第三十七瓶 熟成古酒

 我が愛用の国語辞典『大辞林』(第二版)に拠りますと、「」:①地面)②その地方土地)③生来のもの作り物ではないもの)④本来身に備わっている性質持ち味)⑤加工や細工の土台本質)とあり(緑字は筆者による解釈)、前々稿は②③④について着目し、前稿は⑤について、詰まり燗によって鍍金めっきが剝がれて「」が出る事について述べました。(人も長年付き合うとが出て来ますネ…)(尚「」とは、①天に対して地 ②特定の土地、地方、地域、場所 ③位置、立場 ④所有する土地、領土)

 前回申しました通り、燗とは言わば瞬間熟成。それは言い換えると、燗で駄目に為る酒は熟成にも向いていないという事です。燗にして旨い酒が熟成して旨く為る(味が崩れず、冷や常温よりもバランスが良く為る)訳で、燗冷ましで更にバランスが良く為れば相当しっかりした酒という事でありました。という事で、今回も引き続き清酒の「真髄」について、詰まり、燗の他にもう一つの清酒の 旨味 を引き出す方法、「熟成」について、酒気を帯びてぐるぐる廻る頭で思考を巡らせてみたいと思います。

 J.S.A. SAKE DIPLOMAの教本(2nd Edition)には、「通常、日本酒は比較的短い熟成期間で出荷されるが、最近では貯蔵技術の発達や貯蔵方法の工夫により、意図的に長い期間貯蔵して、新酒の時にはなかった味わいを生み出そうとした日本酒が造られている。これが長期熟成酒〈古酒・長期貯蔵酒・秘蔵酒〉と呼ばれるものである」「古酒は新酒の対語で、前の酒造年度以前に造られた日本酒を呼ぶ。長期貯蔵酒のうち、特に貯蔵期間の長いものは、〇年貯蔵酒や大古酒〈だいこしゅ・おおごしゅ〉とも呼ばれ、5年以上貯蔵した日本酒には秘蔵酒という名称がつけられることがある」とあります。「常に変化する」という事を商売上の強味にしたワインにおいては、ヴィンテージ 毎の事細かな情報が公表され、最適な熟成期間に細心の意識が払われるのに対し、清酒が一年以内に消費されるべき物とされるのは、ワインに比べて時に耐える要素たる酸やタンニンといった自然の保存成分が乏しい上、一方で豊かなアミノ酸は光と温度に影響を受け易いデリケートな成分の為であり、不適切な環境に置かれると風味に生気が無くなるのは勿論、舌を刺すような辛みや苦味が現れて来ます(よって清酒業界において苦味はマイナスの要素とされる)。そしてこれは「熟成」とは異質の「劣化」で、六箇月以上に為って着色したり老香ひねかが感じられたりする物も少なくないのであります。要するに──清酒の多くは秋の末から春の初めに掛けて造られますが──その前年の同じ季節に造られた酒は、たった一年程で「古酒」と呼ばれる事に為って、香りも味も落ち込んで一般には嫌われ勝ちと為ります。これが「商品構成においてフレッシュローテーション前提」とか「清酒の寿命は一年」とか言われる所以ゆえんであり、酒蔵としてはそうなる前に「売り尽くさねばならぬ」という事になるのであります。しかしこれは「不適切な環境」、詰まり酒売り場に典型的な「照明晒しの常温陳列」に在る、一年間も誰にも顧みられずに放置されて売れ残った惨めな酒達の末路であり、対し、冷んやりした暗がりに置かれ、大事に大事に大事に見守られて来た酒達は成長を続けるのです。

 ではそんな深窓の酒は如何に成長して行くのでしょう? ワインは酸化熟成によるものですが、日本酒は メイラード反応 による熟成であり、詰まり糖とアミノ酸の反応でありますので、酒中の糖やアミノ酸が多いほど高く反応し、また温度が高いほど早く進みます。ただワインもウイスキーも無論日本酒も、熟成の科学は未だ明らかでない所が在るようですが、現在の通説によると、「醸造したての酒はアルコール分子同士、水分子同士が結合して集団クラスター状態にあるが、熟成するとアルコールが水の分子に包含されて味が円やかに為る」という事です。詰まり、新酒はアルコール分子が剝き出し状態のため刺激臭が強く味も尖っているのですが、熟成によりアルコール分子が 分子の隙間に入り込んで包まれた状態に為るため、アルコールの荒々しい刺激感が無くなり香味が円く為るという訳です。又それだけでなく、胃腸への負担も軽い為に酔いが醒め易いという事もあります(※1)。そしてこれらは加熱によっても或る程度得られるものでありますから、燗は酒の造りが良いかどうかを、熟成に耐えるかどうかを知る為の簡便なテスト法として、蔵人が遣る業でもあるそうです。昔から「酒は秋」と言い、春先の新酒時には硬くて荒々しく渋かった酒を寝かし、火入れして土用を越す内に 旨味 が増して次第に角が取れて円やかに為り、秋が深まるにつれて膨らみを増し、味の底に沈んでいた香りも顔を出して「秋上がり」(※2)した酒を良しとしたのも、詰まり「冷やおろし」(※3)が最上とされ有り難がれて来た理由も、実は此処に在った訳なのです。そう、元来新酒とは半製品扱いで、清酒は古酒に為ってから市販され、古酒を待つ事が酒造家の誇りとされたのです。しかし昨今では、全国新酒鑑評会を春先に開く為、どの蔵元も上辺の味は好いが、力強さの無い、ひ弱な、アルコール添加で香りの高い大吟醸酒ばかりを造るように為り、秋上がりした本来の清酒の姿は消えつつあるようです。食前酒としては兎も角、食中酒に向かない香りの強い酒を褒める余り「生活の酒」が軽んじられるように為ってしまった事は、実に悲しい事であります。そしてライフスタイルの変遷と共に、忙々せわせわしい現代では日本酒のみならずワインにおいても「熟成させる」という意志が弱まりつつある事は言う迄もありません。

 ※1 フーゼル油(高級アルコール:「高級」とは「沸点が高い」の意)は新酒中に多量に存在する事があるが、古酒に為るにつれて減少して行く。これは衛生上有害で、多量摂取により頭痛を感じ悪酔いさせる。因みに、概してアル添酒は熟成するとアルコールが浮いて来る感じ、醸造過程で得たアルコールと添加したアルコールが分離する感じに為ると言われる

 ※2 「秋晴れ」とも言い、寒造り の酒が翌秋に熟成して飲み頃に為る現象で、良い酒の基本。したがってラベルに「冷やして飲め」と記載のある酒の多くは、春先にはそこそこでも秋にダレる、詰まり「秋だれ」する、燗にも耐えられない物という事である。確りと計算された酒は蔵内熟成を経て、本物の旨さが乗ってから出荷されるが、そうでない物は若過ぎると味が苦く荒々しい為、或る程度(半年程)経た物を買う方が直ぐに楽しめる事も少なくない(勿論適切な環境下での保存)。又は若くて硬い新酒に一年熟成させた酒を加えて円やかな印象にする事も可能

 ※3 前年の冬に造った新酒を、貯蔵前の加熱殺菌のため一度火入れし、ひと夏寝かせ、ひんやりした蔵の中と外の温度が同じ位になった時に蔵出しし、そのまま火入れしないで瓶詰め出荷する( 詰め)酒。涼しい蔵内で保存された「冷たい酒を市場に卸す」事に由来。元々は、「延びのきく」=「十分に熟成した」(雑菌の繁殖し易い暑い夏を越して長期に亘り貯蔵しても腐敗する事が少ない)=「色香味も上質な高級酒」=「冷やおろし」という概念があり、秋に為ると「古酒」、暮れから翌春に為ると「大古酒」と呼ばれた

 では何故この熟成古酒は日本人の生活からその姿を消してしまったのでしょうか? 古酒は鎌倉時代には既に存在し且つ尊ばれていたようで、「人の血を絞れる如くなる古酒を仏」と日蓮上人が信徒の男女に送った手紙にも書かれています(色合いや「油のような」トロリとした触感が伝わる表現であります)。また1695年の『本朝食鑑ほんちょうしょっかん』には「甕や壺に入れて三、四、五年も経った酒は味濃く香美にして最も佳なり」(※4)とあり、江戸時代以前の人達は三~九年経た物を珍重して貴び、値段もそれに応じて高く取り引きされていたようで、江戸時代では「三年酒」や「九年酒」は高級酒として新酒の二、三倍の値が付き、宮中の祝い事にも用いられていたといいます。大奥女中の逸話から、徳川将軍が飲んでいた御膳酒は真っ赤で嫌な臭いがする「煮切り酒」なる相当の年代物の古酒だったとも伝わっています。しかしその後の明治時代に為るとぱったりと途絶えてしまいました。それは明治政府が酒蔵に課した「造石税」が最大要因と考えられています。これは、商品として販売する前に、造った酒量に対して税金が課せられるものの為、出来る限り早く売って資金繰りする必要が生じてしまうものだったからです。戦後それは「蔵出し税」に切り替わりましたが、造り手も飲み手も豊かな経済環境とは言えなかったので、早く換金出来ない回転の遅い長期熟成酒は非常に売り難い商品だったのです。こうして国側の「早く売って貰い課税したい」という思惑と、蔵側の「貯蔵中に腐ったら大損だし早く売りたい」という思惑が一致。詰まり、近年まで清酒業界が熟成の事を考えて来なかったのは、管理の問題もる事ながら、一年以内に売らないと小さな蔵は資金の回収が出来ないという事があった為であり、加えて、たとえ古酒を造りたいと思い立っても二十年近く掛かり、そうなると商売として成立しないからであります(※5)。また別の理由としては次の通りです。明治における原料米の精白度は今日程ではなく、寧ろ殆ど玄米に近く、酒質の劣化が進み易かった為、毎月一回という頻繁さで火入れが行われていました。そしてその度毎に色は濃く為り、杉 の香味が強く為って雑味を増し、しかしアルコールは減り、燃料や手間が加わるので原価は上がり、それは普通、一升について火入れの度に一銭位ずつ上がったそうです。これは明治中頃迄続き、国民にとっては大打撃であった為、地方によっては安価な若酒(火入れ程度の少ない酒)を愛好する習慣が起こり、そしてこの傾向は全国的に広がって、明治三十八年のガラス容器の使用や脱色炭(→濾過)の利用なども背景として、遂に現代の様な古酒を尊重しないという、世界には見られない珍しい飲酒習慣が残ったという訳であります。そしてこれは百年に満たない間の変化であった事も、清酒愛飲家は知って置く必要がありましょう。

 ※4 酒を樽に入れて何年も置けば、杉ややにが溶け出して、ジン其処退そこのけの香味になってしまうから、古酒は陶製の壺もしくは甕に貯えられた

 ※5 そこでフランスのコニャックで考えられたのが「ナポレオン」で、一般的には六年物をベースに五十年、六十年のブランデーを僅かにブレンドする事で、グンと熟成した香りに変身する(異なる貯蔵年数の酒のブレンドでは一番若い酒の年数を表示)。したがって清酒の長期熟成酒においても、この アサンブラージュ の発想が広く取り入れられて来るのではなかろうか。因みに、現在ではマデイラの様に加熱による短期間熟成を経た清酒も製造されている

長期熟成酒研究会 (vintagesake.gr.jp)(分類分けなど有益な情報あり)+「はじめての熟成古酒 自家熟成編」https://www.youtube.com/watch?v=qRA7AYdfs9A(37:30)+「テロワールと熟成 〜龍力・本田商店」https://www.youtube.com/watch?v=4oz3o_oqOfw(1:13:05)(全編を通し、今迄の当サイト内容の不足を十二分に埋めてくれる非常に意義深い動画、必見!)
1985年に設立した当会は「満三年以上蔵元で熟成させた、糖類添加酒を除く清酒」と古酒を定義。「日本酒百年貯蔵プロジェクト」を2005年創立20周年記念に開始。これには、蔵でもどう変化するか分からない為、実験的要素が有る。数年前、筆者は株式会社匠創生主催の熟成古酒試飲会にてスタンダード物からプレミアム物まで嫌というほど試して来たが、中でも鮮明に記憶に残っているのが千葉県岩瀬酒造の岩の井「平・和の調べ」。これは田崎真也氏によって6種の古酒をブレンドされて完成した製品で、古代米黒米と一段仕込みの酒がベースとなり、香り高いカカオフレーヴァーが非常に心地良く印象的な、他とは一線を画す古酒で、流石に氏は良い仕事をされていると実感

 確かに亜硫酸(⇒ワインの亜硫酸)が使われなかった中世ヨーロッパでは、ワインは変質し易かったため新酒が最も高価で、時と共に酸化が進む為にその価値も下がって行くのが一般的でした。ワインは で流通され一年以内に飲み切るスタイルだった為、ヴィンテージ という概念が重要視されなかった事実は、全く現代の日本酒に通じるところであります。勿論今ではワインにおいてラベルに表記されたヴィンテージは、消費者がボトルを開けるタイミングを決める指標の一つで、また熟成が必要なワインにおいては不可欠な情報である事はご存知の通りです。そしてもはや、ウイスキーにしても、長年の貯蔵を経た古い物が殆ど迷信とも思われるくらい尊ばれている酒類では、その古いお手本の手前、後代に造られる酒質には、突飛な変化が起こる筈はありません。それに比べ日本酒ではその年の物はその年の内に消費され尽くす建て前に為っているので、年毎の政治や経済の影響、更には気候変動も積み重なって、長い年月の間には思いも寄らない大きな変貌を遂げる事も可能であります。現に、現在進行形且つ全国規模で次々と試験的に醸造されている新タイプ清酒の登場速度は、一般消費者が追い付けない程であります。したがって日本酒における早飲み指向は必ずしも短所であるとばかりは言い切れず、寧ろ日本酒の、時代と共に進んで行く若々しい適応性フレキシビリティーを特徴付けるものとも言えるのでありましょう。

 反面、一代で完結せず、先代の意志を受け継ぎ、未来へ繫ぐ人が居て初めて偉業と為るのが古酒造りというもので、熟成によって良く為るという点において清酒はワインに引けを取らないと言っても差し支えないものと思われます。「酒は古酒、女は年増」(酒は古酒ほど佳味に為り、女は年増をもって情け深し)と諺にもあり、「一年以内で美味しく為る酒は一種類も無い。5℃で保存すると、物によっては2年、3年とどんどん良くなった」とまで言う専門家もいます。開高健に至っては「日本酒のオールドは、ホント、いいぞ。日本民族であることに、誇りを覚えたくなるほどだ」と言うくらいです。確かに今迄は清酒を年代物の古酒として造っても需要があるか疑わしいため流通されていませんでしたが、今後は和食と共に清酒の世界的認知が広まるにつれ、製品の多様化とプレミアム化が一層要求されて来る筈です。その需要を満たすという事においても、熟成古酒というカテゴリーは発展して行くものと思われ、実際に現在の欧米のソムリエに色々なタイプの酒を飲ませると、彼等は古酒に最も興味を示します。又「ホットサケ」が定着したアメリカでは現在冷やして飲む古酒が注目されていて、熟成古酒は非常に評価が高くスーパープレミアム品として取り引きされているとも聞きます(※6)。そして日本では古酒の試飲会や販促活動、また単一年のみならずマルチ・ヴィンテージの製造といったものも行われております。

 ※6 「SAKEは銚子と盃で熱燗のお酌」という、所謂「富士山フジヤマ芸者ゲイシャ切腹ハラキリ」的固定観念に捕らわれたアメリカ人は依然として少なくないらしいが、日本酒の「古い文化を飲むのではなく、新しい酒質を飲む」という時代への移行が徐々に始まっている

 では──魚が熟成と加熱で旨く為るように──「熟成味すぐれて類なし」と言える古酒とは如何な特徴を有するのでしょう? 次に現代的な視点から表を作成致しました。 

〈補足〉・瓶内熟成:幾重にも折り重なった複雑な味わい
・タンク内熟成:澱が下がり、空気接触の為か、ストレートな味わい(熟成が進み易い)
・ペアリング例:クリームチーズ+醤油(マスカルポーネ+鰹の角煮など)、パルミジャーノ・レッジャーノ+蜂蜜(林檎)、青かびチーズ+蜂蜜(そば/栗)、フロマージュ・ブラン+スモークサーモン、レバーパテ+ブルーベリージャム、京風白味噌+アンチョビペースト、オレンジピール+チョコレート
〈参考〉日本最古の酒:昭和四十三(1968)年、長野県北佐久郡望月町(現、佐久市茂田井)の酒屋大澤家に代々家宝として伝えられて来た元禄の古酒が、二百数十年の時を経て開封。その酒は白い古伊万里の、胴の太いひさご型の陶製壺に詰められ、漆塗りの桐製の栓で、更に栓の外側も漆で念入りに封止されていた。中身はドロドロの黒色の色調で蒸発により減少しており、水とアルコール分子の透過力の違いからか、アルコール度は24%まで増加していた。当時の清酒業界の第一人者である坂口謹一郎博士の分析の結果、固形分の混じった醪を貯蔵した物と推定。博士曰く「一〇〇年ものと称するシェリーそっくり」

 此処で強調して置かねばなりません事は、売れ残った古酒(※7)と、酒蔵で目的を持って長期熟成させた古酒は区別して扱われねばならないという事です。そしてその違いは、元々熟成を目的に造られる「元酒もとさけ(※8)」を熟成させたか否かに在ります。元酒から造ると、安定した熟成香味に為り、複雑さや豊潤さ、より立体的で魅惑的な香味を持つように為るのです。対して、熟成を想定されず、しかしながら時間が経ってしまった結果熟成された酒、詰まり軟弱な酒質の酒は直ぐにへたってしまいます。その理由は、熟成させると酒質の劣化と味乗りの両方のプロセスが同時に進むのですが、その二つの+-プラスマイナスの差で旨く為るかどうかが決まるからであります。これにより「酒は劣化するだけだ」と考える人は冷蔵保存して味乗りが進まず、劣化だけが目立つ酒を育てる事にも為り兼ねないのです。確かに一般的に「保管温度は低く」と言うのは、温度が高いと瓶内対流が起こって品質に影響を及ぼし、アミノ酸が変化し、吟醸酒では 吟醸 香が減少、特に 酒は劣化が早い為だからなのですが、そういった酒質の軽快なタイプでなければ、実は或る程度温度を上げた方が味乗りが進み劣化に勝てるのです(※9)。こうして、精米歩合の低い吟醸系は熟成させても味が変わりにくく、一方で歩合の高い本醸造や純米など香味成分が多い酒は変化し易く面白い味に為り得るのです。詰まり、これまで雑味と言って取り除いていた物が古酒の味を決めるという事であります。そして「ふむ、これは旨そうだ」と思う古酒は、カラメル香が強く醬油の香りも程々にバランス好く入っている物、詰まり 旨味 を伴う昆布の佃煮つくだにの様な香りが有る物で、更に其処に果実香が残っていると、酸味と甘味、苦味のバランスが取れている酒と思って良いでしょう。そしてワインと同様に日本酒も、時と共に香味は全体的に同一系(カラメル、蒸しパン、ナッツ、スパイス。ワインに喩えるとコニャック地方のピノー・デ・シャラント的な味醂や雷おこし)に落ち着いて行きます。しかし人も幼い頃は無邪気、若い頃は個性、そしてよわいを重ね老いて行くと無我の境に達するもの。年を取ると荒々しさや角が取れて丸く穏やかに為るのは人も同じ。戦後の経済発展と食糧事情の改善および医療の充実により平均寿命が飛躍的に向上し、高齢化が世界最速で進んで熟年時代を迎える日本では、悠久の時の流れを味わえる人々が増えて行きます。懐の深いゆとりの有る者、永きに亘り連綿と続く文化の営みを尊ぶ者のみが、古酒の妙味を知れるもの。琉球泡盛を除き、古酒の文化が無くなったこの国で、淡麗辛口化・香気高上化・高酸化・低アル化と清酒までもが西洋ワイン化して行く時代の中で、東洋的な味の古酒を若者や女性達がこれからどう評価して行くのでしょう? 聞くところでは、概して清酒に対して先入観の無い彼もしくは彼女達は軽い気持ちで「面白い味」として楽しめているようであります。しかしそれは、幾年も重ねて円熟させた歴史の有る古酒を頂く者の姿勢としては如何なものでしょうか? 目下の露西亜ロシア烏克蘭ウクライナの確執を見なくても分かるでしょうが、歴史は軽くありません。果たして彼もしくは彼女達は「歳を取る事も悪くない」と思えるほど心に余裕を持てるのでしょうか? 生物として不可避の加齢を恐怖し、「年齢に負けたくない」などと否定してばかりの老いた心から口にしている限り、それは難しいでしょう。それは自力の抵抗力が無い為に老醜に陥って老香ひねかを放つ酒と同じであります。一方、在るが儘を肯定する覇気の有る若い心を宿す肉体は老いさらばえないものです。本当の意味で、年来の清浄な香気漂う余韻深いひと時を愛でる事が出来るのは、抗酸化物質が多く、デカンタージュ により酸化して円やかに為る 生酛 の様な人々だけだと思うのは、恐らく筆者一人だけではないのではないでしょうか・・・(※10)

 ※7 三年も四年も前の酒を今も抱えて経営が苦しく為っている蔵も在る。書画骨董ではないので粗末な造りの酒は古く為っても高く為らない。最後は料理酒に変えるか、焼酎にするかしかないだろう

 ※8 古酒に向くのは味に厚みのある酒。その為、米の磨きを粗くして味に厚みを付け、全糀仕込みでエキス分を高くしたり、酸を多く出す酵母を使用したりする事も多い(次稿「平日の一本」で紹介します)

 ※9 熟成における適温は『清酒の味わい方(味わい)』の※7を参照されたい

 ※10 江戸時代後半の文化・文政年間、後に元号を取って化政文化と名付けられたこの時代では、世襲社会ならではの風潮があり、詰まり生涯現役ではなく、半生を懸命に働いて身上を成したら後はさっさと家督を譲り、自分は隠居して、余生を楽しむ事が美徳とされた。そしてご隠居は経験豊富で頭も体も確りしているから、若者の相談相手に為ったり、色々な面白い事も考えた。よって当時の文化の担い手はこの様な年寄り達で、浮世絵、川柳、俳句の達人と言えば皆その辺のご隠居だった。そしてそんな時代の空気から、今の我々が「旨い」と思う、洒落た食べ物の数々が生まれた。これからの日本は正にこの、元気なご隠居が街に溢れる社会。今の若者文化は中高年に対し排他的だが、大体、若者より人口の多い中高年が世の中の日陰者に為るなんて事自体おかしい。それは酵母の世界も同じ、優良酵母が野生酵母を数に物を言わせて圧倒するのは酒造の原則。中高年者が良く若者に「これから君達が世を作って行くんだ」などと言うのは、その者にもはやエネルギーが無く、後は死ぬまで無駄に時を費やすという思いの表れに過ぎない。そんな志の無い老人が余りに多く為ったから、若者に軽んじられる社会が出来上がってしまったのだ

本日の箴言

 練り込まれた味わい、懐の深さは、時の流れに身をおき、人生の荒波にもまれることでしか、得ることはできない。これは、人も酒も同様である。・・・成熟した飲み手とは、舌だけでなく、脳や心で酒を嗜む人である。酒の生い立ちや個性を、慈しむ人である。

上野伸『日本酒の古酒』

記念日の一本

タクシードライバー、純米 原酒(岩手県産吟ぎんが100%、精米歩合60%)、日本酒度+1、酸度2.3、アミノ酸度1.5、アルコール度17%、酵母「ジョバンニの調べ」(喜久盛酒造、岩手県北上市)、令和二酒造年度作品(令和三年三月二日上槽、製造年月2021.6〈出荷〉)

 ⇨詰まり三箇月貯蔵という事。熟成期間が消費者にも分かるこの情報を載せて頂きたい! シャンパーニュにおいて澱抜きデゴルジュマン年月(→瓶内二次発酵)とヴィンテージを記載するメゾンが在るように、上槽年月(又は醸造年度〈※10〉)と製造年月(及び出荷年月)を併記する事が重要(意識的に探せばまだまだ在りましょうが、現時点で当方はこれの他に「まんさくの花 一度火入れ原酒 純米吟醸MK-X2021」「東光 山川牛男2021あき」「大七 皆伝 生酛純米吟醸酒」のラベルにしか出会った事がありません)

 ※10 BY(Brewery Year)でも良いが、一年間という範囲は清酒にとっては十分な長期間で(※11)、清酒愛好家としては月単位での情報が欲しい。消費者が「熟成」への意識を取り戻す為にも、矢張り「酒造月」を記載して頂きたいものである

 ※11 古酒とは新酒の対義語ゆえ、古酒に明確な貯蔵年数の規定は無く、新酒以外は全て「古酒」と表記出来る。詰まり一年寝かせれば「古酒」と為る

 グラデーションのある淡いイエロー。強めの、どっしりとしながらもすっきりとした酸の有る乳製品香(カッテージチーズ、ヨーグルト)、蒸米、黄桃、蓮華れんげ蜂蜜、丁子、そしてメイラード反応香(麦茶、べっ甲飴、ドライイチジク)が落ち着きを与える

 原酒らしい重厚なアタック、トロミさえ感じるテクスチャーと共に濃密な甘味が口内に押し込んで来る。しかし中盤からはアルコールの刺激と共に幅広の酸が口内を締め、長い余韻まで衰える事無く引き続く。正にフルボディ押し味の燗適酒で、当方が作成したグラフ(⇒清酒の味わい方)を突き抜ける程の濃醇辛口(熟成には最低でも酸度2.0が望ましい)

 旨味 によるふくよかボディなら瓢箪型 グラス、酸味による細い筋肉質ボディなら瓜実型グラスで。肉料理に合わせたくなること請け合い(その際は瓢箪型が好い。実際、これ程牛ステーキに合う清酒も稀であろう)

・30℃:揮発に拠るのだろう、原酒由来のアルコールの刺激が抑えられ、四味の全要素に綺麗なバランスが取れ旨い

・40℃:アルコール感が戻り、甘味と旨味の濃くが深まり旨い

以上から、自家長期熟成に挑戦する価値のある酒質を備えた旨酒である

タクシードライバー( amazonyahoo

岩手県:現在日本最大の杜氏集団である南部杜氏発祥地(とされる石鳥谷町)。古来から高い技術を持つ。新鮮な魚貝類を入手し易い為、透明感を感じる綺麗でキリっとしたタイプの酒が多い。合わせるべき郷土料理はコチラ⇒http://kyoudo-ryouri.com/area/iwate.html

第三十六瓶 燗酒

 ──「ゆるく飲める物こそが、清酒の在るべき本来の姿」、さてその心は? ちまたでは清酒の「個性」という事が主題として取り沙汰される昨今ですが、人口に膾炙かいしゃする余りこの語はもはや個性的ではないので(今まで散々使って来た癖にネ)、敢えて此処では清酒の「真髄」という語を当てて筆を進めて参ります。扨その心は?

 最近では、すっかりと定着したところでは、貴腐 ワインの様に甘味が強い物、これから拡大して行きそうな、シャンパーニュの様に 瓶内二次発酵 を経た物、そしてまだ試作的な、白ワインの様に酸が高い物といった話題性の有る清酒が造られていて、特に若手杜氏達が見せる、新境地を求める開拓者精神には目を見張るばかりであります。しかしそういった真新しい物のみを追い掛ける事は、己れの根っ子が無い者の所業であります。では「日本酒の真髄とは何か?」──それは今迄に機会がある毎に申して参りました通り、旨味 であります。今回はその先に進みましょう。では「その旨味を更に引き出すのは何か?」──それは、既にお察しですネ。そう、燗であります。

「飲み方を考えるのは高度な文化の表れ」とは以前『ワインと食事』の稿にて述べたところですが、「霙酒みぞれざけ(0℃)、雪冷え(5℃)、花冷え(10℃)、涼冷え(15℃)、日向燗ひなたかん(30℃)、人肌燗(35℃)、ぬる燗(40℃)、上燗(45℃)、熱燗(50℃)、飛び切り燗(55℃)」と、数々の美称を付した温度帯による飲み方を考案するほど日本人の文化性は優れていました(※1)。確かに温めるという作業はワインでもビールでもあり、スパイス等を加え温めて飲むグリューワインは広く知られている所ですが、日本酒の様に何も加えずに温めて飲むのは極稀でありましょう。只、寒さの厳しいドイツでは高齢者がビールを湯煎して飲んだり、フランスでも体調不良時にワインを薬の様に温めて飲む事があると聞いた事はあります。が、いずれにしても特殊なケースと言えましょう。しかしながら日本酒の本来の伝統的な飲み方は燗にあるのです。徳利とお猪口🍶でちびりちびりと緩く遣る、それが日本人の在るべき姿であります。お洒落なワイングラスで燗は出来ません。それらは香りを感じ取るのに最も有効である事は「グラス」の項に記してあります。しかし繰り返しますが、ワイングラスでは出来ない事、それが燗であります。「じゃあ、温めた酒をグラスに注いだら?」と思う方も居られるでしょう。しかし燗酒は、保温効果が無い上に液体の表面積が広くなるグラスに注ぐと急激に温度が低下し十分な味わいの膨らみを楽しめない上、猪口に比べ好ましい苦味のある凝縮味も十分に活かされず、薄っぺらく感じられる嫌いがあるのです(よってグラスは25℃が限界か)。まさかフラミンゴの脚の様に細長いステムごと湯煎する人も居ないでしょう。尤も、自分ごと湯船に浸けながら飲む人が居ればまた別ですがネ。(※2)

 ※1 よって供出温度を定めない清酒のブラインドは難しい。清酒は光と温度の影響を最も受け易い繊細な酒ゆえ、少しの温度変化で全く違う表情を見せるからである

 ※2 クレオパトラがワイン風呂を楽しんでいたのは良く知られているが、清酒風呂もまた肌に好く、α-エチルグルコシドが保湿保温および荒れ肌防止効果、また抗酸化物質のフェルラ酸がメラニンや細胞老化の抑制を助けるという。「化粧はやめろ、替わりに酒粕で顔を洗え」と言う蔵人も

 では日本人はいつから酒を温める事を覚えたのでしょうか? そこで古い文献を紐解くと、万葉集にて山上憶良やまのうえのおくらが『貧窮問答歌』に「すべもなく 寒くしあれば 堅塩かたしほを 取りつづしろひ 糟湯酒かすゆざけ うちすすろいて」と詠っている事から、7世紀には既に「酒粕を湯でといて暖をとる」事が為され、当時の貧しい庶民はその酔えぬ薄酒で日々の労苦を癒していたようであります。また825年に嵯峨天皇が交野かたのに遊猟した際「煖酒」が勧められてその美味を褒め称えたとされ、『延喜式』(905年編纂、927年完成、967年施行)の平安中期以降には、儀式では冷や酒ですが、客を寒い晩に持て成す時は燗酒が一般化していたと言うほどお燗の歴史は古いようであります(相手の為に火を起こすという一手間掛ける「お持て成し」)。1013年頃成立した『和漢朗詠集』には酒を暖める記述が、そして13世紀の『宇治拾遺物語』には燗酒を飲んだ記述が見付かります。一方『三養雑記さんようざっき』(天保十三〈1842〉年、山崎美成著)巻三煖酒あたためざけに、「酒をあたゝめ飲めること、むかしよりのならはしなれど、今世のごとく、四時ともに常にあたゝめたるにはあらず『延喜式』内膳司ないぜんし土熬堝どごうくわ(陶製の壺、燗鍋の元祖)は、今の燗鍋にて、上古よりその器もあれど、煖酒あたためざけは重陽の宴より、あたゝめて用ゆるよし、一条冬良ふゆら公の御説のよし『温古日録おんこにちろく』に見えたり。徳元とくげんの『初学抄』に、扇は四時ともに用ゆるものなれど、夏の季なるよし、近ごろ酒も四時ともにあたゝめ飲めど、あたため酒といえば、冬の季になるなりとあり。さて酒のかんに、今燗という字をかけるは俗字なり。酒をあたゝむること、冷と熱との間に温むるといふことにて、間を字音によびて、かんとはいへるなり。燗は字書によれば、音闌おんはらん、爛と同じ」とあります。詰まり「燗酒」は古くは「煖酒だんしゅ」と書き、この「かん」は「熱からず冷たからず、その間」という意味という事が分かります。また燗はらんの俗字であるとありますが、カンは和訓で昔は酒、、茶など適当に温める事をカンと言ったようで、現在では専ら酒に用いられるように為りました。また延喜式の時代は燗をするのに小さな銅鍋を直火で暖めたとの事ですが、それは時を構わずに行わなかったようで、重陽節ちょうようせつ(九月九日)の宴より後、秋冷気が感じられて以降にお燗をするようでありました。詰まり、曾ては秋(重陽・菊の節供)から冬或いは春(遅くとも三月二日即ち上巳じょうしの節供の前日迄)にのみ燗をして、夏には冷やで飲んだのであります。しかし江戸時代に為ると年中燗で飲むのが当たり前に為り(※3)、庶民は夏の土用に鰻とぬる燗で夏バテ対策をしたという事であります。江戸末期にはおでんを肴に燗酒を供する屋台店が出て来て「おでん燗酒」などとも呼ばれたようであり(当時のおでんとは豆腐や蒟蒻こんにゃくなどの味噌田楽の事)、そして昭和三十年代に為っても清酒はお銚子で燗をして飲むのが一般的或いは品が良いとされました。そして今もなお真夏でも燗をして飲む人が居ます。「燗は人肌に限る」などと通ぶって、地球温暖化も何のその、猛暑にもめげず、世間のうるさい熱中症警告に耳を塞ぐかように締め切った部屋で火を起こし、冷房も付けずに鍋と頭から立ち昇る湯気の中、滂沱ぼうだたる汗を拭き拭き、我慢比べでもするかのように焦熱の季節に燗をして飲む人が居るのです! この目を見張るべき行為の裏には何かしらの人生哲学でもあるのでしょうか? 儘ならぬ人生で自暴自棄に陥った末の酔狂か、それとも結局唯の一個人の嗜好の問題に過ぎないのでしょうか? 何にしましても不自然な所業である事に変わりはありません。何故ならそれは、自然に則った感覚をお持ちの方には十分お分かり頂けると存じますが、気化熱の影響から、体からより熱を奪うアルコールは水より冷たく感じる為だからで、矢張り古人の遺風通り春から晩秋迄は冷やで飲み、晩秋から冬に掛けて燗酒を飲むものであるのです。いやはや、「温故知新ふるきをたずねてあたらしきをしる」の筆法とは正にこの事であります。

 ※3 フランシスコ・ザビエル(1506~1552、滞日1549~1551)の後に来日した同じイエズス会士フロイス(1532~1597、滞日1563~1597)は『日欧文化比較』(1581)にて、「われわれの間では葡萄酒を冷やす。日本では(酒を)飲む時、ほとんど一年中いつもそれを暖める」「われわれの葡萄酒の大樽は密封され、地面に横たえた木の上に置かれる。日本人はその酒を大きな口の壺に入れ、封をせず、その口のところまで地面に埋めておく」と、互いの風俗習慣の正反対振りを書いた

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徳利は保温性が高く、猪口は少しずつ味わえる為、燗に欠かせないアイテム(冷酒ほど大振りの器の方が美味しく感じ、燗なら小振りの器の方が味の凝縮感が出てより良い)

 ではこれより本題に入って参ります。詰まり、燗につける事で味わいは如何に変化して行くのでしょうか? 簡潔に纏めますと、①より辛口ドライにし、渋み や濃くを生みテクスチャーを引き締める ②アミノ酸や乳酸を増やし、米や糀の風味を目立たせ、甘味や 旨味 を豊かにする ③一方、温め過ぎはアルコールの揮発成分による刺激を鋭くさせる、という具合です。そして温度帯についてですが、ぬる燗が最も通好みとされ、清酒の柔らかさや旨味が十分に感じられる温度と言われます(※4)。それは、甘味は体温を越える37℃位で最も強く感じる為で、それ以上高温に為っても余り変わりません。一方、酸味は温度による感度変化は無いとされています(「然程・・変わらない」という意見もあるが、それは後述するように〈量ではなく〉質は変わる為だからであろう。であれば一般消費者の素人味覚では尚更「変わる」ように感じる為、一般消費者向けの当サイトでは後者の意見も反映させる)。そしてアミノ酸や乳酸は低温だとギスギスした刺激が出ますが、体温以上だと円やかに為る事もあり、それが 生酛 や山廃酛が燗適酒とされる所以ゆえんでもあります。此処には、辛口の酒は高温に強い性質がある為、加熱により不安定な状態に為りにくいという事もあります(勿論、辛口のがっちりした苦味が温度と共に上がる甘味度合いと釣り合う)。とは言え、この「温度と味わいの関係」は実に多様な要素が絡み合い非常に難解、どれだけ頭の中に知識を詰め込んでも、当方には実際に試してみて初めて「旨っ!」(予想以上)又は「こんなもんかな」(予想通り)或いは「ダメだこりゃ」(期待外れ)と、肌感覚で得た経験からしか分からないようにも思われます。しかしながら何もせずに諦めるのは余りに容易い事ですので、次に表をこしらえてみました。ご理解の一助として見てみて下さい。

※4 伝統的には、燗は人肌を以て良しとした。「酒の燗は人肌」という諺通り、清酒本来の甘味を引き出す35℃前後に浸けるのが良い。生理的見解では、甘味や旨味がニュートラルで刺激が無く体に優しいので、特にお好みがなければ、その語義からしても、是非人肌が温もる温度帯でお召し上がり頂たい。科学的裏付けとしては、42~45℃を越えエチルアルコールの沸点である78.3℃に近付くほど甘味度合いが下がり始めるのでその分苦味がより感じられるように為り、更に有機酸においては、50℃に至るとリンゴ酸は諄く苦い渋みが出、乳酸はやや酸が浮き出て渋みも現れ、コハク酸は諄い苦味や刺激的な酸味が感じられるように為るからである
ひやあついの「あいだ」故「かん」という説に則ると「熱燗」は在り得ない事に為るが、それは唯の理屈で、寒さ身に染む冬の熱燗は矢張り捨て難く、それは清酒の大きな魅力の一つである。身も打ち震える冬の寒風を受けて家路に就いた後に啜る、湯気に包まれた熱燗が身心に染み渡る様は、さながら慈雨に遭った草木の思いである。外国の外食生活に疲れた日本人が帰国する機内で熱い緑茶を啜り、深い溜め息を吐いて落ち着く時の様である。しかし熱燗を飲むのも厳冬の夜更けぐらいであった事は、落語の種本と為っている安楽庵策伝あんらくあんさくでんの『醒睡笑せいすいしょう』巻五の「上戸じょうこ」の条にも記載されている。実際、50℃を越えて来ると揮発性の香りが刺すように現れ、クリーム系の香りが無くなり炭っぽい匂いが出て来るから、熱燗否定派の意見にも頷ける。ところで健康面から言うと、体を冷やすワインに対し、日本酒は蒸留酒よりも体が温まった状態を維持させるとも。実際、蒸留酒はアルコールがストレートに回る酔い方をするが、特に燗酒はじわじわと心地好く酔いが回る為、冷え症気味の人に勧められる

 ご参考迄に、(特別)本醸造や純米酒はクリーム的しっとりとした甘味によるスムースなテクスチャーと穀物や蜂蜜様の風味により複雑みが引き出され、ボディが強まり豊かに為ります。純米(大)吟醸は酸・苦・渋による骨格や 押し味 が、次はトリッキーな遣り方ですが、フルーティでフレッシュな 酒は温度が上がるとCO2ガスの刺激感が立ち、ナッツ香の旨さが現れる傾向にあるようです。また古酒は燗適酒で、その豊かな香味を更に高めます。一方、吟醸 酒は冷やしめで飲まれる事が一般的ですが、それはデリケートタイプの物に限っての事で、香味の強いタイプは燗上がりし、果実的鮮やかな甘味や華やかな美味しさが活きます。この背景には、1970年代にナイフやフォークを使う欧州料理が日本の庶民層にまで浸透して来ると同時に、グラスを使う欧州ワインも広く受け入れられ始めた事があります。その影響もあってか、酒造業界ではワインの様な洗練された香味を出す酵母が開発され始め、一般人が口にする事の無い鑑評会用の吟醸酒が市場に出回るように為って来ました。そして吟醸酒はその繊細さが故に、加えて揮発性の高い吟醸香が鼻につく為に、更には吟醸酒に多めのリンゴ酸は20℃を越えて来ると締まりの無いボケた酸に為るという訳で、温めるべきではないとされたのです(※5)。今度はその逆の視点から述べますと、以前は、糖類を添加した普通酒の様な上質でない酒は冷酒としては難しく燗につけて飲まれる事が多かったのですが、それは温める事によってアルコール臭が飛び、甘・酸・苦・旨といった味が纏まりバランスが良く為る事で雑味が隠れるからでありました(※6)。そしてこの考えは現在もなお諸外国の方々のみならず前時代的日本人の脳裏にも根強く生き残っているようであります。恐らくそれは外国において熱燗は他に無いユニークで珍しい物であると共に、吟醸造りの清酒は入手しづらく且つ高価な為、燗適酒である普通酒や純米酒の方が多く出回っている為であり(※8)、また新しい物に懐疑的な年配の日本人は昔ながらの清酒しか知らない為でありましょう。

 ※5 こと高価な大吟醸酒は絶対に冷やさねばならぬとされるが、それは冷やすと口当たりが好く為り飲み易く為るためであろう。しかし冷やし過ぎると香味が閉じ籠り、本来の味わいを楽しめなく為る。よって本当に飲んで美味しい温度は15℃前後、常温より少し冷やす事でリンゴ酸の軽快で爽やかな酸味が締まり果実感が生きバランスが良く為る

 ※6 電子レンジが発売された時、「電子レンジで燗すると二級が一級、一級が特級になる」とPRされた。因みに現在では「レンジの燗の味はフラット、好き嫌いはあろうがレンジで味が良くなるとは思えない」という声が多い。否定派の主張は「高周波で酒の分子を揺り動かすのは良くない。瞬間的に熱すると酒質が劣化する」。対し、肯定派は「瞬間加熱の方が酒質の変化が少ない。火入れも短時間で行われる傾向にある」と遣り返す。なお肝の小さい当サイト管理者は「時間がある時は湯煎、早く飲みたければレンジ」と、中立の意見で逃げます…(※7)。因みに、「高温で早くつけると引き締まった旨味が広がるため生酛系向き、ゆっくり温度を上げると甘味・旨味・香りが活きるため 原酒、吟醸系、繊細な古酒向き」とも言われる

 ※7 参考迄に、レンジの時間目安は徳利一本(一合)45秒でぬる燗(40℃)。また上下で温度差が出てしまう為、アルミホイルを皺に為らないよう首の部分にすっぽり被せると均一に温まります。又、徳利に先ず熱湯を通すのは「内部の匂い消し、埃払い、容器を温める」為です。蛇足:直燗(火燗)は直接火に掛けるため手軽な方法ですが、酒質を気にしないで好いような酒ならいざ知らず、兎角バランスの崩れたピリピリしたアルコールが目立つ酒に為りがちなので勧められません。興味深い昔の遣り方には、鳩徳利を囲炉裏いろりの灰に挿す「鳩燗」、湯の代わりに酒を使う「酒燗」(その贅沢振りから「馬鹿殿燗」とも)、貧乏長屋の弱い熱と光の行灯あんどんの上に徳利を吊るして温める、のんびりした「アンドン燗」等、風流(?)なものも在りました(古川柳に「お手前ら 行灯燗を 知るめいな」なんてものも)

 ※8 「カナダで消費される清酒の大部分が燗酒です。白ワインに近い摂氏8-12度で飲まれている清酒は25%もないかも知れません」──白木正孝氏(CANADA Artisan Sake Maker)

kitasangyo.com
お燗機能付き清酒(詳細情報→https://kitasangyo.com/SHC-System/SHC-Images/SHC_ppt_ed02.pdf
oenon.jp
「お燗番」は言わばお燗の専門家。客の好み、体調、飲酒ペース、料理等に合わせ、その客にとって最適な温度で酒を提供する、正に心まで温まる、日本的お持て成しの体現者と言えよう。「酒を煮る 家の女房 ちょとほれた」──与謝蕪村

 確かに昔ながらの清酒は──此処で言う「昔ながら」とは 速醸酛 が無い時代まで遡りますが──みな 生酛 か山廃酛、詰まり燗向きの酒しかなく、消費者も好んで燗酒を飲んでいました。「燗は江戸後期から発展して来た本来の飲み方」とか「元々清酒は燗向き」とか言われるのはこれが故です。対し「冷や」というのは、冷蔵庫の無い時代ゆえ冷やせない、詰まり常温で置き燗で飲むのが一般的だった為「温めない酒」という意味で、現代では「常温」と同じ意味と為り、20~25℃を指すように為りました。曾て貧民は冬に十分な暖も取れない事から「貧乏人の冷や酒」などとも言われたようであります。他に、良く耳にする名言に「親の意見と冷や酒はあとできく」というのがありますが、昔は冷や酒は敬遠されたものでした。それは、冷たくとろりとした 原酒 が喉元を越す快感と旨さは格別で飲み口が良い為、兎角とかく量を過ごし、最初の内は酔わなくても後で一気にいて来て深酔いするからであります。そして親の意見も同じで、当座はき流しても後で納得する事が多いという訳で、誠にご先祖は穿うがった事を言うものだと、唯々感服するばかりであります。一方で燗は飲む量に比例して酔いが進む為、飲み過ぎ防止にも為るのです。その訳は、例えば貝原益軒えきけんの医書『養生訓』には「温かい飲み物は体によい」とあるのですが、これを清酒において解釈すると、アルコールは体温に近い温度で吸収されるため時間差無く吸収され、酔い過ぎる事が少ない、と説明する事が出来ましょう。科学指向の現代風に言うと、二日酔いの原因でもあるアセトアルデヒドはどの酒にも含まれるのですが、それは沸点が21℃と揮発性が高い物質の為、燗につける事で体への負担が軽減出来るからであり、加えて、清酒はワインよりも長く体に残留しないという事もあります。

 他の利点としては、温めた酒を飲むと舌の味蕾(⇒続・ワインの味わい方 -葡萄酒との対話-)が開いて来て、味を鋭敏に感じるように為ります。また旨味成分は温度によって花開く為、特に確りした造りで熟成させた純米酒なら豊かな香りや濃くが立ち、料理の味や油に負けないより汎用性の有る食中酒に為ります。より具体的に言い換えますと、確かに燗によりアルコールと共に香り成分も揮発してしまいますが、その分乳酸やアミノ酸量即ちコハク酸やグルタミン酸等による旨味が増加する為、塩辛い料理や生臭い料理の臭みをマスキングし、旨味が豊かに為るのです。燗により甘味は快適さと共に厚みも増し、酸を柔らかい質にして料理を包み込むような相性が作れる為、料理の塩味との相乗、詰まり青魚や魚卵にも合わせ易く為るのです(特に珍味は熟成し、発酵して癖が強い為、燗酒に合う)。そして後口の切れが良く為り、口中をさっぱりさせて、次の摘まみへ進ませ、良い余韻も残すのです。おお、たった一本で和え物、生物なまもの、煮物、焼き物、揚げ物、蒸し物、水物と通して楽しめる清酒は歌舞伎の変化へんげ物にも喩えられましょう!(※9)

 ※9 温度のペアリング(⇒五味と五感から知る! ワインと料理のペアリング法)。例えば、刺身やサラダには冷やで合わせる事。冷vs温だと口内で温度同士がぶつかり合う。より繊細な方法に、ワインの様に デカンタージュ して少し温度を上げて酸味と広がりを出し、料理との相性を強める遣り方もある。ところで、その味わいの変化から個人的に信じているのは、「冷酒から燗酒への移行は、白ワインから赤ワインへの移行に似ている」という事。冷酒に適した吟醸酒には白ワインに似た果実香が有りスルスルと飲が進むが、一方で燗酒は渋みや苦味を感じさせ、舌を打ち鳴らす所作を生じさせる。それは赤ワインと共通したもの、「舌を打つ旨さ=酸味+ミネラル(塩味、苦味)+渋み」である。物のついで、変化舞踊をその目で篤とご覧あれ(⇒長唄 『鷺娘』立方:花柳まり草〈27:47〉9:40からの鮮やかな変化及び20:00~24:00の一連の変化、しなやかな舞にうっとり(´∀`*)、日本舞踊『藤娘』立方:由井寧々https://www.youtube.com/watch?v=Rm4vE-m0m7c〈14:23〉豪華絢爛な衣装、愛らしい舞ににっこり(*´艸`*)

 そう、清酒は燗で化けるのです。しかしそれは多くの俳優が遣るような、お着替えお化粧お飾りの表面的な七変化ではありません。むしろそれとは正反対、燗につけるとそれまで様々な要素にカムフラージュされていた部分が裸に為り、本来の味が姿を現わすのです。特にぬる燗はより素性が明らかに為ります。そして本物の酒は「燗冷まし」でこそ真価を発揮します。風味や切れが増し、飲みにくい味や香りが全て姿を消し、米の味や旨味だけが残るのです。成る程、燗冷ましは清酒業界の常識ではまずい飲み方という事に為っています。しかし芯が確りした酒(→並行複式発酵)は、たとえ でも燗に耐えるのです。割り水した 原酒 でないアル添酒(→生一本)が燗に向かないのは酒の組成が壊れる為で、手抜きの吟醸酒を燗にすると人工的な付け香や合成的な酸が目立ちバランスを崩すのは、醪が完全に発酵していない時にアルコールを添加する事による低質なお里・・が故であります。確かに燗のしたてはアルコールの揮発と共に香りが立ち酸も立ちます。突出したものばかりがパッと出て来るのです。これを「酒が暴れている」と言ったりするのですが、だからこそ燗をしたら暫く置いて「燗冷まし」をするとバランスが良く為り、より円やかに為るのです。そして常温位迄に冷めると、内に秘めた旨味が一気に引き出され、詰まり、燗冷ましは化けの皮を剝がすので良い酒にしか効果がないという事なのです。特に 生酛 系の燗は燗冷ましにした方が生酛感が和らぎ味の特徴が出ます。大吟醸生酒も燗につける事で、落ち着きの無い粗雑な甘・酸・苦のバランスも見違えるように腰が座って纏まりが生まれます。それはまるで無邪気な小童こわっぱが、酸いも甘いも知り苦み走る日本男児へと成長するようであります。これが清酒の「真髄」、燗とは一言で言えば瞬間熟成。眠っていた旨味がはっと目覚めた、全ての要素を感じさせる調和状態なのであります。

〈補足〉「燗上がり」する酒(燗適酒)の必要条件、等

 ①エキス分(主体は糖分、甘辛や濃くを司る)②アミノ酸量(旨味と雑味は表裏一体)③(乳)酸量(女酒男酒〈→〉問わず、双方共に複雑さ、詰まり味の幅は必須)↔これらが伴わない酒は燗につけると不味く為り、それを「燗下がり」「燗ダレ」すると言う。

 温めると甘味を強く感じ、酸味は(然程)変わらず、ゴク味は弱く感じるので、燗適酒とは純米酒や古酒など酸度がやや高く、押し味 の多い物とされる(五味〈→