第十八瓶 ワインと食事

 当ブログサイトにおける行き当たりばったりの計画はまるでサイト管理者の人生そのものを反映しているようですが、全稿は前稿の内容を受けて展開・発展させて参りました。この一繫がりこそ古人の遺風に従う彼が自負するところであり、同時にこの貫徹する精神は、昨日を越えて今日を耐え、明日へと繋げる人間の生き様そのものであります。

 有り難くも時間を掛けて一連の文章を残さずスカルペッタするように味読して下さった方々は、恐らく一般消費者以上の知識を得、ワインというものに大分通じて来られたものと信じます。しかしながら、俗に言う「ワイン通」なる面々が陥りがちな落とし穴を、皆々様も釣られて次々と落ち重ならないよう此処で埋めて置く必要があります。ワインばかりを考える余り合わせる料理を等閑なおざりにする、これがややもすると、大手を振って大股で闊歩する頭でっかちな不注意者がフワリと嵌まり込む大きな穴ぼこであります。

 さて、いつから人類はワインを食事と結び付けたのでありましょう? 抑々そもそもワインの生みの親はメソポタミア(参考⇒旨味のオレンジワイン)、育ての親はエジプトで、其処では王侯貴族の飲み物でした。そして成人にして完成させたのがギリシア、其処でワインは庶民の飲み物として市民権を得たのです。エジプトのワインが王を初め権力者達の黄金の飲み物であった(※1)とすれば、ギリシアでのワインは知恵と逸楽の酒でありました。古代ギリシア人はワインそのもの、即ち「酔い」を求めるのではなく「飲み方」を重視し、海水で割るなどの工夫をしその強さを和らげて、哲人らしく節制を守り自制心を保ったのです。未開で粗野な「酔い」に対し、この「飲み方」を考えるという行為は取りも直さず文化の豊かさを表し、如何に彼等が知的・経済的水準の高さを持ち、生活を向上させて行った、野蛮と対極にある民族であったかという事を如実に語ります。紀元前5世紀には都市国家アテネで今日のワイン法の原型が成立された事も、その事実を揺るぎ無いものにするでしょう(※2)。文明化した社会では葡萄を尊び、ワインを讃えるのは当然という訳です。そんな彼等が食事と無関係にシュムポシオン(※3)を開いていたのに対し、その後ローマ人がワインを食事と共に楽しむようになった、というのが歴史的な背景であります(※4)。確かに、19世紀フランスの小説家エミール・ゾラが『居酒屋』で「二杯目を飲むとジェルヴェーズをあれほど苦しめていたひもじさは消えた」と書いたように、ワインがパンと同じ食べ物と見做されていた時代もありました。そんなその日を生きる為に「食べるワイン」から、喜びを得る為に「楽しむワイン」への移り変わりも一つの文化現象。そしてもはや飲食は生命維持及び栄養摂取のみの行為ではないこの時代。共に食べ、共に飲み、共に生きる喜びを分かち合う事によって充実し完結する欧州的飲食行為は、働く為の糧として、飽くまで肉体的活力補給源として正座して黙々と「頂く」我々日本人にとっても尊重すべき姿勢であります。欧州人の様にゆっくりと食べるようしつけられる代わりに、可能な限り手早く食べ終えるようかされる私達日本人は特に、周りの人々にとって常に自分が美味しさの一部(参考⇒味わいの分析図 の表)と為る事を意識すべきであるし、一人であれば自分を持て成すという姿勢を持つべきなのです。そんな「人付き合いの仲立ち」をしてくれるワインの素晴らしさは私が此処で述べるに及ばず、皆々様の身を以てご理解頂くべきものです。前々稿、Y鮨の親方の信念「ワインには脇を固めて貰う」(⇒華麗なる賭け)を受けまして、次は「料理の引き立て役」としてのワインの素晴らしさについて、より知識を深めて参りたいと思います。

 ※1 昔は全て自然派(自然に近い「生物なまもの」)だったが、収穫量重視の手入れ不足ゆえ不味かった筈。保存手段も や革袋のみ(だからこそ新酒に大きな価値があった)。一部の王侯貴族のみが高品質ワインを飲めたという(現代の三千円レベルだとか)

 ※2 具体的には、法律でワインを保護し、印章を施す事で内容を示し、甘辛/特殊製法/ブレンドなどのカテゴリー別にした。当時既に異なる土地から質の異なるワインが生産される理由、及びその方法が理解されていた為、特定地域のワインを偽物から守り、また課税の為にワイン法が導入された

 ※3「共に飲む」の意。このシンポジウム(酒宴、饗宴)にてワインを水で割って給仕した者を「エノホイ」と言い、ソムリエの原型とも言われている(「ワインに水を入れない者は勘定を二倍払う」とたしなめられていました。プリニウスに拠ると当時は「葡萄酒の澱の固まりで体や衣類を洗う」ほど澱〈⇒澱(フランス語 Lie リー)〉が出たという事で、かなりワインの風味が強かったのだろうと想像されます。また水以外にもハーブ、スパイス、花、蜂蜜、油もワインに加えられ、酸化やオフ・フレーヴァー〈⇒ワインの欠陥と非欠陥〉をマスキングした。要はそれだけ味が悪かったという事。その添加物の代表が現在でもレッツィーナに使われ続けている松脂である)。宴会の際は、習慣として床に香ばしい花(特にサフラン)を撒き、宴会用に作った小川には芳香エッセンスを流し、薔薇水の噴水を噴き上がらせて客を歓待。人々は(頭痛や酒酔いを抑えるべく)頭を薔薇の花輪で飾り、食堂には香料箱を置き、葡萄酒にはギリシア人の好きな菫と薔薇で香りが付けられ、参会客には高価な香料を配り花の香を撒き散らすので、宴会場には芳香が充ち満ちていた。因みにクリティアスは紀元前5世紀のスパルタの青年達についてこの様に言った。「ギリシアの若者たちは、精神を楽しい希望に誘い、言葉を穏やかな歓びと節度に満ちた笑いに導くために必要な分量しか飲まない」

(書き切れない分はコチラで。適切な解説がされております⇒https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB

quatr.us
中にはの葡萄酒を暴飲したのか、嘔吐するやからも。古代ギリシアでは酒は食後に嗜まれたというが、それは胃に負担が掛かる事を身を以て体験していたからであろう

 ※4 初期のローマではワインは三十歳に為らなければ飲めず、また婦人が飲むのは厳禁とされた。大カトーは「もし妻がワインを飲んでいるのを見付けたら殺すがよい」とさえ言っている。女性は宗教的儀式への参加を許されていなかったのだからそれは必然の結果で、家長は同居する婦人がワインの匂いをさせていないか確かめる為に接吻する権利さえ認められていた。しかし186年コンモドゥス皇帝により一般女性もワインの飲酒が許可されたが、これはワインをキリストの血とする宗教のお陰である

viaverdimiami.com
食事と共に、ローマではより洗練された形に。因みに「色・香・味」ですが、古代ローマでは既に[C.O.S(Color/Odor/Sapor)]の順で唎いていたそうです。また「ハウストレス」なるソムリエ的役割が存在し、白/赤・甘/辛・軽/重などのカテゴリー分類もあったのだとか

本日の箴言

 人々は、食生活の改善の面からも、「食」の安全の確保の面からも、自ら「食」のあり方を学ぶことが求められている。また、豊かな緑と水に恵まれた自然の下で先人からはぐくまれてきた、地域の多様性と豊かな味覚や文化の香りあふれる日本の「食」が失われる危機にある・・・自然の恩恵や「食」に関わる人々の様々な活動への感謝の念や理解を深め・・・この法律を制定する。

食育基本法

休日の一本

Chablis 2016(Domaine Besson)

 ミディアムレモンの外観、鮮やかな強めの香り立ちは幾分複雑さも備わる(最低12ヶ月のステンレスタンク内 シュール・リー):檸檬や白桃が若々しさを、アカシアが華やかさを、白胡椒や火打石が爽やかさを、澱接触によるトーストの アロマ が深みを添える

 ドライで強い酸味、ボディはミディアム(-)だが強めの風味と ミネラル 感を伴う長めのフィニッシュ。シュール・リーによる厚み、そして果実味と12,5%の中程度のアルコール度のバランスも良く、プルミエ・クリュに迫る品質。酸の高さと果実味の凝縮感からまだ数年の熟成に耐え得る

 小から中振り グラス 、澱による風味を生かす為にも冷やし過ぎず10~12℃で。鮭の塩焼きやメロカマの西京焼き(魚の塩味がワインの強い酸味を和らげ、同時に魚の風味が引き立つ)等に合う〈2019年5月〉

シャブリ、ドメーヌ・ベッソン(amazon楽天

“第十八瓶 ワインと食事” への14件の返信

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