ヴィエイユ・ヴィーニュ

Vieille Vigneヴィエイユ・ヴィーニュ 「古木(こぼく、ふるき)」→濃縮感+複雑性+色合いの良さ

葡萄樹は、植えられてから初めて結実するのは約3年後と言われ、それは1~2年の若木は果実よりも根や幹を頑丈に形成しようとする為である(2年目から実を付けるが成長途中の若木を弱らせないよう果房の大部分は除去される)。葡萄樹が本領を発揮し始めるのは樹齢35年を過ぎてから。古木に為ると自然に収量が落ちて行くのだが、その場所の テロワール に樹が馴染み、凝縮された小さな果実を実らせるように為り、テロワールの豊かさを良く表現するように為る。そして時には数十メートルと深い所まで根を下に伸ばす為、様々な土壌層から異なった養分を吸い上げ、複雑な風味を果実に齎す。加えて、この深い根により表土が乾いていても水分を土中深くから吸い上げられる為、灌漑の必要が無い。それ故に外気の変動の影響を受けにくく、安定して結実する(旱魃かんばつの年でも生き延びられる)。丁寧に世話すれば樹齢100年以上生き続けるが、年と共に樹勢と収量は減少。その分質は向上するとされる(歳と共に生産量は低く為るものの、個性や複雑性、質や深みが増すところは人と同じですネ)。しかし収量の問題から通常50年以内に植え替えられる。

法的規制が無い為、20年で「V.V.」と表示する生産者や、60年以上の樹にのみ表示する生産者もいる。(約30年で葡萄樹は成熟のピークを迎え、生産量が落ちる為、その頃合いで引き抜かれるのが普通。50年以上の樹は稀。したがってこの表示の有るワインは約30~50年のものが多い)

オーストラリアのバロッサ・ヴァレーでは、成熟し深く根を張った、灌漑不要の株仕立てのBush Vineブッシュ・ヴァイン(※1)が夏の暑く乾燥した気候に適し、樹齢100年以上の畑が80haある。厳しい検疫により州内にフィロキセラの被害は無く、自根(接ぎ木無し)(※2)の苗木が植えられ、その多くが古木の枝を切り取ったもの(※3)による(こうした葡萄が、凝縮度の高いシラーズを生む)。こういった背景からこの地には「バロッサ憲章」なるものがあり、樹齢35~70年の古木には Old Vine、70~100年には Survivor Vine、100~125年には Centurion Vine、そして125年~には Ancestor Vine という称号が与えられている。

因みに若木は古木よりも約10日早く結実する。(若木には若い良さ、古木には古い良さがある、という認識も忘れないようにしたいものです)

※1 背が低いと水分が樹全体に行き渡り易い為、平地で乾燥した暑い地方向きの仕立て方。他に南仏、スペイン、カリフォルニアのローダイなどでも採用されている

※2 接ぎ木は二千年以上前から行われており、古代ギリシア・ローマの書物にも出て来る(当時は良い苗木作りの為、現在はフィロキセラ防除が最大の目的)。植物は免疫系を持たない為、品種が異なっても、場合によっては種が異なっても、合体して一つの植物として成長出来る(例えば、赤ワイン用品種を台木にして、その上に白ワイン用品種を穂木として接ぎ木する事も。これにより1年で収穫が可能に為るという。又、もし赤ワインブームが来てもその品種への切り替えも容易)。科学的に、接ぎ木ワインが自根ワインより劣るという証拠は無い。官能的にも様々な要因が関わっている為、単純に優劣の判断を付ける事は出来ない

※3 葡萄樹の神秘の一つに、枝を土に埋めると茎から根が生え、独立した株として生長を始める事がある。この特性により同品種の苗木のクローンを増殖出来る(欧州系ワイン用葡萄ヴィティス・ヴィニフェラ「ワインを生む」はほぼ雌雄同株のため無性生殖で増やせるが、種子から育てようとすると間違いなく失敗すると言われる。それは遺伝子の組み合わせが変わる為、その品種が持つ好ましい特徴が失われるからである〈よって種子は新しい交配種を作る研究用として使用〉。したがって殆どの栽培農家は持てる品種で満足していて、品種個性が失われない形で改良したいだけ。突然変異を起こし、遺伝的に異なる新梢が生じ、それが稀に好ましい影響を齎す時に〈大抵は悪影響だが〉その枝変わりを起こした新梢を切って増やす)。但し整った育苗環境が無いと発芽・発根率は低く、又フィロキセラ対策として接ぎ木を行うのは手間が掛かる為、苗木屋から接ぎ木済みの葡萄樹を購入するのが一般的。同じ株から生まれた樹は、生産性や果実の質など遺伝的特性が継承されている事が多い。即ちクローンによる特徴の違いは小さい。一方、大規模生産者の同品種の異なるクローン栽培は アサンブラージュ による複雑さを高める為。クローン選択は世界的には依然として新しい試みで、多くの生産者はクローンの違いについて余り知識が無く、その場所での最適品種は実際のところ推測の域を出ていないという