第七瓶 澱(フランス語 Lie リー)

 生理学者から見れば全く不十分ではありましょうが、一応ながら我々の先天的能力の分析は終えたという事にさせて頂きまして、続きましては後天的能力、ソムリエ達は如何にしてワインの素性を暴くのか、その方法の分析へと参ります(後天的と申しましたのは、以前述べましたように、これはひとえに知識と経験と記憶によるものだからであります)。恐らく圧倒的多数の方々が喉から手が出るほど欲しい能力であろうと思います(そりゃあ「ズバリ的中」出来ようものなら、その内あなたも拍手と指笛とカメラのシャッター音の嵐の中で一夜限りのヒーロー/ヒロイン気分を味わえる事でしょう)。今迄の私の蘊蓄うんちく話など、「苦々しいワインの澱と一緒に便器に流してしまえ」という声が聞こえて来ます。人として、神的能力たる言葉、言わば表現力、いては想像力、即ち人間力を重んじる私としましてはいささか悲しい事ではありますが、かつてニーチェがツァラトゥストラを通して語ったように、「神は死んだ」このご時世であれば致し方ありますまい。

 チョット待って下さい、澱を便器に流しているのですか? 別に排泄物ではあるまいし、そりゃあちと思慮に欠ける行為と言わざるを得ませんネ。確かにボルドーの澱はとても苦くて飲めたものではありませんが、ブルゴーニュはロマネ・コンティが幾ら古くても デカンタージュ しないように(香り美人のピノはデカンタージュすると折角の香ぐわしさが飛んでしまうという事の方が大きな理由ですが)、ピノ・ノワールの澱は中々趣があって面白いですよ。

 抑々そもそもこの沈殿物、正体はと言いますと、赤ワインの圧搾後、もしくは白ワインの発酵後の貯蔵タンク内に沈降する果肉繊維、種子、酒石、酵母などで、その後澱引きは行われますが、樽詰めの際にもまだ残っていて、その時の澱は酵母が主体となります。その後清澄・濾過が行われ、瓶詰めされます。という事で、皆様が赤ワインに見る澱は、自然派の無清澄・無濾過ワインを除けば基本的に瓶内熟成によるもので、一言で申しますと、酸化によりタンニンと色素が重合した物であります(白ワインには稀に酒石酸とカリウムの結晶が見られます)。明かりに瓶底を透かして見てみて、澱が多く出たボトルほど紫色が落ちた分茶色を帯びて、タンニンが結晶化して沈殿するのと同時にその量が減少し(もしくは液に溶け込み)、柔らかく為っていると推測されるのです(慣れて来るとそのボトルの飲み頃を見分けられます)。タンニンの多いボルドーなどが良く熟成させてから飲まれるのはこういった事からなのであります(こうして澱の苦さの原因が分かりましたネ。またあのザラザラした触感が一層 渋み を感じさせるのです)。ロマネ・コンティ初代醸造長のノブレ氏は次の様な言葉を残しております。「初めは大人しくて無性格。それから少しずつ性格を見せるようになる。幼い時ほど我が儘。年頃に為るとちょっと神経質な所を見せたりする。しかし時が来ると我が儘が消えて優しく為り、女性が花開くように完成し、歳を重ねる毎に円味が出て穏やかに為って来る。」

 さて前述した内容から、特に無清澄・無濾過ワインには澱に酵母の死骸が含まれる事に為ります(※1)。「酵母の死骸? じゃあ矢っ張り排泄物と変わらないじゃん?」 飛んでもない事です。確かに「死骸」と言う表現にはいささかゾッとさせられますが、酵母はアルコール発酵で活躍してくれる人畜無害の単細胞微生物(※2)で、構成要素は蛋白質、即ちアミノ酸ですので、自己消化(自己分解:動植物が死ぬと、死後短時間で組織が化学変化を起こし、旨味成分が生成される)によって多糖体、蛋白質、アミノ酸をワインに放出し、イースト(パン)香や濃くと 旨味 成分を付与してくれるのです(シャンパーニュの 瓶内二次発酵 で特に重要な役割を果たします。参考 シュール・リー

saccharomyces cerevisiae   en.wikipedia.org
もっぱら出芽増殖という無性生殖によって子孫を増やすが、実は酵母にも性があり有性生殖も行う。画像の、のっぺらぼうな酵母に付いた出臍でべその様な物が出芽部分、痘痕あばたの様な物が子酵母の離れた跡「出芽痕」

 ではこの澱、結局どう処理致しましょう? 個人的には料理に使う事をお勧め致します。ハヤシライスやデミグラスソースなどを作る際に合わせて入れるだけで数段風味が増します。たとえダメージを受けたワインでも、熱する事でアルコールや酢酸は飛び、有機酸(酒石酸、クエン酸、リンゴ酸)やエキス(糖、ミネラル、タンニン)が味を良くしてくれますので、もうワインボトルを持って便所に行くのは止めにしましょう!

 ※1 お亡くなりに為っておりますので、ワインが再発酵を起こす事はありません。ちなみに日本酒の「濁り酒」の白色(実際は無色だが、無数に集まれば光を散乱して白く見える)は酵母の色です(紫外線を照射して突然変異させた「赤色変異酵母」から醸造される「桃色濁り酒」も御座い。桃の節句雛祭りに合わせた季節商品として一部のメーカーが販売しています)。この内、火入れを行っていない物が、酵母が活きた「活性清酒」。微弱ではあるものの瓶内発酵を続けております為、取り扱いにはかなり気を遣います。なお酵母そのものは、蛋白質、脂肪、ビタミンB群、ミネラル等をバランス良く含み、栄養価は高いですので躊躇ためらわずに飲み込みましょう。余談で、ワイン酵母仕込みの清酒の特徴ですが、ワイン酵母は清酒酵母に比べ低温に弱く、片や温度が高く為ると発酵が活発に為りますが、自身が作り出すアルコールが高濃度(一般的に15%程度)に達すると弱って発酵停止を始める為、アルコール度数はワイン並みの12~13%で、フルーティーな甘味と上品な酸味のバランスが身上とされます

 ※2 酵母が大好物の糖類を食べてアルコールと二酸化炭素に分解する(酵母は英語でyeast、フランス語でlevure〈ラテン語levere「上げる」から〉、ドイツ語でhefe〈heben「持ち上げる」から〉と言い、これらは皆ギリシア語のzestos「沸騰するほど熱い」を語源に持つという。因みにfermentation「発酵」はラテン語fervere「沸騰させる」に由来)。60属500種に分類されている様々な酵母は空気中を初め、土壌や植物、熱帯のジャングルや南極の不凍湖、果ては深海6000mの底泥など地球上の在りと在らゆる所に存在し、その種類は無限という。そして他の在らゆる果実と同じく葡萄表面にも何百と存在し(蠟質の白い粉状物質「ブルーム〈病気などから実を守る為に自身で作る果粉。良く熟した証〉」に付着し易い)、昆虫の脚に付いて運ばれ、数週間で畑全体で増殖する。自然界には様々な性質を持った酵母が存在し、ワイン醸造においても葡萄に付着した色々な野生酵母が混入するが、最終的には生成されるアルコールや添加される亜硫酸によって生育が阻害され、人類に酒やパンを恵んでくれる「酵母の中の酵母」サッカロミセス・セレビシエ属が残る(通常単に酵母と言えばこれを指す。「微生物の家畜」とも言われるが、動物の様に餌遣りや糞尿の世話も要らず病気の心配も無く、植物の様に水遣りや施肥、除草、病害虫駆除も要らず、更に受精や受粉などの生殖行為に依らず子孫を増やせる)。ワインにおける酵母の分類は以下の通り

 ①自然(野生)酵母:安定的ではないが、多種類がゆっくり交代で活動するためワインに特質さをもたらす。時に有害微生物(腐敗酵母など)を指す事も

 ②培養(人工)酵母:同種類の寄せ集め故、安定した醸造が可能。ワインに安定感、カチッとしたブロック感を付与

 ③環境(天然≒自然)酵母:長年のワイン造りを通じて自然に選抜淘汰された酵母層(畑付き/蔵付き:ワイナリーの空気中、タンクやホースの設備に生育)の意を含む。種の違いにより香りも異なる、言わば「微生物の テロワール」。ワインに優しい香り、滑らかな質感、体に浸み込む柔らかい揺れを含む余韻を付与

(追記)「料理に活用するのは分かったけど、すぐに使わないし、少量を瓶のまま放置するのも邪魔だし、やっぱり変質は気分的に良くないし…」という方、製氷皿に入れて氷温保存しておけば好きな時に好きな量を使えますヨ(澱のみならず、勿論飲み残しにもドウゾ)

Laylita’s Recipes
いくら「高級ワインの澱だし、心💛を込めた手料理だし」と言っても、ここまでお洒落にする意味はありません…

(参考)澱の種類とその成分

 ①白くフワッとした雲状の物:蛋白質

 ②ザラメ状の物:酒石酸とカリウムの結晶

 ③粉っぽい物:酒石酸とカルシウム

 ④貴腐ワインの粉状の物:グルコン酸カルシウム

 ※瓶の内部にへばり付いた物:酒垢、クラスト

本日の箴言

 このワインは伝統的な方法で瓶詰めされており、したがって、ワインにはその進化の過程である一瞬の高貴さと澱の堆積物が含まれています。これはワインが生きていることの証ですので、澱の層は、フィルターや他のいかなる手段によっても取り除いてはいけません。

ドメーヌ・ルロワの裏ラベルより

休日の一本

Women of the Vine, Pinot Noir 2009 (Central Coast, California)

 熟成して色素量が落ちつつある、オレンジがかった濃いめのルビー。粘性は高め

 第3 アロマ 主体:ドライフルーツ(ザクロ、ブルーベリー)やドライフラワー、干し肉、明確な紅茶や枯れ葉、そして黒コショウや土、トリュフの香りが奥行きと落ち着きを与える

 穏やかな第一印象。ドライで、滑らかな酸はまだ若々しさを生み、ヴェルヴェットのタンニン、しなやかな果実味と13,5%のアルコールに由来する円やかな甘味がボディを支える。余韻は長め

 16~20℃、大振りの瓢箪型 グラス で。寿司:大トロ(脂身の旨さ倍増)や炙った鯖(魚の血合いと焦げがワインの肉っぽさと のロースト風味に同化)とのハーモニー

 チャーミング且つエレガントさも醸し出す、スマートでセクシーなアメリカ美女。実に妖艶的で蠱惑的な香りに気が遠く為る。正に飲み頃を迎えた熟成ピノ・ノワールの官能性に痺れる。スタンダード・レンジ物でさえ熟成させると此処まで発展出来るとは感動。澱まで旨い。人生における絶頂を辛抱強く待ちに待ち、その頂点で華々しく散る美しさは永遠に記憶されるだろう〈2017年5月〉

自宅で約7年保存管理。Deborah Brennerの同名本の表紙と同じ絵

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