第四瓶 ワインの味わい方 ー葡萄酒との対話ー

人の五感と五味の分析(嗅覚

 五感とは申しましたが、テイスティングにおいては特に嗅覚と味覚が重要な感覚となりますので、此処ではその二つを取り上げ、今回は嗅覚について考察したいと思います。また「葡萄酒との対話」などと大仰な副題を付けましたのは、「このワインは一体何を訴えているのだろう?」というニュートラルな心持ちでテイスティングをして頂きたいと思うからです。呼称資格受験者の様に、「リースリングだからペトロール香」とか「シラーだから黒胡椒」では、感じ取っているのではなく頭から決め付けている訳で、それは造り手に対しても、ワインに対しても失礼と思うのです。先ずは感じた事を感じた儘に表現する事。そして最終的には、どうしたら最高に美味しく飲んであげられるのかを考える、ワインが放つメッセージを唎き取る、という事が飲み手としての正しい姿勢と考えます。良く言われますように「ワインは生き物」であり、常に(化学的)変化を続けているのです(※1)。其処をしっかりと感じ取ってあげたいものです。 

 www.winetasting-demystified.comより加筆

 上記の通り、香りには二種類あります。鼻腔びくう香気が一般に 匂い と呼ばれるもので、鼻孔を通り鼻腔で感知される匂いの事です。対して口腔こうくう香気は、飲食物を飲み込んだ時の、口蓋こうがいの奥へ行き、裏から鼻腔に入る匂いで(鼻を塞いで放した時に空気が抜け出るイメージ)、口中で アロマ のニュアンスを嗅ぎ分ける、所謂いわゆるフレーヴァーの事です。抑々そもそも香りは揮発(※2)性化合物、気体です。そして口内は温度が高いため、(アルコールの蒸発と共に)匂い分子が揮発して香りが濃くなり、鼻から抜けて強く感じるのです。よって湿度100%(※3)の口内の「あと香」には「たち香」に無い複雑な匂い分子があり、人はそれによって美味しいと感じる訳であります。要するに嗅覚が味わいの大部分を占め(※4)、そしてそれは揮発物のみを感知するいう事です(※5)。摂食行動を個人的嗜好の範囲から社会国家を越えて人類の幸福にまで導いた、ブリア・サヴァラン先生はいみじくもこの様に仰っています。「有味体は全て必ず香りを持っている。嗅覚と味覚の両方に属している・・・嗅覚を奪われると味覚は麻痺する」

    www.planet-science.com
鼻詰まり、鼻摘まみ、嚥下えんげ時に舌を口蓋にくっ付ける → 空気の流通が遮断され、香気が鑑賞されない

 ご存知、ワイン通達がテイスティングで「ズズー」と遣るのはこういった事からで、彼等は空気を含ませる事で香味を引き出しているのです。但しこれは周囲の方々が耳にして快い音ではありませんので、特にレストランでは止めましょう。どうしてもという方は、噛むようにして、無音で空気を含ませましょう。とは申したものの、やはり麺類を頂く時は堂々と、天に響くほど音を立てるべきです。「美味しい物を美味しく頂いているのです」と、神様に伝えてあげましょう。海外の方々の冷ややかな視線など気にするに及びません。勿論「郷に入っては郷に従う」もありますが、特にラーメンを啜る効果としては、①麺に絡まったスープが滴り落ちる前に素早く口内に入る(スープにこそ滋味がたっぷり含まれているのです)②前述の通り、空気と共に食べる事であと香レトロネーザルのフレーヴァーに繋がる、の二点です。この二つの相乗効果により、お行儀良く啜らずに時間を掛けて冷めるリスクを負いながら食べるより、四倍も豊かな味わいを感じる事が出来る訳です。来日する方々には是非ともこの理に適った食事作法を体得して、ご帰国頂きたいものです。

ippudo.com
欧米人は一般的に猫舌という(体温は日本人より高く、例えばフランス人が発熱というのは38℃以上)。熱いお吸い物を椀の縁に殆ど口付けずに吸い込むという芸当は日本人特有の技で、欧米人には出来ないらしい。彼等が無音でスープを食べられるのは熱伝導率の良い金属スプーンを口に入れても熱くない程度に予めスープの温度が調整されている為
Cool Japan!

 ※1 (グラス、温度、デカンタージュ の有無などでも変わる)ワインは絶対性の無さが面白い。即ちワインは、神的でありながら人間的な要素も持ち合わせている、神と人の子であるディオニュソスやイエス、或いは天を追われ地で活躍する須佐之男の様な、我々日本人の魂にも共鳴し易い飲み物なのである

 ※2 揮発とは液体から気体への移行現象。熱力学の原理で変化(温度が低いほど弱く、高いほど強い)。グラスをグルグル回すのもこれを期待して

 ※3 低気圧の雨の日は湿気が強くなる為、香りを敏感に嗅ぎ取れる(高気圧の晴れだと香りが飛び易い)。雨の日に森へ行くと樹の匂いが強く感じられますネ

 ※4 香りが味の評価の約七割を占める → 香りもワインの値段に含まれていると考えるべし。人間の感覚において、鼻の方が舌よりも遙かに鋭い。味覚はせいぜい千分の一か一万分の一位の濃度迄しか物の味が判別出来ないが、嗅覚はそれより一桁も二桁も先の十万分の一か百万分の一、物によっては一億分の一以下の濃度でさえ嗅ぎ分ける事が出来るという。尚、オルソネーザルと味わいは別々にしか感じられ得ないが、レトロネーザルと味わいは同時にしか感じられ得ない

 ※5 因みに赤は白より揮発度の低い、分子量が大きい物質を多く含む為、香りが立ち難いという。但しガメイやピノ・ノワールは冷たくても揮発度は高いのだとか

〈追記〉五感の内、嗅覚のみが記憶を司る海馬が在る大脳辺縁系へと入る。即ち嗅覚は他のどの感覚よりも記憶を喚起させる。これを「プルースト効果」と言うのは、『失われた時を求めて』で、主人公が紅茶に浸したマドレーヌを食べた時に過去の記憶が甦る有名なシーンから。匂いは個人的な体験、生まれ育った国の文化、歴史的な知識に深く結び付く。逆に、匂いを感じないと記憶と感情が結び付かない為、痴呆やアルツハイマーの患者は鼻が悪い場合もあると言う。加えて、嗅覚は加齢と共に衰える。女性の場合、排卵期に鋭くなる(男性より嗅覚細胞が43%多い)。また煙草は嗅覚を著しく鈍らせる(「煙草を吸う人間が料理人として失格する最も大きな理由は、味覚と嗅覚が鈍くなって微妙な味の判断が出来なくなるからだ。煙草呑みの舌や鼻の粘膜の細胞は丸みを失って平べったくなっているそうだ。感覚器官としての感度は大幅に低下している。やにで汚れた舌や鼻で物の風味を味わうのはサングラスを掛けて物を見るのと同じだ」──「美味しんぼ」アニメ版・板前の条件)

本日の箴言

 ソムリエは文化を伝える仕事で、ワインが生まれた土地の風の香りや土の匂いも伝えるべきである。

田崎真也(現JSA会長〈本記事投稿時点〉)

同氏のおススメ動画集はコチラ⇒お役立ちワイン映像集

ホテル雅叙園東京にて

記念日の一本

Barolo 2010, La tartufaia (Giulia Negri, Piemonte, Italy)

 熟成を示すオレンジを帯びた濃いめのルビー。粘性は強い

 第1 アロマ はチェリー系(レッド、ブラック、サワー)主体で愛らしく、第2アロマの 香(1年物6ヶ月、2年物6ヶ月、500トノ-18ヶ月+瓶熟12ヶ月)はスパイスやスモーク。第3アロマが高く、ドライフルーツ(プルーン、イチジク)、ドライフラワー(バラ、スミレ)そして革や茸や土っぽい香り

 しなやかな第一印象。凝縮した果実味とチェリー様の可愛らしい高めの酸、口内をグリップする高いタンニンの 渋み は前半から後半まで一貫する。アルコール14%由来の舌先のピリピリする刺激と喉の熱さ。余韻は長め

 チャーミング且つエレガント、加えてセクシーさも備えた魅力。2010年バローロはクラシックな ヴィンテージ。今でも十分楽しめるが、果実味、酸味、タンニンの高さからまだ2~5年寝かせても良い。17~20℃、大振りのピノ・ノワール用 グラス で〈2019年10月〉

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