第四十二瓶 終回のご挨拶

 失われつつある酒神バッコスの面目を再び躍如とさせるべく、酒神の血の中に混じる異常な魅力と活力を人々に付与せしめようと努めて十年。「百の知識ありても一の実行あらざれば、その知識なきに等しい」と考え、当サイトを立ち上げて三年。神助と人助を賜りながらアイデンティティ自己同一性メタモルフォーゼ変身との間を往還し、最終的には我が大和民族の酒の為に大いに飲み込んで、大いに気を吐いて参りましたが、どうやらアルコールとやらに見切りを付けるべき時が来たようです。虚飾に満ち虚無に捕われる誠に生きづらい人の世において、不要不急の嗜好品に対する尋常ならざる興奮の下、乾き切った身心を潤そうと些か飲み過ぎる我々は「アルコール無くしては生きられない連中」と誤解される集団のようですが、終に我々の「止めようと思えばいつでも止められる」という、内に秘めたる強固な自信を示す時が来たようです。この、多からぬ預金と少なからず健康を犠牲にした活動を振り返って見れば、私にとって酒とは到酔飲料である事は少しも無く、飽くまで心を傾け、心を注ぐものとして、文化を味わう源泉として、喉ではなく心を潤す飲み物で在り続けました。「お酒は一国文化の申し子」、酒は人類の歴史と共に古く、各国独自の原料或いは主食と為る代表的作物が活かされて来たが故に、特色有るその国の生活と風土、即ちその国の伝統文化が息衝くものであります。そして日本酒もまた神代の昔から存在して来ましたが、現在の様な酒造りに固まって来たのは奈良時代とされ、少なくとも千年の歴史がある事に為ります。──千年! 千年以上の伝統を持つ民族の酒に生命力が無い訳がありません。酒は日本の美しい文化であり、薄らの如く繊細な日本人の心を映した優しく壊れ易い、しかし豊かで優雅な飲み物であります。長い歴史に育まれ、幾多の嵐に揉まれながら、伝統産業の誇りと栄光を忘れる事無く、営々と築き上げられた日本の貴重な食文化であります。──と、古き良き美しかった日本への浪漫を追い過ぎた情緒的な文言を羅列する筆者へのそしりは免れないでしょう。抑々「伝統性とは、言ってみればその時代における大衆性を失ったものである。当代人の価値観と乖離しているからこそ態々『伝統』と言うのである」という逆の視点からの意見にも耳を傾けねばなりますまい。就中なかんずく清酒業界は徴税のみを目的とした問題だらけの酒税制度に縛られ且つ保護され続けて来た結果、伝統に固執して革新に背を向け、消費者の嗜好の変化を無視して来た為に衰退の一途を辿っています。それは長いワインの歴史において、ワインを選び、その価値を決めて来たのが飲み手の目と鼻と舌であった事と対照的であります。この現状を前に、清酒業界も唯歴史が在ると言うだけの骨董品的産業に為り掛かっていると思わざるを得ません。しかし、価値ある文化は必ず回帰し、新たな伝統を生み出して行くのが歴史の真実。イエスの「誰も、新しい葡萄酒を古い革袋に入れたりはしない」という言葉とは反対に、日本には「伝統は革新の連続なり」という言葉があるように、また俳句の巨匠高浜虚子が「古壺新酒ここしんしゅ」を提唱したように、時代の変化に合わせて古い物に新しい精神を吹き込み、次の世代に受け継がれて行く、それが真の伝統(※1)というものであります。清酒の風味は決して伝統の味として固定した訳ではありません。先人が築き上げた型の上に己が才能を開花させる事。守勢に回れば退化あるのみ、周りが進化する以上それは当然の事です。常に攻めの気概だけを持って前に歩を進める以外に将来の発展は望めません。如何なる業界においても、競争が少ないと努力が不足し、結果その発展も滞るのです。とは言え、民族の酒が苦戦している国は日本だけではありません。日本で一升瓶から清酒を飲むのは「年寄り臭い」と思われている(※2)ように、フランスではガラス瓶のワインは年寄りが飲む物だというイメージが定着しているそうで、1960年代に比べてワイン消費量は35%も減少しています。ドイツでもビールが10年で10%減少しました。イギリスのウイスキー、アメリカのバーボン、ロシアのウォッカ、韓国のマッカリ、メキシコのテキーラ、中国の紹興酒らも例外ではありません。ただ苦戦しているとは言うものの、世界各国の民族酒である酒類のシェアは50~80%と非常に高く、そして清酒も元々四割近いシェアを国内に維持していました。しかしながら時代の流れと共にそれを失い、1950~60年代で三割台、そして2005年の酒類全体に占める清酒の国内シェアは、家庭では11.6%、料飲店では5.6%と壊滅的状況に陥りました。その後も減少を続け2008年では8%、最近2019年には5%にまで落ち込み、もはやこの数字は、寂しさを通り越して「異常」と言わざるを得ず、曾て「財政の玉手箱」と呼ばれた日本酒はもはや「國酒」(※3)などではなく、一握りの好事家の為のニッチな文化財的酒類に過ぎないのであります。日本人にとっての原味覚である米が空気と同じ様な存在で、新米の季節を除けば日常的に旨いとも不味いとも思わないほど余りに普通の食べ物であるように、殊更にその売り方や飲み方まで省みられる事が無いほど余りに普通の酒であった清酒は人々の話題に上る事も無く、もはや世界に冠たるその製造法(並行複式発酵)から、伝統性と現代性や、地域性と多様性といった個性や特殊性を積極的にアピールして行かないと、お膝元の日本の若者にさえ受け入れて貰えない状況下に在るのです。しかし冷静に為って考えてみると、それは理由無き事ではありません。確かに若者にとっても酒はコミュニケーションツールでありますが、その対象が異性に向かう事が多いのですから、彼等は飲む酒に対しファッション性やロマン性を求める傾向にあります。「日本酒」は「古臭い」「田舎臭い」「年寄り臭い」といった悪い印象を払拭出来ずにいるのは紛れもない事実ですが、嗜好の未熟さが故にお洒落な雰囲気を最優先する若年者の初心うぶな舌では、香味が明快なワインに比べて主張が乏しく、したがって偉大なワインの様に身心を縦に貫く稲妻の様な感動を齎す事も無い、より繊細で物足りないとも思える日本酒の微妙さをそう容易く理解出来る筈も無いのですから、年の功としてそれはそれで良しと筆者は考える次第であります。歳を取るにつれて増して行く、温浴における芸術的価値観の様に、清酒への耽溺性もまた歳と共に増して行く。これが日本人における官能的快楽の実態なのです。

 ※1 伝統文化研究者西山松之助は「伝統」の概念を次の様に規定している。①伝統は、一つの世代から次の世代へ伝達される有形無形の伝承および、それを伝達する様式 ②伝統は個人的なものでなく、社会的、歴史的なものである ③伝統はいつもその発生原初の体験へ帰ってこれを再体験し、或いは再評価することが行われる ④伝統は、伝達され保存されるためには、新鮮な現代人の意識によって再体験・再評価されるものである ⑤伝統は一定の状況と結合している。そのため、伝統は一方から他方へ、それだけのものとして移植されたり、伝達されることがない ⑥伝統には自己意識的な性格がある

 ※2 一升瓶が誕生したのは明治三十四(1901)年。大正七、八年頃に大阪の徳永ガラスが製造に着手したが、その普及は中々進まなかった。しかし大正十二(1923)年の関東大震災により、建築資材が不足し四斗樽が製造出来なく為った為、代用として硝子の一升瓶が一気に需要を占める事に為った。詰まり一升瓶は出現してから122年、需要が拡大してから100年という事に為るが、安土桃山時代(1568~1598/1600)に出現した四斗樽の400年を越える歴史には及びもつかない

 ※3 この言葉は、昭和五十五(1980)年一月五日の初閣議で大平正芳首相が「日本酒は國酒。特に外国の客を持て成す時は日本酒が良い」と発言し、「國酒」と揮毫きごうした紙を日本酒造組合中央会へ贈呈した事を契機に使われ始めた(当会は平成二十一年六月の通常総会において、國酒とは「日本酒と泡盛を含む焼酎」を指すと機関決定している)。以後、歴代の総理大臣がそれに倣っているにもかかわらず、日本の「國酒」が全酒類の一割も占められていない理由は様々で、食文化の変化(洋風化、学校給食の余波、魚から肉食〈※4〉への移行)、社会環境の変化(自動車の普及、娯楽の多様化)、製造環境の現実(他酒類よりもコスト高の国産原料米の使用)等が原因と言われている。曾て江田鎌治郎が「我國産業中の巨魁たりと云ふことを得べし」と言った清酒の行政に、劇的と言える程の力量を発揮してくれる総理大臣は現れるのだろうか(故安倍首相は饗宴外交に自らイニシアティブを執る程積極的に取り組んだ。和食を指示し、ワインもフランス産から日本産に切り替え、乾杯は日本酒で行うようにするなど、日本の饗宴外交発展に最も貢献した。そしてこの遣り方は現岸田政権も踏襲している)

 ※4 日本において古くから千二百年ものあいだ禁止されて来た肉食を明治五(1872)年に明治天皇が解禁、明治政府に加え、福沢諭吉や仮名垣魯文かながきろぶんなど当時の有識者達も奨励した。横浜や神戸といった外国人居留地付近に西洋料理店が続々と開店し、牛肉が入手し易く為ると牛鍋屋やすき焼き屋が登場。刺身の技法を応用して牛肉を薄くスライスしたり、醤油や味噌を使用して白米に合うように工夫した事で庶民の間に普及した

 とまれかくまれ、歴史、宗教、文学、音楽、地理、化学、植物学、農学、経済学、そして食や健康に大工仕事などなど、古今東西酒は様々な分野と広く深く関わり、酒を通して人間の営みのあらゆる面に入って行く事が出来た事は、私の狭量な人生観を広げる事に大いに貢献してくれました。正にこの経験は「酒道」と呼ぶべきものであります。「道」という字は「全てに通じる」という意味であります。確かに当サイト管理者は、JSA、WSETの資格を満たし、経験も人並み以上には積み重ねて来たものの、一流の業界人と変わりなく、高度で専門的な独自の情報を提供出来る者ではないアマチュアである事が、当方が学会に「楽」という字を当てた理由であり、詰まりこの研究は飽く迄市井しせいの酒飲みらしく、時には感情を交えて千万言を費やし、誰にも気兼ねせずに心向くまま為された趣味に過ぎないという事です。したがって独断論も在り、どうしても己れの微々たる経験から全体を捉えようとする傾向が出てしまった事には申し訳も立ちません。そして都度都度の思い付きに任せたような考えでは浅知恵の域を脱し得ない上、抑々「酒道」とは問題が余りに大きく、浅学非才の身では荷が重過ぎたようであります。酒道などという言葉は現代で聞かれる事は無く既に死語と為りましたが、室町時代末期、酒道らしきものが在った事は事実で、公家流、武家流、商家流の三つの流儀が在ったとされ、それは其々の作法が定められたものでありました。そしてそれらがどれほど普及したのかは定かではなく、今日では伝書の一部が残るに過ぎません。元々士道や武士道という言い方は江戸時代に在ったようですが、茶道、華道、柔道、剣道、弓道も明治に為って「道」が付けられたといいます。それ以前は「茶の湯」「生け花」「柔術」「剣術」「弓術」と言われていました。そして酒道らしきものが残らなかったのは、酒の注ぎ方、飲み方、返盃の仕方、酒膳の配置といった作法を知るのは必要でも、飽くまで人間が不完全な生き物である以上、酩酊を通して人間修養を究めるのは無理があったからでありましょう。抑々作法を知っていたところで、見えは好く為ったとしても、思想や道徳性が向上する訳ではありません。そして、理性による自己抑制が解放されたバッカナールの如く、ひと度酒と夜と祭りが混ざり合うと、男も女も慎みを吹き飛ばし礼節を忘れ、在らゆる形の堕落を生み出すように為るものです。しかし千利休等茶人が信長や秀吉に仕えた安土桃山時代では茶道がリーダーの教養であったように、清酒を知る事は現代教養人の最高の嗜みの一つであると言っても過言ではありますまい。そして少なくともこのサイトは──絶対性の無い酒は各人の人生観を問うて来る飲料であるからこそ──飲酒の内に人生教訓或いは哲学性への昇華を求める姿勢を崩さずに進められて来た事が、管理者の密かな誇りなのであります。そして筆者としては、建前少々、大方は本音を吐露した積もりで、そして何より、全ての記事は単なる俄勉強の知識で書かれた訳ではないという事は強調して置きたいと思います。確かに、シャトーからの酒をそのまま貯蔵、瓶詰めし、その元のシャトーの名での出荷は言う迄も無く、方々のシャトーからの原酒をブレンドし、貯蔵、瓶詰め、そして自分のレッテルで出荷する問屋業者ネゴシアン的作業も少なくなかった事は、此処で公言して置きます。しかしながらそれでも、私という人工精米機に掛けて余分な箇所を削り取り、勿論 旨味 も残るよう角度も調整しながら、米という素材を磨き上げ、一記事一記事吟味しながら嚙むようにして醸して来たのは間違い無い以上、これら四十二本は矢張り筆者の精神が詰まった「おらが酒」達なのであります。エウリピデスの悲劇『バッカイ』には「酒すなわち神。よって他の神々の供犠に際して、御神体が注がれ祈られる」(逸見喜一郎訳)とあるように、ワインが現実を超越した神秘の領域、神や形而上学と繫がっていたのと同様に、清酒は元来神がつくるもので、「神の憑依よりしろ」と考えられて来ました。速醸酛 の祖、江田鎌治郎氏も「元来神を祭り祖先を祀るは人類の性なり徳なり。しかして神仏祭祀の供物くもつとして幾千年の昔より欠くべからざるものは酒にして、酒はと神意より出でたるものなり」と仰っております。これは詰まり、米を育て糧とする農耕民族にとり、己れの命と等価値である米は神に捧げるに値するものであったから、神饌の御飯、御餅、御酒は必ず中央に供えられ、そして中でも酒は最も手間暇が掛かるものであったが為、「御神酒おみき上がらぬ神は無い」と言われ神聖視されたのです。又、古代では酒は自家醸造ゆえに大変貴重なもので、酒には魂が込められていると考えられていました。即ち酒の贈答は魂の贈答であった訳です。野積では、酒造という複雑困難な仕事は人間が考えたものではなかろうという事で、弥彦の神様が野積衆に酒造りを教えてくれたという言い伝えが残っている程です。神の概念を持ち、祭祀を行うように為った時、人類は類人猿からヒトへと進化しました。神聖さを持った時、猿は人に為ったのです。酒を造るように為った時、人は神に近付いたのです。酒造りに着手すれば杜氏は勿論、蔵人全員が心身ともに清浄でなければなりません。複雑怪奇な醸し技は神業に拠るものとされた以上、それに携わる杜氏は神の化身、蔵人はその使わしめと見做されました。蔵の入り口には注連縄が張られ、神棚には終日燈明が上げられ、そして杜氏達は神の御心に従い、その加護を念じる事で心の迷いを制し、酒造りに励んでいたのです。確かに神から皇族貴族、そして庶民へと下るにつれて発展し、そうして国際市場に流通するように為った現在ではありますが、敬虔な祈りと精進潔斎に支えられた酒造は神事である事に今も昔も変わりはないのです。米を神の御神体とするなら、酒は神の体液。そしてそれを抽出するのが糀・・・杜氏とは言わば、米の霊力を信じ、醪と話をし、酒の精の神意を伝える呪術者シャーマンであります。この様に酒造は神聖であったからこそ女人禁制(※5)であり、何より神在月に神集かむつどう日本の神々・・らしく「和」の精神が重んじられて来たのです。ワインは一人の名により造られ、それは商品名、ブランド名にも為りますが、──最近の蔵元杜氏による「自耕自醸」や「農醸一貫」といったブルゴーニュ化する業界形態はさて置き──一方、日本酒は一人の専門杜氏の下、和の精神の上に、かしら・麴屋・酛屋・船頭・釜屋・精米・洗い場といった実に多くの人手によって造られて来ました。これは明らかに西洋の個人主義と日本の集団主義との違い、文化の違いであります。「和醸良酒」詰まり「人の和が良い酒を醸す」のであります。いえ、起源的に言うとその逆で、曾て酒は集団儀礼の中、超現実的な「神」と実在する「人」との交流を図るものであり、詰まり秩序ある理性的な日常の「ケ」から、混沌として野性的な非日常の「ハレ」へと人々を誘い、その境目に在るエロスの中で神々との交信を実現させるものであったが故に一人で飲酒する事は在り得なかったのですから、酒が在って始めて社会の中で和の精神が作り出されたと言うべきかも知れません。何れにせよ、もはや工場と呼ぶべきコンピューター化した蔵は別として、手造り中心の蔵では杜氏を中心とした蔵人との調和が必要不可欠で、一人が手を抜けば必ず結果として現れます。「和の乱れた蔵の酒は、味にとげがある。調和のとれた蔵の酒は人を和ませる、いい味になる」とは菊の司酒造杜氏小田中俊雄氏の言葉ですが、結局、神輿は一人では上げられないのです。日本は元来農業国であり、中世では人口の85%が農民で、そして農作業において肝要なものは傑出した統率力ではなく、集団労働ゆえの波風立てぬ協調性でありましたから、我々日本人は風土的、文化的、伝統的な理由を持って、昔からの行動原理に従って、周囲の人の輪を、自己の主張よりも大切にして来たのであります。「隣の百姓が田植えを始めたら田植えをし、肥料をやったら肥料をやる」という山本七平の「隣の百姓論」なるものがありますが、「日本人は全員一致して同一行動がとれるように、千数百年にわたって訓練されている」のであります。この勤勉な国民性による協調行動こそが日本人の美徳であり、そして個性が突出した酒が敬遠される傾向にあるのはその為でもあります。派手さよりも研ぎ澄まされた味わいに価値を見出して来た清酒に対し、個性が明確なほど良しとされるワイン。「ワインは油絵、日本酒は墨絵」と喩えられて来たものそれが故。しかしそういった酒造界の成句も比喩も、もはや誰が気にするでしょう。上述したように世界各地域において伝統酒が、その伝統的な飲酒スタイルの古臭いイメージに引き摺られて新世代に嫌われて行っています。よって「伝統は守らなければ自然に破壊され、そして二度とまた戻ってはこない」のであります。これは三島由紀夫の鋭い見識眼であります。「男は伝統の意味を知っているから・・・主体的にいつも伝統を守る側に立ち、自らその伝統をよしとし、あるいは悪いと思っても伝統を守らなければならないという、強い義務感を感じていた。それが日本の男性を必要以上に保守的に見せて来た原因であると思う。」こうして、掟に全てを捧げる武士道精神の下、因循いんじゅんたちの日本という国は世界の進歩に遅れを取り続けている訳です。しかしながら、伝統の無い酒、時流を追っただけの酒に真の飲み手は満足しません。いえ、寧ろ大抵は伝統に基づく職人的手法の方が良いものが出来るものです。我々が求めるのは、そして世界が認めるのは日本の真髄が表現された酒なのです。そして日本酒の洗練された味と香りは、これを他の酒類と比較した時、その余りにも純粋で単純で淡泊な事に気付くのですが、これは日本人が持つ特質以外の何物でもないと思われます。技術を高め、洗練させた一つの終着点が、我々日本人では、こうした境地に至る必然性を持っていたように思われます(※6)。旨味成分を水で煮出して希釈させる日本の出汁に対し、食材を煮詰めて濃縮させる他国の出汁などはその一例で、「足し算の洋食」に対して「引き算の和食」と言われるのは、仏蘭西フランス料理などがソースを素材にたっぷりと掛ける一方で、日本料理は素材から苦味や蘞味えぐみ、臭みなど不要なものを極限まで削ぎ落とし、後に残る好ましい素材本来の味わいを際立たせる事に、低濃度の成分を調和させる事に、言わば「無味の濃く」とも言うべきものに高い品位を見出して来たからです(※7)。万人に分かる「普遍的な美味しさ」であるところの濃厚さを高く評価しなかった点は、「障りの無さ」を重視し、「濃さ」と「美味しさ」を同義としなかった点は、ワインと異なる日本酒の味にも表れています。それと同様に、次々と物を足して飾って行く洋室に対し、余計な物は極力省く和室。芸術においては、押韻の数の多さに作者の一つの技量が見出される英詩に対し、三十一文字の短歌や、世界で最短詩形の十七文字で構成される俳句。自然の粋を表現する季語と共に、その限られた文字数の表現に無駄は許されず、読者は文字と文字の間に潜む趣を味わうのである。それに似て、簡素な営みを極める華道では、本質を成す一から三種の花材と左右非対称の空間が愛でられる。最善の例が日本庭園、そして能楽、能舞台。無駄を削ぎ落とした「侘び・寂び」の精神を表現する「枯山水」は、有機物が存在しない自然の神髄、無の境地が形を取った様であります。能楽を演ずるシテでもワキでも、その所作や型に全く無駄がありません。能舞台にしても、三間四方の檜造りの板の間、鏡板には一本の老松「影向ようごうの松」が在るのみ。此処で天地万物、詰まり自然と人間の全てを演ずるのです。混沌カオスの状態から全てを取り去り、秩序コスモスをも突き抜けて、一途に「純」と「淡」へと導く姿勢が、日本酒の醸造技術にも通じているように思われて仕方がありません。日本曹洞宗開祖道元禅師『典座てんぞ教訓』菜根譚には次の様にあります。「醲肥辛甘じょうひしんかんは真味にあらず。真味はだ是れ淡なり」「悠長の趣は醲釅じょうげんに得ず、まことに知る、濃処の味は常に短く、淡中の趣はひとり真なるを」──日本人は百万本の満開の花や山一面の紅葉のみならず、寧ろ枯れた一輪の花、庭に残る一枚の落ち葉に宿る儚さに玄々と感じ入るのです。桜や花火、或いは神風特攻隊が美しく散る様に心を奪われるのです。如何なるものでも蓄積による濃度、密度超過が問題を引き起こすとも言います。現代という、人々にとって都合の良い、便利な物が大量に溢れた、過密で不健康な時代に為って漸く世界がこの事に気付いたという事を、外国に見られぬ日本特産の心中を、世界最古の長編小説たる『源氏物語』にて最高に達成された「ものあはれ」の理念を、日本人は大いに誇るべきなのであります。

 ※5 女人禁制の理由 ①酒神としてどの蔵にも神棚に祀られている松尾様は女神の為、女性が入って来ると焼きもちを焼く ②昔の醸造設備が整っていない環境で化粧した女性が入れば醪に悪影響が出る ③冬の酒造期間、常識として禁欲生活を強いられる男性ばかりの酒蔵の中に女性が居ると気が逸れる ④釜は神聖な物で、女衆が触れる事は禁じられていた

 ※6 喩えて見ると、日本は一個の小さな研磨機で、世界中から一旦出来上がった物を何でも受け入れ、それを懸命に磨き上げ、より繊細で洗練され使い勝手の好いように不必要なまでに改良を加え、原形が分からなくなる程つるつるにして、誰もが「カワイイ」と思える物に変えてしまう。対し、米国は一個の巨大な濾過器で、例えばイタリアのピザ、ドイツ北部ハンブルクのハンバーガー、同国フランクフルトのホットドッグといった歴史的背景の有る地方食を一旦引き受けて本来の郷土色を払拭し、世界中で受け入れられるグローバルな中立性を付与して新しい食べ物として再輸出して来た

 ※7 和食における「格」は、素材本来の味を活かす生が最上であり、蒸す、焼く、揚げる、炊くと順に下がって行く。先ずは生で食べるという思考が軸に在り、其処から如何に手を掛けずに美味しく食すかを考えるのが日本的嗜好。だからこそ和食は常に旬(※8)を意識する料理なのである

 ※8 人間は大地や海川から得られる自然の恵みを食べて生きて来た為、どのような農作物を栽培し、どのように調理し、どのように食するか等、食文化の発展(※9)はその国の地勢や風土と密接に関連している。日本は四季の移り変わりがはっきりしていて、其々に旬の食材がある。その旬の魚介や野菜を活かして使うのは、季節感の鋭い日本人が生み出した和食の特徴である。旬の魚は脂が乗り、野菜はビタミンCが多い。漁獲高、生産量も多い旬の期間は初物と呼ばれる「走り」から始まり、味や栄養が充実する「旬の盛り」を経て、去り行く旬の「名残り」を惜しむ。旬の季節は一ヶ月、そしてそれが過ぎたなら翌年の初物が出る迄その魚や野菜は口にしなかった

 ※9 食べられる物と食べ物は同じではない。毛虫や甲虫は食べて食べられなくはないが、文明国では食べ物ではない。食べられる物の中から、栄養が有る物、美味しい物を「食べ物」として選び出すのが食文化の起源。そして食糧不足が文明社会の衰退に繋がる事はメソポタミア、エジプト、ローマ帝国以来の歴史が繰り返し示すところである(現在、国際的に米や穀物の不足が深刻化している)

www.ryoanji.jp 枯山水とは、水を用いずに、石、砂、草木や苔などにより風景を表現する、室町時代に確立した最古の庭園様式。全てに恬淡てんたんとした人間が辿り着く精神世界である
bokushinan.com 影向とは仏・菩薩がその身をこの世に現すことをいい、衆生済度のため化身となり出現することを意味していますが、「影向の松」という名も、この松が枝を多くのばし、まるで母親が両手を広げて子どもたちを抱えるようなその姿に由来するといわれます(倉敷市文化財保護課HPより)

 明治開国以来の欧米コンプレックスの強かった日本人の劣等感が敗戦によって強化され、日本的なものに自信喪失した日本政府を始めとする国民全体が欧米崇拝した結果、己が伝統を否定し、民族性を簡単に放棄する浅薄な日本人を生んだという歴史的背景に対し、もはやとやかく言っても何も始まりません。確かに、「米よりパンが優れている」とか「米を食べると頭が悪く為る、肥る、高血圧に為る」とか言った戦後の日本人の様に、自国を軽んずるから他国からも軽んずられるのです。しかしながら、各国の文化的背景が生む善し悪しについては、議論が感情的に為って収集が付かなくなる事も在り、況してお国自慢が入って来るともうどうにもなりません。それは自分が好むからと言って、飲めない人に酒を無理強いする行為と同じです。元来快感度というものは環境が作り出すものではなく、人の心の状態が作り出すものですから、快感度も押し付けられると不快感に変わるのです。確かに愛国の至情が身一杯に湧き返る筆者ではありますが、日本の現状は、先人達の弛まぬ努力に由来する世界に類を見ない飽食と物量的な豊かさの陰で、古来より日本人が何よりも重んじて来た「恩」を忘れ、個人的欲望や快楽に執着する、倫理感に乏しく心の貧しい自己中心社会に陥っています。唯我独尊に走り、快楽を思い切る意志の強さこそ日本人が最も称賛する美徳である事も忘れ、例えばハリウッド的遣り方の「ハッピーエンド」で終わるばかりの空っぽな娯楽に耽る余り、刀を捨てた日本人は己が行為の全責任を負う精神をも棄ててしまったようであります。千年の歴史を遙かに超えて、日本人と日本国を作り上げて来た祖先の生き方、聖徳太子や古事記・日本書紀時代から伺える日本人の価値観や美しい日本の精神風土が崩壊の危機に瀕しています。この日本文化の根枯れ現象に危惧の念を抱く傍ら、「創意工夫の精神、如何なるものに対しても敬意を払い、己が力の限りを尽くしより一層の高みを目指す」という日本人として生まれ持った和の心が、絶望という病魔にこの魂が侵されるのを救うのであります。一見矛盾の様であって実は補完し合う「東洋思想と西洋科学の合一」という農学博士徳山孝の理念に同意し、昭和の人の繋がりの深さの上に平成の情報と知識を加え、令和の新しい技術を活用して今を生きて行くしかないのであります。「所詮人間は足る事を知らぬエゴイズムな生き物」と言ってしまえばもうそれ迄、何処にも救いはありません。もはや人間中心、延いては個人中心の、肉食心理即ち競争原理の西洋思想に人類の未来が無い事は誰の目にも明らかです。もはやキリスト教に微塵も救いを見出していない私は「真の人間」ではなく「真の日本人」に為りたいと思うのです。「森羅万象共存共栄主義」とでも申しましょうか、人間が存在する意味とは「一人の人間として全ての生物の事を思う」事だと思うのです(※10)。日本国土の様に自分の小ささを認め、自分という人間が少しも特別ではない事を認め、「人を救う」「世界を変える」などと思う慢心を捨て、「友のものは共のもの」というピュタゴラスの至言に則り、目先の事に一喜一憂せず、ただ謙虚に慎ましく、そして最期は自然に抱かれ「人知れず消え去りたい」と思うだけなのであります。「宴会と同じように、人生からも飲みすぎもせず、喉が渇きもしないうちに立ち去ることが一番良い」と言ったアリストテレスのひそみに倣いたいのであります。人生という臭いものに対し、こちらは一発香ぐわしいのを放って、馥郁たる残り香を後に素早く逃げおおせようという目論見、それが我が人生哲学。永い憂き世に短い命、泥中のはちすの如く在りたいものです。

 ※10 京都府左京区の曼殊院門跡に在る菌塚などは日本的アニミズムの象徴と言えよう。研究や開発の為に死滅した菌類に感謝し供養したいという思いから、昭和56年に元大和化成株式会社社長笠坊武夫氏によって建立。坂口謹一郎博士の祝言もあり

kyotopi.jp 「人類生存に大きく貢献し 犠牲となれる 無数億の菌の霊に対し至心に恭敬して茲に供養のじんを捧ぐるものなり」

 扨、新たな資本主義の象徴は「地方」、デジタル技術を手段とした多文化共生社会とされます。生物多様性条約、文化多様性という国際条約があるように、自然界でも文化界でも多様性は生存や存続の鍵なのであります。多様性が失われると生命力も落ちると言われるからこそ、多様性の維持を目的として国連やユネスコで多くの国が参加し、国際約束であるこれら条約が作られたのであります。人間でも食べ物でも、その多様性を味わえてこそ、生きる喜びに通じる豊かな生活が在ると考えるスローフード精神を忘れないようにしたい。一方、金を手早く使えば、コミュニケーションツールの発達が却って増長させた矛盾的病であるところの「孤独」を紛らわせられる資本主義社会において、「日本は価格競争力を生み出せない国に為っている」と言われます。が、それで良いのです。元々我々は手垢に汚れた金などに人生観を左右される民族ではないのですから。「1ドルでも高い配当、株価を求める心」という米国型資本主義の精神に対し、江戸商人の哲学たる「売り手に良し、買い手に良し、世間に良し」という「三方良し」の精神を我々は重んじます。伊藤忠商事創業者伊藤忠兵衛曰く、「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの」なのであります。又、この国における老人優位の超少子高齢化社会、我々は「世の末」を気にしなければならないのでしょうか。いいえ、「世の末」の声が上がるのは今に始まった事ではありません。そんな事は享保元(1716)年丙申九月十日『葉隠はがくれ』が書かれた頃には既に叫ばれていた事で、実は封建制度の社会における武士の類型化が進んだ時代、既に人々が案ずるのは今の我が身の事ばかり。「義・勇・仁・礼・誠・名誉」から成る武士道精神を体する者も何処へやら、「末代までの恥辱」を恐れる者など居はしなかったのですから。時代と共に人徳は退化する一方で、酵母開発さながら人間を淘汰しない限り、この「世も末」と思わざるを得ない現状は、最後の審判を告げる喇叭らっぱが世界に鳴り響く時まで続くのでありましょう。すると中国詩人陶淵明の、「千秋萬歳後 誰知栄与辱 但恨在世時 飲酒不得足」「千秋萬歳の後、誰栄と辱とを知らんや。但だ恨むらくは世に在りし時、酒を飲むこと足るを得ざりし」(千年万年過ぎたなら 誉も辱もあるものか 心に残るは酒恋う心 飲み足らなくて泣けてくる)という辞世の句が、我々の胸に響いて来るではありませんか。唐代詩人于武陵うぶりょうの『勧酒かんしゅ』(コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ)という井伏鱒二の妙訳が響いて来るではありませんか。我々は元に戻るだけ、在るべき場所へ帰るだけ、自然から生まれた物は全て土に還るだけなのです。それは葡萄酒も清酒も同じであります。であれば、「養我天和 與仙人酔争壽 酔其有限哉」「我、天和てんわを養いて、仙酔せんすいじゅを争う。酔うに其れ限り有らんや」(私は、自然との調和を養い、仙酔と長寿を競おう。酔いに限りなど有るものか)と歌う賴山陽に追随しようではありませんか。しかしこの、性豪放にして遊蕩に日を送った偉人の言葉はきっちりと日本酒の真髄を捉えています。詰まり、明確に移り変わる四季の中、雪月花山水の変化を肴に自然との一体感に耽りながら酒を飲むのが、太古より自然の摂理と真正面から向き合って来た日本人の遣り方で、昨今の「一つの酒に一つの料理」的趣向は、流石に邪道と迄は申しませんが、矢張り西洋の真似事に過ぎず、異邦人なら兎も角、純日本人の取るべき飲み方ではありません。抑々酒は料理の為に造られたのではないのですから、料理のご機嫌取りの如き扱いは酒神に対して無礼というものでありましょう。そしてその逆も然りで、料理は酒の力量を計る為に作られるのでもありません。自分の中の最高の相性を求めて飲み散らかし食い散らかし、ペアリングについてまるで一家言でも有るかのように物申した事も御座いましたが、全く、考えながら飲む酒というものは、考えながら食べる食事同様全く以て味気無いものです。個人的な楽しみを研究対象にするほど野暮な事も無いでしょう。確かに小生は味覚を言語化する事で新体験を得る文学者の様に遣って来ましたが、「味覚を言語化すると不味く為るばかりだ」という科学者の言い分は「ご尤も」。「美味しく飲食を楽しむ為には研究する姿勢は持つべきではない」という教訓が、私がこの「酒道」を通じて払った代価の報酬であります。しかしもう私達は元の場所には戻れません。若山牧水は「それほどにうまきかと人の問いたらばなんと答えんこの酒の味」という、言葉で表せない程の酒の美味さを讃える歌を歌いましたが、もう私達はその「美味い訳」を確りと説明出来る所にまで来てしまったのです。

「学に生き、芸に遊びて七十年、楽しき道はなお半ばなり」という音楽学者田辺尚雄氏の言葉がこの胸の内を代弁してくれます。人は神代以来酒杯の内に悲喜交交ひきこもごも至り、明日への活力として来ました。詰まり宮本常一の言うように「酒の歴史はそのまま人間の喜びと悲しみの歴史でした。」確かに酒は嗜好の問題ですが、歴史を学ぶ事は嗜好を超越した問題なのです。好きとか嫌いとかいう子供染みた低俗な感情で取り扱える問題ではないのです。愈々言葉が尽きました。では最後に、長々として来た我が「酒道」を先人が残した「酒徳」に還元し、当サイトの全稿を一文で纏め上げて最終稿の締め括りと致しましょう。柳沢淇園『雲萍雑志うんひやう(ぴょう)ざつし』(1843年)の「飲酒の十徳」より──

「一、礼を正し、二、労をいとひ、三、うれひをわすれ、四、鬱をひらき、五、気をめぐらし、六、やまひをさけ、七、毒をし、八、人と親しみ、九、縁をむすび、十、人寿にんじゅぶ」

 ──酒徒から酒仙へ・・・時には葡萄酒、時には清酒・・・後は我々は移り行く世を楽しむのみであります。

saketoday.com

第四十一瓶 ブレンドのたえ

First Witch Round about the cauldron go; In the pison’d entrails throw. Toad, that under cold stone Days and nights has thirty-one Swelter’d venom sleeping got, Boil thou first i’ the charmed pot.「釜のまわりをぐるぐるまわり、腐ったはらわたほうりこめ。それ、ひきがえる、冷たい石に押しつぶされて、三十一日三十一夜、眠りつづけて、毒の汗ながす、お前が最初に魔法の釜に、煮えろ、煮えろ!」

Second Witch Fillet of a fenny snake, In the cauldron boil and bake; Eye of newt and toe of frog, Wool of bat and tongue of dog, Adder’s fork and blind-worm’s sting, Lizard’s leg and owlet’s wing, For a charm of powerful trouble, Like a hell-broth boil and bubble.「おつぎは沼蛇ぬまへびのぶつ切りだ、煮えろ、焼けろ。いもりの眼玉に蛙の指さき、蝙蝠こうもりの羽に犬のべろ、まむしの舌に盲蛇のきば、とかげの脚にふくろうの翼、このまじないで、おそろしいわざわいがき起こる、さあ、地獄の雑炊、ぶつぶつ煮えろ、ぐらぐら煮えろ。」

Third Witch Scale of dragon, tooth of wolf, Witches’ mummy, maw and gulf Of the ravin’d salt-sea shark, Root of hemlock digg’d i’ the dark, Liver of blaspheming Jew, Gall of goat, and slips of yew Silver’d in the moon’s eclipse, Nose of Turk and Tartar’s lips, Finger of birth-strangled babe Ditch-deliver’d by a drab, Make the gruel thick and slab: Add thereto a tiger’s chaudron, For the ingredients of our cauldron.「竜のうろこにおおかみの牙、魔女のミイラに人食いざめ咽喉のどと胃袋、闇夜やみよに掘った毒にんじんの根、イエスを罵ったユダヤ人の肝臓、山羊やぎの肝、月蝕げっしょくの夜に手折たおったいちいの子枝、トルコ人の鼻と韃靼だったん人のくちびる売女ばいたどぶに生み落して、すぐに首を締めた赤ん坊の指、さあ、とろりとろりと煮つめようよ、この雑炊を。それ、も一つおまけに、虎のはらわた、釜の中味に毒の味きかそう。」

 ──とは『マクベス』(福田恒存訳)からの抜粋ですが、これら三人の魔女が毒々しい原料と禍々しい呪文を以て精製した気味悪いちゃんこ鍋が、正にブレンドの奥義と言うものであります。

Macbeth witches by Karl Alexander Wilke (1879 – 1954)

 個人的なお話ですが──前回清酒の健康効果について述べて置いてこう言うのも何ですが──私は合法的にアルコールが飲めるように為ってから、清酒を一合でも飲むと翌日肌が弛みほうれい線が目立つように為る事が多く、どうやら体質的に合っていない事が判明しております。そしてそれが、私が清酒の美味しさを知りながらもワインに没頭した理由の一つでもありました。しかしワインを知った後、日本人である以上「日本酒と正面から向き合わねばならぬ」という事に為って、J.S.A.SAKE DIPLOMA呼称資格試験が切っ掛けと為り、何故か科学的裏付けに反する己が美容への悪影響も顧みず、コロナ対策のマスクを隠れ蓑に、それからは腹を括り死んだ気持ちに為って二年ほど連日のように飲み続けたのであります(※1)。そしてその末に見えたもの、それがブレンドでありました(それと実年齢より十歳老けた鏡の中の自分と、脂肪肝の兆候です(;^ω^)…「こりゃホントにいかん」という事で、直ちにひと月断酒して回復しました┐(´д`)┌ヤレヤレ)。詰まり、「偶に出会する自分好みの酒を如何に懐に響かぬように入手出来るか」という難問ゴルディアスの結び目をアレキサンダー大王の遣り方で一刀両断に解決したもの、それがブレンドであったのです。したがいましてこの稿こそは、数え切れぬ程の酒瓶を飲み干し、国の財源に一個人としては多くはなくとも少なからず貢献した末に、自分自身の好みの味に辿り着いた方々だけに通じる内容であります。此処は、日本という国に敬意も金も払いたくないと思う方々には、永遠に辿り着けない境地なのであります。

 ※1 余談だが、昔は、酒の所為で一代で身上しんしょうを潰し、山も沢山持つ分限者一家を零落させるようなタイプの酒呑みが日本中に居たという。娯楽の無い時代では酒が最大の楽しみであったし、酒量の多さは男を上げる手段でもあった。飲み始めたら最後、何処まで行くか分からぬという際どさが酒呑みにはある。これは生きる事の際どさと繋がっているように思われる

 扨、私が今迄に七面倒なだけで何の収益にも為らない書き物をしたためて来たのは、全く自分好みの作品を他に誰も書いてくれなかったからであります。そして言う迄も無く、そんな物は誰も、自分以外に書ける者は存在しません。それと同様に、全く自分好みの味の酒は矢張り自分で作るしかないのです。が、この国の法律において一般人に酒造は許されておりません(※2)。しかしブレンドの技術を身に付けさえすれば、その究極の目的が、愛飲家の彼岸が達成されるのであります!

 ※2 厳密に言えばアルコール度1%迄なら自家醸造は許されているが、酒飲みにとってその程度の度数に果たして何の意味があろうか。大袈裟に言えば日本始まって以来の主要な国民酒たる濁酒どぶろくは、明治三十二(1899)年から自家製造が全面禁止と為り、この時を以て自家酒造は全て犯罪と為った。しかしこれはどう考えても政府の横暴である。国連常任理事国においても自家醸造は合法である(中国は不明→参考:http://en.wikipedia.org/wiki/Homebrewing)事も鑑みれば、欧州のワインやビールの季節酒同様、日本の冬の季節酒として国民の手に返すべきではないか。濁酒の復活は、消費者大衆に忘れ去られた悦びを取り戻すと共に、我が国の酒の消費の上に季節的名物を作り出すという点で、或いはウィーンのホイリゲ、ラインのアウスシャンク、フランスのカルヴァドスの様な観光上の世界的名物に為らぬとも限るまい。濁酒の様な旨い酒が在りながら、単なる税金取り立て上の便宜から国民の楽しみを奪うような事は近年の役所の精神ではなかろう。恐らくはそういった思いを抱き、千葉県に自家用酒造即ち濁酒造りの認可を求めて国を相手に裁判闘争した勇者が居る。一審は「酒税法違反」として有罪になった。これは「個人の幸福権追求」と国家収入の基本を揺るがす「税金問題」の争いであり、国は酒害よりも国家への税金に重点を置いているという事を意味した。──因みに濁酒とは、酒を搾って清酒にする工程を省いた醪そのもので、糀や米粒の入った儘の酒ゆえ、その舌触りや歯触りが清酒とは全く異なる、甘酒の様でもあるが、酒と言うよりは一種の食物である。また甘味・酸味・アルコールの辛味も利いた、清酒には見られない美味しさが有る(固体の粒や泡の様な気体の粒でも、表面には液中の微粒成分コロイドが吸着されて集まり、その部分が特に濃くなっている。詰まりビールも液より泡の方が濃い事と為るが、それは科学的分析結果である〈固形分そのものの成分や栄養価にも拠るかも知れないが、実は一々の固形粒子が、その周りに酒の風味成分を吸着する事に拠るようである〉)。抑々清酒と濁酒は同じ酒として比較出来る物ではなく、濁酒は濁酒同士を比べ良否を見るべきである。或る山間の耕地の農家達は、「独特の味は酸によって味の深さを造り、相手をする料理の品によって清酒よりもどぶろくの方が良く合う」「普通の酒より美味なー、どぶろくから、この酸っぱさを無くしたら値打ちが無くなるで」と言って濁酒を愛飲する。坂口謹一郎は「このような甘酸っぱい酒は少ない」とどぶろくも高く評価し、酒税法で禁じられているのを惜しんだ。そこで、清酒は醪を 濾過 せねばならぬが、その為の濾布の目の大きさは規定されていない事に着目し、伏見の或る蔵元に教え、濁るような濾材を使わせて「濁り酒」を造らせた。原酒 の儘ゆえアルコール度が20度位の物もあり後で大酔いする恐れがあったが、駅の売店に行列が出来るほど大人気に為り、その後各地に同様の酒が多く出現した

 では毎度の如く歴史的背景から考察を進めて参りましょう。

 曾ては銘柄の通った大手の蔵でも自家の醸造能力には限界がある為、地方の知名度の低い中小蔵の完成した酒を大桶のまま買い集め、これを自社工場に運んで大タンクの中でブレンドした物を自家マークを付けて市場に送り出していました(→参照 生一本)。苦心して造り上げた愛する酒を日の目も見せずに原料として使われる事は蔵元にとっては不本意であったものの、実はこの「桶売り・桶買い」制度に伴う、多くの品質の異なった原酒のブレンド作業が新しい品質の酒を生み出す契機と為ったのであり、そして又これは酒造技術史上一つの特筆すべき操作でもあったのです。詰まり「清酒はブレンドすると劣化するよりも向上する事の方が多い」、「別々に唎いて似たような酒でも、ブレンドすると元の 原酒 に無かった新しい風味が出てくる事が多い」という声が多数を占めたのであります。恐らくは「感覚に乗らない微妙な風味の相乗効果」というようなものが、此処には在ると推測されます。(造石税制度が実施されていた戦前では、課税は製造者の段階で終わり、また四斗樽で取り引きされていた為にそれ以降はブレンド自由、割り水自由で、清酒の流通や価格の決定については専門的な商品知識を持った卸しや大手小売りの段階で行われていたようである)

 一方で西洋に目を向けますと、周知の通りスコッチの殆どの有名メーカーは自家工場を持たず、その系列に属する原料酒工場の酒を買い集め、貯蔵し、ブレンドして出しております。フランスを見ましても、コニャックではこれと似たような遣り方で、詰まり買い集める他に自分の所でも多少は造っている事が普通で、ワインにおいてもネゴシアンなる問屋兼半メーカーの仕事も同様な部分が多い。彼等はワイナリーからワインを で購入し、樽貯蔵させ、頃合いを見張らって瓶詰めして自家ラベルを張って売り出します。元詰めではないけれども、元の通りの酒を元のワイナリーの範囲でブレンドして貯蔵後に出すという遣り方です。定めし各メーカーには、自家製品に対する品質や風味上における方針、或いは見識というものが有って、それに合わせるような アサンブラージュ 技術が、古来の伝統に基づいて確立しているのでありましょう。それはシャンパーニュのクリュッグを見れば自明の理であります。

 中世においてシャンパーニュ地方の大きな修道院では、葡萄栽培農家が税の支払いの為に持ち込んだ葡萄からワインが醸造されました。そして当然それらの葡萄は異なる区画の異なる品種であった為、それらを混合してワインを醸造する必要がありました。これがアサンブラージュの原型であります。そしてドン・ペリニョン修道士が様々な産地の葡萄を混合する事が製品の品質に調和を齎す事、特に欠点の有る葡萄が含まれていた場合にそれをカバー出来る事を発見し、ワイン品質の安定性向上に繫げたのであります。そしてそれ以降、シャンパーニュ製造者達の間で異なる産地や品種のワインをブレンドするように為り、更に異なる ヴィンテージ(特に良年)のワインがブレンドされるように為りました。そしてこれは、年により得られる葡萄の収穫量や品質の変動が激しい、北方で冷涼なシャンパーニュ地方でのシャンパーニュ造りにおいて、極めて重要な方法と為ったのであり、このアサンブラージュ技術によって品質が常に一定のNVノン・ヴィンテージ製品が確立されるに至ったのであります。

 呼称資格試験受験者の記憶力を疲弊させ脳味噌を干上がらせる程に規定が細かいワイン法ではありますが、実はアサンブラージュに関しては細かい技術的な規定は定められていないようで、シャンパーニュ委員会では、シャンパーニュの品質向上についての研究を様々なテーマを設定して実施しているのですが、アサンブラージュに関する研究は実施しない事としているのだそうです。それは「アサンブラージュだけは各社の創意工夫に任せる」という考えに基づくのだとか。抑々、香味にまで共通した規制を設ける事自体ナンセンス且つ不可能なのですから、当然と言えば当然であります。兎も角この事は、アサンブラージュはシャンパーニュ製造において、殆ど唯一自由に、自社ブランドの差別化を行える手段である事を示します(※3)。だからこそグランメゾンにおいても、小さなRMレコルタン・マニピュランにおいても、アサンブラージュ技術は非常に重大なもので、アサンブラージュの為の試飲会は単なる会議と言うよりも、一種の神秘的な儀式と呼ぶべき場と為るのであります。因みに中小企業、特に家族経営のRMでは、アサンブラージュ作業は一家全員で討論を繰り返しながら数週間掛かりで行われるのですが、これを家族の年中行事として、所謂クリスマス休暇の行事として慣例化している家族も多く、遠方から帰郷する家族を待って実施される事もあるようであります。また親戚や近所の友人を定点的な評価者として迎え入れている場合も多く、地域のカウンセリング業者の技術者を招いて実施するのも一般的なのですが、何れにしても最終判断を下すのは醸造責任者である家長であり、この家長の下、家族一丸と為ってアサンブラージュと試飲を繰り返す事により、自分の家の味、我が家のスタイルを揺るぎ無いものとし、それを子孫に繫げて来た事が、彼等にとっての大きな誇りなのです。

 ※3 各企業の基本的なブレンド比率の差異が、当該企業の伝統やスタイルを決定し、それを訴求する根拠と為る。古くは、各社で工夫を凝らして編み出されたそのブレンド比率が、各社固有の重要な企業秘密であったようである。これこそが、シャンパーニュのアサンブラージュが最大の秘密と言われる所以である。しかし乍ら、近年ではこの比率は秘密とするよりは一般に周知して販売するのが一般的になっているが、それは造り手側の目線よりも消費者側の目線を重視する時代になったからだろう

  改めて日本に帰って来ましょう。国税庁HP第86条の6「酒類の表示の基準」に拠りますと、「吟醸酒、純米酒又は本醸造酒を二種類以上混和した清酒」「特定名称以外の清酒(精米歩合70%以下の白米、米こうじ、醸造アルコール及び水を原料として製造した清酒に限る)と吟醸酒又は純米酒を混和した清酒」(一部改訂)も「本醸造酒」を名乗れるという事でありますが、此処に消費者が見落とす意外な盲点があるのです。竹鶴政孝の『ウイスキーと私』という本には次の様にあります。「モルト(原酒)は同じ時に、同じ方法でつくっても、育つ環境によって、たいへん違ったものに成長する。それを合わせると更に味がよくなるのである」。又アサンブラージュは屢々しばしば画家の仕事に喩えられるのですが、それは詰まり「多くの絵の具原酒を持っている企業は、その分複雑な香味を描く事が出来る。絵の具の種類が多くない企業も、限られた絵の具を駆使して、綺麗な、或いはインパクトの有る絵を描く為の工夫をする。アサンブラージュでは、単なる足し算ではなく、相乗効果が期待される」という事であります。要するに筆者は、語弊を承知で申しますが、「本醸造酒もブレンド次第で大吟醸酒に為れる」と言いたいのであります。スコッチメーカーは「酒はただ混ぜたんじゃいかん、マリッジさせなくちゃいかん」と言います。日本でも江戸時代には「酒は交合させなくちゃいかん」と言われました。これを理論的に科学的に考えるのは難しい問題でありましょう。だからこそ、所謂「数式に乗らない」非合理性というものを再評価すべきこの時代であれば尚更、ブレンドは絶対に面白いのであります。ブレンドした相手の酒により、糖分が際立つ時と、酸が際立つ時と、受け皿によって味わいが違って来るのです。是非とも味覚がこなれた皆様には自分好みのブレンドを成し得て頂きたいと思うのであります。

 ではブレンドしたらどうなるのか、個人的経験に基づいた例を挙げて見ましょう。因みに灘では「自分の酒」を基準にしてそれにブレンドして行くという、世界的に見てもちょっと例の無い遣り方を遣っておられる事もあったようでありますが、何にしても自分の 嗅覚 と味覚という官能に頼る事に変わりはありません。そして手持ちの原酒のテイスティング評価を確りとして置けば、ほぼ同じ品質を毎回再現する事も可能です。そうして行くと、香水の調合士パフューマー宛ら(参考 匂い)、スコッチにおけるブレンダーの様に、「ノージング」詰まり アロマ を嗅ぐだけで味の評価が出来るようになるでしょう。更に進んで行くと、食事とのペアリングの様に、原酒同士の相性が分かる事もあるそうで、長所を高め合う組み合わせに対しつかり合う組み合わせ、不可解なところだと、互いの香味が無くなるマスキング現象もあるそうです。更に別の例だと、二つの原酒をブレンドしても現れなかった一方の欠点が、三つ目の原酒を混ぜると突然現れる事もあり、これを「マスキングが外れた」と言うそうです。何にしましても、専門家にとってでさえ謎が多く奥深いアサンブラージュですが、千人に一、二人と言われる嗅盲(無嗅覚症、嗅覚障害)で無い限り、経験を積み重ね記憶力を駆使する事でブレンド技術は高められる筈です。小学校以降の既知を暗記する事に必死の生活の中で、未知への向き合い方を忘れた人々にとって、答えの無い学習というものは、無駄に終わるという危惧が先行して、始める意思を容易に打ち砕くものでありましょう。しかし「未知から知を生む技術」、ソクラテスの言う「産婆術」的行為を無くした人生というものに、果たして何の価値があるでしょう? 失敗を重ねなければ新たな発見をする事は出来ません。さあ、皆様も幼児期まで実践していた「仮説思考と試行錯誤」に今一度挑戦してみようではありませんか!

 扨、飲み残しのアル添酒がありました──「こいつは切れは好いが辛さですっきりし過ぎてどうもいけ好かない」。そして手元には開封したての純米吟醸酒──「こいつはフルーツ香ばかりが鼻に付いて料理にも合わせ辛くどうもいけ好かない」。台所には安価に入手した一升瓶の純米酒──「香り立ちが低く甘味がもったりしてこれまたどうもいけ好かない」。「ええ、ならば見よ」と、試しにこれらのいけ好かない三つを半ば自棄糞やけくそに為って混和してみると、何ともはや、素敵な純米大吟醸的酒に化けたではありませんか! これに味を占めた筆者はそれ以後、試しに買った酒を「ええ、特徴の無いのっぺらぼうな駄酒め!」とか「ええ、口に合わぬわ、捨ててしまえ!」とか言って自宅マンション五階のベランダから目前の田んぼに向かって放り投げる事も無くなり、寧ろそんな時にこそ日頃鍛え上げて来た味覚の本領発揮とばかりに、ブレンドの実験を繰り返した次第なのであります(自然環境即ち神々を愛する事から人生が始まった筆者ですから、これは言う迄も無く誇張的表現です)。──では此処にその結果の概要を纏めます。

・物によっては、純米+吟醸=純米大吟醸(「清酒の製法品質表示基準」に従えば本醸造だが)

・発泡清酒(日本酒度プラスの辛口タイプ:炭酸水の様に甘味が乏しいぶん味が平坦)+レモンウォーター(少々:酸を補充)→味に立体感が出る

・高アルコール(原酒)+低アルコール→中庸のアルコールの飲み易さ

・大吟醸(爽やか系:正直物足りない)+低アルコール清酒(甘酸っぱい系:正直飲み飽きる)+老ね(濃く、熟成感、辛、苦、(渋):正直諄い)〈ブレンド比率は各人のお好みで〉

・チリの青っぽいソーヴィニョン・ブラン+一升瓶などの残り少なくなりやや饐え始めた清酒〈1:4〉→ソーヴィニョン・ブランの酸と青々しい爽やかさがややダレかけた清酒のボディに活を入れる。不自然に甘酸っぱいワイン酵母使用の清酒より遙かに飲み心地が好い

 ※ この効果を活かした商品が月桂冠の「サムライ・ロック」(ライムの酸により白ワイン割りと同じ効果、だがライム風味が強過ぎて諄く、杯が進まない。また匂いからして悪酔いする酒質で、酒や水で20倍程に薄めないととても頂けない)

・清酒(甘味)+赤ワイン(タンニン)→立体感(料理との相性は難しいため単体で)

・清酒(可能なら純米大吟醸)+スパークリングワイン(可能なら 瓶内二次発酵 で十分にイースト香の出た物)〈10:1〉→ワイン由来の柑橘香と酸味が加わり、甘酸っぱいスパークリング清酒よりも一段高い質の、より深みの有る奥深い甘酸っぱさ

・純米大吟醸(爽やか系)+白ワイン(吟香様のメロン風味有)〈10:1〉→七賢の甲斐駒を思わせる風味に向上(ワインの入れ過ぎに注意、日本酒の個性が負ける)

・焼酎(苦味、旨味)+清酒(老ね:甘味エキス)→焼酎に円やかさが加わり、飲み易さ

・ウィスキー又はブランデー+清酒〈1:1〉→風味は無論前者主体だが、清酒のエキス分(糖、ミネラル)のお陰で水割りの様に水っぽく為らずに強いアルコール度だけが下がり、より洗練された風味

・純米大吟醸(爽やか系)+一年間売れ残って半額に為った久保田萬寿〈1:3〉→久保田が果実感と共に若返る

・苦味や辛口を和らげたい、アルコールが強い→甘酒割りも可(良質な添加物無しの糀100%物がベスト)

・汁物(味噌汁、すまし汁)+純米酒(ちょっぴり二、三勺)→汁物の風味の向上

 何となくイメージが湧きましたでしょうか? 一個人の消費者にとって、こういったブレンドは、一本一本の単価が高くまた個性が強いワインでは極めて難しい業と言えるでしょう(→このイメージとして、最も成功した例は洋楽の“We Are The World”⇒https://www.youtube.com/watch?v=s3wNuru4U0I)。日本酒はワインに比べると味がフラットで、赤ワインほど力強い物が少ない。また味の傾向もワインほど広くない(※4)事が、私の様な素人にも旨いアサンブラージュを可能にする要因であります(※5)。日本酒の面白いところは五味の何れかが自分の嗜好もしくは料理との相性から見て不足していると感じた時、他の日本酒を混ぜて補ってやる事がより容易に出来る事であります。各品種の個性が強いワインでは、ボルドーの造り手の様な知識と熟練が無ければ、中々こうは行きません。日本酒では互いが一歩譲ってくれるため巧く行き易く、奇妙な味に為る事が少ないのであります。総じて日本文化は異質文化の選択と調和の歴史であります。それはペリー提督が浦賀に遣って来て以来、それから日本は日本だけの価値観で良しとする訳には行かなく為りました。『田崎真也のスーパーSAKEレシピ』には次の様な文面があります。「ヨーロッパでは、ワインと料理の関係を夫婦間のそれと同じようにとらえます。夫と妻がそれぞれの個性を認め合い引き立てる・・・これが相性のいい夫婦。日本はどうでしょう。『これは日本酒に合うね』というと、酒の味をじゃましないもの、酒がすすむものを意味していました。いわゆる塩さえあればいい・・・というのもその理屈です。夫婦は? 一方が一方に合わせたり、お互いに干渉しないことを良しとするところ、ありますよね。日本酒と肴、ワインと料理・・・怖いくらい国民性を表していると思いませんか?」──その通りです。そしてそれで良いのです。この国の礎なる『古事記』には「国譲り」なる神話があるように、譲歩という美徳こそが建国の土台なのです。「和魂洋才」(※6)「和洋折衷」、矢張りこれらの言葉の内に、現代日本人として生まれた者が取るべき国際人の在り方があるのです。ブレンドは味わいを変えるのであります。

 ※4 味の薄さは上品さの要因の一つ、それは料理もワインも清酒も同様である

 ※5 よって酸が強い 生酛 系では個性が強く、少量でも圧倒するため他とバランスが取り辛く余り巧く行かないようである。また日本酒は完成度が高い為にその特徴を活かし辛い事や、ウォッカやジン等の蒸留酒に比べてアルコール度数が低い事から、カクテルにするには難しいとされる

 ※6 明治時代の佐久間象山の言葉で、「西洋の科学技術を学ぶが、根本と為る精神は儒教を始めとする日本人が磨き上げて来た道徳である事を忘れるべからず」の意。この言葉の原案は十世紀、平安時代の菅原道真による「和魂漢才」(大和を大事にしつつも、中国の学問を取り入れるべし)。なお象山は次の様な言葉も残している、「二十歳にして一国(藩)に属する事を知り、三十歳にして天下(日本)に属するを知った。四十歳にして五世界(国際社会)に属するを知った。」

本日の箴言

 ウィスキーの最後の仕上げは、古い原酒と新しい原酒をブレンドして、また樽に入れ再貯蔵し、調熟させる仕事がある。ウイスキーのブレンドは不思議なもので、新しいモルト同士の場合は当然のこととして、古いモルトと古いモルトをまぜ合わせても結果は必ずしもよくないのである。ところが、古いものに新しいもの、たとえば十年ぐらい熟成した原酒に五年前後の比較的新しい物をブレンドすると、新しいものが古いものに同化して旨いウイスキーが出来る

竹鶴政孝『ウイスキーと私』

平日の一杯

「糀2倍の純米酒」(Alc10.5%)+「ロックで楽しむ純米 原酒 貯蔵酒」(Alc18.5%):灘の大手沢の鶴、同蔵製品の組み合わせ

 前者は薄っぺらく、後者は諄い風味で、失礼ながら正直どちらも単体では頂けないが、〈5:4~1:1〉で割ると両端のバランスが取れ、アルコールも14.5%程と為り、これが中々素敵な味の酒に化ける

 前者は900mL814円、後者は720mL1000円(執筆時点の価格、共に税込)、共に全量その儘ブレンドすればきっかり5:4の比率で計1620mL、詰まり四合瓶2.25本分の量で1814円

欧州で若手の造り手達が制限の多いAOC表記に見切りをつけ、格下のIGP表記にてより自由な遣り方で優れたワインを造っているように、また曾て級別制度が「国家による詐欺犯罪」と扱き下ろされる程の、税金を効率好く取り立てる為にアルコール度のみで級分けしただけの杜撰極まる格付けであったように、精米歩合の低さだけが注目されがちな特定名称も意味を持たなくなりつつあるように思われる。栃木県のせんきん蔵元、薄井一樹氏は次の様な内容の事を言っておられた。「日本酒は精米歩合の表示義務はあるが、酒母日数を表示する必要はない。天然酵母を使えば酒母を造るのに40~50日かかる(速醸酛は1週間ほど)。日本酒の価値を精米歩合の様な物差しで計るべきではない」
兵庫県:宮 を使用した男酒でその令聞が響く灘を有し、「酒米の王」と呼ばれる山田錦の故郷で、大小の酒蔵がひしめく、生産量全国一の酒処。米の味を確り出した芳醇な造りをする傾向。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/hyogo.html

第三十九瓶 古典落語に見る清酒

 えー、ご機嫌よろしゅうございます。ようこそ、お運びを頂きまして、厚くお礼を申し上げまして、えー、相も変わらないお古いところで、えー、一席お付き合いを願います。

 ・・・という事で──前稿の締めでは、何やら雲行きの怪しい雰囲気が立ち籠めてしまったので──心機一転、此処は「なるようになる」という事を重視する日本の国民性を発揮して進行して行きたいと思います。

 筆者は所謂いわゆる御通家ごつうか」なる古典落語至上主義の、生粋の落語愛好家ではありませんので、此処で落語論をおっ始めるような無粋な真似はせず、純粋に「酒」が出て来て笑える噺に興じたいだけなのであります。

おもえば、落語とは、ふしぎな芸である。英雄豪傑が登場するわけではない。佳人才子が活躍するわけでもない。江戸や明治の庶民のくらしに密接したできごとが、ワライとともにかたられるだけである。しかし、そのできごとには、千年以上にわたる説話や民話の世界が凝縮されている。ときに、非現実的な話がないでもないが、それは現代の目からみただけのことであり、つい最近まで、わたしたちの祖先が信じていたことである。それをかたるのに、なんの装置や道具も必要とせず、ただ扇子と手ぬぐいを補助手段として、三寸の舌のみを武器とする。一枚の舌で、将軍や大名を高座によびだすこともできれば、遊郭や冥界にまであそぶことを可能とする。キキテを仮構の世界にさそいだし、最後のオチで現実の世界にひきもどす」とは野村雅昭著『落語の言語学』からの引用ですが、これを当サイトにとって都合の好いように解釈致しますと、落語の中には生活の中に生きる、真の、詰まり普通の、気取らない、在るが儘の、且つ楽しみに満ちた酒の姿が描かれているという事であります。そして落語を通して江戸時代の酒を知る事は、現代の清酒の基礎を理解する一助に為るという事でもあります。

 抑々そもそも日本人における飲酒の大衆化・日常化は、前稿『新酒番船』にて触れましたように、物流が発達した江戸中・後期に始まった事で、当時の日本全体でいうと、酒はハレの日に醸して飲む物でした。詰まり、元来日本人は神事として集団で飲酒した為、その機会も多くはなく、その日を決めて酒を造り、そしてその日の内に飲み切るという飲み方で(したがって浴びるほど飲んだため酔い潰れていた)、これは神人共飲であると共に、一味同心を図るものでもありました(※1)。こうして江戸期の生活規範では、ケの日に酒を飲むのは破廉恥な事とされ、また酒はしかるべき場所に行って飲むべき物とされました。そしてその「外飲」の装置として居酒屋や料理屋が発達したのであります(※2)。無論その要因のもう一つには、復しても前稿で触れましたように、いびつな程単身男性が多かった江戸の町における「独身男の文化」が挙げられましょう。そうして酒は嗜好品として飲まれるように為って行ったのですが、それでも寄合酒、振舞酒、接待酒の風習は根強く残り、酒は相手を求めて飲むのが常で、独り酒や手酌は卑しいとされました。古代より日本には「酒は注がれて飲む物」という観念があり、自分で注いで飲むのは無作法とされて来たのですが、一方現代では自分の好きな量だけ勝手に手酌で遣れという話に為っています。その意識の転換を生む切っ掛けと為ったもの、それが「晩酌」なのであります。しかしながら家における晩酌の普及はなお時代を待たねばならず、それは「晩酌はたしかに又明治大正時代の発達であった」と柳田国男が『明治大正史』に記している通りであります。昨今においては、物流の便べんに加え、ウェブ技術とコロナ禍のお陰で一層発達した「家飲み」は、「オンライン飲み会」なるビデオ通話仕様でも楽しまれているようでありますが、矢張り対面で飲み交わす、生きた人間同士のじかの触れ合いを通した遣り方には敵わないものと思われます。とは言うものの、現代人のチビチビとした晩酌やダラダラとした付き合い酒は、はたから見ていて実にり張りの無い陰気な飲み方と言わざるを得ず、居酒屋で簡単な肴を当てに燗酒を一本グイッと飲む、若しくは料理屋や遊郭に出掛けて芸妓や遊女相手に時間を掛けてしっぽり飲む、旅に出れば所々で派手にどんちゃん騒ぎもする、といった落語に描かれる江戸っ子の陽気で健康的な遣り方に比べれば、情けないまでに縮こまった、飲む気も殺がれる飲み方なのであります。しかしながら、十返舎一九作『東海道中膝栗毛』の弥次喜多なる好一対の滑稽コンビの様に、「喰い心坊で酒好き、好色でそそっかしくて大法螺吹き、見栄坊の癖に時々猫糞ねこばばを遣らかしては失敗する。それでいて馬鹿正直で腹の中は空っぽだから憎めない」、こういった典型的な江戸っ子は、このせせこましい時代では唯の鼻摘まみ者として扱われるだけでしょう。

 ※1 「飲む目的は味よりも主として酔うため、むつかしい語で言うと、酒のもたらす異常心理を経験したいためで、神々にもこれをささげ、その氏子も一同でこれを飲んだのは、つまりはこの陶然たる心境を共同にしたい望みからであった。今でも新しい人たちの交際に、飲んで一度は酔い狂った上でないと、心を許して談り合うことができぬような感じが、まだ相応に強く残っているのもその痕跡で、つまり我々はこの古風な感覚の片割れを持ったままで、今日の新文化へ入って来ているのである」(柳田国男)。詰まり、昔は飲んで酔う事が大事だった為、「酒の上の過ちは大目に見る」「酔わなければ本音が出ない」という具合だった

 ※2 居酒屋とは「店先で酒を飲ませる酒屋」、或いは「安酒を飲ませる店」。詰まり料理屋の様な大きな座敷は無いが、屋台店の様な立ち飲みでもない、簡単に腰掛けて「居酒」をする所。江戸中期において一般化した

藤沢市藤澤浮世絵館  落合芳幾作『東海道中栗毛彌次馬 小田原』
小田原の宿場にて、上方で流行という五右衛門風呂の入り方が分からない二人。ゲス板を沈めて入る事なぞ知る由もなく、足が火傷するほど熱いがどうしたものか・・・知らないという事を知られたくない江戸っ子の意地。丁度傍にあった雪隠せっちんの下駄を履き、鼻歌交じりで素知らぬ顔。だがそうしている内に尻が熱く為って来た。釜の中で立つわ座るわ繰り返し、ガタガタ踏み散らした挙句、底を踏み抜く喜多さん。辺りはすっかり水浸し。下駄を履いて風呂に入る馬鹿げた真似に宿の亭主はご立腹。二人のごたごたを見ていた弥次さんも流石に気の毒に為り、仲裁に入って弁償という事で一件落着したのだとさ…

「飲み方」という話題が出た良い機会ですので、此処で現代人の言う「ブラインド・テイスティング」といった唎き酒に対する批評も加えて置きましょう。この行為は、先程申しました「生活の中に生きる、真の、詰まり普通の、気取らない、在るが儘の、且つ楽しみに満ちた酒の姿」とは全く掛け離れた、言わば「競争という勝利を欲望する喧騒」の一つで、コンクール優勝者が良くインタビューで言う、「今夜からラベルをじっくり見ながら飲みたいと思います」という言葉に、酒飲みの偽らざる本心が籠もっているのであります。抑々、非常に不自然な状況の酒飲みコンクールなどというものは古い時代であればあるほど考えられないもので、元来酒とは飽く迄も「御神酒おみき」であったから、厳粛に慎ましく飲むべきものでありました。したがって酒の飲み比べなどは延喜えんぎ(901~923年)や天暦てんりゃく(947~957年)辺りで始まり、実際、単純に酒を飲み比べる競技の記録は十世紀初期のものに見られるようです。とは言え、平安時代(794~1185年)辺りの武士はまだ田舎臭い純朴さを具えていて、酒については古風を守っていました。古風な酒とは、「時や処を選ばず無闇矢鱈に飲むような事はしない、祭りや重要な祝儀に際しての宴会での酒を行儀良く飲むだけ」という酒であります。その後、愈々いよいよ酒が社交の場で遊び道具と化したのは室町(1336~1573年)貴族の世界。宮中では速さを競う「十度飲」や「鶯呑うぐいすのみ」(※3)、酒を当てる「十種酒」なるものが催され、その敗者には芸を披露させる「負態まけわざ」も行われていたとされます。十種酒とは酒の味や香りを判別する唎き酒競技で、茶を飲み分ける「闘茶とうちゃ」や香を聞き分ける「十種香」を真似たものと見られますが(※4)、これが楽しめるように為った背景には、室町時代に入って京都に多数の酒蔵が出来、結果各地に銘酒が生まれたという事があるようです。『親長卿記』文明六(1474)年六月二十八日の条に拠ると、これは左方に主上(後土御門ごつちみかど天皇)や前将軍足利義政正室日野富子ひのとみこら、右方には室町殿(前将軍足利義政:在任1449~1473年)や式部卿宮ら、各々十名で廷臣や高級女官を交えて行われていたようで、此処で歴史に明るい方は、「応仁の大乱(1467~1477)があった文明(1469~1487)初期の世情が不安な時代にもかかわらず、やれやれ、一体何をしとるんだか・・・」と呟いておられる事でしょう。確かにこれらは酒を扱った遊戯としては興味深いのですが、飲酒という嗜好的行為から全く逸脱した点については、室町時代の公家・武家衆の生活実態と共に些か呆れざるを得ません。けれど見方を変えると、これもまた乱世に生まれ育まれた豊穣な文化的産物の一つと見すべきなのかも知れません。実際、資格試験やコンクール等でブラインド・テイスティングを経験した皆様は身を以てご存知でしょうが、極めて短い時間内に酒の性質を分析・記憶・判定する唎き酒は、有らゆる邪念を払って精神統一せねばならぬだけ、たとえ遊技として行うにしても、其れなりに養成された技術が要求されます。そして現実逃避の一手段として酔う為の酒(※5)が必要とされる動乱の最中においても、斯かる競技が貴人達の娯楽に取り入れられたという事実は、確かに「サケ」という物が「神聖なる飲料」からは落魄おちぶれたものの、「単なる到酔飲料」よりは貴い物へと格上げされた事を意味するのではないでしょうか。因みに気に為る先の十種酒の勝負の結果ですが──ズバリ「左方御負」。更に翌二十九日にも催されたようですが、再び主上方の「御負」。此処は宗教や芸術を愛好した義政の舌は確かな物であったのかなと、前向きに想像したいと思います^^

 ※3 「十度飲」は『親長卿記』文明七年四月三日の条に、宮中で催されたというのが初見で、これは参加人数を十名ずつに分け、左方、右方から交互に進み出て五杯ずつ早く飲んだ方が勝ち。「鶯呑」は二人組み同士で同量の杯の酒を早く飲んだ組が勝ち。共に単純な早飲み競争ではあるが、個人戦ではなく団体戦だったところが興味深い。三年に一度のソムリエ達のオリンピック「A.S.I.世界最優秀ソムリエコンクール」にも団体戦の部を取り入れたらずっと盛り上がるだろう。序でに「滝飲み」なるものもあったらしく、これは大杯を傾け、酒を流し込みつつも、一方で回りの者がその杯に次から次へと酒を注ぎ足して行く曲芸の様な飲み方で、飲み手に見えるのは眼前の杯と、飛沫を上げて上空から注ぎ込まれる大量の酒のみ。「土佐赤岡どろめ祭り」を想起させますネ(→「1升一気!どろめ祭り 大杯飲み干し大会」https://youtu.be/x-Tg9uOuDoQ

 ※4 「十種酒」の内容は次の様に考えられている。団体戦で、左方・右方双方十人ずつ参加。「いろはに」の四種が用意され、「に」以外の「いろは」三種は予め味わって貰い、「いろは」は三杯ずつ三回、「に」は「客」と言われ一杯だけ一回、計十杯を全員が利き分ける。御酌人によって注がれる酒は酒元によって無作為化される為、二十人の判定人には無論、御酌人にも供出される酒の順序は分からない。判定人は筆で所定の用紙に結果を書き込み、酒元がその用紙を回収し、正答数によって勝敗が決する。文献的に明らかではないが、恐らく全て吐き出さずに飲み込んだと思われる為、最終的には結構な酒量に為る。とは言え、平安時代には現在とほぼ変わらない品質の清酒が造られていたというから、十分楽しんで大杯を聞こし召していた事であろう

 ※5 乱世の酒は酔う為、太平の世の酒は嗜好を満たす為に在るもの。維新の志士達が酒に酔い痴れ女に溺れていたのは、いつ死ぬか分からぬ身としての悲壮な刹那主義があった為で、また特別攻撃隊員の出撃前の「武運を祈って交わす」乾杯は格好付けで、実は死への恐れを取り除く為の景気付けであった。尤も、当時の兵士は潔く死ぬという名誉心を徹底的に叩き込む教育を受けていた為、死への恐怖は然程でもなかったという

 ──閑話休題。噺が始まった後は演者の話術が全てであるが故、「言葉の芸」と言うべき落語、「何にも無いから何でも有る」落語。書物を楽しまなくなった現代人にとって、詰まり「言葉」の意義を知らず「想像力」の価値も知らない人々にとって、即ち一方的に目に入って来る色鮮やかな高画質の映像を受動的に見流すばかりのヒトという動物にとって、放映落語番組の固定されたカメラの単調な画面は忍耐を強いるものであり、きっと彼等は数十分も耐えられない事でしょう。現に落語はテレビ番組に為らないと結論付けられている程、その視聴率は極めて低いものです。しかし実際の落語とは、噺家の身振りと表情が誠に豊かな談話なのであります。特殊な例では、座布団から転がり落ちた者、座布団をうどんに見立ててねた者、座布団の周りを走り回った者が居たそうです。更なる特例として、シンセサイザーを使った者、高座の上で料理した者、そして左右に向くのは元より、客に後頭部を向けて話した(無礼)者などが居たとも聞きますが、流石に此処まで遣ると興醒め、唯の「演出」に為ってしまいましょう。

 昨今では酒蔵を観光資源として活用し、見学は無論、レストラン、更には試飲ツアーといったイベントを恒常的に取り組む所も多く、聞くところによると、大阪府交野市の大門酒造では、生前ロバート・モンダヴィがナパ・ヴァレーにて行ったように、クラシックやジャズコンサート、そして日本人らしく落語会にも積極的に利用され、接客も蔵人が行うほど本腰を入れている事からも分かる通り、蔵元は酒蔵を「劇場」であると位置付けているそうであります。この落語家を招いての「酒蔵寄席よせ」、グーグルで検索して見るとどうやら彼方此方あちこちの蔵で開かれているようで、お値段も手頃の上に、それが「弁当と蔵の酒付き」となればもう足を運ばない手はないでしょう(噴飯して前席の方の後頭部を飯粒塗めしつぶまみれにする恐れが御座います為、又マナーの面から見ても流石に飲食しながらの観賞はありますまい〈※6〉)。という訳で先ずはおうちで予行演習、是非ともお猪口を片手に、次にご紹介致します「酒」にまつわるお勧めの落語をご覧下さいますと幸いで御座います。さて皆様におかれましては、清酒同様に消滅の危機にある落語の楽しみを味到出来ますでしょうか? えー、では今回はこの辺りで、おいとまを頂きます。えー、またの機会に、お会い致しましょう。

 ※6 次の画像は平成15年ふるさと切手「能楽のまち 延岡」にて発売された物で、左は「延岡城下図屏風」から「神事能」が演じられている部分を模写したもの(右は延岡城址の石垣を背景に「のべおか天下一薪能」にて能面「小面」を着けて舞う演者の模写)。江戸初期の寛文年間(1670年頃)において能は現在の様に荘重なものではなく、庶民が気軽に楽しめるものだったようで、座って静かに観ている客の手前には、歌舞伎見物の様に朱盃で酒の飲みながら観能する、現在では考えられないような客が描かれている。皮肉な事だが、庶民の娯楽が人気を落とし同人の娯楽に為れば、観客の質が上がり行儀良く観賞されるのである

post.japanpost.jp

・桂文楽「夢の酒」⇒https://youtu.be/zWos7pmNFro

・「滝田ゆう落語劇場 長屋の花見」⇒https://youtu.be/EZjpJR8sOAs

・金原亭馬生「親子酒」⇒https://youtu.be/v6awMVlKheg:屈託な顔をさせる事無く終始笑っていられる、愛すべき飲ん太郎親子

・立川談志「粗忽長屋」⇒https://youtu.be/057r5frXQVY:こういう破茶滅茶な噺を思い切り笑い飛ばすのも実に良いものです。マヌケオチ

・桂雀太 「替り目」⇒https://youtu.be/UR1gG6wx2Jg:関西弁の落語も異なる趣でまた一興。16:07〜の洒落「冷や酒ばっかり飲んでる人も 死んだらおの世話になる」は良かった^^ ブッツケオチ

・柳家小さん「ひとり酒盛」⇒https://youtu.be/GQoC724v7Tw:正直言って前半は眠くなるので、辛抱出来なくなったら飲酒開始の11:50から。酒飲みの物知り談は13:55から。15:34以降は酒に卑しい昭和の酔いどれオヤジの熟柿じゅくし臭がプンプンし、徐々に胸糞悪く為って来るので見るも見ないもご随意に。尚、清酒は他のアルコール類に比べ熟柿臭が出易いようで、エキス分の多い純米酒の方が低糖質清酒(食品表示法の基準により「糖質ゼロ」と表記される物)よりも不快な呼気成分が発生し易かったという研究結果も。サカサオチ

・古今亭志ん朝「酢豆腐」⇒https://youtu.be/5IaPyKb-A9o:少しも少なくない登場人物を私の様な初心の者にも分かり易く演じ分ける技量は見物みもの。「湯は湧いて直ぐにお燗は出来るんだが、酒の肴がねぇんだよ。そこで安くって、数が在って、誰の口にも入って、ちょいと見場が好くって、腹に溜まらねぇ、衛生に良いなんていう乙な物を一つ考えて貰いてぇんだよ」──さて皆様なら何と返答致しますかね? ヒョウシオチ

・柳家小さん 「猫の災難」⇒https://youtu.be/GKEd3F0qeyo:見所は10:58-17:15。13:33「あいつはむしゃむしゃむしゃむしゃ喰いながら飲もうってんだからなぁ、ああいう酒卑しいんだよ」→「食中酒が卑しい」という意味ならソムリエ達は大反対でしょうが、「口内調味が卑しい」という意味なら大賛成でしょう。(そしてもし後者なら上演当時としては誠に進んだ主張であります)

・古今亭志ん朝「大山詣り」⇒https://youtu.be/RzRhFMOP_1w:酩酊による被害者化がテーマ。引く事を知らぬ、気の荒い江戸っ子の気質、及びよく知られた鮮やかな地口落ちジグチオチにニヤリ

・古今亭志ん朝「居残り佐平治」⇒https://youtu.be/3qJ95jwqd-w:良く言えば「芸は身を助く」ですが、結局は唯の詐欺ですな。但し昨今の不特定多数を狙った機械的で悪意ある西洋的なものとは対照的な、狙いを定めた人間臭い純日本的な詐欺ですがね。ミタテオチ

・古今亭志ん朝「二番煎じ」⇒https://youtu.be/fORe2uwByns:幾度の笑いを禁じ得ない談話。締めはブッツケオチ→25:21〜「もう兎に角ね、もう他にもう楽しみはないんでござんすから〜」この台詞が身に染みる切なさよ…(;´д`)トホホ

・立川志の輔「禁酒番屋」⇒https://youtu.be/sVZqbZHFfDU:酒に対する両価性アンビバレンス。遠い昔の古代より日本では禁酒政策が細々ながらも連綿と行われ続けており、それは聖徳太子の新政から始まり、大化の改新、奈良朝の勅令、平安初期の勅令、鎌倉執権の禁令、そして江戸時代の初中期に亘り、国運の進展と並行して禁酒は高調されて来ました。この歴史的事実は、日本人が世界で最も酒害の脅威を知る民族であった事を示し、反面、幾度もの政令が失敗に終わってもなお繰り返されて来たところを見ると、如何に酒というものが人の身心が希求する、極めて諦め難い、滅ぼすには何とも惜しいものであるという事をも示します。勿論このアンビバレントな意識は人類史上最大の道徳改良実験とも言うべき米国の禁酒法(→「ワインと健康」※1参照)においても存在していました。そして密造、密売、密輸入は法律規制も何のその、人目を忍んでスルスルすり抜けて来たのであります。一方、酒壺破却を断行した鎌倉幕府の「沽酒之禁こしゅのきん」政策には徹底した禁酒励行の一大決意が思われ、実際これが日本禁酒史上の一大盛事とされます。そして又これが、五穀収穫減少による食糧難を緩和し、国家財政経済保険の上にも甚だ有効であった事を鑑みると、昨今のコロナ感染対策の一環として布かれた禁酒令にも見られた、自粛という形を以て人の道徳観に訴える生半な不飲酒戒ふおんじゅかい政策は失敗に終わるのがオチなのであります。(元々禁酒・節酒とは強制でなく自律して成されるものではありますが)──それにしても、役人の様な偽善者が下種げすな報復を受ける時にこそ、庶民はカタルシスを覚えるものであります。ブッツケオチ

・5分落語「酒の粕」⇒https://youtu.be/y-u0TMQj3Sg:「酒飲んで酔うたぁ言う方が男の値打ちが上がる」といった類いの台詞は昨今さっぱり聞かれなくなった(当方が飲み方を知らぬ若者と飲む機会が無いだけだからか?)。アルコール業界では世界的に人々の酒離れが叫ばれ続けているが、日本では試飲会やセミナー等の参加者は女性の方が目立つようである(地味な装いの男性達に比べ、彼女達の派手やかな服装もそう見える一因であろうが、実際データ上でも女性優勢。JSAに依ると有資格者においても年々女性の数が増えているという)。その内「酒飲んで酔うたぁ言う方が女の値打ちが上がる」と言われる日が来るかもネ・・・「男は男らしく」「女は女らしく」在る必要がなくなったこの時代、「男の価値」とは果たして何であるか。それ即ち「女の価値」とは何であるか・・・今の世において「人間的」で在るという事は「不自然」で在るという事なのだ。「性」の区別が法に反する現在、ボーヴォワール女史の名著も虚しい(が、そう為る事が彼女の本望であったろう)

・古今亭志ん朝「もう半分」⇒https://youtu.be/yOZLU3bv7a4:マクラの可笑しさからサゲの恐ろしさへの見事な変遷。酒を飲みつつ鑑賞した為か、高まる恐怖感と共に高鳴る心臓の鼓動が血流を通して全身に伝わり、指の先まで響くかの如し。現代の科学技術に支配された合理的な暮らしの中で忘れていた怖いもの見たさよ。注ぎ酒屋の夫婦の遣り取りに一瞬『マクベス』が頭をよぎった。‘Present fears are less than horrible imaginings.’(Act 1, Scene 3)「目に見える危険など、心に描く恐ろしさにくらべれば、高が知れている」(福田恆存訳)。シコミオチ

・古今亭志ん朝「芝浜」⇒https://youtu.be/qAxDDbqRaRc:夢と現実の区別が付かなく為る程の飲酒はエルぺノル症候群(→ワインと健康の※3参照)の好例・・・しかし「もう半分」の極道の妻とは正反対の誠に良く出来たおかみさんで御座います。斯かる奥が果たして現代の家庭にどれほど居るのか知らん。からきし女運の無い筆者は42:00の場面に泣きながら笑うのでありました──「ありがてぇありがてぇ、あああ、女房大明神様!」(´∀`)( ;∀;) 一年の仕事納めや年越しに、是非見直したい傑作

〈オチの種類〉

・ミタテオチ:オチに関わる物事を、別の物事に見立てて落とす

・ジグチオチ:駄洒落、語呂合わせ、もじり、パロディー等で落とす

・マヌケオチ:全然理屈を離れた、間抜けな言動で落とす

・ブッツケオチ:相手の言葉を互いに誤解し、食い違った儘で落とす

・トタンオチ:突如終結を付け、聴者の意表を突いて途端に落とす

・ヒョウシオチ:とんとん拍子で運んで行き、さっと落とす

・サカサオチ:オチを前以て話し、後で内容を話す

・シコミオチ:途中でオチの言葉を一度使って印象付けたり、又はその内容を説明して置く

本日の箴言

「落語における酒」の主題は、飲酒のもつ人間学的、心理学的、精神医学的かつ民俗学的な諸側面のほとんどを網羅している。そして、日本文化史上から見て、近世は、日本文化における「ハレ」の意味が、そしてその中に位置づけられる狂気・犯罪・信仰および酩酊の意味が、一般に、世俗化し、矮小化しながら、その各要素がなおはっきりと存在する時代であった。日本近世に生まれ、今日もなお生きつづける落語は、その中に登場する酒と酩酊者の姿を通して、人類に共通する酩酊の本質と、その日本近世的形態の構造を、私たちに透見させてくれるのである 

小田晋『落語における飲酒と酩酊の構造』

記念日の一本

No.6 S-type、純米 吟醸 生 原酒、きょうかい6号、Alc13度、令和三年度酒造年度、杜氏 植松誠人(新政酒造、秋田県秋田市大町)

 淡いシルバー/イエロー、気泡在り。水々しい果実を連想させる、鼻を擽るような非常に品の好い香りはマスカット、青林檎、ライチ、メロン、和梨、スイカズラ等

 舌を薄皮一枚で包み込むような繊細な口当たり、だが生原酒由来の充実した嚙めるようなジューシーさもある。55%精米で純米吟醸だが、米寄りとは程遠いピュアで新鮮な果実感と甘・酸がすっきりとしながらも他に比べ数段高いレベルでバランスが取れた、しかし 生酛 造りならではの奥行きもあり且つドライに切れる余韻

 味の起伏が素晴らしい。日本的繊細さと淡さと共に、それらに相対する性質が同居する矛盾した心の中にも、内に秘める信念を追究したような、「個性」という語を通り越して「唯一無二の特性」を備えた美酒。当蔵が伊達に業界の話題に上るのも訳無い事ではないと実感

新政の改新:①6号酵母限定 ②秋田県産米のみ ③純米造りのみ ④(山廃酛を含む)生酛 系酒母のみ ⑤(醸造用乳酸を使わない代わりに)白糀を使用 ⑥記載義務の無い添加物を使用しない ⑦14度台のアルコール度低めで搾った 原酒 ⑧2014年から木桶仕込み(酵母が活発に働き発酵の進み具合が早く為り辛口に為る。ステンレスでは表現出来ない繊細で複雑な酒質を実現。杉は生育方法や場所、また部位よって成分が異なるため酒質の多様化に貢献。酒に抗酸化成分ポリフェノールを供給)への取り組み、等

「木桶仕込みでは木の成分が少し酒に入り、これが酵母に影響を与え、他の酒とは違った発酵が行われます。杉の匂いはほぼせず、含んだ時に不思議な厚みが出るんです。あと、木の成分なのか分からないけれど、劣化しにくいのです」「木桶には多様な微生物が棲みつき、複雑な風味が付加される・・・江戸時代に完成した素晴らしい技術」「生酛の方が水の使用量が少ないんです。物というのは、水が少ないほど腐りにくいですよね。腐りにくいということは、雑菌にも侵されにくいので、きれいな酒ができます。水卸しという作業は必要になりますが、手間暇さえ惜しまなければ、酒質は安定するので、生酛を選びました」「化学的に、機械的にやっている限り、いずれ日本酒は行き詰まりになると思う。産業的にも。たとえば、西洋医学的なやり方でも発展はあるわけですが、生酛には東洋医学的なところがある。菌自体を殺しちゃう、減菌しちゃうのが西洋的な考え方で、それは 速醸酛 の発想で明治以降の西洋側のスタイルが入ってきたときの発想なんです。生酛は、もっと共存しながらという、東洋的、日本的なところがあって、世界に持って行くにしても、生酛のほうが懐深くて、偉大なものがあるんじゃないかという気がする」「科学の対極にある領域にロマンティックさと可能性を感じているんです。生き物にはとんでもない能力が備わっている。どんな小さな虫けらでも。人間にももっとすごい能力があるはずなんだけど、科学のせいで矮小化されていると思うんです。人間が本来持っていた感覚とかが。・・・人間の能力には、第六感とか第七感とかが隠されていて、昔の人はそういうものを駆使して、酒造りをしていた。それにすごく憧れている」──新政酒造八代目蔵元佐藤祐輔

秋田県:「美酒王国」「酒呑みの県」と呼ばれ、嘗ては肉体労働の鉱夫が多かった事から秋田美人を思わせるぽっちゃりとした甘味、また酒質は綺麗で雑味は少ないが僅かな苦味や 渋み による広い味幅、そして丸みのある余韻が主流だったが、近年は多様で輪郭のはっきりした物が多い。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/akita.html

第三十八瓶 新酒番船

 一旦筆を置いた拙ワインブログサイトを再開してから十九箇月弱、これ迄に十一瓶ご提供差し上げて参りましたが、新酒のお味は如何でしょうか? 全体的に 旨味 を凝縮させながらも、所々苦味や 渋み を効かせてありますので、或いは「飲み辛い」と言う方々も居られる事でしょう。しかしその苦味が濃くと共に幾分の爽やかさを与えて複雑さを添え、渋みが奥行きを生み余韻を支えるのです。此処で改めて──双方の価値の比較はさて置き──現時点では入手困難の極みである「十四代」の様に、酒が美味過ぎて料理の入り込む余地が無い、言わば独り善がりな美味しさに為っていない事を願いつつ、筆を進めて参りたく思う次第で御座います。

或る食事付き比較試飲会で十四代と黒龍を各六種ずつ試したところ、前者は香りにおいてメロン、青林檎、マスカット、スウィーティ、ラ・フランス、水仙、スイカズラ等の果実と花の要素が他とは数段上の次元で優雅に纏まって、味わいは生詰め由来の嚙めるようなジューシーさと四味(甘酸旨苦)の調和したシームレスさ。以上の香味が全種に共通して前面に存在する為、最も安価な・・・「本丸」でも十分にこの造り手の特徴が知れる。又、その美味に疑う余地は微塵も無いが、香りが食事の邪魔をする感は否めない為、単体もしくは食前酒として楽しみたい。対し「黒龍」は四味の生む重心が安定し、且つ明確な輪郭を形成する。求心力と重量感は、確かに十四代と比べてしまえば雑味として感じられようが、其々にバリエーションの有る香味ゆえ、全種一つ一つ別物として楽しめる。同時に、果実ではなく米寄りに意識された造りの為か、生 を含め、共通して燗適酒かつ食中酒で、個人的には──入手のし易さからから言っても(過剰なプレミアム価格が、消費者に誤った品質評価を下させている)──後者を推す。今や「米の酒に果実の香りは必要無い」という声が上がり始めている。(因みに、清酒にも似て 瓶内二次発酵 による旨味が特徴のシャンパーニュ〈他のワイン産地に比べ2~3倍のアミノ酸が含まれている、したがって和食に合わせ易い〉、その造り手達の間でも過剰な果実風味は必要無いとする考え方が徹底しているらしい。彼等は、例えばブルゴーニュの果実感の強い赤の泡やソーヴィニヨン・ブラン等の アロマティック 品種を原料とした泡に違和感を抱くそうで、「ああいう香りの強いヴァン・ムスーを、どんな時に何に合わせて飲んでいるんだろう?」と言う方が多いそうである)

 扨、前稿では「熟成古酒」についてお話し致しました。一年以上貯蔵した「古酒」はその独特な香味が通の人以外には余り好まれず、現代においてはつい最近まで殆ど注目されなかったのですが、それは寧ろ「搾り立て」のフレッシュな香味への強い嗜好が原因とも考えられます。「採れたての野菜が瑞々しく美味しいように、お酒も搾った瞬間が一番美味しい」と考える七賢の様な蔵もあり、それはそれで全く以てご尤もな嗜好であります。又、秋彼岸過ぎから仕込む新酒は年に一度の貴重な味でもあり、『常陸国風土記』の時代でも「あらさかの 神のみ酒を と 言いけばかもよ いにけむ」(新しく醸した尊い神の酒を飲め飲めとあなたが言って勧めたからだろうな、私はすっかり酔ってしまったようだ)と男女集って新酒を飲み飲み歌舞に興じた様が歌われております。

 ところで『本朝食鑑』に「熟成醪を酒袋に入れて上槽すると、酒が自然に滴り出る。更に圧力を掛け、酒が滴り尽きた後、酒だけを桶に取って滓下げをする。これを新酒と言う」とあるように、曾ては搾り上げた 生 酒を「新酒」と称したようであります。詰まり、厳密に言えば、一度でも火入れをした酒は「新酒」とは言わず、(熟成の進み具合は別として)「熟成酒」と呼ぶのが正しいという事であります(此処で改めてと熟成の相関関係が想起されます)。因みに「古酒」も今で言う物とは全く異質の物で、これは新酒一石当たり精白もち米三斗と米糀二斗を仕込み、二十一日間糖化した後に粕を分離した、味醂様の 諸白 であったという事です。そして諸白は酒質劣化防止に火当てが為されましたが、二番火、三番火、四番火とその回数を重ねる程に風味や色調が変化した為、諸白と言えども時と共に「三年酒 下戸のくるしむ 口あたり」(『川柳拾遺』)と為り、よって好酒家はかえって、「ます飲みの 価は取らぬ 新酒哉」(『蕪村句集』)に見られるような、造り酒屋で新酒の出来を祝い、通りすがりの人々にもただで升酒を振る舞うといった情景と共に、熟成古酒から諸白新酒へとその賞味の対象を移行して行ったのであります。こうして季節毎に諸白が造られるように為って行ったのですが、それは──最大消費市場であった江戸の人々が、糀香の抜けない荒い味でも兎に角新鮮な新酒を愛飲した事もありましょうが──実際には上方(西国)の酒屋が少しでも桶の回転を早め換金化を急いだという経済事情に拠るようです。とは言え、矢張り「江戸っ子が季節毎に異なる諸白の味を楽しんだ」と想像する方が浪漫ろまんを搔き立てるというものです。(※1)

 ※1 戦国時代末期、奈良興福寺の塔頭多聞院たっちゅうたもんいんに残された記録に拠ると、当時は初秋から寒を経て翌年春まで酒造していて、江戸時代初期も旧暦八月に造る最初の「新酒」(普通は前年の古米から造られたが、それは、新米では発酵が進み過ぎた為、腐造酒が多く出易かった事が理由)、「間酒あいしゅ」「寒前酒かんまえざけ」「寒酒かんしゅ」「春酒はるざけ」と、真夏を除きほぼ一年中造られていた。一方現在、技術発展のお陰で安定して同じ味の酒を生産出来る四季醸造が始まり季節感が失われてから、寒造り の新酒という伝統は廃れ、春の濁り酒や夏の生酒、そして秋の冷やおろしといった区別は大して意味を持たなくなってしまった

 それはそうと、「初物はつもの」「走りの物」に価値を見出し、「旬」の味を重んじる日本人の感性はどの様にして養われて来たのでしょう? それを知るには「新酒番船」について知る必要がありましょう。曾て徳川による江戸幕府の参勤交代制度によって全国の大名が江戸に集められた事は日本人が義務教育時代で教わる歴史ですが、これにより江戸人口が急激に膨張し、生活物資の需要を十分に供給する事が出来ず、上方から江戸へ多くの物資を運ぶ必要があった事などは余り教えられていないようです(※2)。そしてその徳川幕府の参勤交代以来、流通や問屋組織が明確に為って行ったのですが、当初の江戸積みは二樽宛駄馬(一樽=四斗)で数十駄ずつ運ばれ、詰まり馬の背に揺られて大井川を渡り、箱根の山を登り下りして江戸に運ばれた訳なのですが、「馬積みでは実に効率が悪い。酒は常に引く手数多、これではとても間に合わん」という事に業者さん達は1630年代の寛永の頃に気付いたようです。そしてこの流通をより円滑にする為に、江戸には十組問屋、大坂には二十四組問屋という廻船問屋組合が生まれ、樽廻船(※3)で何百樽も同時に送るように為ったのでした(千石船でこも被り四斗樽二十四貫〈72L入り約90kg〉が千五百樽は積める)。その内に、双方の間で「番船制度」が行われるように為り、そしてそれには「新綿番船」と「新酒番船」がありました。前者は畿内でその年に初めて産出した木綿を江戸に送る菱垣廻船による、そして後者は上方の新酒を江戸に送る樽廻船による、言わば弁財船(風帆船)の海上レースで、そして一番船、二番船と着順を競った事から「番船ばんふね」と呼ばれた訳であります(※4)。酒蔵毎に仕立てられた廻船が大坂から同時に出発して江戸を目指す競争は、初物を好む江戸っ子の気性(何でも一番が好み、向こう見ずで負けず嫌い、走り物は見栄を買うようなもの)に適った慣行で、西宮にしのみやの出帆に際しては囃子太鼓で見送られ、その賑やかさは『菱垣新綿番船川口之図』(下画像)等の浮世絵からも見て分かる通りで、それは蔵米を始め全国の物産が集まり「天下の台所」と称された大坂の賑わいでもありました。そして一番船などは、江戸前の海に見張り番を乗せた何艘もの船が待ち受ける中、到着を祝う幾つもののぼりや大漁旗が風に靡く盛んな出迎えの内に、船頭はねじり鉢巻きに赤襦袢じゅばん一枚で踊りながら乗り込み、祝杯を飲んで金一封にあずかるという、古き良き時代の年中行事の一つに相応しい情景が広がったとの事であります。この樽廻船で江戸へ運ばれた酒は「下り酒」と呼ばれ、質が高く珍重され大切に扱われましたが、対して質の低い酒は「下らない」と言われ、この用語は現在も日本人の生活の様々な場面において、唾棄するような口調で広く使われているものであります。詰まり、上方からの入津商品「下り物」イコール「良い物」、そして「下り酒」=「灘の 生一本」という関係が生まれ、それは江戸で消費される酒の七~九割を占めていたようです(※5)。その消費量は多い時で約百万樽と言われ、町人文化の第二次勃興期である文化・文政の頃(19世紀初頭)の推定人口は百万人、詰まり老若男女問わず(※6)、一年一人一樽すなわち一人一日一合少々の量が飲酒されていた計算になります。「イタミノサケ ケサノミタイ」(※7)という回文も作られたほど常飲され、清酒が如何に当時の日常生活に溶け込んでいたかが分かります。京が「着倒れ」、大坂が「食い倒れ」なら、言わば江戸は「飲み倒れ」の町であったのです。

 ※2 表面的な事実だけで、その背景にまで触れないのが、いつ迄も時代遅れの減点法にこだわるこの国の学校教育における一般的特徴である。次の事は既に『清酒の味わい方(外観)』の※4において述べた事だが、筆者の仕事柄、重ねて言う。事前に設定された解答を求める試験システムは、確かに同一で性能の良い商品を大量生産する必要があった高度経済成長期においては良かったが、既に良質な物が有り余るこの時代、教科書通りに作られた同一物に何の価値が在ろうか。「多様性が失われると生命力が落ちる」とされる事から、「生物多様性条約」や「文化多様性条約」というものが国際条約として存在し、自然界や文化界において多様性こそが生存や存続の鍵とされる以上、模範解答以上の解答で満点を越える事が在り得る加点法を組み込んで行かなければ、いつ迄も過去の成功法にしがみ付いた儘では、この国に発展は望めまい。現状維持もまた衰退の切っ掛けである

 ※3 和船仕立ての帆船で、大坂からの下り荷を扱う船を菱垣廻船(元和五〈1619〉年発足)というが、そこから独立して酒の輸送のみを扱う船の事。菱垣廻船より船倉を深くするなどして、樽の積載を重視した船型(下画像)。発足年は書物によって様々で、享保八(1723)年という物や1730年と記す物もあり、定かではない。明暦四(1658)年が当方が知る情報の内で最古

 ※4 他説には、兎に角多量な商品を同時に全て運ぶのは無理であった為、船舶の出帆を二回に分け、そして初めに出るのを一番船、次を二番船と称した事が「番船」の名の由来というものもある

 ※5 江戸では伊丹や池田からの下り酒も好まれたが、中でも灘の酒を最上とした。一方、関東周辺の酒は「地廻じまわり」と呼ばれ、灘五郷の酒に比べて技術が劣る分、足持ち(保存性)も良くない下酒げしゅで、味の分かる酒飲みであった江戸の男衆おとこしは下り酒、特にその新酒は地廻りの何倍の値がしても飲みたがったという(が勿論彼等は地廻りの酒も飲んだ。関東の「地廻り悪酒あくしゅ」は何処にも下りようがないという事で「下らぬ酒」と言われた。現代人が言う「下らねぇ」とは元々は江戸っ子の言葉である)

 ※6 享保六(1721)年の人口約五十万人の内訳は、男三十二万人、女十八万人と推定され、江戸はいびつな迄の男子多数社会だった。詰まり全人口の凡そ三分の二が単身男性、言い換えると男二人に一人は食事を作ってくれる配偶者がいなかった為、食べ物屋が繫盛した

 ※7 伊丹の辛口酒は有名で、塩辛い物を好む江戸っ子の嗜好に合った

mizu.gr.jp 含粋亭芳庵作『菱垣新綿番船川口之図』(大坂城天守閣蔵)
毎年秋の新綿番船の出航では、緋色の旗や幟、吹き流しを差した伝馬船や屋形船が河を埋め尽くし、浜の一角から大太鼓の音が勇ましく響き渡り、その合図と共に船々の出立を見届けようとする大勢の見物人が集まり大いに賑わった
https://nihonshu-tourism.com 樽廻船(沢の鶴資料館)
下り酒は、伊丹の鴻池こうのいけ家が江戸時代初期に、馬背うませにより酒荷を運んだのが始まりとされる。その後、元和げんな五(1619)年に始まった菱垣廻船で下り酒は輸送され、そして寛文かんぶん年間(1661~1673)に樽廻船が引き継いだ。或る文献には、安永年間(1770年代後半)には樽廻船の総数は百六隻、菱垣廻船は百六十隻と記されている。菱垣廻船は米、木綿や油、酢、醬油等と一緒に酒を混載して運ぶ為、他の荷を待たねばならなかった。そして当時の酒は質の劣化が早かった為、如何に速く輸送するかが問題であった。又、時化しけ等で積み荷に被害が出た時の損害補償制度(共同海損)にも不満があったとされる(※8)。それらを一気に解消したのが酒樽専門の樽廻船。船の大型化(大量運搬と波の荒い熊野灘から遠州灘の難所を乗り切り易い)と共に、速度向上も実現(菱垣廻船だと江戸まで三週間程だったのが、樽廻船では五日程に短縮)。余談だが、菱垣廻船や樽廻船は六、七年で水漏れを直したり、上廻りの補修をして十五年程で乗り納めとし、塩廻船等に売られた(因みに、下り酒の空樽は醤油樽に転用された)。しかし、そんな樽廻船も明治十年を境に蒸気船に取って代わり、軈ては陸上輸送に切り替えられて行った

 ※8 元来酒は劣化し易い商品で輸送期間が短い事が要望されていたが、菱垣廻船は諸種の商品を胴の間に高く積み上げ、とま囲いを厳重にするので、集荷から積荷、出帆までかなりの長い日数(普通で三十から四十日位)を要した。それに比べ、酒荷のみを下積荷物として積み込む樽廻船は荷嵩が低く、艤装ぎそうにも余り手間取らなかったため船足がより速かった。又、菱垣廻船で他荷物と同時に積み込む時、酒は水油・砂糖・砥石・蠟・糠・瀬戸物・鉄類等と共に下積荷物で、海難に当たって荷を軽くする為、先ず刎荷はねに(高波に揉まれて沈没しそうな時に船足を軽くし船の安定を図る為に荷物を海中にね捨てる事)に為るのは上積み荷物の繰綿・昆布・染草・煙草・薬種・絵馬・小間物・ひつ物・紙類・糸・木綿類等、より嵩高で且つ運賃諸掛かりや高価な物であった。同一の船の海難によって生じる損失は積み合わせた荷主が保障し合った為、下積荷物の主が上積荷物の主の損失を負担しなければならず、酒樽荷主はこの不平等な損害保障制度に不満を持った。こうして、特に享保十五年の大海難を契機として、酒店組は十組問屋の海保保障から脱退し、専用の樽廻船の独立組織化が為された
blog.livedoor.jp 灘五郷(西宮)から熊野灘、遠州灘、相模灘を経て江戸(品川)に辿り着くまで約700km、一般に五日程(かちで十五、六日)掛かったという。寛政かんせい二(1790)年に二日半で走り切った樽廻船が最速とされるが、そんな走りは船頭以下乗組み員(※9)の腕前、船の具合、風向き、潮加減など全てが格別に巧く行かないと無理で、二番手の記録の三日半で上々吉であったと言われる。瀬戸内海を主に往来する渡海船から見れば、江戸積みの様々な生活物資を運ぶ菱垣廻船や酒専門の樽廻船は花形ではあったが、規模も大きく外洋を行くだけに危険も多い、今で言う「ハイリスクハイリターン」の仕事であった。品川沖に一番先に着いた船は「惣一番そういちばん」と呼ばれ、その幟を誇らしげに立て太鼓を叩いて新川沿いを乗員皆で練り歩く特権が与えられるなど、他船を圧する誉れと役得が一年間与えられ、その酒は次の年の新酒番船の競争まで、二番手以下の何倍にも為るご祝儀相場で取り引きされた。無論二番札・三番札にもそれなりの役得はあったが、懐に入って来る金子の差は非常に大きく、例えば惣一番の報酬は何万両という、新造船のついえも直ぐに取り戻せる程であったという。一方で、四番以下の番船には役得は無かった。この勝負で、大風や高波のみならず、問屋と結託して江戸の下り酒を担う海賊にも襲われ得る上、野分のわき(台風)に遭って船ごと沈んで溺れ死ぬ事もあったが、勝利者達には分限者ぶげんしゃとして大尽だいじん暮らしの一年が待っていた為、船頭以下水夫達も命を張る、正に船乗りの誇りと実利を伴う競争であった。「やれいけ、それいけ、大坂もんの根性見せたれ」(佐伯泰英『新酒番船』)

 ※9 船の乗員は沖船頭(船主に雇われた船の最高責任者)、表司(航海士)・親仁(水夫長)・知工(事務長)の三役、その下に片表(表司補佐)、碇捌(碇操作)、かじ子(舵取り)。更に下って追廻し(雑事係)、そして最下は炊(炊事係や留守番)

 此処で物流の恩恵をこよなく享受する現代人としては、「クール便でお願いします」と贅沢な注文をしたくなるところです。しかしそこはワインとは造りが異なる日本酒の底力。多少なりとも劣化はしたかも分かりませんが、杉樽の様な不完全な容器にもかかわらず、高濃度のアルコール(→並行複式発酵)のお陰で、大坂から江戸への長道でも腐らせずに送り届ける事が出来たのです。そしてこの流通過程における僥倖を忘れてはなりません。四斗樽の酒は船に揺られて味が悪く為るどころか、「船中で もめばやわらぐ 男山」と川柳にもあるように、樽 の中で揺られて味が円やかに為り、更に杉の香油が程良く溶け込んで独特の香りも付いたのです。そして江戸っ子はこの杉樽特有の香味を大いに好んで楽しんだようであります。そうしてそこから、その特徴を付与する為だけに、池田や伊丹の酒樽を船に積んで富士山の見える所まで来たらUターンして持って帰る「富士見酒」とか「江戸戻り」とか呼ばれた非常に高価な酒も現れたという次第です。この出来事は、共に同じ時代、しくも帆船時代の17世紀、マデイラにおける、「船に積み込まれて赤道を越えたワインが得も言われぬ風味だった」と態々わざわざ船積みして長い航路を辿らせたという歴史的背景を想い起こさせます。

madeirawineanddine.com
The heating by the sun and the rocking motion of the sea were the two principle theories to improve the quality of the wine. Indeed it was discovered that the gentle heating in the sun gave Madeira wine its wonderful flavours, not the agitation of the vessels at the sea.

 これで日本人の新しい物好きの理由の一端が垣間見えましたでしょうか。何故日本人(特に江戸人ならぬ東京人)が、時差の関係から諸各国に先んじて解禁されるというだけで、ボージョレ・ヌーヴォーなる安酒を空輸して高価にする無理押しワインに大騒ぎするのか、これでご理解頂けましたでしょうか。此処で当方の今迄の文筆活動を通して知見めいた事を申しますと、定期的な伊勢神宮の式年遷宮(※10)や出雲大社の大遷宮に見られるように、抑々そもそも汚穢おわいを忌み厭い、清浄を愛で好むのは日本の神々が誇示する特性。詰まり、神道において老朽化は神々の生命力を衰退させる「けがれ」であり、「常若とこわか」で在る事が絶えず浄化された新しい力の源であるという事です。したがって、そういった神々の再生力の恩恵を有り難く授かる日本人が、生まれ立ての清らかなものに価値を見出したり、少しく時が過ぎて古く為れば安く為るにもかかわらず、いの一番に高価な旬の物を楽しもうとしたりする精神は、実は誠に神々しいのであります。

 ※10 内宮外宮の正宮を始め在らゆる社殿が新造され、殿内の神宝や装束も新調され、宇治橋も造り替えられる、「皇家第一の重事」たる日本最大にして最高の祭事。この祭りを通し、素木造りの建築や伝統工芸の精巧な技術が永遠に引き継がれて行く。二十年に一度生まれ変わるという発想はどの国にも見られない事だという。境内の案内曰く「古代より常にみずみずしく、国も人も若返り、栄えゆくように」。全てを新しくする事で、神と人と国の永生を希求した御先祖達の心が魂に沁みる。古式古例の儘に、変わり行く時代の中でも変わらぬ思いで祀る事、それが神事である

haccola.jp その年の初めての上槽を「初揚げ」と言い、新酒の搾りが無事に迎えられた事を祝う神事が催され、宴会が開かれる。新酒が出来た事を知らせる杉玉(※9)は、この初揚げの日に酒蔵の軒先に吊るされる。飾り始めは鮮やかな緑色も、月日と共に茶色を帯びて来るのは、酒の熟成具合の目安ともなっている。杉玉は、奈良県に在る日本最古の神社とも言われる大神おおみわ神社に由来し、三輪山全体を御神体とする当神社ではその山の杉は御神体の一部と為る。即ち杉玉を飾るという事は御神体その物が酒蔵に訪れるという事になる

 ※9 「杉の葉を束ねて球状に刈り込んだ物。酒林さかばやしが一般の名だが、『杉の丸』『杉林』『酒葉』『酒箒さかほうき』『しるしの杉玉』『酒望子さかぼうし』など地方によって呼び名が変わる。新酒を知らせるはたの代わりとして、即ち『搾りを始めました』の意味で酒屋の看板に使われる。抑々杉は大物主を主祭神、大己貴と小彦名を配神とする三輪みわ神社の神木である。『酒祭り』の前日にその葉で直径一間いっけん(約一・八m)の大杉丸を作り、祭りが終わると巫女達が全国の酒蔵六百軒に配った。尚その『酒祭り』では杉玉が拝殿にぶらぶら下げられる」──拙著『古事記 改 国譲り』(註一〇四)より

 さてさて、日本の気候風土の下、日本を代表する産物たる米と水を使い、日本人の忍耐強さ・丁寧さ・繊細さを象徴した「日本民族の叡智の結晶」「日本人が懸ける情熱の証」、即ち「日本の粋」が詰まった清酒という果てしない大海に乗り出して進んで参りましたこのサイト、これより何処いずこに向かって行くのでありましょうか? 順風満帆、或いは嵐で遭難。果たしてこの細やかな小舟は、安らかに旅人を迎え入れる、遙かなる岸辺へと辿り着けるのでありましょうか・・・

本日の箴言

 新米の その一粒の 力かな 

虚子

平日の一本

達磨正宗、五段仕込み限定純米酒(岐阜県産日本晴70%〈掛米、精米歩合75%〉、同県産五百万石30%〈麴米、精米歩合70%〉、日本酒度-25、酸度3.0、アルコール度16%、生 酒)(令和四年三月十四日しぼり、製造年月令和4年4月→令和四年六月四日試飲)(白木恒助商店、岐阜県岐阜市)

 ベージュを帯びたイエローの外観で、重厚な香り立ち:洋梨のコンポート、蒸米、ドライバナナ、穀物の皮、落花生、きな粉の香りが深みを印象付ける。又、べっ甲飴、百合、大根、カスタードクリーム、ショートブレッド、蜂蜜、檜、胡麻、味噌、蕎麦茶など、複層的な香りの要素が感じられる

 力強いアタック。ややべとつく甘さは四段を打った事に由来するのか。しかし濃密な甘味の中にも芯の有る酸が味わいの中心に一貫し、風味を引き締めて調和する。ビリビリとした刺激のあるアルコール度に支えられた、とろみの有るテクスチャーのフルボディに 原酒 らしさが表れている。余韻は縦長に、フレッシュさを伴いスッと消えて行く

 35℃:好い意味で穀物の殻の様な香ばしさと薄口醤油のフレーヴァー。甘味と旨味がより凝縮され、数年熟成させたような印象に変わる。マデイラにも似た甘・酸のある風味で、食後に燗につけてちびちび味わいたい

達磨正宗の元酒は米の旨味を十分に溶け込ませ、甘味とアミノ酸も確りと有るのが特徴(日本酒度が0位の酒は短期間の熟成で老香が現れるが、通常の酒よりも糖分やアミノ酸が多い当蔵の古酒は老香がマスキングされ感じさせないという)。詰まり、通常の添・仲・留に甘酒を添加し甘味を加え(甘酒四段)、更に確りとした酸を持たせる為に酒母を加える(酒母五段)。そうして甘酸っぱい新酒が出来るという訳である。糀はオーソドックスな総破精で、糀歩合は約30%。醪日数は18日程で、極端な温度制御はしない、吟醸 造りと対照的な古酒造り。当蔵は瓶詰め後、遮光性があり温度変化が少ない海上コンテナを使い、屋外にて常温熟成させているとの事。白木善次氏は「熟成とは、酒の老化に対し如何に良い環境を作り、その場を提供して行くかである」と言い、「熟成の早い遅いだけの単純な表現ではなく、酸と糖とのなじむ時間の長くかかるもの、短かいものなどにすべきではないか」とも言う。(蔵元が古酒に取り組み始めたきっかけ→https://youtu.be/ZCYJKwYT-8U〈3:27〉)
岐阜県:南の美濃地方は隣の愛知県と共通する濃醇甘口で、山国ならではの濃醇な保存食に寄り添う。北の飛騨地方は濃厚な辛口。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/gifu.html 

第三十五瓶 地酒

 では「地産地消」の精神とは如何なるものでありましょうか? 近年良く耳にするように為った「SDGs」における地産地消のテーマは他のサイトに譲る事にして、当サイトでは清酒における地産地消について物申したいと思います。

 この用語は、元々は1981年に農林水産省が四年計画で実施した「地域内食生活向上対策事業」からの使用語で、地域食材を地域消費し、食材を通して人と人との繫がりを目指したものでした。生産者の顔が見えて安心な食材の美味しさを実感する事で、地域食への誇りを取り戻そうとする実に有意義な目論見もくろみです。現在の農林水産省HPによると、「地産地消法」なるものが我が国には存在し、「第3章 地域の農林⽔産物の利⽤の促進」からその基本理念 (第26条〜第33条)を纏めると、①⽣産者と消費者との結びつきの強化 ②地域の農林漁業及び関連事業の振興による地域の活性化 ③消費者の豊かな⾷⽣活の実現 ④⾷育との⼀体的な推進 ⑤都市と農⼭漁村の共⽣・対流との⼀体的な推進 ⑥⾷料⾃給率の向上への寄与 ⑦環境への負荷の低減への寄与 ⑧社会的気運の醸成及び地域における主体的な取組を促進すること、という事になるとの事ですが、それでもまだ庶民には伝わりにくい文面ように思われますので、誠に勝手ながら更に、いち庶民として庶民的に纏めさせて頂きますと、①追跡可能性トレーサビリティによる安心感 ②地元経済のサポート ③大企業による大量だが限定された種類の食糧ではなく、小規模農家による少量だが豊富な種類の食糧 ④食と農、生産と消費の関係、更には伝統的な食文化についての認識 ⑤身近な場所からの、低輸送費ゆえにより安価な且つ新鮮な農産物 ⑥フェア・トレードや炭素低下による人と環境に優しい生活、という具合に為りましょうか。

 日本には明治四十(1907)年に発足した食養会が提唱した、「地元の食品を食べると身体に良く、他の地域の食品を食べると身体に悪い」という主張を一言で表した「身土不二しんどふじ」なる言葉が大正時代より伝わっております。それを信じるか否かは個々人の判断に委ねたいと思いますが、個人的には「輸送技術が未熟だった頃は長期の保存が利かない上、現代の道路の様に舗装されていない凸凹でこぼこ道の輸送による激しい振動でより傷み易かったからなのでは?」と愚考します。実はそれは、ワインが元々地場消費性向が強い「農産物」であった事の理由でもあります(※1)。そう、ワインは普通に農産物として扱われて来たのですが、一方で清酒は工業製品としてしか扱われない時代が長く続きました。そして、原料が違っても品質への影響を軽減出来る程の、世界でも類を見ない高度な製造技術(→並行複式発酵)に支えられて来た為、業界では技術の向上に最大の労力が注ぎ込まれて原料米の方は御座成りにされて来た事と、大手メーカーが近代技術に走って量産するように為った事が、その原因の最たるものであります(※2)。詰まり或る程度の技術さえ有ればどの蔵でも一定レベル以上の酒が造れる為、結果として技術や酵母にこだわり、主要四品種以外の原料米(⇒清酒の味わい方)の産地特性や品質には余り目を向けなく為ったのでした。

 ※1 ワインも人と同じ様に「旅疲れ」をし、移動による振動で液中の香味分子がバラバラに為り、味わいに纏まりが無くなる為──中には故意にボトルをシェイクしてワインを提供するソムリエも居られるようですが──当方は(持ち込みワイン会での苦い経験から)旅をさせたボトルはそれと同じ時間の休憩を取らせるようにしております。尚「その土地で採れた食物を食べ、その土地で収穫した葡萄から造ったワインを飲む」、即ち地産地消がワインの原点。その土地の個性が味わいに反映されているからこそ、「地方名イコール香味」という図式が出来上がったのである。参考迄に、無農薬有機野菜一筋の石井恒司氏は次の様に仰る。「百姓だから自分のところでとれたものをどう食べて飲むかが文化だと思っている」。因みに、農家が「百姓」と呼ばれるのは、農耕は勿論、草刈り、屋根葺き、大工、きこり、漁猟、藁細工、畜産、機織りなど何でも出来る事から、「沢山の姓(職種)」という意味を込めてだという

 ※2 他の原因としてはGHQの農地解放が挙げられよう。これによって旧特権階級は解体され、必然的に従来の農業構造が崩壊した。そして良くも悪くも、「醸は農なり」、詰まり酒造業は農業の延長線上に位置する産業だという基本線が崩れ、急速に衰退の一途を辿る事と為った。無論此処には、安価で大量に均質な味の酒を生産する大手にのみ頼る一般消費者の勉強不足、即ち知的好奇心の欠如、詰まり人間の本質の喪失に拠るところもあろう。人生における飲酒経験の初期段階で足を運ぶ事に為る大衆居酒屋に行って出されるのはそういった酒で(中には「日本酒」と表記しながら「合同清酒」を出す不届き千万な店もあるようである)、それらは飲んでもどれも似たように低質で面白味が無く飲が進まない為、人々は「日本酒はどれも同じ」と思い込み、その先に進めないのである。更に此処には若者に真の酒の味を教えられない年配者達の責任もある。「今日は俺の奢りだ!」と見栄を切っても飲み放題の居酒屋に連れて行かれたのでは翌日宿酔に苦しむのみ、益々日本酒を忌み嫌おうというものである。現在清酒の多様性を支えているのは少量生産ながら、酒造における伝統ある高度な技術とその地域に伝わる知恵や文化を継承する地元の蔵元達なのである

 清酒は言う迄も無く、日本の各地域の風土・歴史・伝統・文化の中から生まれた酒であり、しかも各蔵元の個性を色濃く反映した酒であります。そしてそれが「民族酒」というものです。民族酒は個性や多様性が命で、古く「酒屋萬流さかやまんりゅう」と言われたのもそういった事からで(※3)、言わば酒造の理想とは、その時代の人々の嗜好を踏まえつつ、その土地の風土を最大限に生かした酒を造る事でありましょう。日本全国、世界各国何処へ行っても、その土地土地に匂いが在り、味が在り、言葉が在る。それが「」であり「テロワール」であり「独自性」であります。「地産地消」と対を成す「地産全消」、詰まり地域の農産物を全国で消費するという利益目的の活動が──主に大手の仕業(※4)で、確かに全国から人を呼んで交流人口の拡大に寄与するものの──酒の一つ一つが持つ個性の喪失に一役買っている事は疑う余地が無いでしょう。とは言うものの、勿論「地産地消」は良い面ばかりではなく、例えばその地域内で生産と消費を完結させるには出荷や販売、品質管理や宣伝活動など、農作物の生産以外の能力と作業が往々にして必要と為り、農家にとっては負担が増える事も忘れてはなりません。

 ※3  とは言われたものの、酒蔵によって造り方が全く異なるという事ではなく、基本的には変わらない。この言葉の所以ゆえんは、蔵の立地条件、その地の気候、仕込み水の水質、蔵の構造、タンクの設置方法といった、各蔵によって変わる酒造環境にあり、これを「蔵癖くらぐせ」と言う。仕込み室ではタンク一本毎に設置場所が異なるため発酵が異なり、端にあるタンクとタンクに囲まれているタンクとでは温度の保持状態が変わる。そして蔵内の風の通り道も温度に影響する為、各窓の開閉状況にも神経を使う必要がある。したがって杜氏はこれら全てを総合した蔵癖を十分に把握し、その蔵に適するように酒を造る為、自然と蔵の個性が現れるという訳である。新政酒造の佐藤祐輔氏曰く「そもそも伝統的な造りをすれば、自ずと多様性は生まれてくる」

 ※4 桶買いブレンド(→生一本)して酒自体個性が無くなった。音楽に喩えれば、地方酒は独奏独唱、大手銘柄は合奏合唱で、前者は個性豊かな物、後者は和音ハーモニーを重んじた個性の無い誰の口にも合う物。「名酒の香りや味わいや風趣も一つとして同じものはない・・・もし同じものがあったら、それはもう名酒の名に値しない」(稲垣真美『日本酒の目きき』)──銘酒は元々は地酒である。地酒こそ銘酒と為り得るのである

 さて本稿の主題は「地酒」でありますが、この用語は元々は灘の様な主力生産地酒を本場とし、それらと区別する為の蔑称として使われていました。古くは、その土地だけで醸造されて来た、他所に流通していない酒として「くに酒」「田舎酒」と言われてもいました(※5)。しかし昭和五十年頃(1970年代)からこの語が尊称として扱われるように為ったのは、「産地・品種・品質」に付加価値が見出され、「多様化・差別化・個性化」が意識され始め、「その地域にしかない、その地域の良い物」が注目されて来たからでありましょう(この「地酒ブーム」と1982年に開通した上越新幹線が契機と為って新潟県の地酒が一躍有名に為りました)。ワイン業界における “Vins de Paysヴァン・ド・ペイ” 或いは “the Sense of Place” に相当するこの用語を名乗るにはそれなりの理由が要ります。無論此処にはA.O.P.やI.G.P.というような階層制度ヒエラルキーの概念は含まれません。詰まり「各地の気候・風土・歴史・文化・産業・産物と共存する酒造りが為されている事」や「各地に根差す郷土の食文化と合った香味成分を持つ事」といったものです。「地の米・地の 水・地の技術」で造られた酒、要はその地方に行かなければ飲めない酒が「地酒」であります(※6)。酒には色々な価値観や情報が乗っかって行く性質があるという事は周知の事ですが、地酒にはそれら以外の情報も有る事が重要なのです。「地酒らしさ」とは「その土地の水の特徴が表れ、そして各蔵が其々の醸造法で地元料理に合わせて醸造したもの」の事であり(※7)、東京で売れ易い、その土地の風土を活かしていない無個性化した地酒に「地酒」を名乗る資格はありません。各酒造家が、小さくても独立団体としての気概を持ち、一定のレベル以上で互いの個性を競ってこそ地酒の価値があるのです。もはや金太郎飴の様に何処を切っても同じ表情をした酒などは望まれていません。そして切り口を変える度に違った表情を見せるものの、素として持った変わらぬ地顔を作るのが「蔵付き酵母」と言えるでしょう。本来清酒は、他では決して真似出来ないその蔵独自の野生酵母で醸していた為、地方毎、蔵毎に個性が豊かでした。そしてそれこそが地酒本来の魅力であります。しかし「きょうかい酵母」が現れてからというもの、造酒業界はすっかりとその「お仕着せ酵母」に頼り切ってしまい、結果みな校則通りに小さく纏まって、同じ制服を同じ様に着た優等生達の様に、本当に良く似た上質な・・・酒が溢れるように為りました(きょうかい酵母が腐造問題を解決した事は忘れてはなりません)。加えてオフシーズンに農漁業に従事する従来の杜氏制度が時代と共に廃れるにつれ(本来は逆で農漁業のオフシーズンに酒造業に従事していました)、殊1970年代半ば以降に生まれた酒蔵の後継ぎ達は先代達とは異なる視線から酒造に取り組み、また曾ての閉塞的で仲の悪い杜氏連には求めるべくもなかった最新情報の共有シェアが、理屈抜きの経験と勘に頼る「点」に過ぎなかった酒造技術を「線」の繫がり、そして更にオープンな「面」の広場へと拡大して行ったのも、酒質レベル底上げの大きな要因であるのは間違いありません。しかし何度も繰り返すようですが、何処でも美味しい酒が造られるように為った反面、地域ローカル色は薄れつつあるのが現状なのです。

 ※5 ワインにおいても、其々の地域で独特の一つのスタイルを作り上げ、閉鎖された市場で全てきっちり消費され完結される、決して他所に流通しない物が沢山在った。山梨県なら山梨県の中だけで外には出ないというように、世界中に土俗化したワインが沢山在り、その中で大都市に大きなお得意様を持ったボルドーやブルゴーニュ、そして極僅かのドイツワインが流通していた。それは、本来ならば個々の文化である筈の物が、都市と繫がる事で文明化してしまったという事。文化が即、文明だという状態に為ってしまったという事である。ところが輸送手段と醸造技術の発達により、その閉鎖された地域市場内で生産と消費が完結していた物が彼方此方に動き出すように為った。元々ワインは地ワインで、ビールは地ビール、清酒は地酒、そして焼酎は地焼酎である。酒という物は常に自己主張し、その根拠と為るのは「地」、即ち文化である。しかしそれが文明化の方に向かい大量生産、大量消費の市場に乗って行った。ところが、その内に成熟した若しくは擦れっ枯らしの飲み手ばかりに為った結果、今度は「地」の物でないと納得しないという所へ戻って来た。其処から後は自然じねん新しい飲料の開発が試みられる。が、それらの殆ど全ては永続性の無い流行飲料ファッション・ドリンクに過ぎず、唯虚しく出ては消えて行くのみ。何故ならそれは表面的な多様化に過ぎず、何より其処には文化が無いからである

 ※6  我が国において酒の異称を「美禄」と言いますが、旅をして美味い地方酒に出会うと、無上の法楽に浸れるものです

 ※7 「酒造りと料理屋とは切っても切れない縁があり、酒は、まず地元の料理屋で評判をとらなければ売れぬ、といういい伝え」があると宮尾登美子の小説『藏』にあるように、嗜好品である酒は地場産業として育ち、愛され、親しまれ、「おらが酒」として定着して行った。地の肴と地の酒を合わせる事こそ飲食の醍醐味である

 ──この辺りで好い加減人懐ひとなつこい鸚鵡オウムの様に、🦜「ニホンシュハコセイテキダ!」 「ニホンシュハコセイテキダ!」 と物真似表現を繰り返すばかりでは能がありませんので、では何故「日本酒は個性的だ!」と言えるのか、その根拠を視覚的に訴えて、その主張の支えとしたいと思います。

happylilac.net
北海道:あっさり系料理→軽快な酒質 / 青森:新鮮な魚が入手しづらいため塩漬け等の保存食が基本で、醬油や砂糖たっぷりで濃い味付け→濃醇旨口 / 南東北・静岡:新鮮な魚貝類を入手し易い→軽くスリムな透明感を感じる綺麗な酒質 / 関東:醤油文化→芯の有る濃い酒 / 岐阜・滋賀:山国ならではの濃醇な保存食文化→濃醇旨口 / 九州:煮物等の味付けが甘辛く醬油も濃い→全体的に甘く濃厚だが酸もある確りとした酒質
irokata7.com
の方が醸造時期の気候が温暖(⇔の方が寒冷)→発酵温度が高く旺盛(⇔低く穏やか)→アミノ酸生成量が多い(⇔少ない)→熟成が早い(⇔遅い)→濃醇(⇔淡麗

 さて日本はご存知の通り明らかに小さい国ですが、南北に及ぶ距離が長く、その多くが山がちです。また東西に狭く、海岸線から最も離れた地点でも凡そ115kmしかありません(長野県佐久市)。この経度と緯度の範囲が国土を取り囲む暖流・寒流に加え五つの気団と結び付き、劇的に変化に富んだ気候を生み出すのです。更に当サイトではややもすると見落とされがちな日本の土壌構成についてもご紹介差し上げます。

sci.kagoshima-u.ac.jp
日本の土壌分類体系。大きな河川近辺に多い「低地土」が水田に良く使われ、国土面積の凡そ14%がこれに当たる。大抵の稲作地帯は山の ミネラル を多く含むこの土壌から成る。一方、約30%を占める「黒ボク土」は火山灰由来の土壌で、隙間が多く水捌けが良過ぎるため水田よりも畑に向き、火山が多い九州や関東、東北、北海道南部に多く見られる。なお土壌とは、作物の育つ基盤と為る土の事で、岩石の風化物である無機物質と動植物や微生物の遺体及びその分解物である有機物質が混ざり合い、長い年月を掛けて作り出された物の事。栽培の立場では根が生育出来、樹が育つ事の出来る地表部分の土を意味し、そしてそれは土粒子と有機物から成る固相、主に水である液相、空気から成る気相との三相系である

 ワインの品質を決定付ける葡萄畑の条件に「地形・土壌構成・水捌け・日照量・微小気候ミクロクリマ」というのがあり、各国でその研究が進められているのに対し、又スコットランドでスコッチウイスキー醸造に必要な泥炭ピートの生成環境とウイスキーの品質や特質との関係についての研究が積極的に行われているのに対し、日本酒醸造地域と酒米生産地域の環境の化学的性質における関係性を巡る研究は極めて少なく、基礎情報不足というのが現状であります。今後は日本酒のより一層の発展は勿論の事、観光産業(※8)も見据えた日本酒の魅力を確立して行く為にも、土壌と酒米における関係性が地質学(下層岩石)、地形学(土地形成)、そして土壌学(土壌性質)による科学的アプローチを通してより細密に調査される事が期待されます(※9)。例えば、葡萄樹において「フランスのボージョレA.O.C.の様な花崗岩土壌は乾いたタンニンを、イタリアのエトナD.O.C.の様な火山性土壌は苦味の有るタンニンを生み出す事が多いのだが、それは岩石の保水力の違いから生じる」といったような事であります。因みに数々の研究結果から、高品質なワインを生む為の土壌の鍵は、土壌の化学的成分ではなく、排水性と水の吸収し易さに在るらしいです。そして無論米は葡萄とは栽培方法が異なります。いえ、前者は大量の水が必要で、後者にとって大量の水は大敵であり、この両者の栽培環境は対極にあると言っても過言ではないでしょう。故に『清酒の味わいの展望』の稿で述べたように醸造法ではワインの遣り方を踏襲する昨今ですが、栽培法ではブドウの遣り方をそのまま適用出来る事は在り得ません。自分達の根源を見失った根無し草の様な現代日本人にはうに、改めて日本的に日本の研究、自己分析を行い、己れの真実を日のもとに明らかにする時が来ているのです。

 ※8 気候風土を表す、「この土地ならではの、この土地でしか出来ない味の表現」、それが産地表示に込められた意味、詰まり「町おこし」なのである。地酒とはその土地の 水 で、その土地の米で造る物。そして地元の米とはその都道府県が開発するもの(※10)。「民俗学や民俗芸能を勉強しようと志すなら、その地方の酒を味わい、気風、風土を知るよすがにしたまえ」「農村にこそ日本人の真実があるのだから、遅れていると決めつけてはいけない。開発するにもまず研究が必要だ」という柳田国男氏の言葉には千鈞の重みがある。余談だが、地方名物を開発したのは徳川幕府の参勤交代政策で、当初は出府の際に土地の名物をお土産程度の軽い気持ちで献上していたが、時と共に習慣に為り、献上品が義務化された。「天下の三珍」たる尾張愛知海鼠腸コノワタ肥前長崎唐墨カラスミ越前福井雲丹ウニはこれによって現在でも名産品として残っている。往復や江戸屋敷の経費で大名財政を圧迫したこの参勤交代が、日本の交通網を発達させ、地方文化の全国的交流を促進させた

 ※9 テロワールの概念自体は日本にも昔から在り、1887年代には「村米制度」が発足していた事は『清酒の味わい方(味わい)』にて既に述べた。非常に興味深いところでは、更に遡った1838年の『酒直し千代伝法ちよでんぽう』に、土地が良過ぎるとかえって「米の性」が強過ぎ、酒造りには向かないという記述さえ在る事である。確かにそう言われてみると、例えば兵庫県産の山田錦は量感と共に主張が強過ぎる感があり、味の強い料理でないと巧く釣り合わない

※10 そう言った意味でも、ワイン用葡萄交配育種に一個人の資産と情熱を注いだ「日本ワインの父」川上善兵衛氏は余りに偉大でありました。坂口謹一郎博士の古里でもある高田の東、高士村の大地主であった氏は「経世済民」の志を持ち、「遊興の為の酒を造るのに貴重な食糧である米を潰すのは誠に筋が違う。主食以外の原料を使うべきである」という信念を持ち、当時日本でも飲まれ始めていたワイン醸造に着目した。山梨や牛久の葡萄園等で教えを請い、明治二十三年、氏が二十二歳の頃に自邸の裏山に葡萄樹を植えた。因みに氏は勝海舟にも度々会って教えを受けたという(海舟の談話集『氷川清話』に「俺のところに尋ねてくる男にずいぶん面白い者がいる」とあるとか)

 つい先程研究情報が極少数であるとは申しましたが、逆に言うとそれは全く無いという事ではありませんので、此処で私が入手した限りを記載します。堆積物地帯の土壌と比べ玄武岩や蛇紋岩地帯の土壌はMg、Mn、Zn、Fe、P、Na、K、Ca含量が多く、その影響で酒造用玄米も同様の成分が高い傾向にあると判明しております。詰まり、飲み手の視点で言い直すと、清酒の「苦味や切れ」に影響するマグネシウム含量は堆積物地帯よりも玄武岩地帯の方に多いという事です。しかし精米歩合100%である玄米中の無機成分の多くは皮相近くに貯蔵されるので、精米を通して地質の影響の多くは取り除く事が可能であるという事が言い得ます。実際、精米歩合65%に磨いた場合、栽培土壌の違いはほぼ消失する事も明らかに為っております。──すると、🦜「オメデトウ!」 此処で思いがけなくも長々と力説された「地」の価値が米糠と一緒に吹き飛んでしまいました。が、どっこい、此れ式でへこたれる当サイト管理者ではありません。より多く米を磨く為には大粒でなければなりません。大粒に育つ為には土壌に十分な栄養素ミネラルがなければなりません。土壌が肥えていればこそ根張りが良く茎が丈夫に育ち登熟が向上し、詰まり大粒な米が出来るという訳です。まだまだ、大粒であればふるいの幅を大きく出来、目幅が大きく為れば整粒歩合が高まり、精米品質向上(細い粒が少なくなる事で砕米等が減り精米歩留りが良く為る)、吸水安定(精米品質が良いと良好な吸水で蒸米が安定する、また精米の粒揃いが良いと浸漬時の吸水率が安定する)、製麴安定(汲水率が適切なら酒造において最重要な製麴が安定し、品質管理し易く、目的の糀が作り易く為る)、そして溶解安定(糀が良好なら醪での溶解が安定し発酵管理がし易く為り、目的の酒質が得られ易く為る)と正の連鎖が繫がって行くのであります。此処に加えて、現在実際に滋賀県蒲生郡竜王町にて精米歩合50%の山田錦を原料に、地質の違いから生じる酒の味わいの違いを追究しておられる松瀬酒造のサイトをご紹介差し上げます(→純米大吟醸ブルー竜王山田錦[土壌別仕込]:http://www.matsunotsukasa.com/blue/)。又、テロワール表現酒とも言うべき山口県澄川酒造の東洋美人「番地シリーズ」は豪雨災害の影響で未復活の為、企業紹介のリンクを貼ります(→https://www.yama-kei.com/pdf/kigyou_88_sumikawa_new.pdf)。駄目押し、田崎真也JSA会長からのお言葉もドウゾ(→「日本酒もテロワールに行き着く」:https://youtu.be/nyBrgkAsz_E (2:05) / 同氏のお勧め動画⇒お役立ちワイン映像集

 何にしましても、上の三つの地図画像から分かりますように、日本という国はこれだけ複雑な気候条件を揃えていて且つ各地域の水質や土壌もまた全く同一ではないのですから、清酒に テロワール が表れない訳は無いのです。詰まり、もしその清酒にその地域特性が表れていないなら、それはひとえに人間の作為に因るとしか言いようがないのであり、アルコールに因る在らゆる弊害が酒の所為せいではないように、日本酒の無個性は清酒の所為ではないのであります。そして敢えて突き詰めて言うならば、当方も清酒を気取ってワイングラスで洋食と楽しむ今日こんにちではありますが、素朴な板わさや海苔を摘まみながらゆるく飲める物こそが、清酒の在るべき本来の姿なのであります。

本日の箴言

 日常化、普遍化の対極に、非常に限定的な、文化的要素の濃密な、希少性の高い酒が屹立するようになるでしょう。それは工業的な生産技術の究極にあるのではなく、反対に酒造りの原風景を内部に秘めた酒です。そこで原料の囲い込みがおこってきます。特定の畑や水田が意味を持つようになると思います。ウィスキーについていえば、いまスコッチ・ウィスキーは、もう大衆化しちゃった訳ですね。ブレンディッド・ウィスキーなんて、何らありがたいものではない。そこで、シングルモルトに興味がいった。そのシングルモルトも一般化しちゃう。そうすると次にどういう手を打とうとしているのか。昔の品種で、もう一ぺん栽培して下さいという話が、スコットランドの片田舎に起こっている訳です。品種改良した大麦では昔のウィスキーの風味が出てこないというんですね。蒸留酒の文明化なんて話じゃなくなっているんです・・・酒についての将来というのは文明化へ一方的に動いているのではなく、文明から文化に回帰してくるものが出てくると考えています。それともう一つ、文明化というものが、今までは差異がなくなっていく方向に行ってたのが、逆に、たくさんの異同が明快に示されているという状態が文明だという方へ、これから進んでいくのではないかと思ってます・・・これからは情報を飲むこと。差別化というのは、情報において・・・どんどん進んでいく。味ということも情報の一種ですからね。

吉田集而しゅうじ(文化人類学者、1943.8.14ー2004.6.22)

休日の一本

雪の茅舎ぼうしゃ 純米吟醸(山田〈古代米で山田錦の母親、特徴は透明感・柔らかい酸・力強い米の 旨味〉精米歩合55%、無 濾過 生 原酒)(日本酒度+3.0、酸度1.4、アルコール15.7%)(齋彌酒造店、秋田県由利本荘市)

 透明感のあるやや濃いゴールド(無濾過由来)。ふくよかで芳醇な 吟醸 香(黄林檎ジャム、洋梨のコンポート、白桃)、香木、丁子、栗、き立ての餅、粘土様の ミネラル

 強いアタック、円やかな甘味、滑らかな酸、旨味を伴った苦味、力強い程に豊潤で厚みのある 押し味 がアルコール感をより強く感じさせる(18%位の印象、原酒由来)。濃醇旨口で長い余韻。無濾過生原酒に有りがちなどぎつい香味は無く、充実した忘れ難い飲酒体験を味わえる。15℃以下は香味が閉じ籠る為、赤ワインの様に18~20℃、瓢箪型 グラス

「三無い醸造」(櫂入れ無し、濾過無し、加水無し)と有機オーガニック米を身上とする蔵元。「発酵力の強い自社酵母の力を信じて醪の仕込み以降は人手を入れない」という哲学は「地酒」の精神を感じさせる
秋田県:「美酒王国」「酒呑みの県」と呼ばれ、嘗ては肉体労働の鉱夫が多かった事から秋田美人を思わせるぽっちゃりとした甘味、また酒質は綺麗で雑味は少ないが僅かな苦味や 渋み による広い味幅、そして丸みのある余韻が主流だったが、近年は多様で輪郭のはっきりした物が多い。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/akita.html

第三十四瓶 日本米(或いは日本人)と外米(詰まり非日本米)

 いやはや、前稿本文の最後にてうっかり「外米」などと口走ってしまったばかりに、本稿では清酒の真の味わいの姿を述べる積もりが、急遽「非日本米」について述べねばならぬという義務感に襲われ、この日本人にとって極めて馴染みの薄い米について、S県内の図書館の蔵書をしらみ潰しに調べ上げた情報を、今回も私という 濾過 器フィルターを通して純化し、皆様のお口に合うよう極力雑味を取り除いてご提供差し上げたいと思います。

 諸外国の方々が日本に滞在し生活する上で先ず気付くであろう事は、寿司屋は言う迄も無く、牛丼屋も無論、ラーメン屋に行こうがうどん・そば屋(※1)に行こうが、其処には必ず米が在る事で、「ご飯大盛り・お替り無料」といった文句と共に、時として店の看板とは裏腹に、寧ろ米の方がメインと為っているような食事風景さえ見る事も少なくないでしょう。そしてその使用米と言えば、必ずや「安全・安心」の「国産」を謳っている筈です。まるで「非国産」が「危険・不安」とでも言いたげな表現ですが、ではその米は一体何処に在るのでしょう? ──そう、この国においては「外米」を見付ける事の方が至難の業なのであります。

 ※1 日本で昼間から堂々と清酒を飲めるそば屋で昭和歌謡曲を聞きながら一杯引っ掛けるのも中々乙なものですヨ^^

 確かに、1993年の冷夏と長雨による凶作が引き起こした「平成の米騒動」の時は、タイ米が国産米との抱き合わせ販売という形で広く国内市場に出回り、世間知らずな分純粋無垢な少年だった筆者も、日本米とブレンドされたご飯を箸でつつき、縦長の米を摘まみ上げてまじまじと眺め、「コオロギの卵か、こりゃ?」などと子供らしい無礼な事を思いながら、パサパサした歯触りの米の初めての感触に、戸惑いながら食を進めた記憶があります。

mitsubishielectric.co.jp
世間では、タイ米だけが売り場に残されたり、公園に捨てられていたりという「タイ米騒動」も起こった。この時の米不足問題が、国内の米生産を需要量ぎりぎりに抑える事の危険性を明らかにした

 実のところ、米騒動なるものはそれ以前の大正七年にも起こっており、そしてそれを受けて日本の米自給政策が推進され、安上がりな朝鮮と台湾の植民地における、日本人向きの米の増産が始まりました。朝鮮では改良品種の導入に、台湾では開発された「蓬莱ほうらい米」の普及に成功しました。そして昭和に入ると両植民地から、これら日本向けの米が増産されて輸出が始まり、特に朝鮮米は日本の二倍の日照量を浴びる為か、品質的にも内地米に劣らない、「日本米と外米の中間」、「日本米の中等品」という評価を得る物に為りました。しかし日本人には国内産米に対する頑なな迄の偏愛がありました(そしてそれは今でもあります)。その一途で排他的な愛情の為、日本市場は世界の米市場の中でも孤立した特異な市場と為った訳であります。そして戦後、日本米のその鎖国的閉鎖性は食管制度により守られ、「準内地米」なるジャポニカ種の外米は昭和三十年代まで輸入されていましたが、飽く迄それは国産米の不足分を補う為の物であった為、日本米との競争意識を喚起させる事はありませんでした。そののち米過剰の状況下で米輸入は無くなり、日本米は国際関係から遮断された形で、独自の国内的経済論理で動かされて来たのです。詰まり、日本にとって米は純粋に国内問題であり続けて来たという事であります。しかしながら国際関係が広まると、この日本米という箱入り娘は国際市場に引っ張り出され、その歴史に裏付けられた特異性を披露する事に為りました。労働生産性の低さを上回る低労賃に由来する最安値のタイ米といったインディカ種は幾ら安くても競争相手に為らないとも言われ(但し日本米も曾てはこの型であった事を付記して置く)、確かに1889年にドイツ北部ハンブルク名誉領事は「日本米はイタリア米に類似しており、安価に売却できれば売れ行きがよいだろう」と述べ、同時期のアメリカでも、他国産より優るとしても「過評にあらざるし」と高評価されたそうです。特にイタリアでは日本米は高い人気を得、1889年の日本の凶作により翌90年に輸出量が激減すると「偽日本米」が出回って流行した事が『外国貿易概覧』(1890年版)にあります。日本米は光沢と粘りが有り、精米しても摩耗が少なく、インディカ米より優れていた事がその好評の由来であったのです。(現在の海外における日本米事情は、一般社団法人全日本コメ・コメ関連食品輸出促進協議会による『令和元年度日本産コメ・コメ加工品輸出ハンドブック』をご参照下さい⇨https://zenbeiyu.com/jp/topics/report/r20200923/。それに拠ると、秋田こまちはアメリカとスペインで、コシヒカリはフィリピン、ベトナム、オーストラリア、イタリアで、そしてササニシキはタイでも栽培され製品として販売されており、又ジャポニカ米はフランス産やブラジル産もある。因みに、オーストラリア人は乾燥した米を好む傾向にあり粘りや甘味を有する日本産米は苦手なのだとか〈しかしオーストラリアは世界で数少ないジャポニカ米の輸出国である〉)

 ところで、今日稲を栽培している所は東亜から東南アジア、インドシナからインドは無論の事、北米ではカリフォルニアからテキサス、またスペインやイタリアなど地中海沿岸、西アフリカやマダガスカル、南米ではペルーやブラジルにも広がっているのですが、これら近年拡大された産地を除けば東は日本、西はインドとの間の東亜南部と東南アジアだけが古来の産地として絞られて来ます。この範囲に栽培されている稲の品種は数千種にまで上るとされますが、植物学的にはただ一種 Oryza sativa L. という種類に属するもので、上の数千はその品種に過ぎない為、交配させれば多少の難易の差があっても皆相互間に実を結ぶ事が出来るのであります。また上記の古来産地を見れば、元々稲は熱帯に足場を持つ多年生植物である事が分かります。一方、現在日本で栽培されている稲は気候や気象、また病虫害への抵抗性などを込めて地方毎に相当異なる品種が普及していますが、共通して言える事は、①水田栽培 ②短粒(籾でも米粒でも長さは幅の二倍以下、一倍半以上) ③脱落性が無い事(熟しても穂の軸から籾が外れない) ④籾にはのぎが有る事 ⑤炊くと粘り気が出る事、特に②③⑤が重視されて日本型として纏める事が提唱されました。これに対して設定されたのがインド型で、①長粒(粒の長さは幅の二倍以上、三倍以上を特に狭粒という) ②脱落性が強い事(熟すと籾が穂の軸から外れ易い) ③炊くと粘り気が少なくバサバサする、というのがその特徴であります。(※2)

 ※2 この辺りを巡る学説では、稲の伝播が温帯に向かうにつれて、稲を常食とする民族の嗜好と人体経済の面から、自然と粘りの強い型が東へ東へと運ばれ、揚子江下流に達してからは、巧まざる人為選択の結果、日本型の祖型を生じ、遂に日本に入って日本型が確立されたものと考えられている。尚、稲が大陸から日本に渡った経路は、大きく見てアッサムからラオスにまたがる熱帯圏の低湿地から中国東海岸地方へ運ばれ日本に渡来したと見て良く、その後相当の稲作として成立したのは弥生式文化の初期の紀元前一世紀前後とされている。そして弥生前期に水稲が渡来して以来、米は蒸米(強飯コワイイ)か飯米いいまいにして食したと考えられている。乾燥すれば保存食と為るが、適当な水分を含めばコウジカビが生育して糀が出来、更に水が在れば澱粉は糖化される。この糖化液に乳酸菌が生育すれば乳酸を造り、他の細菌の生育を妨げ、酵母を特異的に生育させる事が出来る。乳酸菌は古くは漬け物に利用されていたから、これを組み合わせれば酒母と為り、醪と為る。多くの試行錯誤の末、現在の清酒が出来上がったと考えられている。米とコウジカビが結び付いた事で 並行複式発酵 が生まれたのではなかろうか

 このインディカ米なる南方の外米は「南京米」とも称され、明治初年にはラングーン(現、ヤンゴン)やサイゴン(現、ホーチミン)といった東南アジアから輸入が始まっていました。「さてその味といえば実に言語道断で、冷飯になればバラバラになって喉を通らない。米と名づければ米だが、その実米ではなく『一種異様の穀物』である」(『読売』1890.4.25)と、それを日常食としている地元民には失礼千万なき下ろされようでした。外米は上等な物でも「一種の臭気」が有り、詰まり外米を入れた麻袋の、その製造工程から浸み込んだ油の臭いが米に移った為、その味の悪さに定評があったのであります。当時の『読売』に拠ると、日本米に混ぜたりせず、外米のみを食するのは「下級人民」と言われ、「中級以上の人」は「何となく不名誉らしく感ずるの傾」を外米食に抱いていました。したがって外米を買うにも「何となく恥じらうてい」があり、闇夜に紛れて買いに来る者が多く、それでも「さすがに外米を」とは言いづらく「一升二十一銭の米」をくれと言い、井戸端でそれを研ぐのも「人目にかからぬよう注意」するなど、誠に恥を恐れる日本的な有り様だったのであります。確かに明治二十三(1890)年の米価の暴騰に困窮する人々には救いと為った安価な外米でありますが、確かにそれ以降食べ方も工夫され、塩あるいは麦を混ぜて臭気を抜いたり、一晩水に浸したりもち米を混ぜたりして粘りを出すといった秘策が広まり(※3)、外米への関心はその輸入量の増加と共に高まって行ったのでありますが、結局日本人にとって、凶作や戦による貧困の最中さなかにおいてさえ外米は代用食以上の扱いを受けた事は無く、寧ろ大方はそれ以下の喰い物に過ぎなかった、詰まり「旨い米の条件」たる「粘りと軟らかさ」「香りと旨み」(※4)に欠けた外米は日本人にとって米ではあり得なかったのであります。(実際、明治四十五年の米価騰貴における極貧者は「南京米を食ったのでは腹に力が入らず労働は出来ない」と言って外米よりは残飯を好んだという。日本人にとって、米とは力を与えてくれる聖なる食物。その概念は今でも「力餅」という語の内に残っている。その事実は米を摂取する我々の肉体の内に宿っている。抑々、今日では体力スタミナと言うと肉を連想するが、肉を穢れた食物として忌み嫌った前近代の日本においては米こそが力の源であった。「力うどん」と言えば小麦の麵に米の餅を入れる事で気力スタミナが得られるうどんを意味する。「力餅」という言葉の存在自体が、米の力を暗黙の内に認めるものである)

 ※3 この考え方は酒造においても存在し、「糯米四段」という手法で現在に伝わっている。これは糯米が酒米やうるち米よりも溶け易い事を利用し、蒸して醪に加え、甘味と味の幅を増やす目的で行われる。江田鎌治郎氏は『杜氏醸造要訣』にて次の様に述べておられる。「糯米は粘り過ぎるから、一般に酒造米として使はぬ。それでも硬質米などで仕込みをする場合に、醪の掛米の一部に糯米を使用すると(掛米の五分の一か十分の一内外)出來た酒の風味を濃くする利益があるやうである」。同一の目的で他に「酵素四段」「甘酒四段」「酛四段」「粳米四段」があり、普通酒や本醸造酒で頻繁に行われている(普通酒ではブドウ糖や水飴を使う事も。純米酒でも四段を添加する蔵もあるようだが、基本的に純米と吟醸には「百害あって一利なし」、詰まり、未熟な醪ゆえ未分解の成分を残し歯切れが悪く為り、「鈍重で冴えない酒質にし、酒から爽やかさや力強さを無くしひ弱にする」として行われない)。四段は元来、米がく低温発酵の技術が無かった頃、醪の発酵が急進して薄辛く為ってしまった時にのみ用いる、言わば古い時代の救済策であった。そして三倍増醸廃止に代わって復活。現在ではアル添(→生一本)と関連して、数字合わせの手段と為っている(例えば仕上がりの日本酒度を0と仮定して、醪が−10の段階でアルコール添加して0としたのでは未熟醪ゆえツワリ香などの原因と為るので、−2程度まで発酵した段階でアルコールを加え+8程度と為り、その儘では辛過ぎるので四段を打ち込んで0付近まで戻して上槽する理屈)。春先の上辺の味は好くても秋にはダレる(劣化し易く、古く為ると異臭を発する)。更には五段や十段仕込みもある(が、果たして…? 外米仕込みの酒には有効な手段と為ろうか)

 ※4 粘りには澱粉中のアミロースが少なく、軟らかさには蛋白質が少ない方が良い。また米の芳香成分は百種類程在るのだが、それらは玄米一粒の92%を占める胚乳の表層部に存在し──よって飯米の表層部が八%ほど削り取られる(一般の食用白米は精米歩合92%程度)事は恐らく関係無かろうが──「新米の香り」と言われるものの米の相違による香り成分の差は見られないので、新米の旨さは粘りに在るようである(尚、米の食味の低下は温度よりも酸素の存在、詰まり酸化作用に因る事が実験により立証された)。余談だが、現在では古米より新米が好まれ値も高いが、曾ては古米の方が高かった。確かに古米は味が落ちるが炊きえするというので、量重視の市場では評価されたのである

 こうしてカレーライスやピラフ、又はハヤシライスといった外来料理においては誰一人として外米と気付かない程に通用するインディカ米は、米単体の日本的食事の前に味噌糞に遣っ付けられてしまいました。しかし酒造米として見た時は果たしてどうなのでしょうか? ──実は酒造米の補充と製造原価の引き下げの観点から、共に粘りが少ないという共通点もある為か、外米を酒米として使用する研究が古くから行われて来ました(※5)。結論から申し上げますと、食用米として使用する時の様に、日本種とインド種との吸水性の差は明らかに前者が優位、破精込みの良し悪し、即ち心白発現率も前者に分が有るのは顕著、しかしながら成分分析値は両者殆ど変わらないとの事であります。一方、加州カリフォルニア米は大正十年に初めて試験され、醪の発酵が急進し、また発酵中に異臭が発生したものの、原種が日本から渡った品種の為か(後述します)、製成酒には異臭が無く普通外米より良好と判定されました。戦後の昭和二十八年にも加州米(滋賀県渡舟、大粒心白種)を一部使用し試醸されましたが、加里カリが多いために醪が急進し、また製成酒は火入れ後貯蔵中に糖蜜様の甘い特異臭(外米臭、加州米臭とも呼ばれ、青臭いとの評もある。ワインにおけるアメリカ系品種ヴィティス・ラブルスカに特有のチェリー・コーラ臭「フォクシー・フレーヴァー」を想起させる)が発生して不評を受けました(しかしそれは古米が原因で、空輸した新米を仕込んだところ古酒に為っても外米臭は発生しなかった)。この失敗を受けて、同じく日本米由来の蓬莱米に加え韓国米、そして中共米でも研究が為されました。しかし外米による清酒は貯蔵中に特異臭が付く事が分かり(古米にも同様の臭いが発現するとの報告があった)、様々な外米臭除去研究が行われたものの、その本体・発生機構が不明で、的確な防止法・除去法は未発見であるとの事です。とは言うものの、この情報は古い文献からの物で、最新の研究成果を管理者は入手出来ておりません。しかし現在では日本米より格段に安いカリフォルニア米を使い、日本のメーカーがアメリカでSAKEを造って日本に逆輸入するケースもある上、昭和六十三年の或る清酒関係者の記事に『カリフォルニア純米清酒 SAKE CALIFORNIA』「冷して白ワインのようにお飲み下さい(燗はしないで下さい)アメリカ人志向の酸味のきいた日本酒です・・・冷やしても燗してもマイルドな美味しさはこれぞ“清酒”という心意気です・・・カリフォルニア州ウッドランドに広がる稲穂の海の中から生れた、カリフォルニア米の傑作(鶴米つるまい)そして、シエラ・ネバダ山脈の雪どけ水、この自然の恵をカリフォルニア純米酒(某正宗)に結集しました」とあるように、外米臭の課題は既に解決されているのではないかとも思われます。その甘ったるい異臭は輸入時に使うメチルブロマイドという殺虫、殺菌用の燻蒸剤の成分が原因ともいう話もある事から、少なくとも地元で造る分には問題無いのではないでしょうか。それについての詳細な情報が得られないのは、輸入制限がある為にカリフォルニア米は今のところ日本での酒造りに使われていない事も関係するのかも知れません(寧ろ、法的に国産米でなければ「日本酒」と名乗れない事の方が根源的且つ重大な理由でしょう)。実際、兵庫県灘のメーカー「大関」は1979年にカリフォルニア州北部のサンベニート郡ホリスター市に酒蔵を設立(酒造会社として戦後初のアメリカの現地蔵)し、日本の設備を輸入して自社で精米・洗米・蒸米・糀造りなど全て日本と同じ工程を踏んで、現地の食用米「カルローズ」(※6)という中粒米から酒を造っているとの事で、次は正確な引用ではありませんが、「これは寒暖差の大きい都市サクラメント産なのだが、矢張り日本の酒米と比べると硬くて溶けにくく、其処を補う為、又アメリカ人の嗜好に合わせる為、旨味 を追求して糀を造っている」といい、「現地醸造の酒は日本産のより安価で格下に思われ勝ちだが、日本の蔵とアメリカの蔵で大きな差は感じない」とも述べておられ、実際、食と飲み物の相性に重点を置いた、フランスで行われるフランス人の為のSakeコンクール「Kura Master」では2017年に金賞に選ばれたという事であります。(因みに、カリフォルニアにはシエラ・ネバダ山脈からの豊かな雪解け水〈宮 水 に似た硬水〉に加え、たっぷりと降り注ぐ陽光と共に昼夜の寒暖差があり、葡萄栽培には無論、稲作にも好適地である〈実際この地はアメリカいちの米どころ〉)

 ※5 江田鎌次郎氏の文献からは、じょうきょうにおいて、「充分其の効を奏せざる外國米の如きを使用する場合には少しく手数なるも、浸米を数回に区分してこしきに入れ其の都度如露じょろにて水を撒布し以て火力を弱らしめて蒸す様にせば大抵良好に蒸きょうし得るものなり」と、明治期より外米による清酒造りが試みられていた

 ※6 アメリカの米は長粒種(約70%)、中粒種(約30%)、小粒種(1%弱)に大別され、アーカンソー州やルイジアナ州等の南部では長粒種のインディカ米が栽培されている。カリフォルニア州では中粒種が95%で、残りは長粒種と小粒種、そして小粒種は「パール米」とも称され、それは曾て滋賀県で栽培されていた酒造好適米「渡船」と言われ、そしてこの渡船とインディカ米との交配でカルローズ米が生まれた(因みに、降水量が日本の凡そ五分の一であるカリフォルニアの稲作での問題点は 水 であり、州政府の管理する灌漑用水に頼るか井戸を掘るかしなければならないという。4月から11月は葡萄栽培に適した乾季に入り、コバルトブルーの晴天が続く事はワイン愛好家の皆様はご存知でしょう)

sakestreet.com
獺祭、アーカンソー州で契約農家と山田錦を栽培。更にニューヨークに酒蔵を建築しており、2022年に完成予定。日本米とアーカンソー州米、そしてNYの水を使ったSAKEを構想し、“DASSAI BLUE”というブランド名で、既にMLB「NYヤンキース」と’22、’23年度の公式スポンサー契約締結。この名は荀子の「青は藍より出でて藍より青し」からの着想で、日本の獺祭を越える目的から付けられた、と桜井社長。尚NYはアメリカで流行の中心と為る特別な地域で、新しい物への反応が早い分、その入れ替わりも早い。今良い物が次に良い物に取って代わられる事が日常茶飯事のこの場所で、獺祭は己が価値を試そうとしているのだろうか

 この様に「日本米第一主義」で話を進めて来ると、「日本の米消費量は他国に抜きん出ている」と、視野の狭い我々日本人は思い勝ちなのですが、日本の米消費量は世界で50位(2017年)という事で、東南アジア諸国には程遠く及ばない現状、生産量も同じ程の差が在るのは必至であります。しかしそれは新種栽培の為の稲作面積は既に確保出来ているという事を意味します。無論酒米より飯米の方が重要であり、又酒造するにしても大戦期の日本の様な、食糧難を憂慮する国にとってはインディカ米を栽培せねばならぬ以上、その酒造に向かぬ米質という大きな問題もあります。ジャポニカ米は日本の土壌と日本人の嗜好に適応して発展して来たのですから、余所の国土ではそう容易く巧く行くとも思えません。であれば地元米との交配研究を通して問題を一つ一つ解決して行くほか私には思い付きません。例えば、これは上記※6にも通じる事ですが、何とカリフォルニア米の祖先は「山田錦」の父方の「短稈渡船」の元である「渡船」で(そしてそれは「雄町」からの選抜系統という説が根強い)、これは時を遡ること二十世紀初頭にカリフォルニアに渡っており、その後其処で改良され、現在のカリフォルニア米の元と為ったのであります。そしてこの時もう片親に為ったのが、大のワイン愛好家でもあった第3代大統領ジェファーソンが欧州から持ち帰ったイタリア米であったとされます。詰まりカリフォルニア米は山田錦の性質を持っており、もしかすると高い酒造適性を有しているかも知れないと考えられるです。昭和五十六(1981)年発行の『日本酒の研究』(別冊暮らしの設計、中央公論社)という雑誌には、「東京のスーパーマーケットやお米屋さんで買う上等の日本米よりおいしいサクラメント近辺産のアメリカの日本米を、日本政府は輸入禁止をしている」という文面も在りました。そしてそのカリフォルニア米を酒米として改良し、精米を工夫して形状の問題にも対応したとも聞いております。現在では、ニュージーランドなど食米の習慣が無い国では酒造米は安価なカリフォルニアやオーストラリア等からの輸入に頼っているようです(勿論高価な日本製 milled rice精米済米 も〈表記例:Milling rate精米歩合 60%〉。ニュージーランドの酒蔵「全黒ぜんくろ」では乾燥糀やきょうかい酵母も輸入しているとの事。当蔵では日本に似た軟水である氷河の溶け水を使い、ガレージ・ワインを造る「ガラジスト」を思わせる十分とは言えない施設環境にて、コンテストで受賞するほど優れた酒を造っておられる→https://jp.sake-times.com/knowledge/international/zenkurohttps://www.youtube.com/watch?v=cP53y_uuozs〈8:48〉)。

 しかし此処で日本人は呉々も天狗に為ってはいけません。抑々、戦前の日本も米を自給出来ずに十七%をむら植民地米に依存していました。戦後に為って植民地米は喪失、その代わり中国やカリフォルニアから「準内地米」と言われたジャポニカ系の米が、量的には限られていたものの輸入されていたのです(その不足分は主に小麦によって補われた)。確かに日本人は米食民族と言われ、それは弥生時代に稲作が大陸から伝来して以来米を主食とし、酒・酢・味噌・醤油・菓子等の原料に使用して来たからなのですが、実際は米はどの時代にも絶えず不足していて、人々が米飯をどうにか常食出来るように為ったのは江戸時代(農民は米を作っても年貢に多くを取り上げられて満足に食べる事が出来ず、職人は一日中働いても妻子に飯を食わせるのがやっとだった)、近代日本が成立する頃でも米は誰でもふんだんに食べられる物ではありませんでした。米食が大きく前進したのは明治中期(1880年代)から第一次大戦後(大正九〈1920〉年頃)で、都市や農村では米消費の増加が爆発的に進みました。この米消費量の拡大は歴史的に持った米食への憧れによるものであり、これは戦後、特に高度成長期の生活水準の上昇が食の多様性を促し、米の消費量を減らしたのとは対照的であります。そして米不足が完全に解消して、雑穀や豆、芋類を混ぜた糧飯かてめしから、冠婚葬祭など特別な時にのみ食べられた白米百%の飯を誰もが腹一杯喰えるように為ったのは、第二次大戦後の事でありました。(※7)(平出ひらいで鏗二朗こうじろう『東京風俗志』〈1901、明治三十四年〉によると「麦飯喰うくれえなら死んだ方がましだ」とうそぶく江戸っ子もいたようである)

 ※7 「日本では国土の産出する米の三分の一以上が造酒に用いられると断言できる。そのことが民衆の日常の食糧として十分な米がない理由となっている。もし酒、酢、味噌その他米を消費するいろいろな物を米から造らないならば、十分であろうに」──イエズス会宣教師ロドリゲス『日本教会史』(十七世紀中頃)。「日本は、これまで出会った国民の中で、最良で、親切かつ名誉を尊ぶ。日本人は食を節するが、飲酒のこととなると、それほどでもない」──フランシスコ・ザビエル

 加えて、日本米は昔から高品質だった訳でもありません。明治末頃迄、「魚沼産コシヒカリ」や「秋田こまち」といった現在ブランド米産地として名高い日本海側地域産米は粗悪な物として知られていました。それは、日本海側は秋の収穫頃から天候に恵まれず、断続的な雨や雪による乾燥不良からの変質や腐敗、また籾など異物の混入および俵装不良による脱漏だつろう等の問題を抱え、中々改良が進まなかった為でした。産地において米穀検査による品質管理、規格化を徹底し、有利な商品化を図る試みが「産米改良」であり、明治半ば以降に各地で始まりました。それは詰まり米俵の中の米を良く乾燥させ斉一にし、異物を排除、俵装を二重にして強固にし、容量を四斗に統一、そして検査によって一、二、三等といった等級に付す作業でありました。米不足の時代に、拡大する消費地の需要を満たすには商品として大量かつ円滑に取引きする事が必要であり、その為には商品として規格化する必要があった訳であります。現在の様な銘柄ブランドが確立する迄の産米改良の道程みちのりは実に険しいものであったのです。

農業の基本は矢張り適地栽培。これからは地元米、即ちその土地や風土に見合った米の使用がより重要視されて行くであろう。それは テロワール の直接的な表現を実現するのみならず、自社栽培であれば農協を通して取り引きする必要が無くなる。農協を通すと米の供給量を確保する為に「特等米」であっても一等から三等を混ぜて「一等米」にしてしまうので、米の持つ品種特性も品質も無く為ってしまうのである。産地・品種・産年の記載が当然と為り、追跡可能性トレーサビリティが重視され、農家が作りたい米ではなく蔵が求める米を作る契約栽培、若しくはいっそ初めから独自で管理する自社栽培が増えて来た今、「安全・安心」は無論、より高い水準の品質管理が求められて来る。その様な今こそ更に先を進め、等級についての表記が物を言う筈である(※1)。其処には「消費者の啓蒙」という課題も在ろうが、今回はそれについては然程の事でもなかろう。何故かなら、義務教育を受けて来た者なら「二等」「三等」よりも「一等」の方が、そしてそれよりも「特等」の方が上位である事が分からない筈は無いのだから。──日本酒離れが起こった時分には酒米がだぶついた事もあったが、今は輸出も増え酒米が不足していると同時に減反政策も廃止に為り、より良い酒米を作ろうとする動きが出て来ている。良質な酒米は取り合いに為り入手し難い為、下等米を買う位なら地元農家と契約栽培したり、蔵で栽培した方が良いと考えられつつある。更にその「地元米使用」がセールスポイントにも為り、個性にも繋がるのである
 〈追記〉農林水産省「平成29年産米の農産物検査結果(確定値)」によると、醸造用玄米の等級比率は凡そ、特上1.1%、特等20.5%、一等58.0%、二等11.6%、三等6.0%、規格外2.8%であり、また令和3年(速報値)は、一等86.5%、二等10.2%、三等3.3%で、何れにせよ等級表記が無くても一等の割合が最も多い事が分かった。詰まりラベル表示が無くとも原料米の質は予想以上に高いという事である
 ※1 しかしそれを実践している商品に二度しかお目に掛かった事が無いのは、筆者の調査或いは注意不足もあろうが、一般の酒蔵では等級まで管理が出来ないからであろう(国から特別検査場の許可を受けた、自社栽培米を扱う酒蔵のみが自社精米所で等級検査を受ける事が出来るようである。尚その商品とは「越乃雪椿 純米大吟醸 特A地区産特等米・・・山田錦」と「かんとうのはな 大吟醸 滋賀県産一等・・山田錦」)。一方、一般米においては米そのものの「美味しさ」が問題となる為、検査内容に「味」についての項目が無い以上、上記の格付けは(食感には関係するであろうが)食味とは殆ど無関係と言えるからで(※2)、更に着色米や異物等は色選別機等を使い精米過程で取り除き、粒の大きさを揃える事が出来る為、玄米を精米した後は検査の格付けに意味がなくなるからであろう(よって精米時に見た目・・・の品質を上げる事が出来る事から米業界では「二等米」「三等米」に人気が集まっていたらしい。無論、より下級である「二等/三等」の表記はされなかっただろうが。因みに、水稲うるち玄米においても、同上の検査結果を見ると、平成29年では一等82.3%、二等14.2%、三等1.6%、規格外1.9%と矢張り一等が他を圧倒している)
 ※2 詰まり等級と美味しさは必ずしもイコールではない。言う迄も無い事だが、ワイン用葡萄と同じ様に酒造好適米の価値を決めるのは「食味」ではない為、酒米においては等級検査に意義がある(ワイン醸造では、僅かな不良葡萄でも出来上がるワインの味に悪影響を与える事から徹底した選別が為される。それを思えば清酒醸造においても同じ事が言えよう。尚、清酒では良い米を使う程ピュアさが際立つ)。因みに食味を決めるのはその年の気象条件や栽培法、また乾燥と調製に加え、収穫後の貯蔵、精米、炊飯によっても変わって来るが、矢張り基本と為るのは品種と産地である

 この様に見て来ると、徹底された規格管理下にある日本米が、国際的に見て極めて高値なのも頷ける事でありましょう。勿論別の理由としては、零細規模による生産性の低さにあります。一方、国内だけで見ると「米は決して高くない」という声も多く、消費者がそう思うのは彼等が食管制度に慣れていて、国際価格を全く知らないからでありましょう。もし店頭に5kg1000円のカリフォルニア米が5kg2500円の国産米の横に並べば、果たして彼等はどう思うでしょうか?(※8) 所得水準の上昇と食の多様化による米消費量の減少、詰まり家計に占める米代の比重が低下した事によって生じる「米は高いと思わない」という金銭感覚に乗じて、実は米価が容易に引き上げられて来たのであります。それでも尚、可成りの価格差があっても屹度きっと日本人は日本米を選ぶのでしょう。日本人は自分と米とを切り離して考える事は出来ないのです(※9)。例えば日本の観光シーズンは五月と十月、即ち田植え前と稲刈り後。そして稲が成長して世話が楽に為る時期がお盆。日本では在らゆる行事や活動が稲作暦に従って為されて来たのであります。又、我々にとって米は安ければ好いという商品ではなく、純白な米粒の背景には青々とした水田が広がっているのです。田んぼで生まれ田んぼで育つ赤蜻蛉とんぼが秋の夕焼け空一面に飛び交っているのです。そう、お米の中には自分の祖父母の田舎が存在しているのです。矢張り家族の食事には湯気の立つご飯と味噌汁が似合うもので、パンと牛乳では寂しい個食が目に浮かびます。戦前まで日本人の七割五分は農村で暮らし、地場で採れる旬の魚介類や野菜を使う郷土料理や季節毎の行事食を楽しんでいました。ところが戦後、人々が都会に移住し、食料品の流通が全国規模に為って都会へ運ばれるように為ると、季節とは無関係の通年同じ様な食料品が店に並ぶように為り、そして全国的にもその画一化が広がって行きました。こうして、悲しい哉、その地域の地形や風土を活かした料理は姿を消し、地産地消の習慣も失われてしまったのであります…

水田は米を育てるだけではなく、春には田螺タニシが住み、夏には水黽アメンボ目高メダカ泥鰌ドジョウが泳ぎ、秋には蜻蛉トンボが舞い、土を食べる蚯蚓ミミズ蜘蛛クモを喰うカエルを狙うトキコウノトリが飛んで来る、一つの生態系を維持する場なのである(※1)。加えて、日本の様に大雨が良く降る所では、水田が無かったら局地的に降った雨水は忽ち洪水と為って人々の住処に襲い掛かる。水田が在るからこそ数日の間多量の雨水がダムの様に保持され、そして徐々に海に流れて行くのである(※2)。無論水田は人獣の呼気を浄化し、何より長閑のどかな風景は精神を浄化してくれる。「田んぼは農家個人のものであると同時に地域の共有財産であり、日本国民全体の財産でもある。米作りには、自分の事だけでは済まない、もっと大きなものがあるのです」(管理者改訂)(渡邉吉樹、渡辺酒造店「根地男山」)。──全く以て「実るほど頭の下がる稲穂かな」である
 ※1 化学肥料、消毒液、殺虫剤の乱用によりこの光景は失われてしまったが・・・しかしながら、原始的な自然について言えば、農業自体が第一番目の自然の破壊者なのである。農業は自然に依存して生産を行う以上、自然の生態系を破壊せずには成立し得なかった。そして農業は自然を改造して第二の自然を作り出し、その中に生態系の循環を取り込む事で、あたかも生態系の保護者であるかのように振る舞って来たのである・・・それでも私達は、身嗜みを整えていない人など見たくないように、農林業の管理を失って荒れた自然を見たくない。人類が昔から行って来た自然との交流によって営まれる農林漁業が息づく社会に私達は生きたい。少し都会から離れた、風に稲葉が波打ちさやさやと鳴る音が聞こえる町に、私達は住みたいのだ
 ※2 土に水が入ると還元状態に為り、水が抜けると酸化状態と為る。田園の土は毎年酸化還元を繰り返して新陳代謝を行い、二千年に亘って連作障害を防ぎ、我々に米を与え続けて来た

 ※8 平成七(1995)年の食糧管理法廃止により、政府が全ての米を