我が愛用の国語辞典『大辞林』(第二版)に拠りますと、「地」:①地面(土)②その地方(土地)③生来のもの(作り物ではないもの)④本来身に備わっている性質(持ち味)⑤加工や細工の土台(本質)とあり(緑字は筆者による解釈)、前々稿は②③④について着目し、前稿は⑤について、詰まり燗によって鍍金が剝がれて「地」が出る事について述べました。(人も長年付き合うと素が出て来ますネ…)(尚「地」とは、①天に対して地 ②特定の土地、地方、地域、場所 ③位置、立場 ④所有する土地、領土)
前回申しました通り、燗とは言わば瞬間熟成。それは言い換えると、燗で駄目に為る酒は熟成にも向いていないという事です。燗にして旨い酒が熟成して旨く為る(味が崩れず、冷やよりもバランスが良く為る)訳で、燗冷ましで更にバランスが良く為れば相当確りした酒という事でありました。という事で、今回も引き続き清酒の「真髄」について、詰まり、燗の他にもう一つの清酒の 旨味 を引き出す方法、「熟成」について、酒気を帯びてぐるぐる廻る頭で思考を巡らせてみたいと思います。
J.S.A. SAKE DIPLOMAの教本(2nd Edition)には、「通常、日本酒は比較的短い熟成期間で出荷されるが、最近では貯蔵技術の発達や貯蔵方法の工夫により、意図的に長い期間貯蔵して、新酒の時にはなかった味わいを生み出そうとした日本酒が造られている。これが長期熟成酒〈古酒・長期貯蔵酒・秘蔵酒〉と呼ばれるものである」「古酒は新酒の対語で、前の酒造年度以前に造られた日本酒を呼ぶ。長期貯蔵酒のうち、特に貯蔵期間の長いものは、〇年貯蔵酒や大古酒〈だいこしゅ・おおごしゅ〉とも呼ばれ、5年以上貯蔵した日本酒には秘蔵酒という名称がつけられることがある」とあります。「常に変化する」という事を商売上の強味にしたワインにおいては、ヴィンテージ 毎の事細かな情報が公表され、最適な熟成期間に細心の意識が払われるのに対し、清酒が一年以内に消費されるべき物とされるのは、ワインに比べて時に耐える要素たる酸やタンニンといった自然の保存成分が乏しい上、一方で豊かなアミノ酸は光と温度に影響を受け易いデリケートな成分の為であり、不適切な環境に置かれると風味に生気が無くなるのは勿論、舌を刺すような辛みや苦味が現れて来ます(よって清酒業界において苦味はマイナスの要素とされる)。そしてこれは「熟成」とは異質の「劣化」で、六箇月以上に為って着色したり老香が感じられたりする物も少なくないのであります。要するに──清酒の多くは秋の末から春の初めに掛けて造られますが──その前年の同じ季節に造られた酒は、たった一年程で「古酒」と呼ばれる事に為って、香りも味も落ち込んで一般には嫌われ勝ちと為ります。これが「商品構成においてフレッシュローテーション前提」とか「清酒の寿命は一年」とか言われる所以であり、酒蔵としてはそうなる前に「売り尽くさねばならぬ」という事になるのであります。しかしこれは「不適切な環境」、詰まり酒売り場に典型的な「照明晒しの常温陳列」に在る、一年間も誰にも顧みられずに放置されて売れ残った惨めな酒達の末路であり、対し、冷んやりした暗がりに置かれ、大事に大事に大事に見守られて来た酒達は成長を続けるのです。
ではそんな深窓の酒は如何に成長して行くのでしょう? ワインは酸化熟成によるものですが、日本酒は メイラード反応 による熟成であり、詰まり糖とアミノ酸の反応でありますので、酒中の糖やアミノ酸が多いほど高く反応し、また温度が高いほど早く進みます。ただワインもウイスキーも無論日本酒も、熟成の科学は未だ明らかでない所が在るようですが、現在の通説によると、「醸造したての酒はアルコール分子同士、水分子同士が結合して集団状態にあるが、熟成するとアルコールが水の分子に包含されて味が円やかに為る」という事です。詰まり、新酒はアルコール分子が剝き出し状態のため刺激臭が強く味も尖っているのですが、熟成によりアルコール分子が 水 分子の隙間に入り込んで包まれた状態に為るため、アルコールの荒々しい刺激感が無くなり香味が円く為るという訳です。又それだけでなく、胃腸への負担も軽い為に酔いが醒め易いという事もあります(※1)。そしてこれらは加熱によっても或る程度得られるものでありますから、燗は酒の造りが良いかどうかを、熟成に耐えるかどうかを知る為の簡便なテスト法として、蔵人が遣る業でもあるそうです。昔から「酒は秋」と言い、春先の新酒時には硬くて荒々しく渋かった酒を寝かし、火入れして土用を越す内に 旨味 が増して次第に角が取れて円やかに為り、秋が深まるにつれて膨らみを増し、味の底に沈んでいた香りも顔を出して「秋上がり」(※2)した酒を良しとしたのも、詰まり「冷やおろし」(※3)が最上とされ有り難がれて来た理由も、実は此処に在った訳なのです。そう、元来新酒とは半製品扱いで、清酒は古酒に為ってから市販され、古酒を待つ事が酒造家の誇りとされたのです。しかし昨今では、全国新酒鑑評会を春先に開く為、どの蔵元も上辺の味は好いが、力強さの無い、ひ弱な、アルコール添加で香りの高い大吟醸酒ばかりを造るように為り、秋上がりした本来の清酒の姿は消えつつあるようです。食前酒としては兎も角、食中酒に向かない香りの強い酒を褒める余り「生活の酒」が軽んじられるように為ってしまった事は、実に悲しい事であります。そしてライフスタイルの変遷と共に、忙々しい現代では日本酒のみならずワインにおいても「熟成させる」という意志が弱まりつつある事は言う迄もありません。
※1 フーゼル油(高級アルコール:「高級」とは「沸点が高い」の意)は新酒中に多量に存在する事があるが、古酒に為るにつれて減少して行く。これは衛生上有害で、多量摂取により頭痛を感じ悪酔いさせる。因みに、概してアル添酒は熟成するとアルコールが浮いて来る感じ、醸造過程で得たアルコールと添加したアルコールが分離する感じに為ると言われる
※2 「秋晴れ」とも言い、寒造り の酒が翌秋に熟成して飲み頃に為る現象で、良い酒の基本。したがってラベルに「冷やして飲め」と記載のある酒の多くは、春先にはそこそこでも秋にダレる、詰まり「秋だれ」する、燗にも耐えられない物という事である。確りと計算された酒は蔵内熟成を経て、本物の旨さが乗ってから出荷されるが、そうでない物は若過ぎると味が苦く荒々しい為、或る程度(半年程)経た物を買う方が直ぐに楽しめる事も少なくない(勿論適切な環境下での保存)。又は若くて硬い新酒に一年熟成させた酒を加えて円やかな印象にする事も可能
※3 前年の冬に造った新酒を、貯蔵前の加熱殺菌のため一度火入れし、ひと夏寝かせ、ひんやりした蔵の中と外の温度が同じ位になった時に蔵出しし、そのまま火入れしないで瓶詰め出荷する(生 詰め)酒。涼しい蔵内で保存された「冷たい酒を市場に卸す」事に由来。元々は、「延びのきく」=「十分に熟成した」(雑菌の繁殖し易い暑い夏を越して長期に亘り貯蔵しても腐敗する事が少ない)=「色香味も上質な高級酒」=「冷やおろし」という概念があり、秋に為ると「古酒」、暮れから翌春に為ると「大古酒」と呼ばれた
では何故この熟成古酒は日本人の生活からその姿を消してしまったのでしょうか? 古酒は鎌倉時代には既に存在し且つ尊ばれていたようで、「人の血を絞れる如くなる古酒を仏」と日蓮上人が信徒の男女に送った手紙にも書かれています(色合いや「油のような」トロリとした触感が伝わる表現であります)。また1695年の『本朝食鑑』には「甕や壺に入れて三、四、五年も経った酒は味濃く香美にして最も佳なり」(※4)とあり、江戸時代以前の人達は三~九年経た物を珍重して貴び、値段もそれに応じて高く取り引きされていたようで、江戸時代では「三年酒」や「九年酒」は高級酒として新酒の二、三倍の値が付き、宮中の祝い事にも用いられていたといいます。大奥女中の逸話から、徳川将軍が飲んでいた御膳酒は真っ赤で嫌な臭いがする「煮切り酒」なる相当の年代物の古酒だったとも伝わっています。しかしその後の明治時代に為るとぱったりと途絶えてしまいました。それは明治政府が酒蔵に課した「造石税」が最大要因と考えられています。これは、商品として販売する前に、造った酒量に対して税金が課せられるものの為、出来る限り早く売って資金繰りする必要が生じてしまうものだったからです。戦後それは「蔵出し税」に切り替わりましたが、造り手も飲み手も豊かな経済環境とは言えなかったので、早く換金出来ない回転の遅い長期熟成酒は非常に売り難い商品だったのです。こうして国側の「早く売って貰い課税したい」という思惑と、蔵側の「貯蔵中に腐ったら大損だし早く売りたい」という思惑が一致。詰まり、近年まで清酒業界が熟成の事を考えて来なかったのは、管理の問題も然る事乍ら、一年以内に売らないと小さな蔵は資金の回収が出来ないという事があった為であり、加えて、たとえ古酒を造りたいと思い立っても二十年近く掛かり、そうなると商売として成立しないからであります(※5)。また別の理由としては次の通りです。明治における原料米の精白度は今日程ではなく、寧ろ殆ど玄米に近く、酒質の劣化が進み易かった為、毎月一回という頻繁さで火入れが行われていました。そしてその度毎に色は濃く為り、杉 樽 の香味が強く為って雑味を増し、しかしアルコールは減り、燃料や手間が加わるので原価は上がり、それは普通、一升について火入れの度に一銭位ずつ上がったそうです。これは明治中頃迄続き、国民にとっては大打撃であった為、地方によっては安価な若酒(火入れ程度の少ない酒)を愛好する習慣が起こり、そしてこの傾向は全国的に広がって、明治三十八年のガラス容器の使用や脱色炭(→濾過)の利用なども背景として、遂に現代の様な古酒を尊重しないという、世界には見られない珍しい飲酒習慣が残ったという訳であります。そしてこれは百年に満たない間の変化であった事も、清酒愛飲家は知って置く必要がありましょう。
※4 酒を樽に入れて何年も置けば、杉や脂が溶け出して、ジン其処退けの香味になってしまうから、古酒は陶製の壺もしくは甕に貯えられた
※5 そこでフランスのコニャックで考えられたのが「ナポレオン」で、一般的には六年物をベースに五十年、六十年のブランデーを僅かにブレンドする事で、グンと熟成した香りに変身する(異なる貯蔵年数の酒のブレンドでは一番若い酒の年数を表示)。したがって清酒の長期熟成酒においても、この アサンブラージュ の発想が広く取り入れられて来るのではなかろうか。因みに、現在ではマデイラの様に加熱による短期間熟成を経た清酒も製造されている

1985年に設立した当会は「満三年以上蔵元で熟成させた、糖類添加酒を除く清酒」と古酒を定義。「日本酒百年貯蔵プロジェクト」を2005年創立20周年記念に開始。これには、蔵でもどう変化するか分からない為、実験的要素が有る。数年前、筆者は株式会社匠創生主催の熟成古酒試飲会にてスタンダード物からプレミアム物まで嫌というほど試して来たが、中でも鮮明に記憶に残っているのが千葉県岩瀬酒造の岩の井「平・和の調べ」。これは田崎真也氏によって6種の古酒をブレンドされて完成した製品で、古代米黒米と一段仕込みの酒がベースとなり、香り高いカカオフレーヴァーが非常に心地良く印象的な、他とは一線を画す古酒で、流石に氏は良い仕事をされていると実感
確かに亜硫酸(⇒ワインの亜硫酸)が使われなかった中世ヨーロッパでは、ワインは変質し易かったため新酒が最も高価で、時と共に酸化が進む為にその価値も下がって行くのが一般的でした。ワインは 樽 で流通され一年以内に飲み切るスタイルだった為、ヴィンテージ という概念が重要視されなかった事実は、全く現代の日本酒に通じるところであります。勿論今ではワインにおいてラベルに表記されたヴィンテージは、消費者がボトルを開けるタイミングを決める指標の一つで、また熟成が必要なワインにおいては不可欠な情報である事はご存知の通りです。そしてもはや、ウイスキーにしても、長年の貯蔵を経た古い物が殆ど迷信とも思われるくらい尊ばれている酒類では、その古いお手本の手前、後代に造られる酒質には、突飛な変化が起こる筈はありません。それに比べ日本酒ではその年の物はその年の内に消費され尽くす建て前に為っているので、年毎の政治や経済の影響、更には気候変動も積み重なって、長い年月の間には思いも寄らない大きな変貌を遂げる事も可能であります。現に、現在進行形且つ全国規模で次々と試験的に醸造されている新タイプ清酒の登場速度は、一般消費者が追い付けない程であります。したがって日本酒における早飲み指向は必ずしも短所であるとばかりは言い切れず、寧ろ日本酒の、時代と共に進んで行く若々しい適応性を特徴付けるものとも言えるのでありましょう。
反面、一代で完結せず、先代の意志を受け継ぎ、未来へ繫ぐ人が居て初めて偉業と為るのが古酒造りというもので、熟成によって良く為るという点において清酒はワインに引けを取らないと言っても差し支えないものと思われます。「酒は古酒、女は年増」(酒は古酒ほど佳味に為り、女は年増をもって情け深し)と諺にもあり、「一年以内で美味しく為る酒は一種類も無い。5℃で保存すると、物によっては2年、3年とどんどん良くなった」とまで言う専門家もいます。開高健に至っては「日本酒のオールドは、ホント、いいぞ。日本民族であることに、誇りを覚えたくなるほどだ」と言うくらいです。確かに今迄は清酒を年代物の古酒として造っても需要があるか疑わしいため流通されていませんでしたが、今後は和食と共に清酒の世界的認知が広まるにつれ、製品の多様化とプレミアム化が一層要求されて来る筈です。その需要を満たすという事においても、熟成古酒というカテゴリーは発展して行くものと思われ、実際に現在の欧米のソムリエに色々なタイプの酒を飲ませると、彼等は古酒に最も興味を示します。又「ホットサケ」が定着したアメリカでは現在冷やして飲む古酒が注目されていて、熟成古酒は非常に評価が高くスーパープレミアム品として取り引きされているとも聞きます(※6)。そして日本では古酒の試飲会や販促活動、また単一年のみならずマルチ・ヴィンテージの製造といったものも行われております。
※6 「酒は銚子と盃で熱燗のお酌」という、所謂「富士山・芸者・切腹」的固定観念に捕らわれたアメリカ人は依然として少なくないらしいが、日本酒の「古い文化を飲むのではなく、新しい酒質を飲む」という時代への移行が徐々に始まっている
では──魚が熟成と加熱で旨く為るように──「熟成味すぐれて類なし」と言える古酒とは如何な特徴を有するのでしょう? 次に現代的な視点から表を作成致しました。

・タンク内熟成:澱が下がり、空気接触の為か、ストレートな味わい(熟成が進み易い)
・ペアリング例:クリームチーズ+醤油(マスカルポーネ+鰹の角煮など)、パルミジャーノ・レッジャーノ+蜂蜜(林檎)、青かびチーズ+蜂蜜(そば/栗)、フロマージュ・ブラン+スモークサーモン、レバーパテ+ブルーベリージャム、京風白味噌+アンチョビペースト、オレンジピール+チョコレート

此処で強調して置かねばなりません事は、売れ残った古酒(※7)と、酒蔵で目的を持って長期熟成させた古酒は区別して扱われねばならないという事です。そしてその違いは、元々熟成を目的に造られる「元酒(※8)」を熟成させたか否かに在ります。元酒から造ると、安定した熟成香味に為り、複雑さや豊潤さ、より立体的で魅惑的な香味を持つように為るのです。対して、熟成を想定されず、しかしながら時間が経ってしまった結果熟成された酒、詰まり軟弱な酒質の酒は直ぐにへたってしまいます。その理由は、熟成させると酒質の劣化と味乗りの両方のプロセスが同時に進むのですが、その二つの+-の差で旨く為るかどうかが決まるからであります。これにより「酒は劣化するだけだ」と考える人は冷蔵保存して味乗りが進まず、劣化だけが目立つ酒を育てる事にも為り兼ねないのです。確かに一般的に「保管温度は低く」と言うのは、温度が高いと瓶内対流が起こって品質に影響を及ぼし、アミノ酸が変化し、吟醸酒では 吟醸 香が減少、特に 生 酒は劣化が早い為だからなのですが、そういった酒質の軽快なタイプでなければ、実は或る程度温度を上げた方が味乗りが進み劣化に勝てるのです(※9)。こうして、精米歩合の低い吟醸系は熟成させても味が変わりにくく、一方で歩合の高い本醸造や純米など香味成分が多い酒は変化し易く面白い味に為り得るのです。詰まり、これまで雑味と言って取り除いていた物が古酒の味を決めるという事であります。そして「ふむ、これは旨そうだ」と思う古酒は、カラメル香が強く醬油の香りも程々にバランス好く入っている物、詰まり 旨味 を伴う昆布の佃煮の様な香りが有る物で、更に其処に果実香が残っていると、酸味と甘味、苦味のバランスが取れている酒と思って良いでしょう。そしてワインと同様に日本酒も、時と共に香味は全体的に同一系(カラメル、蒸しパン、ナッツ、スパイス。ワインに喩えるとコニャック地方のピノー・デ・シャラント的な味醂や雷おこし)に落ち着いて行きます。しかし人も幼い頃は無邪気、若い頃は個性、そして歳を重ね老いて行くと無我の境に達するもの。年を取ると荒々しさや角が取れて丸く穏やかに為るのは人も同じ。戦後の経済発展と食糧事情の改善および医療の充実により平均寿命が飛躍的に向上し、高齢化が世界最速で進んで熟年時代を迎える日本では、悠久の時の流れを味わえる人々が増えて行きます。懐の深いゆとりの有る者、永きに亘り連綿と続く文化の営みを尊ぶ者のみが、古酒の妙味を知れるもの。琉球泡盛を除き、古酒の文化が無くなったこの国で、淡麗辛口化・香気高上化・高酸化・低アル化と清酒までもが西洋化して行く時代の中で、東洋的な味の古酒を若者や女性達がこれからどう評価して行くのでしょう? 聞くところでは、概して清酒に対して先入観の無い彼もしくは彼女達は軽い気持ちで「面白い味」として楽しめているようであります。しかしそれは、幾年も重ねて円熟させた歴史の有る古酒を頂く者の姿勢としては如何なものでしょうか? 目下の露西亜と烏克蘭の確執を見なくても分かるでしょうが、歴史は軽くありません。果たして彼もしくは彼女達は「歳を取る事も悪くない」と思えるほど心に余裕を持てるのでしょうか? 生物として不可避の加齢を恐怖し、「年齢に負けたくない」などと否定してばかりの老いた心から口にしている限り、それは難しいでしょう。それは自力の抵抗力が無い為に老醜に陥って老香を放つ酒と同じであります。一方、在るが儘を肯定する覇気の有る若い心を宿す肉体は老いさらばえないものです。本当の意味で、年来の清浄な香気漂う余韻深いひと時を愛でる事が出来るのは、抗酸化物質が多く、デカンタージュ により酸化して円やかに為る 生酛 の様な人々だけだと思うのは、恐らく筆者一人だけではないのではないでしょうか・・・(※10)
※7 三年も四年も前の酒を今も抱えて経営が苦しく為っている蔵も在る。書画骨董ではないので粗末な造りの酒は古く為っても高く為らない。最後は料理酒に変えるか、焼酎にするかしかないだろう
※8 古酒に向くのは味に厚みのある酒。その為、米の磨きを粗くして味に厚みを付け、全糀仕込みでエキス分を高くしたり、酸を多く出す酵母を使用したりする事も多い(次稿「平日の一本」で紹介します)
※9 熟成における適温は『清酒の味わい方(味わい)』の※7を参照されたい
※10 江戸時代後半の文化・文政年間、後に元号を取って化政文化と名付けられたこの時代では、世襲社会ならではの風潮があり、詰まり生涯現役ではなく、半生を懸命に働いて身上を成したら後はさっさと家督を譲り、自分は隠居して、余生を楽しむ事が美徳とされた。そしてご隠居は経験豊富で頭も体も確りしているから、若者の相談相手に為ったり、色々な面白い事も考えた。よって当時の文化の担い手はこの様な年寄り達で、浮世絵、川柳、俳句の達人と言えば皆その辺のご隠居だった。そしてそんな時代の空気から、今の我々が「旨い」と思う、洒落た食べ物の数々が生まれた。これからの日本は正にこの、元気なご隠居が街に溢れる社会。今の若者文化は中高年に対し排他的だが、大体、若者より人口の多い中高年が世の中の日陰者に為るなんて事自体おかしい。それは酵母の世界も同じ、優良酵母が野生酵母を数に物を言わせて圧倒するのは酒造の原則。中高年者が良く若者に「これから君達が世を作って行くんだ」などと言うのは、その者にもはやエネルギーが無く、後は死ぬまで無駄に時を費やすという思いの表れに過ぎない。そんな志の無い老人が余りに多く為ったから、若者に軽んじられる社会が出来上がってしまったのだ
本日の箴言
練り込まれた味わい、懐の深さは、時の流れに身をおき、人生の荒波にもまれることでしか、得ることはできない。これは、人も酒も同様である。・・・成熟した飲み手とは、舌だけでなく、脳や心で酒を嗜む人である。酒の生い立ちや個性を、慈しむ人である。
上野伸『日本酒の古酒』
記念日の一本
タクシードライバー、純米 原酒(岩手県産吟ぎんが100%、精米歩合60%)、日本酒度+1、酸度2.3、アミノ酸度1.5、アルコール度17%、酵母「ジョバンニの調べ」(喜久盛酒造、岩手県北上市)、令和二酒造年度作品(令和三年三月二日上槽、製造年月2021.6〈出荷〉)
⇨詰まり三箇月貯蔵という事。熟成期間が消費者にも分かるこの情報を載せて頂きたい! シャンパーニュにおいて澱抜き年月(→瓶内二次発酵)とヴィンテージを記載するメゾンが在るように、上槽年月(又は醸造年度〈※10〉)と製造年月(及び出荷年月)を併記する事が重要(意識的に探せばまだまだ在りましょうが、現時点で当方はこれの他に「まんさくの花 一度火入れ原酒 純米吟醸MK-X2021」「東光 山川牛男2021あき」「大七 皆伝 生酛純米吟醸酒」のラベルにしか出会った事がありません)
※10 BY(Brewery Year)でも良いが、一年間という範囲は清酒にとっては十分な長期間で(※11)、清酒愛好家としては月単位での情報が欲しい。消費者が「熟成」への意識を取り戻す為にも、矢張り「酒造月」を記載して頂きたいものである
※11 古酒とは新酒の対義語ゆえ、古酒に明確な貯蔵年数の規定は無く、新酒以外は全て「古酒」と表記出来る。詰まり一年寝かせれば「古酒」と為る
グラデーションのある淡いイエロー。強めの、どっしりとしながらもすっきりとした酸の有る乳製品香(カッテージチーズ、ヨーグルト)、蒸米、黄桃、蓮華蜂蜜、丁子、そしてメイラード反応香(麦茶、べっ甲飴、ドライイチジク)が落ち着きを与える
原酒らしい重厚なアタック、トロミさえ感じるテクスチャーと共に濃密な甘味が口内に押し込んで来る。しかし中盤からはアルコールの刺激と共に幅広の酸が口内を締め、長い余韻まで衰える事無く引き続く。正にフルボディの燗適酒で、当方が作成したグラフ(⇒清酒の味わい方)を突き抜ける程の濃醇辛口(熟成には最低でも酸度2.0が望ましい)
旨味 によるふくよかボディなら瓢箪型 グラス、酸味による細い筋肉質ボディなら瓜実型グラスで。肉料理に合わせたくなること請け合い(その際は瓢箪型が好い。実際、これ程牛ステーキに合う清酒も稀であろう)
・30℃:揮発に拠るのだろう、原酒由来のアルコールの刺激が抑えられ、四味の全要素に綺麗なバランスが取れ旨い
・40℃:アルコール感が戻り、甘味と旨味の濃くが深まり旨い
以上から、自家長期熟成に挑戦する価値のある酒質を備えた旨酒である

