベス女王の医者でありました。それから今日に至る迄、イギリス人はヨーロッパのワインについて最も多くの本を書いて来ました。「熱しにくいが冷めにくい」ロンドン市場、現在ワインの情報の七割はロンドンから発信されています。一方フランスの蔵元で醸造現場に入り込み、師の傍ら、腕まくり姿で働いて来たのがアメリカ人。しかし今、温暖化の影響でワイン生産地の北限が延長し、メキシコ暖流の影響も幾分受けて、イギリス人は自分達の国でも優れたワインを造れるという実力を証明しています。英国産発泡ワインは二十年程前から話題に上り始め、最近ではシャンパーニュとのブラインド対決で圧倒していると聞きます。しかしワイン産業においてイギリスは新天地、栽培や醸造規定はありますがフランスほど厳格なワイン法は無く、より限定された地区や区画の呼称制度もまだ存在しません。此処で思い出して頂きたいのが、親方の出した「当てるのは生産国のみ」という条件です。S男はこの言葉にもう少し多くの意を注ぐべきでした。イギリスワインの原料葡萄は、EUのAOP/PDOカテゴリーに属する最上級のクオリティ・ワインでも100%イングランドもしくはウェールズ産(※1)で、確かに粘土質のケント州、石灰質のサセックス州やハンプシャー州などから良質な葡萄が生産されます(※2)が、その法的な産地呼称はまだありません。要するに最後のワインは「イギリス」としか答えようがなかった訳です。兎角自信家は細部まで正確に当てたがるもの。もしかするとS男は英国産の泡を飲んだ事が無かったのかも知れませんし(何にせよ、彼がこの味を忘れる事は将来決して無いでしょう)、シャンパーニュを判断基準にしたのが災いしたのかも知れませんし、歯痛と12%という低めのアルコール度数(※3)を捉えられなかったのも敗因だったのかも知れませんが、今回はそんな若者に有りがちな自尊心の盲点を巧みに突いた親方の作戦勝ちと愚見する次第であります。

 ※1 次のランクはEUのIGP/PGIに属するリージョナル・ワインで85%以上がイングランドかウェールズ産かつ残りもUK産、最も下のランクはGI無しでUK又はEU産

 ※2 元々石灰質土壌が堆積するシャンパーニュ地方とイギリスとは地続きの大きな陸地で、45万年前に分離したと考えられている。実際、イースト・サセックス州のサウス・ダウンズ国立公園のセヴン・シスターズと呼ばれるチョーク土壌の露頭が在る事はご存知の方もおられよう。今後更に温暖化が進行してシャンパーニュ地方が温暖に為り過ぎれば、同じ石灰質土壌を豊かに持ち、より冷涼であるイギリスがスパークリングワインの銘醸地に為る事は疑いない

 ※3 アルコール規定において、シャンパーニュ地方のAOC法では11%以上(飽く迄私見ですが12%よりもやや12.5%の方が多いようです、知る限りで最高は Didier Chopin の15%)、一方イギリスのワイン法では8.5~15%(実際は12%が多く、知る限りで最低は Sixteen Ridges signature cuvée 2013の10.5%)と、前者より後者の方が低い傾向にある

 さて平成25年11月に厚生労働省健康局生活衛生課調査係が発表した「飲食店営業(すし店)の実態と経営改善の方策」に拠りますと、有限会社や株式会社は扨置きまして、個人経営者の年代の最多は「60~69歳」で全体の39.8%、また個人経営で「後継者あり」は21.8%しかないという事で、高齢化と後任者の問題は寿司業界の悩みの種であります(交代のタイミングは親が67歳前後、子の継承は50歳前後だそうです)。国外で寿司ブームが起こっている一方、国内では多くの鮨屋が後継者の欠如で余儀無く廃業する憂き目を見ているのが現状。寿司には大きな需要がありながら、それを供給する担い手が不足しているのです。2016年10月、G7伊勢志摩サミットでも寿司を握った三重県津市の「東京大寿司」が閉店しました。地元市民から世界の要人まで訪れる名店でさえ、この問題により四十年の歴史に幕を下ろさざるを得なかったのです。無論これは鮨屋のみならず、長年経営を続ける飲食店経営者の多くが直面し得る問題であります。(因みにこのG7での日本ワインの選定には田崎真也氏、大橋健一氏、辰巳琢郎氏等が着任されました。又「すし」の表記には色々在るようだが、一般的に江戸前では「鮨」を当てる。それは魚に何らかの仕事を施すから、詰まり「魚」を「旨く」するという意味からだという。そしてタネと酢飯を握って鮨にする「江戸前」が誕生したのは文政年間〈1818~1830〉とされ、更に小肌や鮪、穴子を定番とする江戸前風は明治初期にはほぼ確立されていたというから、我々が江戸前鮨を頂く時は同時に凡そ二百年の歴史を味わう事にもなるのである)

 ところで何故S男は転職を望んだのでしょう? 親方との内輪うちわ揉めに疲れ果ててしまったのでしょうか。それは当方が関知するところではありません。「長者三代」という言葉があるように、三代目で会社が潰れ易いのは世界中の統計が示すところですが、才能豊かな彼には一級の味わいを提供し、お客さんの舌を満足させ続けて行って頂きたいと、陰ながら応援するしか私に出来る事はありません。また何故りに選ってカレーだったのでしょう? それもまた当方があずかり知る事ではありません。クミンやカルダモン、シナモンと生姜、そしてターメリックに黒胡椒、更に加えて唐辛子、いやいやまだまだコリアンダーだフェヌグリークだのと、〆て三十から四十種もの香辛料をごた混ぜにして作られる、非常に辛くて熱いその刺激で、出来立てのあつものを啜った位で口蓋の皮がベロベロに剝ける程の敏感さを誇る猫舌な私などは、ともすると味覚崩壊を起こし兼ねないカレーなる掛け物に、嘱望しょくぼうの三代目S男のあれ程の嗅覚と味覚を捧げさせるのは惜しいと思うと同時に、この結果は寿司という日本食文化の存続の為、そしてJ太郎が生き甲斐としている週末の愉楽が失われない為にも本当に良かったのだと、感慨深く思う次第であります。

〈追記〉鮨に纏わるお勧めドキュメンタリー映画発見!“Jiro Dreams of Sushi (English Subtitle)”⇒https://youtu.be/Q3Ve7ec1HpY

本日の箴言

 ワイン文化というものは人と人とが知り合う場所であって、戦いを重ねる戦場ではない。

ボルドーの或る葡萄園に刻まれた言葉

休日の一本

Nyetimber

 1988年に伝統的なシャンパーニュ用葡萄品種を植えた、英国スパークリングワインの元祖で最も重要な生産者の一つ。ウェスト・サセックスとハンプシャー産のシャルドネ55~65%、ピノ・ノワール30~40%、ムニエ5~15%、そして20~35%ものレゼルヴ・ワインをブレンドして造られる、残糖8.5~10g/Lのブリュット(辛口)タイプのスパークリングワイン。機会があれば是非シャンパーニュに優るとも劣らぬ風味を味到して頂きたく存じます

第九瓶 ワインの欠陥と非欠陥

 前回の「ブショネ」という言葉を受けまして、ソムリエ的テイスティングのお話に入る前に、もう一つだけ必要な知識を取り上げて置きたいと思います。何故なら、試飲アイテムの不適切な品質変化は、テイスティング以前の問題ですので。同時にこれは消費者にとっても非常に重要な問題でもあります。大事な友人との会合や、大事な大事な家族の記念日、或いは大事な大事な大事な恋人とのディナーがこの為に台無しになったりした日には、私でさえ酒神を呪います。が、もし正しい知識を身に付けていれば全く問題無し、それどころかお連れ添いに一目置かれる事でしょう。ハイクラスなレストラン等「本物の」ソムリエがいる所では表題の件に関しては気にする必要はないでしょうが(その為にソムリエがいて、更にホストテイスティングがあるのですから)、特にご自宅で不良品に当たってしまっても、決して泣き寝入りせずに、コルク(出来れば中身も、勿論レシートも!)を捨てずに取って置き、手間ではありますが購入店にお問い合わせ下さい。百貨店や責任感のあるワインショップであれば間違いなく代替品もしくは返金して貰えます(決して安い買い物ではないのですから当然です)。但し、在庫処分価格の品や自宅で長期保存した物に関しましてはこの限りでは御座いません(断られても怒りでトイレに流したりせず、料理に使いましょう。前々回申しましたように、たとえダメージを受けたワインでも、熱する事でアルコールや酢酸は飛び、有機酸〈酒石酸、クエン酸、リンゴ酸〉やエキス〈糖、ミネラル、タンニン〉が味を良くしてくれます)。

(参考)ワインの適切な保存環境

 ①温度12~15℃ → 25℃からダメージ。急激な温度変化に弱い為、一定に保つ事(3℃の差でも繰り返されると、夏から冬の差より悪影響。涼しく一定の温度が化学反応を抑える。理科の実験で良くバーナーで熱したのは化学反応を促進する為でしたネ)

 ②湿度70~75% → 低いとコルク栓が乾燥して空気が入り酸化すると一般的には言われているが、「空気も水も通さない」と言う専門家も(瓶内に存在する空間だけで十分な酸素量が在るという事)。しかしその場合でも、「コルクを通してワインが呼吸する」事はないが、コルクが乾いて脆くなり抜き辛くはなろう(※)。また湿度は温度変化の緩和をもたら

 ③光の当たらない暗い所 → 退色、劣化に繋がる。直射日光は無論、蛍光灯でも悪影響。光による成分分解により「茹でたカリフラワーの臭い」出現

 ④振動が無い所 → 振動による味の不安定(酒中の分子が収まらず、味にまとまりが無くなる)に加え、澱が舞い健全な熟成の妨げとなる。また過度な酸化を促し劣化を引き起こす

 ⑤異臭が無い所 → 冷蔵庫の野菜や肉の 匂い も見事に移る。(冷蔵庫保存の場合は野菜庫で。理由は次の通り。①5℃以下に為ると酸化促進→2週間後には酢の香味発生 ②酒石酸や赤い色素は低温で結晶し易いため澱が多くなる→特にノンフィルターワイン。逆に日本酒は色素が無いので低温が良く、0℃前後の氷温が鮮度を保つ ③冷蔵庫の冷却と除湿機能から遠ざける→コルク乾燥を防ぐため瓶口をラップで何重かに巻くと良い)

 ⑥瓶を横に出来る所 → ②に同じ。一方スクリューキャップの利点は立ててもOK。湿度を気にする必要も無く、熟成も可(コルクより良い状態で熟成が進むという実験結果も。今では内部シートを通して酸素透過量を調整する技術も活用されている)

  酸素透過量(mg/ボトル):ノマコルク(通常)2,5 >ノマコルク(無酸素保管)1 >スクリューキャップ(ステルヴァン)0,3 > ヴィノロック(ガラス栓)0

 先ずは欠陥からです。

・熱劣化:ワインは28℃で煮え始める。キャラメルや煮たフルーツ香があるが、味は平板。茶色くなる事も。果実味が抜ける事で、劣化により増加する酸味・苦味・えぐ味が余計に強調されて刺々しく感じる(参考 メイラード反応)

・酸化:アセトアルデヒドの増加の明確さ。白→傷んだ林檎やアップルサイダー、ヘーゼルナッツや胡桃、クミン、メープルシロップの香味。外観からはグラデーションが無くなり、酸化した林檎の茶を帯びたモノトーンな色合い。赤→人工的ラズベリー、マニキュア除光液、ゴム、マデイラ的カラメルや溜まり醤油の風味。総合的に平板な香味、辛く苦い(えた林檎の芯の様な苦味、フェノールと酸素の反応によるえぐ味)

・揮発酸(Volatile Acidity,VA):鼻にツーンと来る酢酸やマニキュア液の臭い、バルサミコやピクルスのイメージ。エタノールを分解して生成され、低濃度なら複雑なアロマを齎すが、増加と共に品質は低下する。熟成からも発生。因みにペンフォールズのグランジ、シャトー・ディケム、Ch.Musar はニス臭のレベルが高いと言う

・ブレッタノマイセズ(Brettanomyces,Brett):馬小屋臭、鼠臭(やや甘くて土っぽい臭い)。またゴムホースや絆創膏ばんそうこう、クローヴや薬箱、そして金属臭。乾いた後味を生む。乳酸由来で、pHの高い発酵を避け、十分なSO2添加で回避可。特に若い赤〈pHの高いカベルネやシラー〉に多く、pHの低い白では稀(ブレッタノマイセズ酵母がほぼ増殖しない為、フェノレと言う)。野生酵母(腐敗酵母、デケラ)及び不衛生な樽から発生。酸化的熟成やSO2及び清澄・濾過を抑える自然派に出易い。フランスでは「テロワール の個性」という見方もあり、故意に低レベルのブレットを付与する事で、赤になめし革の匂いを与える造り手も(無論「腐敗酵母添加」という表記はされないが)。アメリカでは嫌悪

・ブショネ(Bouchonne;Corked):かび臭いコルク臭(コルクそのものの素材の匂いではない)。湿った段ボールや濡れた犬の臭い。漂白時の塩素とコルクに付着した微生物(黴)が反応して発生するトリクロロアニソール(TCA)が原因。カルキ臭により果実味などにピュアさが無くなり、ザラつきが出る。発生頻度2~4%程(コルクに黴が生えていても中身には影響が無い場合も屢々しばしばありますので、良く瓶口を拭い、ワインの香味から判断してみて下さい)

 一方で欠陥とはされない要素は次の通り。

・(アセト)アルデヒド:酸化香の一種。低濃度で、新鮮な林檎の芯を潰したような青い果実風味。多量に含むワインは風味が平板で気の抜けたようになるが、フィノタイプのシェリーなどではその存在が個性と捉えられる。濃度が高くなると刺激臭が欠陥として指摘される(酸化熟成香は一般的にフランス人やアメリカ人は苦手でイギリス人は大いに好むのだとか。それもその筈、16世紀にシェイクスピアが「ヘンリー4世」第2部第4幕第3場にて、フォルスタッフのsherries-sack礼讃でシェリー人気に火を点けたと言うし、酒精強化ワインであるシェリーは保存性が高いため英国艦隊の必需品になり何処へ行くにも持参したのですから)

・還元臭:腐った玉子、(炒めた)キャベツ、ゴムなど硫化水素由来の臭い。玉葱、青海苔、にんにく、金属など硫黄を含んだ物質の臭い。若くタンニンの多い赤では茹でた小豆、黒インク、擦ったマッチ、焼けたゴム、鉄や鉛の臭い。低濃度であれば ミネラル やトロピカルフルーツ等の香り。主にアルコール発酵中に酵母(穀物由来の酒に多いパーム、フーゼル油〈清酒の香気成分〉の香り)や酵素が生成するものと言われる。発酵中空気不足になった際、酵母が必要な窒素を葡萄中のアミノ酸から補う現象(SO2によるものではない)。籠もったような香りで酸素不足が原因の為、デカンタージュ や純銀製スプーンでかき回す事で解消される

・エステル:酸とアルコールが反応して生まれる物質の総称。適度に含まれる時は、若い白にフレッシュ、フルーティな香り、即ち第2 アロマ の吟醸香(バナナ、メロン、林檎)を与える。しかし濃度が高くなると溶剤の様な異臭となる。アルコールが齎す揮発性の高い香り

 やや込み入った話になってしまいましたが、油断すると深く暗くマニアックに為りがちな、当サイトへお越しの奇特な方々には本稿の意義をご理解頂けるのではないかと存じます。今回の要点と致しましては、ワインの味についての個人的な好みは殆ど一致する事はありませんが、欠陥を同定する能力こそが、アマチュアとプロの境界線だと考えられているという事です。したがって、勿論無理にでは御座いませんが、勉強熱心な方は、陳列や管理に特別な配慮をされていないスーパーマーケット等の処分市の、古めの品を試してみるのも参考に為ると思います(売れ残る物は大抵一般消費者が手を出しにくい高めの赤ワインゆえ、それらは熟成能力がありますので、中には思いも寄らない変化をしている掘り出し物もあったりします。日本酒においてもそうですが、酒質のしっかりした物はそう簡単にへこたれません)。矢張り知識はあっても、実際に自分の身を以て体験しなければ分からない事がある、それが人生というものです。個人的な体験談になりますが、資格試験勉強を始めて間もない頃に「これぞブショネ!」と言える程の、正に湿った段ボールと黴の臭いが付いたワインを引き当てた(?)事があります。試しに口に含んでみたところ、飲む気も起きない程にフルーティさは失われ、「いや待て、飲み込んだら旨いかも」と思って勇気を出して飲んでみたら、ヤッパリ気持ちが悪くなるだけでした。しかしこれでブショネについての理解度が増した事を思えば、誠に安いレッスン代でした(実際700円位のスペインのクリアンサランクの赤でしたが)。或いは酒に興味の無い友人の引越し時に出て来たワインを貰い受けるのも一興でしょう。26年間の放置を経て洗面所から発掘された北海道産ミュラー・トゥルガウの甘口生ぶどう酒(無濾過)、緑色のボトルを通して見ても明らかに茶色を呈する液体、瓶の底には長く連なり藁あるいはミミズみたいに為って気味悪く漂う澱の堆積〈⇒澱(フランス語 Lie リー)〉、それは化学実験室にあるホルマリン漬けの生物標本をも想起させる程にグロテスク。風味は青林檎の芯や樹脂の苦く辛い部分(酸化によるアセトアルデヒド!)、古くなった蜂蜜と焦げたカラメル(熱劣化!)、そして砕けた胡桃くるみの滓に古文書を思わせる涸れ果てた感じ(過ぎた酸化熟成!)は、生気を貰うどころか奪われる感覚に陥る、もはや健全とは程遠い胸の悪くなる老体、骸骨、ミイラ。此処まで来ると口に入れる事さえいとわしく、飲み込むとなると清水の舞台から飛び降りる勇気が必要でありましょう。どんなワインも等しく愛する流石の私もこの時ばかりはボトルを持ってトイレに向かった次第であります。しかし有り難くも、このワインは私に三つの格言を与えてくれたのでした。

 ①ただ生気が衰えて人生の虚しさを見せられるようなピーク過ぎのワインより、ピーク前のワインを飲む方が活気と快楽を味わえる。(以後、長熟ワインへの興味は減じました。飲み頃につきましては ヴィンテージ チャートを参考にしてみて下さい)

 ②全盛期を過ぎて久しい古酒は、飲んで美味しい事は無く、如何に命は衰えて行くかを知る材料に過ぎない。(したがってその様な物に決して大枚を叩くものではない、酒に必要な楽しみ、高揚感は得られないので)

 ③ワインの劣化した味を見抜く為には、良質な味を知る必要がある。(液漏れやコルクの弾力チェックは勿論、ボトルを光に透かして見て、ヴィンテージから逆算し「過度に茶色くなった/澱が多い/液量が少ない」劣化品と思しき物はもう購入しておりません。取り合えずより健全な物をお求めの方は、店の棚に陳列されている中でもより冷暗な奥の方の物からご購入下さい、眉をひそめる店員さんもおりますので密かに…)

(追記)たまに専門誌などで1800年代から現在までの同ワインの比較テイスティング特集なるものがありますが、コメントを見る限り、古い物は大方シェリーのアモンティリャード(生物熟成+酸化熟成)やオロロソ(酸化熟成)に輪に輪を掛けた風味のようです。ただ実際口にした訳では御座いませんため大胆な事は申せませんが、何にしましても、骨董品は風味の云々うんぬんに関わらず「神の飲み物」と為る事に変わりはないようです。

本日の箴言

 経験を重ね、失敗や損を繰り返しながら飲み進んでいく内に好みの評価が自由に出来、好きなワインが実際に良いワインという事になれば占めたもの。我々は飲み手として専門家になる可能性がある事を心して置くべきである。(一部改訂)

城丸悟『物語るワインたち』

平日の一本

Cabernet Sauvignon, 2012, Peter Lehmannn (Barrosa, Australia)

色素が落ち始めてややオレンジがかった濃いガーネット。粘性は非常に強い

揮発するアルコールによる高い香り立ちは、ブラックベリージャム、カシスリキュール、シダ、黒胡椒、牡丹、ナツメグ、若干ピーマンの香りも。また 樽 からのチョコレートやヴァニラ。熟成香としては革、肉、土、ほんのりトリュフも感じられる

インパクトのある第一印象。凝縮した果実味と14,5%のアルコールが甘味を齎し、スムースな酸がしなやかな骨格を生み、ヴェルヴェッティなタンニンが奥行きを添える。後半にかけて収縮していき、余韻は中程度

しっかりとコントロールされた感が伝わる(ややもすると機械的)、終始落ち度のないクリーンな印象。オーストラリア的な安定したコマーシャルワイン。グラマーな肉付きを支える酸とタンニンによるストラクチャーがとても良く、まだ5年は熟成により発展していくだろう〈2017年11月〉

第八瓶 マルゴー事件

ようやく高い金を払って手に入れたワインを飲む日が来た!」

 二十回目の結婚記念日を迎えたH夫妻。夫は愛らしい妻の為にと、毎月の雀の涙ほどの小遣いから昼食も抜いて臍繰へそくって置いた小金で、結婚年のヴィンテージボルドー、シャトー・マルゴーを密かに購入していたのだ、決して自分が飲みたいからではなく。

「何年も熟成させてやっと飲み頃を迎えたワインを開ける時が来た!」

 自分の薄給に耐える為、家計を切り詰め何とか遣り繰りする妻も今回ばかりは許してくれるだろう、決して自分一人で飲み干そうという訳ではないのだから。

 妻は忙しそうに夕食の支度をしている。そこで夫も台所へ向かった。記念日くらいは手伝いをしようというのだろうか。殊勝な事である。すると夫は包丁を扱う妻の背中を恐る恐る通り過ぎ、台所奥で遠慮がちに佇む小型のワインセラーに向かった。妻は何も言わない。きっと料理に集中しているのだろう。夫はさながら宗教儀式よろしく、澱が舞わないようセラーからボトルを神像の様に静かに引き出し、首がしっかりと上に向く角度が取れるようリトーを敷いた純銀のパニエに恭しく安置し、両手でそっと抱きかかえるようにテーブルへと運んで行った。妻をこの様に大切に扱ったのは、二十年前のこの日くらいであろうか。背後から冷たい視線が向けられているような気がするが、気のせいだろう。オリーヴの木目が美しいシャトー・ラギオールの滑らかな取っ手の感触を味わいながら、刃で鉛造りの キャプシュル に半周と逆半周の二回切り込みを入れた後、更に縦断してから切っ先を引っ掛けて取り除き、別に用意していたリトーで瓶口を拭いた。そして九巻き有る螺旋状のスクリューをコルクに慎重にじ込んでいく。六巻き入れた。コルクの寿命は二十五から三十年、やや柔らかい脆さを感じたものの、まだ弾力を保っている良い状態である。念の為に用意した二股のプロング式コルク抜き、所謂いわゆる「バトラーズ・フレンド」の出番は無さそうだ。きっと同じ所作を幾度となく繰り返して来たのだろう。既に体に染み付いているかのように一連の所作は澱み無く進められた。が、扱うワインの命の重みであろうか、一つ誤れば全て終い。ゆっくりと、しかし迷い無く正確かつ的確に動作する、数々の 器具 に囲まれたその姿は、あたかも細心の注意を払い手術する外科医の様にも見えた。ソムリエナイフのフックを瓶口の縁に引っ掛け、梃子の原理で一センチほど引き上げた。矢張り砕ける心配は無い。そして更に二巻き差し込んで残りを引き上げ、コルクを握って静かに上から空気を入れて引き抜いた。

「シュッ」

 ワインが深呼吸した。二十年振りに外の新鮮な空気を吸い込んだのだ。コルクの匂いを確かめる。底に染み込んだやや涸れたようなベリー系の香りと樫の甘いヴァニラの香りが鼻をくすぐる。かびも見当たらず、ブショネの心配も無さそうだ。長年ワインに触れ、血の様な深紅に染まったコルクの片側、それと同じ年月の妻との触れ合い。過去の記憶が走馬灯の様に頭をぎり、一瞬夫は蒼褪めた。それが何故なのか、他人には知る由もない。二人は世間では人も羨むおしどり夫婦として知られているのだから。しかし案ずる勿れ。抜栓するだけで部屋に広がる上等なワインの香りが気付けとなり、どうやら血気が戻ったようだ。意も新たに、コルクをスクリューから手際良く回して抜いて小洒落た貝殻形の小皿に置き、ナイフを畳んでポケットに仕舞った。

 それから夫は神妙な面持おももちで蠟燭に火を灯した。これは妻の為のロマンティックな演出であろうか。いや、そうではなさそうだ。着火時の硫黄臭と硝煙はシーリングファンの風と共に消え去った。少しのコルクの欠片をリトーで拭い取った後、同じ角度を維持したまま注意深くワインボトルをパニエから引き出し、右手でボトルの底を持ち直した。そして、揺らめく火に照らされて虹色に煌めく、アイリッシュカットのクリスタル製デカンターを左手で握り締め、ボトルの怒り肩を蠟燭の明かりに照らしながら音を立てずにそっとワインを注ぎ入れた。別に妻の地獄耳が気になるからではない。注ぐ時に音がするという事は液体と気体が混ざる事、即ち酸化である。まだ若い年、或いは偉大なヴィンテージならより風味を開かせる為には良かったろう。しかし予算の都合上残念ながら平年並みの ヴィンテージ であれば、余計な空気接触は香味を飛ばし逆効果になる。二十年分の澱を取り除くだけで良い。デカンターのリンスも、ワインの状態確認のテイスティングもしなかった。デカンターは事前に精製水で濯ぎ乾燥させており手入れは万全、そして一人で先に味見するとは無礼千万、ワインと共に重ねて来た歳月を妻と同時に味わいたかったからだ。橙色の炎を背後に、雲状に揺蕩たゆたう澱が首元にまで流れて来るのが見えた。一滴でも惜しむ気持ちはあれど、余計な雑味が入っては台無しである。潔く デカンタージュ を止め、ボトルに残った液量を見ると、およそ全量の九分の一であろうか、一杯の100mL程もない。上出来である。「大体十万円で買ったからその九分の一は一万一千百十一円…」などというせせこましい料簡も持たず、夫はわだかまりの無い大らかな心と、ひと仕事終えた後に見られるような晴れ晴れしい表情で、妻のいる台所へと向かった。今度こそ手伝おうというのだ。しかし無念。どれ程の時が先の神聖な作業に費やされたのか、既に料理は完成していたのである。せめてもと、申し訳なさそうに盛り付けられた皿をテーブルへと運ぶ夫。抜栓及びデカンタージュ時の確信に満ちた所作とは違い、何というぎこちなさである事か。それを尻目に温白色の蛍光灯の下、木製テーブルの上で誇り高く赤く輝くデカンターとワインボトルに切れ長の目を向ける妻。

「ど、どうだいR子、君も聞いた事くらいあるだろう。シャトー・マルゴーだよ。しかも二人にとっての大切な年のものだ」

「ああそれ?『失楽園』で心中シーンに使われたやつでしょ。覚えているわ。茸とベーコンのサラダに、鴨とクレソンの小鍋。あら偶然、今晩のメニューとおんなじ。あと青酸カリがあれば完璧ね」

 いささか緊張気味の夫とは対照的に、妻は恐ろしいほど冷静至極である。そして何程の事でもないと言うように、さっと食卓の椅子に腰掛けた。豹を思わせるしなやかに伸びた背筋はいつもの様に美しかった。そしてこの妻の反応を良しとした夫に恐れるものは何も無くなった。

「怒れる時のR子は何も言わずにワインをキッチン排水溝に流すか、ワインの空き瓶を投げて来る筈だ。長い付き合いだ。あいつの事は分かっている。しかしこの献立とワインの相性は見事だろう。カベルネ・ソーヴィニョンのややヴェジタルな印象とクレソンの爽やかさ、樽由来のロースト香とベーコンの焦げた香ばしさ、メルローと瓶熟成によるスーボワやジビエ或いはシヴェの様なセイヴォリーな味わいが、茸の土っぽさや鴨の野性味と 旨味 に同調して見事なマリアージュを生む筈だ」

 夫は男らしくデカンターを鷲摑みにし、フラミンゴの脚の様に細く長いステムの、良く磨かれた二脚の大振りの瓜実うりざね型 グラス に、赤銅色に輝く、魂の秘密に光を当てる神々しい葡萄の血液を陶酔の面持おももちで注ぎ入れた。フェネロンが言ったように、彼にとっても「ワインを飲む事、それは神を讃える事」なのである。ワインは当初から祭式など宗教的用途と結び付けられていたのだ、何の不思議があろう。真紅の果汁がけがれない酒杯を満たす程に彼の心も満たされていった。薔薇色の液体が透き通ったボウルの壁面を伝い流れ落ち、瑞々しい音を立てて泡立ち空気に触れ、えも言われぬ芳醇な香りが二人の夜を包み込んだ。さあ、ワインはそそがれた。

二人「乾杯」

(グラスの音)「チン」

(妻の喉の音)「ゴクリゴクリ」

「プハーッ! お代わり」

──ワイン狂の夫は怒りか、それとも恐れか、或いはその両方かに震える手でボトルの方を握り、どす黒い液体をついでやったとさ…

 これは現代における珍しくない悲劇であります。二十年も一つ屋根の下に住みながら、互いの趣味を分かり合えない夫婦の話は彼方此方あちこちで耳にします。定めしこの夫は有名ワインであれば、お酒に疎い妻にもワインの素晴らしさが、自分の趣味が分かって貰えると信じていたのでしょう。しかし、極めて限られた地区で限られた量のみ造られる、1855年のメドック格付け第一級シャトー・マルゴーでさえ妻の前では形無し、彼女には世界中で大量生産されている、いつでもどこでも同じ味のコカ・コーラの方が似合うのだと思い知らされたのであります。

 前置きが長くなりました。陳腐な三流小説の真似事をして何を言いたかったのかと申しますと、「こんな飲まれ方をしてはワインが余りに可哀そうではありませんか」という事です(勿論健気な夫もです)。たとえ焜炉こんろの熱を浴びてどれほど喉が渇いていたとしても、いいえ、たとえ二日の間サハラ砂漠を彷徨さまよい、死ぬほど喉が渇いていたとしても! では先ずどうするか? という事でテイスティングをして、あのシャトー・マルゴーと対話をするのです!

本日の箴言

 芸術品と見なされる最高級ワイン。しかし絵画とは異なり一旦コルクを抜けばその命は短時間で終わる。それでも忘れ得ぬ印象を人の心に残す。

『世界一美しいボルドーの秘密』(ドキュメンタリー映画、原題:Red Obsession)

記念日の一本

Château Margaux 1994

 優美で柔らか、繊細さと精妙な甘い香りで「最も女性的」と称されるマルゴー村。それはメドック地区でも表土が最も薄く、その下の水捌けの良い砂利層が厚い為、葡萄自体は安定するものの、水分を求めて深く地下7m程まで根を下ろす事があり、土中深くの石灰岩層にまで根が届いた結果、ワインは生まれた時からタンニンがシルキーで非常に上品になるからである。そしてその頂点に君臨するのが、このシャトー・マルゴーである。

 貴さ、雅さ、あでやかさ、しなやかさ、優しさ、強さ、華やかさ、大らかさ… その全てに調和が取れた、古典的な女性美の極み。おお、我が憧れの人よ、貴女の正体はヘレネであった!〈2008年10月〉

自分よりも遙かに偉大なワインを表現しようとすると、自分が虚しくなるだけです( ;∀;)

第七瓶 澱(フランス語 Lie リー)

 生理学者から見れば全く不十分ではありましょうが、一応ながら我々の先天的能力の分析は終えたという事にさせて頂きまして、続きましては後天的能力、ソムリエ達は如何にしてワインの素性を暴くのか、その方法の分析へと参ります(後天的と申しましたのは、以前述べましたように、これはひとえに知識と経験と記憶によるものだからであります)。恐らく圧倒的多数の方々が喉から手が出るほど欲しい能力であろうと思います(そりゃあ「ズバリ的中」出来ようものなら、その内あなたも拍手と指笛とカメラのシャッター音の嵐の中で一夜限りのヒーロー/ヒロイン気分を味わえる事でしょう)。今迄の私の蘊蓄うんちく話など、「苦々しいワインの澱と一緒に便器に流してしまえ」という声が聞こえて来ます。人として、神的能力たる言葉、言わば表現力、いては想像力、即ち人間力を重んじる私としましてはいささか悲しい事ではありますが、かつてニーチェがツァラトゥストラを通して語ったように、「神は死んだ」このご時世であれば致し方ありますまい。

 チョット待って下さい、澱を便器に流しているのですか? 別に排泄物ではあるまいし、そりゃあちと思慮に欠ける行為と言わざるを得ませんネ。確かにボルドーの澱はとても苦くて飲めたものではありませんが、ブルゴーニュはロマネ・コンティが幾ら古くても デカンタージュ しないように(香り美人のピノはデカンタージュすると折角の香ぐわしさが飛んでしまうという事の方が大きな理由ですが)、ピノ・ノワールの澱は中々趣があって面白いですよ。

 抑々そもそもこの沈殿物、正体はと言いますと、赤ワインの圧搾後、もしくは白ワインの発酵後の貯蔵タンク内に沈降する果肉繊維、種子、酒石、酵母などで、その後澱引きは行われますが、樽詰めの際にもまだ残っていて、その時の澱は酵母が主体となります。その後清澄・濾過が行われ、瓶詰めされます。という事で、皆様が赤ワインに見る澱は、自然派の無清澄・無濾過ワインを除けば基本的に瓶内熟成によるもので、一言で申しますと、酸化によりタンニンと色素が重合した物であります(白ワインには稀に酒石酸とカリウムの結晶が見られます)。明かりに瓶底を透かして見てみて、澱が多く出たボトルほど紫色が落ちた分茶色を帯びて、タンニンが結晶化して沈殿するのと同時にその量が減少し(もしくは液に溶け込み)、柔らかく為っていると推測されるのです(慣れて来るとそのボトルの飲み頃を見分けられます)。タンニンの多いボルドーなどが良く熟成させてから飲まれるのはこういった事からなのであります(こうして澱の苦さの原因が分かりましたネ。またあのザラザラした触感が一層 渋み を感じさせるのです)。ロマネ・コンティ初代醸造長のノブレ氏は次の様な言葉を残しております。「初めは大人しくて無性格。それから少しずつ性格を見せるようになる。幼い時ほど我が儘。年頃に為るとちょっと神経質な所を見せたりする。しかし時が来ると我が儘が消えて優しく為り、女性が花開くように完成し、歳を重ねる毎に円味が出て穏やかに為って来る。」

 さて前述した内容から、特に無清澄・無濾過ワインには澱に酵母の死骸が含まれる事に為ります(※1)。「酵母の死骸? じゃあ矢っ張り排泄物と変わらないじゃん?」 飛んでもない事です。確かに「死骸」と言う表現にはいささかゾッとさせられますが、酵母はアルコール発酵で活躍してくれる人畜無害の単細胞微生物(※2)で、構成要素は蛋白質、即ちアミノ酸ですので、自己消化(自己分解:動植物が死ぬと、死後短時間で組織が化学変化を起こし、旨味成分が生成される)によって多糖体、蛋白質、アミノ酸をワインに放出し、イースト(パン)香や濃くと 旨味 成分を付与してくれるのです(シャンパーニュの 瓶内二次発酵 で特に重要な役割を果たします。参考 シュール・リー)

saccharomyces cerevisiae   en.wikipedia.org
もっぱら出芽増殖という無性生殖によって子孫を増やすが、実は酵母にも性があり有性生殖も行う。画像の、のっぺらぼうな酵母に付いた出臍でべその様な物が出芽部分、痘痕あばたの様な物が子酵母の離れた跡「出芽痕」

 ではこの澱、結局どう処理致しましょう? 個人的には料理に使う事をお勧め致します。ハヤシライスやデミグラスソースなどを作る際に合わせて入れるだけで数段風味が増します。たとえダメージを受けたワインでも、熱する事でアルコールや酢酸は飛び、有機酸(酒石酸、クエン酸、リンゴ酸)やエキス(糖、ミネラル、タンニン)が味を良くしてくれますので、もうワインボトルを持って便所に行くのは止めにしましょう!

 ※1 お亡くなりに為っておりますので、ワインが再発酵を起こす事はありません。ちなみに日本酒の「濁り酒」の白色(実際は無色だが、無数に集まれば光を散乱して白く見える)は酵母の色です(紫外線を照射して突然変異させた「赤色変異酵母」から醸造される「桃色濁り酒」も御座い。桃の節句雛祭りに合わせた季節商品として一部のメーカーが販売しています)。この内、火入れを行っていない物が、酵母が活きた「活性清酒」。微弱ではあるものの瓶内発酵を続けております為、取り扱いにはかなり気を遣います。なお酵母そのものは、蛋白質、脂肪、ビタミンB群、ミネラル等をバランス良く含み、栄養価は高いですので躊躇ためらわずに飲み込みましょう。余談で、ワイン酵母仕込みの清酒の特徴ですが、ワイン酵母は清酒酵母に比べ低温に弱く、片や温度が高く為ると発酵が活発に為りますが、自身が作り出すアルコールが高濃度(一般的に15%程度)に達すると弱って発酵停止を始める為、アルコール度数はワイン並みの12~13%で、フルーティーな甘味と上品な酸味のバランスが身上とされます

 ※2 酵母が大好物の糖類を食べてアルコールと二酸化炭素に分解する(酵母は英語でyeast、フランス語でlevure〈ラテン語levere「上げる」から〉、ドイツ語でhefe〈heben「持ち上げる」から〉と言い、これらは皆ギリシア語のzestos「沸騰するほど熱い」を語源に持つという。因みにfermentation「発酵」はラテン語fervere「沸騰させる」に由来)。60属500種に分類されている様々な酵母は空気中を初め、土壌や植物、熱帯のジャングルや南極の不凍湖、果ては深海6000mの底泥など地球上の在りと在らゆる所に存在し、その種類は無限という。そして他の在らゆる果実と同じく葡萄表面にも何百と存在し(蠟質の白い粉状物質「ブルーム〈病気などから実を守る為に自身で作る果粉。良く熟した証〉」に付着し易い)、昆虫の脚に付いて運ばれ、数週間で畑全体で増殖する。自然界には様々な性質を持った酵母が存在し、ワイン醸造においても葡萄に付着した色々な野生酵母が混入するが、最終的には生成されるアルコールや添加される亜硫酸によって生育が阻害され、人類に酒やパンを恵んでくれる「酵母の中の酵母」サッカロミセス・セレビシエ属が残る(通常単に酵母と言えばこれを指す。「微生物の家畜」とも言われるが、動物の様に餌遣りや糞尿の世話も要らず病気の心配も無く、植物の様に水遣りや施肥、除草、病害虫駆除も要らず、更に受精や受粉などの生殖行為に依らず子孫を増やせる)。ワインにおける酵母の分類は以下の通り

 ①自然(野生)酵母:安定的ではないが、多種類がゆっくり交代で活動するためワインに特質さをもたらす。時に有害微生物(腐敗酵母など)を指す事も

 ②培養(人工)酵母:同種類の寄せ集め故、安定した醸造が可能。ワインに安定感、カチッとしたブロック感を付与

 ③環境(天然≒自然)酵母:長年のワイン造りを通じて自然に選抜淘汰された酵母層(畑付き/蔵付き:ワイナリーの空気中、タンクやホースの設備に生育)の意を含む。種の違いにより香りも異なる、言わば「微生物の テロワール」。ワインに優しい香り、滑らかな質感、体に浸み込む柔らかい揺れを含む余韻を付与

(追記)「料理に活用するのは分かったけど、すぐに使わないし、少量を瓶のまま放置するのも邪魔だし、やっぱり変質は気分的に良くないし…」という方、製氷皿に入れて氷温保存しておけば好きな時に好きな量を使えますヨ(澱のみならず、勿論飲み残しにもドウゾ)

Laylita’s Recipes
いくら「高級ワインの澱だし、心💛を込めた手料理だし」と言っても、ここまでお洒落にする意味はありません…

(参考)澱の種類とその成分

 ①白くフワッとした雲状の物:蛋白質

 ②ザラメ状の物:酒石酸とカリウムの結晶

 ③粉っぽい物:酒石酸とカルシウム

 ④貴腐ワインの粉状の物:グルコン酸カルシウム

 ※瓶の内部にへばり付いた物:酒垢、クラスト

本日の箴言

 このワインは伝統的な方法で瓶詰めされており、したがって、ワインにはその進化の過程である一瞬の高貴さと澱の堆積物が含まれています。これはワインが生きていることの証ですので、澱の層は、フィルターや他のいかなる手段によっても取り除いてはいけません。

ドメーヌ・ルロワの裏ラベルより

休日の一本

Women of the Vine, Pinot Noir 2009 (Central Coast, California)

 熟成して色素量が落ちつつある、オレンジがかった濃いめのルビー。粘性は高め

 第3 アロマ 主体:ドライフルーツ(ザクロ、ブルーベリー)やドライフラワー、干し肉、明確な紅茶や枯れ葉、そして黒コショウや土、トリュフの香りが奥行きと落ち着きを与える

 穏やかな第一印象。ドライで、滑らかな酸はまだ若々しさを生み、ヴェルヴェットのタンニン、しなやかな果実味と13,5%のアルコールに由来する円やかな甘味がボディを支える。余韻は長め

 16~20℃、大振りの瓢箪型 グラス で。寿司:大トロ(脂身の旨さ倍増)や炙った鯖(魚の血合いと焦げがワインの肉っぽさと 樽 のロースト風味に同化)とのハーモニー

 チャーミング且つエレガントさも醸し出す、スマートでセクシーなアメリカ美女。実に妖艶的で蠱惑的な香りに気が遠く為る。正に飲み頃を迎えた熟成ピノ・ノワールの官能性に痺れる。スタンダード・レンジ物でさえ熟成させると此処まで発展出来るとは感動。澱まで旨い。人生における絶頂を辛抱強く待ちに待ち、その頂点で華々しく散る美しさは永遠に記憶されるだろう〈2017年5月〉

自宅で約7年保存管理。Deborah Brennerの同名本の表紙と同じ絵

第六瓶 旨味のオレンジワイン

 前項にて 旨味 を扱いました上は、明確に旨味を感じさせてくれるワインについて稿を割いて置きたいと思います(因みに日本酒には白ワインの十倍程の旨味が含まれているという)。スティルワインの分類において、赤、白、ロゼに続く、第四のワインとも呼ばれるオレンジワインです。これは一言で申しますと、白葡萄を赤ワインと同じ工程で醸造したワインの事です。赤ワインは果皮や種と共に醸しを行う為、赤色が付きます。一方、基本的に白ワインは果汁のみを発酵させる為、白色と言うよりは、黄色を帯びます。したがって黒葡萄を果皮無しで醸造すれば黄色よりはやや深めのトパーズ色に為ります。以前或る試飲会でカベルネ・ソーヴィニョンの白ワインを試させて頂いた事があり、やはり黒葡萄だけあって味わいに厚みを感じました。最も身近なものは、スパークリングワインのブラン・ド・ノワール(「黒の白」の意で、主にシャンパーニュの主要品種である黒葡萄のピノ・ノワールやムニエのみから造られた泡)でありましょう(カベルネから造られた泡も商品化されていますが、酸度を得る為に早摘みするのでしょう、未熟なカベルネに特徴的なピラジン系のグリーンな〈セロリの茎の様な青っぽい〉風味が有り、余り好ましいものとは言えません)。という事で、白葡萄を果皮ごと醸造したらどう為るか? もうお分かりですね。この醸造法をスキン・コンタクト(※1)と言うのですが、果皮の香味成分を果汁に与える為、一般的には約3~24時間漬け込みが行われます。この醸し時間が長いと、苦味成分であるポリフェノール化合物が抽出される為、その前にこの操作は終えられます。しかしこの位の漬け込み時間ではオレンジ色までは行きません。という訳で、ステンレスタンク/木製発酵槽、果梗(茎)の有無などのオプション選択は勿論造り手次第ですが、オレンジワインはスキン・コンタクトとその後の熟成も合わせて、一般的に3~8ヶ月間続けられると聞いております。

 オレンジワインの始まりは、イタリア北東部のフリウリ‐ヴェネツィア・ジューリア州、ヨスコ・グラヴネルがアンフォラ(※2)を使い醸造し、1998年に初めて瓶詰めしてからなのですが、元を辿れば8000年前のジョージア(※3)が起源で、現地では「アンバーワイン」「ゴールドワイン」と呼ばれ、クヴェヴリなる、浸透防止に内部に蜜蠟を塗った素焼きの醸造用土器にワインを入れ、地中に埋め一定の適温で発酵させながら、現在でも造られております(日本でも奈良、平安時代には酒甕を地中に埋めていたようで、今日でも九州の焼酎工場の一部で行われている)。此処で注意が必要なのですが、必ずしもクヴェヴリワイン=オレンジワインという事ではないという事です。クヴェヴリには葡萄を房ごと入れる場合もありますが、多くは粒のみ、或いは一般的方法で醸造されたワインとブレンドする場合もあり、無論赤ワインも造られます。飽く迄クヴェヴリはジョージアの人々にとっては、国の伝統的な且つ最適な醸造法なのです。歴史や伝統というものは、一つの事象に対し確かに制限を与えますが、一方でその可能性を広げ得るものでもあるのです。

  https://www.tanakaya3.com
この製法は2013年ユネスコ世界無形文化遺産に登録
http://wineprty.jp

 葡萄品種は、基本的にどんな白葡萄からでも造れますが、伝統的にはルカツィテリ(※4)で、一般的には果皮に香味成分を多く含む アロマティック 品種(ゲヴュルツトラミネール、ヴィオニエ、マスカット等)、またシャルドネやソーヴィニヨン・ブラン、そして日本では果皮に若干のアントシアニン色素を含むグリ系の甲州も使われております。しかし残念ながら、おおむね長い酸化熟成期間を経る為に品種個性は失われ、結局どれも似たような香味になる事は否めません。その一般的な特徴とは、香りは乾燥オレンジの皮、ジャックフルーツ(果肉感のあるトロピカルフルーツ)、潰れた林檎、ジュニパー(杜松ねず)、ニス、アマニ油、また酸化熟成による紅茶やヘーゼルナッツ(※5)と、正直余り美味しそうに聞こえないものばかりです。味わいは果実の皮を思わせる酸味、赤ワインにも劣らない渋み(但し「タンニン」ではなく「フェノリクス」と呼ぶ)、出し汁的旨味と、こちらも余り飲んでみたいと思わせてくれない表現になってしまいます。要するにオレンジワインとは、皮と種による 渋み、旨味、苦味が主体のワインで、中には「泥臭い」と言う方もおられます。ただ、その皮と種が抗酸化作用の働きをする為、勿論全てではありませんが、二酸化硫黄〈⇒ワインの亜硫酸〉が不要の「Vinヴァン Natureナチュール (自然派ワイン)」が多いという事も押さえて置きたいポイントです。またVeganヴィーガンワインも在ります(※6)。

 適切な飲み方としましては、より長い醸造期間が取られたと思われるオレンジ色や赤錆色のワインは、大振りの瓢箪型 グラス の方が、小振りグラスに比べ酸味が控えめに感じられ焦点はややぼやけますが、豊かな風味の表現においては優ります(より醸造期間が短いと思われる、よりフレッシュな黄色主体のワインは酸味を活かすため小振りが適切です)。温度は、渋みが強調されるため12℃以下にしない事、また「24℃の高めで食後酒として」という本場の造り手の意見も試されてみては如何でしょうか。ペアリングは発酵食品(納豆、キムチ)など、とろみや粘りのある物や揚げ物、また煮込みやアジアンスパイス料理、そして土っぽさの同調で根菜と相性が良いと言われます。要は、癖のあるワインには癖のある料理を合わせましょう、という事です(実験結果〈極端な例〉:納豆や塩辛など発酵食品にはワインの風味が負けないという位で正直合うとは言い難く、昆布や帆立の旨味とは平行する程度でこちらも引き立てる迄は行かず、悲しい哉ゴーヤチャンプルの苦味には流石に負ける。但し、オレンジワインも多様なため一概にこの限りではない)。

 ※1 破砕機や圧搾機の向上により、工程が短時間で終了するようになった1960年代以前はこのスキン・コンタクトに相当する時間があった為、「伝統の復活」という見方もあります

 ※2 ギリシア語で、元々はワイン運搬に用いる容器。内部のざらざらした部分に野生酵母が住み着き、また樽と違い香りが移らない為、葡萄本来の味わいが表現出来るのだとか

 ※3 2015年、外務省からの通達によりロシア語読みのグルジアから英語読みへ(理由は、1991年のソ連崩壊と共にジョージアが独立した為。ソ連時代はロシアからの抑圧、独立後もロシアとの紛争といった対立があり、ロシア語読みを忌避した)。ワイン発祥地、南コーカサス、トルコの隣

 ※4 皮と種のみならず果梗も合わせて醸造すると、それに含まれるカリウムが酸と結び付き、結果ワインの酸度が落ちる為、酸の多いこの品種を使うという。長期熟成には酸とタンニンが必要なのです

 ※5 クヴェヴリは必ずしも好気こうき的な造りではありませんが(密閉されるためむし嫌気けんき的)、オレンジワインやアンフォラで醸造・熟成させたワインの多くは自然派で、好気的/酸化的なスタイルから既に十分な熟成風味を得て発展している為、更なる瓶内熟成による効果は(然程)得られないと思われます(スキン・コンタクトは熟成に耐えられないという意見もあります。ただシャトー・メルシャン製造部長のエノログ安蔵光弘氏は甲州グリ・ド・グリについて、「赤ワインより早く熟成するようで」「セラーに1~2年しまっておくと、より複雑な香りのワインに成長」し「口当たりが丸くなり、紅茶やシナモンの香りが出て」来ると仰っております。因みに今迄私が頂いたオレンジワインの中でベストはこのグリ・ド・グリです)。個人的嗜好に為るかも分かりませんが、矢張りワインは果実感が鍵で、過ぎた酸化熟成は若々しさの証たる果実味と酸味を失う分、甘味と苦味のある老身ワインに為るのです。「ワインというものは歳を取り過ぎると骸骨になるか、又は美しいミイラになる」と、ブルゴーニュの名手ユベール・ド・モンティーユ氏は言っております。たっぷりとした果実の肉感のある新世界のワインは安価でも美味しく飲めますよネ

 ※6 1944年イギリスで設立されたヴィーガン協会に由来し、「如何なる形でも動物への残虐行為や動物からの搾取に関連した一切の物を取り入れない」生き方、即ち肉・魚・卵・乳製品・蜂蜜など動物由来の食品の摂取のみならず、動物に由来する化粧品や衣服等も使用しないライフスタイルを表し、菜食主義者ベジタリアンよりも厳格な主義。ご参考までに申し上げますと、米・米麹・水を主原料とする清酒こそヴィーガン完全菜食主義者向きです。但し、中には澱下げに動物由来のゼラチンを使った物もありますが…。因みに澱と共に香味成分も取り除かれてしまう為、大吟醸クラスはこの過程を経ない物もあります。結局、表記義務は無い為、本記事投稿時点で「ヴィーガン認証」を取得している岩手県の南部美人と群馬県の水芭蕉を除き、実際の使用の有無は直接問い合わせるしかないのが現状です。とは言え、狂牛病問題後、日本酒業界ではゼラチンの使用は控える傾向にある為、殆どは安心してヴィーガンの方も楽しめる酒となっているようです

本日の箴言

 ワインは自然の表現であると同時に文明の表現でもある。ワインが本来の自然さを失わないようにするにはどこまで人の手を入れられるのか? 人工的なものの方が、元の自然よりも自然らしく見える事がある。ボードレールやワイルド、所謂いわゆるダンディと呼ばれる人達は皆そうだ。だから意図的に造られたワインだからと言って最初から間違っているとか不味いとか決めつけてはならない。

ジョナサン・ノシター『ワインの真実』

平日の一本

甲州オランジュ・グリ 2017(シャトーマルス、山梨)

 僅かに薄紅を帯びた濃いめのオレンジの色調、粘性は高め。甲州らしい籠もりがちな香り立ち:オレンジの果肉、びわ、和梨、紅茶の出涸らし、生姜、パンジェントスパイス、湿った白土、仄かにメロンや薔薇、そしてその全てを甘やかなバナナ香が包み込む

 味わいはドライで、風味が直ぐに大らかに広がる。円やかなテクスチャーが柔らかい果実味(これが大事!)とボディにほんのり甘さと豊かさを添え、滑らかな酸が控えめな張りを齎す。透明感のある心地良い苦味、そして僅かなスパイシーさと明確な 渋み が終盤に向かって濃く(アルコール11%表記だが、より高く感じさせる。2018、2019は12%表記)を与えて行く。舌の中央奥で旨味が長い余韻を生む

 冷やし過ぎず12~14℃、大振りの瓢箪型 グラス で。ローストポーク(グレイビーソース+ホースラディッシュ)、穴子(天麩羅)・太刀魚(煮付け)・ししゃも(旨苦味の平衡)、玉子(茹で、焼き)、餃子(ラー油のスパイシーさとの相性)、カレー(スパイシーな料理にも負けない)、アーモンドや胡桃(ナッツの脂肪分の甘味が出る)、オレンジマーマレード(オレンジ風味の同調)などと良く合う

2016年がファースト ヴィンテージ。当ワイナリー関係者曰く「オレンジワインというと、白系のブドウをしっかり醸して造るとイメージされると思いますが、このワインはそういう醸しのキュヴェだけではなく、亜硫酸を使わずに絞ったキュヴェや、亜硫酸を使ってスキンコンタクトを長めにして造ったキュヴェなどいくつかのスタイルのキュヴェを最終的にブレンドしてあります。そのために、柑橘系の甲州の香りとは異なる花のような香りや、フェノレが多いところが特徴とするような香りが主体で、香りのボリュームはあると思います。味も醸しのキュヴェだけではないので、それほどフェノールは強くないと思いますし、種のまわりからくる酸味もしっかりあり、少しだけ残糖を残すことでバランスをとっています」

第一瓶 開会のご挨拶

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 人は生きる為に生きるのではなく、楽しむ為に生きるものです。そして肉体と精神の二つの喜びが、人には与えられてあります。ワインは感覚のみならず知覚にも訴え掛けるものとして、しばしば芸術に喩えられます。歌舞音曲、遊び事は様々ですが、畢竟ひっきょう人の喜びは飲食に尽きるのです。何故ならそれこそ自然の欲求でありますから。そしてロレンツォ・ヴァッラ曰く、「飲むほうは、ぶどう酒か口の中が傷んでいない限り、いつも楽しいものです」

 ささ、より多く人生を楽しむ為に、ワインを楽しみましょう!

ワインエキスパートとして

 ワインの啓蒙及びワイン愛好家の増員は我々ワインエキスパートの使命だが、無為無策のまま漠然と臨んだとて効果は期待出来まい。その為には先ず他の酒類と比較しても、歴史や文化、或いは地理や農業、更には科学や芸術に至る、より多くの学問の要素を有するワインの絶対的な価値が認められる必要がある。そして我々はそれらを先入観無く公正に、簡潔に分かり易く、つ明るく開放的な調子で伝達する事が出来ねばならぬ。「難解で理解に苦しむもの」から「複雑で深遠なもの」という見解へと発展させねばならぬ。もしそれが出来ぬのならば、その行為は唯の独り善がりの自己満足であり、その者は真のワインエキスパートとは言い難い。説明をわずらわしく億劫おっくうなものと思えばその先は無い。困難な事にこそ価値が宿る。自分が理解し、理解して貰えるように説き明かしたならば、必ずその行為は報われる筈である。

 屢々しばしば安価で美味しいワインの話題を振られるが、酒は嗜好品以外の何物でもない上は、その人の好み及びTPOによって「美味しさ」は異なる事を前提に、有資格者として、相手にとって美味しいワインを探り当てる事が出来ねばなるまい。相手の表情や仕種を見て、相手の望んでいるものを察知する事は、サービス業において必須の能力である。ひと目で相手の健康状態や経済状態を見分けられねばプロとは言えない。確かに我々ワインエキスパートはサービスのプロではないが、伝道者として、学問だけでなく人間性も含めた教育のプロに為らなければならぬ。異なる学問的視点からの正しい知識を備えた上で説明する事こそ、プロの教育者と言えるのである。そして相手が望むワインを選ぶには、込み入った知識と数多くのテイスティング経験が必要とされる。その為に時と労力と資金を費やし勉強する、それがプロとしての誇りである。

 「あの人とあの料理と共にあのワインを楽しもう」と考える事が許される恵まれた時代、一方で若者のアルコール離れが進む時代、美食志向を持つ中心的世代の三十代後半から五十代の人々を主な対象にして活動を進めて行く事が優先されよう。「飲み易いものであれば良し」という人ばかり相手にしても真のワインの価値は認められず、ワインを酩酊する為だけに飲む人々が居たならば、早急に彼等の前を通り過ぎよう。人生の時間は限られている、砂時計の如く一瞬一瞬確実に「時」は我々の掌中からこぼれ落ちているのだから。高級嗜好品に対し正当な評価を下せる人は世界で3~5%と言われている。ならば日本では、低めに見積もっても一億の3%即ち三百万人がワイン愛好家に為り得るのである。二〇一六年日本人の年間ワイン消費量は僅か3.4L(約4.5本)、二〇一九年でワインエキスパートは計17,112人、ソムリエ協会会員は15,048人、まだまだ開拓の余地は残されている。この国において、ワインというややこしくも素晴らしい飲み物の価値はいまだ十分に理解されていないのだ。

  原案:『酒師必携 新訂』日本酒サービス研究会・酒匠研究会 連合会編、右田圭司監修

観覧上の注意及びサイトの存在理由

 このサイトでは筆者の実体験、特に感覚的に経験して来た事を基に製作されます為、極力科学的な視点、或いはワイン業界での共通認識に沿って展開致しますが、ワインは結局自然の産物、即ち神的飲料の為、説明不能な所が御座います事をご承知置き頂いた上、お読み下さると幸いです。但しご不明な箇所等御座いましたら遠慮無くお問い合わせ下さい。一流の方々はご多忙故、Diploma D3の容量を記憶の樽に納め切れなかった、高く見積もっても三流の筆者が僭越ながら、分かる限りの事はご返答差し上げます。ワインは好きだけど資格までは考えていない方やワイン教室に通う暇の無い方、勿論資格を狙っている方や既にお持ちの方もお気軽にご利用下されば存外の喜びであります。(加えて、ワインを体系的に学ぶには相応の資金が必要で、敬虔なバッコスの徒としてはそれに対し不服を唱えざるを得ないのであります)

 ささやかな学会では御座いますが、皆様と楽しみをご共有出来ましたら幸いです。