第二十五瓶 ヴーヴ・クリコの生涯

 ワインが持つ健康への効用についての科学的見地だけでは個人的に十分ではないと思いまして、「論より証拠」、より説得力を持たせるべく、実際に長寿を遂げたワイン業界の人物を、ワイン教室形式で、本稿ではご紹介差し上げます。泡好きの日本人はお馴染み、スーパーマーケットででさえ必ず目にすると言っても過言ではないシャンパーニュ「ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン」についてです(次のレジュメは年表の形で、時代背景を追いながらマダム・クリコの生涯について記載してあります⇒https://songesdevignes.com/wp-content/uploads/2020/06/ヴーヴ・クリコ.pdf

 先ずは名前の由来ですが、「ヴーヴ」は「未亡人」という意味で、「クリコ」はマダムの夫の名字、そして「ポンサルダン」はマダムの名字から取られたものです。

 1772年にマダムの夫の父フィリップ・クリコによって、主に繊維を扱う会社「クリコ」が創業されました。この「クリコ」は小規模ながらワイン業も営んでおりまして、マダムは夫のフランソワと一緒にワイン業の方に没頭して行きます。

 しかし経営が巧く行かず夫が鬱に為ってしまい、最終的にはチフスで、マダムが27歳の時に亡くなってしまいました。当時は女性の社会的権利は皆無に等しかったのですが、未亡人ヴーヴと為る事で、社会的自由が保障されました。マダムは此処で、現代で言うビジネスウーマンの先駆けと為った訳です。

当時、評判になる女性は娼婦か女王、王妃のみ

 1810年には地域初の、記録されたミレジム(ヴィンテージ)シャンパーニュを造る事で、革新的な力を証明しました。

 大彗星が通過した1811年の葡萄は完璧で、それを讃えて生産者達は彗星マークをコルクに焼き付けました。ヴーヴ・クリコは幸運の星として、その後も使用し続けます。

 そしてこのミレジムはロシアで大称賛を受けます。ただそのお陰で在庫が切れるという、会社としては一大事に陥ります。

当時のシャンパーニュ業界は小規模であり、それを世界市場の贅沢品に押し上げた功績の多くがヴーヴ・クリコに由っている。ロシア桂冠詩人プーシキンは「ロシアの上流階級はクリコしか飲まない」と書き残した

 皆様は既にご存知のように、シャンパーニュはおいそれと造れるものではなく、途方もない手間暇が掛かります(⇒瓶内二次発酵)。況して当時の技術では尚更で、特に澱抜きに、うんざりする程の時間が掛かったのです。「これではとても需要に追い付けない」という事でマダムは考えます。そして──

ピュピトルの無い最初期の澱抜きは瓶底に澱を集め、詰め替えの段階で澱が動いて広がらない内に、最大量の透明なワインを注ぎ出せるようにする方法で、この過程で少なくとも炭酸ガスの圧力が半分失われた(1820年代に機械化)。現在は瓶口を-20℃の塩化カリウム溶液に浸け、溜まった澱を瞬間冷凍し、その凍結した部分のみ噴出させ除去するが、ピュピトルを使った当初の澱抜き法は、瓶を叩くか強く一振りして元に戻すというもの。19世紀のワイン読本には次のようにある。「デゴルジュマンは、職人がボトルを逆さに立て、ワイン少々と澱全部が口から吹き出す間だけ、コルク栓を抜いておく。しかしそれ以上一瞬たりとも時間がかかってはいけない。澱の動きを追える目とすばやく栓のできる親指が必要」

 ──このピュピトル、「机」の意味ですが、これに穴を開けボトルを立てて動瓶ルミュアージュを行い、問題を解決したのでした。ピュピトル発明の背景には、早急な在庫確保という理由があった訳です。

小柄でどら声、器量が良いとは言えない辛辣な完璧主義者。ルイーズ・ポメリーが後に続く

 マダムは64歳で引退し、89歳で亡くなります。当時のフランス女性の平均寿命は45歳以下で、そのほぼ二倍、実に二人分の人生の時間を生きた訳ですから、マダムの生命力たるや恐るべしと言わざるを得ません(ワインによる健康などとは無関係と思えるほど丈夫そうです…)。因みに右下の女の子は14歳に為る曾孫ひまごのアンヌで、その度胸の良さがマダムにそっくりだったらしいです。

 引退後は自ら建てたこのブルソー城で生活しました。周辺には葡萄畑もあって、自分で世話していたそうです。因みにこの畑の葡萄から、有名ではないですが、シャトー・ド・ブルソーというシャンパーニュが造られています。

 マダムの死後、1877年にイエローラベルが商標登録されました。そしてスタイルも時代に合わせ、ロシア人好みの甘口から、ドライ、即ち中甘口のセックと言うところでしょうか、そして辛口のブリュットへと変えて行きます。

元々、需要を満たす為に多量の糖リキュールを添加し、摘果後12ヶ月以内に飲めるようにする為に甘口(ドザージュ150g)が主流だった。Brutの意は「自然のままの」、即ち「加糖していない」という事(現在の法規定では含有糖度15g/L以下)

 一方、現在もなお変わらずに引き継がれているものとしてはいかりマーク。特に希望の象徴という事で、創設者のフィリップ・クリコの時からずっと使われています。

 またこの字はマダムのサインから取られたという事です。

 現在ヴーヴ・クリコは所有する葡萄畑の内96%程がグランクリュとプルミエクリュで──

 ──ドザージュを少なめにする事で、ハウススタイルであるピノ・ノワールの特長を活かしています。

精妙なワインらしい旨味のあるロゼ造りのモデルとして有名

 1972年にはマダムのビジネス精神に敬意を表して、次の様な賞も作られました。

シャンパーニュ業界程に女性の影響を受けたものは世界にない、と歴史家は断言

 合わせてその年は創業二百周年という事で、ヴーヴ・クリコ初のプレステージシャンパーニュ「ラ・グランダム」が造られました。

 此処でこの偉大なる貴婦人マダム・クリコの功績をまとめますと、シャンパーニュの国際化、ブランドの確立、そしてピュピトルとルミュアージュという事になります。

 2010年にはバルト海から沈没船が見付かって、其処からヴーヴ・クリコも出て来たそうです。

現在の様なカラフルなラベルが無かった当時、一度荷解きされた後、どのメゾンのワインかを見分けるのはコルクの焼き印とボトル首周りの封蠟に頼るしかなかった

 最後に、現在のメゾンの様子はこんな感じで──

 ──実にお洒落ですネ。

本日の箴言

 あなたに秘密をひとつ教えましょう・・・これほど度胸の良いあなた、あなたは誰よりも私に似ています。それは私の長い人生で、私にとってはとても役に立った貴重な性格でした・・・私は現在、シャンパーニュの偉大な貴婦人La Grande Dameと呼ばれています! 自分の周りをご覧なさい・・・世界は絶えず動いています。私たちは明日の物事に投資しなければなりません。他人よりも先に行かなければならない。決意を固め、厳格でありなさい。そしてあなたの知性をあなたの人生の導き手となさい。大胆に行動しなさい。もしかしたらあなたも有名になれるかもしれません・・・

 曾孫娘アンヌに宛てた、マダム・クリコの手紙より

記念日の一本

Veuve Clicquot Ponsardin 1983 Brut Reserve

 オレンジを帯びた淡い琥珀色、澱在り、気泡は点在。極めて酸化熟成が進んだ状態で第3 アロマ のみ:モカ(コーヒーまでは行かない)、クリーム、カラメル、胡桃、蜂蜜、べっ甲飴やほんのり漢方薬の匂い

 口に含むと微細な泡ペティヤンの刺激。胡桃様の乾燥ナッツ風味の中に、強靭な酸が弦の様な一本の線となって全体を貫いている。雑味や粗さが全く無いマウスフィールと共に、苦味を伴う余韻は非常に長い。シェリーのオロロソや紹興酒に高い酸度を加えたような印象。知人からの頂き物で非常に良い経験をしたが、何でも古ければ良いという訳ではない事もまた再確認。熱劣化や酸化(⇒ワインの欠陥と非欠陥)が進みマデイラ化した白ワインには、トロやブリの様な脂身の有る魚の刺身(ナッツ様の風味同士で、また醤油を付け メイラード反応 同士で一致)、雲丹うに(雲丹の強いヨード感をワインのヨード感が和らげながら調和し合う)、胡桃系菓子(風味の同調)などと合わせられる〈2018年5月〉

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